皇女戦記   作:ナレーさんの中の人

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原作読んでいて「アレ?」と思った点をば…
(人によって好みの分かれる部分かと


民族

「ハンス・フォン・ゼートゥーアは稀代の軍略家にして詐欺師だ。

――しかし、人の悪さではツェツィーリエ・フォン・プロイツフェルンの方が数段上だろう」

連合王国情報部2000年公開資料より

 

 

 

 

統一歴1927年初頭、東部戦線は自然休戦状態にあった。

 

 

大規模後退によって、帝国は戦線を鉄道輸送の届く範囲にまで整理縮小。

加えて帝国は従来の「線」での防御、即ち長大な塹壕戦――例えばライン戦線の場合、最終的に両軍のそれは、北は大西洋沿岸から南は森林三州誓約同盟に至る総延長800キロ余りに達した――の構築を諦め、「点」での防御へと方針を切り替えた。

 

東部戦線は広すぎる。

なにせ、概算でも1,600キロ以上はあるのだから。

その全てに兵を張り付けようなど、狂気の沙汰と言っていいだろう。

仮に実行できたとしても、ガラスのような代物となることは明々白々。もっぱら空の戦い(防空戦)になっているとはいえ、帝国には西方戦線もあることを思えば、兵がいくらあっても足りない。

 

加えて、この一年で痛感させられたことだが、東部戦線は「泥濘との闘い」というべきほど足場が悪い。大軍は街道を一歩外れれば移動困難となる。ただし、厳寒期になれば泥濘も凍るので話は別だが、その場合、無人の荒野(しかも零下20度)を延々歩くことになる。まともな軍人なら作戦行動を断念するだろう。

ゆえに、陸軍参謀本部は全戦域を守らずとも、交通の要衝という「点」を抑えていれば、戦線維持は可能だと判断した。

 

なにより、防衛線正面の削減により、帝国はかなりの予備兵力を得たのだ。

敵が攻撃してきた場所、戦線に空いた穴にこれら予備兵力を投じればよい。戦務局鉄道課が苦心惨憺して作り上げた鉄道網とダイヤが、それを可能とする、と。

 

 

――どこかで聞いた話ではないだろうか?

 

 

そう、帝国は連邦西部において、内線戦略を展開する能力を獲得したのである。

それこそは言うまでもなく、帝国陸軍が草創期から準備と訓練を積み上げてきた「お家芸」。

最も得意とするその戦略を実行出来る限り、帝国軍は無敵を誇る。

 

――少なくとも、統一歴1926年冬から1927年初頭はそうだった。

 

【挿絵表示】

 

帝国軍が後退時に徹底的に破壊した道路網に苦しみながらも、「夏に失ったものは冬に取り返せ」と進軍してきた連邦軍将兵は、そこで絶望を目にすることとなる。

 

 

『東方防衛線』

 

またの名を、ツェツィーリエ・ライン。

それはライン戦線以来の戦訓を取り入れ、後退計画発起と同時に構築が開始された――つまり、連邦軍到達時点で2か月以上かけて構築済みの――複郭陣地。

機関銃陣地は射撃のための開口部を除いて地下化され、正面からはほとんど見えないように隠蔽されていた。その銃眼は重機関銃の射線に合わせて末広がりとなっており、敵歩兵の近接を防ぎながら、広い範囲に弾幕を張れるように工夫が凝らされていた。

火点を結ぶ連絡壕には迫撃砲弾を防ぐ天井板がかけ渡され、この時期の帝国軍前線陣地はほとんど地下陣地だったといって差し支えなかっただろう。

唯一、陣地後方には地下化されていない蛸壺のお化け――直径2~4m――があったが、それは砲兵陣地。

そこには攻め寄せてくる連邦軍に対し、射程距離は不要と言うことで、射撃速度に優れる迫撃砲が砲弾と共に大量に配備されていた。――ちなみに、西方では88ミリ迫撃砲で十分だったものが、東部では連邦軍が多すぎるため、全てを120ミリに更新するよう前線部隊から再三要望が上がった。

無論、言うまでもないことだが、これら陣地の周辺には地雷や鉄条網、対戦車壕が、接近してくる連邦軍を帝国軍が()()()()()()()()()場所へといざなうように配されている。

 

この塹壕陣地がぐるりと取り囲む中央部分に、帝国軍司令部――多くは集落に置かれた。と、いうより集落を中心に陣地が造られた――が置かれ、各陣地とは連絡壕及び埋設電話線で結ばれていた。

