悪いひとたち ~南方深海泊地へようこそ!~ 作:シャブモルヒネ
ガ島泊地の正面の海に口裂け女の艦隊が見える。
予想通りにニ艦隊規模。
陣形は第四警戒航行序列に似ているが少し違う。通常のそれよりも間隔が空いていて、突き進めば容易く崩れてしまうように見えるがそれは罠だ。飛び込んだ先の相手に手間取ればすぐに三方を囲まれて滅多打ちにされるだろう。それを嫌って中距離からの砲撃戦に徹しても標的は回避できる空間が広いため当てることは難しく、フリーとなった別の艦がさしたる苦労もなく死角へと回り込んでくることが容易に想像できた。
無線での好戦的な様子とは裏腹に、用いる戦術は磐石そのもの。
戦力差を活かして一気呵成に押し潰すのではなく、着実にすり潰すつもりだ。
時間もかけよう、手間もかけよう。確実に敵を全滅に至らしめるという確固たる意志が伝わってくるようだった。
埠頭では大井が仁王立ちしていた。
いつからそうしているのだろう、微動だにせず海原に並ぶ連合艦隊を睨みつける後姿は、まるで魔物を追い払う石像のようだ。
その大井と合流すべく、ガ島泊地から北上と、少し遅れて清霜が埠頭へと歩を進める。古びたコンクリートに砂利が擦れて音を立てた。大井は背後から現れた仲間たちにとっくに気付いているだろうに振り向こうとはしない。その背にもう手が届く距離になったところでようやく口を開く。
「何秒かかる?」
その背中を追い越しながら北上が答える。
「六百秒」
進む足はそのままに、北上は両腕を前に伸ばして手の平を開閉する。ぱきぺきと音が鳴る。その目は大井と同じく、敵艦隊ただ一点に向けられていた。
「相手は十二人よ?」
言いながら、大井も並んで歩き出す。首を回すとごきりと凄まじいが鳴った。半日入渠していた身体は既に全快。早く使ってやらねば鈍ってしまうと主張しているようだ。
「マキラ島でいくらか見ておいたからね、大体読めてる。後は詰めるだけ」
北上と大井は揃って立ち止まる。
そこは埠頭の先端。一歩先は海。即ち戦場だ。
「それは重畳……と言いたいところだけど、正直それでも厳しいわ」
「それでも何とかするんでしょ?」
「当たり前じゃない」
ふん、と強烈な鼻息を一発、
「私を誰だと思ってるの?」
大井が先に飛び出して着水。
北上も宙に向かって歩を進めて自由落下、音も無く着水した。
結局大井は北上と一度も目を合わせないまま埠頭を降りた。
続いて降り立った清霜に、大井が声をかける。
「説明している時間はないから黙って聞いて。弾を使い切ってもいい、十分間だけ時間を稼ぐ。そうすれば勝てる」
どうして十分間なのか、それが過ぎたときに弾が無くてどうやって勝つつもりなのか。
大井は一切説明しなかった。
しかし言葉に力があった。勝つ算段があると清霜は思った。ならばごちゃごちゃ言わずに先達に従うのが最善だと判断して口をつぐむ。
大井は反論も質問もしない清霜をちらりと横目で確認して「よろしい」とだけ呟いた。素直に納得するとは思わなかったとみえた。
失礼な、と清霜は内心思う。これでも少しは成長している。戦闘直前に和を乱すほど洟垂れのつもりはない。それに、一応とはいえ昨日の戦闘で肩を並べて戦った仲なのだ。その判断力に間違いはないと、信頼していることぐらい分かってほしいと清霜は唇を尖らせる。が、今の大井にはそこまで察する余裕も無さそうだ。
「敵が安全重視でじわじわと削るつもりなら好都合。こちらは位置取りに気をつけて追い込まれないように時間を稼ぐわ。そうすれば後はこの戦闘馬鹿がやってくれる」
「戦闘馬鹿でーす」
