皇女戦記   作:ナレーさんの中の人

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進水式

統一歴1926年2月6日

ルーシー連邦との開戦が迫るこの日、帝国皇太女、ツェツィーリエ・フォン・プロイツフェルンの姿は帝国北部シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州のキィエール軍港にあった。

 

「…どうしてこうなった」

 

不貞腐れている幼女と共に。

 

「まぁまぁまぁ。その代わりと言っちゃなんだが、良いものを見せてやるからさ」

 

このころ既に帝国軍魔導師はフル稼働状態にあり、本来皇太女の護衛に就くべき近衛師団の連中もパ・ド・カレー(ドードーバード航空戦)の応援に出払ってしまっているため、代わりに帝都近郊にいた第203航空魔導大隊に白羽の矢が立ったというのが実情である。

 

「良いものだと?」

「うむ」

 

 

 

 

―― 帝国海軍初の正規空母の進水式だよ ――

 

 

 

 

グラフ・ツェッペリン級航空母艦

出典:フリー百科事典『アカシック・ペ〇ィア』

 

【グラフ・ツェッペリン級航空母艦】は帝国海軍の航空母艦の艦級。

起工時から航空母艦として設計されて完成した帝国初の新造空母であると同時に、その極めて先進的な設計から後の各国航空母艦に多大な影響を与えた*1

なお、余りに先進的に過ぎる設計から「帝国の七不思議」に数えられることも多い。

同型艦は3隻(『グラフ・ツェッペリン』『オットー・リリエンタール』『ルイ・ピエール・ムイヤール』)。

 

 

【 建造に至る経緯 】

『航空巡洋艦:プラン1918』

統一歴1910年代に至るまで、帝国海軍は数隻の商船改造空母を除けば航空母艦を保有していなかった。

その理由は、帝国が当時仮想敵国としていたルーシー連邦およびフランソワ共和国との戦闘において、海軍は自国の沿岸防衛を主とすることが想定されており、遠く大西洋の遠洋まで出撃することは想定していなかったためである。

このような想定では、航空戦力は陸上基地からのそれで十分だと考えられていた。

また、当時はまだその有用性が確立されていなかった空母と言う新艦種よりも、戦艦の建造を優先するべきとの考えもあったとされる(要出典)。

 

しかしながら、統一歴1910年代に入り仮想敵国であるフランソワ共和国とアルビオン連合王国が急接近するに至ると、帝国海軍は北大西洋上における連合王国海軍との戦闘を本格的に想定する必要に駆られた。両者の戦力差―― 特に戦艦 ――は大きく、帝国はその対応策に腐心することとなる。

 

この過程で、航空戦力の拡充が急務であるとの声が高まった。当時はまだ航空機が戦艦を撃沈しうるとはどの国も想定していなかったが、弾着観測に制空権の確保が必要であるとは認識されていた。そのため、戦艦の数で劣る帝国海軍は、弾着観測精度の向上による命中率の向上を図ったのである。

この想定に基づき設計された防空艦が後の『ライプツィヒ級』であるが、同時により遠距離かつ広範囲の防空を担う戦闘機を運用する航空母艦も必要であると見なされた。

 

以上のような経緯から、統一歴1918年ごろに本級の設計は開始された。

しかし、前述の通り帝国海軍には空母運用経験が乏しく、設計は難航したと言われる。

さらに当時研究が進められていた対連合王国戦略、『通商破壊戦』に投入できるようにすべきとの意見から、本級原案は所謂「航空巡洋艦」「航空巡洋戦艦」であったことが、遺された資料で確認できる。

余談だが、この航空巡洋艦構想が戦後各国海軍にもたらされ、数々の「迷作」を生み出すこととなる。

 

 

『理想的中型空母』へ

迷走を極めた本級の設計であったが、1923年に突如として設計案の変更がなされる。

このことは1920年代以降、世界中の海軍関係研究者を悩ませる難問であったが、1990年代に入り、所謂『ツェツィーリエ文書』が発見されたことにより、その経緯が明らかとなった。

