皇女戦記   作:山本 奛

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回廊の戦い

統一歴1926年10月15日

帝国軍東部方面軍中央管区 スモレースク南方

サラマンダー戦闘団

 

 

『報告!戦車中隊、予定地点3-6に到達!』

「落伍車両は?」

『ハッ…戦車が2輌ほど。現在、後続の歩兵大隊が救出作業中であります』

「よろしい。アーレンス大尉、貴官は戦車中隊を率い地点4-6へ前進せよ」

『了解!』

「――敵航空戦力は?」

「ハッ、周囲に魔導師の反応なし。航空機も先ほど撃退したのが最後です」

「結構。しかし、周辺警戒は怠るな」

「ハッ!」

 

「…ここまでは順調か。」

 

ターニャ・フォン・デグレチャフ大佐は呟いた。

彼女の視界に広がるのは、無限に続くかと思われる晩秋の荒野。

 

しかし、それは人っこひとりいない荒野にあらず。

 

背後を見下ろせば、見事な隊列を組んで前進してくるⅣ号の群れがある。

今はまだゴマ粒程度にしか見えないそれの背後には、砲弾を積んだ荷車を牽引した自走砲、そして歩兵を満載した装甲車の大群もいる筈だった。

 

 

 

 

 

 

事の発端は数日前。

第2装甲軍司令部との打ち合わせの場に遡る。

 

 

「――迂回機動、でありますか?」

「然り。貴官も知ってのとおり、市街戦ほど厄介なものは無い」

 

ターニャの問いに、クデーリアンは頷いた。

 

 

――市街戦。

それは近代の軍隊にとって、最も悩ましい難問の一つ。

 

 

平野や塹壕の戦争とも、要塞攻略とも異なるうえ、その入り組んだ路地は伏兵やトラップに持ってこいである。しかも、民間人を戦闘に巻き込んではならないという基本原則からも非常にやりづらいフィールド。それが都市なのである。

これが中世までなら年単位の包囲戦もありうる――と、いうより実例がいくつもある――のだろうが、近代の軍隊でそれをやろうとした場合、攻略側の兵站が先に崩壊するだろう。

 

しかも、都市は交通の要衝に多く立地する。

すなわち、物流に支えられて遂行される近代戦において、攻略しないという選択肢が存在しえない目標なのである。

 

 

「…あぁ、貴官にとっては『釈迦に説法』であったな」

「ハッ。いいえ、そのような」

「謙遜しなくともよい。【市街戦における戦時国際法の解釈】。実に秀逸だったよ」

「光栄であります」

 

ターニャが軍大学在籍時に書いたその論文は、帝国陸軍にとっては天啓とも言えた。

…もっとも、本当に実行するとなれば【悪魔の計画書】と呼ばれるのであろうが。

 

「とは言え、アレはあくまでも最終手段としたい。…残念ながら、砲弾の備蓄が心もとなくてね」

「同感であります。あれは市街戦が不可避の状況を想定したもの。ほかの手段があるのであれば使わない方がよろしいでしょう」

「ほう?意外だな」

「は?…失礼、意外とは?」

「いやなに、貴官は焼き討ちが好みかと思っていたのでね」

「それは誤解であります、閣下」

「…ふむ、そういうことにしておこう」

 

どう見ても納得していないクデーリアンの様子に、内心忸怩たるものを抱えながら――火を放てといったのは閣下の同期であります!――、彼女は将軍の考えを拝聴する。

 

「我々は装甲軍だ。その本領は機動戦にある。ゆえに、歩兵部隊と突撃砲部隊、砲兵をスモレースク市正面に残し、それ以外の部隊は迂回機動を試みる」

「…恐れながら、それが出来なくなったからこその都市攻略戦だったのでは?」

「ウム。だが状況が変わった」

「と、仰いますと?」

「秋に入り、連邦の道路状況がかなり改善された。さらに本国から送られてきた『増加履帯』もある」

 

 

増加履帯、またの名を『冬季用履帯』。

読んで字のごとく、本来の履帯の外側に付け足して使う後付け装備である。

その目的は接地面積を増やすことで接地圧を減少させ、通常履帯では侵入できない軟弱地盤でも行動可能とすることにある。

 

 

「以前から要求していたのだが、ようやく数が揃った」

「つまり、迂回機動への障害は無いと見てよろしいのでしょうか?」

「いや、障害はある」

「それは?」

 

 

 

「衝撃力に若干の不安がある」

 

 

 

陸戦においては、様々な戦術や兵器が駆使される。

それらは全てこの『衝撃力』を高めるためにあるといって過言ではない。

『迂回』は敵の防御の弱いところを選び、より大きな衝撃を敵に与える方法だし、『包囲』は敵の抵抗力、戦意を漸減してより大きな衝撃を与えるために実施される。

そして迂回も包囲も出来ない場合に行われる『突破』においては、文字通り、力ずくで敵戦線を殴りつけ、防御陣地を粉砕する衝撃力が全てを決める。

 

「スモレースク南方の連邦軍戦線は脆弱そのものです。御懸念には及ばないのでは?」

「大佐、敵とて馬鹿ではない。戦線の穴を埋める程度の思考力はあるだろう?」

「むしろそれこそを狙っておいでなのでは?」

「…さすがだな、大佐」

 

 

クデーリアンは感心した。そこまで分かるのか、と。

 

 

このころになると、帝国空軍の圧倒的制空優位が確立され、モスコー方面からスモレースクへの増援はほぼ不可能となっていた。

 

――その状況下で南方からの帝国軍部隊に対処するため、連邦軍が兵力を抽出しうるのは?

