悪いひとたち ~南方深海泊地へようこそ!~   作:シャブモルヒネ

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1-2:ガダルカナル島泊地

ショートランド泊地に着任したばかりの新貝提督は多忙の日々を送っていた。

それもこれも業務引き継ぎを担当した大淀とかいう陰気な軽巡娘のせいだ。

彼女がとんでもなく融通の利かないスパルタ女だったのが運の尽きで、着任の挨拶と泊地内旅行は早々に切り上げられ、新貝は“寝る・食う・出す”以外の全てを書類の山と格闘するよう要求された。

その当時は新貝はまだやる気溢れる新人提督であり、愚かにも「要領をつかめば楽になる」と信じて真っ向勝負を挑み続けていた。

その時はまだ知らなかったのだ。

大淀の要求水準に天井がないことを。

ただただ体力と頭の処理能力の限界にチャレンジしていた、そんな頃合だ。彼が清霜と初めて会ったのは。

 

 

活字が瞼を閉じても消えてくれない。

書類仕事で頭が煮詰まって、一服しようと執務室を出ると、廊下の壁際で夕雲型が一人蹲るようにしゃがみこんでいた。

腹でも痛くなったのだろうかと覗き込んでみると驚いたことに目を瞑ってすうすうと寝息を立てている。

「おいどうした。ここはお前の部屋じゃないぞ」

屈みこんでその肩を揺らす。

もう夜も遅い。普段賑やかな庁舎も静まりかえり、虫の音だけが微かに聞こえていた。

「……あ、あれ? ここ……どこ?」

「執務室の前」

対応がぶっきらぼうになってしまうが新貝には改める気力もない。

とにかく疲れていた。

目の前の艦娘は自分を起こした男に初めて気付いたようで、その軍服を見て目を丸くする。

「しっ、司令官!? すいません! 清霜は大丈夫です!」

と背に一本筋が通ったようにピンと直立、間髪いれずに敬礼。が、急に起き上がったためか少しよろめいた。

「そんなのしなくていいから。ふらふらじゃないか」

「す、すいません」

「なんで廊下で寝てんの?」

「ええと、そのう」

目が泳ぐ。消灯時間をとっくに過ぎていた。

「……別に怒らんよ。もう業務時間外だ。これ以上余計な仕事をする気はない」

追求しないから白状しろ、と目で促すと困ったような顔をした。

「訓練を、自主訓練をしていて。えっと、それで部屋に戻るのが遅れてしまって、ちょっとだけ窓に寄りかかって外を見ていたら……」

へえ、と新貝は眉を上げる。

訓練とは思わなかったからだ。

どうせ女子会とかで盛り上がって、持ち込んだ酒で前後不覚になったのだろう程度に思っていた。

新貝はそれまで書類仕事と定型業務にかまけて艦娘という存在にほとんど関わってこなかったこともあり、艦娘=年頃の少女=ちゃらちゃらした子娘という雑な印象しかもっていなかった。ちなみに大淀は例外。新貝は彼女のことを人の形をした拷問器具だと固く信じている。

「……自主訓練とは殊勝なことだが、わざわざ夜にやらなくてもいいだろう。日中の訓練では足りないのか?」

「私、航行も砲撃も、あと雷撃も苦手で……。駆逐艦の中でもびりっけつなんです。このままじゃ海に出ても戦えないから、ちょっとでも追いつかなきゃって思って……」

「それで夜中まで訓練していたということか?」

「はい……」

申し訳なさそうに答える。

「しかし主機や装備は装備課に返しているだろう。なんの訓練ができるんだ?」

「艦娘は身体が資本ですので、マラソンや筋トレを」

「はぁっ?」

新貝は思いがけないものを見たという顔で彼女を見つめる。

駆逐艦娘はびくりと首をすくめた。

「……いや、別に怒ったわけじゃない。驚いただけだ」

確かに体力向上を目的とした訓練はある。

しかし自主訓練といえば射撃や航行といった個人技能を鍛えるのが普通だ。基礎能力訓練は日中に嫌になるほど組み込まれているので敢えて追加でやる物好きなど存在しない、と思っていた。敢えて昭和のスポコンのようなことをやるやつがいるとは思わなかったのだ。