北上が答えながら両の人差し指をこめかみに当てている。口調はふざけているが視線は片時も相手から逸らしていない。獲物を狙う猛禽類のように、じっと様子を伺っている。標的の髪の毛一本までも見定めようとするその姿に、清霜はようやく気付く。さっきから北上がずっと瞬きをしていないことに。
「さて、そろそろ口裂け女さんたちも痺れを切らすわね。行くわよ清霜、ついてきなさい。やり方は前回と一緒よ」
「攻撃は安全が確保できたときだけ、回避に専念する……ですね?」
「そうすれば勝てるわ。――いえ、そうする以外に勝ちの目は無い」
大井が先頭になり、エンジンテレグラフを盛大に鳴らしながら三人で前進する。
沖では敵の連合艦隊がこちらを横腹で捉えるべく悠々と艦隊運動を行っている。
三対十二。
その状況は初めてではなかったが、こうして周囲を見渡せる昼間にその全体像をはっきり視認するとあまりの戦力差に現実感が喪失してしまう。
あれと本当に戦うのか、と清霜は思わず口に出して確認したくなるが、ちらりと覗いた仲間の横顔はどこまでも真剣だった。
(そうだ、やるんだ。やらなきゃただ死ぬだけ。そんなのは嫌だ)
軽く頭を振って意識を切り替える。
どこまでできるか分からない。だからこそ大切なのは、できることをきっちりやり切るということ。
まずは……良い形で敵とぶつからなければならない。
艦隊戦ではポジショニングが何よりも重要だということは、着任したての駆逐艦だって知っている。
戦いは既に始まっている。
双方の距離が三万をきる。
二万九千、二万八千と縮めても敵は攻撃してこなかった。
大井が進路を巧みに変更しながら同航戦の形に持ち込もうとする。距離は二万五千をきり、更に二万四千になろうとしていた。重巡ですら射程圏内だというのに敵の艦隊は不気味な沈黙を保っている。
威嚇のための無駄弾は使わない、必要なのは有効弾とそれに繋がる観測弾のみ。そんな鉄の意志を感じた。
いよいよ二万をきろうかというとき、敵艦隊が一瞬光る。
「最大戦速!」
大井の叫びで速度を上げた。次の瞬間、周囲に水柱が乱立。これを有効弾に繋げてはならないと舵を左右に切って進路をランダムに変える。しかし敵艦隊は揃ってぴたりとついてきた。
距離一万六千。もう駆逐艦ですら弾が届く。戦艦ならいわずもがなの必殺の間合い。一秒毎に被弾率もぐんぐん上がるというのにまだ距離を詰めてくる。大井もけして退こうとはしない。
距離一万ニ千。チキンレースにも限度がある。清霜は震える奥歯を噛み殺しながら必死に波を掻き分けた。こいつらどこまで自身の回避技術に自信があるんだ、これなら実弾入りのロシアンルーレットでもやってた方がマシだと清霜は本気で思った。
距離八千。もはやどちらが被弾してもおかしくない。というよりもまだ誰も被弾していないことがおかしい段階に入っている。
恐怖を振り切るために清霜は砲を構える。
狙いは一番近い重巡リ級。尾を持ち上げて弾を装填し、
「清霜ッ!」
その瞬間、清霜は鼻先を徹甲弾が掠めるのを確かに見た。
遅れて風圧が前髪を乱す。
口裂け女の16inch三連装砲。
大井の叫びに一瞬でも反応が遅れていたら、間違いなく頭部に直撃していた。清霜が攻撃態勢に移り、航行の自由がほんの少しだけ奪われた瞬間を狙われたのだ。
当の清霜には戦慄を覚えている暇も無い。口裂け女の砲撃を皮切りに、速度が落ちた清霜を狙って敵の第一艦隊が一斉に狙いを定めた。全ての砲が清霜の進路上に向けられる。
清霜にはここからどう舵をきっても被弾する未来が見えた。
――ギャゲーーーッ!