周辺には120ミリないし155ミリの榴弾砲も配備されており、前方陣地からの要請に対し、速やかに砲弾の嵐をプレゼントできるようになっていた。

 

 

 

対する連邦軍の状況はというと。

帝国軍陣地までの進撃ルートが帝国軍の後退時に徹底的に破壊されていたうえ、制空権は未だ帝国空軍が握っているため、重砲は勿論、重機関銃の類も遅れがちであった。

幸いなことに、この時期になると数が揃い始めた連邦の戦車(T-32)は悪路にも強かったから、連邦軍はこれを大量投入することで帝国軍陣地を抜こうと試みた。

 

 

そして、その悉くが72口径88ミリ対戦車砲によって粉砕された。

 

 

「PAKフロント」

 

後世そう語り継がれることとなる、帝国軍が新たに生み出した対戦車陣地である。

誰が考え、図面を引いて前線部隊に配布したかは…言うまでもあるまい。そして、そこに配備された数多の対戦車砲は、連邦軍戦車を一方的に破壊可能だった。

 

 

 

かくして、連邦軍の冬季攻勢は散々なまでの失敗に終わる。

遮二無二帝国軍陣地に攻め寄せた連邦兵も、帝国軍陣地同士の間隙――「点」同士の間は、ところによって数キロ以上あった――を突こうと試みた部隊も、帝国軍が後方より出撃させた予備兵力によって挟撃され、骸を連邦の大地に晒すこととなったのである。

 

 

 

――余談になるが。

 

上述の「戦線の穴を埋める予備兵力」だが、当然、攻撃力(衝撃力)に優れた部隊がこれにあたる。欲を言えば、機動力と火力に優れ、装備も充実していればなお良く、加えて練度も高ければまさに願ったり叶ったりである。

 

かくして、某戦闘団は東部戦線を転戦することとなる。

 

「…おかしい、戦線を整理縮小したはずなのに、ちっとも楽にならない」

指揮官はそうぼやいたというが、仕方のない事情があった。

 

まず、一個連隊というかなりコンパクトな、動かしやすい部隊規模であったこと。

――と、言うのも、帝国軍陣地が交通路上にある以上、迂回を試みる連邦軍は自然と道路以外を進撃してくる。結果、戦線に生じる「穴」は軒並み道路のない、言い換えれば「大軍が行動しづらい」場所に形成される。

この点、かの戦闘団はほぼ新型車両(かつ東部仕様)によって機械化されており、部隊そのものも小さいから、どこにでも投入可能であった。

 

第二に、連隊規模でありながら機動力、火力、何より航空支援と制空力に優れており、その戦闘力は並の歩兵師団を凌駕するものであったこと。

事実、この冬の戦いを総括したルーデルドルフ作戦局次長から「その戦力は、実に一個師団に相当する」(1927年初頭の陸軍参謀本部議事録より)と激賞されたほどである。

 

 

 

 

かくして、東部戦線で酷使される幼女だったが、その途上、彼女は捕虜への尋問から重大な問題に気付く。

 

 

 

 

◇◇◇

 

統一歴1927年2月5日夕刻

帝都ベルン 王宮 皇太女執務室

 

 

「なるほど、『大祖国戦争』ねぇ」

 

 

それこそ、ターニャ・フォン・デグレチャフ大佐が東部戦線で発見した重大事案。

 

 

共産主義者(コミュニスト)と戦っているはずが、いつの間にか愛国者(ナショナリスト)との戦争になっている。

共産主義というイデオロギー相手の戦いならば、その妥当性や正当性を叩くことで連邦市民の共産党への不信感を醸成し、体制の崩壊、瓦解に繋げられる。

だが、「愛国心」との戦いとなると話は全く別だ。

帝国軍が勝てば勝つほど、それは連邦国民にとって「共産党の危機」ではなく、『祖国の危機』として捉えられることとなって「愛国心」を刺激してしまうのである!

