皇女戦記   作:ナレーさんの中の人

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短めです
原作6巻第4章のあたりになります


友人

統一歴1927年4月

 

 

市中の雑踏に、観戦武官のエーリッヒ・フォン・レルゲン大佐は心中でため息をついた。

 

そう、雑踏。

 

帝国から絶えて久しいネオンの明かり。

人々の笑い声と歓声、そして馬鹿騒ぎ。

老いも若きも、皆色とりどりの服を身にまとい、これまたカラフルに彩られた商店へと吸い込まれ、あるいは吐き出されてくる。

帝国では煌びやかな服は戦時下にあって不謹慎だという理由で――あるいは、喪服の出番が増えた結果――絶えて久しく、商店も灯火管制のため、夕方にはほとんどがシャッターを下ろすようになってしまったというのに。

 

なにより、見よ!

手を絡め合い、互いを見つめ合う恋人たちの道行く姿を!

今や労働人口をことごとく産業と戦場に投じ、それですら足りずに繰り上げ徴兵に手を染めた帝国では決して見ることの出来ないそれが、この情熱の国ではそこかしこで見ることが出来た。

なるほど、親愛なる同盟国殿は平和を謳歌しておられるようだ!…と、そこまで考えをめぐらして、レルゲンの腹にすとんと落ちるものがあった。

 

――ああ、なるほど。平和か…

 

この国に至るまでの鉄道事情も思い出されて、レルゲンの胸中はさらに暗澹たるものとなる。

 

統一歴1920年代の帝国からイルドアに赴く際、利用されていたのはもっぱら国際鉄道である。それはレルゲン大佐も例外ではない。だが、その列車に乗っている段階から、両国の置かれた状況の違いが如実に分かるものがあった。

 

 

それは、車両の揺れ。

 

 

帝国内を走る間、彼の乗った車両はかなり揺れた。それこそ、カップに入れるコーヒーの量を加減せねばならぬ程度には。

無論、軍人たるもの、悪路の揺れには慣れているから問題は無い。

だが国境を越え、車両の揺れが目に見えて落ち着いた瞬間、彼らの表情は強張る。慣れた手つきで()()()()()コーヒーを注ぐボーイにそれとなく問えば、あっさりと「イルドアに入るまでは加減しておりました」と白状する始末。

 

そもそも国際旅客列車というのは、半ば国家のメンツをかけて最優等のサービスがなされるもの。それは帝国とて例外ではなく、この列車も戦時下にあって戦前と変わらぬサービスを維持せんと努め、コーヒーも未だ一等上質なものを使ってはいたが、しかし、保線要員の払底――東部に根こそぎ駆り出されていた――からくる路盤のゆがみは、誤魔化しようがなかったらしい。

戦前のライヒは、帝国は、その技術力に誇りを持っていた。

特に鉄道技術は世界最高峰*1を自称して憚らず、機関車は勿論*2のこと、「ガタ一つない鉄路」を自慢してやまなかったのである。

 

…それが、この有様である。

 

全くもって、露骨な格差を体験させられる旅路であった。

加えてレルゲン大佐は後日、この列車で使われる食材もコーヒー豆も、今ではその全てをイルドアで仕入れ、積み込んでいることを知ることとなる。もはや、帝国では国際列車で供せるような上質な食材は手に入らない、あるいは高すぎて仕入れることが出来ない、と…。

 

苦いものがこみあげてくる帝国人だったが、そんなものは序の口でしかなく。

イルドア中央駅に降り立った瞬間、彼の脳裏をこんな思いが占めることとなる。

 

 

――ここは別世界か?

