皇女戦記   作:山本 奛

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『事務連絡』大雨対応やら艦これイベントで忙しいため、来週以降は隔週投稿になりそうです(ん?


湖畔作戦

統一歴1926年6月25日。

 

 

この日、帝国はついに連邦領侵攻作戦を開始した。

 

 

その先鋒を務めるは、精鋭無比を豪語する親衛第1師団。

東部方面軍は先だってのティゲンホーフ攻防戦、『クロム計画』に伴う損耗が著しく、その補充がやっとと言うありさまだったこと、何より昇進速度で割を食っている親衛第1師団への配慮であった。

 

――と、公式記録には記されている。

 

だが、ここで一つ疑問が生じる。

なぜ今の今まで親衛第1師団は温存されていたのだ? 連邦軍の侵攻が開始された時点で増援に回してよかっただろうに、と。

それを説明するには『親衛師団』の特殊性を語らなければならない。

 

 

―― 親衛師団 ――

 

 

それはその名の通り、陸軍組織の一部でありながら、同時に皇帝自らが率いる直卒部隊であり、かつその際には陸軍参謀本部の事前同意不要と言う特性を持つ。

…もっとも、実際に皇帝自ら軍を率いたのは初代皇帝の御代、それも極初期が最後であり、統一歴1926年現在、その実態はもっぱら儀仗の役を務めることにある。

 

しかし、名目上は未だに皇帝陛下直卒の誉れ高き部隊である。

その名にふさわしい練度と装備を有する、帝国陸軍の中でも指折りの精鋭部隊。それが親衛師団なのだった。

そのうち第2師団についてはライン戦線をはじめ、各戦線に増援として派遣、もしくは分派されて有名無実化しており、この時点で定数をほぼ維持しているのは―― 陸軍全体を見回しても ――親衛第1師団のみとなっていた。

 

こうなってくると、ますます何故これほどの戦力が温存されていたのかが謎となるが、その疑問は次の一文を読めば察せられるかもしれない。

 

 

 

『 親衛第1師団人事に於ひては、宮内省及び内務省との事前合議を経ること 』

 

 

 

何と言っても皇帝陛下の御側に侍る部隊である。

変な人物(君側の奸)が入り込んでは困るから、陸軍側の身上調査に加えて、宮内省や内務省警備局によるトリプルチェックが必要。…と言うのが本来の理由なのだが、2代皇帝以降、その運用は変質した。

すなわち、貴族に連なる方々としては『帝国の藩屏』である以上軍歴は積んでおきたい。だが陸軍としてはそんな方々に何かあっては困る。

両者の思惑が一致した結果、上記の規定は以下のように運用されていくこととなる。

 

―― やんごとなき方々は親衛第1師団にご着任いただく。なぁに、皇帝陛下の御親征なんてまずないから大丈夫 ――

 

かくして、練度も装備も一流だが帝都から動かない師団が誕生することとなる。

のちに万一の場合に備え、出身階級を問わない―― 思想及び身辺調査は厳しく実施される ――第2師団が創設されたことで、第1師団はますます「儀仗専任部隊」と言う性格を強くした。

 

所謂『殿下捕縛中隊(親衛第2師団第3中隊)』の所属が親衛第2師団なのも、そういう経緯があってのことである。

 

 

 

今日の我々からすれば、盛大な予算の無駄遣いのように思えるかもしれない。

だが、当時の帝国にあっては実に賢い方法と言えた。

まず「やんごとなき方々」を分離しておくことで、陸軍参謀本部としては帝室や宮中のアレコレに配慮して命令を発すると言う徒労から解放された。

ちなみに佐官以下の兵についても、人事局が「○○公爵に縁故のある……」とか言う面倒そうな奴を纏めて投げ込んでいる。要するに隔離である。

そして、儀仗兵としてはこれほど適切なものは無かった。

なにせ貴族と言うのは見目麗しい方々ばかりである。遺伝子レベルで美男美女の掛け合わせを数百年繰り返しているのだからさもありなん。当然、その親類縁者も顔は良い。凄く良い。しかも儀仗に使う荘厳な音楽やら無駄にややこしい礼儀作法の類にも幼いころから親しんでいる。

さらに、しばしば矛盾を来す軍組織の『階級』と宮廷『序列』の問題からも親衛師団は有効だった。例えば通常部隊の場合、平民階級出身の将官と貴族出身の士官候補生と言う図式が生じうるが、親衛師団ではその心配が殆どない。

何しろスタートする階級さえ(理屈と規則をこねくり回して)宮廷序列に準じたものにしておけば、あとの昇進は一律の年功序列。

なにしろ所属替えも前線勤務も無いから当然の結果である。

 

