皇女戦記   作:ナレーさんの中の人

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伏線を一つ回収


悪夢

 

 

 

いつの時代、どこの組織にも「存在しない空間」というものが存在する。

 

 

 

連合王国の場合、それは外務省に存在する。

…いや、書類上「は」外務省の一部局となっていると言ったほうが正確か。

なにせ、当の外務省職員に馬鹿正直に尋ねたところで、「そんな部署聞いたことも無い」と言われるのがオチであり、外務大臣すらどこにあるのか知り得ないのだから。

そんな、「存在しない空間」ではこの日――

 

「イルドアの狙いは何だ!?」

 

――存在しないハズの職員が、走り回っていた。

 

 

発端は、駐イルドア連合王国大使館に届けられた、一通の「招待状」。

曰く、大規模な演習を実施することになったので、ひいてはイルドアと連合王国の親善のため、是非とも観覧にお越しください、云々。

 

「…新手のジョークか?」

「いや、帝国の罠かも知れんぞ」

 

確かに、イルドアは今回の戦争に参加していない中立国である。

当然、連合王国との外交関係も維持されているし、イルドアに置かれた連合王国の大使館とて通常通りの業務を遂行している(数百メートル先では、帝国大使館も同様に業務を行っている)。

ゆえに、国家的行事とも言える閲兵式や観閲式の類に、各国の大使を招待するのは不自然なことではない。だが、それが例年の規模、スケジュールとも全くかけ離れた「大規模動員演習」となれば話は別である。

 

「ついに、イルドアまでもが参戦か!?」

 

第一報に接した連合王国の軍人たちが、そう色めき立ったのも当然の話。

 

現在に至るまで中立を維持しているとはいえ、イルドアと帝国は同盟関係にある。

そもそもイルドア王国は、南方大陸においてフランソワ共和国やアルビオン連合王国と競合関係にある。更にイルドアが地中海から外の世界に出ようとする場合、西に行けばジブラルタ、東に行けばアレク、スエズスと、どちらに向かっても連合王国の根拠地に突き当たる。言い換えれば、イルドアにとって連合王国は目の上のたん瘤に他ならないのであった。

これら地政学的条件を鑑みたとき、むしろ今まで帝国の側に立って参戦してこなかったのが不自然なくらいなのだ。

…しかし、である。

 

「…あからさますぎる」

「罠ではないのか?」

 

大多数の軍人がそう首を傾げる程度には、連合王国は戦争に関して玄人であった。

何故なら、本当に参戦するならルーシー連邦よろしく、無動員、無通告、不意打ちが――どうやら事前に漏れていたようだと、連合王国はこの時期判断していたが――ベストなのだから。

ところがイルドアはご丁寧にも「大規模動員演習」、つまり、兵士を集めるデモンストレーションを大々的に実施し、あまつさえ各国大使館に通知し、招待状まで届けているのだ。

――おかしい。何かがおかしいぞ。

そこまで思いを致した時、連合王国はもう一つの不自然さに気付く。

 

「イルドア海軍に動きなし?」

「海軍に今一度確認を、地中海艦隊が監視していたはずだ!」

 

イルドア王国は半島国家であり、本土及び地中海航路を防衛するための海軍力を有する、本質的には『海軍国家』である。

また、隣国であり、かつ南方大陸北岸において覇権争いを演じてきたフランソワ共和国を仮想敵として長年軍備を進めてきたという歴史的背景から、戦艦をはじめとする主力艦隊の拡充、整備にも非常に熱心だった。このため、海軍予算だけを見れば、イルドアのそれは帝国と同等か、年によっては上回るほど。

なにより、帝国の側に立って参戦するならば、その攻勢方向はおのずと地中海に限定される。

 

――つまり、海の戦いとなることが明白。

 

にも関わらず、イルドア海軍に目立った動きは見られない。

それどころか、主要軍港の一つタラン()()()()にイルドア海軍の最新鋭戦艦2隻が本日正午に投錨、乗組員が町へ繰り出すのを同地の連合王国領事館が確認済み。

曰く、遠洋航海帰りで手当をたんまり支給された水兵のせいで、タラントゥースはちょっとしたお祭り騒ぎ、云々。

…ゆえに連合王国情報部はこう結論付ける。

 

