悪いひとたち ~南方深海泊地へようこそ!~ 作:シャブモルヒネ
3-1:ショートランド泊地近海1
新貝貞二は冴えない男。
ショートランド泊地に着任したばかりの彼をそう思っていたのは雲龍だけではない。
彼女の抱いたその印象は新貝が本格的に指揮をとりだしてからも覆ることはなく、無難な作戦を命じられる度に新人提督に抱いていたぼんやりとした期待感は薄れていった。
ああ、新人提督なんてこんなものだろうな、と。
哨戒や偵察、訓練こそ命じはするが積極的な攻勢案は全く立てず、血気盛んな巡洋艦たちは「はぐれの相手はもう飽きた」とぼやいた。
雲龍としては戦果を焦って無茶をされるよりは何倍も良いと思っていたので、特に不満は無かったけれど。
もとより秘書艦でもなければそれほど顔を合わせることもない。
一ヶ月、二カ月と時が過ぎるにつれて気にも留めなくなった。
偶にぱっとしない顔つきで背中を丸めながら廊下を歩く軍服姿の男を見かけ、そういえばうちにも提督って居たんだな、と思うぐらいの扱い。
それがある日、急に縁日をやるぞと言い出したから驚いた記憶がある。
始めは誰も乗り気じゃなかったと思う。
ある駆逐艦なんて前線泊地の責任者というプレッシャーに耐えかねて頭がおかしくなったと無責任な噂を広める始末。
まあ影の薄い提督の噂話なんて誰も本気にしなかったけど。
それでも現実的な影響は確かにあった。泊地内の空気が少しずつ華やいでいったのだ。
開催日が決まり、資材が搬入されて。いつの間にか多くの艦娘が縁日を話題にするようになった。
「どんなお店があるのかな?」
「綿飴とか~?」
「射的はあるらしいよ」
「浴衣、もってないんですよねー」
「取り寄せちゃえば? カタログ見る?」
「今からで間に合うかな」
「花火も見たいなぁ」
「戦艦の人に三式弾撃ってもらうとか!」
「誰が頼むのー?」
「私、言ってみる!」
……といった具合に。
期待感、というほどのものではないかもしれないけれど。
先に楽しみがあるというだけでこんなにも心躍るものなのかと、久方ぶりに人間らしい感情が蘇ったような気分になったことを雲龍は覚えている。
だから、縁日の日に新貝貞二と会って、直接聞いてみたのだ。
「どうして縁日をやろうと思ったのですか?」
そうしたらあの男、売れ残りの焼きそばを啜りながらこう言った。
「浴衣を見――じゃなくて、そう、チョコバナナを食いたくなったんだ」
呆れる雲龍が半目でじっと見つめていると、新貝はばつが悪そうにぼさぼさ頭を掻く。
「俺は、提督だ」
「ええ、そうですね」
「普通の戦争なら、軍艦に乗ってお前らと戦場を共にすることもできたかもしれない。しかし相手は深海棲艦。戦いはお前ら艦娘に任せきりになる」
「通常兵器は効かないから……」
「ああ。だから俺にできるのはお前らのサポートだけということになる。資材の運用、作戦の立案……まあ色々あるが、最近ようやくまともに回せるようなってきたところだ」
「余裕ができたってこと? それがどうして縁日に繋がるの?」
「雲龍は、縁日は嫌いか?」
「そんなことはないけれど」
「俺はな、今までイベント事なんて下らないと思っていたんだ。けど南方暮らしが長いと故郷が恋しくなってくる……そんな話を駆逐艦の娘たちとしてな。じゃあ俺よりショートランド歴が長い艦娘たちはどうなんだろうと、まあそんなことを考えたわけだ」
「……メンタルケアってこと?」
「そんな大げさな話じゃないんだが、しかし悪くはないだろ? 思ってたよりもこう、わくわくする」
お前はどうだ、と臨時設営された会場に顔を向けた。
雲龍も一緒に目を向ける。
吊るされた提灯の列が陽の落ちかかった境内をほんのりと照らす。その下に並ぶ屋台はペンキで塗りたくられたようなドギツイ原色のものだらけで目がチカチカしてきそうだ。そこに並ぶ商品もまた安っぽさを隠そうともしておらず、同じ食べ物でも明らかに詰め込まれた量が違ったり、『この区画全部500円』と値段設定の吟味すら放棄していたりと、遠い異国の闇市のような混沌とした様相を呈していた。
しかしその開き直りっぷりが逆に物珍しくてついつい興味をそそられてしまう。
この感覚はなんだろう、と少し考えて思い当たることがあった。
初めてのお買い物。
見るもの全てが新鮮で、視界いっぱいに広がる商品棚に目を輝かせていたっけ。
「……悪くはないですね」
「だろう? 帰ってく連中はいい顔をしてたよ。こういう行事も大切なのかもしれないな」
「私もそう思います。またやれたらいいですね」
「また、か。そうだな、きっと来年もやろう」
そう言って、新貝は遠い目で境内を見回した。その疲れきった横顔に思わず見入ってしまう。
「変な人」
「ん? なんか言ったか?」
「……何も」
来年の縁日は彼も始めから参加できればいいな、と思った。だがそのためには、もっと仕事を早く進められるようにならないと難しいだろう。
さて、彼はこれからの一年でどれだけ成長できる?
