悪いひとたち ~南方深海泊地へようこそ!~ 作:シャブモルヒネ
1-1:誰も知らない無人島
目が覚めたら無人島だった。
選ぶべき道は二つしかない。
筏を作って脱出するか? それとも救助を待つか?
男は、前者を選んだ。
共に遭難した少女とともに準備をし、いざ大海へという段にまで漕ぎつけた。
しかし最後の一歩を踏み出すことができなかった。
有り体に言って、ビビっていた。
危険な外海より、安全な無人島。引き籠って大人しく救助を待っていた方がマシではないか? そんな誘惑にとらわれて何もできずにいる。
彼はいつもそんな調子の男だった。
理屈に従って行動することはできる。しかし覚悟が足りないせいで、土壇場になると「本当にこれで良かったのか?」と頭を抱えるのが常だった。態度だけはいっぱしで、座学だけは及第点。その他の成績の低空飛行ぶりには多くの教官が頭を抱え、「今はあんなのでも提督になれるのか」と世も末っぷりを嘆いたという。
その男の名を、新貝貞二といった。
「うーむ、どうしたものか」
新貝は波打ち際で水平線を睨みつける。
鼻腔をくすぐる潮の香り。海の雄大さを実感させられる。目の前に広がる大海はあまりにも広く、力強い。それに比べて我が身の脆弱さといったら。足裏の砂が引き波にさらわれて、少しだけよろめく始末。
新貝は頭を掻いてわざとらしく溜め息をつくと、伺うように隣の少女に声をかけた。
「……なぁ、清霜よ。なんとなく雨の気配がするんだが、水を貯めてから出た方がよくないか? 嵐になったら大変だしな。……そう思うだろ?」
相棒の少女にチラチラと目配せを送ってみるが、彼女は手製の筏を引っ張って浜辺へと進むだけで返事をしない。
聞こえてはいるはずである。
しかしその背中は、むっすーと不機嫌さをアピールするだけで同意を返してくれなかった。
このままではすぐに出発となってしまう。
「うむむ、どうしたものか」
前言撤回を上手くやる方法はないか。それも、なるべく部下に呆れられないように。新貝は眉根に皺を作りながら考えてみるが、そんな都合の良い解決案が無いのは自分でも分かっていた。
(はぁー、やっぱり謝るしかないか……)
新貝は清霜の正面に勢いよく回り込み、驚く少女の前で頭を下げてみせる。
「すまん! やっぱり出航するのは止めようぜ? 無謀でしかない気がするんだよ!」
大の大人に謝られた少女――清霜は、ムッと柳眉を吊り上げて意地悪をされた子供のように頬を膨らませてみせる。
「もうっ、司令官が行くって決めたんでしょ!」
「そ、そんなに怒るなよ」
と宥めつつ、確かに怒って当然かと新貝自身も思う。
なぜなら清霜は当初、この島に残って救助を待つべきだと主張した側だったからだ。
長々と説得され、渋々と了承し、苦労して準備を進めて、いざ出航……ときて「やっぱり中止!」などと言われては、どんな温厚な性格の艦娘だって怒るに違いない。
ちなみに、その“話し合い”だってけして平坦な道のりではなかった。
喧嘩三回、仲直り三回。
清霜は意外に頑固だった。
「だって海の上で深海棲艦に囲まれたらおしまいでしょ」とは清霜の言だ。
――深海棲艦。
それは海に現れた人類の敵の総称。
奴らは海の彼方からやってきて、海上の船や港湾施設をめちゃくちゃに荒らしまわった。
目的は不明。
生態も不明。
人類の通常兵器がほとんど通用せず、対抗することができたのは特別な兵装を装備した艦娘と呼ばれる少女たちだけ。
その艦娘たちが登場してからは連戦連勝――と思ってるのは何も知らない本土のおめでたい一般市民たちだけで、実際のところ戦況はあまり芳しくない。
勝つ時もあれば、負ける時もある。
つまりは漫画やゲームのように正義の味方が多数の悪を蹴散らすような展開には成り得なかったのである。
現実はわりとシビアだ。
閑話休題。
清霜もその艦娘の一人ではあるが、もっとも小型で火力・装甲ともに貧弱な駆逐艦という艦種に属していた。
