悪いひとたち ~南方深海泊地へようこそ!~ 作:シャブモルヒネ
というわけで作戦会議の始まりである。
場所はいつも通りの執務室。それなりの広さを持つ部屋ではあるが、六人も詰めれば流石に狭苦しさを感じてしまう。部屋の中央にはテーブルが鎮座しており、新貝はそこに地図を広げるために散らばった工具やビデオ、空き缶にバナナの皮といった一切合切を隅に押しのけた。そのうち幾つかが床に転げ落ちて音を立てる。
眉を潜めたのは、大井。
彼女の前世は、自称軍警察の艦娘。今世は真逆の立場で、深海棲艦。重雷装巡洋艦という艦種はそのままに、二世代分の経験で培った戦闘技能を存分に奮い、ガダルカナル泊地の防衛を勤めている。当泊地の長である新貝に対して敬意を払う様子は微塵もない。今日もテーブルの正面に陣取って、苛立たしげに腕を組みながら険しい視線を向けていた。
「自分で使う部屋は自分で掃除しろって何度言ったら分かるのかしら?」
彼女はことによるとその辺の姑よりも小言が多い。主に、整理整頓・戦場での心構えに対して。本当はそんな面倒はしたくない、という態度を見せていたけれど、その心根は冷淡であっても冷酷ではないことをガ島泊地の面々はよく知っていた。
「まぁまぁ大井っち、怒ったってしょうがないよ。このおっさんは僻地の生まれなんだからさ。整理整頓っていう文化を知らないんだよ」
「お前な、東京以外は田舎みたいな言い方すんのはやめろ」
悪びれも無く割り込んできたのは、北上だ。
不機嫌な大井の隣に腰を下ろしながら、へらへらと作り笑いを浮かべた。
彼女も大井と同じく、前世は軍警察で、重雷装巡洋艦。元エースオブエースの称号は伊達ではなく、彼女がここガ島泊地における最強の実力者であることを疑う者はいない。性格は底無しのKYで、最低限の協調性はあるように見えて偶にぞっとするような発言を平然とすることがある。ひょっとしたらマジもんのやばい奴なのではないかと密かに疑っているのは新貝だけではない。本人はそれを知ってか知らずか、いつでも勝手気ままに振る舞っている。おそらく他人の評価なんて気にしていないのだろう。
「はい、南方海域の地図。最新バージョンよ。これ作るのほんとに大変だったんだからね? 司令官はさぁ、その辺考えて何か言うことあるんじゃない?」
そう言ってテーブルに地図を広げたのは伊168ことイムヤ。
前世はショートランド泊地の潜水艦隊旗艦、今は、ガ島泊地の何でも屋。哨戒、偵察、戦闘と、その隠密性を活かして大活躍だ。他の面々が自由すぎるのもあって真面目な彼女が担う役割は大きい。よく頑張っていると新貝も思う。
そんな彼女は最近になっておおっぴらに賞賛を要求するようになってきた。一度指摘されてからは開き直ったのか、人前でも遠慮しない。とはいえ流石に気恥ずかしさは捨てきれないようで、生暖かい目をじとっと向けていると「きもいんだけど」と照れ隠しで目を逸らす。
「目が犯罪者のそれですよ」
……照れ隠し、と新貝は思っている。
「今のガ島周辺は大丈夫。偵察は順調。“我ニ追イツク敵機ナシ”……はぐれしかいないわ」
淡々とそう告げたのは最近加入したばかりの雲龍。
前世はやはりショートランド泊地で、元機動部隊所属。ガ島に漂着したときは歩くことさえおぼつかない状態だったが、今では空母として十分に活躍できるほどに回復している。練度も既に実戦投入できるレベルであり、その搭載数を十全に活かせば艦娘相手に引けをとらないはずだ。元が長身なのもあり、ぴっと背筋を伸ばして座る姿は絵になる。けれどその中身はどうにも幼く、危うい面がある。思い込んだら一直線。その性質を活かすか殺すかは提督の采配次第だろう。根が穏やかな彼女は戦争には向いていないのかもしれないが、あの刺々しい大井に加えて自己中な北上とも上手く付き合って緩衝役になってくれているのは非常にありがたい。
「うん、これで全員揃ったね!」
最後に清霜が元気よく声を上げた。
前世からずっと新貝の傍に居た彼女は今もその隣に座っている。かつては駆逐艦で、今は戦艦。いずれも練達の域には届かず、それでも夢は捨てていない。清と濁を併せ呑みながら少しずつその歩を進めている。その不屈の精神は、ともすればバラバラになりかねないこのガ島泊地のメンバーを惹きつける要因にもなっている。どうにも彼女から目を逸らせない。それは単に危なっかしいから、だけではない。前向きに進み続ける姿とはそれほどに輝かしい。この特殊すぎる状況のなかでは尚更だ。全人類が敵という、この現状の中では。