――イルドアに開戦の意思なし。…少なくとも、対連合王国相手には。

 

 

 

 

しかし、そう結論付けてもなお、ハーバーグラム閣下の悩みは尽きない。

 

「連中の目的はいったい何なのだ!?」と。

 

軍隊というのは、とかく金を喰うものである。

無論、実戦のそれとは段違いに安いとはいえ、演習とてタダではない。

しかもそれが400個大隊規模、すなわち、イルドアが平時に為しうる最大規模の演習ともなれば何をかいわんや。

伊達や酔狂で実施できるものでないことは誰の目にも明らかで、なればこそハーバーグラムらはその意図するところを明らかにする必要がある。

かくて、イルドアからの情報にあった、演習責任者の名前に注目が集まることとなる。

 

「イゴール・ガスマン大将だと」

 

帝国陸軍の場合、同じ情報に接しての第一声は『誰だそれは?』であった――かのゼートゥーア次長ですら、咄嗟には思い出せなかったという――らしいが、連合王国情報部は一味違う。

この時代において、全世界のありとあらゆる情報を集め、精査し、正しい解を導き出すことにかけて、彼らの右に出るものはない。

なにしろ、帝国皇太女ツェツィーリエが実は根っからの紅茶党――時局を鑑み、コーヒー好きを装っている――であることも知悉している彼らである。

帝国軍が今回の演習通知に右往左往しているという情報にせせら笑いながら、彼らは当然のように、イゴール・ガスマン大将の詳しい経歴、人物像、家族構成から人間関係に至るまでを網羅した分厚いファイルを速やかにハーバーグラム閣下の執務机に届けるのである。

 

かくして届けられた諸々の報告と分厚いファイルを一瞥し、百戦錬磨の情報部長は端的にこう言った。

 

「スーツと軍服を間違えた政治家だな、こいつは」

 

そもそもイルドアは成立過程からして軍人の発言力が強い。

 

 

『イルドア半島』

 

史上初の世界帝国が帝都を置いたかの地はしかし、近世になるころには千々に乱れていた。

中部には総大主教領が鎮座し、北部には公国や大公国。南部にも幾つかの王国が存在し、さらに地中海中継貿易で栄えた港湾都市は周辺の町や村落を従える都市国家に発展していた。

この時代のイルドア半島を縦断するだけで、ちょっとした紀行文――6つの国と5つの都市国家を巡る旅――が書ける時点で、その分裂状態がうかがい知れるというもの。

 

その状況を解決し、統一イルドアを達成したのが今のイルドア王国である。

 

それは統一歴19世紀に勃興した「イルドア統一運動」を背景に、「軍人ガ()バルディと愉快な仲間たち」という軍事力を足掛かりとして達成された。無論、それ以外の政争やら外交やらもあったのだが。

そして軍事力を背景にして達成された統一政体であるからして、特に初期において軍人の発言力が強いという特徴があった。なにしろ、統一歴20世紀初頭に至るまで、イルドア政界の大物の多くが「元軍人」という肩書をひっさげていたくらいなのだから。

ゆえに軍事と政治の距離が極めて近く、ガスマン将軍のような軍政家が現れる素地は十二分に存在したのである。

 

…そうなるとこの演習、何かしら政治的な「裏」があると見るべきか。

 

そこまで考えた彼は顔を見上げて、あぁ、と呟く。

 

「時間だ」

「閣下?」

「首相閣下とのお茶の時間だよ。君、一緒に来るかね?」

「はは、ご冗談を」

 

薄情な奴め、と弾かれたように書類の山にかじりつく部下たちに苦笑しながら、ハーバーグラムは席を立つ。向かうはダウジング街、首相官邸。

偉くなるのも考え物だな、とは彼の談。

好きな時間に好きな銘柄を味わえぬティータイムなど、全く楽しめるものではないのだから。

 

 