敵が同種の駆逐艦や、あるいはそれに近いスペックの軽巡洋艦ぐらいなら……そして一人や二人であったなら、まだ善戦することもできるかもしれない。
しかし人類と深海棲艦が全面戦争を始め、一進一退の攻防を繰り広げているこの戦時下に相手がわざわざ脆弱な戦力で巡航しているとは考えにくい。
もしも無策で海に出て、戦力として上位にあたる戦艦や空母にでも遭遇した日には命がいくつあっても足りないだろう。
なればこそ清霜は脱出案に反対し、救助を待とうと提案したのだ。
それも一理ある。
しかし無人島でただ救助を待つというのもまた博打だった。
まず、狼煙などの救難信号を上げることができないという点が痛い。
新貝と清霜の二人が漂着したこの無人島はほぼ間違いなく深海棲艦の領海内で、「ここに人がいます」なんていう目印を掲げればやってくるのは間違いなく敵なのだ。
厳しい点は他にもある。
水や食料の持ち合わせがほとんど無いのだ。
この無人島にはココヤシの実など自生している植物はあるにはあるが、それらや雨露だけで生き延びるのはいかにも厳しい。ジリ貧になることは目に見えている。
だからこそ新貝はそういったことを何度も説き伏せて、渋り、怒り、膨れる清霜の首をなんとか縦に振らせたのだ。
それを今更「やっぱり行くのやめよう」などとぬかしたら「なに言ってんだこいつは」と蹴飛ばされてもおかしくない。
これが血気盛んな他の駆逐艦娘相手なら12.7cm連装砲で撃たれていたかもしれない。
「確かにな、行くと決めたのは俺なんだが、」
新貝は、その手に持った巨大な木の棒を揺らすようにして弄ぶ。
「“これ”に命を預けろっていう方が無茶だろう」
それはどう見ても作りかけのトーテムポールにしか見えなかった。しかし製作者の清霜が言うには、それはどうやら筏を漕ぐためのオールらしい。
お世辞にも航海に使えるように見えなかったが、清霜が「しれーかーん、できたよ! 見て見て見て、すごいでしょ!」と報告してきたときはタイミングが悪いことに三回目の仲直りをしたばかりだった。さすがに四回目の口論を始める気になれなかった新貝は「お、おぅ」と曖昧な表現で逃げるに留めた。
(まぁ航海自体は、基本清霜に牽引してもらうつもりだからいいか。ただ、流石にこっちはなぁ……)
新貝はちらりと筏に目を向ける。
筏を構成する木材は漂着していた荒縄を使ってがっちりと固定されている。しかし長さも形も不揃いで、それらの隙間から海水がちゃぷちゃぷと溢れて表面を濡らしている様は不吉に過ぎた。
足場の割合を七割としたら、穴が三割ほどもある。
「コレを筏と言い張るのは無理があるだろうよ……」
とはいえ、製作する道具もろくになかったのだから贅沢はいえない。
むしろ清霜の艦娘としての人並み外れた力を借りなければ木材を集めることすら難儀していた以上、文句をつけるのも筋違いだと分かってはいる。ただ湧き上がる不安をこぼさずにもいられないだけだ。
「このオンボロでどこまで行けるのか、俺は不安でしかない」
新貝の心境とは対照的に、目に映る海原はどこまでも美しかった。
太陽は容赦なく照りつけ、波打つ海面に光が反射してキラキラと輝いている。
新貝は陽射しを手で遮って、水平線をもう一度眺めた。
その青は距離が離れるほど色合いを変えていく。波打ち際は透明で、水深が腰までくるとエメラルドグリーン、沖を見やるとコバルトブルー。空は恨めしいほど澄み渡っていて、同じ空の向こう側が大気汚染に悩まされているなんて嘘のようだった。
これがバカンスだったらどんなに良いだろう。
知らず知らずのうちに新貝の口からため息が出た。
それを見て、清霜は。
「ネガティブ禁止ー! きっと上手くいくって!」
「いやいや、厳しいだろこれじゃ」
愚痴る新貝を、清霜はさっさと筏に引っ張り上げてしまう。
小さな手で背中を押されながら、後は任せてと自信満々に微笑まれてしまうともう渋ることはできなかった。
こういうところが駄目なんだよなぁ、と新貝は思う。部下に対してどうにも厳しくなりきれない。
