ハーフドワーフの弟だけど、姉が女子力無さすぎて心配になる 作:伊都洋治
四月×日
母上から日記帳を貰った。これからは武道だけでなく学問も修める時代ということで、その足掛かりとして日記を書けと言うことらしい。
と言ってもそんなに書くことはない。いつものように朝から晩まで刀を振るっていただけだ。姉上もそうだが、俺たち姉弟はどうも一つのことに熱中し過ぎるきらいがある。俺は剣術を、姉上は鍛冶を、それこそ物心のついた頃から飽きることなく続けているのだ。
だから一日の出来事を書けと言われても、たったの一行で終わってしまう。刀を振りまくった、それだけだ。まあ毎日同じ鍛練をしている訳でもないので細かいことを言うならば、あと四行くらいは書けるかもしれないが。それでも二十行以上ある空白を埋めるには足りないし、中途半端に書き綴ると余白が目立って仕方がない。そんな訳でこうして意味のない言葉をつらつらと書き連ねている訳であるが……なんだもう
まあこうして日記の書き方も分かったことだし、明日からは更に具体的な内容も書ければいいなと思っている。とりあえず三食の献立でも書いてみようかな。日記に記録しておけば母上に料理のリクエストをしやすくなるし、文字として読み返すことでその日食べたものの味を鮮明に思い出すこともできる。うむ、良い案だ。早速明日から取り入れよう。
ちなみに今日の夕餉は桜鯛の兜煮と
五月▲日
今日は姉上の誕生日であった。……のだが、肝心の姉上がそのことをすっかりと忘れていた。
姉上は鍛冶以外のことに無頓着過ぎる。それこそ年頃の娘なのだから着物を買ったり歌劇を観に行ったりと相応な趣味を持ってもいいと思う。まあ剣しか取り柄のない俺が言えることではないのだが、それでも姉上には
この間なんか、三日三晩風呂にも入らず父上たちの仕事を手伝っていた。仕事を終えた姉上の姿はそれはもう酷い有り様で、全身煤と垢まみれなのはもちろんのこと、体の各所に笑えないレベルの火傷の痕が目立っていた。……これには流石の母上も激怒したようで、いつもは頑固一徹の父上が生娘のごとく泣き謝っていた。いくら極東一の鍛冶師と謳われても、人としての心を無くしてはいけないのだと思い知らされた、貴重な体験であった。
ちなみに姉上の誕生日祝いはきちんと行われた。本人は完全に忘れていたが、ずっと家の鍛冶場に籠っていたので捕まえることは簡単だった。
とりあえず姉上を風呂桶にぶちこんで、その間に会場の準備を終わらせた。そして風呂から上がった姉上に母上が化粧と着付を施して、ようやく誕生日会が幕を上げた。
会場、といってもそんな豪勢なものではない。よくある友達や親戚を巻き込んだささやかな誕生日パーティーである。姉上は鍛冶以外に興味を示すことはないが、人付き合いが悪い訳でもない。むしろ生来の気さくさが老若男女問わずに惹き付けるようで、当然友達と呼べる者も数多く存在している。
その日会場に集った人の数はざっと三十人。小さな村でこの人数はかなり多い方である。そしてその内訳は大半が女子であった。……姉上が同性に好かれているのは知っていたが、まさかこれ程とは思わなかった。姉上が登場した瞬間に上がった耳をつんざくような黄色い悲鳴を、俺は一生忘れることがないと思う。
総まとめとして、今日はとにかく疲れた。本当に世話のかかる姉である。あの人も今年で十二歳になるのだから、少しは周りにも目を配って貰いたいものである。たぶん五年は無理であろうが、それでも僅かでも女子らしい姿を見せて欲しいと俺は切に願っている。
7月●日
夏である。夏と言えば祭り、花火、昆虫採集、そして何よりも川遊び。今日は姉上も珍しく参加するという事で、近所の子どもたちと一緒に地元を流れる川へと向かった。
……のだが、ここでも我らが姉上様は盛大な
ここまで言えば分かると思うが、姉上は裸で川遊びに参加したのだ。十二歳にもなった成長期真っ只中の女子が、である。当然連れ立った友人の中には男子の姿もチラホラいたし、そもそも俺自身が思春期真っ只中の男子なのだ。明らかに目の毒である。ただでさえ姉上は母上そっくりな容姿をしているのだ、顔立ちは整っているし、出るものは出ているし、おまけに体型が子どもとは思えないくらいにスラッとしている。結果として、その日の川遊びは中止となった。
浮世離れした人だとは思っていたが、まさかここまで常識がないとは思わなかった。今後は母上を交えて一般常識を叩き込むことに専念しよう。
それはともかくとして、今日は血を多く失った。母上に明日の朝餉は肉類を多目にしてもらおう。
九月▲日
今日も今日とて刀を振るう。