死して尚、果てせぬ願い。
それは生者にとっては狂気、あるいは浄化すべき未練と呼ばれるものなのかもしれない。
しかし深海棲艦に言わせれば話は違う。
それは希望。
ただ生きていくことさえ不確かな状況にありながら、けして前を向くことを諦めないという姿勢は、何物にも変え難い、目に見える希望なのだ。
場の全員が、席に着いた。
「ではこれより、対ショートランド泊地の作戦会議を始める」
その言葉に、五人の深海棲艦が新貝を見る。
大井、北上、イムヤ、雲龍、清霜。
珍しく誰も余計な口を挟まない。静まり返った執務室の中で、新貝は朗々と口上を述べる。
「もう全員知っていることだが、先日ここガ島泊地は爆撃を受けた。結果、砲台小鬼が破壊された。やったのはショートランド泊地の艦娘……で間違いないんだな?」
雲龍がこくりと頷く。
「つまりガ島泊地が艦娘に見つかったということだ。もう一刻の猶予も無い。来たる侵攻に備えなければならない」
「でもどうやって?」
大井が口を挟む。
「ショートランド泊地の戦力は貴方が一番よく知っているでしょう?」
「ああ、勿論だ。はっきりいってここの五人だけで対抗できる相手じゃない。一度や二度追い返すだけならともかく、本腰を入れたショートランド泊地と戦うなんて到底無理だ」
新貝はショートランド泊地に所属する艦娘の数を述べた。戦艦級、航空母艦、重巡級……各艦種のそれぞれの数を。それらは誰もが大よそは知っている数字であったが、それら全てが敵に回るのだと改めて知らされると誰もが厳しい表情を浮かべるほかない。
迫りくる壁はあまりにも高く、そして広い。だが、それでもと新貝は口を開く。
「一歩も引かない」
淀んだ空気を振り払うように、語気を強めながら。
「このガ島泊地を手放したら俺たちに未来は無い。逃げればそこは資源も施設もない蠱毒の海だ。ここで勝つしか生き延びる道は無い」
反論は、無かった。それは全員が知っていることだった。
ここまでが大前提。そして次こそが最大の肝だった。戦うからには、割り切らねばならないことがある。
「……つまり、俺たちは艦娘と砲火を交えることになる。誰かを沈めることになるかもしれない」
お前たちにそれができるか? と一同に目を向ける。
直視しなければならない現実。そこを曖昧にして引き金を引けるわけがない。
初めに口を開いたのは、やはり気負いのない北上だった。
「アタシはヤれるよ。生きるために戦う、そこに何か問題があるの?」
彼女ならそう言うだろうという確信が新貝にはあった。北上は判断を間違えない。そして誰かに思い入れがあるようにも思えない。強がりでもなく、本当にかつての同僚を撃ち沈めることができるだろう。それに関してはある意味信頼感すらあった。
「私もヤれるわ。どうやら薄情のようですし?」
肩をすくめたのは大井。確か、ずっと前にそんな軽口を言った記憶が新貝にはある。彼女はその場に居なかったはずなのに、と思ったが今はその話をするときではない。
残る三人に目を向ける。
ショートランド組の表情は暗かった。かつて同じ釜の飯を食った仲間を撃つ、その決断はあまりにも重い。
そんな彼女たちに大井は諭すように言葉を紡ぐ。
「物事には、優先順位というものがあるわ。悔いの無いように生きたいなんていう気持ちは贅沢品よ。まずは生き延びなくちゃ話にもならない」
一番に返答したのは清霜だった。
「分かってます、そんなの。嫌ってほど」
その顔に新貝が想像していたような悲壮さはない。
「都合よく助けてくれる誰かなんていないし、戦えなければ生き残ることもできない。そんな簡単なことを前の私は分かっていなかった」
けれど今は違う、と彼女は続ける。
「私は戦います。もう誰かの都合でいいようにされるのは嫌。例え相手が正しい側だって関係ない。人を勝手に沈めようとする輩には全力で抵抗するって決めたから」
その言葉に躊躇いは無い。
