皇女戦記   作:ナレーさんの中の人

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5/5追記:第1話のところに皇女殿下の個人年表を追加しました

活動報告にも書きましたが、皇女殿下の容姿が決定しました。

なお、その関係で急遽投稿することになったため、多分後で書き直す(まてい
仕方ないんや、5/7で映像消えてしまうんや…


奇妙な戦争(ただし陸上に限る)

『 奇妙な戦争(Phoney War) 』

 

後世、統一歴1925年8月から翌1926年3月の7か月間を示して言う言葉である。

意外に思われる事だが、この間、欧州の大地では戦闘らしい戦闘が発生しなかった。

 

ルーシー連邦はこの時すでに参戦の意志を固めていたが、秋津洲皇国との講和条約、戦力の移動に手間取り、その間に厳寒期に突入してしまったのである。

特にこの前後数年は冬の寒さが厳しかったと言われており、このことが冬の厳しさを知る彼らをして、対帝国参戦を遅らせたのだと考えられている。

 

だが、待たされる連合王国からすれば堪ったものでは無かった。

 

後世の海軍史家は口を揃えて言う。

 

『それは大西洋戦争の二番目に激しかった時期である』と。

 

 

1925年9月。

帝国は北緯30度以北、西経25度以東の北大西洋は『戦闘海域』であると再度宣言。

臨検、拿捕等の制限付きの通商破壊であったが、それまでにも増して多数の水上艦、潜水艦の投入に踏み切ったのである。

 

水上艦での通商破壊では、強化された連合王国護衛艦艇との水上戦が度々発生することとなる。

このとき、連合王国は驚愕の事実を発見した。

 

 

 

 

『なんだあの巡洋艦の主砲は!?』

 

 

 

 

ここで、当時の連合王国の最新鋭巡洋艦の主砲射程を見てみよう。

 

【ダナイー級(D級)】約19,600メートル(仰角40度)

【ホーキンス級】約19,300メートル(仰角30度)

 

対する帝国海軍最新鋭巡洋艦ライプツィヒ級は――

 

約27,000メートル。

60口径と言う長砲身によって、帝国側はおよそ1.4倍の射程を得ていたのである。

 

無論、最大射程=当たる距離ではない。

実際の有効射程はこれより短くなるが、それでも7キロもの開きがあることは大きかった。

すなわち、常に帝国側の方が先に射撃を開始出来、また連合王国側の射程圏外からの嫌がらせ、攪乱すらも選択肢になりうるというアドバンテージを得たのである。

 

 

此方の巡洋艦の射程圏外から帝国側が射撃可能だと知り、連合王国海軍は半狂乱に陥った。

彼らは既存艦艇の仰角引き上げ、射撃指揮装置の換装を大急ぎで行うとともに、それまでの間の繋ぎとして『大改装待ち』であった【戦艦】の護衛船団組み込みを決意する。

 

 

皇女は賭けに勝ったのである(参謀連から何を巻き上げたのかは不明)。

 

 

そして可哀そうなことに、連合王国の狂乱はこれで終わらなかった。

 

以下のデータをご覧いただきたい。

 

これは『大改装』を受ける前の戦艦たちの主砲射程距離である。

 

 

【オライオン級】約21,800メートル(仰角20度)

【キング・ジョージⅤ級】約21,700メートル(仰角20度)

【アイアン・デューク級】同上

【クイーン・エリザベス級】約22,800メートル(仰角20度)

 

 

 

 

『なんだあの巡洋艦の主砲は!?』

『帝国巡洋艦の主砲は化け物か!?』

 

 

 

 

 

そう、この時代の戦艦主砲は仰角がさほど高くない。

もともと超遠距離での砲戦を想定していないがためであるが、その結果驚くべきことに――

 

 

 

「ライプツィヒ級は一時、世界一射程の長い軍艦となった(アカシック・〇ディア)」

 

 

 

 

無論、ライプツィヒ級主砲では戦艦の装甲を貫通することなど夢のまた夢だが、榴弾や新開発の特殊榴弾(三式弾)を使い、艦の上部構造物に無視できないダメージを与えることは可能だった。

 

 

かくして、連合王国海軍技術部は発狂した。

 

 

戦艦相手ならまだしも、よりにもよって「海軍後進国(とみなしていた)帝国の」「しかも巡洋艦」に射程で負けたのだ。

主砲開発部門に発破がかけられたのは言うまでもなく、同時に当時進められていた『既存戦艦大改装計画』にも「主砲仰角の増大による射程延伸」が追加されたのは当然のことだった。