 

◇◇◇

 

 

「掛けたまえ」

「ハッ、ではお言葉に甘えまして」

 

今日も今日とてブルドッグフェイスに変わりなし。

つまり、相も変わらず首相閣下はご機嫌斜めであらせられる。

 

そう、脳内で手早くブリーフィングを済ませながら、ハーバーグラムは首相閣下の向かいに腰を下ろす。

 

「それで、イルドアの狙いは見えたのかね?」

 

おやおや、ティーカップに口をつけるどころか、席に着いたかどうかというタイミングでこれか。ハーバーグラムは脳内の警報レベルを引き上げる。…修正、いつも以上にご機嫌斜め、と。同時に、アタッシュケースから資料を取り出す。

 

 

「――以上のことから、イルドアに本格的な参戦意図はないものと判断しております」

「イルドアの真の狙いは?」

「…小官の推測ですが」

「構わん。聞かせてくれたまえ」

「帝国に対する警告、でしょうか」

 

 

イルドアの演習通知、厳密にはそれに対する帝国の反応を挙げながらハーバーグラムは己の推論を続ける。

 

今回の演習は、帝国にとっても寝耳に水の事態だったらしい。

その報に接したとき、帝国が誇る陸軍参謀本部が右往左往した――嘘か真か、参謀将校たちの情けない慌てふためきように、ルーデルドルフかゼートゥーアか、あるいはその両方が『黙れ!貴様ら軍大学に送り返されたいか!?』と罵声を放ったという情報まで届いている――ことを、ハーバーグラムたちは把握している。

とはいいながら、そこは世界有数の戦力と柔軟性を誇る帝国陸軍である。

即座に東部戦線から予備兵力を抽出し、帝都周辺、そしてイルドア方面への再配置を開始している。…余談になるが、去年あたりから帝国軍の展開速度が以前に比べても格段の進歩を遂げており、連合王国情報部の頭痛の種となっている。

 

「…なるほど、帝国にとっても予想外だったと?」

「はい、閣下。イルドア海軍が動いていないことを考えると、むしろ帝国をにらんでの動きではないでしょうか」

「一理あるな。少なくとも、連邦軍への圧力緩和という点ではこちらにとって有益だ。…とは言え、罠の可能性は?」

「十分に考えられます。なにせあの帝国ですから」

「うぅむ…」

 

実際、それこそがハーバーグラムをして頭を悩ませる問題でもある。

なにしろ今次大戦において、帝国は格段の進化を遂げつつある。戦略や戦術は勿論、いままで「腕力」しか使ってこなかった帝国軍が謀略の類を使い始めたという事実は、連合王国にとって悪夢そのものであった。

なまじ、その手の類の「頭脳戦」を幾度となく演じてきたジョンブルだからこそ、その効能を容易に想像できたのである。

 

 

 

今以上に部下のケツを叩かねばならぬ、いや、それ以前に人員を確保しなければ、と決意するハーバーグラムの耳に、首相閣下の声が届く。

 

「ここで悩んだところで答えは出るまい。続報に期待させてもらうとして…。

()()()はどうかね?」

 

チャーブル首相のその言葉に、ハーバーグラムはピンときた。

 

「例の()()()の件ですな」

「うむ、それで?」

「残念ながら、事実です」

 

 

 

グラフ・ツェッペリン級航空母艦

帝国海軍が建造中の正規空母であり、連合王国情報部もその詳細を明らかにすべく、日々努力しているのだが、今回の問題は間もなく進水すると見られているその3番艦。

 

「3番艦は『ルイ・ピエール・ムイヤール』。間違いないようです」

 

グラフ・ツェッペリン級の艦名はすべて、航空史上において功績を残した著名な人物に由来している。

1番艦『グラフ・ツェッペリン』は、硬式飛行船を実用化したツェッペリン伯爵から。

2番艦『オットー・リリエンタール』もまた、航空工学発展に貢献した航空パイオニアであり、かのライト兄弟に繋がる人類の大空への夢を切り開いた先駆者。

そして、建造中止となった4番艦『ツェツィーリエ・フォン・プロイツフェルン』は、帝国空軍の生みの親であり、世界初の戦略爆撃機SB-1や、新型戦闘機のアイディアを多数生み出しているかの皇女殿下にちなんでいる。