清霜はそんな新貝の心情など露知らず、上機嫌な様子で口元を綻ばせていた。
「司令官と一緒に海に出るなんて、なんだか変な感じ!」
いつでも前向き。それが清霜の長所だ。
だからきっとこのろくでもない出航にも胸をはずませているのだと新貝は思う。
「よいしょっと」
清霜は筏から伸びた荒縄を手に取ると、颯爽と水面に飛び降りる。
彼女の主機が駆動する低い音が辺りに鳴り響いた。
「だいじょーぶ! 清霜に任せて!」
裾を風になびかせながら清霜は叫ぶ。
「絶対、一緒にショートランド泊地に帰るんだから! 清霜、抜錨します!」
@
時を戻して三日前。
新貝貞二が目を覚ますとそこは無人島だった。
なぜ遭難したのか、その記憶が全くない。
ただぼんやりと乗船が深海棲艦に襲われたような――そんな他人事のような感覚だけが脳裏に残っていた。
身を起こすとよく知っている少女と目が合った。それが清霜。
彼女は浜辺に倒れていた新貝を介抱していたと言い、顔中を口にして泣き、喜んだ。
――司令官が生きていて良かった。
――このまま独りで死ぬんだって思ってた。
わんわんとしがみつく清霜をどうにか落ち着かせて話を聞いてみると、ここが小さな無人島だということが判明した。
新貝は苦労して清霜を引き剥がし、己の頬をつねってみる。
確かな痛みがあった。
どうやら夢ではないらしい。
清霜がなぜここにいるのかを聞くと、目元をぼろぼろの袖口で拭いてからぽつぽつと語り始めた。
「作戦中に深海棲艦に攻撃されて、航行不能になって……気がついたらここに流されていたの」
はっと新貝は息を呑む。“作戦”という単語で僅かばかりの記憶が蘇る。
ここ南方海域で、清霜が参加した作戦といえば一つしかなかった。
ガダルカナル島泊地奪還作戦。
「そうだ、思い出した! 通信で主機がやられたって言ってたよな。大丈夫なのか?」
「ああ、うん。壊れたと思ったけど一時的な不調だったのかも。もう動くよ」
ほら、と主機の駆動音を聞かせてみせる。
「怪我はないのか?」
「大丈夫。見ての通り元気だよ」
「そうか……。無事なら良かった。急に通信が途切れたから心配したんだぞ。後で霞たちに捜索させてもいなかったし、俺はてっきり、」
轟沈してしまった、と思っていた。
それは口に出すのも恐ろしい言葉だった。
あの作戦はそう、自分がこうして遭難する直前に実行された――と思う。
今後の情勢を賭けた、重要な作戦。
その目的は、深海棲艦が占拠したガダルカナル島の泊地施設への襲撃、そして奪還。
ガ島には作戦開始とともに敵増援が集結することが予想され、スピードが何より重視された。
清霜が担当したのは作戦海域を遊弋する敵機動部隊の排除。
偵察によれば軽空母が主力の艦隊で、難しい作戦ではないはずだった。
だが実際は違った。
いないはずの敵の最強戦力、通称“姫級”が参戦。
艦隊は想定外の場所から爆撃を受け、清霜が被弾。航行不能に陥った。
新貝は作戦の中心を担うショートランド泊地の提督として、同任務についていた駆逐艦を牽引役につけての護衛退避を主張するも、同席していた司令部の総司令官は「駆逐艦といえども戦力を割くことはできない」として却下。清霜はその場で待機、作戦後の回収を待て、との命令だった。
新貝は猛反対した。
深海棲艦の目が進軍するこちらの主力に向くとはいえ、勢力下でもない海域に動けない艦娘を置き去りにすることなど考えられなかったからだ。
しかし一介の提督では中枢たる総司令部の意向を左右することはできず、当たり前のように新貝の意見は通らなかった。
清霜の救助は後回しにされ、全てが終わってから捜索しても彼女が見つかることはなかった。
けれど今、こうして再び会うことができた。
「無事で良かった。本当に」
座り込んだまま新貝は清霜の肩に触れる。
力をいれれば折れてしまいそうなぐらい細い。だが触ることができる。幽霊じゃない。
「清霜、俺はお前に謝らなきゃならん。あの時に俺はどうあってもお前を退避させるべきだった」