それは、連邦軍相手に勝利を重ねることで抗戦意欲をそぎ、敵を瓦解させるという当初の目算が完全に崩壊したことを意味する。

 

 

「…驚いてはいないようだが」

「あっちの世界でもやったんだ。さして驚くことでもあるまい」

 

コーヒーを啜る皇女の姿に、ターニャはいっそ感心した。

とは言え、感心していても話は進まないから、幼女はここに来た本来の目的へと話を進める

 

 

 

「『自治評議会』?」

 

 

「そうだ、イデオロギーによる分断が不可能な以上、民族主義による分断しかあるまい」

「…なるほど。連邦は多民族国家だったな」

 

然り、とターニャは頷く。

連邦という国家は「麗しき共産主義」という美辞麗句もしくは大義名分の下、諸民族の自治運動を党が強権でもって統御(弾圧)しているのである。

 

――つまり、火種は何処にでも転がっている。

 

それこそ可能性だけで言えば、連邦内部の少数民族すべてが帝国の同盟者足りうる。

なにしろ今回の戦争において、帝国には――『拡大派』は別として――領土的要求がない。ゆえに、独立を希求してやまない連邦内の諸民族との利害は衝突しないどころか、「対共産党」という点で言えば戦友となれる可能性すらある。

 

否、それだけが解決策だ。

そう確信する幼女だったが、ふと気づく。

 

――目の前の皇女殿下が、名状しがたい複雑な表情となっていることに。

 

そして、ツェツィーリエ・フォン・プロイツフェルンは宣う。

 

 

 

 

 

「…パンドラの箱だな、それは」

 

 

 

 

 

パンドラの箱。

それはギリシャ神話に登場する、人類最初の女性パンドーラーが神々から「決して開けてはいけない」と言い含められて渡されながら、結局好奇心から開けてしまったという甕。

甕からは様々な災いが飛び出し、これによって世界には災厄が満ち人々は苦しむことになったという…。

転じて、「開けてはいけないもの」、「禍いをもたらすために触れてはいけないもの」を意味する慣用句となっているが、なぜ皇女は自治評議会をしてそう宣うのか?

 

首を傾げるターニャに溜息一つついて、皇女は続ける。

 

 

「お忘れのようだから言っておきますがね?

 

 

――帝国も多民族国家だぞ」

 

 

「…ッ!」

「『皇帝陛下の導きのもと、ライヒに住まう諸民族が一致団結し――』聞いたことがあるだろう?付け加えると、こいつは()()()()と言うヤツでな」

 

少女はニヒルに嗤う。

 

彼女に言わせれば。

そもそもの話、近代国家は「国民国家」を標榜しておきながら、その実、その中に多様な民族、宗教を内包している。いや、むしろ「国民国家」という幻想でそのジレンマを超克している面がある。

そもそも「国家は一つ」という認識が盛大な勘違いなのである。

「大同団結」「挙国一致」なんて大半は誤魔化し、まれに機能していたとしてもそれは同床異夢に過ぎないのだ。

であるからこそ、逆にそう言ったまがい物の(もしくはあやふやな)一体性、連携を必要としない「独裁者に率いられた国家」が、しばしば目覚ましいほどの発展を見せるのである。

 

 

 

「その点、ある島国は稀有な成功例だろうね。

260年間バラバラだったものを『大和民族』というデマゴギーと『万世一系』という神話で結びつけ、最終的には『一億総特攻』に『一億玉砕』、挙句の果てには『一億総懺悔』なんて言い切るレベルにまで到達したのだから。

 

――それもヒトラーもムッソリーニもいない状態で、だ。ある意味恐ろしい国だよ」

 

翻って、その他の世界各国を通覧すれば、殆どの国が「民族・宗教の違いによる国家の分断」という難題に頭を悩ませていることが分かる。

かの超大国だって黒人と白人、ヒスパニックをはじめとする移民問題、厳然たる影響力を持つ「福音派」といった諸問題には常に頭を悩ませている。…どころか、一度は分裂して内戦(南北戦争)に突入した歴史さえ有する。

共産主義の総本山だって、秘密のヴェールで隠してはいたが相当なものだ。それが冷戦後に各地で噴き出し、かの国を苦しめているのは周知の事実。

 

 

「――付け加えるなら、こっちの世界でも連合王国皇太子の尊称は『プリンス・オブ・()()()()()』だ。…まぁ、前世の生国が『稀有な成功例』だから気づきにくいのはあるだろうな」

 

 

 

そして『帝国』はいわゆる「大ドイツ」仕様。

…否、それ以上の版図を誇る。

西暦世界のドイツ帝国と比べれば、さながら中欧帝国の如きその国土は、しかして、相当な無理をして形成されたという側面を有する。

 

 

「民族も風俗も異なる幾つもの領域を『皇帝』と『帝国』の名のもとに一つの国にしたものだから、実のところかなり無理をしている。…まぁ、中央はそうでもないが」

 

ネールデランド

ラインラント

ノルデン

オストランド

帝国領ダキア

そして、『未回収のイルドア』。

 

