皇女戦記   作:ナレーさんの中の人

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…おかしい。忙しいから思いつくまま考え無しに書きなぐってただけなのに…?


冷酷な未来予測(その1)

統一歴1927年4月某日

イルドア王国内のとある瀟洒な館に、4人の男と2人の少女が集った。

 

それは、いかなる文献にも記されることのない秘事。

 

だが、この会談こそが、その後の歴史を大きく変える一幕であったと、後にレルゲンは回顧することとなる。

 

 

 

 

 

「――これから話す内容は極めて微妙な問題も含む。よって、ここにいるのは『嵐に遭って近くにあった洋館に駆け込んだ結果、偶然集まった面々』。この後、イルドアや帝国で見かけても、それはよく似たただの他人。…これで良かったかな?」

「ええ。まったくその通り」

 

『ガスマン大将のそっくりさん』はそう言って大いに頷き、バルコニー越しに()()()()()を見上げた。

 

「いやはや、全くもって()()()だ。これでは今宵はここに逗留するほかありますまい。そうは思わんかね、()()()()さん」

「ええ、ええ。そのとおりですとも()()()()殿()。老体にこの雨はいささか厳しい」

「私もここではただの『セシリア』、そこの幼女は『タチアナ』。よろしいかな?」

「結構、結構。表の若い衆(イルドア王国情報部)にもしっかりと言い含めておくとしましょう。ああ、警備をさせているだけなので、(外は此方の手の者で固めた。)お気になさいますな(妙なことを考えるなよ?)

「ハッハッハッ、当然のことでしょう。こちらも邸内の使用人(帝国情報部)にきっちり言っておきましょう。無論、念には念をというだけ(そっちこそ、何かあったら)の話ではありますが(分かっているだろうね)。近頃は何かと物騒ですからね」

「全く、違いありませんな」

 

はっはっはっ、と笑いあう二人だが、その目は全く笑っていない。

 

「――では、早速私から。…エーリッヒ殿。貴殿は昼間、そこの若いものから興味深い提案を受けたはずだが、どう思ったかね?」

「…小官の応えうる範疇に無いかと」

「硬い。さっきも言ったが、ここにいるのはレルゲン大佐ではなく、そっくりさんだぞ?」

「…性分ですので」

「本音をため込むのはよくないな。苦労するぞ?」

 

誰のせいだ!?

と、叫びたいのを懸命にこらえるレルゲンに気付くことなく、少女は横の幼女に問いかける。

 

「では、タチアナに聞くとしよう。

 

 

――この戦争、帝国は勝てるかね?」

 

 

場の空気が固まった。

余りに直球過ぎる問いかけであり、イルドアの老獪な大将閣下とて、直接口に出すことは憚られるようなそれ。

 

しかし、()()()()()()()()()()()()()()幼女は、あっさりと答える。

 

 

 

「無理です。不可能と言って宜しい」

 

 

 

「「「「ッ!?」」」」

「理由は?」

 

息を呑む周囲に構うことなく、()()()()は続ける。

 

「単純な算数の話です。敵が多すぎる。帝国軍が如何に精強無比と言えど、一国で世界を相手に出来るとお思いですか?」

「ふむ、連邦と連合王国。目下の交戦国はそれくらいのはずだが、それでも多いかね?」

「二正面戦争という時点で、軍事的には大失敗でしょう。

しかも、相手は無限の国土と無尽蔵の兵力を持つ連邦と、大西洋における絶対的制海権を握る連合王国。いずれも帝国の兵力では屈服させることは不可能。

…加えて『レンドリース』と言う体で、この戦争にどっぷり関与している大国があります」

「合州国か。しかし、連中は孤立主義だが?」

「笑止。融資先が破産して困るのは金融機関です。ゆえに、彼らは多少強引な手を使ってでも、利益を確定させに来ることでしょう――」

 

