いいや、寝よう。
当然の選択肢だろう。それほどタイムリミットが厳しいわけでもあるまい。
明日は金曜日だが、手紙を見せるのは来週でいいだろ。
スマホの目覚ましをセットしようとしたら、珍しくメッセージが届いてるようだった。
そう言えば、俺も戸塚に今日は楽しかったよありがとうって送らなきゃ駄目じゃん。女の子として当然の礼儀じゃん。ってなんで俺が女子サイドなんだよ。
本当に戸塚からだったりして。少しだけウキウキしてロックを解除すると、意外すぎることに複数のアカウントから来ていた。ラーメン屋以外からメッセージが来ること自体レアだというに。
一つ目の送り主は由比ヶ浜だな。
『手紙、楽しみだなー。でもみんなの分書くの大変だよね。無理しないでね☆(ゝω・)v』
なにこの俺のことを完全に把握したうえでサボるのを許してくれようとしている感じ。由比ヶ浜のところに婿入りするのも悪くないな、母ちゃん美人だし。
じゃあお言葉に甘えておやすみなさいと思ったが、まだ未読があるんだったよ。二通目は雪ノ下か。一日に人間から二通も来るとか俺の人生とは思えない。
『比企谷くん、真面目に手紙を書いているかしら』
ぎくり。字面だけで冷たい目で射抜かれているような感覚。怖いよー、ゆきのん怖いよー。
『いえ、真面目に取り組んでいるとは思うのだけれど、その、あまり根を詰めないように』
あれ? どうしたこの雪ノ下は。メッセージアプリだと優しくなるの? ハンドルを持つと性格が変わるとかと同じ? いや、そんなことはなかったような。姉の酌で無理やり酒でも飲んでるのかしらん。
『私から言い出したことだけれど、私のはいつでも構わないので、早く眠るのよ』
おかん? おかんなの? いや、うちのおかんはこんなに優しくねえけど。むしろ三浦かよって感じ。お母さん属性が付いちゃった雪ノ下さんなんて、通常攻撃が二回攻撃で全体攻撃より強いんですけど?
こりゃもう大人しく眠るしかないな。ようやく俺の生活にもゆとりが生まれたね。いままでがブラック過ぎたんだ! これが時代の流れってやつだ! ビバ働き方改革!
ようし、もう歯を磨いて寝よう。
そう思って洗面所に向かうと、パジャマ姿の小町が口を濯いでいた。ちょうど交代できそうだな。
「……お兄ちゃん、顔を洗いに来たんだね」
ん? いや、俺はもう眠りたいからそんな目の覚めるような行動はしませんが……。鏡越しに目が合う。しかし、俺の目は開いてるのかどうなのかわからんくらい腐ってるな。腐ってる自覚あるのかよ。
鏡に写った小町は、優しく微笑む。
「手紙、小町のは別にいいからね。徹夜とかしないでね。お兄ちゃん、いっつも頑張り過ぎちゃうから」
いや、その、俺はまだ一文字も書いていないのですが。それを伝えるような時間は用意されていなかったらしく、口を拭き終わった小町はスリッパをぱこぱこ言わせながら手を振った。
「じゃ、おやすみ」
「お、おう」
なんなんだ、なんかみんな優しくない? いや、小町が天使なのは昔からだった。お兄ちゃん、何かを間違えてたよ!
歯を磨いて、トイレを済ませる。待っててね、オフトゥン。
部屋に帰ると、スマホがピカピカしていた。まーた誰かが俺に優しい言葉をかけようとしているのか。ありがたすぎる。この世界は愛に溢れているね。
誰からかしらん。この流れからすると……ちぃ、わかった! きっとこれは高坂だ。おそらく、そうだな……文面はこんな感じじゃない?
『どうせまだ手紙書いてるんでしょうけど、あたしは別に楽しみすぎて眠れないなんてことないかんね! だから、週明けでも、べ、別にいいんだからねっ!』
こーんな感じに違いないね。わぁ、なにこの絵に描いたようなツンデレ。ははーん、こいつ実は俺のこと好きだな?
って高坂は俺の想像どおりに収まる器じゃねえな。どれどれ。
差出人はいろいろいろはす……高坂じゃなかったよ。それにしても、この名前どうにかならんのか。
『先輩、確かに期限は決めていませんでしたが、さすがに土日をまたぐようだと情報流出しちゃうかもです。では明日、楽しみにしています』
はちまんは、めのまえがまっくらになった。
鬼か、悪魔か、いろはすか。容赦無さすぎる締め切りだ!
どうやら一色だけは俺に甘くなかったようですね。畜生!
しかし別に一色は手紙なんて大変なことをやってるとは思っていないし、当然五人相手にしているなんてことはツユほども知らないわけだ。勝手に俺が茨の道を歩んでいるというわけだ。絶対に歩かないと決めていたはずなのに! なんでこうなった!?
