皇女戦記   作:ナレーさんの中の人

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冷酷な未来予測(その2)

ひとしきり乾いた笑い声をあげた後、少女はぽつりとつぶやく

 

「…嘆いても仕方がない。これからのことを考えねばな」

 

 

――その眼は、未だ諦めてはいなかった。

後に、レルゲンは回顧録でそう書き記すこととなる。

 

 

「――では?」

「講和しかあるまいよ」

 

とはいえ…、と、()()()()は続ける。

 

「早々には不可能だろう。この場にいるのは皇帝でも何でもない、ただの小娘なのだからな」

「…今はまだ、の間違いでは?」

「絶対王政じゃないのだぞ?それも『勝利』しか知らん帝国人の説得までセットとくれば、それはもう難事だろうよ」

「それはそれは。心中お察しします」

「他人事のように言ってくれるな、イゴール殿」

 

実際、他人事なのだが、と苦笑した少女は、しかし、直後にその笑みを切り替える。

 

 

 

「――しかし、これからは他人事ではないぞ?」

 

 

 

それは…と顔を顰めるイルドアの大佐殿(カランドロさんのそっくりさん)に、少女は告げる。

 

「イルドアは名乗りを上げたのだ。『我々は帝国とは違う中立国だ』と。

――である以上、色々なところから出演オファーが来るだろう」

 

にやり、と。

口角を上げて笑うさまは、いっそ嘲笑といって差し支えなかった。後年、その場にいた人間は述懐することとなる。

 

そもそも、国際的にはイルドアと帝国は()()()()にある。

その実態がお寒いものであろうとも、だ。

加えて、実際イルドア王国と内海航路は、連合王国の対帝国海上封鎖に対する『風穴』として機能している。かの国のお陰で、帝国人はカフェイン途絶という塗炭の苦しみを免れているのだ。…たとえそれがぼったくり価格であっても。

最近では協商連合や共和国も中立国の立場で――後者は連合王国嫌いからか、やや積極的に――帝国経済に寄与しつつあるが、この両国の海上交通網は大西洋、つまり、連合王国による海上封鎖を免れない。その点からも、やはり「イルドアと帝国は密接な関係にある」のだ。()()()()()()

 

だが、今回の大規模演習はその前提を覆した。

 

それは発案者(ガスマン)の予想通り、帝国軍の激烈な反応を引き起こした。

彼らが慌てふためいて東部戦線から兵力を引き抜いたことは、即座に関係諸国に知れ渡る。

なにせ、東部軍の戦略予備大多数が再転換である。隠しおおせるはずがなかった。

同時に、水面下でイルドアから打診された「和平案」。

これらの動きは、交戦各国をして、ある確信を持たせるに十分であった。

すなわち――

 

『帝国とイルドアの関係は、予想していたより密接強固ではない。

…否、むしろイルドアはこの帝国の戦争に巻き込まれるのを拒絶している!』

 

同盟関係にあると見られた二国間に生じた齟齬、もしくはすれ違いとも形容すべきそれを放っておくほど、「戦争」というヤツは紳士ではない。

寧ろその本質は敵失を喜び、その傷口にあわよくば猛毒を塗り込まんとする悪意の塊。少なくとも、その道のスペシャリストたる「かの国」が、この好機を見逃すわけがない。

 

 

 

「私の予想が正しければ…、イゴール殿。この手のこととなると手癖の悪い、あの紳士の国から熱烈なラブコールが届いているのではないかな?」

「ほう?なぜ、そう思われるので?」

「なぁに。私が連合王国人だったら考えることを述べたまでさ。…そして連中のことだ。裏切りの見返りに『例のあの場所』(未回収のイルドア)を持ち出したのだろう?」

「…そう言えば、本日の演習会場で連中を見かけましたな」

「それは本当かい、エーリッヒ?これはますます匂うねえ。…で、実際のところどうなんだい?」

「…全く。お嬢さんの前には、かの国の二枚舌外交も形無しですな」

 

にやにやと笑う少女に、観念したように男は答えた。

 

「では?」

「ええ。ですが、まだ接触があった程度です。そこは紳士の国、開口一番本題には入ってくれませんな」

「奥ゆかしいのか、人には言えない内容なのか、どちらだと思う?」

「あの国のことですぞ?考えるまでもありますまい」

「然り然り。甘言には十分にお気を付けなされよ」

「おお、怖い怖い。ですがご安心を。あの国のやりようはよく分かっておりますから」

「それは結構なことだが…。しかし、その程度で諦める連中ではあるまい」

「…確かに。連中の手の長さと手癖の悪さは常軌を逸しておりますからな」

 