そう言えば…。

少女二人の会話を見ながら、レルゲンの脳裏をよぎるものがあった。

 

『合州国から連合王国への武器弾薬供与について、意図的なリークがある』

『最近では合州国の船と連合王国の船の識別が困難になっている。…なにせ、連合王国の商船も合州国製が増えてきたからな…』

『帝国海軍は細心の注意を払っているが、船籍確認は困難さを増している』

『いつ間違いが起こっても不思議ではない状況』

 

「――加えて、連合王国からすれば、かの国の参戦こそ喉から手が出るほど渇望する一手。

両国の歴史的つながり、そして工業製品分野における帝国製と合州国製の競合を思えば、大義名分さえ出来てしまえば、合州国は海を渡るに違いありません。

しかも合州国はここ数年、『国際情勢の悪化に対応するため』と称し、陸軍を増強しているとのこと。…おそらく、渡海を念頭に軍備増強を進めているものかと」

「防ぐ手立ては?」

「ありません。なんとなれば、大西洋の制海権はなおも連合王国にありますから」

「先んじて連合王国に上陸、占領するというのは?」

「逆立ちしても不可能です。そのことはセシリア嬢が一番ご存じのはず」

「確かに。通商破壊戦ならともかく、艦隊決戦ではどうあがいても分が悪い。

…しかし、現状では全戦線で優勢を保っている。このままどうにか出来ないのか?」

「確かに現状、連邦も連合王国も帝国を打破しうる状況にありません。

 

 

――が、時間は彼らの味方です」

 

 

「詳しく」

「ハッ。まず連邦ですが、彼らは戦場という教室で莫大な授業料(戦死者)を払い、急速に学習しつつあります。また、連邦軍戦車の硬さは非常に厄介です」

「戦訓を得て、連中が戦車の効率的運用を覚える時が来る、と?」

「然り。既に、その兆候を目撃しております」

 

()()()()の言うとおり、連邦軍は学習を始めていた。

目下、帝国軍は東部戦線において優勢のうちに防衛戦を続けている――矛盾しているようだが、事実だ――が、ひやりとさせられることが増えつつあるのも事実。

そういう場面で「火消し役」に呼ばれることの多いサラマンダー戦闘団団長の言うことには、実感がこもっていた。

 

「加えて東部へ疎開したという連中の工場群。これらも機械類の移送、据え付け、調整を思えば、疎開直後には生産能力が落ちているものと想像されます。ですが――」

「いずれ生産力を回復する、と?」

 

悪夢に等しい予想に顔を顰めるレルゲンだが、幼女は続けた、『いいえ』と。

 

「状況はより深刻でしょう。多くの武器弾薬を欲しているのは連邦軍とて同じはず。…となれば、新工場はこれまでよりはるかに大量の武器を製造できるよう構築したと考えるべきです」

「ッ!?」

「道理だな。ふむ、新工場を戦略爆撃で叩くというのは?」

「良いアイディアですが達成困難かと。

何故なら距離的に可能だとしても、途中で発見され、邀撃されるのがオチでしょうから」

「確かに」

「再度疎開され、最悪シルドベリアまで逃げられては、手も足も出ません」

「いちいちもっともな指摘だ。つまり、いずれ帝国は東西両方から攻め込まれる、と?」

「可能性は十分かと」

 

口では可能性と言いつつも、ターニャは確信している。

『オーバーロード』と『バグラチオン』。

西暦世界のドイツを打ちのめしたそれを、彼女は知っている。

そして、それは問いかける体で話を誘導したツェツィーリエも同様である。ゆえに――

 

「帝国が取るべき方策は?」

 

――『予定どおりの』問いかけに、幼女は打ち合わせのとおり即答する。

 

 

 

 

「即時無条件の講和。これ以外にありますまい」

 

時間が経てばたつほど、状況は悪化する。そう告げた幼女に、少女は大いに頷いた。

 

 