口裂け女が号令を叫ぶ。
もう駄目だ――そう思った時に頭上から弾が空気を切り裂く音。敵艦隊のど真ん中に落ちる。
砲台小鬼の援護射撃。
肝を冷やしながら確認すると敵の艦隊は回避済み。先程の号令は回避行動を命じたもののようだった。
双方、被弾者は未だゼロ。
敵の陣形が僅かに乱れた好機に大井たちは速度を一杯に上げて敵の頭を抑えにかかる。
「清霜、副砲にしなさい! その方がまだ速い!」
「……はいっ!」
大井の指示に頷きながら、清霜は内心この馬鹿げた事態に総毛だつ思いだ。砲撃後の硬直ではなく、砲撃前の姿勢制御が隙になるなんて話は聞いたこともない。
これが実力者同士の戦い。清霜は自分がひどく場違いな場所に立っていることを実感していた。
だがそれでも退場するわけにはいかない。背後のガ島では新貝が待っているのだから。
例え実力不足でもやれることはあるはずだ。そのために苦しい訓練だって耐えてきたのだから。
「ル級がなによ! 清霜のほうが戦艦力が高いに決まってるんだから!」
訝しげに眉根を寄せる大井。
別に意味があって叫んだわけではない。ただ胸中の不安を押し殺すために気合を入れただけ。
緊張が一周回って開き直りの境地に達した。
そう、臆しては駄目なのだ。この天上の者たちの戦いの中で、精神力でも負けていたら絶対に勝てない。がむしゃらでいい、一歩たりとも退かずに戦え!
「司令官をぎゃふんと言わせるんだから!」
受け身ではだめだ。
攻勢、それしかない。
隙にならないように狙いもつけずに魚雷を四本放つ。十二人も標的がいれば一本ぐらい当たるだろうという甘い願望は、しかし当然のように叶わず全て避けられる。
ただの無駄弾、になるところに大井が便乗して雷撃。
動きを視認できないほどの早撃ちだというのに五本の雷跡全てが敵艦の進路を捉えているのは流石の一言。
この近距離なら足の遅い魚雷だって避けるのは困難になるのが普通だ。それなのに、敵は道端に転がる空き缶を避ける程度の何気なさで航跡の真横を通過する。最接近距離は五十センチをきっていたというのに何たるクソ度胸。あるいは連中にとってはそれも慣れたものなのか。
敵艦隊は大井たち三人を正面に捉えるとそれまでの消極策をかなぐり捨てて真っ直ぐに突っ込んできた。丁字不利だというのにものともしない。いきなり、何故?
その答えは清霜でもすぐに分かった。
清霜たちは、雷巡二人に戦艦一人。
それは言い換えればこうだ。
砲撃戦に適さない玄人が二人に、強力な砲を持つ素人が一人。
恐れるに足らないと舐められている。
(そんなこと、分かっていたけど……!)
血が昇りつつある頭の片隅で冷静な自分が囁く。侮られるのは仕方ないことだ、と。今この海で一番練度が低いのは間違いなく自分なのだから。
いつだってビリっけつだったのだから今更自分の未熟さを否定するつもりはない。
「分かってるけど、」
清霜がこの世で許せないものを一つ挙げるとするならば、それは「こんな奴はどうでもいい」と無視されることだ。
とるに足らない自分かもしれないけど、根性だけは誰にも負けていないつもりだ。大和型のように強くなりたいと願い続け、訓練を重ね、苦難を乗り越えたからこそ戦艦にも成ることができた、そう清霜は信じている。
駆逐艦時代とはスペックが違う。気合だって充分で、諦めの悪さならば世界一。技術は確かに無いけれど、それがなんだ。経験だけで勝てるなら、この海はババアだらけになっているはずだ。しかしそうではない!