駆逐艦時代の最期、かつて仲間に置き去りにされたという体験。それを知っているのは新貝だけだが、知らないメンバーにも何かあったのだろうということぐらいは想像できる。死に際というものは大体壮絶なものだ。価値観が変わってもおかしくない。それはこの場の誰もが知っていることであり、清霜もそうだったのだと納得した。深海棲艦とはそういうモノだ。未練を抱え、そのために死生観も変わる。ならばきっと彼女は自分で言う通りに戦い抜くことができるのだろう。例え、後悔することになろうとも。
その姿を見て北上はどこか嬉しそうに口笛を吹く。
「分かってるなら話は早いよ。おちびが一番心配だったんだ。やだやだ戦いたくない! って泣くんじゃないかってね」
そう言って、次に目を向けた相手はイムヤだった。
「ちなみに、二番目はあんただよ」
突然話を振られ、イムヤはドキリと緊張を走らせる。
「あんたはちゃんと戦えるの? アタシにゃどうにもそうは思えない」
イムヤはどう言い繕ったらいいか分からないという顔でしばらく黙っていたが、やがて意を決したように姿勢を正し、こう呟いた。
「……前に、ショートランド泊地に戻ったことがあるんだ」
それはずっと前、新貝たちと合流するよりも前の話だと彼女は言った。深海棲艦に成り立ての頃、鏡で見た自分の姿にどうしても納得できず、ショートランドに帰ったことがあるらしい。誰にも見つからないように海底を進み、ショートランド泊地近海に辿り着き、不安と期待を胸に浮上した。そして、
「当たり前だけど、攻撃された」
苦虫を噛み潰したような顔で、イムヤは告白する。
「だから私は艦娘の敵なんだってちゃんと分かってる。何もしなければやられるだけ。そんなのを、仲間がやられていくのを見てるだけなんてもう嫌だよ」
「仲間? ここのメンバーのこと? 艦娘の方はもう仲間じゃないって?」
「単装砲くん、だっけ? 酷くやられてた……。あの姿を見ちゃったら私だってこのままじゃいられないって分かるよ」
「ふぅん、ならいいけど」
破壊されてしまった砲台小鬼。つい朝方まで動いているところをイムヤは見ていた。なのに、容赦なく命を奪われた。ふと想像してみる。あれがもし清霜や新貝だったら? その光景は十分に訪れうる未来なのだ。
「……けど、けどね? それでも私の中には最後の希望が残ってる。私たちは深海棲艦になってしまったけど、それでも中身は変わってない。それをちゃんと伝えることができたら、もしかしたら……って思うんだ」
新貝は眉間に皺を寄せて唸る。
そんなことはありえない。妄言を吐いていると一蹴されるだけ。あのコンゴウもそう言っていたではないか。
そう考えたのは他の娘たちも同じだった。軍警で上層部のシビアな世界を見てきた大井と北上も、そして、かつて切り捨てられた経験のある清霜と雲龍も、イムヤの言っていることが甘い願望でしかないと知っている。
「あのなイムヤ、きっと軍の連中は、」
「分かってる!」
悲痛な声でイムヤは遮る。頭では分かっている、だからみなまで言わないで、と。
「それでも希望を捨てられないの。だからさ、司令官。一つだけ我侭を言わせて」
「なんだ」
「一度でいいから、ショートランド泊地と交渉してほしい。そして私の希望を打ち砕いてほしいんだ。そうでないと私はきっと誰とも戦えない」
「……ああ、分かった」
「ごめん。ほんとに、ありがとう」
北上が唇を尖らせる。
「いいの? そんな余裕ある? ただでさえ勝算が無いようなもんなのに、更に選択肢が狭まる気がするけど。言っておくけどあんまりアタシをアテにしないでよ? 連戦はきついんだからね」
「んなことは分かってるよ。それでも勝算はあるんだ」
「ほっほぅ?」
「……ちょっと待って」
大井が待ったをかける。自然、室内の全員の目が集まった。
「なんだ、大井は交渉には反対か?」
「それ以前の話をしたいわ。貴方いま勝算と言ったけど、何をもって勝ちとするの?」
「おお、流石は大井。これからそこを説明したかったんだ」
「……?」
分からないという顔をする雲龍に説明する。
戦争をするときに一番大切なのは、どうやって勝つかではない。何を目的に掲げてどこに着地させるかだ。そこを事前にきちんと定めておかないと悪い勝ち方をしてしまうこともあるし、逆に上手くやれたなら良い負け方に繋げることもできる。
つまり大井が聞こうとしているのは、今回の対ショートランド泊地戦で自分たちは一体どこを目指すのか、という話だ。
