皇女戦記   作:ナレーさんの中の人

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あけましておめでとうございます!


転戦

ターニャ・フォン・デグレチャフは天を仰いだ。

 

 

 

「どうしてこうなった?」

 

 

 

そう言って、彼女は自身の、より正確には()()()()()()()袖を見下ろして溜息をこぼす。

…そう、ターニャが今身に着けているのは、銀翼突撃章受勲以来となる「例のアレ」。

二度と見たくも無かったそれを、本日彼女は無理やり着けさせられていた。加えて言うと、網棚の上に載せられたトランクの中に入っているのも、同種のきらびやかな衣装類。

物理的にも心理的にも、普段使い慣れている参謀行李の数倍の重さがあるそれを見上げて、ターニャはもう一度溜息をついた。本当にどうしてこうなった、と。

 

 

彼女がこんな目に遭っている理由を説明するには、時計の針を1週間ほど巻き戻す必要がある

 

 

◇◇◇

 

3月中旬

東部戦線 ミルスク近郊 サラマンダー戦闘団宿営地

 

「帝都への再配置命令だと?」

 

突然の通達に、戦闘団長ターニャ・フォン・デグレチャフ大佐は首を傾げた。

 

「ハッ、3月末までにポツダニ駐屯地へ移動を完了せよとの事であります」

「急な話だな…。それは我々だけか?」

「ハッ、いいえ、他にも幾つかの部隊が帝都周辺への再配置を命じられたとのこと」

「なに?」

セレブリャコーフ中尉が仕入れてきた追加情報に、ターニャは思案する。

…余談だがこの副官、なんだかんだで顔が広い。正確には「酒場で遭ったら逃げろ」もしくは「次に会ったら取り返してやれ」と言うことで名前も知られているし、それなりに知人も多いようである。…まぁ、戦闘団公庫に秘蔵されているボトルの大半が、彼女の「戦利品」(巻き上げた)なのだからさもありなん。

 

それはともかくこの移動命令の目的は何だ、戦闘団を含むいくつかの兵力を東部戦線から動かす理由がどこにある?

休養を目的とした定期のローテーション休暇?いや、つい先日幾つかの部隊がそのために下がったばかりだ。さらに追加で部隊を引き抜くなど、東部方面軍からすれば死活問題…。

…いや、そうでもないか?

 

そこでターニャは気付く。

なるほど、今ならば下げても問題にならない、と。

 

 

連邦軍の冬季攻勢は、失敗に終わった。

 

 

帝国軍が秋から苦心惨憺して構築した防御陣地帯を前に、連邦軍の数次に渡る突撃は、ただ徒に屍山血河を築くのみで終わった。逆に帝国軍は連邦軍の突撃のたびに学習し、危うかった箇所を補強して防御力を向上させていた。

もっとも、大地が凍り付いた冬の間には根本的に解決できない部分もあったが、それも春になれば着工すると聞き及んでいる。

…そう、帝国軍は1927年の大規模侵攻を保留し、東部戦線を『東部要塞』とすることを優先したのだ。これは前年の侵攻時に払った手痛い授業料からくるものであり、ターニャとしても諸手を挙げて賛成できるものであった。

 

そして、もうすぐ雪解け時期というのも重要だ。

それは、無限に広がる泥濘の誕生を意味する。

 

異様な冬の寒さで忘れがちだが、零下20度という極寒の大地が広がる厳寒期同様、地面という地面が泥濘と化す春の時期もまた、連邦領内での軍事行動は困難を来す。

…端的に言って、両者の違いは、あらゆる機械が凍結で故障するか、足を取られて沼に沈むかの違いでしかない。

西暦世界の独ソ戦を見ればそのことがよく分かるだろう。ドイツ軍の夏季攻勢は、毎年泥濘が落ち着く6月近くになってからの話だったではないか。

こちらの世界でも、昨年6月ころまでは帝国国境付近での戦闘で、連邦領に踏み込んだのは7月に入るころだったからよかったが、今年はそうはいくまい…。

 

こうしてみると、「何故」部隊を下げるのかは不明だが、今ならば下げても問題は無いということが分かる。泥濘に足を取られるのは連邦軍も同じだし、進撃ルートが物理的に限定される以上、少ない兵力でも防衛可能である。

そう、要塞化した陣地群が存在するなら尚のこと。

 

「…まぁ良い。ともあれ、命令ならば有難く東部戦線とおさらばしようではないか。こんな寒々としたところはもうこりごりだ」

「全くでありますね…。直ちに鉄道車両の手配にかかります」

「うむ、東部方面軍の鉄道担当と協議してくれ。…ああ、我が部隊は規模の割に車両類が多いから、その点注視してくれ。…通常の連隊を想定して車両を宛がわれたら大変なことになる」

「了解であります」

 

 

 

…このときのターニャは、その先自身に待ち受ける不幸を知る由もなかったのである。

 

 

◇◇◇

 

そして、本日午前。

 