もし来年の縁日に彼が余裕をもって参加できたなら、その時はチラチラと胸元に向けてくるスケベな視線を不問にして共に出店を回ってあげてもいいかもしれない、と雲龍は思った。
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縁日が開催されてから三ヶ月が過ぎた。
新貝貞二がようやく一人前の提督と呼べるようになった頃、南方海域では本格的な作戦任務が発令されようとしていた。
ガダルカナル泊地奪還作戦。
その中核となるのは、地理的に一番近いショートランド泊地。周りを固めるのはブイン基地とラバウル基地、更には本土から佐伯湾泊地。全四施設の艦娘を合わせた大艦隊が編成されることとなった。
ここで総指揮を誰が執るのかという議論があがった。
通例では、拠点となる鎮守府・泊地の提督が指揮を執るものだが、このときの新貝貞二は着任して一年未満の新米提督。経験不足を理由に別の提督を求める声が上がり、本人も荷が重いとして辞退を申し出た。
となると残る提督は三人だった。即ち、ブインか、ラバウルか、佐伯湾か。
司令部が任命したのは、佐伯湾泊地の黒井提督だった。
「――そうしたら「あいつ、もう少将になったのか」って言ったんですよ! 信じられます!?」
ショートランド泊地の秘書艦になったばかりの雲龍の前で、前秘書艦の霞がぷりぷりと怒っている。
秘書艦の引き継ぎで呼び止められて、話題が新貝提督に及んだと思ったらこれだ。
霞といえば他所の鎮守府に出張しても“忌憚のない意見”をぶつける提督嫌いで有名だったが、本人の居ないところで陰口を言うような性分ではないはずだ。
それがこのように、唾を飛ばす勢いで訴えてくるとは一体どういうことだろう?
意外な面を見た雲龍は、その眠たげな眼をいつもよりほんの僅かだけ見開いて頷くに徹している。
当の霞はまじまじと観察されていることにも気付かずに、
「他所の提督の階級も知らないなんて! 定例会を「酒が飲めないから」なんて言ってサボっちゃうからそういうことになるんです! 交流もしないで情報共有なんてできません!」
と唾を飛ばして言い募った。
「それは、確かにそうね」
(でも、黒井提督といえば……)
雲龍も聞いたことのある名前だ。
最近、特に高い戦果を挙げていることで知られる新進気鋭の提督。佐伯湾泊地周辺の深海棲艦を一掃したとか、姫級を何人も討伐したとか。その辣腕ぶりは遠い南方海域にいても届くほどだ。
しかし良くない噂もあった。
最近になって強引な作戦を立てることが多くなった。成果を出すためには犠牲を厭わず、沈んだ艦娘の数は全鎮守府の中でも最も多い……そんな、嫌な噂が。
なんにせよ、仮にもショートランド泊地を預かる自分のところの提督が、そんな有名人の現状もろくに知らないというのは確かに問題かもしれない。
新貝貞二。
秘書艦になるまで殆ど関わりはなかったが、これは中々の問題児なのかもしれない。
「新貝提督を補佐するのって思ったより大変なのかしら」
「そうなんです!」
分かってくれたか、と霞は大げさに溜め息をついた。
雲龍もショートランドの新参ではない。新貝の人となりぐらいは知っていた。しかし活き活きと新貝提督の素行不良ぶりをぶちまける霞がなんだか珍しくて、そして自分の知らない提督の一面を知りたいという好奇心が勝ったため、特に口は挟まなかった。
ひとしきり喋って霞はこほんと咳払い。鬱憤が晴れたのか、今更神妙な顔を作ってみせる。
「あの人は、言ってしまえば大きな子供です。気の進まないことにはまるで手をつけようとしません。けど……」
「けど?」
「艦娘の事をちゃんと考えてくれる人でもあります。戦果ばかり求められる最近の風潮にはいい意味でそぐわない、そんな人です。まだまだ頼りにはなりませんけど」
そして小さな身体を深々と折った。馬鹿丁寧に、まるで出来の悪い息子を送り出す母親のように。