まさか殲滅戦を掲げて終わりなき戦いに身を投じるわけにもいくまい。
「俺たちが目指すのは、一時停戦だ」
「へぇ、停戦」
「ああ、国や世界を相手にいつまでも戦い続けることはできない。だから着地点は絶対に必要なんだ」
「んー、でもさぁ、人類はその着地点を要らないって言うんじゃない? 深海棲艦相手に話し合おうなんて言うパッパラパーは流石にいないんじゃないかなぁ」
「それは否定しない。だからこの際、相手の本心はどうだっていいんだ。話し合うといって騙まし討ちにするつもりだとしても、良しとする。要は、俺たちのこの詰みに近い現状を一時的にでも脱することができればいいんだ」
「ふーん、それじゃ仮に上手くいったらその後はどうするのさ?」
「ぶっちゃけると白紙に近い。だが、ある程度の時間があれば、味方を増やすなり拠点を増やすなり、次の希望に繋げられるだろう?」
「うーん、言いたいことは分かるけどね。その場しのぎすぎて、なんだかなー」
北上は白黒はっきり決められないのが不満なようでむんむんと唸った。大井は逆で、「この戦力差でそれができれば上出来でしょうね」と意外に文句はなさそうだ。
「さて続きだ。勿論、最初の交渉で不戦協定でも結べれば一番いいんだが……」
そう前置きしたうえで、それが破局を迎えたケースについて話を進める。
「この世は所詮、力があってこそだ。力が無ければ話し合いのテーブルにも座れない。弱者は、強者にでっち上げられた正論に従わされるしかないんだ」
誰にも否やは無い。ここに居る全員はまさに力づくで従わされてきた側だ。今さら“話せば分かる”を信じるような盆暗は居ない。それは、和解を諦めきれないと言うイムヤでさえ、本心のところでは同じだった。
「だから俺たちは少なくとも一戦交えて、証明しなければならない。少なくともショートランド泊地に対抗するだけの力があることを。その上で俺たちに交渉可能な理性をあることを示すことで、ようやく停戦交渉に入ることができる」
「ボロ負けするようじゃ、侮られて終わりってことだね」
「ああ」
清霜の拳が、知らず強く握り締められる。絶対に負けられない戦い、それこそが彼女が望んだ舞台だった。
おずおずと口を開いたのは、それまで黙っていた雲龍だった。
「……それで、具体的にはどうやって勝つというの?」
そう。
それこそが最大の難問だった。
相手は人類。その最前線を担うショートランド泊地。
艦娘――戦闘要員の数はこちらの比ではない。そのうえ充実した設備と資源まで備えている相手にたった五人でどうやって勝つのか?
考えれば考えるほど不利な点ばかりが挙がってくる。
まず位置関係。ショートランド泊地のすぐ近くにはブイン基地がある。戦いが長引けば参戦してくるのは間違いない。緊密な連携をとられれば敵の盤石さは天井知らずに上がるだろう。
更には陸上基地――基地航空隊の建設も可能性としてあがってくる。対深海棲艦のセオリーといってもいいこの戦法が完遂されれば、その時点でゲームセットといっていい。もしもサーモン諸島のどこかに建設されてしまえばガ島側に抗う術は完全に無くなる。大火力の基地航空隊を飛ばされて、かつてB-29の空襲にさらされた都市群のようにろくな抵抗さえできずに叩かれ続ける展開しか残らない。
だからこそ長期戦は絶対に避けねばならなかった。
「電撃的に勝利して、そのまま交渉に持ち込む! それが全てだ」
短期決戦だけが生きる道だった。奇襲して決定的な損害を与え、口先だけでも講和を結んだ方が得だと丸め込む。それしかないと新貝は唾を飛ばして主張した。
「……」
熱をこめる新貝の口調とは対照的に、部下たちの反応は芳しくない。
なんとも言い難い沈黙だった。
なぜならば、皆の頭の中には同じ言葉が浮かんでいたから。
最初に口を開いたのは清霜だった。
「それってなんか、どこかで聞いたことがある台詞だね……」
はっきりとは言いにくい様子だったため、イムヤが補足する。
「どこかの敗戦国も同じことを言って開戦しましたよね?」
続けて、大井も。
「真珠湾から再現する気? 結末も同じになるわよ」
そう。例え、最初の奇襲をどれだけ鮮やかに決めようと、ショートランドにとっては大した損害にはならないだろう。現状の戦力比はそれほど絶望的。勝機なんて一つも無い、大井はそう指摘した。