かくして、宮廷序列と軍の階級が相似する、普通の部隊ならばありえない所業が可能となった。

そして大半の人間は数年間の軍隊勤務を恙なく終え、退役軍人の肩書をぶら下げて宮廷生活へと戻っていくのである…。

 

まぁ、まれにとんでもない不祥事をやる馬鹿がいるが、これについても自発的な除隊、退役とするだけ―― あとの始末(自裁)は貴族の中でキッチリやってくれる ――で、軍は面倒な事態を抱え込まずに済む。

 

 

 

 

このように、貴族階級が残存している帝国のような近代軍組織にあっては、親衛第1師団のような存在も十分に意義があったのである。

 

とは言え、それは平時の話。

 

戦時の、それも現在進行しつつある「国家総力戦」の時代にあっては、親衛第1師団は陸軍参謀本部の悩みの種となっていた。

今や儀仗や式典の類は大幅に減少。

そのくせ装備は新型(旧型だと文句を言い出す)で、練度も―― 訓練しかすることが無かったので ――それなりに高い。

なにより戦力は多すぎて困ると言うことはない。…いや、有り体に言って不足気味だ。兵隊をもっとよこせ!!

…だが、上述の経緯があるから迂闊に前線に出すことも出来ない。かといって分割、再編成するのも後が怖い。一体どうしたものだろうか?

 

 

 

―― 私に良い考えがある ――

 

 

 

ゆえに、そんな発言が皇女摂政宮ツェツィーリエ・フォン・プロイツフェルン殿下から飛び出した時、陸軍参謀本部は彼女に全権をゆだねることとなる。…付き合いの長いゼートゥーア戦務次長あたりはその笑顔に黒いものを感じたというが、敢えて見なかった事にした。

 

彼女はまず皇女と言う地位を利用し、宮廷貴族の大物達と次々に会合を行った。

その中で彼女は『始祖帝の覇業』や『それを支えた名門貴族』、『帝国の藩屏』『勲一等なればそれなりの封土もあるのでは』などのワードを巧みに散りばめ―― ちょび髭や無茶口を大いに参考としたと言う ――、さらに拡大派のトップである従兄を煽てるだけ煽ててその気にさせた。

 

 

 

―― ああ、モノはついでだ。第6軍も前線に出してやろう ――

 

 

 

皇女のその発言に、陸軍参謀本部は顔を顰めた。

 

『第6軍』

 

それはこの時期、「拡大派」に属する将校が集中的に集められていた部隊であり、同時に帝都周辺防衛を名目に、長らく前線から遠ざけられていた部隊でもある。

 

理由は単純。

彼らを前線に送った場合、「統制派」に反発して、勝手に戦線を拡大(シナ派遣軍)させかねなかったから。

 

だから、共和国参戦の責任を取って更迭された元参謀本部中枢の人間を第6軍首脳部に据え、部隊付き拡大派将校についてもそこに転属させたのである。

――前線から最も遠く、かつ陸軍参謀本部統制派の監視が行き届く場所へ。

彼らは有り体に言って冷や飯ぐらい。

当然、不満を募らせており、また勝利を重ねてきた友軍の姿を見て『連邦軍恐れるに足らず!』『参謀本部の腰抜け共め!』『奴らがやらないなら我々がやる!』と豪語する有様だった。

 

なお、これらの言動は統制派、参謀本部に筒抜け(第6軍に内通者あり)だった。

彼らの不満は爆発寸前、これ以上帝都近郊に置くのは危険すぎる。

かくして、参謀本部は彼らを前線に解き放つことに渋々同意した。連邦との和平交渉の糸口すら見えぬ現状、拡大派が暴れようが暴れまいがどうもならないと言う、一種の諦観がそこにはあった……。

 

 

 

 

かくして、6月1日には有名な『軍令第41号』が発令される。

親族を東部に送り出すこととなった貴族の一部は難色を示したらしいが、自分たちの派閥の領袖が大いに乗り気だったことと、『帝国の藩屏たるべし』との陛下のお言葉まであっては断れるはずもなかった。

 

 

 

『軍令第41号』

 

 

後世、帝国軍の連邦領侵攻の始まりとされるその命令文。

より知名度の高い名称で言い表せば、『湖畔作戦』。

 

これは開戦前後から作戦局で検討されていた連邦軍包囲撃滅計画であり、その根底にあったのは対フランソワ戦最終盤への「反省」。

 