正直俺にはこれしかない。これしか誇れるものがないし、これしか生きる道がない。
俺が剣を振るうようになったのは今から六年くらい昔、五歳の頃からと記憶している。それまでは姉上と同じく鍛冶に興味を懐いており、よく父上の仕事風景を飽きるまで見続けた覚えがある。
そんな俺がなぜ剣の道に進んだのかと言えば、ひとえに姉上の左目を失ったことに原因がある。
あれは俺がまだ武道のブの字も知らなかった頃、俺と姉上はほんの興味本位から村の外れにある禁足地へと侵入した。この禁足地というのは要するにモンスターの縄張りみたいなもので、足を踏み入れたが最期四方八方からモンスターに蹂躙されるという危険極まりない場所だった。
そんなところに何ゆえ好き好んで行ったかと言うと、当時禁足地の領内には財宝が眠っているという噂があったからである。どんな宝でどれだけの価値があるのかは誰も知らないが、噂によればその宝を手に入れた者にはこの世すべての富にも勝る『力』を授けてくれると云われていた。
幼い時分より冒険者になることを夢見ていた俺たちは、その噂を信じて禁足地へと向かった。もちろん親には内緒である。幸い刀鍛冶の家系であったため、武器に困ることはなかった。俺は父上の打った刀を携え、姉上はじじ様の打った槍を片手に、計画もアイテムも何ひとつ持たず禁足地へと赴いた。
禁足地は、穏やかな場所だった。とてもモンスターがいるような殺伐とした空気は感じられない。緑豊かで、とても静かな森だった。
俺たちはモンスターが出てこないのを良いことに、どんどんと森の奥へと進んでいった。そしてしばらく探索していると、突然開けた場所に到達したのだ。そこには小さな祠があり、きっと件のお宝がこの中に眠っているのだと俺は考えた。そんな
姉上が祠を開けようとした瞬間、それは現れた。犬の頭に人のような体、そして両手に伸びる鋭い爪。ダンジョンに出てくるものよりも一回り小さいそれらは、名をコボルト。地上を跋扈するモンスターの中でも最弱と呼ばれる種族のひとつである。
最弱とは言え、それは恩恵を受けた者にとっての話。五歳と六歳の子どもが勝てるような相手ではない。だが俺たちは幸運にも彼らに対抗できる力があった。それがコルブランドの延べ板、ドワーフである父上がその生涯を捧げて完成させた極東随一の刀剣である。
その切れ味は軽く薙いだだけで岩を切断するとされ、現に非力な俺の腕でもコボルトを簡単に斬り伏せることができた。姉上もまた同じで、俺たちは図らずも最強の装備を手にした状態でモンスターを相手取ることができたらしい。そしてその状況を自らの実力であると勘違いした俺は、ついに取り返しのつかない失態を犯したのである。
俺は意気揚々とコボルトを斬り続け、そして有頂天になっていた。だからこそ、背後から迫る一体に気づくことが出来なかった。目視した時にはすでに腕を振りかぶった状況であり、俺はあまりに咄嗟の出来事ゆえ回避することも儘ならなかった。
そこへ、姉上が盾となって現れた。
間もなくして瞳に写ったのは、目元を抑え、獣のような悲鳴を上げる姉上の姿であった。その手元からは止めどなく血が溢れており、下手人たるコボルトの爪には姉上の左目が突き刺さっていた。
俺はその時、ようやく理解した。俺は間違っていたのだと、そして二度と治らない傷を最愛の姉に与えてしまったのだと。それからの記憶は覚えていない。とにかくパニックになって、がむしゃらに刀を振り回していたのだと思う。結果だけ言えば、俺は残りのコボルトを全て斬り伏せていた。ダンジョンとは異なり、地上を生きるモンスターは殺しても灰には還らない。ただ血を流し無残な死体を晒し続けるだけである。そんな死屍累々たる森を後にするため、俺は失血で気を失った姉上をおぶって家への路を急いだ。
姉上は九死に一生を得た。あと少し助けるのが遅れていたら命はなかったそうだ。だが、コボルトに抉られた左目だけは取り戻すことができなかった。エリクサーは体がズタズタになろうとも
事態の全容を知って父上に殴られ、じじ様にも殴られ、母上には大泣きされて……俺は一年間の外出禁止を命じられた。だが、そんな罰など姉上の左目を奪ったことに比べれば軽いものだ。俺の犯した罪は、一生かかっても償うことはできない。俺は――そう俺はその時、初めて目標を見つけたのだ。姉上を完全に護れるくらいの侍になること、それが俺の刀を降り始めた最初のきっかけであった。
あれから六年。俺は、強くなったのだろうか。毎日欠かさず素振りを行い、かつて冒険者であった父上に習って剣術の腕を磨いてきた。だが、実戦を経験したのは後にも先にもあの時だけだ。あの全身がひりつくような体験を、俺は今求めている。そうすればきっと近付くはずなのだ、姉上を護り抜く世界最強の侍という頂点に。