 

当然、3番艦も例外ではなく「航空史上において功績を残した著名な人物」として、『ルイ・ピエール・ムイヤール』が選ばれたのだが。

 

 

 

 

 

ルイ・ピエール・ムイヤールは、()()()()()()航空技術者なのである。

 

 

 

 

彼は統一歴1871年に刊行された『 L'Empire de l'Air(空の帝王)』の中で、固定翼を持つグライダーを提案した先駆者である。加えて、たわみ翼による操縦や動力の装備についても考察している。言うなれば航空分野の古典、教科書とも言える著作であり、それを著し、かつ数多のグライダーを用いての実験を繰り返したムイヤール自身もまた『欧州における航空分野の父』というべき人物であった。

なので、「航空史上において功績を残した著名な人物」としては文句のつけようがない。

 

だが、そうは言ってもフランソワ人である。

 

当然、帝国海軍内には昨日までの敵国の人物名を最新鋭の航空母艦に付ける事への反感も強く、「4番艦の名前を繰り上げれば良いではないか!」という声も挙がったのだが――

 

「皇女自身が却下したと、もっぱらの噂です」

 

 

『こんな小娘に阿る暇があるなら、過去の偉人に敬意を表せ。

――たとえそれが昨日までの敵国であったとしても、だ』

 

 

そう言って、軍部から上がった反対意見を当の皇女自身が封殺した。

 

「信じられん。最新鋭艦だぞ?…情報源は確かなのか?」

「複数から裏を取っております。特に、フランソワ社交界ではこの話でもちきりです」

「何!?」

 

 

 

 

この当時、フランソワ共和国は実質的敗戦から、どうにかこうにか国内の安定を取り戻しつつある段階だった。

失われた人命への補償、財産の補填、北部沿岸…帝国との交渉で設定された、安全保障地域からの移住を求める住民の移動…。

そう言った難事を切り抜ける中にあっては、大陸軍の再建など夢のまた夢であった。

『大陸軍』。

それは、かの皇帝ボナパルトから続くフランソワの栄光である。

だが、その栄光は今や過去のものとなり、海軍もまたブレストとメルセルケビークで壊滅状態。

加えて、戦中に発行した大量の国債償還に伴う不景気と相まって、このころのフランソワ国内は閉塞感と諦観に満ち満ちていた。

 

 

そんな中に降ってわいた、「ルイ・ピエール・ムイヤール」命名騒動である。

ご丁寧にも帝国は、駐帝国フランソワ大使館――両国の停戦、講和に伴い再開されていた――を通じ、かの国の偉人の名前を使用することへの許可を求めていた。

 

それも『皇女摂政宮ツェツィーリエ・フォン・プロイツフェルン』の自筆書状で。

 

フランソワ大使としても驚天動地、判断しかねる前代未聞の事態である。

すぐさま本国に知らせ、そして本国でも大騒ぎになった。

当然だが、「フランソワの偉人の名を帝国に使わせて良いものか!」という反発も根強くあった。

だが、名目上は講和とは言え、大陸軍が殲滅されたとあっては『敗戦国』であることに変わりはない。

加えて、帝国から届いたオファーが極めて外交儀礼にのっとった、それも最上級の礼を尽くしてのモノだったのも大きい。

 

「…敗戦国に対しての礼ではない。これほど丁重な申し出を戦勝国から受けた敗戦国が、未だ嘗てあったろうか」

 

時のフランソワ大統領フィリップ・ペッタンがそう書き記したそれは、敗戦に打ちひしがれていたフランソワ人の自尊心を大いに満足させた。

 

『こんな小娘に阿る暇があるなら、過去の偉人に敬意を表せ。

なにより、航空史上の偉人という点において、かの人に代わる名前を私は思いつかない』

 

()()()()()漏れ伝わってきたその発言もまた、フランソワ人を大いに喜ばせた。

 