「雲龍さん、差し出がましいとは思いますが、これだけは言いたくて……。これからの秘書艦業務、大変かと思いますが、どうかあの人を宜しくお願いします」
今日の霞には驚かされるばかりだ。気難しい駆逐艦選手権があれば誰もが優勝候補に挙げるであろうあの霞が、まさか一提督のために頭を下げるとは。
「分かったわ」
雲龍は縁日の時以来、新貝提督の言動をなんとなくは追っていた。けれど秘書艦ともなれば違ったものが見えてくるらしい。
(新貝提督、ね。上手くやっていけるかな?)
@
結論から言えば、新貝貞二は霞の言った通りの人間だった。
書類は溜める、日報はつけない、会議や待ち合わせには当たり前のように遅刻する。
期限付きの書類を後回しにして当日まで気付かないのはまだマシで、大規模作戦で訪問してくる他所の提督を出迎える手配を忘れていたと判明したときには開いた口が塞がらなかった。なんとか次善の策を相談すると、「空母寮に空きはないか?」などとぬかしてくる。それはモラル云々の前に規則で禁止されていることだろうに。
そんな愚痴を生活面にまで広げれば語りつくせないほどある。
執務室に泊り込むものだから妙な臭いがするし、シャツはいつでも皺だらけだし、話していると視線が、その、胸に。
雲龍は少々の事では動じない図太さを持っているつもりだったが(彼女の妹もそう言っていた)、連日不意打ちのように何かをしでかされ、その度にフォローが必要となると流石に精神的にくるものがあった。
軍人としてどうのという前に人としてどうなのかと思う部分が多い。これは安請け合いをしてしまったぞ、と後悔したが時既に遅し。前秘書艦の霞は既に出撃組としての訓練に追われる日々だった。
「ほんと、困った人ね……」
その呟きが聞こえたのだろう、傍らを歩く新貝が申し訳程度の謝意を示す。
「雲龍には感謝している。お前がいるおかげでガ島奪還作戦も滞りなく進められそうだ」
その台詞を聞くのは今日で三回目です、という愚痴をぐっと飲み下す。
「別にいいけれど。……いえ、本当は自分でちゃんとやってもらわなきゃ困ります」
「悪いな。この埋め合わせは必ずする」
口だけは一丁前だから、困る。
雲龍は溜め息をつきながら駆逐艦寮の廊下を歩く。
今日はガ島奪還作戦に参加する駆逐隊に連絡事項があった。自習室に集まる手筈になっているが、駆逐艦寮はいかんせん部屋の数が多い。今まで訪れる機会がなかった雲龍では、見取り図を確かめければ目的地に辿りつくのも難しい。
「ええと、この先の、朝霜たちの部屋を曲がったところですね」
手元を見ながら廊下の角を曲がると、腰の辺りに衝撃があった。続けて何かが派手にばら撒かれる音。
「わわっ!」
よく見ると、一人の駆逐艦娘とぶつかったようだった。
彼女も荷物を抱えて前が見れなかったらしく、床に散らばる大量の嗜好品を前に慌てふためいていた。
「なんだ、清霜じゃないか」
「あっ、司令官と雲龍さん。駆逐寮にいるなんて珍しいね」
そう言ってから清霜は、思い出したように頭を下げる。
「雲龍さん、ぶつかってごめんなさい!」「こちらこそ、ごめんなさい」
そう言いながら、三人で落し物を拾い集める。
「駆逐寮に来るなんて珍しいね。今日はどうしたの?」
「どうしたってお前、今日は口頭連絡があるって言ってあっただろう」
「そうだっけ?」
雲龍は菓子箱を集めながら清霜にちらりと目を向ける。
清霜のことはよく知っていた。
どこの鎮守府泊地の艦娘も、提督という立場の違う人間を敬遠して執務室にはあまり近づかない。それはショートランド泊地の艦娘も同じなのだが、清霜は例外だった。執務室に何度か遊びに来ている姿を見かけたことがある。どうやら相性が良いようだ。この二人は精神年齢が近いのかもしれない。
いや、そんなことを言ったら失礼か。清霜に。
「ん、この羊羹……」
ふと違和感を覚えて、まじまじと観察する。
羊羹はショートランド泊地の酒保では扱っていない気がする。何故なら、暑くて傷みやすいから。食中毒で出撃できなくなった艦娘が昔いたせいで持ち込みにも厳しいチェックが入るようになったはずだ。