「でも全然上達しなくて……。ずっとやってるけど、先輩方のようにはできません」

と苦々しげに呟く。

(にしても、よくもまあ夜中まで頑張れるものだ)

新貝は、同じ深夜の居残り組として、この馬鹿真面目な艦娘の力になりたいと思った。

「じゃあさ、例えばどの辺ができないんだ?」

「はい?」

「砲撃としよう。砲撃はどれだけ当たる? 条件は……こっちも目標も停止、距離は五千。弾着修正アリで三発以内」

「え? え?」

「それを十セットやったら何発ぐらい当てられるんだ?」

目を白黒させている。

「……一発か、二発でしょうか」

「じゃあお前の目標としてる先輩は何発当てるんだ?」

「さ、さぁ……? 私よりは当ててます」

曖昧な答え。思ったより早く話が終わってしまった。

「条件を変えよう。第一戦速で同航戦。他は同じ」

「ええっと、ほとんど当たらないです」

「じゃあ先輩は?」

「……分からないです」

新貝は何となくこの艦娘がどこで躓いているのか分かってきた気がした。

「砲撃において、君が得に難しいと思う条件はなんだ?」

「…………」

黙ってしまった。

「おい、俺は別にいじめたくて言ってるんじゃないぞ。君は自分が「できない」って言ってるが、どこがどうして「だめ」なのか分かってないって言ってるんだ」

怪訝な顔。まだ分かってないらしい。

「だから……まず、どんな砲撃が苦手なのかを知らなきゃしょうがないだろう? 移動してたら当たらないのか、距離があったら厳しいのか。それが分かったら、じゃあ何でだめなのかって話になる。目測が苦手なのか? 姿勢制御に難があるのか? 原因が無いなら砲身が曲がってるってことになるな」

長話をして喉が少し痛い。

軽く咳き込みながら窓を開ける。風が入ってきて気持ちいい。

「とにかく、だ。訓練はただやれば上達するってもんじゃない。自分は何ができて何ができないのかをちゃんと把握しろ。それで、そのできてないことが自分よりできている先輩に相談するんだ。問題点が分かったらそこを直せるように意識して訓練すればいい。気合と根性だけじゃ何も変わらないぞ」

「はい……はい! 分かりました、やってみます!」

びしっと敬礼。今度はふらつかなかった。

目から鱗が落ちたような顔をしているが、こんな簡単なことを教えてくれる友達もいないのだろうか、と失礼なことを新貝は思う。

「だから敬礼はいいって。また何かあったら遠慮せず声をかけろ。あと、無理しない程度に頑張れよ」

偉そうなことを言った手前、新貝は自分ももうちょっとだけ頑張るかと心中で気合を入れ直す。

司令室に戻ろうと踵を返そうとして、ぴたりと止まる。大事なことを忘れていた。

「ところで君の名前、教えてくれないか?」

「はいっ! 夕雲型十九番艦の、清霜です!」

「俺はここショートランド泊地の提督、新貝貞二だ。着任したてで頼りないかもしれんが、まあよろしく頼む」

手を差し出す。

提督と艦娘の、大きさの違う手がしっかりと重なった。

 

 

それが今の無気力の権化である自分と比べると、いかに“らしくない”言動であったかは本人が一番よく分かっている。

(あの時はまだやる気があったからな)

あの後すぐに大淀のしごきに音をあげてしまい、いかに楽をしながら提督業をこなせるかに腐心するゆとり提督へとクラスチェンジしてしまった。

それはさておき。

今は、清霜のことだ。

自分に手を差し伸べる少女を見上げる。

(確かに清霜だよな。艤装はレ級のそれっぽいが、中身はあの頃から何も変わっちゃいない……はずだ)