 

それによれば、本級の大まかな外形は―― 俄かには信じがたいが、 ――帝国皇太女ツェツィーリエ・フォン・プロイツフェルンの手になるもので、おおまかな線図(ライン図)はおろか、基本的な構成、装備や大きさまでこの時点で決定していたという。それをもとに海軍艦政本部が詳細を詰めることによって、極めて短期間での設計変更がなされたのである*2

荒唐無稽とも思えるこの設計経緯だが、遺された各種資料とも合致することから概ね事実であろうと見なされている。ただし、なぜ大陸国家である帝国の皇女がこれほどの航空母艦を考案できたのかは未だ謎である。

なお、本級3隻の進水式全てに皇太女が臨席し、命名したことが知られている。

1番艦は兎も角、それ以降は名代の派遣が通例であったことからも、彼女が本級に絶大なる期待をかけていたことが窺える。

 

設計期間の短さについては、船体の大まかな設計を『ライプツィヒ級』、『プリンツ・オイゲン級』を引き延ばしたものとすることで期間の短縮につなげたという説もある。実際、これら3艦形の船体構造は酷似している。

ただし、これについては高速と一定程度の大きさが求められる空母の特性上、その船体形状は各国とも巡洋艦によく似たものとなるのが常であり、俗説であるとの主張もある。

 

なお、先述のようにその運用想定は『艦隊防空』であり、このことから想定運用機数は50機程度と少なめである。この結果本級の大きさは「中型」に留まり、建造期間、コストの縮減に繋がったと言われる。

一方で、戦後になると重量級の艦載機(爆撃機や雷撃機)の運用に制約がかけられることとなった。

これを設計の不備だとする批判もあるが、そもそも帝国海軍は沿岸海軍の性質が強く、航空打撃力については陸上基地の航空隊(空軍)が担うことを想定していた。

即ち、連合国海軍との本格的交戦は帝国沿岸近く、つまり基地航空隊の航続距離内と見込まれており、艦載機ゆえの設計制約を受けず、多数を揃えられる基地航空隊の方が有利であると考えられたのである。

本級の主眼が臨機の対応を要する戦闘機運用、対空戦闘となったのは以上の想定からくるものであり、この要件を十全に満たしていたと言える。

 

また、今日のような強力なカタパルト、あるいは強力な着艦制動装置のない当時、艦載機は陸上機よりも性能が低くなることが避けられなかった。

だが、比較的軽量小型の戦闘機ではその弊害は少なく、このこともあって本級は防空空母として高い完成度を誇ることとなった。

帝国初の本格的空母となった本級の詳細設計は統一歴1924年に完了し、ただちに起工された。

 

 

【 特徴 】

帝国海軍初の新造空母であるにもかかわらず、極めて進んだ設計となっており、「帝国の七不思議」に数えられることも多い。

本級の構成詳細に移る前に、その特徴を列記すると以下の通りとなる。

 

・ハリケーン・バウ(エンクローズド・バウ)

・アングルド・デッキ

・半開放式格納庫

・舷側エレベータ

・煙突と一体化した大型の島型艦橋

・斜め煙突

・着艦誘導灯

・横索式着艦制動装置(アレスティング・ワイヤー)

・泡消火装置

・航空エンジン用予熱装備

 

【 構造 】

主船体は全通した飛行甲板と、その下に第1甲板から第4甲板までの層の全通甲板をもつ平甲板型を採用している。

また北大西洋での運用が想定されたこともあり、当初より艦首と飛行甲板を一体化させる「ハリケーン・バウ」を採用している。

この構造は連合王国が1920年に竣工させた世界初の新造空母『ハーミーズ』にもみられ、同艦を参考にしたと思われるが、本級のものはそれと比べかなり大型である。

 