二人は揃ってため息をつくが、さもありなん。

あの国の外交手腕は本物だ。

しかも、目的のためならば手段を択ばないところがある。

麻薬密売を取り締まられて宣戦布告するどころか、それに勝利して不平等条約を呑ませる国など、世界広しといえどもあの国くらいのものであろう。

 

「それに、イゴール殿が立派なジェントルマンだったとして、他のお歴々がそうとは限るまい?」

「…耳が痛いですな」

 

何人か、()()()()な人間に心当たりでもあったのか、イゴール氏は顔を顰める。

 

本質的にイルドア人は情熱的で、恋多き民族である。

しかも、この新しい出会いには生き別れの同胞(未回収のイルドア)が付いてくるとなれば、お隣さん(帝国)を放り出して駆け出す輩もいるに相違なかった。

――と、いうより西暦世界では実際そうなった(ロンドン秘密条約)。そして案の定、イギリスは約束を破った。

 

「気を付けることだ。もしその甘言に貴国が乗ってしまったら、帝国も断腸の思いで決断せねばならなくなる」

「…全く、考えたくもない未来予測ですな。我らの友情はそれほど軽いものではないというのに」

 

いけしゃあしゃあと宣うイゴール氏だが、その実、彼は『永遠なる同盟国など存在しない』と断言するリアリストである。

それは、彼の目の前でほほ笑む少女とて同じ。

 

「仮にそうなった場合、誠に残念だが、帝国空軍はアルプスを越えねばなるまい」

「…ほう、それだけの()()()()()()とは。同盟国として頼もしい限りです」

 

言外に、『帝国が東部戦線に手いっぱいなのは分かっている』と宣うジュリオ氏。

 

「そう言ってくれるとありがたいが、――お忘れかな?」

「なにを、ですかな?」

「航空技術の飛躍的進歩は、我々に否応なくパラダイムシフトを強いている」

「至言ですな。それで?」

「砲兵の時代なら、500キロ彼方の別目標を叩くには再配置が必要だった。

 

 

 

――しかし、爆撃機なら?」

 

 

 

「ッ!」

「お分かりのようで何より。…そう、500キロなど今日の航空機からすれば指呼の間。飛行場を動かすまでもない」

「…道理ですな」

 

物わかりのいいジュリオ殿の首肯に、少女はにっこりとほほ笑む。

 

()()、そうあくまでも()の話だがね?

帝国空軍の爆撃機は1000キロ先の目標を叩ける。()()()()針路を右に90度で間違えば…、ああ怖い怖い。そんなことにならないことを祈るよ」

 

【挿絵表示】

 

「…全くですな」

「フフ、全ては仮定の話だよ。どこぞの腹黒い紳士に誑かされる愚か者が出なければ、ね?」

「なるほど、肝に銘じましょう。ですが、こうは仰らないのですかな?」

「ふむ?」

 

「『帝国の側に立って参戦せよ』と」

 

それは、在イルドア帝国大使から耳にタコができるほど聞かされた言葉。

それを毎回のらりくらりと躱しているのが、イルドアという国家理性なのだった。しかし――

 

それには及ばんよ(一抜けされても困る)

「失礼、今、何と?」

「気のせいではないかな?…ともかく、我が国の戦争に貴国が無理に付き合う道理もありますまい」

「…まさか、帝国の方からそのような言葉が聞けるとは。――して、本心は?」

「さっき言ったとおり、講和のためだとも」

「やはり、そうですか」

 

 

講和、すなわち、「手打ち」。

多くの場合、それは当事国とは中立とみなされる地域ないし国で批准されることが多い。

理由はいくつかあるが、ともあれ、その舞台となる中立国が調印の証人として振舞うこととなる。

 

 

「これほどの大戦争ですからな。どちらかの当事国で調印という訳にも行きますまい」

「左様。生きて帰れるかすら怪しい。特に連邦は」

 

秘密の国に関する常識、その一。

『行方不明になる人間がやたらと多い』

 

「その点、貴国に仲介の意志があると知れたことは非常に喜ばしいことだとも。

…実現性はともかく、その芽を潰すわけにはいくまい?」

「交渉のテーブルたれ、と?実に結構なことですな。これ以上の戦争は誰にとっても望ましくはない」

「然り。…もっとも、それが分かっている帝国人は少ないだろうし、納得する人間はさらに少ないだろう」

「…先ほどから思うのですが、杞憂が過ぎるのでは?」

「分からんぞジュリオ殿。今や、帝国国民は立派な債権者だからな」

「債権者?」

「戦時国債ですな」

 

得たり、と呟くイルドアの大将閣下の「そっくりさん」は、なるほど、軍人にして政治家、あるいは経済センスに優れた人物なのだろう。

その証拠に、帝国側出席者の顔は文字通りの「半信半疑」。前世からして正解に辿り着けそうな幼女も、しかし、『損切り』という常識にとらわれているのか首を傾げている。

 

「…貴官ら、少しは金勘定のことも考えたまえ」

「どういうことでありましょうか?」

「弾薬だってタダじゃないと言うことさ。要するに、だ――」

 

 

 

問:

人類史上未だかつてない「世界大戦」。

その戦費を、帝国は一体どうやって賄っているでしょうか?