「卓見だな。見事な予想と言えるだろう。貴殿はどう思われる、イゴール殿?」

「親愛なる同盟国殿が斯様な窮地に立たされるなど、想像するだけで胸が痛みますな」

 

いけしゃあしゃあと述べた『同盟国』の大将閣下は、ですが…、と神妙な顔つきを一変させて続ける。

 

「これ以上の戦争継続は、帝国の致命傷となるでしょう。その点については全く同意見です。もっとも、これは他の交戦国にも言える事ですが」

「ほう。連合王国や連邦も危ういと?願ったり叶ったりだが、それは?」

「戦費の問題です」

 

『かの大将によく似た人物』は続ける。

 

「老婆心ながら、観戦武官らの報告から交戦国が費やした戦費を推計したところ――」

「国家財政が破綻する?」

「然り。どこも起債、つまり借金をして戦費をやりくりしております。これについて、我が国の財務官僚に言わせれば――」

 

 

『今この瞬間に戦争が終わっても、交戦各国は借金返済に半世紀を費やすでしょうな。…否、債務不履行に陥っても不思議ではありません』

 

 

「――そうなれば、欧州経済は今後50年間、否、100年近い氷河期に突入するでしょう。そうなれば、我がイルドアも無事ではいられません」

「流石は中継貿易で栄えた国と言うだけはある。経済でこの大戦を測られたか」

「左様。いかにご立派な大義があっても、その日のパンに窮するようでは意味がありますまい?」

「至言ですな。国粋主義者に聞かせてやりたいものです」

「然り、理想だけで食えるなら苦労はないというもの」

 

頷くイゴール氏には思い当たる節があるのだろう(共産主義者の跳梁跋扈)。その表情は苦り切っていた。

 

「…ところで、話が出たついでにご教示いただきたいのですが」

「なにかな?」

「貴国の戦争国債。大半を内国起債に頼っていると聞きますが、真で?」

「事実だとも。帝国国民は愛国心に溢れていてね」

「国内経済への影響が心配になりませんか?」

「…さて。その辺は財務省の領分だろう。そちらに聞いておくれ」

 

 

私は知らん、と嘯く少女だが、彼女は知っている。

 

帝国は、戦前に貯えた資産を戦費に費やしているのだ、ということを。

 

 

 

――そもそも、共和国や協商連合が帝国との開戦を決意した要因の一つに、『貿易問題』がある。すなわち、高品質低価格の帝国製工業製品によって、自国の産業が甚大なる損害を被ったことが背景にある。

 

時に、統一歴1917年。

帝国は、否、ツェツィーリエは『武器規格統一令』を制定。これはその名のとおり、当初は武器弾薬の製造・配備のみを対象とした方針だった。

だが、兵器製造を担っていた帝国工業界の人間たちはほとんどすぐに、これが民生品にも応用の利く、いや、むしろ武器弾薬とは比べ物にならぬほど――まだ戦争なんて影も形もなかった時代である――製造数の多い民間向け工業製品にこそ、『規格化』は絶大な威力を発揮する、と。

なにせ、部品の在庫管理から修理部品の手配、発送時の詰込みスペースの心配に至るまで、規格化によってもたらされる恩恵は計り知れない。

 

かくして、帝国製工業製品は「低価格高品質」の代名詞となり、全欧州で飛ぶように売れた。

 

 

と言うことは当然、その代金は帝国に流れ込んでいる。

 

 

それは労働者の賃金となり、工場主の資本家の財となり、あるいは税金として帝国に納められた。――戦前の帝国は、他の欧州各国が不況にあえぐ中いち早く景気回復を成し遂げたばかりか、その財を吸い取っていたのである。

 

このときの恨みこそが今次大戦の引き金の一つ。

そして、そのときにため込んだ資産を、今日(こんにち)の戦争国債購入に充てていることを思えば、なんと皮肉なことか!