「清霜さん、これって……」
手の中の羊羹箱を見せると清霜はぎくりと動きを止めた。顔中に「しまった」と書いてある。分かりやすい。
「ん? どうした?」
新貝も羊羹を覗き込む。
「……あー、さては他所から持ち込んだな?」
「え、えーと」
「酒保にこんな上等なもんは置いてないだろ」
新貝と雲龍、上背のある二人にじぃっと見つめられて、清霜は渋々白状した。
「今回の作戦に選抜されたお祝いで貰ったの。だから出処は知らない」
「誰が持ち込んだんだ?」
「それは、言えない。私のために買ってきてくれたから……」
「ったく、しょうがないな」
「提督?」
それは流石に、と雲龍が釘を刺すが。
「誰かに迷惑をかけたわけでもなし。俺たちは何も見なかった、そういうことにしろ。これ提督命令な」
「む、ずるい」
そう言われると強くは言えないのが雲龍の甘いところだ。大淀のように全ての不正を叩いて潰す鬼の精神がなければ秘書艦業務は務まらないと頭では分かってはいるのだが。まだまだ修行が足りない。
しかし言うべきことは言っておかねば風紀に関わる。
「今回は黙っておくけど、提督が見逃してくれたなんて吹聴しちゃ駄目よ」
「はい、ごめんなさい……」
「にしても、これだけ量をどうやって持ち込んだんだ? 警備員は仕事してんのかね」
「それは抜け道から……」
「抜け道だぁ?」
しまった、と清霜は口を塞ぐがもう遅い。
仕方なくといったふうに口を割る。
「ええっとー、駆逐艦寮のフェンスの下にね、穴が掘ってあってね……」
よくよく聞いてみれば、朝霜と清霜の部屋の窓からすぐのところに外と繋がる穴が掘ってあるらしい。駆逐艦娘のような小柄な体躯の娘しか通れない小さな穴で、そこを通ると敷地の外に直接出られるという。普段はシートを被せて隠しているらしい。
「お前らもあの手この手でよくやるな。ってことは、その菓子の山は朝霜の仕業か」
「えへへ」
小さく舌を出して笑う。犯人は朝霜で間違いないだろう。
「朝霜はとっちめるとして。その抜け穴は後で埋めるからな」
「えーっ! なんでー!?」
「問題が起こってからじゃ遅いんだよ。部屋の中で煙草でも吸われて火事がおきたら洒落にならん」
「煙草なんて吸わないよー!」
「例えだ、例え。朝霜が関わってるならいずれ危険物が持ち込まれるに決まってる」
「むうう~」
膨れる清霜。
新貝は仕方ない、と妥協案。
「酒保の規制を少し緩めてやるから、それで諦めろ」
「ほんとっ?」
ぱっと顔が明るくなる。ころころと表情が変わって面白い。雲龍は、起伏が少ない自分とはえらい違いだ、と感心する。
「じゃあその羊羹は今日中に全部食えよ。一人で食いきれないなら仲間に協力してもらえ」
「はーい!」
「あ、すぐにミーティングやるから早く戻ってきてね」
「分かりましたっ!」
快活な返事。手を上げようとして荷物を落としかける。ぺこりと軽く頭を下げて自室へと戻っていった。
「可愛らしい娘ですね」
「そうか?」
「提督が気にするのも分かります」
「贔屓はしてないぞ」
清霜が部屋へと消えるのを見送って、新貝は重々しく口を開いた。
「……と言いたいが、確かに特別扱いしてるのかもしれないな」
なんだか思わせぶりなことを言う。思わず目を向けると、新貝はいつになく真剣な表情をしていた。
「今回の作戦、あいつには厳しいと思っている」
「ガ島奪還作戦ですか?」
「仮編成案、一緒に作っただろ?」
「ええ」
「だから知っているとは思うが、清霜は待機組にしていた。ガ島に出すのはまだ早いからだ」
それは雲龍も同意見だった。
ガ島は大本営から“中規模”に認定された、深海棲艦の群体が巣くう魔の島だ。姫級すら確認されたその海域に経験の浅い艦娘が斬り込んでいくのはあまりにも危険すぎる。
しかし後日、司令部――もとい黒井提督から返ってきた編成本案では、戦歴の浅い清霜の名前が組み込まれていた。
