「貴官の着任を歓迎する。ようこそ、第203航空魔導大隊へ」
「ハッ!」
平然を装いつつも、ターニャ・フォン・デグレチャフ大佐は動揺していた。
ヨハンナ・ルーデル。
帝国陸軍に所属する航空魔導師であり、その近接航空戦のセンスと「歳が近いから」というだけの理由で
そんな彼女も本次大戦の勃発に伴い中隊ごと各方面に派遣され、いまでは勲章を2つと大尉という階級をひっさげた熟練魔導師である。
ちなみに、彼女が航空魔導師を目指すきっかけとなったのは幼少期の適性検査だが、このとき一緒に受けたものの「壊滅的に適正なし」と言われた弟がいる。
彼はこの常々出来のいい、しかも魔導師適性まで持っている一つ上の姉を見返してやろうと心に決めており、結果――
『これを見やがれクソ姉貴!』
『へぇ?アンタパイロットになったんだ?』
『そうさ!これで姉貴にだけ良い恰好はさせな――』
『アンタみたいな牛乳馬鹿でもパイロットになれるなんて、空軍はよほど人手不足なのね』
『――んだとゴルァ!?その言葉、そっくりそのまま返させてもう!』
『よろしい、ならば戦争だ』
『え?ちょっと待て。演算宝珠は卑怯…うわなにするやめ――』
そんな彼女の着任に、ターニャは心の中で叫んだ。
―― 確かに補充魔導師中隊を要望したが、よりによって『殿下捕縛中隊』とは聞いてないぞ!? ――
要求はしてみたものの、せいぜい2個小隊、下手をすれば1個小隊でお茶を濁される可能性も十分あり得ると彼女は踏んでいたのだ。
それが
「…貴官らは親衛師団所属と聞いていたが…。その…」
「今回の配属に不満があったりするのか、ですね?」
「…うむ」
言いにくそうなヴァイス少佐の発言をうまく引き継ぐあたり、場の空気を読むのにも長けているらしい女性士官はにやりと笑った。
「
「…つまり?」
「我々
そもそも、一般部隊に入れると問題となりかねない貴族子弟とその関係者を入れておく「器」、それが親衛第1師団であった。
これを補完する、有り体に言えば「戦場に送り込める親衛師団」として後から創設されたのが第2師団であり、こちらは縁故も血縁も関係ない実力重視。
結果、両者は何かにつけて仲が悪く、それもあって今回の親衛師団東部出征に際しても第2師団は残留することとなった。
「不満はない、と?」
「それどころか名誉に思っておりますとも」
「どういう事かな?」
「…大佐殿、大佐殿はご自身の評価に無頓着であらせられる」
「?」
◇◇◇
ターニャ・フォン・デグレチャフは、前世日本人の転生者である。
そして所謂『ミリオタ』に分類される人間であり、その脳髄には「二度の大戦から導き出された各種戦訓」が詰め込まれている。
この世界はどううまく切り抜けたのか―― 案外、警護の警官が道を間違えなかっただけかもしれないが ――第一次大戦は勃発していない。
様々な条件から戦車や飛行機、航空母艦は産まれているが、それを運用する『ドクトリン』は各国とも未発達。二度の大戦を知る彼女からすれば「未熟」なものだった。
そしてツェツィーリエ・フォン・プロイツフェルンも前世日本人の転生者であり、歴史学者であった。
こちらもまたミリオタであるが、専門は海軍。
さらに歴史学者と言うこともあり、全体的なこと、つまり「地政学的に、ドイツはどうやっても勝てない」ことを熟知していた。彼女が幼少期から『武器の規格統一』やら『戦略爆撃機』、ひいては『20年近く時代を先取りした軍艦建造』を推し進めたのは、ひとえに西暦世界の破滅を回避するためであったといってよい。
だが、その道のりは険しく、孤独なものだった。
『大戦』勃発以降、彼女の見通しの正しさ、先見の明は誰の目にも明らかとなり、軍部からの圧倒的支持を受けるようになったが、それ以前はというと――
『また、皇女殿下が変なことを始めたぞ』
『良いではないか。理にはかなっているらしいから、様子見と行こう』
『しかし…』
『それに陛下は殿下を溺愛しておられる。殿下のお遊びをだれも止められんよ』
『…陛下の我が子可愛さにも困ったものだ』
『ああ、まったくだな』
――オブラートに包んで、これである。
しかも当時、つまり平時において皇族に求められるような文化的教養、特に音楽、舞踊の類において彼女は自他ともに認める「音痴」。…このことが宮中において今でも響いているのは既に述べたとおりである。
