この回、実は難産でした。
上手くかけずに悩むこと半日(ん?)。
ふと「海外のドキュメンタリー番組風に作ってみたら」とやってみたらブレイクスルー
皆様、英国BBC放送のドキュメンタリー番組を見てる感じでお読みください。
『 統一歴1924年3月29日
この日、帝都ベルンの王宮で、とある会議が開催されました。
参加者は政界、財界、軍関係者と幅広く、まさに帝国の頭脳が一堂に会したこの会議。
その後の戦局の推移からして、『何か』があったことは確実だと言われてきましたが、その内容は謎に包まれていました。
――なぜなら、一切の記録がないのです――
帝国近代史研究の第一人者、アンドリュー・フォーク博士はこういいます。
――開催場所と面子からして、この会議を招集したのが皇太女ツェツィーリエ・フォン・プロイツフェルンだったのは間違いありません。ですが、これほどの会議にもかかわらず記録がないというのは不可解です。意図的に秘匿された、と言うのが研究者たちの間の統一見解です――
ところが近年、この会議に参加していたルーデルドルフ参謀次長の遺品の中から、彼の手記と会議の詳細な議事録が発見されたのです。フォーク博士はこういいます。
――驚くべき内容がそこには記されていました。我々は、これまでの帝国史研究を一から見直す必要があります――
我々は今回、最新の研究とこの議事録をもとに、統一歴1924年の真実に迫ります』
~統一歴1985年 連合王国BBC放送制作のドキュメンタリー番組から~
『皆の者、よく集まってくれました』
議事録によれば、会議は終始皇太女ツェツィーリエのペースで進みました。
長年、帝室を研究している歴史学者、シュナイダー氏は言います。
――当時、彼女は病床の皇帝に代わって、国政の大部分に参与していました。
ただ、彼女に関する逸話には「1歳で言葉をしゃべった」「10歳で帝国大学を卒業した」など、常識的に考えて信じがたい内容が多く、我々は彼女にまつわる『伝説』の多くが、後世の脚色だと考えていたのです――
帝国は当時、その後世界大戦へと発展する対共和国戦、対連合戦を遂行していました。
戦線の推移だけ見れば膠着状態にありましたが、その実態は『破滅への一本道』だったと元連合王国軍参謀本部作戦部長、マウントバッテン卿は指摘します。
――四方を仮想敵国に囲まれていた帝国は、戦前から策定していたドクトリンに従って行動していました。
すなわち、各方面軍による遅滞防御を行い、中央軍の来援を待って反転攻勢に転じる、と言うものです。
ですがこれは、当時急速な進化を遂げていた機関銃や迫撃砲、そして塹壕戦を前に、多大な損害を生じるリスクをはらんでいました。
実際、西部戦線では、反転攻勢に転じた部隊が共和国陣地を前に
これは比喩表現ではありません。そして、帝国軍陣地を攻める共和国軍でも全く同じことが発生していたのです――
こちらは、19世紀以降の戦争における戦死者、負傷者の数をあらわしたグラフです。
20世紀に入り、それまでとは桁違いの数の戦死者が発生していることが分かります。
ここに、当時の西方戦線のデータを重ねると……
驚くべきことに、その10年前、極東でおこった戦争『全体』のおよそ1割にあたる損耗が、わずか1日で生じていたことが分かります。
――西部戦線は、当時の人間が見たことも無い、泥沼の消耗戦となっていました――
フォーク博士は言います。
――
そのままであれば、戦争の勝敗は帝国と共和国、どちらの体力が先に尽きるかで決まったでしょう。いや、共倒れとなっていたかもしれません――
――ところが、そうはなりませんでした――
西部戦線の激戦地の一つ、アールレンで発掘調査に当たっている考古学者、マイントイフェル氏は言います。
――ご覧ください。大量の銃弾が転がっているでしょう。これらはすべてあちら、線路の向こうに見える、あの高台にあった帝国軍陣地から
――撃ち込まれた?ここは集積所ではないのですか?――
――我々も当初はそう思いました、これだけの量ですからね。ところが発射装薬がなく、ほぼすべての弾丸が
マイントイフェル氏が言う『規格化』。
これは軍事史上の大事件でした。
――兵器の規格化、そして共通化。
この点において、帝国は時代を50年は先取りしていたのです――
マウントバッテン卿はこう指摘します。