 

「スモレースク守備隊の配置転換を強要し、その抵抗力を削ぐ。それこそが閣下の狙いなのでありましょう?」

「正解だ。このままずるずると市街戦が長引き、冬になっては大変なことになる」

 

 

 

本格的な冬の到来。

かのフランソワ皇帝ボナパルトすらも散々に叩きのめしたそれを、帝国軍は恐れていた。

 

なにしろ、零下30度と言う気象状況下での戦闘など、帝国は開闢以来経験したことがない。戦車をはじめとする機械類が正常に動作するか怪しいものがある…、否、そもそもそんな状況で帝国軍将兵は戦闘状態を維持できるのか、と。

 

 

「閣下の仰る通りかと」

「そこで、だ。大佐」

「ハッ」

「衝撃力を確保するためには、その先陣をきる部隊には精鋭をあてる必要がある」

「はい」

 

「具体的には装備が充足し、練度も高く、なにより指揮官が本作戦の目標をよく理解している部隊こそがふさわしい」

 

…ん?

アレ、それってもしかしなくても――

 

冷や汗を垂らす幼女の肩をポンと叩き、クデーリアン中将閣下はニヤリと笑う。

 

 

 

 

 

「よろしく頼むよ、デグレチャフ戦闘団長」

 

 

 

 

 

 

 

 

…思えば、西暦世界でもカンプグルッペはあらゆる局面に投入されていた。

この世界においても同じ戦場で同じ問題に悩んでいる以上、戦闘団がこき使われるのは時間の問題ではあったのだろう…。

なにより参謀本部も同意済みとくれば、ターニャに残された回答は「ヤー」しかないのである。

 

 

「…まさか、これほど早期とは思わなかったが」

「大佐殿?」

「独り言だ。気にしないでくれ」

「はぁ…」

「大佐殿、ところで話とは…?」

 

ヴァイス少佐の問いかけをごまかしつつ、アーレンス大尉に、まぁ貴官も座ってコーヒーを飲みたまえ、セレブリャコーフ中尉の淹れるコーヒーは絶品だぞ、などと鷹揚に構えるターニャ。めいめいがコーヒーを口に運び、場の空気が和んだところで彼女は続けた。

 

「話というのはほかでもない。これからの進撃速度のことだ」

 

このとき、連邦軍戦線を突破し東進を続けたサラマンダー戦闘団はスモレースク南東60キロの位置にあり、北への転進を開始していた。このまま北に40キロも進めば、モスコー街道を手中に収めることが出来る。

 

「ハッ、包囲の輪を閉じるためには速度を上げる必要があるかと。戦車隊はいつでも行けます」

「北部から突破を図る友軍との連絡が急務です。魔導中隊を先行させるべきでは?」

 

口々に包囲の完成を進言する部下たちにターニャは苦笑した。

 

「フフ…やはりライン戦線経験者だからかな?両名とも士官学校を思い出せ」

「は…?」

「…と、仰いますと?」

 

 

 

 

 

「包囲はしない」

 

 

 

 

 

『包囲殲滅』

それは美しい戦争芸術である。

 

最も有名な事例としては、西暦世界の紀元前216年に発生した、カンネーの戦いが挙げられるだろう。この戦いで、ハンニバル率いるカルタゴ軍5万はローマ軍8万を包囲殲滅し、世界史に不滅の金字塔を打ち立てた。なにしろ包囲殲滅の最も成功した例として、2000年以上が過ぎた今日でさえも称えられているほどなのだ。

 

当然、軍人に身を投じたものならば一度ならず心惹かれるものである。

…なにより、帝国陸軍こそがその直近にして古今東西の戦史をひも解いても比類なき成功例たる『衝撃と恐慌』の体現者なのだ。斯様な成功例が直近にあって、その再来を夢見ない帝国軍人が存在するだろうか? …目の前の二人が良い例だろう。

 

 

士官学校でも「包囲は下策の場合も多い」と習ったはずの二人が、である。

 

 

何故ならば、包囲され、逃げ場を失って「 死 兵 」(バーサーカー)と化した敵の抵抗ほど恐ろしいものはない。

最後の一兵まで死守すると決め、逃げ場のない戦場で戦う兵士の厄介さは西暦世界の大日本帝国陸軍が実証している。彼らは満足に補給も届かない太平洋の孤島――それもタラワ島のような、起伏に乏しいサンゴ礁の島々でさえ!――で、米軍に多大なる出血を強いたのだ。その凄まじさたるや、かの米国をして『914mm迫撃砲*1』と言う迷作を開発してしまったほどである。…設置に半日かかる迫撃砲とは一体…。