だから、統一歴1923年のターニャとの出会いは、彼女にとってはまさに福音だった。
なんとなれば、自分の考えを真に理解し、対等に議論できる存在はターニャしかいなかったからである。
ゆえに――
『我が心の友』
『私の考えを真に理解し、実行に移してくれる得難い友人だとも』
『アレの思考が飛びぬけている?安心しろ、私はあいつを真に理解できる。逆もまた然りだとも』
『ターニャがあと一人統合作戦本部にいればなぁ…』
『実際あれが本当の妹だったらと思うことがある』
――ツェツィーリエがターニャを猫可愛がりするのも当然といえば当然の帰結なのだった。
だが、そんな背景を知る由もない周囲から見れば、二人の仲の良さは異様にも捉えられた。
なにせ、「帝国皇太女」と魔導師とは言え「孤児」である。
普通ならばありえない。
たしかにツェツィーリエは軍人の知り合いも多いが*1、その中でも一等飛びぬけている存在、それが周囲から見たターニャ・フォン・デグレチャフ大佐なのだった。
…その結果、特に二人が行動を共にする機会が多く目撃された統一歴1926年以降、妙な噂や憶測が出てきているのだが、それはさておくこととしよう。
◇◇◇
「――加えて、殿下直々にお言葉を賜りましたので」
「…殿下は、なんと?」
「『デグレチャフ大佐の言葉は我が言葉だと思え』と。…いやはや、羨ましい限りです」
「……そうか。…おぃ、少佐に中尉。なんだその微笑ましいものを見るような眼は?」
「ハッ!いいえ、誓ってその様な顔はしておりません!!」
「小官も同じであります!」
「…まったく。ここにいるのが貴官らだけで助かったぞ。これでは威厳もへったくれもあったものでは…。ああ、全員、このことは他言無用だぞ。部下にも言うんじゃない」
「「「ハッ!チェッ」」」
「…よろしい、新入りの歓迎会もかねて、一か月の帝都勤務で鈍ってないか私直々に試してやろうじゃないか」
「「!?」」
「ああ、ついでにルーデル大尉たちも参加してもらおう。貴官らの腕を疑う訳ではないが、一応直に見ておきたい」
「ハッ!直ちに準備にかかります!」
かくして地獄の扉が開く。
一回目、部下から生暖かい目で見られた腹いせにターニャが大人げなく―― そもそも幼女だが ――本気を出し、大隊を殲滅。このとき、ヨハンナ率いる第4中隊がトリッキーな空中機動で幾度となく回避に成功した時点で、古参のメンバーは確信した。
―― こいつら…出来る! ――
問題は、ターニャが地上から様子を見ることにした3回目の模擬戦で発覚した。
『なんですかなんですか先輩方!天下の203とやらはこの程度ですかぁ!?』
蹂躙
そうとしか言えぬ状況が、そこにはあった。
「…恐るべき格闘戦能力ですね」
「ああ、先ほどまでとは大違いだ。…どういう訳か、貴官は知っているかなヴュステマン中尉*2。普通あんな機動をすると失神するものだが…?」
「ハッ!慣性相殺術式の併用による、高速急旋回訓練の賜物であります」
「何?そんな訓練をしていたのか、貴官ら」
「お言葉ですが大佐殿、我々が元いた部隊の別名をご存じでしょうか」
「『殿下捕縛中隊』……ああ、そういうことか」
あの殿下は空を飛んで脱走する悪癖があった。
それを捕縛するために(表向きは護衛と言うことになっていたが、陸軍上層部は全員知っていた)設立された中隊である。飛び道具が使えない以上、近接格闘、要するに飛ぶのがお上手な殿下を空中で捕まえる技術に特化しているのも当然のことなのだった。
「…ん?と言うことはもしや貴官ら、射撃は…?」
「……今次大戦勃発以降、幾度となく増援として各方面軍に派遣されておりますので、多少は」
「中尉。私は咎めようと考えているわけではないのだよ。部下の練度を知りたいだけなのだ、正直なところを教えてはくれまいか?」
「…
「…なるほど」
ターニャは得心した。
照準器からはみ出すくらいまで近づいて撃つというアレ*3か、と。
ヴァイス少佐達も距離を取れれば気付けるのかもしれないが、ルーデル大尉がそうさせないのであった。
「……ところで、中尉――」
『キャハハハハ!!ほらほら先輩方、後ろががら空きですよ?』
「――あの高笑いは何なのだ?」
「ハッ、大佐殿。…あれは中隊長の癖であります」
「癖だと?」
「はい、端的に申せば、『調子に乗ってくると頭のネジが吹き飛ぶ』のであります。御覧のように」