かの戦いで、帝国軍は要塞化した野戦陣地により共和国軍を出血死寸前に追い込んで数的優位を確立し、しかる後、大規模包囲を実現した。

だが、そこまでに流れた血の量と軍事費は、戦前の想定を凌駕するものであった。

規格化と量産で単価を抑えたとは言っても、共和国軍の攻撃を文字通り消し飛ばすだけの弾薬消費である。兵士と言う最もコストのかかる―― しかも遺族年金や傷痍軍人扶助も発生する ――部分の消費は抑えられたが、しかしそれなりの数の帝国軍兵士の屍の山が築かれたのも事実であった。

しかも、内線戦略に特化され過ぎ(・・)た帝国軍は、共和国北部で大陸軍主力の包囲撃滅に成功しながら、パリースィイに攻め込む余力は全くないと言う醜態をさらした。

特に国境の外への輸送能力、兵站能力の無さは絶望的と言ってよく、その代替に馬匹を投入した結果、今や帝国内には老馬か仔馬しかいないと言う有様だった。

 

 

 

『長期戦による損耗の多さ』

『敵国首都まで攻め込む外征能力の無さ』

 

 

 

対フランソワ戦は勝利に終わったとはいえ、この2つの問題を帝国に突き付けたのだ。

そしてこれらの問題は、対連邦戦になればより深刻になると見積もられた。

 

実際、開戦劈頭の東部防衛戦ではそれまでの戦訓を踏まえて入念に防御網を構築したにもかかわらず、連邦の圧倒的物量―― 特に兵士 ――を前に帝国軍は多大な損害を出していた。…まぁ、連邦軍はその10倍くらい損害を出しているのだが。

外征能力に至っては言わずもがなであろう。あの国の道路環境の劣悪さ、鉄道規格の違い、そして何と言っても広大な連邦領土。実現不可能と言わざるを得ない。

 

この難題を前に、参謀本部は苦悩した。

防衛戦では出費がかさむ。攻め込む能力も無いので終わりが見えない。

だが、厄介なことに連邦領侵攻は政治的に定められた、決定事項なのである。

 

この難題に一筋の光明をもたらしたのが、作戦局立案の『湖畔作戦』であった。

 

これはティゲンホーフ攻防戦に始まる一連の『クロム計画』の成功を、連邦領内に再現しようと言うものであった。

クロム計画では、最終的にティゲンホーフ南方のタンネーン・ニ・ベイクにて連邦軍60万を帝国軍20万が包囲することとなった。

司令部が帝国軍魔導師による斬首作戦で軒並み刈られ、後方への脱出路を空軍の戦略爆撃でズタズタにされ、更に帝国陸軍機甲部隊によって遮断された連邦軍に勝機はなかった。

結局、最後は徹底抗戦を叫ぶ政治将校殿を襤褸雑巾にして降伏したと言う。

 

これを今度は連邦領に踏み込んで再現しようと言う、ハイリスク・ハイリターンな作戦計画。それが『湖畔作戦』なのだった。

無論、作戦局とてリスクは承知しているし、連邦領侵攻の恐ろしさは耳にタコができるほど聞かされている。だが、「政治」が連邦領侵攻を決定した以上、必要な作戦であると彼らは判断したのである。

 

 

その際、決戦想定地域は「なるべく帝国国境に近い領域」と定められた。

成功すれば一度の戦いで連邦軍野戦戦力を完膚なきまでに叩きのめし、それでいて近場で済むから兵站への負荷も少ないという、帝国軍からすれば理想的な作戦と言えた。…成功すれば、ではあるが。

 

 

 

「帝国国境に近いところ…か。妥当なところだろうね」

「ハッ、作戦局も兵站への負荷を考慮し、そのように考えております。…ゼートゥーア、単刀直入に聞こう。実際問題、どこまでなら踏み込めるのだ?」

「…正直に言おう。まだ分からん」

「は?」

「鉄道をひくところから始めるのでな。レールの手配、工兵の配置、機関車、貨車、列車の発注。運転要員と保守要員の確保――」

「待て待て待て。…まさか、それらを今検討しているのか!?」

 

 

「そのまさかだ」

 

 

ゼートゥーアの断言に、さしものルーデルドルフも言葉を失った。

帝国軍は元来外征を考えておらず、その鉄道輸送計画も「中央軍をいかに素早く各方面に送り込むか」と言う一点に特化していた。

1920年代に入ってこの問題に気付き、戦務局鉄道部で予備研究にこそ着手していたが、いかんせん、帝国軍の基本戦略は「内線戦略」。そこまで喫緊の課題であるとはみなされなかった結果、1926年現在、ようやくそれらしきものが形になりつつある程度なのだった。

 