清霜のすぐ前方で大井が魚雷を撃ちまくっている。
これ以上の接近を許すまいと中口径主砲まで駆使するが、敵前衛の重装甲の前では豆鉄砲に等しい。
北上は依然攻撃もせずに首を傾けながら敵艦隊をただ凝視しているだけ。例の十分間が過ぎるまでは全く手を出さないつもりなのか。
(私が、やってやる)
どこまでできるか分からない。だからこそ大切なのは、できることをきっちりやり切るということ。
北上のように何手も先まで予測することはできない。清霜は今という瞬間にできうる限り最良の手を刻み続けると決めた。
自然と身体が動く。
敵艦隊の正面へ。
「!?」
驚愕する大井にごめんなさいと心中で謝る。
敵艦隊との距離は既に四千をきっているが、それでも清霜には確実に当てる自信が無い。先頭で我が身を晒している大井の気遣いを無碍にしてでも前に出るしか敵を倒す手段がないのだ。
エンジン全開。
前進する敵艦隊と清霜の相対速度はすさまじく、たかだか数千の距離は瞬時に詰まる。
ル級二人を含む、敵前衛の五人が同時に砲を構える。
統制射撃による面制圧。逃げ場を殺すようにわざと広くばらまかれたそれは必然的に清霜に命中した。
甲高い金属音。
「くぅっ!」
直撃――しかし清霜の勢いは止まらない。弾幕密度が薄い故に耐えることができた。
敵の戦艦が、清霜の回避行動を予測した先に砲撃してしまったことも大きい。まさか全く避けようともしないとは思わなかったのだ。その読み違いの代償は距離二千で支払われる。もはや互いの表情まで確認できる。
清霜は敵旗艦である口裂け女に進路を定めて突撃した。
「うわあああああ!」
視界を占める口裂け女が、清霜を迎え撃たんと次弾装填する。
敵の方が一瞬速いという絶望的な確信があった。避けるのは不可能。決死の覚悟で大口径主砲の照準に真正面から突っ込んだ。
全身がバラバラになるような凄まじい衝撃が清霜を襲う。
左半身が弾かれたようにのけ反るが、反射的に態勢を整えて転倒を防ぐ。
食らったのは恐らく左肩。腕から先の感覚が全くない。どこかに消し飛ばされてしまったかもしれないがそれを確認している猶予はない。
口裂け女に右手が届く。
好機だ。
「痛いじゃないっ!」
右腕を、目の前の硝煙に振りぬいた。
清霜の拳が命中し、驚愕する口裂け女の艤装が明後日の方向に吹き飛ぶ。
ここしかない。
「衝角、突撃ーっ!」
清霜は逃がしてなるものかと身体ごとぶつかった。
はるか昔の海賊船のような戦法をとる清霜に、口裂け女も余裕の色を失う。残っている艤装を振り回して目の前の敵に叩きつける。
ガキィン! と殺人的な激突音が打ち鳴らされる。
清霜はその盾状の艤装に顔面を打たれ、しかしその意識は明瞭だった。
(こんなの、大したことないっ!)
目の前には己の鼻血に濡れる敵の砲塔。それを無事だった左腕で握り締め、飴細工のように捻じ曲げた。
その握力に口裂け女は目を剥く。しかしすぐさま壊れた艤装を放棄して半身に構え直した。
清霜は即座に右ストレートを放つが簡単に避けられた、と思ったら振りぬいた右腕を捕られ、ぐるりと回り込まれて立ち関節をかけられる。
――ギィエエエーッ!
