悪いひとたち ~南方深海泊地へようこそ!~   作:シャブモルヒネ

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3-3:管制塔3

「で、これはどういうことなのさ?」

ガ島泊地の執務室で、新貝が雲龍に抱きつかれている。

男の胸に顔を埋めてすすり泣くその姿は、まるでメロドラマのヒロインのよう。けれどその相手役である新貝は、事態を全く理解していない。久しぶりに会った雲龍がなぜここまで感極まった様相になっているのか見当もつかない。

「俺に聞かれても困る……。思い当たることが無い。いや、本当だ!」

こういった状況では泣いている女を優しく抱きしめて、あるいは頭の一つでも撫でてやり、落ち着かせるのが男の役割なのかもしれない。けれどすぐ横で北上と大井が野次馬根性丸出しの視線を向けているとなれば中々難しい。なすがままに胸元を濡らす温かさを感じていることしかできない。

「なあ、お前らがここに連れてくる間に、何か吹き込んだんじゃないのか?」

「そんなことしてないしー。ふらふらしてて話なんてできなかったしー」

そんな雲龍が執務室に運び込まれてきたのはついさっきのことだった。北上とイムヤの支えがなければ歩くこともままならず、ソファーに横にすると、安堵したように細く息を吐いた。連れてきた北上たちも詳しいことは何も知らず、ただガ島の浜辺に倒れていたことしか分からなかった。

幸い怪我は見当たらず、体力を消耗しているだけのようだった。

今はとにかく、休ませて回復を待つしかない。そう皆が一息つき、新貝が何気なく雲龍の顔を覗き込むと僅かに反応があった。ぼんやりとした瞳が焦点を合わせ、段々と顔に生気が満ちてくる。唇を震わせながら、ありえないものを見たという驚きを浮かべる。力なく起き上がろうとするので思わず身を寄せると、身体を預けるように新貝にもたれかかった。そして、彼女はそれからずっと新貝にしがみついて離れずにいる。

突如始まったメロドラマにイムヤは呆れ、清霜と偵察を交代すると言って出ていってしまった。北上は面白い見世物を見つけたとばかりにニヤニヤ眺めているだけで役に立たず、大井はやってくるなり白眼視。そうしてこの混沌とした今に至る。

現在の執務室は、男女がいちゃつき女二人がそれを視姦するという異様な空間となっていた。

「おーおー、乳がすごいことになってるねぇ。さっすが空母は違うなー、すごいなー」

「雲龍さんって確かショートランド泊地の秘書艦だったわよね。あそこってこういうことを秘書艦にさせているのかしら」

「――させてねえ!」

「嘘おっしゃい。いざって時にこそ普段の行いが出るのよ。目覚めるなりコレってことは、つまりそういうことじゃない」

「な、なんだってぇー。これは憲兵さんに報告しないとぉー」

「やっぱり僻地はだめねぇ。酒保にアダルトグッズがあるってタレコミもきっと本当だったのよ、ああ嫌だ嫌だ」

「――そんなもんは断じて仕入れていないっ!」

雲龍がずっと離れないのをいいことに、雷巡二人が勝手なことを言っている。

暇を持て余していたところに格好のネタが転がり込んできたものだからからかい倒すつもりなのだろう。にやついた口元を隠そうともしないところが憎らしい。

「じゃあ特別手当でも払ってたのかしら? 元軍警察としては気になるわ」

「払ってねえよ!」

「じゃあ弱みでも握っているとか?」

「握ってもいねえよ!」

「そーだよねー。おっさんは握るんじゃなくて揉みたいんだよね~」

「揉んで……」

「あっ、黙った」

「ほぉら。霞の着任先にクズ提督あり、って噂は正しかったのよ」

「ぐぐ……」

女二人に口で勝てるわけがない。

新貝にできるのは、唯一味方になってくれそうな清霜が一刻も早く偵察から戻るように祈ることだけだった。

「でもさー、新貝のおっさんもやる事はやってたって事じゃん? 正直ただのへたれだと思ってたから、アタシはちょっと見直したよ」

「俺は何もやってねえ!」

「えっ、こんな巨乳が据え膳なのに? なんで?」

「まさかホモなのかしら……」

「ホモじゃねえぇぇ!」

「おかしいと思ってたんだー。こんな美少女と一つ屋根の下で暮らしてるのに手を出さないなんてさ。やっぱりホモだったんだね」

「近寄らないでくれる? ホモがうつるわ」

「うつるか! ええい、お前らわざとやってるだろ、いい加減にしろ!」

雲龍の細い肩を掴んでがばっと引き剥がす。

すると彼女は目を丸くして、信じていた飼い主に裏切られた犬のような呆然とした表情を浮かべる。

「あ、今のはひどい」

「最低ね」

「いやいやいや、そういうんじゃないから……。おい雲龍、どうした? お前そんなキャラじゃないだろ?」

今にも泣き出しそうな雲龍に話しかけるがはっきりした反応は示さない。

流石におかしいと新貝は思う。

浜辺に倒れていたというからそれは漂着したということだろう。ならば疲れきっていても不思議はない。しかし今の彼女は疲れていることが原因で朦朧としているようには見えない。