おかしな編成だと雲龍も思う。
そしてそれは清霜に限らない。まだ練度が十分ではないと思われる艦娘の名前は他にも数名記載されていた。
「でも、ベテランの娘の名前もあるわ。うちからは霞たちも出撃するし、ブインからはあの大井と北上も来るといいます」
確かに妙な編成ではあるけれど、司令部だってそれなりに考えた末での結論のはずだ。何か意図があるのではないか、と雲龍は言いたかった。
「それに、清霜の艦隊が向かう先にいるのはそれほど強力な相手ではないはずです。主力は軽空母。霞も同じ艦隊にいますし、無茶というほどではありません」
「理屈では確かにそうだ。しかし、それでも戦力がギリギリすぎると俺は思う。敵の増援が加わったら途端に厳しいものになる」
「それは、確かにそうですが……。でも、それを言い出したら……」
「まあな、こちらの戦力も有限である以上、どこかで割り切らなきゃならん。だがそれでも俺は……」
新貝は周囲に目を配り、誰も居ないのを確認してから続きを口にする。
「今回の編成案、どうしてこうなったのか俺には理解できない。ガ島の深海棲艦は生半可な相手じゃないぞ。仮にも人類を相手に最前線で戦ってきた連中だ。こちらも相応の戦力を出さなきゃ勝ちきれるかも怪しい」
「……私もそう思います」
雲龍も、内心ではおかしな作戦人事だと思っている。
ガダルカナル島では敵機動部隊の跳梁が確認されており、空母は一人でも多く必要なはず。なのに自分は外された。自分でいうのもなんだが、それなりの期間前線を支えてきた実績もある。しかし遊撃部隊にすら組まれていない。
それは、何故?
雲龍は合理的な理由を思いつけない。
司令部はこの作戦を成功させる気があるのだろうか? ここは温存する場面ではないことは、戦略に疎い自分でも分かるのに。
何か決定的な齟齬があると雲龍は感じた。
「――そういう訳だからな、霞には清霜の訓練に付き合ってもらっている」
「そうだったんですか」
「付け焼刃だろうが、何もしないよりは、な」
「今からでも上に抗議してみてはどうでしょう?」
「もうした。けど、返答は同じだった」
「そう……ですか」
「黒井提督は何を考えてるんだ?」
雲龍に答えられるわけがない。
全てを知るのは暫く後のことになる。
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ガダルカナル島奪還作戦が失敗に終わったときのことを雲龍はよく覚えている。
敵中核を撃滅するも、こちらの被害も甚大。
四つの泊地の艦娘が集まった大艦隊も、帰投してみればその総数を十ほども減らしていた。
一度の作戦でこれほど多くの艦娘が轟沈や生死不明になる事態は珍しかった。
仲間を失った各泊地の艦隊は沈痛な面持ちで、せっかく勝利を掴んだというのに口を開く者も少ない。
それは待機組の艦娘たちも同様だった。
出撃で見送った仲間が、帰ってこない。その事実は彼女たちを打ちのめした。
雲龍と新貝も同じだ。
今作戦のメインとなったショートランド泊地からは、最も多くの艦娘が出撃している。そして帰投できなかった艦娘の数もまた一番多いのだ。
特に新貝の嘆きようは見ていられなかった。怒りのままに司令部に食ってかかっていた。戦力分析、作戦立案、編成。全てが雑だったと怒鳴り込む。事実その通りだった。
特に清霜の件が酷かった。
空襲を受け、彼女が航行不能に陥ったとき、護衛をつけて退避していれば助かったかもしれない。
しかし司令部――黒井提督はその護衛分の戦力低下すら許さなかった。
清霜に下された命令は、“待機”。
中規模クラスの深海棲艦の領海のど真ん中で、まさに戦争の真っ最中なのに、航行機能を失った艦が、単独で待機せよと命じられる。
それはほとんどあり得ない命令だった。
それが下されたときの新貝はまさに激昂し、屈強な下士官たちに取り押さえられながら殴りかかる勢いで撤回を求め続けた。