「似合っているからいいじゃないか」

「全くよくない!」

 

ベルン中央駅で落ち合った、お忍びスタイル――ご丁寧にもウィッグで特徴的髪色を焦げ茶色のそれに変えている――の皇女殿下とのやり取りである。

『旨い話には裏がある』

今日のターニャ・フォン・デグレチャフほどこの言葉をかみしめている人間はいないだろう。

 

『ちょっと私の休暇に付き合わないか?』

『…昨日帝都に帰任したばかりなんだが?』

『大丈夫、参謀本部の了解は取り付けている』

『いつの間に…貴様の手回しが良い時は大抵碌なことが無いように思うんだが』

『酷い言いようだねえ。…今ならなんと、フランソワ料理のフルコース、ないしそれに準ずるものが出てくるというのに。いやぁ、実に残念だ』

『待て、今なんと』

『当然コーヒーとデザートも付くんだが…。仕方ない、レルゲン大佐辺りに頼もうか――』

『行く!私が行きます!!』

 

電話口でそう言ってしまった昨日の自分を、ターニャはぶん殴りたい気分だった。

まさか、朝一で官舎に黒服の集団――宮内庁職員――が押し寄せてきて、あっという間に車に乗せられるとは!

 

「ロープで縛られたうえ、逆さ吊りにされた誰かさんよりよほどマシじゃないか」

「何の話だ?」

「こっちの話。それに大丈夫さ、戦闘団や君の副官殿にはちゃんと説明済みだから」

 

 

曰く、そもそもサラマンダー戦闘団は参謀本部直轄と言うことで、フンメルⅡを筆頭に各種新型兵器の先行量産型、増加試作機が多数配備されている。

 

兵器開発には、戦訓が不可欠だ。

如何に設計プランに優れた兵器であっても、実際に使えなければ意味が無いのだから。例えばフェルディナントとか、曲射銃身とか、ムカデ砲とか、お国は違うがパンジャンとか…。

ゆえに、兵器を正しく開発し、改良するためには「戦場での知見やトラブルを余さず正確に開発部局に届ける」ことが極めて重要となる。

 

この点、先行量産型を多数運用して東部戦線、しかもその最激戦区から帰還したサラマンダー戦闘団の知見は何物にも代えがたいものだった。

実際、帝都近郊の駐屯地最寄り駅に到着した戦闘団を、帝国陸軍技術廠の技術者たち(MAD集団)が出迎え…もとい、待ち伏せていたのだ…。

 

ゆえに、戦闘団にはこの先一か月近い帝都近郊での待機が予定されている。

その間、戦闘団の持ち帰った軍用車両や97式演算宝珠は一度製造元に戻され、大規模な分解整備を受けることとなる。全ては、内部に蓄積したデータや前線整備では見逃されていた小さなトラブルを漏らさず収集するために…。

このため、ターニャが休暇を取ろうが、ヴァイスたちがビアガーデンに繰り出そうが――中立国経由で、嗜好品の類はそれなりにアテがあった――支障はないのである。

とは言え…

 

「…私は何も聞いていないんだが?」

「そりゃあ君、これからの予定を事前に伝えていたら逃げ出すだろうからね」

「…待て、この車どこに向かっている!?」

「ベルン宮殿だよ。正確には――」

 

 

 

 

 

――ベルン宮殿が誇る、衣装室だよ。

 

 

 

 

 

かくして、ターニャはあの忌まわしい『キラキラした服』に着替えさせられた――この際、「私も通った道だから」と、ツェツィーリエは幼女を嬉々として着せ替え人形にした――のち、有無を言わさず黒塗りの高級車に乗せられ、ベルン中央駅からあれよあれよという間に高級な客車に押し込められたという訳である。

 

「…もういい。それで?なんだってこんな格好をしなきゃならんのだ?」

「まぁまぁ待ちたまえ。そろそろ()()()が乗車してくるころだから。説明はそのあとで」

「待ち人だと?」

 

首を傾げるターニャに、ツェツィーリエは噂をすれば来たようだぞ、と言ってコンパートメントの扉を開く。そこには――

 

「時間ぴったりだな、()()()

「はっはっはっ、イルドア紳士たるもの、レディーを待たせる訳にはいきませんからな」

「はは、言うねぇ」

「曇りなき本心ですから。…おや?そちらのお嬢さんは?」

「ああ、()()のデグレチャフ大佐だ」

「大佐…!?こいつは驚きました。こんなちっちゃなお嬢さんが?」

「見た目で判断しちゃぁいけないよ。目下、私が最も信頼する友人の一人だとも」

「ほほぅ…それはそれは」

 

和気あいあいと語り合う少女と老紳士。

妙に絵になる光景だったが、ターニャとしてはそれどころではない。

 

「…今、『妹役』と聞こえた気がするのですが」

「ああ、言ったとも」

「ええ、お二人にはそういう『設定』でイルドアに入って頂きます」

「…は!?」

「ちなみにこちらのジェントルマンは母方のお爺様だ。以後お爺様とお呼びするように」

「訳が分からんぞ!?」

 

なんだその設定は!?いや、それ以前にこの時期に皇太女が国外に出て良いのか!?