環境の変化に混乱している? いや、それ以前に――深海棲艦が溺れて漂着するようなことがあるのだろうか。彼女が身に着けていた主機は壊れているように見えない。とすると……。

「ま、きっと成り立てなんでしょうね」

大井はそう言った。

「成り立て?」

「どう見ても“今の身体”に慣れていないわ」

自身に重心を預けている雲龍を見つめる。この手を離せばあっけなくソファーに倒れこんでしまいそうだ。

「彼女はガ島奪還作戦には参加していないはずよね?」

「ああ、待機組だ。だから秘書艦をやっていた」

「つまり、奪還作戦で沈んだわけではない、と」

意味ありげに腕を組む。大井は目を細めながら、新貝の腕の中でぐずる雲龍を観察する。

「損傷が激しかったのか、二回以上沈んだのかは分からない。けれど生前の人格を保てていないのは確かね。前にキリシマが言っていたでしょう? 沈むと他の深海棲艦が混ざると」

「沈むと……」

沈んだ。

つまり、死んだということだ。この目の前にいる雲龍が。

そんなことを言われてもまるで実感が沸かない。なぜって目の前の彼女には傷一つついていないのだ。

しかし深海棲艦である今の自分の眼で見て雲龍を仲間と認識できるということは、やはり彼女もまた深海棲艦なのだろう。

雲龍はやはり死んでいるのだ。一度か、あるいは二度も。

「悲しいことだなぁー」

いかにもな棒読み口調で北上が言う。きっと何とも思っていないに違いない。薄情なようだが、新貝だって似たようなものだ。現実感が沸かず、感情がついてこない。

しかしそれも当然か。自分の死に方だって覚えていない。だから、目の前で息をする仲間が実は死んでいるんだ、なんて言われても受け止めきれない。

 

――艦娘や深海棲艦は、死んでなお強い未練があると復活する。

 

それはかつて戦った深海棲艦から得た情報だった。

口裂け女と呼ばれる古参の深海棲艦たち。彼女たちの輸送部隊を襲撃し、物資を奪ってから一週間が過ぎていた。

奴らは侵攻してこなくなった。事実上の停戦。駆逐艦や潜水艦がときどき東のマキラ島から偵察にやって来るが、あくまで隙をうかがっているだけのようで何も仕掛けてくることはなかった。

新貝たちはなんとか首の皮一枚で命を繋げることができた。

それは全て、キリシマのおかげだ。

彼女が輸送部隊の移動ルートを教えてくれなければ、新貝たちは長期戦を仕掛けられてじわじわと追い詰められていたはずだ。

キリシマは仲間たちに疑いをかけられていないだろうか。気がかりではあるが、まさか彼女たちの本拠地であるマキラ島に確かめに行くわけにもいかない。ただ事が上手く運ぶように祈るしかなかった。

「ただいまー!」

朗らかな声がまるで陰鬱な気分を引き裂くように響く。

「あら、清霜が帰ってきたようね」

「やっとか」

清霜。この綱渡りの毎日にもめげず、自分にできることを増やそうと訓練に励み続ける健気な少女。その愚直さはけして楽観からくるものではないだろう。

彼女の前向きな明るさだけがこのどん詰まりの状況では救いなのかもしれない、と新貝は思う。

「雲龍さんを見つけたって聞いたよー!?」

執務室のドアをぶち破る勢いで突入してきた清霜は、しかし新貝たちを見て石になったように固まった。

「清霜?」

彼女は口を丸にして、新貝を指差した。正確には、その胸に顔をうずめている雲龍を。

「トレンディ!」

新貝は降参するように両手を上げて天を仰いだ。

「違うんだ。俺は悪くない」

また言い訳しなきゃならんのか。新貝の口からは溜め息しかでない。

清霜の誤解を解くためには長い時間が必要となり、その原因である雲龍を宥めて引き離すためには更に多大な労力が必要になった。

 

 

結局、雲龍の回復を待つことになった。彼女は上手く話すことができなかったため、全ては保留となった形だ。

しかし新貝たちの心配をよそに体力はすぐに回復した。初日は立つことも難しかったが、翌日には自律歩行が可能になった。三日目には勘を取り戻したのか、海上航行もできるようになっていた。