理由は分からないが清霜は密着する深海棲艦の言葉が分かった気がした。「舐めるな小娘!」とか「お前なんぞにやられるか!」とか、そんな意味のことを言ったに違いない。
「うぐぐっ!」
ぎちぎちと肩を極められながら清霜は呻く。そんなのはこっちだって一緒だ。
「へたっぴ……だって……意地があるん……だからっ!」
取っ組み合う二人の周りでは手を出せない敵艦隊が混乱していた。引き剥がしに加勢しようにも大井と北上という二人の雷巡を相手に背を晒すわけにもいかず、かといって艦隊陣形のど真ん中に敵を抱え込んだまま外側の敵と対峙した経験など流石に無いのだろう。いっそ連合艦隊を二つに分けてしまえば解決するが、大井は勿論それを許さない。ここぞとばかりに魚雷を撃ちまくり、いざとなれば掴み合う味方ごとお前らの旗艦を吹っ飛ばすぞと自由な動きを封じてしまう。
「む・ぐ・ぐ・ぐ~~!」
清霜は真っ赤な顔で極められた右腕に力をこめる。
この現状は自分が大した算段も無しに突撃していった結果だが、そう悪い状態でもないと清霜は頭の片隅で思っていた。
敵とくっついてしまえば技量もくそもないからだ。自身の恵まれたスペックでごり押すのは何だか卑怯な気もしたが、そんな御託は負けてしまえば慰めにもならない。勝利することだけが戦場の全てであり、そのための手段は迷い無く実行するべきだ。
「うりゃーーっ!」
肩を支点として抑え込まれた体勢を、腕の力だけで少しずつ押し戻していく。ほどなく口裂け女の身体は清霜の前方へとねじ伏せられた。極められていた清霜の肩関節が危険域を脱したとき、敵は腕を抜いて距離をとろうとする。
清霜、そうはさせじと追いすがる。逃せばそのまま死に至る。この敵艦隊の只中で孤立すればいい的でしかない。どうしたって敵を一人捕まえておく必要があった。その先のことはまるで考えていない。とにかく捕獲することに必死だった。
海面すれすれに尾を走らせて、退く敵の足に噛みつかせる。
――ギァッ!
短い苦悶の声を発した相手を強引に引き寄せようとする、その寸前、視界の端で別のル級が自分に砲身を構えたのに気付く。
尾で捕まえている口裂け女との距離は一メートル強。離れすぎた。
撃たれる。
回避しなければ直撃する。
徹甲弾が空気を切り裂いて、身体を逸らした清霜の薄い胸の上を飛びぬけていった。
口裂け女は……離してしまった。離すしかなかった。
やばい、と思う前に前後左右の敵艦が待っていましたとばかりに射撃体勢に移る。流石の大井でも十人近い敵の即射を防ぐのは無理だ。
――その時。
敵艦隊の右舷側で謎の大爆発。
事態を把握している暇はない。身を屈めて全速力、遅れて頭の上を砲弾が飛び交った。
(とにかく敵を捕まえないと!)
手近な敵を掴もうと腕を伸ばして波を駆けるが狙いはとっくにばれていて、目が合った相手からは徹底的に距離をとられてしまう。敵連合艦隊のど真ん中で鬼ごっこが始まるが本人は至って真剣で、最近鍛えたばかりの航行技術の限りを尽くすがどうしても追いつくことができずに涙が滲む。
見かねたわけではないだろうが大井が巻き添え上等とばかりにフォローの魚雷を撃ちまくった。同時に敵右方からも挟み込むように魚雷の群れが浮かび上がる。
鬼ごっこによって乱れに乱れた敵艦隊は、魚雷の十字砲火を回避するために陣形の体すら放棄していた。
清霜はここでやっと先程の雷撃支援の主がイムヤであることに思い当たる。
絶妙のタイミングで助けてくれた海のスナイパーに鼻血をすすりながら心中で感謝する。
敵艦隊と清霜の周囲を行き交う魚雷の数は目視できるだけでニ十を超える。見れば清霜の進路上だけ道が空いていて、さっさと脱出してこいとどやされているようだった。