――ネジは右に回せば締まり、同じ大きさのネジ穴ならば、どの量販店で買ったネジでも使える。…現代のわれわれにとっては当たり前のことですが、当時はそうではなかったのです――
近代産業史が専門のケインズ博士もその点を指摘します。
――当時の工業製品は、ネジに限らずメーカーや工場によってサイズがまちまちでした。回す向きもバラバラで、ドライバーもそれに合わせて複数種類用意する必要があったのです。
それを帝国は一つのドライバー、一種類のネジで、機関銃から戦車まで製造、修理出来るようにしてしまったのです。
もはや革命と言ってもいい。無論、工業化の面で列強に先んじていた帝国だから実現できたことでしょう。それにしても相当な苦労があったと思われますが、彼らはそれを成し遂げたのです――
規格化は使用するネジにとどまりませんでした。
フォーク博士が、我々に一枚の資料を見せてくれました。
統一歴1917年に、帝国軍全体に出された通達。タイトルは
『 武 器 規 格 統 一 令 』。
――「
と言う一文から始まるこの方針については、多くの研究者が時代を先取りしたものと高く評価しています。
これを見ると、ネジのみならず、これ以降の帝国の武器開発、製造がすべて『規格化』『共通化』されたことが分かります。
「今後10年以内に、歩兵部隊の使用する火器を、拳銃、自動小銃、汎用機関銃の3種に統合する」
「歩兵携行火力として、現在試作段階にある迫撃砲及び無反動砲の開発を促進する。なお、その口径は【88ミリ】または【120ミリ】とする」
「中口径までの火砲については、その口径を【88ミリ】【120ミリ】【155ミリ】の3種に限定し、また可能な限り陸上用、艦載用を共通の設計とする。弾薬についても互換性を持たせることを原則とし、砲架等の部品については、口径の大小に関わらず共通化を図るものとする」
「前掲3種以上の大口径砲については、生産性の観点から可能な限り種類を削減することを旨とする。なお、この場合も陸上用と艦載用の共通性、互換性に最大限留意する」
「上記大口径砲については、その上限を406ミリとし、それ以上の口径の開発は許可しない。ただし、データ収集目的の試作品に限っては、この制限を解除する」
「列車砲については新規開発を凍結し、予算等は火砲の自走化に振り向けることとする」
「火砲の自走化においては、現在策定中の戦闘教範に基づき、歩兵及び戦車との一体的機動運用を前提とする」
「航空機、戦車、その他あらゆる兵器の開発において、部品等の規格化共通化を図る」
「検討段階ではあるが、戦車、自走砲の車体の共通化を図る」
――まるで未来が見えていたかのような合理化です――
マウントバッテン卿は言います。
――特に120ミリ迫撃砲は、いまや世界各国の標準装備と言えるでしょう。
私は以前、中東のある国で、当時の帝国製120ミリ迫撃砲が現役で使用されているのを目撃したことがあります。しかも、使われている砲弾は共和国製だったのです――
連合王国海軍最後の戦艦部隊を率いたフィッシャー卿も口を揃えます。
――当時、戦艦の主砲の大きさは35センチ前後でした。
たった5センチの違いかと思われるかもしれません。ですが実際、戦艦の主砲は2隻の例外を除き、406ミリまでしか大きくなりませんでした。なので、この命令を初めて読んだとき、私は戦慄しましたよ。
『これを書いた奴は預言者に違いない!』、とね――
ケインズ博士は経済的側面から見た、この『革命』の凄まじさを指摘します。
――きわめて単純な話ですが、共通部品を増やし、種類を削減した結果、大量生産体制が確立されました。…もうお分かりでしょう。
武器の単価が下がったのです。
これは戦費を削減する事にもつながり、さらにその分の予算で増産することでさらに単価が下がる、という好循環をもたらしました。
西部戦線末期には共和国の小銃1丁と帝国軍の小銃2丁のコストが同じくらいだった、と言う研究もあるのです――
一部では『近代史のオーパーツ』、『軍事史上の聖書』『ノストラザマスも真っ青の預言書』と評されるこの文書、実は一つ、研究者を悩ませる謎がありました。
――冒頭の「余」が誰のことなのか、分かっていなかったのです――
フォーク博士が言います。
――素直に読めば皇太女ツェツィーリエ・フォン・プロイツフェルンのことです。
ですが、常識的に考えて、当時10歳の少女がこれほどのモノをかけると思いますか?
