いつものように奉仕部の部室に入ると、すでに雪ノ下と由比ヶ浜、そして一色が座っていた。
いつもの席に座る前に、俺は一色をちらちらと見る。決してエロい目でスカートから覗く脚を見ているということではなく、視線で合図を送っているということだ。
「あ、ちょっと、ごめんなさい」
一色は二人に軽く断ると、廊下の外に出た。俺も追って外に出る。残された二人の目線が背中に刺さるが、気にしたら負けだ。
ドアの外に出ると、すぐ右にある廊下の壁に背中をあずけている一色。いろいろいろはすから来たメッセージには特に内容が書かれておらず、直接話をするということで返信してもわけのわからんスタンプが届くだけだった。
「お前な、直接話すのはいいとしてなんで一旦部室で待っちゃうの。事前に打ち合わせられないの?」
「なんですか、先輩は私に文句があるんですか。そういう態度だと」
「待て、待て待て。何だ、お前は俺を脅そうというのか」
サーッと顔に青線が差す。このまま言いなりになって恥ずかしいところを撮影されてネットに流されたくなかったらとか言われて……やめて、ひどいことしないで、エロマンガみたいに!
「人聞きが悪いですよ? 別にまだ何も言ってませんし、何も見せてません」
「それで、例のブツは返してくれるのか?」
「どうしようかな~?」
くっ、殺せ!
いや殺さないでください。なんだ、こいつは何を考えている。
「要求は何だ」
「そうですね~。まず先輩が私をどうしても喜ばせたいというなら、そのプランを聞いてあげます。明日までに考えておいてください」
そう言うと部室にさっさと戻ってしまう。一色を喜ばせるプランを一日かけて考えて明日提案しろというのか。なんと面倒くさいプレゼンなんだ……。取引先にこんなこと言われて真面目にやるやつは島耕作くらいじゃねーの。人生においてビジネスを最優先にする男。俺と真逆の存在だ。働きたくないし、出世したくない。モテるのは構わないが。
閉まったばかりのドアを開け、中に入る。
いつもの席に座るや否や、由比ヶ浜が近寄ってきた。
「ヒ、ヒッキー。ちょっといいかな」
「あ? ああ」
座ったばかりなのに、すぐまた外に連れ出される。
「いろはちゃんと何かあった?」
「あ? いや、別に」
「そっか……あはは。じゃあいいや、ごめんね」
それだけ?
大したやり取りもなく戻っていく由比ヶ浜。
やれやれと席に着こうとすると、今度は雪ノ下から
「ちょっといいかしら?」
なんなの?
俺を座らせないゲームでもしてんの?
「一色さんと何かあったのかしら」
「お前もそれを聞くのかよ」
「そう。由比ヶ浜さんも同じことを」
「ああ。何もない」
「……高坂さんとは?」
「……別に」
「そう」
それだけを言い残してふぁさっと髪をなびかせて部室に戻る雪ノ下。
なんだか、無駄に心臓に悪い。それほどひた隠しにしなければならないものでもないんだがなあ……。一色が思わせぶりな態度をとるからだ。雪ノ下にプリクラを拾われていれば特に問題なかっただろう。いや、それもどうかな?
部室に入り直し、なんとなく雪ノ下が席に着くのを待ってから、俺も腰を下ろす。
文庫本でも開こうかと思った矢先、コンコンとノックの音。
「どうぞ」
と雪ノ下が言ってすぐにがらりと戸が開いて、高坂が入ってきた。
言うなよ、と目に精一杯のメッセージを込めて一色を見やる。
目線に気づくと、ふふんと笑った。完全に手玉に取られてますね、俺。
高坂は女子三人の方には目もくれず、俺の前に座った。
「この前はあんがとね、八幡」
「お、おう」
「この前……」「この前……?」
雪ノ下と由比ヶ浜は小声で何か言いながら訝しい顔をしていた。
一色は妙に機嫌がいい。まるで秘密兵器を手に入れた子供のように。
うーん、なんだろうね、すごく居心地が悪い。この部室には四人の女子高生が居て、男は俺だけというシチュエーションなのにね? みんな冴えなくないヒロイン達で育てる必要もないのにね?