また、その頃には簡単な単語なら発することができるようにもなっていた。自他をはっきりと区別し、状況を把握している様子が伺える。しかし時間の感覚だけはどうにも曖昧なようで、ガ島に辿り着くまで何をやっていたのかを聞いても首を傾げるだけだ。

分からないものを聞いても仕方ない、今はリハビリを続けていこう――そう前向きに言ったのは意外にも北上だった。

とはいっても雲龍の精神状態を慮ってのことではなく、一刻も早く戦力化したいだけらしい。心待ちにしていた空母を遊ばせておくつもりはないそうだ。ウキウキした様子で海に引っ張っていって清霜との訓練に混ぜている。当の雲龍は特に嫌がる様子もない。新貝が止めないのなら、という感じ。

 

「あの雲龍さんがああなっちゃうとはねー。司令官、本当に手を出してないんですか~?」

「出してねーっつうの」

真昼の陽射しに照らされて、管制塔でイムヤとだべる。

眼下の浅瀬では、雲龍と清霜が回避訓練に勤しんでいた。撃ち手は浜辺に鎮座する砲台小鬼、もとい単装砲くん。散発的に砲撃し、それを雲龍と清霜が避ける形式だ。

彼我の距離はそこそこ。単装砲くんはほぼ定点からの攻撃となるので、避けるだけならかなり楽な状況設定だとイムヤは思う。

「――というわけだからー! 当たるような間抜けはいないよねー!」

と単装砲くんの横っ面を叩いて砲撃指示を出しているのは教官役の北上だ。やたら活き活きとしているのは何故だろう。他人なんか知ったこっちゃないという普段のスタンスが嘘のよう。

以前、清霜をシゴいた時と同じ内容が繰り返される。実弾使用は言わずもがなで、大型主砲と見まがう大砲弾が遠慮なしに撃ち込まれる。

ドーン、ドーン、と派手な砲撃音が定期的に鳴り響いた。

煩くて仮眠もできない、とイムヤが管制塔に上がってきたのはつい先刻のことだった。

新貝は一応見張りのつもりで管制塔にいたのだが、下がやかましいとどうしても目はそちらに向いてしまう。

そんなわけで二人で代わり映えしない訓練を眺めているのだった。

始めは雲龍が被弾しないかヒヤヒヤしていたが、軽快に波を駆る様子を見るとその心配は要らないようだ。

「雲龍さん、今でこそ司令官にひっつかなくなってきたけど、昨日までは親鳥にくっついて歩くヒヨコみたいな感じだったよね」

「あんなにでかいヒヨコがいるか」

「確かに大きいね。どこがとは言わないけど。司令官はそういうの好きなんでしょ?」

「俺の好みはどうでもいいだろ」

「否定はしないんだー」

新貝はうんざりしたように頭を掻く。

「お前さあ、“あの雲龍さんが”って言うけど、それほど仲良かったのか?」

「いーえ、殆ど話したこともないですよ? あの人、何考えてるのかよく分からなかったですし」

「まあ自分を出すタイプではないな」

「それがここに来たらいきなり、ぎゅーっで、ぶちゅーっですからね」

「ぶちゅー、はしてない」

「これは隠れた恋心ってやつですよ、きっと」

「んな訳あるか。女ってやつはすぐそっちに持っていく」

「でも分かんないじゃないですか~」

「雲龍に限ってそれはない」

「あのねえ、司令官? 人の気持ちを決めつけるのは良くないと思うよ」

「んなこと言ったってな、あいつとは殆ど仕事の話しかしたことがないんだよ」

「だからといってさぁ……。そうね、司令官ってそういうとこありますよね」

「なんだよ、そういうところって」

イムヤは手すりにぶら下がるようにしゃがみ込み、遠くの入道雲を見つめて考え込んだ。

「……そうだ、清霜なら分かりやすいかな。清霜はさ、戦艦になりたいっていつも言ってたじゃないですか」

「まあ、そうだな」

「あれって何でそんなことを言ってたか分かります?」

「何でってそりゃあ……」

戦艦に憧れていたから。

そう答えるのは簡単だが、じゃあどうして憧れていたのかと聞かれるとよく分からない。軽巡や重巡じゃ駄目なのか?