尾の生えた清霜の手を握り、波の揺れに注意しながらゆっくりと筏の上に立つ。

その手のひらの柔らかな感触は昔と変わっていない。そのはずだ。

(何が起こったのかは分からんが、こいつが清霜なのは間違いない。頭の中まで深海棲艦なら俺はとっくに死んでるだろうしな)

分かるのはそれだけだ、と新貝は割り切ることにした。

実際に割り切れるかは問題ではない。

そうすると決めて余計な思考を排除することが人間関係の構築には重要だ。あとは時間が解決してくれる。

それが新貝の人生訓だった。

(しかし、清霜が深海棲艦になったということは……)

艦娘は沈むと深海棲艦になる、という噂がある。

もしそれが本当なら、清霜は一度沈んだということになる。恐らくは、ガ島奪還作戦のときに。

(あの時、俺が救えなかったばっかりに――)

新貝の胸に熱いものがこみ上げるが、ぐっとこらえる。

今の清霜は、恐らく自分がどうなっているのかをよく分かっていない。

余計なことを伝えて動揺させてはいけないと思った。

「なあ、清霜」

「なに、司令官?」

ん、と首を傾げる。清霜のいつもの仕草だった。

握ったその手をまじまじと見つめる。

「重巡の砲を喰らってたが平気か?」

「あ、うん。大丈夫! ちょっと痛かったけどね」

これが戦艦の装甲なんだから! と元気さをアピール。

よく観察しても本当に怪我はなさそうだ。僅かなかすり傷程度しか見つからず、新貝は内心安堵した。

(しかし尻尾の他はどこも変わってないように見えるが……どうなってるんだ、これは……)