わ、わ、と清霜は慌てて言う。
「ちょっと司令官、やめてよ。私は気にしてないから!」
「いや、しかし」
「今は生きて会えたこと喜ぼうよ。ねっ?」
「だがそれでは俺の気がすまん」
「じゃあさ、帰ったら間宮であんみつ奢ってよ! ね? それでチャラ! 決まり!」
有無を言わさず言い切って、新貝の口に人差し指を当てる。
それでもう謝れなくなってしまった。
「司令官、ほら」
清霜は手をとって立ち上がらせる。
「あぁ、悪い……ん?」
顔を上げて初めて清霜の格好に気を向けることができた。
彼女も遭難していただけあって、衣服のあちこちが破れて肌を晒している状態だ。
「お前の服、ぼろぼろだぞ」
すっと人差し指を清霜に向ける。
「見えてる」
清霜は何を言われているか分からないといった顔で首をかしげ、ゆっくりと新貝の指の示す方向を視線で辿った。
胸部、丸見えだった。
清霜は電池切れのロボットのようにピタリと止まり、顔色だけが真っ赤に染まっていくのが見てとれた。
「気にするな。俺は駆逐艦の小さな胸に興味は――ぐぉ!?」
言わなきゃ良かった、と新貝は思った。
清霜が着ていた制服は衣類としての役目を果たしていなかったため着替えることにした。
清霜が持っていた軍用リュック――海岸に打ち上げられていたのを拾ったらしい――から、中に入っていたという替わりの衣服をごそごそと取り出す。
「司令官のえっち」
「いや、違うから。あれは不可抗力だから」
「着替えるから見ないで」
「はいはい」
新貝は降参とばかりに両手を挙げて後ろを向いて、砂浜に打ち上げられた流木に座り込んだ。
ごそごそと衣類を擦る音が聞こえる。
ほんとに何とも思わないのに、と思うが、これ以上怒らせてしまったら、帰ったときにある事ない事言いふらされてショートランドの駆逐艦一同に処刑されかねないので口には出さない。
清霜が浜辺からかき集めてきたという“役に立ちそうな物”から煙草とライターを拝借する。
「心配したのは、本当なんだよ」
へなった煙草をくわえ、ライターを着火しようと試みたが、火花も出ない。
「俺だって一応は提督だからな。特にお前は初の実戦でもあった。正直、気が気じゃなかった」
ライターを何度も擦るが火はつかない。
「俺は自分でも提督って仕事に向いているとは思ってなくてなあ。覚えも悪いし、言っちゃアレだが平和のためにどうこうっていう崇高な精神もない。だから適当なところでとっとと辞めて田舎にでも帰ろうと思ってた。……くそっ、火ぃつかねーな」
ライターを放り投げる。
雲ひとつない青空を仰いだ。
「だけど艦娘ってのはいつも全力で生きているだろ。いつ死ぬかも分からないのに前だけを見ながら戦場に出撃していく。特に清霜。お前は人一倍努力していたな。消灯時間を過ぎても訓練してたこともあっただろ。そいつを見ていたらな、俺も腐ってる場合じゃない、提督やってるなら艦娘を生きて戻らせなきゃいけないって思うようになったんだ。……なぁ、聞いてんのか?」
「しれーかーん! もう見ていいよー!」
振り向くと、清霜が胸を張って「じゃーん!」と着替えた姿をアピールしていた。
「聞いてねえのかよ」
真面目な話をしてるのに、と新貝はなんだか馬鹿らしくなった。
ため息をつきながら、清霜を上から下まで眺める。
「な~んか目がやらしー」
「お前が見ろって言ったんだろ」
安物のパーカー、のような黒い上着を羽織っている。
清霜の細身には随分と大きくて、着るというより着られてるといった様相だが見れないこともない。
チャックが壊れていて先ほどの夕雲型の制服と同じように胸元を晒しているが、そこは同じくリュックに入っていたという水着を着けているので問題ない。
膝上まである裾丈も、替えのスカートがなかったのが隠せてむしろ都合が良いともいえる。
破れた制服姿でウロウロされるより何倍も良いといえた。
「これなら駆逐艦にハラスメントしたクズ提督とか言われることもあるまい」
生還したときにそのまま憲兵に連行される事態は避けられそうだ。