 

 

「エーリッヒはどう思う?なにか反論はあるかね?」

「…()()()()()の言うことは理に適っております。ですが…」

「ですが…?」

 

首を傾げる女性二人に、レルゲンは告げる。

 

「即時無条件の講和など、国民が納得するとお思いですか?」

「何故です?勝つ見込みがなく、状況の悪化は避けられない。で、ある以上、道は講和しかありますまい」

「――そして相手に呑ませる以上、戦前の国境、主権に戻す形での講和しかない。そう言いたいのだろう?」

「はい」

 

レルゲンも考えなかった訳ではない。

昼間カランドロ大佐から講和斡旋の話があったときから、その事は考えてはいたのだ。

講和というのは交戦国両方が納得し、サインしなければ発効しない。

然るに連邦も連合王国も未だ戦意十分となれば、落としどころは『戦争前への回帰』しかないだろう、と。

分かっているではありませんか、と言いたげな()()()()()の顔に、しかし、レルゲンは残酷な事実を告げねばならない。

 

 

「これまで帝国が一体どれほどの戦費と、人間を投じたか知らぬわけではあるまい?」

 

 

レルゲンの言うとおり、帝国はあまりに多くのものを、大戦という火のゲヘナに投じていた。

「それだけ注ぎ込んだにも関わらず、得るものが何もない。…否、国債のことを思えば敗北に等しい。少なくとも、国民の大多数はそう思うだろう」

「しかし、このまま戦争を続けた場合、待ち受けているのは――」

 

 

「――それだ」

 

 

「…は?」

 

呆けた表情のデグレチャフなど、そうそうお目にかかれるものでは無いな、と頭の片隅でそんなことを思いつつ、彼は告げる。

 

「貴官のように各種情報を繋ぎ合わせ、冷徹な将来予測を立てられる人間など、市井にどれほどいると思うかね?」

「ッ!」

「――加えて、貴官が口にした情報の多くは軍事機密。一般人はおろか、方面軍司令レベルの情報だぞ……全く、どこでそんな情報を仕入れるのやら…」

 

口では呆れた風に言いながら、彼の視線は一人の少女を捉えている。

その視線の先にいる、にやにやとした表情を隠そうともしない少女が続ける。

 

「加えて一つ重大な問題を、それこそ全帝国国民が罹患している厄介な病気について説明しようか」

 

 

――病気?

 

 

言われた幼女はおろか、その場の全員が疑問符を浮かべる中、少女は謳う。

 

 

 

「『帝国、それは勝利である』」

 

 

 

「「っ!」」

「帝国に産まれたものならば、それこそ子守唄にして育つ格言だ。イゴール殿も聞いたことはあるのではないかな?…まぁ、貴殿らにとっては笑止千万だろうが」

「流石にそのような。…まぁ、過大表現ではないかと思うことはありますが――」

 

「そのとおり。過大表現だとも」

 

「…は?」

まさか、当の帝国皇太女から言われるとは思っていなかったイゴールの口からそんな声が漏れる。大佐に至っては目が点だ。

 

「常勝無敗?百戦百勝?そんなもの、英雄譚かおとぎ話の存在だよ。

 

――だが、厄介なことにそれを子守唄として育ってしまった国家があるとしたら?」

 

「…まさか、まさか勝利以外を受け入れられない、と!?」

「厳密には『勝利以外を知らない』というべきだろうね」

 

信じがたいと叫ぶジュリオ氏に、セシリア嬢は重々しく頷く。

 

無論、そんなことはありえない。

そもそも現在の帝国の母体となったプロイツフェルン王国からして、小国ゆえに周囲の大国に翻弄され、搾取され、屈服を強いられた時代を有する。

確かに帝国の開闢には、プロイツフェルン王国軍人による劇的勝利の数々があったのは紛れもない事実。

――だが、それだけで『帝国』が誕生するなど、ありえるのだろうか?