とりあえず、パソコンでエディタを起動。文字数が二千を超えたらわかるようにして手紙を書き始める。全員分を書き終えたら、一度推敲して文章を清書。書き上げた文章を見ながら、レターセットに書き写す。
これを雪ノ下、由比ヶ浜、高坂、小町、一色の五人分。くそっ、八時間じゃ足りねえよ。
深夜に入り始めた頃になって携帯が振動する。
高坂だ。今更ツンデレされても意味などないのだが。
エロゲーのキャラクターのスタンプが一つ。ほらな、俺の予想とは全然違うね。予想通りの行動をするようなやつだったら苦労しないんだ。
そのスタンプのメッセージは『頑張れ』だった。
なんだこいつ。俺がこの時間まで起きてて手紙書いてることを疑いもしない。
まぁ、無理して身体を壊すななんて優しい言葉が高坂から来るのも変だがな。こいつらしい。
俺は少し迷ったあと『任せろ』というスタンプを返した。
既読になり、その後反応はなし。これでいい。俺も高坂も既読スルーで怒り出すようなやつじゃない。それが意味するところをちゃんとわかっている。
頑張れと言われたからには、仕方がないので頑張る。本当に仕方ない。
どうにかこうにか下書きを終えてペンで書くところまで漕ぎ着つけた辺りで、雀の鳴き声やら聞こえ始めた。急げ、手を動かせ。間に合わん。
文章が乱暴にはならない程度に急いで書き終えると、目覚ましが鳴った。ちょうど徹夜だったな。ぎりぎり間に合った。
じゃあ寝るか、とベッドにダイブしたいところだがそうもいかない。
みんなからの昨日のメッセージがいくら優しかったからといって、やったけど宿題忘れました、みたいなことを言えるわけもないし、一色はそんなに甘くない。丁寧にかばんに仕舞う。
制服に着替えて、洗面所に向かうと昨晩と同じように小町が歯を磨いていた。パジャマが制服になっているだけだ。そして鏡に写っている俺は、昨日の何倍も目が腐っている。小町はぺーっと口を濯ぐと、また鏡越しに話しかけてくる。
「お兄ちゃん、徹夜しないでって言ったのに」
「するなって言われるとしちゃうんだよ」
俺の減らず口を聞いても、鏡の中の小町は微笑むだけだ。
「わかってたけどね」
そう言い残して、小町はダイニングへ向かった。お前は何もわかっていない。ごみいちゃんは、本当に何もしないで眠るはずだったんだ。一色に脅されたからやむを得ず徹夜になっただけだ。
歯を磨き、顔を洗う。目玉にも水道水を浴びせてやると、痛みとともに気持ちがスッキリとなっていく。
ダイニングで小町の用意してくれた朝食を食べているとき、会話はなかった。朝のニュース番組の音だけが耳に届いている。本日も何気ない、ただの一日の始まりだ。
その後のことは余り覚えていない。つまり授業中は上手に睡眠を取ることに成功したようだった。平塚先生からのメールが届いているが、これを開けるなんてとんでもない!
放課となって奉仕部に入ると、すでに四人は揃っていた。
「どうやら睡眠は取れているようね」
「おかげさまでな」
雪ノ下のおかげでぐっすり睡眠が取れるはずだったので、ここはそう伝えておく。小町だけはすべてを理解していたが、何も言わなかった。本当によく出来た妹だ。俺以外にはもったいないから永遠に嫁に行かないで欲しい。
由比ヶ浜は何も言っていないが、早く見せてと顔に書いてあった。そこまで楽しみにされると恥ずかしいので、このまま帰ろうかな。
「ん」
そんな俺に高坂桐乃様はただ手を出した。このコミュニケーション能力、俺が言うのもなんだがなんとかした方が良い。
しかし素直に手紙をその手に載せる俺。やだ成功しちゃってる。これがパーフェクトコミュニケーションなの? そんなの絶対おかしいよ。
だが、ここで昨日スタンプでやりとりしたことをバラすような野暮なことはしないところはさすがだ。小声で頑張ったじゃんとか言ってくれてもよさそうなものだが、そういうことを言わない。
「なるほどね」
プリティーでキュアキュアな封筒をためつすがめつする高坂。どこの鑑定団だよ。鑑定結果は怖くて聞けない。
「ん」
今度は由比ヶ浜が手を差し出す。こうすれば手紙が受け取れると学習したのね。賢いワンちゃんだこと!