「はらすめんと? なにそれ? っていうか感想は?」
清霜は唇を尖らせる。
女という生き物はどうしていちいち感想を求めたがるのだろう? と新貝は内心うんざりする。ショートランドに居たときも、事あるごとに褒めてもらいたがる艦娘が多くて大変だった。
(何人いると思ってるんだ。いちいち機嫌なんかとってられん)
新貝はわざとらしく大きなため息を一つ。
「その服まじで似合ってるわー。あーやばい、くそかわいいなー」
「えーっほんとほんと!? ねぇねぇほんとに清霜可愛いの!?」
「あ、ああ」
握りこぶしを胸元にあてて小躍りする。
「やったー司令官に褒められたー!」
尻尾があったら千切れんばかりに喜んだ。
「やかましい。いちいち騒ぐな」
「ふっふーん。いいのいいの、お世辞だって可愛いって言われたら嬉しいんだから!」
本当に嬉しそうな笑み。両手で裾を伸ばしながら、くるくると回りだす。
「そうかい。それよりその破れた制服はどうするんだ?」
脱いだ夕雲型の制服が足元に置いてあった。
ぼろぼろすぎて、縫い直すことができるかも怪しい。
「うーん、どうしようかなー」
と人差し指をあごに当てて考える仕草。
「ここに置いてっちゃおっかなあ」
へえ、と新貝は意外に思う。
「そういうの、大切に持っておくタイプだと思ってた」
あんまり荷物を増やしても仕方ないしね、と清霜は言う。
「服なんてなんでもいいよ。今は二人で生きてくことを考えなくちゃ!」
「それもそうか」
とはいえ、これからどうしたものか。
この無人島は間違いなく深海棲艦のテリトリー内だ。救助が来る可能性はほぼないだろう。生きているかも分からない提督と艦娘の捜索のために、あの薄情な司令部が敵地まで乗り込むような作戦を立てるとは到底思えない。
だが、それでも清霜は大丈夫だと言う。
「人事を尽くして天命を待つって言うでしょ? できることを全部やって、最後まで諦めなければできないことはないって言ったのは司令官じゃない。忘れたの?」
「覚えてない」
「えぇーっ!?」
きっと格好つけて適当なことを言ったに違いないと新貝は思った。
@
そんな再会から三日が経って。
笑いあり涙あり、飢えと乾きと口論とローキックの紆余曲折を乗り越えて、新貝貞二は現在、海のど真ん中で筏に揺られている。
「とうとう筏で海に出てしまった……」
唸るような主機の駆動音。
先導する清霜が、筏に結び付けられたロープを引いて海原を進んでいく。
その筏の上で、アホの子のように口を開けて座っているのが新貝だった。
大の大人が少女に牽引されている構図はただただ情けなく、新貝は自分がベビーカーに乗せられた無力な赤子のように思えて泣きたくなってきた。
「しかしこれも適材適所、艦娘に航行を任せて何が悪い!」
ネガティブな思考はスッパリと忘れることにして、視界いっぱいに広がる海原と青空に目を向けた。
「直射日光が思ったよりきついな。ヤシの葉で日傘でも作っておけばよかった」
オールのできそこないを掲げて細い影を作ってみるが、気休めにもならない。
「司令官、だいじょぶ? 熱中症になる前に水飲んだら?」
清霜は振り返らないまま言う。
「まだ平気だ。しかし艦娘はいいよな、頑丈で」
「晴れてるだけでダウンしてたら何にもできないよ」
「そりゃそうだ」
新貝は座り込んで後ろ手に身体を支え、航行する清霜の後姿を眺める。
二人だけで生き延びねばならない以上、考えなしに水を消費するわけにもいかない。
「あーー。帰ったらラムネでも飲みてえなー」
「そこはお酒じゃないのー?」
「酒は苦手だ」
「大人のくせに変なのー。ラムネが飲みたいなんて子供みたい」
「うっせえ。そういうお前は帰ったら何が飲みたいんだ?」
そうねぇ、と清霜が考えこむ。
新貝の視界の中でパーカーもどきの裾がバタバタと海風ではためいていた。
(こいつ、足もほっそいな)
左右に揺れる小さな尻をぼんやりと眺める。
