「…この面子でこの状況。3年前を思い出すな」
「3年前?」
首を傾げる戦務参謀次長、ハンス・フォン・ゼートゥーアに、作戦次長クルト・フォン・ルーデルドルフはニヤリと笑って、続けた。
「『ライン戦線の状況は?』」
ゼートゥーアの口から、あぁ、というため息がこぼれる。
そう言えばあれもこの部屋、この面子、同じようなチェス盤の上であったな、と。
そしてあの時と同様、レルゲン
「東方から南方への移動は、実に順調であります」
しかして、その内容はまるで正反対。
「イルドア国境方面への再配置も一両日中には完了。また、空軍の航空艦隊についても、間もなく展開完了との通知がありました」
同じ役者が揃っていながら、演目がこうも違うというのもなかなかに面白い。…と、他人事のように思いながらゼートゥーアも続けて言う。
「当然だが損耗も無しだ。戦闘が発生していないのだからな」
「結構なことではないか。…欲を言えば、もう少し回してほしいところだが」
「無いものねだりという言葉をご存じかね?これ以上の戦力抽出は東部戦線に悪影響を来しかねん。
じきに春が来る。なれば、冬眠から目覚めた
「…融雪による泥濘でむしろ動けなくなる。そう言ったのは貴様ではなかったか?」
「確かに言ったが、気象条件への過度な期待はしない方が良い。昨年、早めの降雪を想定したのに、現実はさらに前倒しだったのをお忘れかな」
「…あれは、嫌な事件だったな…。
なるほど、貴様の言うとおりだ」
「付け加えると連中の戦車のほうが泥濘に強い」
「技術廠の連中が頭を抱えていた件だな…。『新型』はまだ出来上がらないのかね?」
「出来上がるどころか…」
「何があった」
「…少し前の話になるが、要求された武装と装甲を満たした試作車が、道路を破壊して立ち往生したところだ」
「それでは話にならんな。戦場に辿り着けない兵器など、ただのガラクタに過ぎん」
「全くもって道理だな。…結局、今回も殿下の『アレ』が下りたらしい」
「『アレ』か。…いったい、殿下の頭の中はどうなっておられるのやら」
「少なくとも、我々のそれに比べて実に柔軟に出来ているのだろうさ」
「違いないな…」
両次長が溜息をこぼし、隣のレルゲン大佐も肩を落とす。
「……嘆いていても仕方がない。話を戻すが、イルドアの動きは本当に『ブラフ』で間違いないのだな?」
「イルドア海軍に動きなし。イルドア国内の物価や薬価にも変動が見られない以上、本気で何かしでかすという訳ではないだろう」
「3年前、共和国に隙を突かれたときもそう言っていた連中がいたが?」
「無論、忘れてはいないとも。何より、あのときしてやられた情報部が血眼になっているのだ。なにか異変があればすぐに気付くだろうよ」
「だと良いが…。いや、やはり最悪を想定するべきだろう」
「杞憂ではないかね?」
「杞憂ならばそれでよい。だが、
そう、『またも』。
協商連合に殴りかかった直後の共和国参戦しかり、ライン戦線に全力を投じた直後のダキア参戦しかり、帝国には、否、参謀本部には「不意を突かれた」苦い記憶がある。
いっそトラウマと言って差し支えないほどのそれを、イルドアは(知らないのだから当然だが)過小評価していた。
そのトラウマがあるがゆえに、参謀本部は激烈な拒否反応を示す。すなわち――
「間違っても『先制的自衛攻撃』などという、訳の分からん行動を起こしてくれるなよ?」
「無論、
…だが、火事になる前に火を消すのは当然ではないかね?」
「火にすらなっていないのに?お忘れのようだが、かの国は『同盟国』だぞ」
「ハン!敵か味方かすら分からないのが同盟国だと?いや、東部からの兵力抽出を強いたという点ではむしろ敵こ――」
「そこまでだ、ルーデルドルフ。それ以上は外交問題になりかねん」
「ここには3人しか居らん。問題にはならんよ。むしろ現実を直視しない方が参謀将校として問題ではないかね?」
「…つまり?」
「イルドアは脅威たりうる。何かあってからでは遅い」
「やられる前にやれ、と?」
「あちらさんがそのつもりならば、そうする必要があるだろう」
「それは作戦局の総意かね?」
「いいや、今は
――つまり、いずれはそれを選択する可能性があると言うこと。
…やはり、こうなったか。
ゼートゥーア戦務参謀次長は心中でそう呟き、そっと、一冊の本を目の前の同輩に差し出す。
「…これは?」
「先日、イルドアから通知のあったドゥーエ特使の著書、『制空』だ。例の戦略爆撃を論じた世界で最初の論文でもある」
「ほう、そんな御仁だったのかね」
「殿下のお知り合いには変わり者が多いらしい。そこにはこう書かれている――」