主だった紛争地域――言い換えれば、人種や宗教に「ズレ」があり、それを梃子に帝国から切り離そうという力が働く領域――を指折り数えて、皇女殿下は苦笑する。

 

「よくもまあこれだけ色々と抱え込んだもんだ、いっそ感心するね」

「…そんな話、聞いた覚えがないぞ?」

「そりゃそうさ。書いたら即発禁だし、内務省特別高等警察にしょっ引かれる。

で、『思想犯収容所』でみっちり3年間()()を受けて、正しい帝国臣民に生まれ変わるという訳さ」

「…なんたることだ」

 

思わず崩れ落ちるターニャの姿に、ツェツィーリエはからからと嗤う。

 

「そこまで嘆くことかね?むしろ私は『世界は違っても人間やることは同じなのだなあ』、と感心したくらいなんだが」

「そのポジティブさが羨ましい…」

 

ともあれ、その状況下で『自治評議会』は劇薬に過ぎる、と皇女は言う。

 

 

 

「敵を分断し、片方を味方とする…なるほど、軍事的には全く正しい戦略だろう。

 

しかし、それが帝国内のナショナリズム(民族問題)に火をつける危険があるといわざるを得ん」

「だ、だが『帝国』あるいは『ライヒ』というナショナリズムを獲得しているのではないか?」

「一理ある。――しかし、証拠はあるかね?」

「…過信は禁物と」

「然り。民族主義という『導火線』がどこに繋がっているか、全く想像もつかん。

君の言うとおり連邦にだけ誘爆するかもしれんが、最悪の場合『ライヒ』が空中爆発しかねん。

それと…そうだな、国家を株式会社に例えればわかりやすいか」

「ほう?」

「つまりだな――」

 

 

国家を株式会社に例えるならば、税金や兵役は「出資」、年金や社会保障といったものは「配当」に該当するだろう。

 

そして国民が国家に奉仕するのは――それがカルト集団化した国家でない限りは――「配当」があるからに過ぎない。であるからこそ、「ケーキを食べればいいじゃない」と言われたフランソワ国民は国王と王妃をギロチンに掛けたのだ。

…この点においても、追い詰められて自爆攻撃を集団で実行しながら、反乱がついに発生しなかった極東の島国は異質極まりない――というより、もはやカルト化していたのではないかとすら思われる――のだが。

 

 

「――この点を、帝国辺境、民族の異なるエリア出身の帝国軍兵士に絞って言えばこうなる。『自分は異民族だ。――でも、帝国の統治による恩恵(配当)があるから、それを押し殺して帝国軍人として奉仕している』と」

「ふむ、それで?」

「そんな彼はある日、こんなうわさを聞きつけるのだ」

 

 

 

『聞いたか?今回帝国が占領した連邦西部だが、高度な自治が認められるらしいぞ』

『いやいや、それどころじゃない。俺が聞いた話だと帝国の支援で独立するらしい』

『なんだって戦争中なのにそんなことを?』

『さぁな、上の偉い人の考えることなんて俺たちにはわからねえよ』

『ははっ!違いねえや』

 

そう言って兵隊煙草を燻らせる彼らだが、それを耳にした辺境出身の青年にとってはそれどころではない!

 

 

 

――どうして!?なぜ!?

 

 

 

 

「――自分たちは民族のアイデンティティーを押し殺し、もしくは将来『自治』が認められるかもしれないわずかな可能性(配当)に賭けて帝国に奉仕しているというのに、新参の連邦西部は最初から高度な自治どころか独立を認められる。

…許せると思うかね?」

「…そもそも『新参の』という捉え方が間違いだろう。あくまでも現状は占領地、帝国領に編入したわけじゃない。第一、帝国には領土的野心がないではないか」

 

 

そう、ターニャの腹案はそれを前提としている。

――帝国には領土的要求がない。ゆえに、独立を希求してやまない連邦内の諸民族との利害は衝突しない――

 

 

「そうだな。帝国()()()()はそうだろう」

「…拡大派か?連中、相当に数を減らしたと聞いているが…?」

「それだけなら、話はもっと簡単だったんだがなあ」

 

皇女は言う。

そもそも、拡大派というのは『顕在化』している部分であって、その根っこには帝国国民全体が知らず知らずのうちに共有している、とある「盲信」がある。

 

 

 

『帝国は常勝無敗である』

『帝国、それは勝利である』

 

 

 

――帝国はその開闢以来、「敗北」というものを知らない。

帝国になる前ならば別だが。ゆえに国民の脳内には、「帝国にとって戦争とは勝利であり、その後の繁栄(配当)である」という()()が、無意識のうちに存在する。否、内在化している。