1段式の半開放式格納庫を有し、ここに40~50機前後の艦載機を収容した*3

連合王国や秋津洲皇国の空母の多くが採用した「密閉式2段格納庫」と違い、本級の格納庫は周囲に船室を持たず、外壁を隔てて外部と接していた。

これらの点は、後の合州国空母とよく似た構造となっているが、本級の場合、波の荒い北大西洋での運用を想定していることもあり、完全な開放式格納庫*4とはなっていない。特に格納庫の前3分の1については、荒天を考慮して開放部分が一切設けられていない。このような構造のため、合州国空母と異なり、本級の格納庫には大型の換気ダクトが設けられていた。

 

エレベータは大型のものが前後に2基設置され、このうち後部エレベータは世界初の舷側エレベータとなっていた。また、前部エレベータもやや右寄りに設置されている。

右寄りのエレベータ配置は後述する「アングルド・デッキ」に合わせ、着艦作業時にエレベータを上下させても支障をきたさないよう配慮したものである*5

なお、後部舷側エレベータは積載可能量がやや低下していたが、本級は爆弾等の装備を飛行甲板上で行う想定となっていたため、支障はなかった。

 

 

飛行甲板は世界初の「アングルド・デッキ」を採用している。

端的に表すと、従来の飛行甲板に、斜めにずらした着艦専用の甲板を追加したものである。

本級では艦首に向かって左舷方向に8度の傾きをもって設置された。

これは本級以前に類を見ない革新的な構造であり、発着艦に使用する甲板、動線を分離するものである。艦の首尾線方向に沿う従来の飛行甲板を発艦専用にできるため、甲板上に待機機を出したまま着艦失敗時の再アプローチが可能となり、安全性・運用効率が飛躍的に向上した*6

戦後、世界各国の航空母艦がすべてこのアングルド・デッキを採用したことからも、その先進性がうかがえる。

 

また、本級の艦橋は煙突と一体化したかなり大型のものであり、右舷寄りに設置されたエレベータと相まって艦の右半分にかなりの重量を生じていたが、それとバランスを取る意味でも本級のアングルド・デッキは極めて有効であった。

実際、船体サイズの割に大型の艦橋構造物を有した前述の『ハーミーズ』では、バランスを取るために搭載燃料の使い勝手が悪く、左舷側バルジに常に海水を充填していたとされるが、本級においてはそのような事態は発生しなかった。

 

本級の艦橋構造物は、艦中央やや前よりの右舷側に飛行甲板から完全に張り出す形で設置された。

後述する斜め煙突と一体化しており、前半分が艦橋、後半分が煙路に充てられていた。

艦橋内部は4層構造となっており、内部には以下のような設備が配置されていた。

〇(第1層、飛行甲板):搭乗員待機室、気象作業室、方位測定室、飛行科主倉庫

〇下部艦橋(第2層):防御指揮所、情報室、艦橋要員待機室

〇上部艦橋(第3層):操舵室、作戦室、航海長室、砲術長室 等

〇羅針艦橋(第4層):羅針艦橋、海図室

〇防空指揮所(屋上)

 

艦橋構造物に組み込まれている煙突は、これまた前例のない「斜め26度傾斜煙突」となっていた。この構造は飛行甲板上に直立した煙突では特に着艦の際に、排煙もあわせて障害となりかねないために採用したと考えられるが、同時代の各国空母では見られず、また戦後でもほとんど類例のない特異な構造である*7

一説には防空指揮所からの後方視界向上を図ったとも言われるが、詳細は不明である。

 

【 艦形及び防御性能 】

本級の飛行甲板は船体サイズと比較してもかなり広い。これは先述の「エンクローズド・バウ」、「アングルド・デッキ」によるところが大きいが、他方でトップヘビーの傾向を生じていた。

このため、設計途中で船体にバルジを装着し、安定性、復元性の改善を図ることとなった。

これにより、図らずも本級は高い水中防御性能を獲得した(そもそも機雷対策として三重底が採用されていた)。

ただし、この結果最高速力は当初計画の34ノットから31.5ノットに低下した。

また、同様の理由から飛行甲板の防御性は皆無に等しく、わずか5ミリの厚さしか持たぬ特殊鋼に厚さ10センチの木甲板を張っただけのものとなっていた。

ただし、船体構造の最上部にあたる格納庫床面(第1甲板)には厚さ60ミリ特殊処理鋼装甲板が張られていた。

 