しかし、作戦は覆ることはなく進められた。
そして、当たり前のように清霜は行方不明になった。
作戦が終了した後も新貝は諦めなかった。捜索隊を新たに編成しようと具申した。
だが黒井提督はそれすらも取り合わなかった。回収班が見つけられなかった、それが全てだ、と。どうせ沈んだのだからこれ以上は時間と燃料の無駄になる、とまで言った。
「自分で退避させなかったくせに何を言うのか!」
新貝は激情のままに飛び出してとうとう黒井提督を殴りつけてしまい、しまいには拘束されてしまった。
雲龍も、霞も、大淀だって抗議したが、その声が届くことはなかった。
艦娘は人間の悪意には無力だった。
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雲龍が“それ”を見つけたのは戦没した艦娘の遺品を整理していたときだ。
本来なら秘書艦がやる仕事ではない。しかし、戦没艦へのせめてもの慰めにと一日だけ大淀と代わってもらっていた。秘書艦として何かしてやらねば気が滅入りそうだったから。
他の泊地の艦娘に割り当てられた部屋を訪れる。目的は、大井と北上の遺品整理。
ブイン組は彼女たちだけで、ショートランドの誰かが遺品をまとめて送る必要があった。
北上の荷物は、少なかった。
私物と思わしき荷物は、壁に引っ掛けられた簡素なナップザックが一つだけ。
他にもないかと念のために机の引き出しを開けてみると、真っ白なフラッシュメモリが一つ転がり出てきた。『仕事用』と貼られたラベルが目に入る。
(どうして、フラッシュメモリがここに?)
そう思った。
寮にパソコンがないわけではない。
しかし外部とは繋がっておらず、演習や要望を申請するぐらいしか使い道がない。わざわざ記録媒体を使って保存するようなデータはないはずだし、そもそもそのような行為は禁止されている。
他の使い道を考えてみる。例えば、イラストや小説などを創作してデータを保存していた、とか? そのようなことをやっている艦娘がいると聞いたことがある。しかし北上はその手の趣味があるようなタイプには見えなかった。
(じゃあどうしてこんな物を持ってきたのかしら?)
手の平で転がしていると、ラベルに描かれた文字が目に入る。
『仕事用』
それって何の仕事だろう――そう雲龍が思ったのも無理はない。
秘書艦の部屋に持ち帰り、ノートパソコンに接続する。
普段だったらそんな覗きのような真似はしない。けれど今のショートランド泊地の沈痛な空気と、大本営の尻拭いに追われ、今の雲龍は無意識的に気分転換を欲していた。一種の思考停止に近い精神状態で新しい刺激を求めた。なんでもいい、この鬱々とした気持ちを忘れることができるならと。
ウインドウが立ち上がる。
中にあったのは『調査記録』という名のフォルダが一つ。
開いてみると『証拠データ』というフォルダと、デフォルト名のままの文書ファイルが一つあった。
特に何も考えずに文書ファイルを起動する。
アプリケーションが立ち上がり、びっしりと詰め込まれた文章の列が目に入る。
そこで雲龍は知った。
恐ろしい計画と、その調査記録を。
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雲龍はゆっくりと瞼を開く。
今となっては全てが手遅れだった。
ガ島奪還作戦は失敗に終わった。
清霜は恐らく轟沈し、新貝はその真相を知ったがゆえに行方不明になった。救うことができなかった。
今の雲龍は真実を知っていた。
後悔しかない。
新貝がショートランド泊地からいなくなったのは自分のせいだ。
あの時、戦没した艦娘の遺品を整理しなければ。
あの時、見つけてしまったあの計画を新貝に伝えなければ。
自分さえ余計なことをしなければ、こんなことにはならなかったはずだ。
彼を探すためにショートランド泊地から飛び出したのはその責任感からではない。ただ自分だけが何もしないでいることが恐ろしかったからだ。