 

答えは『否』である。

 

輝かしい軍事的勝利の陰に隠れて見過ごされがちだが、外交官たちの血の滲むような努力、妥協、密約があればこそ、『帝国』は誕生できたのだ。

いや、もっと言ってしまえば、「外交努力で勝てるだけの条件を整えて戦った」というのが事実だろう。

 

そう。連合王国をして『外交の化け物』と言わしめた、あの名宰相の悪魔じみた外交手腕があればこそ、帝国は成立したのだ。…だが、それらは物語において捨象された。

 

その方が美しく、煌びやかで物語として出来が良い――勝てる条件を整えてからの、戦争という名の消化試合の記録(史実)と、圧倒的不利をひっくり返しての劇的勝利(英雄譚)ではどちらが物語になるかなど、言うまでもあるまい――し、周辺列強への威圧にも好都合だったからかも知れない。

さしずめ、砲艦外交ならぬ『神話外交』(常勝無敗神話)とでも言うべきか。

もしくは、もっと単純な理由――かの宰相と、二代皇帝の仲がすこぶる悪かった――からかも知れない。

 

 

ともあれ――

 

「――問題は当の帝国人、一般国民がそれを信じきっていることだ。

つまるところ、帝国自体が『勝利を社会契約とする』国家になってしまっている」

「…それは、色々と無理があるのでは?」

「然り。本来無理がある」

 

だが、その『無理』を()()()()()押し通せてしまったのが帝国という国家の、当時においては幸運で、今となっては悲劇であったろう。

 

「領土拡張戦争、植民地争奪戦争、極東事変…その全てで帝国は勝利した。あるいは、国内向けに勝利と言い切れるだけの成果を収めた」

「…不敗神話は事実となった、ですか」

「実際には、『外交努力で勝てる条件を整えて』から戦っているだけの話なのだがね。

まぁ、その当たり前を実行出来ているという点でも十分賞賛されるべきだが」

 

そもそもだ、とセシリア嬢は言う。

 

「戦争というのは、勝てるだけの条件…外交、補給、戦力、その他もろもろすべての条件を整えてからするもの。『やってみなければ分からない』『やればなんとかなる』という戦争は、大抵悲惨な結末を迎える。ごく一握りの例外を除いて」

「例外?」

「ハンニバルやボナパルトの類さ。我々凡人にあんな『戦争の天才』と同じことが出来てたまるものか。それが出来たからこそ彼らは伝説なのだ」

「確かに。そのとおりですな」

「だろう?」

 

 

 

その点、草創期の帝国首脳陣は苦悩したに違いない。

なにしろ帝国は、その立地と成立過程からして四方を仮想敵国に囲まれている。

その状況下で、『勝てるだけの条件』を整えるという無理難題が突き付けられたのだ。当時の帝国首脳陣…軍部、外交官、政治家たちは悶え苦しんだに違いない。

特に軍人は、軍人である以上、どれほど苦しい条件下であっても国家の防衛、勝利を至上命題とせねばならぬ生き物である。

 

その点、帝国ほど悪条件の揃った国家も珍しいだろう。

 

兵力は有限。

周囲は敵だらけ。

しかも東西揃って陸軍大国のルーシー帝国にフランソワ。北洋を隔てた先には七つの海を制覇せし栄光のアルビオン連合王国。

これで勝てと言われて、勝てる方がおかしいのだ。

 

「いっそのこと先んじて相手国を占領し、屈服させ、城下の盟を結ばせることが出来ればと思ったこともあっただろう。そしてその度に打ちのめされたに違いない、『不可能だ』、と」

 

苦しみ、懊悩し、悶え苦しんだ果てに参謀本部が見出した、たった一つの『勝利の方策』。

 

 

 

それが、『内線戦略』(プラン315)だった。

 

 

 

「当時の帝国軍人は偉大だった。攻め込んで勝つのは不可能だと割り切り、限りあるリソースを防衛戦に特化させる英断を下したのだから」

 

