共和国軍は焦れていた。
共和国軍司令部
ド・ルーゴ
「何故だ!なぜ突破できんのだ!!」
「敵の抵抗が激しく、前進は困難との報告が上がっています」
「何を言うか!敵は40キロも下がったのだぞ。最後の悪あがきに過ぎん!!」
「帝国軍の通信を傍受したところ、このような内容が」
――こちら第4中隊、中隊の被害甚大、後退の許可を求む――
――後退は許可できない。最後の一兵まで現地点を死守せよ――
――こちら第2連隊、敵魔導部隊の強襲を受け、壊滅寸前。至急救援を請う――
――救援部隊の派遣は困難。エリア06まで後退せよ――
「ほれ見ろ、敵の損害は甚大だ。ちなみに通信参謀、これは暗号化されていたかね?」
「いえ、すべて平文であります」
「やはりそうか。帝国軍にはもはや暗号に気を遣う余裕もないに違いない。前線司令部に命令を出せ!『攻撃を続行せよ。敗北主義者は我が軍には不要』とな!」
言うまでもなく、これは帝国軍の偽装であった。
そもそも入念に構築された西方要塞には、当然のごとく埋設された通信ケーブルが張り巡らされており、傍受される危険のある無線通信を使う理由はなかった。
そう、この時期の帝国軍の無線通信は
逆に共和国軍の通信状況は悲惨だった。
彼らの通信ケーブルは、そのほとんどが埋設されておらず、帝国軍の――それまでとは比べ物にならぬ濃度の――制圧射撃によってたびたび断線を余儀なくされた。
無線通信はもっとひどく、電波妨害は当然のこと、傍受によって位置がばれた途端に鉄の雨が降ってくるのが当たり前の状態だった。
ド・ルーゴをはじめとする共和国軍司令部が前線の状態を正しく把握できなかった原因はここにある。
共和国は『戦場の霧』に包まれていたのである。
「罠だと分かって突っ込む馬鹿はいない」
帝国軍最高作戦会議の席上、
「罠は、罠だと気づかれないことで罠となるのだ」
彼女のこの言葉を実現するため、帝国軍は時折要塞を出て前進した。
これは「適度に戦線を前後動させる」ことで、あたかも前線が一進一退の膠着状態にあるかのように偽装するのが目的であった。ここまでくると、悪辣と言うか悪魔の発想と言っても過言ではない。
無論、この壮大な偽装工作のために帝国軍が流した血の量は少なくなかった。
しかし、帝国はそれも『史上最大の蟻地獄』を維持するための必要経費と割り切ったのである。
そうとは知らぬ共和国は、一向に動かぬ戦局を打破すべく、次なる一手を繰り出した。
―― ダキアを動かせ ――
ダキア大公国。
帝国西方戦線から見て1,300キロ余り離れたこの国は、帝国から見て南東方向にあり、まさに、西方戦線とは真逆のところに位置する。
また、帝国の戦力が西方に集中している――と思われていた――この局面において、『 帝国の柔らかい下腹部 』を突く絶好の場所であると共和国は考えていた。
彼らの戦略は明白だった。ダキアを帝国との戦争に踏み切らせることで、帝国に『三正面戦争』を強要し、その戦略の破綻を誘発しようとしたのである。
無論、共和国はダキアが帝国相手に勝てるとは露ほども思っていない。
ダキアは帝国を釣るための餌であり、場に捨てる札に過ぎなかったのだ。
「ダキア軍が越境した?」
参謀本部にその知らせがもたらされたとき、そのことに首をかしげるものはいても、驚くものはいなかった。
何故か。
「あれほど分かりやすく、隠しもしない大動員だ。てっきりブラフだと思っていたのだが…」
とはゼートゥーアの言葉だが、この場にいる全員の気持ちを代弁していた。
「今一度、本当に越境したのか確認させろ!」
彼らはこの時点で気づいていなかったが、ダキア軍は婉曲的言い回しで言うと古典の中に生きており。もっとストレートに言ってしまうと『火縄銃を小銃に持ち替えた中世の軍隊』だったのである。
当然、航空偵察への備えだとか、無線強度への配慮はもちろん、暗号文がなぜ必要なのかも理解していなかった。もしかすると、一部にはいたかもしれないが、実態は前述のとおりである。
「まずいですな。本当に来ると思っていませんでしたから、あの方面にはさほどの兵力を置いておりません」
「遅滞戦闘しかあるまい。戦線をどこに引くかの検討に入らねば…」
あまりに筒抜けのダキア軍の動向は、皮肉なことに、却って奇襲によく似た効果を発揮したのである。
慌てはしないがざわめき立つ参謀本部。
そんな中にあって、一人の少女が立ち上がる。
「…素晴らしい。これぞ天佑神助だ」
≪…情報部の情報によれば、ダキアにはまともな航空戦力はない。戦闘機も魔導師も、だ≫
≪それは本当か?にわかには信じがたいが…≫
≪無論、欺瞞情報の可能性も否定はしない。実際のところ、君たちが現場で確認することになるだろう≫