十二月★日
冬である。冬と言えば炬燵に蜜柑に餅に蕎麦……ではなく、俺が生まれた季節である。
何を隠そう、今日は俺の誕生日だ。今年で十一歳になる、もうほとんど大人の仲間入りと言う訳だ。そろそろ酒も呑めるようにならないとな。
そして今日は姉上の時と同様、俺の誕生日会も開かれた。と言っても俺の誕生日に集う友人などたかが知れている。何せ俺は姉上と違って人付き合いが悪いのだ。生来の引っ込み思案なところもそうだが、何よりも人を遠ざけている要因は俺の『目付き』であるらしい。
俺の顔は父上似だ。父上はかつて【鷹の目】と呼ばれていた著名な剣術家で、その二つ名の由来となった双眸は猛禽類のごとくとても鋭い。俺自身はそんな気は更々ないのであるが、どうやら周りの人間からは俺が常に怒っているか、若しくは良からぬことを企んでいるように見えているらしい。そのため俺に寄り付く人間は殆どおらず、こうしてパーティーを開いても俺が主役と分かるや否や参加を拒否する者が出てくるのである。
別に悲しいわけではない。むしろ人との交流が少なかったお陰で剣を振る時間が多くとれたし、何よりも俺には姉上がいればそれで十分なのである。俺の人生は姉上のためにあり、俺の刀は姉上を護るためにある。だから何も寂しいことはない。最愛の人に祝って貰えればそれで十分だ。
とは言ったものの、その姉上が父上と共に鍛冶場に籠り始めたのが五日前。誕生日当日の朝になっても顔を出すことはなかった。
何やら新しい武器を製作中らしい。何を造っているのか気になるが、今の俺に知る術がないのだ。父上はとにかく寡黙な人で、必要最低限の事しか話さない。姉上も寡黙ではないが、こと鍛冶に集中するとこっちの話に耳を傾けることはない。そもそもの話、製作中の鍛冶場は中から閂で完全に施錠されており、例え家族であろうとも中に入ることはでにないようになっている。
そのため、俺の誕生日会は姉上すら欠いた状態で執り行われることになった。姉上の時と同じ大広間を使っているのだが、ここってこんなに広かっただろうか。声がよく響く部屋だということをしみじみと理解していたその時、広間の後方の襖が勢いよく開け放たれた。
誰であろう、姉上であった。
相変わらずの煤と垢で汚れた姿。以前のように火傷こそ負っていないものの、その格好はおおよそ女子と言うには憚られる強烈なものである。それでも、俺にとっては姉上の一番カッコいい姿であった。刀を打つとき出た汗や埃や灰の数々は、そのひとつひとつが姉上の努力の結晶なのだ。それらが汚れていると思えるくらいこびりついているということは、それだけ彼女が努力を重ねてきたという証。だから俺はこの姿の姉上が好きだった。
「遅くなってすまない。これ、お前のだ!」
姉上はそう言って、握っていた刀を俺に差し出した。まさか俺へのプレゼントを造っていたとは思いもよらなかったため、俺は一瞬感極まって放心していた。そして気を持ち直した後に、姉上から刀を受け取りその刀身を鞘からゆっくりと引き抜いた。
それは、例えるならば「月」だった。光を受けると青白く輝くその刃は、これまで目にしたどんな刀よりも美しく、そして元から俺の一部であったかのような錯覚に陥るほどの一体感を与えてくれた。
間違いない、これは俺のためだけの……いや、
「作ることにかまけすぎて名前はまだ決めていない。――それは、お前の分身だ。お前が心に思い浮かぶ名前を付けてやると良い」
姉上はそう言うと、糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。慌てて俺たちが駆け寄るも、どうやら不眠と疲労で久方ぶりの眠りについただけらしい。ひとまず安心した俺は、姉上を両腕で抱き抱えるとそのまま彼女の寝室へと運んだ。汚れた身体を清めて上げられないのは残念だが、それは母上かばば様に任せることにしよう。いま俺がやるべきことは、姉上が造り上げた俺の分け身に相応しい名前をつけることである。
――だが、それもすでに決めてあった。
実のところ、刀を鞘から抜いたその瞬間に俺の脳裏にパッと浮かんだ言葉があるのだ。それは、俺の生まれた極東の昔話に登場する姫君の名前。誰よりも美しく、誰よりも気高く、誰よりも我が儘で……そして、誰よりも罪の重さを知った麗しき咎人の真名。
その名を告げるや、迦具夜の刃文が細波のように揺らめく錯覚を覚えた。喜んでいるのだろうか、それとも罪を背負う俺に同調しただけなのか。いずれにせよ、俺はこの刀を一生涯使い続けると心に誓った。