しかし、それはプロイツフェルン王国時代の塗炭の苦しみ、帝国開闢に至る茨の道を知っている世代だったからこそなしえた苦渋の決断。

 

時が経ち、帝国の国力が増進する中で、彼らの末裔は『恐懼』することを忘れた。

 

「常に周辺の大国の顔色を窺っていた王国時代の「畏れ」、「慎み」は過去のものとなった。それを顕著に示しているのも『帝国、それは勝利である』という言葉だ。そうは思わないかな?」

「…身につまされる思いですな。我がイルドア王国にとっても他人事とは思えません」

「十分に気を付けられることだ。歴史上、苦難を乗り越えて大国となった元小国が、調子に乗って滅んだ例はごまんとある」

 

 

 

――西暦世界の日本がそうだったように。

その場の女性二人に去来したのはそんな思いであったろう。

 

西欧列強の来寇と不平等条約

統一政体の確立

不平等条約の改廃と歴史的大勝利

そして有色人種の中で唯一、『列強』に一角を占めるに至った『帝国』。

…その後の国際的孤立と敗戦、焦土に思いを馳せたとき、今の状況となんと重なって見える事だろうか、と。

 

 

 

「そして帝国は、厳密には陸軍参謀本部は開戦劈頭、盛大にやらかした」

「それは?」

「…ノルデンへの大規模攻勢……」

 

思わず、といったように漏れたレルゲン大佐の言葉に、少女は首肯した。

 

「精緻に計算された内線戦略が、あれで一気にご破算になった。がら空きになった西部への共和国参戦こそが、今次大戦の引き金と言っていいだろう。限定動員に留めるべきだったのだ」

「…なぜ、止めなかったのです?」

「…正確には『止められなかった』だよ、ジュリオ殿」

「?」

 

そこまで分かっていながら何故、と首を傾げるイルドア人たちに、少女は溜息一つ漏らして、告げる。

 

「あのとき大規模動員、協商連合への逆進攻に反対していたのは、私以外にはたったの二人。当時どちらも()()だったルーデルドルフとゼートゥーアのみだった」

「なんと…」

「何より、逆侵攻を最も強硬に主張していたのが当時の作戦次長だ」

 

当時『統合作戦本部』は影も形もなく、皇女ツェツィーリエには――名目上はともかく――実際の権限はほとんど無かった。

皇帝陛下も軍事については全くの素人で、加えてこの当時、調子が悪く寝込んでいた。

軍事のことは『専門家』に委ねられており、その専門家が盛大に失敗したのである。

皇女が軍の統帥に積極的に関与するようになるのはこれ以降、やらかした連中が更迭され、ルーデルドルフやゼートゥーアといった、彼女のシンパが軍中枢を占めるようになってからのことである。――いや、この苦い経験があったからこそ、彼女はのちに『統合作戦本部』を立ち上げたというべきだろう。

 

「当時主流だった考えは『この機に協商連合を叩き潰そう』だ。これもまた分からんではない」

「…どういうことです?」

「『恐怖』と『欲』、それと『大義名分』だよ」

 

 

――繰り返すが、帝国は仮想敵国に囲まれている。

それに加えて、帝国の国力伸長を脅威と見た共和国と連合王国が近年急接近し、協商連合、ダキア大公国にも声をかけての『帝国包囲網』を形成しつつあった。

その誘いの声が、イルドアやルーシー連邦にもかかっていると知ったときの帝国の恐怖は如何ばかりのものか。

 

「周囲を顕在敵国に包囲されるという悪夢。…誰だってそんなモノからは一刻も早く醒めたいと願うだろう」

 

 

――そう、彼らは願ったのだ。

 

――願ってしまったのだ。

 

『協商連合国の撃滅による、帝国包囲網打破』を。

 

 