飛行甲板は脆弱であったが、バイタルパートの防御力には十分な配慮がなされた。

これは近距離での不意遭遇、ひいては損害が避けられない大西洋戦域の特性から、被害を被っても母港に帰投する生存性が求められたためである。

そのため、特に機関室についてはその上に当たる部分 (全長にして5分の3程度) に、第1甲板には60ミリ、機関室直上の第4甲板には50ミリの特殊処理鋼装甲板が張られた(第2甲板、第3甲板は比較的薄かった)。

また、舷側防御としては60~100ミリの特殊処理鋼装甲板が張られていた。

設計目標としては、バイタルパートの対弾防御は高度1万フィート (約3,000メートル) から投下された400キロ爆弾を防ぎ、自国の『ライプツィヒ級』の15.5センチ砲を耐えることとされていた。

これは本級が戦艦同士の艦隊決戦に随伴すること、あるいは通商破壊戦に従事することを想定していた名残ともいわれる。

 

これらの装甲防御配置から本級の概要を表現すると「それなりの防御力を有する大型巡洋艦に、格納庫と飛行甲板を上から載せた」ものと言えよう。

 

また、格納庫内には世界初の「泡消火装置」が設置されていた。

この設備は消火用の水に消火薬剤を混合させ、泡放出口から放出する際に空気を吸い込み泡を形成し、燃焼している面を覆うことで泡による窒息効果と泡を構成している水による冷却効果によって消火する。今日の航空機火災、石油系火災にも広く用いられている効果的な消火設備である。

本級の場合、(半)開放式格納庫の採用によって、従来の炭酸ガス式では効果が薄いと判断されたことから本装備を開発、採用したと伝わる。

格納庫各所に設けられた防火シャッターと合わせ、高い延焼防止、火災鎮火能力を有していた。

 

 

【 対空火器 】

舷側部に多数の対空火器を装備した。ただし、アングルド・デッキが左弦に張り出している関係上、右舷に比べ左弦の対空火器が貧弱であるとの指摘が用兵側からなされている。

「対空兵装一覧」

※竣工時のものであり、移動式の25ミリ単装機銃を別途搭載していた。

高角砲:72口径8.8センチ高角砲(SKC/21 8.8)2連装6基12門

(左舷に2基、右舷に4基)

対空機関銃:40ミリ4連装機銃(ボフォース社製)16基

(4基を一群とし、左右各2群ずつ装備した)

 

なお、設計段階では通商破壊戦での使用を想定し、上甲板前後左右両舷(計4か所)に対水上用15.5センチ砲を装備する計画もあった。

 

 

 

【 対潜装備 】

本級の謎とされる装備の一つ。

具体的には本級は水中聴音器(パッシブソナー)、探信儀(アクティブソナー)、爆雷投射機を備えており、更には航空機用空中投下型爆雷を搭載していたことが分かっている。

当然、これほどの対潜装備を備えた航空母艦は本級以外にない*8

 

一説には帝国海軍が極めて先進的な潜水艦を有していたため、その危険性を過大評価していたのが原因ともされる。実際、世界標準では重巡洋艦(もしくは小型戦艦)に類別される『プリンツ・オイゲン級』にも同等の装備が備えられていた。

 

 

 

【 その他特筆事項 】

以下の装備はこれ以前から帝国海軍の改造空母、艦艇で試験的に採用され、実績を上げていた装備である。しかしながら、その全てを兼ね備えたのは本級が最初である。

 

「着艦誘導灯」

先述の装備等に比べ目立たないが、これもまた極めて画期的な装備である。

その構造は銃器の照準の基本原理の延長で、理想的な降下進入角度にセットされた照星灯(緑ランプ)と照門灯(赤ランプ)を飛行甲板左側に装備し、着艦機のパイロットから見た照星灯と照門灯の位置関係で自機の進入角度が理想角度に乗っているか一目でわかる仕組みとなっていた。