――地上作戦は、銃火器の進化により防御的傾向を強くする。むしろ今後の戦争は地上戦力によってではなく、攻勢を本質とする航空戦力により空中から敏速に決定的な破壊攻撃を連続し、敵の物、心の両面の資源破壊により勝利すべきである――
――我がイルドア王国は都市部に極端に人口が集中しているため、戦略爆撃をされると一ヶ月でイルドアは戦争の続行が不可能になる――
「…大佐、先ほど報告のあった空軍部隊の再配置だが、その内訳は聞いておるかね?」
「ハッ。大半が長距離爆撃機とその護衛戦闘機とのことであります」
「…なるほど。つまり、この本のとおりになるという訳か」
「少なくとも、殿下はそのつもりらしい。
そして、この本を書いたイルドア王国特使ジュリオ・ドゥーエはイルドア空軍の最高顧問。情報部によれば、今回の演習を企画したイゴール・ガスマン大将ともつながりがある」
「つまり、イルドアの連中は分かっているわけだな」
――自分たちが妙な気をおこしたら、なにが起こるのかを。
「そのとおり。地獄の釜が開くと知って、それに火を点ける馬鹿はおるまい」
「なるほど、貴様の言うとおりだが、一つお忘れではないかね?」
「それは?」
「ガスマン大将イコールイルドア王国ではないという点だ。
…開戦劈頭の我が軍上層部同様、楽観的に行動するバカがいる可能性は?」
「否定はせんよ。しかし、その場合は地獄の釜が開くだけだ」
「…ふむ、連中にとっては高い授業料だろうな。…作戦局としても、空軍で片が付くならそれが一番だが…。本当に片が付くのかね?」
「心配性だな、貴様も」
「準備段階では心配の種は尽きないものだ。貴様だってそうだろう?」
「ふむ。それもそうか…。しかし、先ほども言ったが無い袖は触れんよ。南方には現有戦力で頑張ってもらうほかあるまい」
「それではとても攻勢には出られんな。…なるほど、そういう点でも空軍に頼らざるを得んか」
「そういうことだ。もっとも、小官としてはイルドアにはこのまま中立でいてもらいたいものだが」
「何を言い出すかと思えば!ゼートゥーア、貴様耄碌したか?
敵か味方か分からん存在は、敵よりも厄介だということを忘れたわけではあるまい!」
「無論、純軍事的にはその通りだとも。
しかし、政財界の要人と話す機会もあったせいか、最近では違う『モノの観方』に気付いてね」
「ほぅ?それは?」
「程々のお付き合いの隣人でも、明確な敵よりはマシ、ということだ。
現に、貴様が今燻らせている煙草も、いまやすべて中立国経由だ。のみならず、農産品や鉱物資源もな。それらが途切れた場合、帝国は戦争どころか、国家の生存すら危うくなる」
「…それほどなのか?」
「それほどなのだ。…いまや、我が国の生産人口の大半が戦地にある。熟練工員を除けば、帝国の産業は周辺諸国からの出稼ぎに頼っている有様らしい。商務大臣は『低賃金でよく働く』と言っていたがね」
「それはイルドアからも、か?」
「それだけならばどれほど良かったか」
「なに?」
まだあるのか、と言わんばかりの朋友の表情に、『知らない方が幸せなこともある』という格言を見る思いで、ゼートゥーアは続ける。
「協商連合、共和国経由の物資は、地勢上どうあがいても大西洋を通らざるを得ん。つまり――」
「――連合王国の海上封鎖か」
「然り。連中、よほど我が国への海上輸送路を根絶したいと見える。表向きが中立国行きの積荷だろうが、臨検で『怪しい』と見なせば即時没収としていると聞く」
「なかなか乱暴な話だな。…待て、そう言えば協商連合経由で輸送トラックを仕入れているのではなかったか!?」
「ご明察。まさにそれが問題だ。戦務局としても頭を抱えているところでね」
無論、国産すれば良いだけの話だし、実際そうしているのだが。
問題は、その分、戦車をはじめとする戦闘車両の生産力が奪われることである。
「その点、内海航路はまだ安泰だ。イルドア海軍はなかなかに強力だからな。
途切れがちではあるが、アジア方面の帝国植民地と通信が保てているのもかの国のお陰というわけだ」
「物は言いようだな。それはつまり敵か味方か分からない連中に帝国の命運を握られていると言うことではないか!」
「…では聞くが、東部戦線に加えて、イルドア全土を占領し、統治するだけの戦力があるとでもお思いかね?」
「……」
「付け加えると、イルドア海軍に代わって連合王国と内海で対峙することにもなる。文字通り、海軍をもう一つ造ることになるだろうよ」
「夢のまた夢、だな。中立でいてもらったほうがまだマシという訳か」