「あやせもよろしく言っといてってさ」
「お、おう」
「あやせ……」「あやせ……?」
小声が耳をくすぐる度に、冷や汗が垂れる。
「ところでさ、ちゃ~んと持ってるよね? この前のアレ」
「お、おう」
「アレ……」「アレ……?」
なにこれ、雪ノ下と由比ヶ浜は同じ言葉しか発せなくなっちゃったの? 呪い? よく考えたら俺も「お、おう」しか言ってねえ。俺は呪われているという設定、凄くしっくりきますね?
「ちゃ~んと持ってますよね、先輩」
「お、おう」
一色は、ぱっちーんとウインクをしてきた。意味ありげすぎるだろ。お前は隠そうとしてくれているのか、バラそうとしているのかどっちなんだよ。高坂はショッピングモールで会った生徒会長だという認識はあるようだが、さすがにその話をここでしようとはしなかった。助かる。
「じゃあ、そろそろ予定があるので」
いそいそと去っていく一色を見届けると、三人分の視線を感じる。ほら、やっぱり気にしてるじゃないですかー、やだー。
必殺、本に没頭しているフリ。目は動かすが、内容はさっぱり入ってこないぞ。
「八幡?」
「いや、ちゃ~んと持ってるぞ桐乃」
「桐乃……」「桐乃……?」
高坂を桐乃と呼んだことに反応してしまったか。やばたにえん……。
「八幡、その、ちょっといい?」
もはやお約束のレベル、今度は高坂のご指名だ。
無言で立ち上がり、ドアを開けて高坂を待ち、彼女が廊下に出てから閉める。実はプリクラを持っていないことがバレているのか? 土下座ならいくらでもするが。
「あ、あのさ。ここで桐乃って呼ばなくても別にいいかんね」
「え? そうなのか?」
「ん~。さっき、あんたが桐乃って呼んでくれたとき、二人がぴりっとなったっぽい」
確かにあいつらとは長い付き合いだが、ずっと名字で呼んでいる。最近知り合った高坂を桐乃と呼ぶのはちょっとな。しかし、いまさらきりりん氏ってのもむしろ恥ずかしいんですが。
「別に、二人も名前で呼ぶなら、それでもいいかもだけど」
え? あいつらを? 雪乃と結衣って?
「いや、それはちょっと」
想像してみるが、恥ずかしいというより怖い。え、何こいついきなり呼び捨てにしてんの? 彼氏面してんの? マジで? キモーイ、マジ童貞キモーイと呼ばれるところまで想像した。そこまで言わないと思うけどね?
「へ~。そうなんだ」
なぜか高坂は嬉しそうな顔を見せる。
「じゃあ、学校では高坂。学校の外では桐乃ね」
高坂がそう言うならそれでいいだろう。
「了解」
「ふひひ。なんかさ、職場恋愛みたいじゃん?」
ブッ。なんてこと言うの。
「アハハ、照れてやんの。ちょーウケる~」
言いたいことだけ言って部室に戻っていった。
俺は、三回ほど深呼吸してから戸を開ける。そもそも深呼吸したこと自体が恥ずかしいんだけど、それがバレたらなおのこと恥ずかしい。自然に、自然に振る舞うんだ。
いつもの椅子に腰を掛ける。
ふー。自然だ。
前には高坂が両手を組んで顎を乗せていた。やたらニコニコしている。
「ねー八幡」
「なんだ、高坂」
「ふひひひひ」
笑ってるよ……。
二人の方を見やる。
「呼び方が高坂に戻ったわよ?」
「笑ってる……意味深だよぉ……」
こそこそ話しているが聞こえている。やはり不審がっているか。
高坂に目線を送る。
あいつらが、怪しいと、思ってる。気をつけてくれ、と。
高坂は一瞬キョトンとして、雪ノ下と由比ヶ浜の方を横目で見てから、ぱちぱちとまばたきをした。わかってくれたか。
「アイコンタクトだ!?」
「もはや隠す気もないってことかしら」
どうやら俺の戦略は大失敗に終わったようですね。孔明に全く泣かれず斬られるくらいの愚策だったな。こめかみを抑えてため息をついたのは雪ノ下ではなく俺だった。
その後はゆっくりとお茶を飲みながら、各々の時間を過ごして終わった。俺は文庫本に目を落としながら一色の出した課題を考えていた。
ちょっと短かったかも。でも間延びしてもあれだしね。
しかし怒り狂わない桐乃ってのもちょっとどうなのって思っちゃうよねー。もっと怒らせた方がいいです?