しかしそれでも、新貝の目に諦めはなかった。
「まぁ最後まで聞けよ」
彼の言う勝算、それはやけっぱちの妄想などではない。検討を重ねたうえで実現可能だと判断した作戦だ。
それはまず二つの策を成すことで条件が整うと説明された。
一つ目は、敵陣営を弱体化せしめること。
二つ目は、自陣営を強化すること。
実にシンプルな方針。この二つの策が実現した暁には、ショートランド泊地と五分以上に渡り合えるようになるだろうと新貝は言った。
「まずは一つ目の策なんだが……」
その具体的な手順が説明された。
誰が、どの役を担うのか。
タイムテーブルを丁寧に追っていく。
話が進むにつれて皆の困惑は深まっていった。
あまりに危険で、実現性に乏しい策だと、誰もが思った。
大井は深く、長い溜め息を吐いた。
「……貴方、本気で言ってるの?」
新貝のいう一つ目の策、敵陣営を弱体化せしめること。言うは易く、行うは難い。
大井はその主役に抜擢された清霜に目を向ける。小さな体躯に、戦艦のパワー。なるほど、うってつけの人選だ。しかしミス一つ許されない綿密さを求められるこの策に、練度の低い少女が向いているとは大井にはどうしても思えなかった。
「ねえ、こんなギャンブルじみたやり方が本当に成功すると思う?」
「俺はマジで言っている」
「ああそう、だったら暑さに頭をやられたようね。こんなの前提からして怪しいもんだわ」
「そこまで駄目か?」
「あのね、私たちが深海棲艦になってから何日経ったと思ってるの? ショートランドだって以前のままではないかもしれないのよ? 仮定一つが違っただけで全てが崩壊するわ」
「そう言われたら否定はできない。だが、逆にいえば仮定が合っていれば大成功する。違うか?」
「……だとしても、危険だわ。清霜、貴女はいいの? この運試しのような作戦で一番危険なのは貴女なのよ?」
「私は、司令官を信じます」
清霜は、ゆっくりと息を吸ってから告げた。
「この作戦は司令官が考えに考えて、どうにか搾り出した最善策なんだと思います。だったら私は私のベストを尽くすだけです」
「けど……」
「いーじゃん」
北上は口元を吊り上げて笑った。
「アタシは気に入った。なるほどね、こういう戦い方もあるんだ。深海棲艦しか相手にしてこなかったから思いつきもしなかったよ。うん、相手の嫌がることをやる。むしろ基本だねえ」
イムヤは、じっと地図を睨んでいる。この作戦の航路を。かつてショートランド泊地へ帰るために通った道を、今度は戦うために征く。まさかこんな日がくるとは思わなかった……というのは嘘だ。いずれ激突する日がくるのは知っていた。だから、イムヤは。
「私は、潜水艦の仕事をするだけです。いつも通り、何も変わりません」
そう宣言して口元を結んだ。決意は固まりきっていない。しかし今世の行動原理は芯まで身体に根付いている。仲間を見捨てることだけはしない、そして逃げ出すこともしないと決めたのだ。例えその相手が、前世の仲間たちであったとしても。
「確実な作戦なんて、無いわ。いつだってそう。違う?」
雲龍は、ショートランド泊地へ想いを馳せていた。そこにいるはずの姉妹艦の天城に。もし彼女と対峙するときがきたなら、その相手をするのは同じ空母の自分しかいないだろう。自分は妹を手にかけられるのか? その答えは、ここにいる面々の命と天秤にかけてみても分からない。雲龍に分かるのは、このまま何もしなければ自分たちは確実に死ぬということだけ。ならば戦って、停戦に持ち込むことで両者とも生き延びる道に賭けてみたい。
だから雲龍は決めた。戦って勝つ、それに全てを賭ける。
「……ふん、まあいいわ」
大井はだって頭では分かっている。ただ綻びを追求せずにはいられない性分なだけだ。
「一つ目の策はそれで良しとしましょう。でもね、これだけじゃとても決定打にはならないわ。二つ目の策を聞かせなさいな。自陣営の強化とは何を指すの?」
「ああ、それはな、味方を増やすんだよ」
「増やす?」
へぇ意外、と大井は呟いた。どうやら強化と聞いて訓練を思い浮かべていたらしい。
「敵を一網打尽にする必殺陣形を編み出す……とか言い出すんじゃないかと思っていたわ」
「おいおい、そこまで馬鹿じゃねえよ」
ここにきて努力で全てを解決しようとするほど新貝も愚かではない。