傍から見たらただの小学生、いいとこ中学生にしか見えない。だというのに超人さながらの強靭さを備えているから艦娘という生き物は不思議だ。
「私はねー、帰ったらぁー、クリームソーダが飲みたいなー」
そのチョイスに思わず噴き出してしまう。
「お前だって俺と大して変わらないじゃないか」
「えー、おいしいじゃん? 司令官はクリームソーダ食べたくないの?」
「クリームソーダ、ねぇ……」
その甘さと冷たさが舌の上で幻となって蘇る。
炭酸が喉を刺激する感覚。ごくりと唾を飲み下した。
「……食べたい」
「でしょ? 帰ったら霞ちゃんと間宮に行こっかな~。司令官も一緒にどう?」
「霞ぃ? 霞かぁ……」
その名前に思わず気後れする。
あまり楽しい想像ができない。
「霞ちゃんがどうしたの?」
「あいつさぁ、俺のこと嫌いだろ?」
「えっ?」
虚を突かれたような声。
「ほら、水上スキーでさ、霞がキレたことがあっただろ?」
「ええっと、遠征中だったから話しか聞いてないけど」
その話は清霜も知っていた。
新貝貞二がやらかしたという水上スキー大会。
上層部に申請が通ったと嘘をつき、駆逐艦娘たちを実行委員として嗜好品で買収して開催しようとしたレクリエーション大会。
そのとき秘書艦だったのが件の霞で、生真面目な彼女が阿修羅のごとく怒り狂って新貝が調達したばかりのスキー板を真っ二つにへし折ってしまったことも清霜は知っていた。
「朝まで正座で説教されたんだぞ。殺されるかと思ったわ」
「それは仕方がないと思うな……」
軍の資金で購入したのはスキー板だけではなかったのだから。そもそも、無許可で艦娘とその装備を使って遊ぼうとすること自体が言語道断。懲罰ものの蛮行であり、その日の出撃と演習と遠征を全て中止にしていたことが明るみになれば、大規模な人事異動にまで繋がる可能性すらあったといっていい。
その隠蔽工作がまた大変だった、と霞や大淀といった秘書艦経験のある艦娘たちがおおいに嘆いていた。連日連夜尻拭いをさせられて目に隈を作っていた姿を清霜もよく覚えている。
「俺はあれからずっと朝潮型に監視されるようになったんだ。起床から就寝までな」
「それは自業自得でしょ? でもさ、霞ちゃんが本当に司令官のことが嫌いだったら全部隠したりしないと思うよ。司令官だけ上に突き出すことだってできたと思うし」
清霜はなぜか霞の肩をもつ。新貝はそれが気に入らず、
「いーや、あいつは俺のこと嫌いだね。というか俺はあの手のタイプの女になぜか嫌われるんだよ。軍大学のときも口うるさい後輩にガミガミやられてたしよ。俺は先輩だぞ、先輩」
きっと生真面目な女とは相性が悪いんだ、とぼやく。
それに対して清霜の背中は、なにか言いたげな気配。
「……司令官ってさぁ」
「なんだよ?」
清霜はそれだけ言って、黙りこんでしまう。
「言いたいことがあるならはっきり言え」
「べっつにー。霞ちゃんが可哀想だなって思っただけ」
「可哀想なのは俺だろう!?」
「まあ司令官も可哀想だよね。違う意味で」
「なんでだっ?」
なぜか旗色が悪いようだった。
「ふん、分かった分かった。この話は終わりだ」
「そうやって都合が悪くなるとすぐ話を止めるから霞ちゃんが……」
そのクレームを聞きたくなかった新貝は、手っ取り早い餌を用意した。
「よし、肉だ。帰ったら肉食いに行こうぜ」
「お肉ぅ?」
「そうだ。お前の憧れの、佐世保の武蔵と食いに行こう」
「えぇっ、武蔵さんと!?」
清霜の頭の毛がぴょんと跳ねる。ちょろい。
「って司令官、佐世保の提督にツテあるの?」
「いいや、ないぞ。けどこの遭難から無事に戻れたら、不測の事態への対応力が評価されて昇進する予定だからな。向こうから声がかかるはずだ」
「えーっ、なにそれ!? 喜んで損した。そんなので昇進するわけないよ。だったら清霜も昇進するってこと?」
「そうじゃねえの? うん、きっとそうだな」
「ふぅん。どうせなら改二になりたいなぁー」
清霜の改二。
どこがどう成長するのか、新貝には全く想像できない。