新貝は答えを探して海上で訓練する清霜に目を向ける。

駆逐艦だった清霜。頼りなかった彼女は、今では屈強な戦艦になることができた。しかし思い返してみればそのことを喜んでいる様子はまるでない。念願叶ったというのに何故? 不思議だ。

「司令官? まさか清霜が本気で駆逐艦から戦艦になれると思ってた、なんて言うんじゃないですよね?」

「……違うのか?」

その返事を聞いたイムヤは一瞬固まった後に「うちの司令官がこんな下等生物とは知らなかった」という顔をした。

「ち、違うよな。いくら清霜でもそれぐらい分かってるよなぁ」

「清霜のこと何だと思ってたんですか?」

「えぇっとぉ……いやぁ、その~、あれだよ、あれ」

イムヤはたっぷり十秒の間、新貝を睨みつけて「もう……」と溜め息をつく。

「なんというか、その、すまん」

「私に謝ってどーするんですか。そりゃ艦娘は何百人もいて、一人ひとりに気を配るのも難しいかもしれませんけど」

とイムヤはこぼす。

新貝は耳が痛い。清霜の戦艦発言は半ば本気だと思ってた。

そんな愚か者の新貝に、イムヤは解答を提示する。

「なんで戦艦になりたいかって、そりゃ戦艦が強いからですよ。ばっこんばっこんと敵を倒しますからね。清霜は駆逐艦の中でも……まあ、伸び悩んでいましたから。それで分かりやすい目標として戦艦を挙げたんだと思います」

「いつか戦艦と同じぐらい強くなってやる、ってことか?」

「きっとそんな感じだと思います。でもね、そういうのは清霜に限った話じゃないんですよ。潜水艦娘にだって似たような話はあります。誰だって新人のうちは敵を中々倒せないって悩むものです」

「そういうもんか」

「艦娘は深海棲艦をやっつけるヒーロー。そういうイメージを持っている娘は実は多いんです。でも艦娘の仕事は敵を倒すことだけじゃない。偵察だって護衛だって立派な仕事。トンボ釣りをつまらない雑用みたいに考えてちゃ勤まりません」

「確かにそうだな」

「適正だってあります。誰もが北上さんみたいに撃沈王になれるわけじゃないんですよ。自分にできることを探して、理想と現実の折り合いをつけていかなくしかないんです。……これは艦娘に限った話じゃないんでしょうけど」

イムヤの視線は再び遠くの海の上に向けられる。その細められた瞳に映るのは、撃ち込まれる砲弾を必死に避ける清霜。

彼女は戦艦という艦種になりたかったのではない。戦艦のような強さを得たかったのだ。

「そうか、清霜は強くなりたかったのか……」

だから戦艦になっても満足しなかった。いくら火力が高くても当てられなければ――敵を倒せなければ意味がないからだ。だからその技術を身につけるためにああやって毎日訓練に没頭しているのだろう。

「まあほんとに戦艦になっちゃうとは思いませんでしたけどね」

「清霜は、その夢に届くと思うか?」

海上の清霜は、撃ちこまれる砲撃をよく避けている。ガ島に来たばかりの頃に比べれば航行技術もだいぶ向上したように見える。確かに成長しているといえるだろう。

しかし、それでもイムヤの声は明るくない。

「どうでしょう。私には水上艦のことはよく分かりませんけど……」

「才能がない、と?」

「才能なんて言葉は嫌いですけど」

否定はしなかった。

器用さ、要領の良さ、運動神経。そういったものが欠けている。それは戦う身ではない新貝でも、何となく分かる。清霜は先天的に不器用なのだ。

イムヤはぽつりと呟く。

「誰もが綺麗な話しかしないけど、上手くできない人は必ずいるんですよ」

頑張ればできる。

信じていれば報われる。

そんなご高説が適用されるのはいつだって一握りの選ばれし者だけだ。

「私だって同じです。最初は敵をたくさん倒すぞーって思ってました。けど潜水艦じゃ難しいって気付いて、なら潜水艦の中で一番になればいいと考え直しました。けどそれも無理だった。私より強い潜水艦娘はたくさんいる。じゃあ、どこまでハードルを下げればいいのかなって。私は誰の役に立てるの? そんな人生に納得できるの? って思ったりして」

言い切って、イムヤは頬を照れたように掻いた。

「ちょっと恥ずかしい話をしましたね」

苦笑して立ち上がる。言い訳するように言葉を紡ぐ。

「今の私は自分の仕事を見つけて納得しています。けど、今の清霜はきっと納得できてません。多分、艦娘時代からずっと。……司令官はそういうの全部分かってて清霜の訓練に付き合ってたんだって思ってました」

「俺はただ、あいつ一人だと折れそうだと思ったから付き合ってただけだ。初めて会ったとき、泣きそうに見えたから。それだけだ」

そうですか、イムヤは苦笑する。

「それでいいんだと思います。ちゃんと見てくれる人がいるだけで」

「そういうもんか?」

「そういうもんです」

新貝にはよく分からない。辛いときに誰かが傍にいてくれるだけで嬉しい――そんな話はよく聞くが、実際そんな経験をしたことなんてない……と、思いかけたが、そうではないと気がついた。