「じゃあなに、また砲台小鬼でも作るつもり?」
「近場に野砲の類はもう無い。それにあったとしても、また小鬼になってくれるか分からんしな。そういう味方の増やし方じゃない」
「じゃあどこから味方を引っ張ってくるっていうの? まさか一から勧誘を始めるつもりじゃないでしょうね?」
「近いが、少し違う。既成の団体様と手を組むんだよ。うってつけのがいるだろう? 皆も知ってる連中が」
「ええ? 誰のこと?」
清霜は小首を傾げてクエスチョンマークを浮かべる。分からないのは彼女だけではない。新貝以外の全員が同じように考え込む。そもそもガ島泊地に着いてからはずっと忙しくしていたせいで他所の深海棲艦と仲良くなるような時間的余裕なんてなかったはずだ。となると誰だ、まさか生前の提督時代の知己とか? いやいや、それこそ深海棲艦と知り合う機会なんてあるわけがない。
誰もが頭を悩ませて、それでも答えは出なかった。
「おいおい、そんなに分からないもんか?」
新貝は指を一本立ててヒントを出す。
「マキラ島」
その単語はほとんど答えを言っているようなもので、雲龍以外の全員が正解に辿り着くことができた。
かの島を根城にする深海棲艦の集団といえば一つしかない。
「いやいやいや、ありえないでしょ?」
北上は手をパタパタと振りながら新貝に本当の正解を促すが、彼はにやりと笑うだけだった。北上も苦笑いを返すしかない。
「あはは……って、マジで?」
「さっきから言っているだろ、俺は大マジだ」
「手を組むって? あんな戦争狂みたいな連中と? そもそも話ができると思う?」
「できるさ。言葉が通じるなら不可能じゃない」
「そんなん言ったってさぁ、だって……ねえ?」
「いいか、あいつらがこれまで何年も生き延びてこれたということは、そうするだけの頭があるってことだ。つまり資源の重要性をよく分かっているということだ。そこを突けばいい」
「資源を渡すから力を貸せってこと? そのなけなしの資源を奪ったのはアタシたちなんだけど……」
「ぶち切れられるかもしれんが、背に腹は変えられまい。最終的には折れるはずだ」
「そりゃ、理屈ではそうかもしれないけどさぁ」
「とにかく、やると言ったらやるぞ。それにな、この同盟を結べればおよそ四艦隊分の戦力が仲間に加わることになるんだ。しかも練度は折り紙つき。となればあとはもう戦術を少し工夫するだけだ。電撃勝利も夢じゃなくなる。ブインが動く前にショートランドは白旗を上げているって寸法さ」
「はぁ、素晴らしい作戦ですな~。実現できれば、ですけど」
北上は気の抜けた声を上げてソファに身を預ける。お手上げといったポーズ。
かつて殺し合った相手と共同戦線を張る。
そう言われて、はいそうですかと簡単に了承できるわけがない。
それは他の娘たちも同じだった。口々に不安を訴える。
あの人たちだけはナイですよ、とか。
宇宙人と仲良くなる方がまだ現実味がある、とか。
「――あの、一ついいですか?」
雲龍が小さく手を挙げる。
「そのマキラ島の深海棲艦って、本当にあの口裂け女なんですか?」
ここのメンバーでただ一人、自称第三戦隊の面々と関わっていない雲龍にはピンとこないようだった。
「話には聞いています。けれど口裂け女というのは噂でしかないような深海棲艦でしたから。疑ってるわけではないんですけど……」
俄かには信じがたい、と雲龍は言う。
「まあすぐには信じられない話かもな」
新貝だって実際に会話していなければ四方山話だと思っただろう。何年も戦い続けている古強者なんてのは嘘っぱちで、本当はトラック泊地が任務失敗の言い訳としてでっちあげた架空の強敵とか……そういわれたほうがまだ納得できる。
しかし件の口裂け女は都市伝説でもスケープゴートでもなく、実在する連合艦隊だった。
「顔を見ればハッキリ分かるぞ。口元がこう、大きく裂けている」
「いや、裂けてないよ。そう見える傷があるだけ」
「そうだっけ? まぁどっちでもいい。とにかく、本人たちもトラックからやってきたって言っていたしな」
「そう、ですか……」
雲龍はまだ納得しきれないといった様子。しかしそれ以上は口を挟まなかった。
彼女がすんなりと受け入れられない理由は他にもあった。
“深海棲艦と交渉する”……それがあまりに突飛な話に思えたからだ。