「ま、今の清霜はもう改二みたいなもんだけどね。遭難っていうカコクなジョーキョーと優しい妖精さんが私をレベルアップさせたのよ!」
「そっかー、清霜もついに改二かー」
「ふっふっふー。戦艦よ戦艦っ!」
「戦艦かー、すごいなー」
「あーっ! その声は信じてないでしょ!」
武蔵さんにも負けないんだからとぶつぶつ言う。
「信じるもなにもあるか」
目の前のちびすけが戦艦になったときの光景を想像する。
主砲の反動でひっくり返っている姿しか浮かんでこなかった。
新貝はごろんと横になってひとりごちる。
「……改造、ねえ」
改造なんて、練度を相当上げなければ成功しないのだ。そのうえで腕の確かな専門技師が最新設備の整った改装工廠に集まって、ようやくなれるのが改二だ。妖精だかなんだか知らないが、お前みたいなぺーぺーの新米が簡単に改二になれるか。と言おうとした瞬間だった。
爆裂音とともに筏に衝撃が走った。
「砲撃か!?」
新貝は即座に四つんばいになりながら周囲を見渡す。
「……いた!」
清霜が叫ぶ。
「九時方向! ひい……ふう……四人。深海棲艦だ!」
重巡一人、軽巡一人、駆逐二人。
距離はまだある。が、数が多い。
とても清霜一人で撃退できる戦力ではない。
「くそっ、こんなにすぐ見つかるとは!」
乗っている筏のすぐ近くに砲撃による水柱が立つ。
「清霜、逃げろ!」
砲撃音が立て続けに響き、至近弾による衝撃を受ける。
新貝は頭から海水をかぶりながら必死に筏にしがみついた。
生身の人間が食らったら一発であの世逝きだ。
清霜は右に左にと敵の予測を狂わす運動をおこなうが、筏を引っ張っていては速力が出ない。
引き離すことができなければいずれ命中弾を喰らうのは明らかだった。
新貝は一瞬迷うが、現状のままでは打開策がないことは疑いようもない。
「清霜っ! 俺を置いて一人で逃げろ! このままじゃ二人揃ってお陀仏だ!」
筏を引く清霜の後ろ姿に叫ぶ。
が、清霜は黙ったまま振り返りもしない。
「おいっ、二人とも助かるとか考えてるんじゃないだろうな!? お前の仕事はできもしないことに意地を張ることじゃない、最善を尽くすことだ! 分かったらさっさと行け!」
――新貝の脳裏に蘇る、先日のガ島泊地施設奪還作戦。
清霜がいなくなってしまったあの作戦。
『いいよ……みんな、先に行って。敵、殴ったら……もどって来てね……?』
それが最後の通信だった。
清霜の声は震えていた。
怖くなかったはずがないのだ。
主機が壊れて動くこともできない状況で、敵勢力下の海で独り残されるとはどういうことか。
その恐怖は想像すら難しい。
東西南北、どこから敵が来るか分からない――いいや、海中の潜水艦も含めたら、そして空から艦載機が飛んでくることを考えたら――世界の全てが殺意をもって無防備な自分を見つめているようにしか感じなかっただろう。
なのに提督である自分は助けの手を差し伸べることもできなかった。
さっさと司令部の馬鹿どもを殴りとばして、強引に撤退命令を出してしまえばよかったのに。
あの後悔の味を忘れることはできない。
二度も清霜を救えない阿呆になるのはごめんだった。
「おい! 清霜っ!」
再び怒鳴りつけてやろうと口を開くと、清霜は前進をやめて小さく回頭、新貝の乗る筏と敵艦隊の間で停止した。
「ふぅ。やっと敵が一直線になった!」
重心を落として敵艦隊を睨みつける。清霜が筏から離れる様子はない。
「大丈夫。四人ならきっとやれる。清霜に任せて」
「お前……まさか、俺を背に守りながら撃ち合うつもりか!?」
一対四。重巡を含む戦力相手に、こちらは駆逐艦がただ一人。
勝てるわけがない。
自棄になったのか。
敵艦隊は容赦しなかった。停止した清霜に向けて弾丸が迫る。
「ぐっ!」
水柱が周囲に乱立する。
命中こそしなかったものの、今のは夾叉弾だ。
次は当てられる。
その時、新貝は見た。
こちらに狙いをつける重巡リ級の目が、獲物をしとめる喜びに染まったのを。
――バカメ! ココデ沈ムガイイ!