 

 

ゆえに、完全には包囲せずに「逃げ道」を残すべきであると説かれる。

そうすることで、敵は生還へのわずかな希望に縋りつき、その道を通って撤退しようとする。生き延びる方法があるならばそれに縋るのは人間の本能である。

 

 

 

そして、この瞬間こそが好機である。

これを叩くことによって、包囲よりも効率的に敵部隊を崩壊させることが可能なのだ。

 

 

何故なら敵は防衛拠点を放棄し、逃げにかかっている。

そこにいるのは死兵どころか、ちょっとした弾みで統制を失いかねない敗残兵である。

彼らにはもはやトーチカも塹壕も無ければ、重砲の類も失われ――後退の邪魔になるので、重量級装備は軒並み破壊、放棄している――ている。

こんな絶望的状況で砲弾の嵐に見舞われて、踏みとどまって戦える兵士がどれほどいるだろうか?

 

…捨てがまり?アレは特殊過ぎる特殊事例(シマーヅさんちのお家芸)なので全く参考になりません。

 

 

 

「大佐殿の仰る通りでした。確かに、包囲殲滅の四字に囚われ過ぎていたのやもしれません…」

「アーレンス大尉に同意します。いやはや、ライン戦線の成功経験は恐ろしいですな」

「ヴァイス少佐の言うとおりだな。…だが、今回はあの時のような包囲殲滅は望めん」

 

 

兵の密度が低すぎる、とターニャは嘆いた。

 

実のところ『包囲殲滅』と『穴を開け、後退する敵を叩く』のどちらが正しいのかは、軍人や軍事研究家の間でも議論の分かれるところがある。

なにしろカンネーの再現を夢見た軍人は数多いるが、その多くが失敗している。それくらいに難しいのが包囲殲滅であるから賛否両論入り混じってしかるべきなのである。

だが、そんな研究者たちの間でも一つだけ一致している点がある。それは――

 

 

 

――包囲殲滅は、通常こちらが圧倒的に優位な時にしか成立しない――

 

 

 

例えばあのライン戦線最終盤において、帝国軍は偽装後退によって兵力密度を高め、武器弾薬も豊富に集積し、さらに第203航空魔導大隊による斬首戦術で司令部を潰してようやく、あの戦史に残る一大包囲を達成したのだ。

逆を言えば、それだけのことをしないと実現できないのが包囲殲滅であるともいえる。

 

一方の東部戦線はと言うと…。

…もはや目を覆うしかない。

広すぎる連邦の国土に帝国軍は分散し、戦線は部隊が存在する「点」を直線でつないだ概念上の存在となり果てて久しい。緻密に計算され構築された塹壕や陣地でフランソワ兵をすり潰したライン戦線とは隔世の感すらある。

そして武器弾薬は鉄道の駅で山のように滞留し、前線には必要最低限の量しか届かない。

…なにしろ、今回の攻勢前の戦闘団の主要業務に「物資空輸」があったという笑えない現実があるくらいなのだ。

 

「そんな状況下で連邦軍を包囲する?想像するだに恐ろしいな」

「無理に包囲すれば、敵の壊走に呑み込まれかねませんな…」

「我が戦車中隊でも訓練用弾薬の使用量制限を課しております」

「ゆえに、『適切な逃げ道』を残す必要がある」

「…適切な逃げ道、でありますか?」

 

「そう、具体的には連邦軍が知らず知らずのうちに帝国軍砲兵の標定済みエリアに奇麗に収まってしまうような、あるいは唯一残っていた鉄橋が突然その上を渡っていた連邦軍もろとも吹き飛び、生き残った兵には爆撃機が襲い掛かるような適切な逃げ道だとも」

 

「…なるほど、そのためにわざと包囲に穴を」

「その通りだ少佐。そうでなければどうしてコミー共に退路を残してさしあげるものかね?

…そこで問題となるのが進撃速度だ。退路を残すために急に進撃を停止すれば、コミーどもも何かあると感づくだろう」

「確かに、大佐殿の仰る通りです」

「そうだ、だから徐々に進撃速度を緩める必要がある」

「弾薬の使用量を制限してはどうでしょう。そうすれば、自然に進撃速度も下がるでしょうし、『適切な逃げ道』に進呈する花束にも余裕が持てます」

「それは良いアイディアだ、大尉。その方法で行こう。『劣悪な補給に苦しみながら、それでもじわじわと進出する帝国軍』をうまく演じてくれたまえよ?」

「面白い配役ですな。了解です、見事演じ切って御覧に入れましょう」

「その意気だ」

 

 

 

帝国側呼称『回廊の戦い』、連邦側が言うところの『回廊の悲劇』。

その幕が、今まさに開かれんとしていた……。

 

*1
「太平洋の島々でさえこれなのだ、日本本土上陸作戦ではいったいどれほどの損害が…!」とビビった合衆国陸軍が造った怪物。言うまでもなく、後にも先にもこれより大口径の砲が造られたことはない




昨日、高所恐怖症なのに九重夢大吊橋に連行されて死ぬかと思いましたまる
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