なぜなら雲龍はまだ喋る深海棲艦に会ったことがない。彼女の中では深海棲艦といえば只の怪物でしかない。故に、ただのル級である口裂け女と交渉すると言われても、その光景を想像することができなかった。
そういう自分だって深海棲艦で、ヲ級改のくせに。
どうにも艦娘気分が抜けきれないと雲龍は自省した。
「でも、本当に手を組めるなら、心強いですね」
曰く、深海棲艦の最古参。大和をも沈めた強者たち。敵に回せば厄介極まりないが、手を組めるならこれ以上頼もしい味方はいないだろう。
「一体どんな人たちなんですか?」
「うーん、そうだな」
新貝は腕を組んでしばし考える。
「えらく好戦的でな、ええと、なんて言ったもんか」
上手く言葉にできない。真っ先に浮かんできた単語は“ウォーモンガー”だがそれも正確さに欠けると思う。あの連中は、別に戦うこと自体が好きというわけではないように見えた。ただ周り全てに向ける敵意が強すぎて、何もかも許せなくなっているだけで。
「ううむ」
どう伝えるべきかと言葉を選んでいると、続きを周りの娘たちが引き継いでくれた。
「身内以外は全員敵って感じ?」
「言葉は喋れます」
「協力なんてありえないって自分で言ってなかった?」
「艦娘絶対殺すマン。じゃなくてウィメン」
どうやら評価の方向性は概ね一致しているようだった。主に歓迎しがたい方向で。
雲龍は「なるほど」と頷いてみせるだけはしてあげた。
「交渉、頑張って下さいね」
「……何とかなるさ。いや、してみせる!」
「頼りないわねぇ。もっと気っ風のいいこと言えないのかしら……」
大井はいかにも呆れましたとばかりにわざとらしく溜め息をつく。
「悪かったな!」
新貝はライターを取り出して、けれど煙草はもう残ってないことを思い出す。ぼりぼりと頭を掻いて天井を見上げながら、ただの空気を吐き出した。
それを見て周りの者たちも相好を崩す。それが終わりの合図だった。
作戦会議と呼べるような代物ではなかったかもしれない。しかしそれでも希望は残っていると確認できた。
ならば後は進むだけだ。
@
ガ島の浜辺で一人、清霜が黄昏ていた。
そこはつい先日に爆撃された地点。単装砲くんが死んだ場所だ。
一台の壊れた野砲が、ただ打ち捨てられているだけ。
硬い表面をそっと撫でる。そうすれば奇妙な声で鳴きながら巨体を揺らしていたのが嘘のようだ。
「準備は終わったん?」
振り返ると、北上が一人で歩いてくるところだった。
「ソレが砲台小鬼の成れの果てかぁ。元の野砲に戻っちゃったんだ。不思議だねぇ」
そう言って、清霜に並んで手を添える。さして興味もなさそうに、その砲身に付着した錆を眺めながら。
「おチビは何を考えているのかな?」
清霜は口を開こうとするも、躊躇する。少し時間をかけてからゆっくりと呟く。
「……死ぬのは、怖くありません。けど何もできずに終わるのは嫌。今度の私はちゃんとできるのか、それが不安なんです」
へえ、と北上は片眉を上げてみせる。
「驚いた。もっとセンチなことを考えてると思ってた」
例えば、砲台小鬼の短かった人生の意義についてとか。
あるいは、その末路に自身の未来を重ねて、この今の状況を改めて嘆ているとか。
「そういうね、考えてもしょうがないことに囚われてるのかなって思ったんだけど、違うみたいだね~」
「人生の意義とか、運命とか……そういう言葉って、深海棲艦には関係ないですよね?」
「そうだね。人の輪からはじかれた奴には関係ない」
潮の香りが吹き抜ける。南国の風は意外に湿り気が少なくてそれなりに爽やかだ。本国本土の湿り気のある風とは違って、煩わしいこともない。
「私も意外でした」
「ん? 何が?」
「北上さんが他人の心配をしていることです。結構有名だったんですよ、艦娘時代の北上さんが言ってたことって」
「ああー、あれね」
――助けないと死ぬんなら、これからずっと助けなきゃだめってことじゃん。それならさっさと次にいったほうがいいよ
かつてエースの中のエースだった北上の言葉にはそれなりに影響力があった。戦況を左右できる者が弱者を見捨てるべきだと発言したことはあらゆる意味で衝撃的で、それは噂好きな駆逐艦娘たちによって包み隠さず広められていき、殆どの艦娘に批判されることとなった。