だが結局、新貝は見つからなかった。
昼も夜も駆け抜けて、手がかり一つ掴めなかった。
ならばせめて、ショートランドに戻って真実だけでも公表しなければならない。そうしなければ沈んでしまった清霜たちと、もしかしたら既に――死んでしまっているかもしれない新貝に、申し訳がたたない。
「暁、巻雲、そろそろよ。準備して」
敵に遭遇するならこの辺り。そう思って後方に声をかけたが、返事はない。
それも仕方ないと思う。
雲龍たちはろくな休憩もとらずに十時間以上も航行し続けているのだから。
自分たちがショートランド泊地に帰れなくなって何日が過ぎただろう? 五日目を数えたあたりから記憶も曖昧だった。
島影に隠れて深海棲艦をやり過ごす日々。
照りつける太陽や雨風を防ぐ場所はほとんど無く、補給も入渠もできない。
精神力というものは体力とともに磨耗していくものだ。
もはや雲龍たちの疲労はピークに達している。
雲龍は自身をそれなりに鍛えられた艦娘だと自負していたが、それでも気を抜けばへたり込んでしまいそうになる状態だった。経験の浅い後輩たちでは口を開く気力もなくて当たり前。
波を駆る。代わり映えしない海原を進んでいく。
その先にあるショートランド泊地を目指して。
(今度こそ、お願い)
雲龍は祈るように下唇を噛む。
ただの一度だけ突破できればいい。そうすればショートランド泊地に帰ることができるのだ。
雲龍たちは既に三回も帰投に失敗していた。
始めは、正面から向かった。敵に遭遇して追い返された。
後日、北のフォーロ島を迂回しても同じだった。
いつもショートランド泊地の手前で同じ敵艦隊に遭遇して行く手を阻まれる。
忌々しい、あのヲ級の率いる敵艦隊に。
あいつの艦隊はこちらの事情などどこ吹く風で、いつもショートランド泊地の手前で待ってましたといわんばかりに現れる。いつだってフルメンバーの六人編成で、温存という言葉を知らないように派手に暴れまわって雲龍たちの望みを砕き続けている。乗り越えるには余りにも高い壁だった。
深海棲艦には、燃料や弾薬を補給するという概念は無いのだろうか? だとしたら羨ましい限りだ。自分たちはこんなにも苦労しているというのに。
今回は南に大きく回って、ショートランド泊地南南西のモノ島を大きく迂回するという奇抜な航路をとった。
これでまた“あいつ”に遭遇したら、もう他にとれる航路は無い。
引き返す燃料すらほとんど残っていないのだ。
――飛ばしていた索敵機に反応があった。
異形の影が六つ。
輪形陣の中心には見知った旗艦の姿があった。
黄金の輝きを放つ眼をした正規空母。
勿論、艦娘なんかじゃない。
自分たちの大敵である深海棲艦。
四度目のヲ級だった。
何度も戦ったからよく知っている。
深海棲艦のくせによく連携し、深海棲艦のくせに味方をかばい、深海棲艦のくせに高い練度でこちらを苦しめてきた。
これまではなんとか生き延びることができた。
だがもう一度戦えばどうなるか分からない。
――しかし、だとしても、一当てもせずに背中を見せるわけにはいかない。
無傷の相手に長時間追撃されるほど絶望的な状況はないからだ。
もしそれを許せば、まだかろうじて余力のある自分はともかく、疲弊している二人の駆逐艦は逃げ切れないだろう。
せめて追撃を躊躇うほどには消耗させなければならない。
「やるしか、ないか……」
無視できない疲労を背負い込んで、雲龍は艦載機を発艦する。
避けられない戦いが始まろうとしていた。
ネタバレするけど最後はちゃんとハッピーエンドにするよ。
それも「あの子にとってはこれが幸せだったんだよ……」みたいな嘘ハッピーじゃなくて皆幸せニッコリ大団円エンドだよ。
本当だよ。信じてください。
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2019.4.6 :誤字とか修正
誤字ってどうしてなくならないんでしょうね。何度も確認してるのに。