 

結局、フランソワ政府は表向き「事実上の敗戦国ゆえ断れない」と言う体で帝国からの依頼を快諾。その実、フランソワ国民の大多数は自分たちが誇る大陸軍を打ち破った帝国が、自国の偉人に敬意を表したという点で大いに自尊心をくすぐられることとなる。

 

そして、対する帝国からの謝礼も驚くべきものであった。

 

 

 

「貴国の返答に謝意を。ついては、『ルイ・ピエール・ムイヤール』の進水式に、ムイヤール氏の親族及びフランソワ大使をご招待したいが、如何?」

 

 

フィリップ・ペッタン大統領は思わずひっくり返った。

この当時、フランソワにおいては空母という新艦種への理解が乏しく、未だに大艦巨砲主義に捉われていたが、それでも「最新鋭の航空母艦」である。

その進水式に、何度も繰り返すが昨日までの敵国の人間を招き入れる、という時点で驚天動地の事態である。機密保持の観点から言ってありえない申し出に、思わず帝国大使に真意を問うた大統領の狼狽ぶりは、しかし当然の反応だったろう。

しかして、それを笑うこともなく、本国からしっかりと言い含められた帝国の大使はこう告げた。

 

「東洋の故事に曰く、『昨日の敵は今日の友』であります。大統領閣下」

 

帝国とフランソワは、ある時は戦い、ある時は手を結んできたと述べたうえで、帝国大使は帝都からの言葉を厳かに告げる。

 

 

『この進水式が、帝国とフランソワ共和国の未来、今後100年、1000年と続く平和と友好、繁栄の礎となるならば、これに優る喜びはない』

 

 

この日の大統領の日記にはただ一言、「参った」とだけ記されている。

そして一連の経緯、特に最後の発言は()()()()()()()フランソワ国内で広まり、あるところでは国民の自尊心を大いにくすぐり、またある者はその懐の大きさに「負けた、とはっきり認識した瞬間であった」と書き記すこととなる。

 

 

 

 

 

「…してやられたな」

「はい、全くです」

 

苦虫をかみつぶしたようなチャーブルの声に、ハーバーグラムも頷く。

フランソワ国内での情報の広まり方からして、帝国が意図的に広めているのは明白。

そして、軍艦は軍事機密の塊であるが、進水式の段階では話が異なる。何故ならば――

 

 

 

――軍艦は、進水式の時点ではその全貌をあらわにしていない。

 

 

 

船に関わったことのない人間からすると意外なことのように思われるが、実のところ、進水段階の大型艦艇というのは、言うなれば「浮かぶだけのデカブツ」状態なのである。

なぜかというと、進水前、ドックで建造中の船体というのは、その全重量を「盤木」で支られている高層ビルにほかならない。このため、あまり完成に近い状態まで工事をしようとすれば、その重量に盤木とドックが耐えられなくなるのだ。

このため、よほどの特殊事情がない限りは、海に浮かばせられる段階に到達したら進水させ、その後は岸壁に係留して上部構造物――砲塔や艦橋といった、船体の上に載っているものすべて――を組み上げていく。この工程を「艤装」と呼ぶ。

 

余談だが、西暦世界の三菱長崎造船所にあるジャイアント・カンチレバークレーンは、この艤装のために英国アップルビー社から1909年に購入されたものであり、同造船所で建造された戦艦「霧島」等に主砲塔を取り付けている際の写真が現在に伝わっている。

 

…なお、1世紀を経た現在も現役というバケモノだったりもするのだが、閑話休題。

 

話を『ルイ・ピエール・ムイヤール』に戻そう。

同艦は空母であり、連合王国が建造中の最新鋭空母『イラストリアス』の例から言って、進水式段階で得られる情報は少ない。

なにせ、空母の要たる飛行甲板はおろか、格納庫も載っていない状態なのだ。

船体の大きさからある程度の搭載機数は類推できるが、それ以外は「大きめの巡洋艦」といえる船体形状の観察くらいしかできないだろう。

…こうしてみると、進水式に外国人を招いたところで、深刻な問題とはなり得ないことが分かる。これが横幅38メートルもある超巨大戦艦ならば、その横幅で搭載主砲の大きさが推測されてしまうので問題だが、今回の船は空母である。