ショートランド泊地の提督時代。右も左も分からない新米のとき、厳しくも手を差し伸べてくれた秘書艦たち。煮詰まっているときに優しく声をかけてくれた艦娘たち。彼女たちがいなければ提督なんてとっくに辞めて実家に逃げ帰っていたかもしれない。

何となくばつが悪くなって頭を掻く。確かに人の気持ちに鈍かったのかもしれない。

「……ところで何の話だったっけ?」

「司令官は雲龍さんの気持ちを本当に分かってるのかって話です」

「あーー、それな。そんな話だったな」

話を戻さなければ良かった。

「その話はもういいです。これからはちゃんと見てくれそうですし」

「まあ、な。善処する」

「ところで司令官? 私のことはどれぐらい分かってるんです?」

ふむ、と新貝は咳払いして、端的に告げる。

「真面目だと思う」

「はぁ」

「哨戒や地形調査といった地味な仕事を率先してやってくれる。成すべきことをきっちりやるというのは意外に軽視されがちだ。非常にありがたいと思ってる。全体が見えている証拠だ」

「それはどうも」

イムヤ、手を後ろに組む。だからどうしたという表情。

「ここの連中はろくに情報共有もしようとしないからな。毎回報告に来てくれるだけでどれだけ助かるか。信頼できるというのは実はすごいことなんだぞ」

「そう言われるのは嬉しいですけど。でもそれって単なる仕事の感想になってません?」

「まあ待て、話はここからだ。あれはそう、ここでテレビを修理していて、お前の報告に生返事になってしまったときのことだ。きりがいいところまで終わらせてから、いつもの労いの言葉をかけていないと気が付いた。後で謝ろうと思って顔を上げたらお前がまだそこに居た」

「んんー? そんなことありましたっけ?」

「始めはまだ報告することがあるのかと思ったが、どうやら違う。何かを待ってる様子だった。俺はもしやと思ってお前に言った。「ありがとう、イムヤは頼りになるな」と。そしたらお前はすました顔で「どうも」とだけ言って執務室を出た。俺は気になって、ドアから顔だけ出して様子を見た。そこにはにんまりと笑うイムヤが居た」

「!!」

「それから毎日、報告の後に廊下に出たお前をこっそり見にいった。お前は、小声で鼻歌を唄ったり、後ろ手をにぎにぎと動かしたりしていた」

「わーっ!」

「イムヤは褒められるのが好きなんだなぁ、と思った」

「わあーーー! わあーーー!」

「こういうのを世間では何と呼ぶんだ? 隠れデレとでもいうのか?」

「やめてぇー!」

「はーっはっは!」

新貝は高らかに笑う。

「どうだ、俺も部下のことをよく分かってるだろう?」

「う、うう~」

耳まで真っ赤にして震えるイムヤ。新貝はひとしきり笑ってから見栄っ張りな部下に追撃してやることにする。肩に手を置いて、真面目な顔をして言葉をかける。

「頼りにしているのは本当だ。お前がいたから今日までやってこれた。ありがとうな」

「!! ……わ、分かっていて、そういう事、言う……!」

「ちょっとぐらい素直に喜んだらどうだ。ここには俺しかいないだろ?」

「な、な、」

「な?」

「性格悪い! もうっ!」

「はっは、もっと喜べ」

「うるさーーい!」

ぷりぷりと怒るイムヤから目線を外して、海に向き直る。照れ隠しに背中を叩かれるが全然痛くない。

改めて訓練中の清霜たちを見てみる。今度は攻撃訓練をしているようだった。沖にいくつもの水柱が立ち上がるが、黒い的にはまるで当たっていない。雲龍は休憩中なのか、姿は見えなかった。

「清霜はまだ戦艦の長射程には慣れていないようだな。今はもっと近寄らないと駄目か」

「話を逸らすなー!」

ぶすっとふくれっ面を作ったイムヤは隣に並ぶ。

「なんだよ、もっと褒めた方が良かったか?」

「結構です!」

口をへの字に曲げて新貝を見ようとしない。

もう少しからかってやろうかと悪戯心が湧いてくるが、北上と大井のにやけ顔が浮かんできて思い留まった。いかんいかん、ああはなってはいけない。

「――ねえ、司令官?」

「ああ、すまん。からかい過ぎた」

「そうじゃなくて。清霜が撃ってるのって、イ級じゃない?」

「なにぃ?」

目を凝らす。遠すぎて、清霜が黒い物体を狙って攻撃していることしか分からない。イムヤがイ級だというそれは、ゆっくりと北の方角に遠ざかっていく。

「おい、逃げてくぞ」

「そーですね。今日は随分近くまで来てるんだ」

暢気に言う。敵が来たというのに動じる様子はない。

「偵察ですよ、口裂け女のとこの。ああやってちょくちょく様子見にくるんです。報告書、読んでないんですか?」

「そうだった、か?」

イムヤは執務室のテーブルに置いたというが新貝には覚えがなかった。あそこは今や何でも置き場になってしまっている。ビデオや缶詰、工具類などが山になっていて、一度見逃してしまえば風景の一部となってしまいそのまま埋もれていくだろう。

