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バイツァ・ダスト
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それから、時は立った。
もしかしたら、例の組織は壊滅したかもしれないし、していないかもしれない。長年の因縁を乗り越えて、FBIと公安警察が手を組んでいるかもしれないし、いまだに組織の悪行に振り回されて、犠牲者の数を止められていないかもしれない。
しかし、もう、そんなことどうでも良かった。
曇天から舞うのは、真っ白な冷たい粒。
雪の降る日に、その女は佇む。
真冬だというのに、コートの一つも羽織らないでいる女の姿は誰も気に留めない。記録的な寒波は、米花の街に人を寄せ付けなかった。
背後から続く、わかりやすい気配を読み取った彼女が選んだのは、コンテナヤードだった。
ふらり、ふらり。時折苦しそうに咳き込むのは、再発した病のせい。生前の溌剌とした明るさは、彼女が死んでしまってからは二度とこの世では見られない。
悪天候のためか、ヤード内は閑散として人の気配もない。
彼女と、もう一人以外は。
「……、おい。いるんだろ」
「……」
「それとも、…姿を見せる価値もないと…言いたいのか⁉」
姿かたちこそ、年若い女のものであったが、響き渡る声と言葉は全く違った。
少年だ。知らない人が聞けば、女の声にも聞こえたかもしれない。けれど、背後からついて回った『もう一人』は知っていた。年若い女の本当の声も、この声の主のことも。女はとうにこの世を去っていて、もうその前に現れることがないことも。
突然、視界を覆わなければならない程の突風が、その周囲を襲った。降りしきる雪と一緒に、風は女の長く美しい人工的な髪の毛を乱して、散らす。
背後から足跡。女が振り返れば、もう一人の姿がようやく表れた。
それは、赤井秀一。幽霊に変装してまで、焦がれた仇の姿だった。
「……見事な、変装だ。彼女にそっくりだ…」
「……っ、赤井…秀一…!」
タン、タン、タタン。ハンドバッグから取り出されたものは、武骨な[[rb:拳銃 > グロツグ17]]。憎くて、殺したくて、死ぬべきカタキに向けられ、即座に射撃音が響く。
しかし、連続した発砲音はコンテナや地面に跳ね返るばかりで、赤井秀一にはかすりもしない。――まるで、この場で死ぬべきではないと、大いなるナニカから告げられているようだった。
「慣れない武器は、使うべきではない。ましてや、そんな状態で君は…」
「うるさい、うるさい。――死ね、お前なんて、死んでしまえ‼お前にそんなことを言われたくない。知っていたよ。こんな玩具で、あんたを殺せるのなら…、う、ぐ、……ッ」
そう、銃口を向ける前から知っていた。もしも、こんな簡単に殺せるのなら、楠田陸道は、自決という手段であの世へ逃げる必要はなかった。
肩で大きく息をしながらも、咳き込んだソレに血が混じり、口元を汚そうとも、その眼光だけはギラギラと輝いている。
赤井秀一を睨んでいるのは、忘れもしない、かつての恋人だった。
宮野明美。
―――いや、違う。
姿かたちこそ、宮野明美ではあるが中身は違う。
そこにいるのは復讐者だ。
かつて、赤井秀一に二度殺された男の弟。楠田陸道の弟が、今すぐにでも殺してやりたいと鋭い視線でカタキの姿を見つめていた。
「お前……」
赤井秀一は知っていた。その少年のことを。
あの図書館での逢瀬は、悪いものではなかった。それどころか、楽しんでいたことは上司にバレていたのだろう。
最後に会ってから、月日がたっているが、女物のスーツの袖口からのぞく腕の細さが不自然であることも、もともと白い顔色は生気を感じられないほどに、蒼ざめていることも気が付いた。そして、先が長くないことも知っていた。
だから、誘いに乗った。
もう足元も、おぼつかない。もともと街中を彷徨う姿は、ゆらゆらと、本当の幽霊のようであった。先ほどの銃撃の反動は、死に体の体に相当の負担を強いたようで、ゼイ、と息を吐く音の中に細い喘鳴も混じっている
「!おい…くそ、クソ…チクチョウッ……。お前なんて、じごく、地獄に堕ちちまえ‼何が、FBIだ…お前がやったことなんて…ッ!やっていることなんて…。
――大悪党と同じじゃねえか‼なんの正義だ……。俺にとっての正義は、アニキだったのに…楠田陸道、ただ一人だ。それなのに、それなのに…」
精一杯の悪態をついている様子は、もうどこも、宮野明美ではなかった。
楠田の弟は助からないのだろう。そして、救われることもない。
絞り出すように言葉を発した少年は、ぐしゃりとつぶれるように倒れてしまう。しずかに降り続ける雪は、すぐに彼を真っ白く染めた。
赤井秀一は、静かに近づいた。ゆらり、ゆらりと紫煙もそのあとを辿るように続く。