 

…なお、結果として改装期間が延び、予算もさらに嵩んだのは言うまでもない。

そのことを情報部から知らされたとある帝国の皇女殿下は大層ご満悦だったそうな。

 

曰く「 計 画 通 り 」。

 

 

 

そして潜水艦の方では1925年12月、帝国は新型潜水艦(・・・・・)の実戦投入を開始した。

 

 

新型Uボート、U-2500型。

 

 

言うまでもなく、戦前から皇女が計画していたものであり、耐圧殻と内部スペース配分の関係から詳細設計は技師にゆだねたものの、基本構成は彼女の手による。

なお、なぜ2500と言う中途半端な数字になったのかは謎である。一説にはツェツィーリエ皇女のご指名だったともいう。

 

その特徴は何と言っても『水中性能への特化』。

 

この時期、潜水艦は多くの時間を水上で過ごし、商船の撃沈ですら浮上状態からの砲撃によることがままあった。連合王国の『船団護衛方式』によって減少しつつあったものの、開戦当初「潜水艦の行動時間のうち、潜水しているのは10%程度」と言われたほどである。

 

だが、皇女は戦前からこの新型潜水艦の設計に着手した。

 

1913(・・)年の彼女の言葉である。

『余は断言する。対潜水艦戦術の進歩により、10年以内に潜水艦の浮上時間は全航行時間の10%程度にまで低下すると。ゆえに今の時点で【可潜艦】から【真の潜水艦】への進化を開始せねばならない』

 

彼女の預言が見事に的中していたのは、歴史が証明している。

そんな彼女が推進し、統一歴1925年12月から実戦配備されたU-2500型の性能は以下の通り。

 

【全長】 80.0m

【全幅】 8.0m

【最大速度】 水上15.0ノット、水中17.0ノット

【水中航続距離】 160海里/5ノット

【水上航続距離】 11,000海里/10ノット

【最大潜航深度】150メートル(戦車用装甲板を耐圧殻に使用しているため)

【兵装】 53.3センチ魚雷発射管6門(全て艦首 搭載魚雷24本)、12センチ単装砲1基(司令塔後方にあり、潜航時は流線形カバーに覆われる)

 

 

 

 

 

―― お分かりであろう、コレ、皇女の中の人が生前ドはまりして図面を書き写しまくっていた「XXI型」である。ただ水上砲戦の可能性が多分にあるため、同型では全廃された水上砲が復活している。だが、それ以外はまんまコピーと言って差し支えない。

もっとも、電装関連技術などはこの時代では西暦1944年のそれに及ばないため、各種性能は低下を余儀なくされている。

 

ただし、この時代でも再現可能な技術については情け容赦なく投入した(誤字にあらず)。

 

1、自動懸吊装置

エンジン、モーターを動かすことなく、水中で一定深度を保つ装置であり、史実では日本海軍が開発に成功した潜水艦史上の大発明である。

だがこれ、意外にシンプルな機構であり、タネさえ覚えてしまえば再現は容易な部類であった。…皇女の無茶ぶりに慣らされた技術局員の成果ともいう。

 

2、重油漏洩防止装置

上に同じ。皇女の無(以下略)

 

3、直結型から電気推進型への転換

以下の図に示す通り、従来の潜水艦で採用されていた、「ディーゼル―発動機兼電動機―スクリュー」と言う構成を改め、「ディーゼル―発電機 / 電動機―スクリュー」という形にしたものである。

 

【挿絵表示】

 

この方法は水上速力こそ直結式に劣るが、急速潜航時のクラッチ切り替えが不要、ディーゼルエンジンの停止もクラッチ切り替えを伴わないため容易(失敗すると過回転でエンジンが壊れる、またはエンジン停止の遅れで全乗組員が窒息死する)、回転数の制約が直結式より少ない、等々の利点があり西暦世界では戦後の通常動力潜水艦で一般化した方法である。

 

4、シュノーケル(大)

水中充電用大型吸気塔とも。

史実の日独のそれが速度制限のかかる代物だったのに対し、戦後の米国潜水艦同様の大型のものとなっている。曰く「露頭したシュノーケルで発見されては元も子もないと言うが、そもそもそんな状況で水中充電自体しないだろう。それだったら短時間で充電完了するよう、大型吸気塔にしてしまったほうが良い」

 

5、先進的水中聴音システム(パッシブソナー)