しかしここで敵から離れてしまったら……と躊躇するが、敵は交差する魚雷を避けながらも清霜への注意を怠らず、もう捕獲することは不可能に見えた。
やがて大井とイムヤの魚雷が接触し、其処彼処で爆発が起きる。
(せっかく勝機が見えたと思ったのに……っ)
清霜は歯噛みしながら敵艦隊と爆煙の只中から抜け出した。
空からは砲台小鬼の砲弾が降り注いで連合艦隊の追撃を許さない。
清霜は大きく迂回しながら大井たちと合流した。
「この馬鹿!」
第一声がそれだった。
清霜はぐうの音も出ない。逃げ出してこれたのも大井たちのフォローがあったからで、あれだけ勝手をやらかしておいて戦果は口裂け女の艤装だけ。
「おかげで魚雷がなくなっちゃったわ!」
「ごめんなさい……」
よく見れば大井もいくらか被弾した様子があった。清霜が取っ組み合いをしている間、他の敵の注意を逸らすために奮戦してくれたのだ。そうでなければいくら乱戦状態だったからといって清霜が生き延びることはできなかっただろう。
「けれど時間は稼げた」
清霜はぱちくりと目を瞬かせる。
「北上、あと何秒?」
「五秒」
早くも陣形を整え直した敵連合艦隊を見据えて呟く。
イムヤが魚雷を直撃させた敵が退避していき、残ったのは十人。対してこちらは大井が魚雷を撃ち尽くしたうえに中破していて、清霜もそれなりに損傷している。戦力比はむしろ悪化していると言っていい。だというのに北上は。
「おっけー。やっとロックオンできたぜぃ」
と言いながら大きく深呼吸。細く長い息を吐き出しながら、敵の前衛に向かって徐々に速度を上げていく。
「きっ、北上さん!?」
先程の清霜の突撃とは条件がまるで違う。清霜のカミカゼアタックが成功したのはあくまで距離が近かったのと自身の装甲が厚かったからだ。
比べて今の状況はどうだ。距離は再び開いて一万近くあるし、北上の防御力は清霜とは比べ物にならない脆さだ。
追い縋ろうとする清霜の肩に、大井の手がかかる。
「大丈夫だから」
「大丈夫、って……」
そんな訳がない。相手はこちらの不意打ちをものともせずにいなしきった強者だ。格闘戦や水面下からの魚雷、遠距離からの援護砲撃ですら通じないというのに、たった一人でどう戦おうというのか。
「逃げないよ! 一緒に戦う。だって仲間でしょ? 仲間は見捨てないって、そう習ったんだから!」
「仲間~?」
北上は速度を落として振り返る。
「仲間、仲間かぁ……。いいねー、中々惹かれるフレーズじゃん」
頬を緩ませて微笑む。
「けど今は大丈夫。だってこの海にはもう、」
敵を背にしたまま片手をひょいと上げる。その脇腹のすぐ横を、敵の砲弾がすり抜けていった。
「アタシしかいないんだから」
驚く清霜たちを置き去りにして、北上がどんどん小さくなっていく。
大井は清霜の手を引いて下がるように忠告した。
「私たちの役目は終わったわ。これ以上この戦場に居ても邪魔になるだけ」
「でも……!」
気持ちが空回りして言葉が見つからない、そんな清霜に大井は言い含めるように言葉をかけた。
「いいから見てなさい。今の北上は、自称通りのスーパー北上よ」
単身突撃していく北上を敵艦隊が包み込む。相対距離は五千ほど。清霜から見ても絶好の位置取り。
対する北上は之字運動もやらずに、かといって全速で突撃していくわけでもない。波に逆らうことなくふらふらと、通常航行のように気の抜けた直進を続けていた。
そして目を背ける間もなく砲撃の雨が撃ち込まれた。
複数の砲撃音が重なりあって大気そのものが震える。
攻撃された北上は……しかし平然と航行を続けていた。
何一つの変化もない。衣服すら乱れがなかった。
「え? 今確かに……」
清霜には何が起こったのか分からない。
遅れて遠くで水柱が乱立する。確かに砲撃はあった。清霜が見間違えたわけではない。
敵艦隊にも戸惑いが走る。
――ッ! ギャギャッ!