 

 

明るい街並み、陽気な人々、そして燦燦と降り注ぐ太陽。

街道が閉鎖されず、検問もなく、あまつさえ、自家用車が自由に行き来する光景。灯火管制と言う概念すらない世界が、そこには広がっていた。

戦争とは無縁の人々の営みを目の当たりにして、帝国軍人たちの足は思わず止まる。

戦時下ゆえの閉塞感、灯火管制に包まれた帝都を『灰色の世界』と評するならば、まさにここは『光に溢れた別世界』だった。

 

もっとも、彼に春の世界をゆっくり眺める(いとま)は与えられなかった。

レルゲンが駅に降り立つと同時、イルドア王国陸軍省差し回しの車がやって来て、丁重に(有無を言わさず)ホテルへと彼を送り届けたのである。

()()()()の良さに、彼は苦笑するほかなかった。

 

「…少なくとも、ホテルの料理に罪はあるまい」

 

そう独り言ちながら、レルゲン大佐は今の帝国ではありえない豪勢な――イルドアにおいてはさして珍しくもない――夕食に舌鼓を打つのだった。

 

 

 

 

 

 

そんな、たった数日前のことを思い返すレルゲンを乗せて、イルドア陸軍省の車は町中を()()()()()ゆく。

わずか数日のイルドア王国滞在ではあるが、彼は如才なく社交辞令を交わし、謹厳実直な帝国側観戦武官として、イルドア側の応接員と渡り合い…

そこでふと、レルゲンは気付く。

 

――待て、通り過ぎて?

 

彼は違和感を覚えた。

なるほど、レルゲンにイルドア駐在の経験はなく、地理不案内なのはどうしようもない事実。だが、そうであっても帝国陸軍参謀将校ともなれば、車窓から自分の位置を大まかに把握することは出来る。なにより彼はイルドアに赴く際、ルーデルドルフから『イルドアの兵要地誌を把握せよ』と念押しされているのだ。

当然、気付くことがある。すなわち――

 

「カランドロ大佐殿。一つ、宜しいですか?」

「なんなりと、レルゲン大佐殿」

「私の逗留しているホテルは、こんな街外れではなかったはずだが?」

 

すると、昼間知り合ったばかりのイルドア人は悪戯がばれた子供のようににやりと笑って、さすがは参謀本部きっての俊英、レルゲン大佐殿であらせられると嘯きながら続ける。

 

「実は、大佐殿と是非に会いたいと仰る方々が居られまして」

「…ほう?それは、ガスマン大将閣下のことかな?」

「然り。ですが、他にも何人かお見えになるはずです」

「…昼間にもお伝えした通り、小官は外交官ではないのだが?」

 

そう、レルゲン大佐は己の職責をよく弁えた軍人であった。

なればこそ、昼間カランドロ大佐から伝えられた提案――すなわち、イルドアの仲介による和平交渉――についても、こう答えていたのだ。

 

『外交交渉や摂政に関する権限は、軍のものではありません。在イルドア大使館を通じていただくのが筋でしょう』

 

「そう硬くならずとも宜しいかと。大将閣下は『同盟国の友人と話してみたい』とのことですので」

「なるほど。友人、ですか」

「ええ、同盟国の友誼を温めたいと」

「…それはまた、ありがたい申し出ですな」

 

よくもまぁ…、とレルゲンは心中で呆れ声を上げざるを得ない。

 

同盟国とは名ばかりの日和見。

 

演習で目にした数々の『どこかで見覚えのある(東部戦線で見かけた)武器類』。

 

極めつけは、『第三国』からの見学者。

 

いずれをとっても帝国からすれば看過しがたい裏切りであり、ましてや『未回収のイルドア』を持ち出してくるなど、全く、友人が聞いて呆れる!

 

 

 

 

 

 

だが、ほどなくして到着した瀟洒な館で、レルゲンのそんな憤りは吹き飛ぶこととなる。なんとなれば――

 

 

「やぁ、来たな」

「で、殿下!?」

 

 

――マイネーンで静養しているはずの、帝国皇女殿下がそこにいたのだから。

 

*1
実際、関節式蒸気機関車に関しては他の追随を許さぬシェアと技術力を有していた

*2
1910年代において、ライヒ製工業製品輸出の中でも最大の「稼ぎ頭」となっていた




真面目に2月いっぱいは執筆時間ガガガ

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