思い返せばガダルカナル島に住みだして随分経つ。ちゃんと数えていたのは一週間ぐらいまでで、今ではもう半月は過ぎただろうか。住めば都とはよく言ったもので、今ではすっかり第二の住処になっている。

「連中、こっちに隙がないか探ってるんです。いつも通りにしてれば何もしてきませんよ」

「なら放っておいても問題ないか」

黒い点は小さくなっていき、やがて消えた。馬鹿真面目にご苦労なことだ。

新貝は、暢気に目を細めながら思う。マキラ島に戻るなら東だろうに。わざわざ北に迂回するのは追っ手を撒くためだろうか。基本といえば基本だが、本拠地を知られている以上意味はない。燃料の無駄だ。

「奴ら、マキラ島が本拠地ってばれてないと思ってるのかね?」

「さあ、どうでしょうねー」

偵察者が水平線の向こう側に消えていく。それを二人でただのんびりと眺めていた。

 

 

夜は執務室でビデオの上映会。それが新貝たち、ガ島泊地の面々の定例行事だった。

出撃のない日に一本ずつ消化していてもビデオの在庫はまだ山のようにあった。ジャンル毎に整理したイムヤがこっそりと破棄したアダルティな代物を除いても、まだ三桁は残るだろう。小さな泊地や基地でならコレを使って商売だってできそうだ。借りる客がいるのなら、だが。

どのビデオを観るかはその日の担当が決める。北上→清霜→大井→イムヤ→新貝のローテーションで、今日は清霜の番だった。

「でも今日は雲龍さんが選んでいいよ。初めての上映会だもんね」

清霜はそう言って他のメンバーに了承を求める。この場にいる新貝と大井に。否定の声は、勿論出なかった。

「ビデオ?」

唐突に権利を譲られた雲龍は面食らったように固まっている。

ビデオの山と新貝たちの顔を交互に見て、思いついたように口を開いた。

「イムヤは?」

「哨戒中だ」

「北上は?」

「部屋で寝てる。次の哨戒はあいつの番だからな」

雲龍はいかにも困ってますという顔で新貝をじっと見つめていたが、当の新貝が助け舟を出さないので自分でどうにかするしかなかった。観念して机の上のビデオの山に相対する。アクション、ホラー、恋愛物。ジャンル毎につけられた付箋に視線を落とし、雲竜は随分と時間をかけて一本を選んだ。

ファミリー向けのアニメ作品。

(意外だ)

(意外ね)

(怖そうなのじゃなくて良かった~)

それぞれの感想を抱く新貝たちをよそに、雲龍はなぜか真剣な表情。その細く長い指を使ってVHSをデッキに押し込んだ。ガチャガチャとセットされる音とともにパネルに再生を示す三角形が表示されると、彼女はほっとしたように溜め息をついた。

「……もしかして、ビデオを使ったことがないのか?」

新貝が聞くと、彼女はおずおずと頷く。

「なんだ、言えばそれぐらいやってやるのに」

そう言われた雲龍は照れたように身を竦めてソファーに座る。

「ん?」

その様子を大井がじっと見つめていることに新貝は気付いた。ビデオ機器の使い方も知らない雲龍に呆れている、ようには見えなかった。どことなく観察するような目つきをしている。

今の雲龍は回復してきたとはいえ、いかにも本調子ではない。何に対しても取捨選択がぎこちなく、口調もどこか幼い。彼女はどこまで回復できるのか? そしてそれはどのような経過を辿る? そんなことを探っているのかもしれない。

成り立ての深海棲艦である雲龍に興味をもつのは構わない。その生態は自分たちにも直結することだ。

しかしこの場には清霜もいる。余計なアクションは起こしてくれるなよと険しい目線を送ると、大井はすぐに気が付いて眉間に皺を寄せてこちらを睨む。これはNOの意向を示しているような気がする。つまりこの場合でいうと、「そこまで気を使っていられるか」「いつまで清霜に秘密にしているつもりだ」といった非難の色合いが強いと思う。

そんなことは分かっている、と新貝と大井が百面相をしている傍ら、ブラウン管では新作の予告が始まっていた。TV画面に目を向けている雲龍。そしてその横顔をじぃっと清霜は見つめていた。