 

だが、それは空母と造船を理解している人間にしかなしえない暴挙である。

 

少なくとも、「軍機」と「極秘」をこよなく愛する大陸国家の帝国軍人には、逆立ちしても不可能な所業。

…4番艦名繰り上げ却下のことといい、こんなことを考え付きそうなのはただ一人。

 

 

「…閣下、以前帝国の皇女に講義をしたご経験がおありなのでは?」

「もしそうだったら、全力でその教え子を引き抜きにかかっていただろうね」

 

 

見事な手だ、とチャーブルはため息交じりに零さざるを得ない。

最新鋭艦とは言え、言ってしまえばたった一隻の、しかも未完成の船に過ぎない。だが、たったそれだけのことで、帝国はフランソワ国民の歓心を得ることが出来る。

 

『戦勝国たる帝国が礼を尽くし、フランソワの偉人の名を最新鋭艦にと欲する』

『軍事機密の塊と言うべき件の船の進水式に、フランソワ人を賓客として招待する』

 

敗戦に打ちひしがれているフランソワ人の自尊心をくすぐる、なんと狡猾な一手であろうか!その実、帝国には殆ど悪影響を及ぼさないと来ている!!

 

 

――たった一隻の名前だけでここまでやるか、ツェツィーリエ・フォン・プロイツフェルン!

 

 

 

 

それに対して連合王国と言えば…。

 

「…メルセルケビークは失敗だったな」

「閣下、しかし、あれは…」

「分かっている。あの時点では必要な一手だったとも」

 

フランソワ国内で評判を上げる帝国に対し、連合王国への眼差しは冷たい。

そもそも連合王国と共和国は、その歴史からして因縁浅からぬ仲である。中世に遡れば100年戦争なんてものをやっているし、お互いが相手国の王位継承権を主張して相争うのは日常茶飯事。

戦前こそ対帝国で一致していたとはいえ、仲が良いとはお世辞にも言い難い。

そして、今日(こんにち)のそれを決定的としたのは、言うまでもなく「メルセルケビーク襲撃事件」。

 

…あの時、連合王国も必死だったのだ。

欧州にあって最後まで帝国と戦ってきたフランソワ共和国が倒れ、「全欧州を統一した統一国家との全面戦争」という、連合王国が恐れてきた最悪の事態が現実化。

加えてその地政学的条件から、帝国の同盟国イルドアの対連合王国参戦も時間の問題と見られていた。

 

連合王国地中海艦隊は、対フランソワ、対イルドアを念頭に整備拡充されてきたとはいえ、その両方を一度に相手取るのは危険な賭けだった。

当然、本国艦隊の増派も検討する必要が出てくるが、ここでもフランソワ海軍残存艦隊がネックとなる。

なにしろ、大西洋の北東隅に押し込んでいたはずの帝国海軍――正確には、帝国に降った旧フランソワ海軍――が、突如として連合王国の目と鼻の先に出現することになるのだから。

 

――このままでは、やられる

――やられる前にやらねば

 

その焦りこそが、連合王国海軍をしてチャーブルに警告を発し、そして後々の非難を顧みない攻撃を決意させたのであった。

 

 

 

…だが、今となっては藪蛇、もしくは悪手だったと認めざるを得ない。

結局イルドアは中立を保ったうえ、連合王国が万の砲弾で沈めたフランソワとの関係を、帝国はたった一隻の船名で奪い取ることに成功しつつあるのだから。

 

「聞くまでも無いだろうが、フランソワ国内における対帝国パルチザン活動の方は…?」

「…お聞きになりますか?もはや笑うしかない有様ですが」

「…いや、その答えで十分だとも。しかし、そうなると連邦からの依頼には応えられそうもないな」

「例の『第二戦線』の件ですか」

 

 

 

『第二戦線』

それは、去年の暮れからルーシー連邦が連合王国と合州国に繰り返し求めているもの。

その本心を端的に言えば、損耗の激しい地上戦で帝国と対峙しているのはわが国だけだ。貴国にも血を流してもらわねば!