加えて帝国の場合、なまじ過去の成功体験――勝てばより多くのものを得られる――があった。『恐怖』と『欲』が危険な結合を果たしたのは、むしろ当然の帰結ですらあった。

 

「トドメは越境してきたのは協商連合国側という『大義名分』。

…それに一度約束を破った連中が再び約束を破らないなど、誰が保証できる?――それならいっそ徹底的に叩き潰し、併合してしまったほうが悩まずに済む」

 

恐怖、欲望、大義、猜疑心。

 

これだけのものが揃った状況で、必要最低限にまで抑制された対応を取れる人間など、そう多くはあるまい。

『戦えば、勝てる』

無意識下で、そんな信仰心が帝国人の中にあったとすれば、なおのこと。

 

「そう考えれば、西方方面軍の転出はむしろ合理的判断だったともいえるだろう」

「何故です?結果から見れば、中央軍だけに留めるべきだったでしょうに」

「結果から見ればそのとおり」

 

だが、当時の参謀連はこう考えたのだ、とセシリアは告げる。

 

「『あまり時間をかけては共和国の参戦を招く。

――ならば、共和国が介入する前に、迅速に協商連合を叩き潰さねばならぬ』、と」

「!」

 

 

言うまでもないことだが、軍隊というのはとても大規模な集団である。

平時の体制から戦時の体制に移行するには、当然それなりの期間を必要とする。

…無論、議会答弁の類では、いついかなる時も、とか、常在戦場という言葉が使われるが。

 

「『通常の招集では間に合わない。しかし、短期間でケリをつけるには大軍を投じる必要がある』…矛盾だな。時間はないが人も足りない。人を集めようとすれば時間がかかり過ぎ、時間を短くすれば今度は人が足りない。このジレンマに対し、当時の戦務参謀次長殿が閃いた次善の策というのが――」

「――方面軍の北方への転用」

「そのとおり。これならば短期間のうちに大量の、それも練度も装備も十分な一線級部隊を用意することが出来る。そして帝国の鉄道網は中央軍の迅速を想定して敷設されている。ならば、方面軍も動かせない道理はない。…誤算は、共和国が我々の予想以上に素早かった事だな」

 

 

事実、当時のフランソワ共和国もかなり無理をしていた。

帝国人はすっかり失念していたのだ。

…あるいは、気付いてすらいなかったのだ。

 

――帝国が周囲の仮想敵国を恐れるのと同様、周辺国もまた帝国を恐れていると言うことに…。

後年、当時のシューゲル技師が大戦の根本的理由を述べて曰く。

 

 

『帝国という耐え難い恐怖』

 

 

なればこそ、帝国西部がガラ空きとなった瞬間、フランソワは自国の動員が完了するのを待たず、帝国領内へとなだれ込んだのだ。

 

「今をおいて、『帝国という恐怖』を拭い去るチャンスはない」、と。

 

逆を言えば、そんな泥縄式の侵攻だったからこそ、兵力の過半を抽出された帝国軍西方方面軍であっても崩壊を免れたのだ。

以降、両軍は帝国西部に増援部隊を逐次投入するという、軍事的に見れば愚策中の愚策を繰り返すことと――イルドアなどの第三国から見れば――なったのである。

 

 

「――『歴史にIFはない』という言葉がある」

「それは…?」

「歴史に心あるものが過去を振り返ったとき、必ず一度は通る道さ。『あのときああすれば、こうしていれば…』とね。

しかし、調べれば調べるほど『ああ、あれはなるべくしてなったのだ』と打ちのめされることになるのさ。――ちょうど、今の私のように、ね」

 

 

少女はからからと乾いた笑い声をあげた。

 

時に、統一歴1927年4月。

 

春の夜だというのに恐ろしいほどその夜は寒く、体が震える思いがしたと、その場にいた人間は後年回顧することとなる。

 




…1万超えて思い付きの半分にも辿り着かなかった、だと…?

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