 

答:

『戦争国債』

ただし、その殆どを内国起債で賄っています。

 

 

 

 

「国債というのはいわば借金だ。引受相手…要するに貸してくれる人間がいないとどうしようもならん」

「それはそうでしょうな」

「…タチアナ。君にはそろそろ気付いてほしかったんだがね。…もう一度言おう、『内国起債』だ」

「つまり、国内で引き受けたわけだな…。……!」

「ようやく気付いてくれたか」

 

そう、内国起債である。

つまり天文学的戦争国債を、帝国()の誰かが買っていると言うことになる。

 

「それだけ、国民の資産があったと言うことでしょうか?」

「それもあるだろうが…。エーリッヒ、先ほど言った『帝国の社会契約』と組み合わせて考えてみろ」

「帝国の…?…つまり『勝利』…!」

「気づいたようで何より」

 

 

そう。

帝国国民にとって、「戦争」と「勝利」は同義語である。

加えて、帝国主義華やかなりしこの時代の『勝利』とは、とりもなおさず、賠償金なり領土なりが得られることを意味していた。

これこそ「帝国」成立以来の方程式であり、社会契約。

そして、人間は過去の経験に束縛される生き物である。

 

もっとストレートに言ってしまえば――。

 

『今回も勝つのだから、戦費を惜しむべきではない』

『左様。短期的には大きな出費だが、それ以上のリターンがあるのだから』

『然り。そのために我々国民がなすべきことは?』

『戦争国債の購入、これに尽きるじゃろう』

『然り。それこそが国民の義務!』

『うむ。確かに安くない買い物だが…』

『来るべき勝利の美酒に比べればなんということもあるまい。そうだろう?』

『『全くもってそのとおり!』』

 

 

「勝利を前提にして、国民は大量の国債を買い込んでいるのだ。

…それが突然、『出来ません。戦争前の状態に戻ります』となったら何が起こるか」

「『話が違う!』となるでしょうな」

「イゴール殿の言うとおり。…いやはや、負け知らずというのも恐ろしいものだな」

 

少女は知っている。

とある東洋の島国も、「負けを知らなかった」がために、膨大な戦争国債――昭和19年時点で1439憶7188万円(当時)。これは戦前の国庫歳出額の()()()()()に相当する――を国内で引き受けてしまったことを。

一説には国家予算の280年分にも相当するという戦費を、ちっぽけな極東の、それも当時はほとんど農業国――戦艦「大和」の例で忘れがちだが、あの手の工業生産は当時の日本では極めて例外的、ごく一部にとどまっていた。…なにせ、戦車用75ミリ装甲板を量産できる工場が、国内に一カ所しかなかったレベルである――だった島国が『戦時国債』で賄えてしまったのである。

 

ハッキリ言って狂気の沙汰としか言いようがない。

実際、戦後その返済のため、預金封鎖による「富裕層からの資産没収」という所業に踏み切る羽目になっている*1

 

 

ともあれ、である。

 

「ゆえに、講和の件は秘密裏に進める必要がある」

「道理ですな」

「あるいは、その機に乗じて連合王国の口車に乗ってくれても構わんよ?」

「殿下!?」

「…その代わり、国土が焦土と化すでしょうな」

「よく分かっているじゃないか。――そして、それだけでは済まないだろう」

「ほう?それはいったい…」

「想像するがいい。『帝国亡き世界』と言うヤツを」

「「「ッ!?」」」

 

思わず、その場にいる全員が絶句するが、少女の笑みは深くなるばかり。

 

「帝国が消滅し、ライヒが分割されたその世界で、貴国は恐らく『例のあの場所(未回収のイルドア)』を回収するだろう。それが連合王国との取引なのか、自力でになるかはともかく。――だがそのとき、国境を接する相手は?」

 

【挿絵表示】

 

「――そう、ルーシー連邦だ。貴国はあの共産主義の親玉と国境を接することとなる」

「…悪夢、ですな」

「然り。今だって共産主義者の跳梁跋扈に手を焼いているのだろう?お隣さんになるとなれば、その苦労は凄まじいものとなるだろうねえ」

 

しかも、だ。

少女は続ける。

 

「そのとき、苦労を共にしてくれる同盟国があると思うかね?」

「フランソワか、あるいは連合王国――」

「――ああ、貴殿の考えはこの際関係ないのだよ」

「は?」

 