同時期の連合王国、合州国海軍の空母において着艦誘導を「着艦信号士官」が手に持ったパドルで行っていたのと比べ、極めて先進的、かつ成功した方法である。現在の各国空母は勿論のこと、飛行場でも採用されている光学式誘導装置の基礎とも言われる。

ただし、同時期の秋津洲皇国海軍も類似した方法を採用しており、帝国独自技術であるかには異論もある。

なお、着艦時の自然風と母艦の速力、進路により、理想的な降下進入角度もその時々で異なってくる。これに対応するため、照星灯と照門灯の位置関係も調整出来る様になっていた。

 

 

「横索式着艦制動装置」

横索式アレスティング・ワイヤーは、統一歴1905年1月18日に合州国で行なわれた装甲巡洋艦「ペンシルベニア」への世界最初の着艦実験において既に装備されていた。着艦実験は成功し、帝国海軍はこれを参考にしたと言われる。

同時期の連合王国海軍が「縦索式」*9に拘泥していたのに比べ、進んだ設計思想であると言える。

一説には直前にフランソワ海軍が建造した空母『ベアルン』の横索式着艦制動装置を参考にしたとも言われるが、それと比べても性能、完成度とも優れている。

 

なお、同時期の合州国とフランソワ、数年後の秋津洲皇国の空母がこの制動装置を10数本装備していたのに比べ、本級のそれは6本と少ない。

これは本級が世界初の「アングルド・デッキ」を採用したことにより、着艦失敗時の再試行(タッチ・アンド・ゴー)が可能となったため、無理に止める必要が薄れたことによる。

同様の理由から、前方の駐機機体を着艦失敗機から守るための「滑走制止装置」*10は最初から装備されていない。

これら装備数の削減は整備性の向上にもつながったという。

 

 

「航空エンジン用予熱装備」

※【航空機運用方針】と密接にかかわるため、そちらに詳述する。

 

 

「シュナイダー・プロペラ」

大型艦艇としては世界で初めて本プロペラを採用したことで知られる(そもそも基本特許自体、統一歴1915年ごろに取得されたばかりであった)。

その構造と特徴は、回転する円盤に垂直に取り付けられた羽根の角度を連続的に制御し、おのおのの羽根が次々と揚力(=推力)を発生させることで瞬時に任意の推力、向きを得られることにある。

通常の舵とスクリューを持つ船より小回りが利く(360度超信地旋回も可能)利点があったため、かつては港内で活動するタグボートや消防艇、頻繁な離着岸を繰り返すフェリーなどでよく用いられた。

本級の場合、キィエール軍港やキィエール運河での取り回しを想定して艦首及び後部艦底部に隠顕式で装備された(外洋通常航行時には収納される)。

前述の通り本級は船体に比して飛行甲板が大きいため、操舵室から自艦の水線部を直接目視出来ないという問題があった。このため、艦の前後左右、飛行甲板下に「水面見張所」を設けていたが、これに加えて即応性にすぐれたシュナイダー・プロペラの装備が不可欠だと考えられたのである。

なお、速力は求められていないため、潜水艦用電動モーターによって駆動する。

 

余談だが本級の一番艦、『グラフ・ツェッペリン』の超信地旋回性能試験の映像が残されている。超信地旋回する空母は世界広しと言えど、本級くらいのものであろう*11

 

 

【 航空機運用方針 】

当時の帝国としては珍しく、全艦載機を「液冷エンジン」で統一していた。

そもそも液冷エンジンは正面面積の減少等の利点はあるものの、整備の困難さから当時の帝国軍では冷遇されているきらいがあった。

そのような状況ではあったが、本級(と言うより、帝国海軍航空母艦)の場合、以下のような点から液冷エンジン搭載機に絞っての運用が想定されていた。

 

 

 

 