ピュアなまでにその神話を信じているからこそ、国民はこの終わりの見えない戦争、徴兵や工場への動員といった過酷な「奉仕」「献身」を続けていられるのだ。

 

 

問題となるのはこの場合の「配当」は、新たな領土であったり、賠償金だったりする点。

それが得られると無意識のうちに信じているから、国民はまだ戦えるのだ、とツェツィーリエは指摘する。

 

 

 

「それが得られない。どころか、援助のために帝国が持ち出しをするとなったら大変なことになるだろう。…冗談抜きで、日比谷焼き討ちのような事態になりかねん」

「冗談だろう…?」

「冗談なら良かったんだがね」

 

そう言って、彼女は執務机の引き出しから分厚い資料を取り出す。

 

「…それは?」

「親愛なる帝国内務省警保局からの報告さ。内容は政府への不平を募らせた右翼連中の動向」

「不平だと?」

「曰く、『政府は協商連合と共和国に甘すぎる』『全土を併合してもいいくらいだ』といったものだな。いやはや、()()()()()()をこっちの世界でも見ることになるとは思わなかったよ」

 

人間の欲というものはキリがないね、と彼女は笑った。

 

「前世も今生も、好きな本に埋もれて死ぬなら本望な私とは大違いだな。

…ともかく、そういう訳で、帝国政府の公式見解は君の言うとおり『領土的野心は無い』し、実際その通りだが――」

「――国民向けには口が裂けても言えない、と?」

 

 

 

◇◇◇

 

 

翌日 帝国陸軍参謀本部 戦務参謀次長室

 

「――と、いう話があってだね」

「確かにその危険は否定できませんが…、殿下なら差配できるのでは?」

「それこそ買い被りだよ」

 

かっかっと笑う少女を前にゼートゥーアは苦笑する。冗談ではないのだが…と。

 

なにしろデグレチャフ大佐から話を聞いたとき、彼は『自治評議会』を妙手だと歓喜こそすれ、帝国に跳ね返ってくる可能性のある『劇薬』だなど、全く想像すらしていなかったのだ。

それを即座に看破できる目の前の少女こそ、ある種怪物と言っていいだろう、と。

 

――まぁ、事実は「前世で散々研究しまくった領域ど真ん中だったから」なのだが――

 

「それこそ占領地域の縮小すら考えるべきかもしれんぞ」

「それは!」

 

ルーデルドルフが反論の声をあげようとし、ゼートゥーアもそれに続く。

 

「戦務局としても困難かと愚考いたします」

「理由は?」

「第一に、現在の各防御陣地でも相当量の建設資材を必要としました。それをもう一度実行するとなると、春以降の戦闘に支障をきたす恐れがあります」

「それほどなのか?」

「それほどなのです。今や帝国陸軍は世界屈指の土建屋でありましょう」

 

 

『歩兵の仕事の八割は塹壕を掘ること』

 

 

ライン戦線で生まれた言葉に、そんなものがある。

実のところ、戦前、戦争がこれほどの塹壕戦になると予想した国は多くなかった。

何故ならば、塹壕戦というのは銃火器が高度に発展し、従来の「突撃」が全く無力化され、単なる集団的自殺行為と化したからこそ発生した戦闘形態だからである。

当然、近代戦を未経験な各国からすれば、思いつく人間はいてもドクトリンにまでは昇華されていない。

 

 

そんな中にあって、帝国陸軍は稀有な例外であった。

その理由は二つある。

 

第一に、現在軍中枢を担う人間の多くが10数年前の秋津洲大戦、つまり、「世界初の近代戦」に観戦武官として赴き、一日数万発の砲弾が飛び交い、歩兵師団が突撃開始数時間のうちに消滅する瞬間を目撃していたこと。

英明な頭脳を持つ彼らはこのとき確信したのだ、「これからの戦争において、機関銃陣地への歩兵突撃は、それが簡易の野戦陣地であっても、自殺行為にしかならない」、「敵要塞、敵陣地への接近は、塹壕によるほかない」と。

 