「わー! かわいいー!」
ワンちゃん向けの封筒を見ながら、由比ヶ浜はしっぽを振った。おかしいな、俺はいつの間にDOG DAYSの世界に召喚されたのかしら。それとも由比ヶ浜が実は異世界からやってきたのかしら。
「ん」
ニヤニヤしながら右手を出したのは小町だ。こういうノリはムカつくやつがやるとムカつくが、小町がやると最高に可愛いから仕方ない。まったく仕方がない。
「ほいよ」
「わ、わー!」
ハートたっぷりのレターセットを受け取って慌てふためく小町。ふふふ、テレやさんだな。
さて。
雪ノ下の方を向く。
「……」
「……」
見つめ合う二人。別に良い雰囲気なわけではない。これはちょっとしたバトルである。
だんだんと雪ノ下の顔が赤くなる。
周りの三人も雪ノ下に注目する。さっさとやればよかったものを。
由比ヶ浜なんか、露骨に両手を握り込み、頑張ってとポーズしている。応援とかされちゃうと余計にやりにくいだろう。
「ん」
よく頑張りました。
雪ノ下もみんなと同じようにお手々を出してお手紙を催促できまちたー。お遊戯している幼児かよ。
みんなも祝福ムードである。由比ヶ浜と小町なんて音こそ立てないが「わー」なんて拍手している。恥ずかしそうだからやめてあげて。
雪ノ下は場の雰囲気を変えたいと考えたのか、「へぇ」とか「ふうん」などと口に出しながらレターセットの感想を述べようとしていた。よし、切り替えていこう! 森崎くんのせいで一点取られたけど、頑張ろうよとチームを鼓舞するキャプテン翼のような気持ちです。
「比企谷くんにしては、なかなか良いセンスじゃないかしら。私の心の冷たさをよく表現しているわね」
その自分も相手も卑下するスタイル、誰も得しないからやめておけ。俺が言うのもなんだがな。
「悪い、それを選んだの、戸塚なんだ」
「なんで彩ちゃん!?」
素早く由比ヶ浜がツッコむ。雪ノ下も目を丸くしていた。
「昨日買い物に付き合ってもらってな。ほら、ファンシーショップに男一人で行くのもなんだろ?」
「男二人ならいいの!?」
またしてもツッコミを入れる由比ヶ浜だが、戸塚を俺と同じ単位で数えるなんてどうかしている。
「じゃあ、あたしのも!?」
「由比ヶ浜のやつな、可愛いだろ。戸塚のセンスは間違いない」
「そ、そうなんだ」
しょぼんと肩を落とす由比ヶ浜。雪ノ下もさっきまでのワチャワチャした感じはどこへやら、すっかりテンションが落ちて髪をくるくるといじっている。なんだ、戸塚のセンスの良さに嫉妬でもしたのかしらん。
「そ、そっかー。小町は安心したな! 選んだのお兄ちゃんかと思ってたから」
「あぁ、それは戸塚が一色にと選んだんだが、俺が小町に贈ることにした」
「ええ、なにそれ複雑……」
小町もなぜかアンニュイな表情に。なんでだよ。戸塚と俺の共同作業とか胸アツだろうが。
「あ、あたしのも?」
「高坂のは俺が選んだ」
戸塚もこれとかかなと選んではくれたのだが、そっちは明らかにピンクたっぷりの女児向け過ぎたので隣の落ち着いた配色のものを選んだのだ。イラストの使い方もセンスがいい。要するに子供向けとガチオタ向けの違いだが。
「ま、まあそうよね。あたしのこと知らないだろうし」
戸塚は高坂のことを知らないから俺が選んだ、という理屈を改めて口に出す高坂。なにか文句でもあるのかしらん……雪ノ下と由比ヶ浜は高坂のことを軽く睨んでいるようにも見えるが。
「封筒はどうでもいいわ、問題は比企谷くんの書いた手紙の内容だわ」
「そ、そーだよ! そーだよ、ソースだよ!」
なぜか無理くりにでも気を取り直そうとしている二人。あまりの幼稚さに懐かしさすら覚えるね。戸塚の選んだ可愛い封筒のどこに不満があるんだ、こいつらは。
「で、でも手紙をここで読むというのもちょっとアレよね」
「アレだよね~」
どれだよ。でも何となく分かるよ、俺も恥ずかしいよ。とはいえ、お家に帰ってじっくり読んでねって言うのも恥ずかしい。どうやったって恥ずかしいんだよ、手紙ってのは!
「まぁ、手紙はじっくりと家に帰って読ませて貰うとして」
雪ノ下は妙に興奮した様子で封筒を大事そうに、クリアファイルに挟んでかばんの中に仕舞った。いや、それじゃ困るんだけど。
「あのな、雪ノ下。一色がもう待てないって言ってんだよ。今からあいつのところに行かないと。だから結果を教えてくれ」
そう言うと、高坂がキンキンした声を上げた。
「ハァ!? あんたバカじゃないの?」
唐突にキレる若者。しかしこの違和感の無さ。犬が吠えたり、セミが鳴いたりするのと同じくらい高坂がキレるというのは通常運転だ。俺は冷静に質問することができる。
「バカにもわかるように説明してくれ」
「ふん。読まなくたって手紙もらったら嬉しいなんてこと、すでにわかりきってるじゃん。褒めてもらうのだって絶対嬉しいっつーの。彼女として紹介はしなくていいから、二つともやってこい!」
強引に背中を押される俺。まぁ、どっちみち早くしないとヤバイからいいのだが。
廊下に追いだされ、俺は生徒会室に向かった。少しすると、奉仕部の部室からはかしましい声が上がる。あいつら、開封したな……。それにしても、あんなに大騒ぎするような手紙を書いた覚えはないがな。
んー、自分で書いてても八幡は爆発したほうがいいと思う。
どうですかね、優しい雪ノ下、優しい小町、ひたすら可愛い由比ヶ浜、そいつらに比べても桐乃に魅力感じていただけてますでしょうか。