義勇軍派遣をはじめ、有形無形のあらゆる支援を惜しんでいない――と言っている――チャーブルだが、しかし、無視することは出来ない。

なんとなれば、連邦に対帝国参戦を求めたのは連合王国であるし、万一にも連邦が崩れれば、その次に帝国が襲い掛かってくるのは連合王国である。これ以上の戦局悪化を避けるためにも、何らかの形で連邦からの要請に応える必要があった。

 

そのため、フランソワ共和国北部に上陸しての大反攻作戦が検討された。

連邦への援護としてこれ以上のものはないうえ、連合王国本土からの補給が容易という点からも、この方面からの反攻作戦が最適だと考えられたのである。

 

 

しかし、『言うは易し、行うは難し』である。

なるほどフランソワ共和国大西洋岸において、上陸作戦を行うこと「自体」は可能だろう。なにせ、この方面における制海権は絶対的に連合王国の側にあるのだから。

…だが、それには困難が伴う。

 

特に、上陸地点の選定。

実態はどうあれ、現在のフランソワは中立を標榜している。一部地域を帝国が保障占領と称して実効支配しているが、敗戦国故致し方なしと言い張るであろうことは明白。

そして、パ・ド・カレーを中心とする、その限られた帝国占領地域には強固な要塞が構築されつつあり、そこへの上陸作戦は自殺行為に近い。

ならば、それ以外のフランソワ共和国沿岸への上陸ならばどうかと言えば、これまたリスクを伴う。

間違いなく、フランソワ国民の対連合王国感情をさらに悪化させるだろうから。

 

そのため、連合王国情報部はフランソワ国内の反帝国パルチザンと協力しつつ、帝国占領地への上陸の場合は事前の破壊工作を、それ以外の場合にも上陸作戦への協力、上陸以降の後方支援を取り付けようとしていたのだが…。

 

「現状は極めて厳しいと言わざるを得ません」

「…反攻上陸作戦は時期尚早か」

「はい。なんと言っても地上部隊が足りません」

「そこは合州国に委ねるほかあるまい。…だが、それにしても当分は不可能か」

「…海軍に検討させていると伺った、『ティー・パーティー作戦』の方は?」

「鋭意準備中だとも。…もっとも、連邦に言わせれば手ぬるいそうだがね」

「まぁ、百万単位で屍の山を築いているのですから、それと比べれば…」

「全く、血を流すのは連邦兵だけにして貰いたいものだが…ふむ…」

「閣下?」

 

当の連邦国民が聞けば怒髪天を突きそうな意見をさらりと口にしながら、チャーブルは考え込み、そしてぽつりと呟く。

 

『使えるな』と。

 

何もフランソワだけが第二戦線であらねばならぬ道理はない。

要は帝国に東部以外の戦線構築を強いれば良いのである。

 

 

 

 

 

 

――そう、例えば帝国南方とか。

 

 

 

 

 




●業務等の都合により、次回投稿が2月になる可能性極めて大。
そのため、詰込みでお届けしております。ご了承ください



「タラン()()()()
元ネタはいうまでもなくタラント軍港。
ちなみに発音のポイントは、後半にアクセントを置き、胸を張って左手の人差し指を立てて顔の横まで持っていき、どや顔または満面の笑みで発声すること(ん?)。
春日型装甲巡洋艦一番艦「春日」はイタリア製だし、多少はね?

「ルイ・ピエール・ムイヤール」
ようやく回収できた伏線。(張った時期:2019年8月『進水式』にて)
張った本人も忘れかけていた←。

「盤木」
考えてみれば凄いことですよね。なにせ船という巨大構造物が、言うなれば積み木の上に乗っかっているのですから…。
なお、そのため大地震で上に乗っかっているブツが滑り落ちるとどうしようもなくなる模様。天城とか、天城とか、天城とか…

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