その殺意が聞こえるようだった。
重巡に装着された8inch三連装砲が清霜を捉える。
砲身が火を噴いた。
爆音、そして熱風が新貝に叩きつけられる。
新貝の目の前で清霜が砲撃を受けて黒煙に包まれた。
「う、嘘だろ……」
清霜が、敵重巡の直撃を受けた。
霞む視界の中で、清霜の12.7cm連装砲がバラバラと砕けて海に沈んでいくのが見えた。
大破か、悪ければこのまま轟沈もありえた。
新貝は煙に包まれたまま動かない清霜に手を伸ばすが、筏の上からでは海上の艦娘には届かない。
(俺はまた何もできなかったのか……?)
やはり軽々しく海になど出るべきではなかった。
大人しくあの無人島で待っていれば救助が来る可能性だってありえたのに。
――なにが最善を尽くせだ。できもしないことに清霜を連れ出したのは他でもない自分自身ではないか。俺が清霜を殺したのだ――
「大丈夫って言ったでしょ?」
突き出た腕が、煙を払う。
清霜は具合を確かめるように指を開いて握り、自分が守った司令官を振り返って微笑んだ。
「だって清霜は戦艦なんだから」
清霜の目がうっすらと青く輝く。
みしり、と。
音がした。
鉄が割れ、配管が蠢く音が。
清霜は決意とともに主砲を構える。
それは12.7cm連装砲ではない。
それは清霜がずっと欲しかったもの。ずっと憧れていたもの。
異音は止まらず、むしろ増し、耳をつんざく不協和音となっている。
清霜の腰部が別の生き物のように膨張する。
鋼の尾。
それは主の戦意に応えるように、蠕動し、伸びていく。
死人のような白い鮫肌に、夜闇のような真っ黒の艤装を身につけて。
尾の先端にずらりと並んだ牙がガチガチと擦れて金属音を打ち鳴らす。
これは、この音は。
――戦艦の主砲が生まれる音だ。
(なんだこれは――)
現実の光景とは思えない。
新貝は清霜に生えた尾を凝視する。
それは肉と艤装が一体化し、砲身までも備えていた。
清霜の身に何が起こっているのか理解できない。
こんなことが艦娘にできるのか?
いいや、できるわけがない。
これは、これではまるで――深海棲艦ではないか!
「司令官、あいつらやっつけてもいいんだよね?」
清霜は犬歯をむき出しにして威嚇する。
敵艦隊が驚愕に呻く。
正対する艦娘は重巡の砲撃を受けたにも関わらず健在で、それどころか反撃の気配すら見せている。こんなことがあるはずがない、と振り切るように敵艦隊は武装を構え直した。
リ級は咆哮を上げて8inch三連装砲を連射する。
だが冷静さを欠いた攻撃など当たりはしなかった。
「さあ、撃つよ!」
言葉と同時に、清霜は尾から突き出た16inch三連装砲を放つ。
盛大な破裂音。
大気の振動を肌で感じたと同時に、リ級の上半身が蹴り飛ばされた空き缶のように吹っ飛んだ。残された下半身は、思い出したように重力にひかれて斜めに沈んでいく。
一撃必殺。
それはまぎれもなく戦艦の砲撃だった。
残る深海棲艦たちが恐怖に包まれる。
清霜は追撃にかかった。
臆病風に吹かれた敵艦などいい的でしかない。
次々に深海棲艦たちが粉砕され、炎を吹き上げて沈んでいく。
最後に残された駆逐艦が悲鳴を上げる。
「これで終わりっ!」
最後の敵艦が直撃を受け、宙に撃ち上げられる。
海水に叩きつけられると同時に爆散。
昼だというのに、爆炎を受けた海面が煌々とオレンジ色に照らし出された。
敵艦隊、全滅。
「ふふん、どお? これが実力だって!」
清霜は場違いに明るい声を上げ、新貝に手を伸ばす。
「司令官、大丈夫? 怪我とかない? ねえ、ねえ?」
残骸の燃える音を聞きながら新貝は思い出していた。
尾の生えた戦艦。
それは殺し屋の代名詞として恐れられた深海棲艦を示していた。
その深海棲艦の名を、戦艦レ級と呼ぶ――
説明のために話が過去に飛びまくって申し訳ない。
許してクレメンス。