思わずムッとするイゴール氏だったが、少女の次の発言に凍り付くこととなる。

 

 

 

「――最悪のタイミングで同盟国(帝国)を裏切ったイルドア。

…そんな相手と手を組もうなどと言うお人よしが、いるとお思いかね?」

 

一度裏切った国家が、また裏切らぬ保証など、どこにもないのだ。

 

「あるいは連合王国との関係が継続しているかもしれないな。…だが気を付けろ。連中の魂胆は見え透いている。分かるだろう?」

「…反共の盾……」

「然り。あるいは合州国の来援までの時間稼ぎに『使いつぶす』前提だろう」

 

イゴール・ガスマンは軍政家である。

ゆえに、少女の予想が全くの空想と言い切れないことを熟知していた。ありうる、と。

 

「……」

「そしてフランソワも貴国を助ける余裕はあるまい。今回の戦争で散々叩かれたうえ、そのときにはきっと、旧帝国領内でルーシー連邦の矢面に立たされているだろうからな」

「…万事休す。ですな」

 

物わかりのいい紳士に、少女はにっこりとほほ笑む。

 

「そもそも連中の仲が良いのは『帝国』という共通の敵がいるからだ。それが無くなれば?」

「衝突が再開するでしょうな」

「そしてそのとき矢面に立たされるのはフランソワとイルドア。…いや、位置的にイルドアこそが共産主義に対する橋頭保の位置を占めることになるだろう」

 

「――おめでとう。貴国は名誉ある資本主義の尖兵たるを得る訳だ。せいぜい頑張ってくれたまえ」

 

「…全く、洒落になりませんな。想像したくもない」

「そう思うならば、することは分かるね?」

「中立の維持と外交交渉ですな。元よりそのつもりでしたとも。…もっとも、より一層やる気になりましたが」

「ふっふっふっ、まぁ頑張り給え。名乗りを上げたからには、高みの見物とはいかないのだよ」

「…全く、戦争なぞするものではありませんな」

 

しみじみと呟くイゴール氏に、少女も首肯する。

全くだ、と。

 

「のんびりとピッツァを頬張りながら、()()()()()()を楽しみたいものだね」

「――ふむ、可能な限り迅速に手配いたしましょう。エスプレッソも如何かな?」

「勿論、頂くとも。()()()()()()()もあればなお良し、だな」

「そちらについては少々時間を戴いても?」

「おや?手持ちがないのかね?」

「生憎、()()()が渋っておりまして」

「そいつは困ったね。

 

 

――しかし安心めされよ。それについては少し考えがある」

 

 

そこであくどい笑みをこぼす少女は、やはり稀代の策士なのだろう。

と、何となくだがガスマン大将(そっくりさん)は思った。なにしろ、幾つかのルート、ジュリオ氏からの伝聞、なにより今日の会談で、彼女はその恐るべき脳髄の一端を示している。

ゆえに、幾ばくかの期待を込めて、彼は問いかけるのだ。

 

「ほう?何か考えがおありで?」

「詳細は教えられんが、生産農家を急かす算段がある」

「ほほぅ…。…成算は?」

「細工は流々、といった塩梅だね」

「それはそれは。結構なことですな」

「どうだねイゴール殿。『帝国流の交渉術』を見学する気は無いかね?」

「よろしいのですかな?」

「何を仰るのやら。親愛なる『同盟国』殿に、隠し事など必要あるまい?(存分に見せつけて進ぜよう)

「…なるほど、その通りですな。ここはお言葉に甘えて、しっかりと見分させていただくとしましょう」

 

 

 

 

 

 

 

かくて統一歴1927年の戦争が、始まる。

 

 

 

 

 

 

 

*1
財産の9割を徴収された者もあったという




〇実は書いたら無駄に長くなったので、バッサリ短くしています
そのため不自然なところがあるやも…。許してクレメンス

〇近況:ただでさえ忙しいのに、コロナ対策のあれやらこれやらで休日返上なう。

〇補足説明:国庫歳出額の100年分

実話(白目)

昭和6年度当初予算歳出が約15億円(ただし満州事変に伴って、最終的には20.2億に増加)ですから、その100倍に匹敵する額です。
ちなみに同時期に『臨時軍事費特別会計』というものが成立しています。
なんとこれ、年度締めがなく「戦争開始から終結までを1会計年度とする」代物でした。
ゆえに、昭和12年度から20年度までが一つの会計年度となり、その間一度も決算が行われていません!!(うっそだろおい
3か月ごとに補正(要するに、『戦費もっと頂戴』)を繰り返し、軍事費を確保しました。…うん、いとも堂々たる自転車操業ですね。

なお、やばいので止めようとした大蔵大臣は、その後暗殺されています(白目

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