「だから言っただろう。『自宅警備員』だって」

「…仰る通りですな。この有様を見ては、反論の余地もありません」

「頭を下げる事じゃないさ。そもそも防衛戦の方が有利なのは自明のことだし、軍は国家の防衛のためにある。…政治的理由で敵地に踏み込む方が間違いなんだよ」

「…殿下、それ以上は」

「陛下の勅許を得られてしまったのが痛いな。そう簡単に取り消すことも出来ん」

「…作戦局としてはそのことも踏まえ、可能な限り短期での決戦を企図するものであります」

「結構。それで行くしかあるまい。…ゼートゥーア、東部の鉄道の復旧状況は?」

今月(5月)中には完了する見込みであります」

「じゃあ、作戦発起時期は6月以降、夏季攻勢になるな。そのころになれば、泥濘も多少はマシになっているだろう。…両名とも、苦労をかけるがよろしく頼む」

「「はっ!」」

 

 

かくして軍令第41号こと『湖畔作戦』は立案され、裁可されることとなる。

そして作戦参加部隊の中には、親衛第1師団、中央管区所属第6軍の名前が記されていた。

 

 

 

 

 

6月8日。

この日、陸軍参謀本部主催の『帝国軍出撃壮行式』が挙行される。

 

式典には皇女摂政宮ツェツィーリエ・フォン・プロイツフェルンや宮廷貴族の中心人物ザクセンブルク公をはじめ、宮廷貴族や政治家が多数出席。

出撃部隊は目抜き通りを帝都中央駅まで行進し、次々に列車に乗り込んでいった。

この式典には戦時下にあって娯楽に飢えていた市民が沿道に多く詰めかけ、この華麗なる――  儀仗を専らにしてきた親衛師団だけあり、他部隊とは一線を画す美しさであったと言う ――出撃をその目に焼き付けた。

今日、ニュース映像でしばしば用いられる親衛師団の映像はこの時撮影されたものである。

また、皇女摂政宮御自ら式次第を書き、彼らの征途を祈念する送辞を読み上げた結果、参加将兵は大いに歓喜して東部戦線へと赴いたと言う……。

 

 

◇◇◇

 

 

統一歴1926年6月14日

連合王国首都ロンディニウム 首相官邸

 

帝国の動きを、チャーブル首相はストレートにこう評価した。

 

 

 

「…帝国は馬鹿かね?」

 

 

 

『帝国軍、威風堂々出撃す!』

そのようなニュースが、帝国全土に号外と言う形でもたらされていると聞いた彼の率直な感想であった。

この時期に盛大な出撃式典など、これから大規模攻勢を開始しますよと教えているようなものじゃないか、と。

 

「あるいはそれこそが狙いなのではと、情報部では推測しております」

「…なるほど。盛大な陽動、その可能性があると言いたいのだね、ハーバーグラム君」

「ハッ、そう考えればこれほど派手な式典を行い、大々的に宣伝している事への説明も付くのですが…」

「が?…どうしたのだね少将。君らしくもない」

「ハッ…。実は――」

 

当該部隊は、間違いなく東部戦線に到着している。

ハーバーグラムは困惑気味に話した。

しかも帝国軍は鉄道高速輸送の実証実験でも兼ねたのか、現地の複数のエージェントからの報告によれば、当該部隊を乗せた列車はほとんど停車なしでワルシワ中央駅まで突っ走った模様である、と。

 

「――本当に軍規模の部隊を移動させたとなると、ブラフにしては手が込みすぎています」

「…つまり、ブラフではなく本当に連邦領に投入する気だと?…分からん、これほど派手に宣伝しては我々に攻撃意図を知らせるようなものではないか」

 

 

 

 

 

―― 実のところ、それこそが狙いだったのだが(政敵を、連邦の手で始末する) ――

 

 

 

 

 




◇◇◇

●『タンネーン・ニ・ベイク』
カルロ先生の言葉遊びの中でも秀逸だと思う一品。
タンネンベルクがすぐ出てくるあなたは立派な西洋史マニアです。
…ちなみにヤマモトレイの専攻は日本近代なのですが、すぐに変換されました。……なぜだ?
取り合えず連邦兵は丹念に焼きましょう(ベイク)、そうしましょう

●『公方の首をば搔きつ(嘉吉)元年』
どっかで聞いた落首(!)。
「嘉吉の乱」を覚えるのに最適。なお西暦何年かは自力で覚える必要がある(1441だったはず…

※『将軍の首をば』『お上の首をば』と言うバージョンも見かけたことがあるので、実際のところ不明。

●追伸
最近のコメントや評価で、ルビの振り方に苦情が出ました(眉をしかめるレベルだそうで)が、意図的にそういう使い方をしているので、今後とも変える予定はございません。予めご了承ください。

俳句の中でも自由律俳句が好きな変人ですので(
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