「ねえねえ雲龍さん? 雲龍さんはどうしてここに来たの?」

「……?」

聞かれて雲龍はゆっくりと顔を向ける。

「もしかしたら司令官と清霜たちを助けにきたのかなって思って。捜索隊? 救助隊? そういうのって、ショートランド泊地から出てるんですか?」

雲龍は少し考えて、困ったように首を傾げる。

ええっと、と清霜は言葉を選びながら続けた。

「雲龍さんは一人でしたけど、普通一人で海に出たりしないから、きっと誰かと一緒だったと思うんです。けど、ええと、その人たちはどうなったのかなって思ったんです。もしかしたら深海棲艦に襲われたのかなぁって。そうなら助けに行ったほうがいいですか? その、もし無事そうなら、ですけど。そのう、」

「いいえ」

たどたどしく話す清霜を、雲龍は遮る。それは違う、と彼女は言った。

「一人で、来た」

「一人でって、雲龍さんだけで?」

「そう。提督に会いに来た」

「他の艦娘は?」

「来てない」

「……どうして?」

「言われてないから」

新貝たちを捜索するような命令は出ていない。

雲龍は独断で海に出た。

そういうことだろうか。

「ええっとー?」

今度は清霜が首を傾げて考え込む。頭の上にクエスチョンマークが浮かんでいるのが見えるようだ。

新貝も腕を組んで考えてみる。

捜索命令が出されていないのは何故か。あの薄情な司令部の連中なら簡単に見捨てたとしてもおかしくないが、司令部が解散した後ならショートランド泊地の面々が探すのではないかと思っていた。しかしどうやらそうではないらしい。仮にも泊地を預かる提督が生死不明なのに、何故?

その答えはすぐに分かった。きっと前提が違うのだ。

「俺は……俺たちは“行方不明”じゃなくて“死亡”扱いになってるんじゃないか? 薄情なもんだ。なあ、清霜?」

「え? う、うん、そうだね……」

それならそれで好都合だと新貝は思った。下手にサーモン海域諸島を捜索されて、ガ島に居る自分たちと遭遇したらどうなる? そこから先の想像はあまりしたくない。

「ん? ってことは雲龍は軍規違反をしてまで俺たちを探しに来てくれたのか」

そう考えるとなんだか申し訳ない。いや、それだけで済ませてよい話ではないだろう。彼女はそのせいで艦娘としての人生に幕を落とすことになったのだから。平身低頭して謝罪しなければばちが当たる。

「……それにしては、探すのに随分時間が経っていると思うのだけど。本当に助けたいならもっと早く出るべきでしょう」

横から大井が余計なことを言う。勿論ただの嫌味ではない。最近の軍の動向を知ろうとしてのことだと新貝も分かっている。が、清霜がいる今は止めてくれと思う。何より命まで賭した雲龍に対して失礼だ。新貝が抗議しようと口を開くと、それを制するように雲龍はぴしゃりと答えた。

「私、すぐに追いかけた」

「追いかけた? 誰を?」

「提督」

「俺を? それって俺が死……えーっと、俺は前にどっか行ったのか?」

「そう」

新貝自身も覚えていないそれを、雲龍は知っていると言う。新貝が死ぬ直前の話を。

新貝は僅かな期待を胸に、続きを聞く。

「俺はまるで覚えていないんだが、俺はどうやって……居なくなったんだ?」

「連れていかれた」

新貝は頭の中でその言葉を反芻する。

連れていかれた。

誰に? なんで? どこに? どうやって?

次々と浮かぶ疑問の一つに雲龍が答えた。

「観測船で」

観測船。そう、新貝には船に乗っていた記憶がある。

いや正確には少し違った。無理やりに乗せられていた。

両手を後ろに縛られて。

その記憶は、雲龍の言葉に引っ張られるように、芋づる式に脳裏に現れた。

――俺は連行されていた。観測船に無理やり乗せられて。

「……なんでだ?」

頭が上手く回らない。何かを思い出せる気がする。新貝は記憶の世界に焦点を合わせる。今の自分は馬鹿みたいな顔をしているという自覚はあるが、それを気にする余裕はない。湧き上がる光景に全神経を集中する。

暗闇。

あれは夜だ。

真夜中に出航する船。少数の人間に連れられて、危険な海を突き進んだ。

「どうして?」

その答えを新貝は既に知っていた。あの時も、知っていたから乗せられた。

――そうだ、口封じだ。拘留中に雲龍からもたらされた、あの恐ろしい計画を知ったから。だから、永久に黙らせるために俺は連れて行かれたんだ。

しかしそれでは理屈に合わない。殺すならどこでもいい。泊地から離れるにしても、この世で最も危険な場所である夜の海に出航していく理由にはならない。他の理由もあったはずだ。