ですから、これは文書上の修辞に過ぎず、当時の兵器局の誰かが書いた文章だ、と考えられてきたのです――
ところが、今回発見された議事録やルーデルドルフの手記を詳しく検討した結果、本当にツェツィーリエが考えたと考えられるようになったのです。
――手記によれば、彼女は7歳のころから陸軍参謀本部に出入りし、様々な新戦術のアイディアを披露していました。最初に出したアイディアこそ、迫撃砲だったのです――
シュナイダー氏は手記の内容は事実だろうと指摘します。
――ルーデルドルフは確かに熱心な帝室崇拝者でしたが、このような嘘を書く必要はどこにもありません。また、手記の内容に矛盾は見られません――
それを踏まえて、話を1924年3月29日に戻しましょう。
「すでに折に触れて皆に伝えた通り、
皆に集まってもらったのはこの国難に当たり、それぞれの専門的意見を集め、
どうか身分出自に囚われず、活発な議論をお願いしたい」
――これは驚くべきことです――
シュナイダー氏は言います。
――何故なら、帝国はその成立過程からして皇帝権力が極めて強いという特徴がありました。
議会こそありましたが、皇帝は議会を通さず命令を発することが出来、拒否権を行使することもしばしばでした。
ですから、皇太女とはいえ、実質的にその権力を継承していた彼女が、政界や財界の有力者を集めて帝国の方針を会議に諮ったというのは、信じられないことです。
だからこそ、この会議はこれほどまでに秘匿されていたのでしょう。皇帝権力に傷をつけかねませんから――
先ほど述べた『規格化』が彼女のアイディアと言う証拠は、会議の中盤に出ています。
「…数年前より、余が各軍に指示し進めてきた武器規格の統一については、おおむね達成されつつある。クルップ社長、そのことによる成果を教えてくれたまえ」
「はい、殿下。わが社における銃器製造は、殿下の指示による共通化、単一化による合理化、製造数の増加により、数倍の効率化を達成しております」
――実際はそれ以上です――
軍の兵站に詳しい戦史研究家、ギャゼルヌ氏は言います。
――製造から輸送、集積、そして最前線への輸送。
規格化される前は、補給担当者はそのすべての場面で「必要なモノ」を吟味する必要がありました。例えば砲兵隊なら
「自隊の10センチ砲は○○式だから…」
「適合する榴弾は●×式とナントカ式で…」
「で、どこにそれが積みあがっているの?」
これを何十回もする必要があったのです。しかも、運が悪ければ別の集積所に出直す必要すらありました。それが規格化により、こうなりました。
「10センチ迫撃砲の榴弾…、これだな」
デパートの買い物レベルです――
――これらの効率化により、帝国軍は弾薬消費量を気にする必要がなくなりました――
その結果が出土する銃弾の山だと、マイントイフェル氏も指摘します。
――共和国軍兵士は、砲弾と銃弾の嵐に突っ込むことになったのです――
一方、マウントバッテン卿はこの会議の直後、1924年5月の共和国軍の大規模攻勢に着目しています。
――従来『共和国軍最後の前進』と言われてきた戦いですが、私は違うと思います。
真実は帝国軍の『 計 画 的 後 退 』、いや、ハッキリ言いましょう。
共和国は帝国の
正直に言いましょう
肝心の会議の詳細をキングクリムゾンしたのです(