「な、なーに司令官? じっと見つめて、ちょっときもいよ?」

そのとき、清霜の表情がぎょっとこわばった。

新貝は、尻のあたりをじろじろと覗き込むのはまずかったかと焦ったが、これは見当違いで、清霜が固まったのは新貝の背後から魚雷が迫っていることに気付いたからだった。

戦闘が終わったばかりで二人とも油断していた。

距離が近すぎて回避行動を始めるには遅すぎる。

清霜は迷わず新貝を掴んでいる手を思い切りぶん回して投げた。

「おあああぁぁぁ!?」

飛んでいった新貝を確認する間もなく魚雷が肉薄する。

「やっばーい!」

今度は清霜が避ける番だ。

清霜は被弾確率を少しでも下げるために片足を上げて身を固めた。尻尾が逆再生のように服の中に引っ込んでいく。

爆圧と轟音。

破片と水しぶきが清霜に降り注いだ。

しかし自身に衝撃はなく、どこも痛みを感じなかった。

「……あれ?」

おそるおそるといった様子で顔を上げる。特に損傷は無い。だが、

「あっ、あーーっ!?」

筏が木っ端微塵になっていた。

魚雷が命中したからだ。

そのおかげで清霜は大した怪我もなく済んだのだが、あまりの出来事に髪の毛に滴る水滴を払うこともできず呆然とする。

「く、苦労して司令官と作ったのに」

一体どこの馬鹿がやってくれたのだと顔を回して犯人を探すが、海上には誰もいない。

まさか透明人間の仕業!? と清霜が的外れな予想をしたときに甲高い声が響いた。

「あれーっ!? もしかしてあなた、艦娘なの!?」

声がするからには海上のどこかにいるはずだが、清霜にはやはり見つけられない。

「誰!? どこにいるの!?」

「ここよ、ここ!」

声の方を見ると、波の隙間に赤い髪をした女の頭が浮いていた。

すわ海の妖怪かと清霜は気が遠くなりかける。だがよく見ると、潜水艦娘がその頭を海面に出しているだけだった。

「あはっ。なにその顔! 敵だと思って撃っちゃった、ごめんね」

言いながら浮上してきた潜水艦娘に、清霜の引き攣った顔がぱっと明るくなる。

よく見ると知っている顔だった。

「もしかしてイムヤさん!?」

潜水艦娘は腰まで伸びた髪をかきあげて片目を瞑る。

「正解。そういう貴女は駆逐艦の清霜ね。泊地で見たことがあるわ。……なんだか変な艤装を持ってたみたいだけど」

「うん、清霜はね、なんと戦艦になりました!」

「戦艦? ……戦艦に?」

清霜はにんまりと頷くだけで要領を得ない。

「ま、とりあえず詳しい話は後にしましょう。本当に敵に遭うかもしれないしね。ここからちょっと行ったところに私が隠れ家にしてる港があるんだけど、来る?」

「本当ですか!? 私と司令官、遭難して困っていたんです……って、そうだ司令官!!」

緊急回避で海に放り投げてしまった。

咄嗟のことだったのでどのぐらい飛ばしたか見当もつかない。

「しっ、ししし司令官どこーっ!?」

突然騒ぎ出した清霜にイムヤが驚く。

「ええっ、司令官がこんなところにいるの!? なんでっ!?」

言うが早いか、イムヤは一目散に潜っていく。

さすがは潜水艦、あっという間に見えなくなった。

清霜は海上に一人残される。

海中のことは潜水艦に任せるしかない。

「お願い司令官、生きててぇ」

清霜の情けない声が空しく響いた。

 

 

屋根がある。

壁がある。

目を覚ますと木造の建物の中だった。

新貝がベッドの上で久しぶりの文明に感動していると、入り口から一人の少女が入ってきた。

「あっ、起きてる。司令官、もう大丈夫?」

赤い髪に、スクール水着……にしか見えない制服、快活な表情に見覚えがあった。

「イムヤか?」

「そ。イムヤだよ。良かった、司令官ってば意識がないんだもん」

「そういや俺はなんで寝てるんだ?」

「それは清霜が……ああっとー、うん、まあ色々あってね」

新貝は頭を捻るが、清霜が敵艦隊を撃退した後がどうにも思い出せない。

「そ、そんなことより! 遭難してたんだって? よく無事だったね」

「ああ、死ぬかとは思ったが清霜のおかげで無事だった。敵を倒してくれてね」

「へえ、やるねー」

「その清霜はどこに?」

「夕飯の準備してるよ。急に人が増えたから準備が必要なのよ」

窓を見ると陽が落ちかかっていた。寝ている間に夕方になっていたようだ。

「ひとまず話はこのあたりにして、ご飯食べよ。もう起きられる?」

「そういや腹減ったな」

ベッドから足を降ろし、イムヤに続いてドアをくぐる。

すぐに木製の梯子があった。高床式住居のようだ。

降雨と害獣から逃れるために、熱帯地方にはよくある形式の建物だ。

「ていうか、お前はなんでこんなとこに居るんだ?」

「ま、私も司令官と同じよ。遭難中。今は無人の建物を借りてるの」

ぼうぼうに伸びた草を避けて、露出した砂利の上を音を立てて歩く。

夕暮れだというのにむわんとした熱気が肌にまとわりつく。

新貝は襟を開いて身体との隙間に風を送り込んでみるが、慰めにもならない。

思い切って上着を脱いでしまおうかと考え始めたとき、まさしく廃墟といったていの木造の建物が見えてきた。

「あそこに清霜がいるのか?」

「そう。そして今私が使ってる泊地でもあるの」

「他には誰もいないのか?」

「私一人だけよ。今は司令官と清霜もいるね」

中には入らず表に回ると、キャンプ場にあるような石製の流し場があり、清霜の背中がもぞもぞと動いているのが見えた。

「夕食の下ごしらえをしてもらってるの。おーい、司令官起きたよー!」

ぱっと清霜が振り向く。

薄暗闇に手元が光る。

刃物を持っていた。

ぼろぼろと大粒の涙を零しながら新貝に迫る。

「じ、じれいが~ん!」

新貝はぎょっとして思わず仰け反る。

対してイムヤは何でもないように清霜の後ろに首を伸ばすと、ああと納得する。

「玉ねぎ、切ってたのね」

 

 

夕食はカレーだった。

新貝と清霜、イムヤの3人で、食料庫に残された食材を使って調理した。新貝は消費期限が気になったが、イムヤに聞いても「へいきへいき」とルーの箱を見せてはくれなかった。