第二の理由は単純だ。

模範解答を脳髄に詰め込んだ人物(ツェツィーリエ・フォン・プロイツフェルン)が帝国にいたこと、である。

――爆風被害の極限のため、直線的塹壕は厳禁であり、適度な屈曲が必要であること。

――排水に留意しなければ、内部の環境が劣悪となり、疫病が発生すること。

――数万発の砲弾が飛び交う戦争形態に備え、要所はコンクリート等で構築すべきこと。

――いずれ塹壕戦に特化した迫撃砲が登場するであろうことから、天板を設置して掩体とする必要があること。

――上述の理由から、いずれ歩兵の手作業では追い付かなくなる。ゆえに塹壕陣地構築用の工作機械を導入する必要があること。

彼女がアルレスハイム候補生の名で提出したとされる――本人曰く、チョットした書き物――レポートは、まさに以後の塹壕戦を予言したものとして、後世評価されている。

 

 

かくして、塹壕構築にかけては他の列強の追随を許さないほどに進化した帝国陸軍は、なるほどゼートゥーアの言うとおり、当時世界最高峰の土木集団であっただろう。

 

 

 

 

 

だが、当然ながらそれはもはや「土木工事」である。

 

「第二に、現地からはこれ以上の土木作業は困難との報告が来ております」

「うん?それはどういうことだ?」

「…大地が凍り付いている、か」

 

首を傾げるルーデルドルフとは対照的に、ぽつりとつぶやいた皇女の声にゼートゥーアは――内心、何故知っておられるのだと驚愕しながら――首肯した。

 

「仰るとおりです。いまや鉱山用の削岩機を持ち込んでいるそうで」

「爆薬を使えばいいではないか」

「ルーデルドルフ、その爆薬を仕込む穴を掘ること自体も困難なのだ」

「…重砲の砲撃ならどうだ?」

「兵站統監が聞いたら卒倒する所業だな。…実のところ試したのだが」

「ほう!それで結果は?」

「よくて50センチ程度だそうだ」

「冗談だろう!?」

 

ルーデルドルフは恐懼した。

それではどうにもならないではないか、と。

 

「今使っている陣地は、秋でしたから問題なく構築できたのだ。…だが、今後塹壕陣地を構築するとなると…」

「不可能か?」

「気象台からは今年の寒波は異常だとの報告を受けている。仮に塹壕陣地を造るのならば、開戦前の国境まで後退する必要があるだろうと」

 

 

――ならば、そうすればよいではないか

 

 

とは誰も言わない。否、言えない。

開戦前の国境まで後退するなど、もはや言い出せないほどに帝国は東方で血を流し続けていた。加えて、個々の戦闘では勝ち続けているのに「振出しに戻る」というのは、世論はもとより戦場の兵士たちも受け入れがたいことに違いない。

 

 

そんな馬鹿なと言うなかれ。

作戦の失敗、勝てない戦闘、終わりの見えない戦いほど、兵の士気を削ぐものはない。

 

例えば西暦世界の第一次大戦中、「48時間で突破できる」と豪語してドイツ帝国軍塹壕陣地への総攻撃をかけ、大敗を喫した――18万7千人もの損害を出して、ほとんど前進できなかった――フランスの場合、それ以降兵士たちの反抗が多発した。

一説には兵士の半分ないし3分の2までが命令を拒否し、極端なものだと町を占拠して反政府組織の樹立を宣言するほどであったという。

むしろ援軍の見込みもない絶海の孤島で、文字通り『玉砕』するまで戦い、バンザイを叫んで突撃をかける極東の島国の方が異常なのだ。

 

 

「既に300キロ退いたのです。これ以上の後退は来期の攻勢どころか、兵の士気に深刻な問題をもたらしかねません」

「ルーデルドルフの言うことももっともであります。ここは現状維持しかないかと」

「…ふむ」

「殿下?」

 

 

 

ゼートゥーアの問いかけにも答えずに皇女は考え続ける。

ルーデルドルフのみならず、ゼートゥーアもしびれを切らそうかという頃になって、彼女は言葉を発した。

 

 

 

 

 

「…一つ、考えがあるのだが」

 




『帝国軍陣地』
ソ連謹製パックフロント × 太平洋仕込みの複郭式地下陣地 × ドイツ帝国譲りの塹壕構築技術 × ロンメル直伝『悪魔の園』

ツ「…全く戦争は地獄だぜ!」
デ「誰のせいだ!?」



『七博士意見書』
ざっくり言えば、「政府の外交は軟弱だ!一戦してでもロシアを満州から叩き出せ!!」
なお日露戦争の前年の意見書だったりする(白目
加えて7人中6人が東京帝国大学の教授(愕然

唯一の救いはこれに対する伊藤博文の回答。
「我々は諸先生の卓見ではなく、大砲の数と相談しているのだ」
ぐう正論。


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