地に這い蹲り、血反吐を吐きながら、苦しそうにゼイゼイと体全体で息をしている。目の前が霞んでいるのか、焦点はあっていない。けれど、瞳の輝きこそ死んではいない。憎くて、殺してやりたい。強い感情が込められ輝いている。
見下ろす赤井の足首を掴んでも、もう力すらこめられないのか、皮膚の一枚すら傷つくことはない。
そのさまは見苦しいとも、みっともないとも思えなかった。
そこにあったのは、一人の男の生き様だ。
激しいほど燃え盛っている感情を向けられるのは、それが悪意で、怒りで、負の感情であったとしても、強い感情を向けられることで赤井秀一にとっては今まで知らなかった、不思議な高揚感を覚えた。
「くそ…くそ…。どうして、こうなんだ。どうして、俺たちなんだよッ‼ 他にも、いたはずなのにッ。どうして、奪った……。ほかに、死んでもいい奴なんて、たくさんいた、のに‼地獄に堕ちてしまえ。地獄へ、落ちろ。落ちてしまえ。そして、ずっと苦しめ……ッ」
「ああ……」
雪はやまない。赤井がこの少年にしてやれることは、もうない。その呪いの言葉を静かに受け止めることしか出来ないのだ。
そうして、もしもその言葉が弾丸であれば、とっくに赤井の体が穴だらけになってしまっているだろう頃。少年は自らを蝕む病で朦朧としながらも、慈愛に満ちたその声で赤井が殺してしまった男へ最期の懺悔を呟いた。
「……、あにき、おにいちゃん 。ごめんね…、きっと、おにいちゃんと同じところには、いけないだろうけど、地獄で、あいつのこと、きっとこらしめるから、ゆるしてね。おにいちゃん…」
苦しげに息をしていたすがたから、やがて呼吸の音も小さくなる。虫の息だった。うっとおしそうな、散らばる長い髪を払ってやりたくなったが、それは赤井の役割ではない。
瞼を開ける気力もないのだろう。ギラギラと輝くその瞳は、徐々に瞼に覆われてゆく。ああ、もったいない。もう少し、それを、俺に向けてくれれば。
うすく開けられた瞳には、もう、なにが映っているのか、わかっていないようで、ゆめとうつつのはざまをただよっている。
それでも、ずっと唇だけは小さく動いている。呪いの言葉と、祈りの言葉。赤井は聞き続けた。雪の音と一緒に、その言葉を。
そして、赤井秀一が、そうさせたのは、故意だったのか。それとも、少年がさいごの最期で赤井より秀でていたのかは、誰も知ることはない。
「じごくで、くるしめ、あかいしゅういち」
どこにそんな力が残っていたのかはわからない。けれども、確かに銃声が響いた。
そして軽い発砲音は、最後の最期で獲物を無事にとらえることが出来た。
あたりに飛び散るのは赤だった。
真っ白に染まっていた周囲を、飛沫状に真っ赤に染め上げる。
先ほどまでは、呪詛を吐いていたとは思えない。眠るように、穏やかな顔をして満足そうに少年は笑っていた。
自らの、脳天を打ち抜くということで、その短い生に自ら幕を下ろした。
楠田陸道の弟は、大悪党の恋人であったひとの姿で、自らの脳天を打ち抜くことで、赤井秀一に復讐を果たしたのだ。
宮野明美の、二度目の死という方法で――。
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「それからのことは、語るに及ばないだろう?」
「君たちは、知らなくてもいい。あの少年がどうなったのかも、残された、たくさんの有象無象のことも。このあと、赤井秀一がどんなことをするのかも、何を考えたのかも」
「少年は振り返ることすらしなかったんだ。他にも逃げる道はいくらでもあったのに、選ばなかったのは彼。リクミチが喜ぶか、悲しむかだなんてそれこそ不毛な討論だよ。死人は永遠に死んでいる」
「そういう生き方もある。はーあ。折角のお人形遊びもここまでさ。誰かの正義のために、振り回された人生だっただろうけど、彼が不幸だったかは、残された人間でどれだけ語っても答えなんて出やしない」
「僕が、楽しかったかだって?ああ、もちろん。楠田の異母兄弟は楽しい奴らだった。だから、僕にしては珍しく死後の安寧とやらも、願ってやろう。どうか、安らかであれ」
「さて、君たちとも別れの時間だ」
「赤井秀一という悪党を追いかけた少年の話は」
「これで、おしまいさ」
昨今、赤井秀一はスーパーダーリンとして万能で、頼りがいのある家事も、料理も、頑張っちゃう善人赤井秀一を多くの二次創作を拝見してもちろん大好きなのですが、初期の何者かもよくわからない、研ぎ澄まされたナイフのような男シューイチアカイも大好きでして…
自分の懐にいれた対象には深い愛を捧げるのに、それ以外はどうなっても興味がないようにも見えませんか?
私には見えるのでこのお話が生まれました。コワイ男、手の届かない男、赤井秀一大好きです。
長い間お付き合いいただきありがとうございました!
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本当にありがとうございました!(感想をいただけると…うれしいです…)