そもそも液冷エンジンの整備が難しいのは、従来の空冷エンジンの整備とは全く異なる知識、技能を必要としたことに起因する。

これについては野戦飛行場で数百機レベルでの運用を行う空軍と異なり、空母艦載機は格納庫内での整備であるうえ、本級の艦載機数は50機前後と少なく、また所属替え、配置換えも空母とセット(つまり、整備員もろとも)で行われるため、整備技能の蓄積も比較的容易に行える。

 

さらに空母専用と言うことで生産機数も少ないことから、製造段階から多少手が込んだ造りとなっていても問題とならない。むしろ少数機であればこそ、様々な技術を盛り込んだ高性能機となるのは必然であると考えられていた*12

 

 

このように、空母艦載機に限定すれば、液冷機の「デメリット」の多くは解決される。

その前提で液冷機を検討した場合、以下の通り空母艦載機として優れた特性を有する。

 

「良好な前方視界」

液冷エンジンはその構造上、空冷星形エンジンに比べ横幅がスリムとなり、前方視界が大幅に向上する*13。これは「制御された墜落」と称されるほど難易度の高い空母への着艦においては重要なポイントである。

 

「予熱装備の設置による、緊急発艦が可能」

液冷エンジンは読んで字のごとく、エンジンを冷却液によって冷やすエンジンである。

逆を言えば、あらかじめ温めておいた冷却液を充填することで、空冷エンジンのような暖機運転にかかる時間を短縮できた。

このことは「防空空母」的役割を求められていた本級においては重要な意味を持った。

すなわち対空レーダー等が未発達のこの時代、対空戦闘は「仕手戦」となることが多く、荒天の多い北大西洋ではその傾向が顕著であった。当然、悠長に暖機運転*14をしている暇はなく、この時間を短縮できるというのは大きな利点であった。

また、荒天の多い北大西洋での航空機運用はその合間を縫うように行われることが多く、この点でも任意のタイミングで即座に発艦できる「液冷エンジン予熱システム」は魅力的であった。

 

 

上記の想定から艦載機の液冷エンジン搭載、本級への航空用エンジン予熱装備の設置が決定された。

本級に搭載された予熱装備は、ボイラーからの廃蒸気及び電熱線ヒーター(帝国海軍潜水艦が魚雷予熱用に採用したものを複数搭載)によって予熱した冷却液を、専用配管によって格納庫内及び前部飛行甲板に設けられた給油設備に導いた。

この配管は3重構造となっており、可能な限り温度を保ったま艦載機に注油できるよう配慮されていた。

なお、これらの装備は基本的には断片防御程度の性能しか持たなかった。これは本級の飛行甲板が非防御甲板であり、予熱装備が破壊される時には飛行甲板も破壊されているであろうから、飛行甲板が非防御であるのに予熱装置に防御を施すのは無駄であるとの判断による。

 

 

本装備は液冷エンジン、および運用思想(緊急連続発艦)に伴うもののため、以後の各国空母ではほとんど見ることが出来ない。

しかし、大戦後に連合王国及び秋津洲皇国が建造した「潜水空母」にこの装備が搭載されており、グラフ・ツェッペリンのそれを参考にしたものと考えられている。

 

 

 

【 総論 】

高い完成度、先進性を誇る中型空母であり、当初の運用想定(制空空母)においてはその能力をいかんなく発揮した。

他方で飛行甲板長245.3メートルと言う中型空母だったことと、ついにカタパルトの開発に成功しなかったため、重量級の艦載機(特に攻撃機)の運用には難があった。この問題は大戦後、合州国から油圧式カタパルトを購入、装備するまで解決されなかった。

 

また、アングルド・デッキ等の進んだ航空艤装を有しながらも、搭載機数が限定的だったことについて批判的研究がある。

これについては帝国海軍が沿岸海軍であったことと、前述の運用思想に起因するものであるが、特に大戦後の本級の運用に制約を与えたことは否めない。

 

更に就役、実戦投入が大戦終盤になってからだったことも悔やまれる。

後の戦史研究家の多くが、本級が大戦勃発時点で就役していれば大戦の趨勢も変わっていた可能性が高いと指摘している。

 

 

 

【 余談 】

 