「左様。幸い、先ほど言ったとおり連中も『火遊び』の対価が法外なことは承知している。少なくとも、ガスマン大将が健在な限りは大丈夫だろう」
「実に危うい保証だな」
「少なくとも、殿下はそれで問題ないとお考えだ。なればこそ、保養地での
――少なくとも、公式には。
「なるほど。…確かマインネーンだったか?」
「左様。かの地の温泉がいたくお気に入りのようでな」
「なるほど…。そう言えば警護は大丈夫なのか?」
「安心したまえ。休養と補充、訓練という名目でサラマンダー戦闘団を配置している」
ならば一安心、警護という点で、これほど頼もしい護衛役はいないだろう。
だが、その点については認めながらも、3名の顔が曇る。何故ならば――
「…ちなみに、ご指名か?」
「…ああ、今回も、だ」
「…レルゲン大佐。例の件はどうだ?」
「ハッ、お二方の命と言うことで、情報部にも依頼しましたが、『白』とのことです。
――殿下とデグレチャフ大佐の間に、血縁関係がある可能性は限りなくゼロ、と」
ツェツィーリエのデグレチャフ大佐の重用ぶりを、参謀本部で知らぬものはない。
この場合の重用は「酷使」に限りなく等しかったから、多くの参謀将校は大佐に憐憫の眼差しを向けていたが、詳細を知るものからは別の疑念の声が上がっていた。
すなわち、近すぎる、と。
親衛師団解体後、皇女が機密施設にデグレチャフ大佐を警護として視察に赴いたことがその声を一層強くしていた。思い出してみると、協商連合との和平交渉の席にすら、大佐を連れて行ったというではないか!と。
『妹がいればこんな感じなのかもしれんな』等々の問題発言の数々がそれを助長する。…思えばデグレチャフ大佐の両親を、誰も知らないのだ。
「密かに宮内省、宮内省病院にも問い合わせました。いずれも『ありえない』と回答しています。その時期、両陛下共に健康に不安があり、外出は極端に少なかったと」
「…大佐がいた孤児院に手掛かりは?」
「冬の朝、教会の門扉の前に毛布にくるまれた赤子が置かれていた、それが大佐であったとしか」
「哀れな…」
「『デグレチャフ』という名前からは辿れなかったのかね?」
「残念ながら、毛布に一緒に入っていた紙に書かれていたとしか。情報部が総力を挙げて親類がいないか調査したのですが…」
「…待て。情報部が見つけられなかっただと?」
「はい、その当時、その地域の戸籍を総ざらいしたそうですが」
「流れ者か…」
「ハッ。情報部によれば、正しくは『デグ
「なるほど、ルーシー革命時の亡命者か。辻褄は合うな」
「偶然かも知れませんが、彼女の副官もルーシー連邦からの亡命者です。ゆえに、情報部ではそのように見ていますが…」
「…歯切れが悪いな、大佐。何か不審な点でも?」
ルーデルドルフ作戦次長の問いかけに、レルゲン大佐は答える。
「…以前、鉄道部のウーガ少佐が彼女から聞いたことがあるそうです。『自分の父親は軍人でした』と」
「…まて、おかしいぞ。なぜそれを彼女が知っておるのだ?」
そう、おかしいのだ。
寒空の下、置き去りにされた赤子が、なぜ自分の父親のことを知っているのだ!?
――それがまさか、ライバルを挫折させるためのフェイク、演技だったなど、想像だにしない三人の想像は加速する。
「あの当時、帝国はルーシー連邦からの亡命者を受け入れてはいましたが、それに紛れての共産党員潜入を防ぐため、国境管理を厳格化していました。
さらに魔導師というのは遺伝的素質も大きい、彼女ほどの魔導師の親ならば、その父親も魔導師であった可能性は十分に考えられます。そのような人間が国境を越えたのならば、何かしらの記録が残っていそうなものですが…」
「…無いのだな?」
「少なくとも、情報部が調べた限りでは何も見つからなかったと…」
作戦次長室を静寂が支配した。
――知るはずのない父親の話
――見つからない入国記録
それらは参謀本部の二大巨頭をして、口を噤ませるのに十分すぎた。
「…大佐、その話、誰かに漏らしたりは?」
「本日、ご両所に開陳したのが初となります」
「実に賢明な判断だ。…両名とも、この部屋を出たらこの話は忘れるように」
「勿論だ。今この瞬間に忘れるとしよう」
「そうしてくれ。大佐もこの件についてはここまでとするように。…妙なものが出てくると大変なことになる」
「ハッ、承知いたしました」
かくて、誤解は訂正されぬまま固定化されることとなる。
事実、この後、彼らの間でこの話題が提起されることは、ついに終戦の日までなかったのである。
「クシュン!」
「おや、風邪かね?」
「おかしいな、そんな筈はないんだが…」
『近況報告』
リアル仕事:無駄に忙しい
艦これ:セッツブーン!