『ヒャッッホォオオオオウウウ!最ッ高だぜぇぇえええええええ!!!』
『中隊長!オープン!回線が開きっぱなしです!!』
『関係ないね!』
「…なるほど。見事に
「ハッ。まぁ、地上に降りれば元に戻るのですが…」
『回避!回避ィーー!!』
『ハハハ、無駄無駄無駄ァ!!』
『グワーッ!』
『グランツ中尉!?』
『おっと人の心配している場合ですかぁ?』
『しま……ッ!』
『ハイ、墜ちろ♪』
『クペッ!?』
『中隊長!関節技は反則ですよ!?』
『知らぬわ!!』『でしょうねぇ!』
「…今日は特にひどい。おそらく、強敵揃いでいつも以上に『ハイ』になっているものかと」
「殿下の周りには変な奴しかいない法則でもあるのか?まったく……」
「………」
◇◇◇
同刻
帝国陸軍参謀本部
「東部方面軍は何と」
「『連邦軍、組織的戦闘力を喪失しつつあり。年内にモスコーまで進撃可能と判断す』だそうだが…。正直に聞こう、ゼートゥーア。貴様はどう見る?」
「論外だ」
「――だろうな。一応、理由を聞かせてもらっても?」
「鉄道の敷設が予想以上に進んでいない。このままでは冬季に入って、戦争以前に東部軍が凍死しかねん」
「やはりそこか…。鉄道敷設を早めることは可能か?」
「現状でも限界ギリギリだ。附帯設備も必要最小限にしているくらいなのだぞ?これ以上の簡略化は『欠陥工事』になるだろうな」
ゼートゥーアの言うとおり、この時点で陸軍鉄道部、国営鉄道の総力を挙げた『東部鉄道敷設計画』が進行中であった。
これは戦前、とある鉄道好きが自分の趣味と景気対策の一環として行った『帝国鉄道網強靭化計画』―― 単線の複線化、複線の複々線化を基本に、駅及びその周辺の再開発、駅を基点とする交通網の整備に及ぶ、もはや『国土改造計画』じみた代物。これにより雇用を創出するとともに各地の工場や都市を機能的に連結し、景気振興策と国力増進を一気に進めてしまおうとする野心的施策。発案者は言わずもがな ――の経験をもとに、しかし「とある蒸気機関車」の使用を前提としてターンテーブルなし、デルタ線もなし、引き込み線と荷下ろしクレーンだけの「駅(という名の何か)」という徹底した簡略化によってこれまでにない敷設速度を実現したものであった。
「野戦軽便鉄道なら早められるのでは?」
「代わりに輸送量が格段に低下する。しかも通常路線からの積み替えが必要になるから、人員と時間を大量に必要とする。ノルデンのときもそうだったが、今回の必要量はその比ではない。…よってお勧めは出来ない」
「無いよりはましだろう?」
「そもそも時間を食っているのはレール敷設そのものよりも『路盤』だ。あの国は地盤が柔らかすぎる。軽便鉄道でも工事必要日数はさして変わらんだろう」
「そんなにひどいのか?」
「技術指導のために招聘した植民地省の技師が嘆いたそうだ、『アフリカでもこれほど酷い地盤は見たことがない』とな」
当初の計画では連邦が引いた線路を改軌するだけで済むはずだったのだが、実際に占領してみると連邦の鉄道は幅の割に許容軸重が低く、軍需物資の大量輸送の観点からも、少なくない範囲で路盤の改良も必要であることが判明した。
この工事には捕虜までもが動員されたが、それでも当初の計画からの遅延はどうしようもなかった。
「以上のことから、戦務としては戦線の縮小、最低でも進撃の一時停止を要請する」
「貴様の言うことは分かるが、もうすこしで連邦軍の背骨を圧し折ることが出来るのだぞ?どうにかならんのか?」
「ならん。素手で戦争をやるというのなら止めはしないが」
「冗談をいえ。…やはり戦線の整理しかないか」
「ああ。…急ぎ、
「承知した…。しかし、どこまでいっても補給は難しい」
「戦務の苦労を分かってくれたようでなにより。…何しろ日に1万発の榴弾を消費する総力戦なのだ。それを支える兵站網の構築は生半可な作業ではない」
「なるほど。記憶に留めておこう」
ゼートゥーアは思う。
これが昔のルーデルドルフだったならば、無理にでも進撃したに違いない、と。
時に、統一歴1926年8月中旬。
鉄道部の苦労は、まだ始まったばかりであった。
◆
ヴュステマン中尉
原作では二度目の戦闘団結成時の隊員ですが、名前を考えるのもあれなのでヨハンナの部下と言うことにしておきました。中尉ということですから、それなりに使えるでしょう(すっとぼけ