すぐに我に返って次弾を発射。
しかし一発たりとも北上に当たらない。その全てがすり抜けていく。
そうとしか表現のしようがなかった。
気がつけば互いの距離は間違いなく千を切り、とうとう手が届こうという位置にまでつける。
敵艦隊は第三射を試みるも結果は変わらなかった。
奇妙なほどに北上に攻撃が当たらない。遠目ではわざと外しているようにすら思える。
業を煮やした重巡の一人が自ら接近して砲撃する。
北上はその直前、ほんの僅かだけ落とし物を拾うように屈む。それでもう当たらなかった。それどころかいつの間にか射線上にいた後方の敵に砲弾が命中してしまう。
フレンドリーファイア。
そんな初歩的な過ちをあの熟達の敵が犯すなんて俄かには信じられなかった。
北上は無造作に魚雷を一本投げつける。狙われた相手は今更驚いたように逃げ惑い、別の敵が北上の投擲の隙を狙って背後から撃つ。
北上は上半身を捻る。
また射線上の敵に当たる。
「なに、これは一体……」
絵面は一対十のリンチなのに、翻弄しているのは単独である北上。
まるで示し合わせた演劇のような光景に、清霜は己の眼の正常さを疑ってしまう。
大井は服の煤を払いながら言う。これはもう戦いではない、と。
北上が参戦する前の十分間――正確にいえば前日も観ているのでもう少し長い時間――をただひたすら観察した成果がこれだった。
彼女が得た情報は、対象の癖や思考パターン……といった単純な代物ではない。
全てだ。
艤装の性能、主機の状態、身体能力といったスペック情報はさわりに過ぎない。
何よりも重要なのは思考回路の解析。視覚や聴覚といった情報入力に対してどのような行動を出力するかを精密に拾い、比較し、検討することで個々の判断基準を解剖していく。頭の中を余すことなく覗き込む。
そんなことが可能なのかと問われれば北上はこう返すだろう。
「目と頭がついてれば誰でもできる」
彼女は言う。艦娘も深海棲艦も、誰であろうとカモメとウミネコほどの違いもない。個体毎の判断基準の違いは思考回路全体からみれば微々たるもの。思考のテンプレートは厳然と存在している、と。違うのは、ほんの僅かな要素。性格だったり、その時の感情だったり。北上が“拾う”のはそこだ。ほんの少しの個体差。それだけ把握できれば動きは予測できる。何を見せればどう反応するか分かる。
今回はそれが十二人同時。中々にきつい仕事だったと北上は鼻血を垂らしながら思う。脳を使いすぎて頭が痛い。
「あ~~、しんど~~い~~」
北上はいつだって自分が特別だとは思っていない。誰かができることは誰にでもできる、というのが彼女の信条だ。だから彼女がここで完全なる勝利を得ようとも、それは自分が特別に強いからではなく敵が未熟だからだと思っている。
もっとも、その理屈でいうと北上以外の全ての生き物が未熟ということになりかねないが。
「じゃ、やっちゃいましょ~」
もはや周囲の深海棲艦のことで把握していないことは一つもない。
何を見せればどんなアクションを起こすのか十全に理解している。
――この場合、そんな相手は敵といえるのだろうか?
答えは否。
相手の全てを意のままに動かせるということは、北上の脳髄が対象の指先まで直結しているに等しい。つまりは自分自身の延長である。
よって深海棲艦に囲まれたこの状況は、北上からすれば一対多の戦いなどではない。ただの、イチ。壮大な自殺だ。数の増えた自分たちを操作して、その末端を削ぎ、潰し、少しずつ減らしていく作業。
気をつけることはただ一つ。核である北上本体に傷がつかないようにするだけ。
北上はぴくりぴくりと表情筋を震わせながら、“周辺の自分たち”に視覚情報を提供していく。ミリ単位で五体と指先を動かして自滅を誘発させていった。
それは奇妙なダンスのよう。優美さの欠片もなく、ロボットのそれより情緒が無い。全てに意味しか含まれていない動作の連続。この世の誰が見ても理解することが出来ない孤独なダンス。ぴくりぴくりとただ踊る。
口裂け女の連合艦隊はかろうじて轟沈者を出してはいないものの、司令塔である北上自身の攻撃も相まって被害は着実に増えていった。
――ギギィ!