≪ご存知ですかで…中佐?『敵を知り、己を知らば百戦危うからず――』≫
≪『――敵を知らずして己を知れば一勝一負す』。よく知っているとも。懐かしい言葉だ。
そこでだデグレチャフ少佐。参謀本部からの命令を伝える。
喜べ少佐。
君たちには世界初の
◇◇◇
「せんりゃく爆撃…でありますか?」
「…そこから説明せねばならんのか……」
出撃前のブリーフィングで、セレブリャコーフ少尉が首をかしげる。
いや、彼女だけではない。その場にいるすべての人間が首をかしげているのを見て、ターニャはため息をつきかけて、思いとどまった。
あの殿下が時代を先取りしすぎなのが問題なのだ、と。
◇◇◇
「殿下、それは一体どのようなものなのです?」
前線から遠く離れた参謀本部でも、状況は似たようなものだった。
いや、正確にはルーデルドルフとゼートゥーアは理解しているのだが、それ以外の将官は「せんりゃくばくげき」を「戦略爆撃」と変換はできていても、真に意味を理解しているとは言い難い。
さもありなん。
何せ、この世界には戦略爆撃と言う概念がない。
「殿下が空軍に開発させたという長距離爆撃機、それとはどう違うのです?」
「長距離爆撃機と言う『道具』を使ってやるのが戦略爆撃だが…そうだな。ルーデルドルフ、手伝ってくれ」
「はっ、何をすればよろしいので?」
「ライフルをもって、黒板の前に立ちたまえ」
「…はい?」
◇◇◇
「国家を人間に例えるならば、軍隊はその抱えているライフルに相当する」
ターニャが言う。
「分かりやすくするため、ヴァイス中尉に立ってもらったが、これで言うと我々の『戦闘』は銃の撃ちあい、奪い合いに相当する」
トントン、とその小さな手が中尉のライフルを叩く。
「つまり、
◇◇◇
「ゆえに、今の戦争とはこのライフルをどうにかして圧し折り、しかる後に敵の喉笛を切り裂く、そういう作業だ。ここまでは良いかな…。よろしい。
さて、ここで問題となるのが、近年この
従来のドクトリンの破綻を人間に例えるとこうだ」
その場にいる人間が大いに頷く。
であればこそ帝国は侵攻から防衛に戦法を切り替えたのであり、軍の頭脳たる彼らからすれば、大いに納得できる物の例えであった。
◇◇◇
「しかし、防御だけでは負けることはないが勝つこともできない」
「道理でありますな」
「ではこの状態、ヴァイス中尉ならどうする?」
「はぁ…ライフルをどうにかして盗む…?」
「それが出来ればこの戦争はとっくに終わってるわ馬鹿者」
◇◇◇
「優秀な参謀諸君ならどうする?
ああ、国家で考えなくていい。この筋骨隆々たる武人ルーデルドルフを、そのライフルを圧し折らずにどうやって斃す? …何なら試してもいいぞ」
「殿下が言うと冗談に聞こえませんな」
その場が笑いに包まれる。
その笑い声がやむころ、一人の参謀があっさりと答えを出した。
「ピストルで心臓を撃ち抜けば一発でしょう」
「…貴様、死にたいらしいな?」
「めめ滅相もない!小官は皇女殿下のご下問にお答えしたまでであります!!」
「本当かぁ?」
ますます盛り上がる参謀連中に苦笑しながら、ゼートゥーアが続ける。
「脳天あるいは大動脈でもいいだろう。それらを飛び道具で撃ち抜けば、いかに屈強なルーデルドルフとて倒れずにはおれまい」
「ゼートゥーア、お前もか」
がっくりうなだれるルーデルドルフにさらに場は盛り上がる。
「…!! なるほど!つまり、戦略爆撃と言うのは」
物わかりのいい参謀諸君に大いに満足して、皇女は告げる。
「その通り。がっちり構えた
これが戦略爆撃だ」
◇◇◇
「ここまで言えばその石頭でも理解できたろうヴァイス中尉」
「ハッ、申し訳ありません」
「ふん、まあ良い。なにせ誰もやったことがない方法だからな。教範には載ってないだろうよ」
「それで、我々が撃ち抜く目標とは?」
尋ねる副官に、幼女は嗤う
「――全てだよ、少尉。我々には自由裁量権が与えられる」
◇◇◇
遠く離れた帝都でも、皇女が嗤っていた
「だが、いまだ誰もやったことがない方法だ。
どこかで試す必要がある、と思っていたのだよ」
その表情は『愉悦』そのもの
うっとりとした表情を浮かべて、少女は嗤う。
「しかもあそこには油田がある。国家の血液たる石油が!
新戦略のテストもできて、戦略物資の確保もできる。まさに一石二鳥。
こちらから攻めれば我々が悪者だが、越境したのはあちらさんだ。
よろしい、ならば戦争だ。
親愛なる参謀本部の諸君に命じる」
―― 半年で片付けろ。 石油施設込みで、だ ――
5か月後。
ダキア大公国は地図上から消滅した。
諸事情により、えたりはしませんが4月中は更新不定期です
意訳:選挙事務のため、役場の職員は総動員態勢に入るのです。夜中の三時まで…