「それはなんだ?」

その答えも、既に知っていた。

答えはずっと持っていた。

ただ認識できなかっただけだ。

夜の海に向かっていった理由。それは、清霜に会うためだ。

清霜に会わせてやると言っていた。あの世で、ではない。この世でだ。あの時既に死んだはずの清霜に会うためにあの船は出航した。そのためにはあの夜、あの海でなければならなかった。なぜなら、その時刻、その場所に清霜が現れるからだと、あいつがそう言っていたじゃないか。

「あいつ?」

それが誰かなんてことは当然知っている。脳細胞に焼きついている。どうして今まで思い出すことができなかったんだろう。自分を殺したあの野郎の、あの面を。

天啓を得たような衝撃が走る。

血走った目を限界まで見開いて、奈落の淵を覗き込んだ。

それは砕け散った記録だった。記憶としては不十分、しかし記録の欠片として繋ぎ合わせれば連続する体験として十分に成立する。

新貝はこの瞬間、失われた真実を取り戻した。

今までそれがおぼつかなかったのは単に忘れてしまっていたからではない。脳を、ニューロン組織の接続を、物理的に破壊されたからだ。胴に二発、頭に二発。念入りに殺されたことを全身の細胞が覚えている。それがたった今、ようやく一つの認識として繋がった。

全身を、塗り潰すような怒りがあった。

遠くで誰かが呼んでいる。しかし意に介す必要はなく、その気も起きない。この燃え盛るような怒りを晴らすことだけが最優先事項だ。

ただ一つ。そう、たった一つだけ、絶対に許せないことがあった。その非道に比べたら、自分が殺されたことすら問題ではない。清霜をわざと見殺しにしたあのクソ野郎、それだけでも許しがたいのに、あろうことかその清霜を――

「司令官?」

その清霜の、声が。

「――どうしたの司令官? 怖い顔、してるよ?」

清霜の顔が目の前にあった。ひときわよく知っている顔。毎日見ているはずその顔が、なんだかひどく懐かしい。

手を伸ばす。

届いた。

触れる。温かく、柔らかで――生きている。

「、き、――っ」

彼女を認識すると、喉が詰まったように痛むことに気付いた。ずっと呼吸を止めていた。新貝は溺れかけた人間のように激しくむせ、喘ぐように息を吸った。

「ちょ、ちょっと、大丈夫!?」

清霜が心配して背中をさする。新貝には言葉を返す余裕もない。眩暈がする。歪む世界の中で、ようやくここがガ島泊地の執務室だということを思い出した。

ここは“今”だ。

“あの夜”ではない。

そのことすら理解できていなかったことに戦慄を覚える。

確かな証拠を探そうと、無理やりに顔を上げる。視界の端では大井と雲龍が驚愕の表情を浮かべていた。

「貴方、顔が……」

どこまで無様な姿を晒していたか、今の新貝には知る由もない。

大井にしては珍しく二の句が継げないようで、新貝への問いかけを切り上げて、清霜に声をかける。

「ねえ清霜、貴女には彼がどう見えた?」

「え? どうって?」

「怖い顔、って言ったでしょう」

「そのまんまですけど……。何かありました?」

「何かって、そんな……」

大井は今度こそ黙りこんでしまう。雲龍も驚きの表情を貼りつけて、己の目が見たものが信じられないというふうに瞳を瞬かせていた。

新貝は乱れた呼吸に翻弄されてまだ喋ることもできない。

「顔って、何のことです? ねえ?」

清霜だけがいつも通りの様子で、この場では逆に浮いていた。まるで全員が別の悪夢を見たような、そんなちぐはぐさが執務室を支配していた。

テレビから陽気なBGMが鳴り響く。

パステルカラーに彩られた画面の中で、可愛らしい女の子がにこやかに微笑みながら世界の美しさを説いていた。

そんなものを観ている者はどこにもいなかった。

 

 

次の日の朝。

大井が一人で執務室にやってきて、躊躇いながら教えてくれた。

「あの時、貴方の顔が白い髑髏に見えたのよ。前にイムヤが言っていた、鏡に映った貴方の本当の姿に。深海棲艦の姿に」

新貝は何も答えない。

思い当たることがあった。

怒り。

それこそが自分の未練の一つなのだろう。

そして、大井と雲龍はそれを抱え込んでいない。だから新貝が敵に見えた。きっとそういうことなのだろう。

新貝は昨夜の焦げつくような感情を思い出す。

瞼の裏には、己が死んだ日の光景が浮かび上がる。

あれは星の見えない夜だった。




思い……出した!
次回はちょっとスカスカです。お兄さん許して。
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