艦の艦首部分下部にメインの聴音器を、艦の左右及び後部にも補助聴音器を搭載することで、敵艦の方向をある程度推測可能としていた。

後期型になるほど性能向上型に換装されており、最終生産型では約70キロ先の敵艦を探知できたとさえ言われる。

 

ハッキリ言ってこれまたオーパーツである。

ところどころ劣化しており、また最初からは搭載できなかった部分も多いが、統一歴1920年代とは思えない高性能っぷりを発揮している。

【制限付き通商破壊戦】という制約さえなければ、2年で連合王国を干上がらせることさえ可能だったと指摘する後世の研究者さえいるほどである。

 

 

そして、実をいうとここまでならば、この潜水艦は戦前に量産可能だった ――

 

 

 

 

 

…本級は極めて先進的な設計を取り入れていたが、一部においてはそれがかえって本級の実戦投入、量産の遅れに繋がったと言われる。

 

後世の研究家に言わせるところの『 皇女殿下の凝り性 』である。

 

1980年代に急速に進んだツェツィーリエ・フォン・プロイツフェルン研究の結果、今日では彼女の類まれなる先進的――物によっては時代を20年先取りした――発想は広く知られるところであるが、同時に『英国面の帝国版』もとい『皇女面』『セシリア面(ツェツィーリエを英語表記するとセシリアとなる)』と呼ばれる側面があったことも知られている。

 

本級の場合、それは以下の2点である。

 

『水中翼の採用(未達成)』

 

彼女は「これからの潜水艦は海中を飛行機のように飛び回るくらいの気概がなければいかん」とか言う謎理論を発動。

航空機の操縦系をそのまま潜水艦に移植してみるなどの実験を行った。

結局上手くいかず「従来型潜水艦より優れた旋回、浮上、潜航性能」程度で妥協を余儀なくされたうえ、量産体制への移行に相当な遅延を発生したと言われている。

 

なお、この発想自体は正しく、現代の潜水艦では『潜横舵等による水中行動性能の向上』が達成されていることから『閃くのが30~40年早すぎた代物』と評価されている。

彼女の残したラフスケッチにはこの手の『オーパーツ』が散見される傾向がある。

 

 

『全面的な電気溶接によるブロック建造方式(取りやめ)』

 

これまた時代を先取りしすぎた発想と言えた。

彼女の残したラフスケッチ、及び構想メモによれば、本級は8つの大ブロック、13の小ブロックに分割して「製造」され、それらを最終工程で溶接により結合することとなっていた。

これにより当時としては類を見ない量産化を達成することを目標としたが…如何せん早すぎた。

当時、帝国はライプツィヒ級の上部構造に電気溶接を取り入れるなど、他国に先んじていたが船体全てを電気溶接とするのはさすがに無理があり、時期尚早だった。

結局、従来と同じ建造方式に変更することとなり、思ったほどの量産性は得られなかった。

 

 

 

ともあれ、『大西洋戦争』は激しさを増した。

 

連合王国は途中から「船団に合州国の旗を掲げた船をこれ見よがしに組み込む」と言う悪辣極まる方法を採用し、帝国はそのような船団に対しては「魔導師による航空攻撃で『それ以外の船』のスクリューを破壊する」嫌がらせ戦法を開始した。

帝国海軍司令部が臨検なしの即時撃沈を厳禁としたためであるが、この命令は現場からは大変不評であり、後に悲劇を招く遠因となったのである。

 

 

 

1925年の冬は穏やかな陸上と熾烈な海上に二分された。

 

 

そして1926年の初春。

 

 

大戦は大きな転換点を迎えるのである。

 

 

 





① XXI型。
水中性能と量産性、さらに全没状態での戦闘能力から皇女殿下が前世から惚れこんでいた一品。
ちなみに史実では大体起工から竣工まで2~3か月ほど。
量産性は史実で一番艦U2501の完成(1944年6月)からドイツ降伏までの1年足らずの間に完成118隻、未完成51隻と言う大量建造が実施されたことで証明済み。

ちなみに筆者もこいつの図面を書き写しすぎて腱鞘炎になった一人である(やりすぎィ!

② 皇女殿下の容姿
「漫画版ターニャの成長した感じ」と言う極めてあいまいなものでした(と、言うか筆者自身イメージが定まっていなかった ←待てい)が、先日感想欄にてご指摘があり、検索してみたところしっくり来ました。
くわしくは活動報告にて。

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