「あの時は補充要員がたくさんいたからねぇ。けど今は人手不足だし、肩を並べられるお友達もできそうにないし、色々と妥協することにしたのさ」
「友達って?」
「こっちの話。アタシの未練」
「はぁ」
よく分からないという顔をする清霜。傍らの野砲の残骸に目を向けて考えてみる。
(友達、か。この子と自分は友達だったのかな。言葉は通じなかったけどよく懐いていたと思う)
「雑念、雑念」
その言葉に現実に引き戻される。益体の無い話を考えてもしょうがない、そう言われたばかりだった。
大事なのは過去ではない。未来だ。これからの戦いに、もっと言うならば練度の高いショートランドの艦娘たちにどうやって勝つのかという現実的な問題を、どうやって解決するのか。それをずっと考えているのだ。しかしその答えは全く出そうにない。
「――アドバイスとか欲しい?」
「欲しいです!」
「うん、素直でよろしい。話が早い子は嫌いじゃない」
清霜は改めて北上に向き直る。
「北上さんの訓練のおかげでだいぶ動けるようになったと思います。けどショートランドの艦娘はもっと強い。どうしたら勝てますか?」
「そうだねぇ。教訓みたいなことは言いたくないんだけど、今のおチビに大事なことは、」
そこで言葉を選ぶような間を置いて。
「できることはやる。できないことはやらない」
清霜は困惑する。
「先を考えて動けってこと。成功しそうならやる、失敗しそうならやらない。例えジリ貧な状況に追い込まれても、一か八かはやっちゃだめ。そういうのをやっていいのは、それが失敗したときのフォローができる公算が立ってから」
「ふんふん……?」
「逆に言えば、相手が博打をうったときはこっちの勝機ってこと。きっちり潰して主導権を握る、それができるように立ち回ること」
「う、うーん?」
「相手のできることの外側から攻めるんだ。戦艦ならそれができる。あ、外側っていっても射程の話じゃないよ? ……分かる?」
「えーっと、えーっと、要するにぃ、」
「要するに、は禁止」
途端に声のトーンが落ちる。北上にしては珍しく真剣な口調。
思わず口を噤んだ清霜に、その細い指を突きつけながら勢いよく喋りだす。
「大事なことを簡略化しちゃダメ。噛み砕かないでそのまま飲み込んで。雑にした分だけ隙になる。そこを突かれて皆死ぬんだ。どいつもこいつもそれが分からないから私のところまで上がって来れない。分かる? 分からない? 分からないなら負けるだけ。勝ちたいなら分かりなさい」
詰め寄る北上の勢いにごくりと唾を飲み込んで、清霜はなんとか「わ、分かるよう努力します」とだけ返した。
すると北上はそれまでの勢いが嘘のようにぱっと笑顔を咲かせて「宜しい」と頷いた。
いかにもな作り笑いだ。
やっぱりエースと呼ばれる人たちはどこかおかしいのかもしれない、と清霜は思った。
場の空気を変えたいと思った清霜は、とりあえず機嫌が上向くようなことを言おうと視線を迷わせる。
目に止まったのは、突きつけられた北上の指。それはピアニストのように整っている。美しい。まるで戦なんて知らないお嬢様のよう。
「北上さんの指って……」
よく見れば指だけではない。腕も綺麗。半袖の裾に至るまで傷の一つも見つからない。
「アタシ、被弾したことないから」
「ええっ?」
どうだ、と自慢げに手の甲や反対の腕まで見せつけてくる。本当に傷が無い。普通はうっすらとした傷がたくさんあるものなのに。
何故なら、艦娘が負った傷は入渠しても完全には治らないからだ。歴戦の艦娘ほどその証が残る。
しかし、北上は例外のようだ。聞けば入渠したこともないらしい。
「死んだときもね、急所にわざと喰らっただけだから。他の部分はこの通り、キレイなもんでしょー?」
「わ、わざとですか……?」
「主機が壊れちゃってさー、じりじり死ぬのは嫌だったから首をどうぞってしたわけ」
「えええ、そんな死に方ってありますか?」
「はっは。あるのよねー。だってどうにもならないことは、どうにもならないんだから」
がははと笑う北上。
やはりこの人は規格外だと清霜は思う。なんだかんだ言ってても最後にはどうにかしてくれるという心強さがある。
けれどそれに頼っていては駄目だ。
次の勝利は自分で掴む。それができなければ、あの月の無い夜に、独り沈んだ艦娘が報われないのだから。
誰かにできることは、誰にでもできること。