「観艦式の優等生」

本級はシュナイダー・プロペラの採用により、特に低速域において船体サイズからは想像できない程の小回りの良さを発揮し、この特性は特に多数の艦艇を整列させる必要のある観艦式においていかんなく発揮された。

 

実際、大戦後の国際観艦式において、ライヒ連邦共和国からの参加艦艇が本級だと分かるだけで主催国から大いに喜ばれたという。

実際、悪天候で到着が遅れた際にも既に整列しつつあった各国艦艇の間を「スイスイと」縫って、自艦に割り当てられた配置に「ピタリ」と制止させた逸話を有し、この場面を目撃した各国海軍関係者を混乱の坩堝に叩き落としたと言われる*15

 

また、先述の通り本級は低速域に限定されるものの、その場での360度旋回(超信地旋回)が可能であり、本級が参加する観艦式ではほとんどの場合披露されていた。

これはかなり人気のあるパフォーマンスであったらしく、天候等の関係で行われなかった際には主催者宛に抗議の電話があり、後日その様子を収めたビデオを贈呈する羽目になったという真偽不詳のエピソードまで存在する。

 

*1
これ以後の航空母艦で、本級の影響を受けていないものは無いとする研究もある

*2
このため、本級を『ツェツィーリエ・フォン・プロイツフェルン』と命名する動きもあったが、皇女本人が固辞したため見送られたという。彼女の名を冠した艦艇が就役するのは、統一歴2000年になってからのことである

*3
搭載機数は機種によって変動する

*4
開放式とは言うが、開放部分も非使用時にはシャッターにより閉塞される

*5
従来型の飛行甲板とエレベータでは、着艦作業中は「落とし穴」になってしまう後部エレベータが使用不可となる

*6
従来型飛行甲板で着艦をやり直そうとすると前方の待機機に突っ込むことになるため、待機機を出したままの着艦はほぼ不可能であった

*7
唯一、大戦後に秋津洲皇国が建造した装甲空母大鳳型が、本級を参考に採用したのみである

*8
ただし、フランソワ海軍が建造した『ベアルン』は水中魚雷発射管を備えており、この時代は各国とも空母の設計において迷走したことが窺える

*9
艦首から艦尾方向に向かってワイヤーを60本程度並列に張り、これと着艦機の脚に取り付けた数個のフックの摩擦力で着艦機を止める方法。制動効果が弱く事故が多発した

*10
大型のネット。前方に駐機している機体を守るため、着艦に失敗した飛行機はこの滑走制止装置に激突することになる。その時機体は大破し操縦士もダメージを受ける

*11
と、言うよりこんな変態じみた機動をする空母を造ったほうがおかしい

*12
後に秋津洲海軍が採用した液冷急降下爆撃機『彗星』にまつわる悲惨なエピソードの大半は、空母用で少数生産を予定していたものを陸上爆撃機としても運用し、大量生産したことに起因する

*13
統一歴1926年に採用された陸上戦闘機「ブリッツ」に至っては、簡易飛行場への着陸に制限がかかるほど前下方視界が悪く、しばしば着陸時に事故を起こしている

*14
帝国空軍の教本では最低15分、理想としては30分以上が推奨されていた

*15
合州国指揮官のコメント「…おかしいな。私は観艦式に参加しに来たはずなのに、空母が縦列駐車をする瞬間に立ち会ってしまったぞ?」 連合王国海軍司令官のコメント「これほどクレイジーかつ変態で、なによりエレガントな操艦が、未だかつてあっただろうか」




全体イメージは「雲龍型サイズに縮めた大鳳、ただしアングルド・デッキ採用」


ツ「翔鶴型にも心惹かれるが、帝国の地政学的条件を考えると中型空母に絞って、打撃力は基地航空隊の大型機に任せた方が無難だろう」

とのこと

2019/8/5追記
ちょっと確認したら、イギリス海軍の「ハーミーズ(二代目)」が極めてイメージ的にも能力的にも近いことが判明。それをイメージしてもらえると助かります

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