と、錯乱するターニャを見て、二人はからからと笑う。

それこそ、いたずらが成功した子供のように。

 

「いやなに、イルドアは中立国というのもあるし、私の場合そうでなくともお忍びでしか行けないからね」

「この列車はイルドアに向かっておりますのでな。…ああ、入国審査はご安心を。既に手はずは整えております」

「…イルドア、だと?」

 

もはや敬語を取り繕うことすら忘れて、ターニャは呟く。

イルドアと言えば…。

 

「…たしか、定例に無い大規模動員演習をイルドア王国が実施すると参謀本部が大騒ぎになっていたな」

「そのとおり。人騒がせなガスマン大将のおかげでね」

「ははは、あの方は自称『間違って軍服に袖を通した政治家』ですからな。その手の騒ぎはお手の物なのでしょう。…振り回される身にもなって欲しいものです」

「…お互い、宮仕えは大変ですな」

「おお、分かってくれますかお嬢さん」

「分かりますとも。特に、人を振り回すのが趣味というお姫様に仕えるとなれば尚のこと」

「ああ、大いに納得できるお話です」

「…何故そこでこっちを見るのかな?」

 

ツェツィーリエが白目を向けてくるが、そんなもの知ったこっちゃない。

このとき、幼女と老紳士の心情は一致していた、「アンタのことだよ!」である。

 

「コホン。話がそれたから戻すとして」

「逃げたな」

「逃げましたな」

「ともかく!その人騒がせな演習が今回の息抜き旅行の発端なわけだが――」

「…今『息抜き』と言わなかったか?」

「仰いましたな」

「――君たちこの短時間で意気投合しすぎだろう!?」

 

確かに、ターニャも老紳士もお互い初対面ではあった。

だがしかし、二人はある一点において同志であり、戦友であり、理解者であった。

 

…そう、この目の前の気儘人に振り回されているという点において。

 

「その前にターニャ、君の意見を聞きたい」

「うん?」

「この戦争、勝てるかね?」

 

 

「無理だな」

 

 

即答だった。

しかし、ターニャに言わせれば至極当然のことなのだった。

なんとなれば、総体的にはアルビオン連合王国にルーシー連邦、帝国と同等か、それ以上の経済規模と国力を有する両国を同時に相手にして、従来と同じような「勝利」は逆立ちしても不可能。

純軍事的に言えば、連邦相手にはその広大過ぎる国土と倍以上いる人口を消化できない――仮にモスコーを攻略したとしても、連邦政府が東へ逃げるだけだろう――という点において勝てない。

では連合王国はどうかと言えば、こちらは国土こそ小さく、人口も半分程度であるが、そこに至るまでに海を渡らねばならない。

そして、そのためには制海権の確保が絶対であり、必然的にかのロイヤルネイビーの撃滅が必須となる。…残念だが、帝国海軍にはそれだけの能力はない。新型潜水艦による通商破壊は確かに有効だが、それだけで屈服するジョンブル魂ではないだろう。

なにより、沈める量より多くの物資と船舶が、海を隔てた合州国からレンドリースされていることを、帝国軍は察知していた。

 

ゆえに、どうあがいても従来の『勝利』は見込めない。どこかで手打ち、すなわち『講和』を結ぶ必要がある。

 

「――とまぁ、こんなところだが…。言ってよかったのか(他人の前で)?」

「むしろ大歓迎さ」

「はい?」

 

本日何度目になるか分からない疑問符を浮かべるターニャに対し、満面の笑顔でツェツィーリエは老紳士に声をかけた。

 

「ほぅら、言ったとおりだろう?『そこらの帝国軍人と違って話の分かる奴だ』と」

「全くですな。…いやはや、他の帝国の方なら話をここまで持ってくるのが一苦労でしょう。まさかこんな幼い少女とは思いませんでしたが」

「人を年齢で判断しちゃいけないよ。たしか、君と初めて会った時の私も、これくらいの歳だったはずだ」

「そう言えば、そうでしたなぁ」

 

朗らかに談笑する二人の姿に、ターニャとしては首を傾げるほかない。

第一、この老紳士は誰だ?話の流れから、イルドア王国の関係者かとは思われるのだが…。

そんな、幼女の内心は露知らず、ツェツィーリエはあっさりと告げる。

 

 

 

「ようやく本題に入れるな。まずは紹介しよう、こちらイルドア王国空軍名誉顧問にして、特使であられるジュリオ・ドゥーエ殿だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「…は?」

 

 

 

今度こそ、ターニャ・フォン・デグレチャフは絶句した。

 

 

 

 




新年と言うことで、ターニャに晴れ着を着せたかった。それだけ
デ「なん…だと…!?」

だからいつもより短めです
デ「そんな理由で私はまた辱めを受けたのか!?」

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