見えない糸に絡めとられた口裂け女が短く号令を放つ。すると敵の全てが攻撃を止めて北上と距離をとり始めた。
「――うん? 仕切り直しのつもりかな?」
北上が呟くと、手持ちの無線機に反応があった。
『戦狂イノ、天眼通。サーモン海域ニモ居タトハナ』
「てんげん……? なに?」
『我々モ、ツクヅク運ガ無イ。……イイダロウ! ココハ退ク!』
言うが早いか敵連合艦隊は陣形を組み直して一目散に撤退していく。
「な、なにぃ~?」
無双を誇った北上も、相手が逃げの一手に入ると成す術がないのか、唖然として見送るだけだった。
「こらぁ、待てー!」
いくら声をあげても敵艦隊は一顧だにしない。
「……まんまと逃げられたわね」
いつの間にか合流していた大井が合いの手を打つ。
「ここで退くのは中々できることじゃないわ」
感嘆したのは相手の切り替えの早さに対してだ。不利を悟っても成果を挙げるまで撤退することができずに、結果被害を増やしてしまう指揮官は古今東西ごまんといた。大井も実際にそんな提督を何人も見てきた。ましてこの戦いは相手にとって数的優勢、プライドを捨てて下がる決断は容易にできるものではなかったはずだ。
「けれどまだ終わりではないみたいよ」
指先をすっと向けた別の方角から新たな艦隊が現れていた。
旗艦はやはりル級。口裂け女の後詰だろう。
「げげ、新手かぁ。読み込み直しは厳しいよー」
「でも六人相手なら、まだ!」
北上は盛大に嫌がって、清霜は戦意を見せる。大井は対照的に涼しい顔だ。
「ただの殿軍でしょ。追わなければ手は出してこないわ」
大井は一応の警戒だけ保つように清霜に伝えて、増援部隊と対峙する。
敵部隊は大井たちの正面に陣取りはするものの様子を伺うだけで、大井の予想通り仕掛けてはこなかった。
やがて引き下がる口裂け女の連合艦隊も水平線に消えた。
清霜は緊張を解いて息をつく。身体の力を抜くと一気に疲労が押し寄せてきた。自分で思っているより余力は残ってないらしい。自身の損傷は致命的ではないが……と、ここで大井の損傷に思い当たる。戦闘中ははっきりと確認できなかったけれどそれなりに被弾していたように思う。
顔を上げるて大井を見ると、彼女はまだ敵艦隊のほうを見つめていた。
「……退かないわね」
つられて視線を向けると確かに敵の後詰艦隊は未だ遠くの海上で突っ立っているままだった。
「ほんとだ」
やる気なのだろうか。今しがた倍数でも負けたのを知らないわけないだろうに。
「一矢報いる、ってつもりでもなさそーだねー」
北上が言うように敵艦隊の面々は手持ちの武器を構えてもいない。まだ距離があるというのもあるだろうが、後方に目を向ける者もおり、むしろ去っていった自軍の連合艦隊の方を気にしているようにも感じた。
やがて一人のル級がこちらへと進み出る。
そこで無線機に反応があった。
目の前のル級からだった。
『貴女タチハ、マダ、マトモナヨウネ』
「……どういう意味かしら?」
大井の返答にル級は答えない。息を吸い込む音が無線越しに僅かに聞こえた。
『私ハ、キリシマ。第三戦隊所属……デスガ、今ハタダノ一戦艦ノ話トシテ聞イテ欲シイ』
胸に手を当てながらキリシマと名乗った深海棲艦はこう言った。
『私ト取引シマセンカ?』
スーパーカウンターマシーン北上。