流し場のすぐ横にある建物に入る。風雨に晒されて全体的に黒ずんでいたが意外に造りはしっかりしている。窓を新調して掃除すればまだまだ使えそうだった。

「いただきます」

三人で手を合わせて食事が始まる。

野菜たっぷりのカレーは肉こそ入ってなかったが全員に好評だった。

新貝と清霜は久しぶりの文明食を味わって、感動に打ち震えた。

ボロの屋内でテーブルを囲んで全員しばらく無言で食べ続ける。

「ふうー。旨かった。ごちそうさん」

一息ついて、新貝はまず自分たちから状況を説明することにした。

無人島に漂着したこと、ショートランド泊地に帰るために海を渡っていたことを話す。

「ふーん、でも帰るのは難しいと思うよ。私も様子を見に行ったことがあるんだけど、途中に深海棲艦の群れが網を張ってるんだよね」

「そうか……。だが帰る方向が分かるってことは、ここがどこだかも分かってるのか?」

「うん、ここはガダルカナル島だよ」

「ガダルカナル!? ここが? だってガ島は……」

深海棲艦が占拠しているはずだった。

なぜなら先日の泊地奪還作戦の対象、それが他ならぬガ島なのだから。

そしてその作戦は――

新貝の呼吸が止まる。

心臓が早鐘を打ち、冷や汗が流れた。

どうしてそれをすぐに思い出さなかったのだろう。

――奪還作戦は失敗していたのだった。

 

敵本隊の撃退には成功した。しかしショートランド泊地を中心とした艦娘側の連合艦隊の被害も大きく、ガ島占領には至らず撤退となっていた。

被害。

そう、被害が出たのだ。

轟沈した艦娘がいた。

それは清霜一人ではない。

例えば偵察任務についていた潜水艦娘――伊168もまた帰らぬ人となっていたはずなのだ。

その事実を思い出し、新貝は生唾を飲み込む。

だが目の前のイムヤは新貝の心境などそ知らぬ様子で喋っている。

「ここは間違いなくガ島なんだよ。その辺の建物に看板とか書類が転がってるしね。ただ深海棲艦はどこにもいないんだ」

(深海棲艦は、どこにもいない……?)

確かに今この島には以前占拠していた深海棲艦はいないのかもしれない。

そうでなければ悠長に食事なんてしていられないだろう。

イムヤはカレーを頬張ってもぐもぐと具を転がせながら続ける。

「ここにいた深海棲艦は多分どっかに逃げたんだと思う。あっちも被害が大きかったみたいだからね。もうここは防衛しきれないってことでさ」

新貝は考える。

このイムヤは一体“どちら”なのか?

実はまだ生きていて艦娘のままなのか、それとも清霜と同じく深海棲艦となっているのか。

傍目には判別できない。

と、ここまで黙々と食べることに専念していた清霜がぴょんと勢いよく挙手する。

「なんでしょう、清霜くん」

「はい、イムヤ先生! 敵は勢力を回復させたらまた戻ってくるのではないでしょうか!」

「いいところに気がついたね、清霜くん。花丸をあげよう」

とイムヤは皿からナスをプレゼント。清霜はやったと小さく喜ぶ。

「そう。近いうちに奴ら戻って来ると思うんだよ。私としては泊地にも戻れないし、せっかく追い払ったのに取り返されるのも癪だからここを守りたいんだ」

私一人じゃ無理だけど、と続け、新貝の目をじっと見つめる。

「司令官はどうお考えですか?」

 

 

「やれるだけやってみるか」

それが新貝の答えだった。

別に敢闘精神が再燃したわけではない。ここを追い出されたら行くあてがないという消極的な理由からだった。

とはいってもここに居るのは戦艦娘と潜水艦娘、そしてボンクラ提督のたった三人だ。不安しかない。

ひとまず使えるものはないかとガ島内の施設を探索することにした。

ガ島はつい最近まで深海棲艦に占拠されていたとはいえ、昔は人類側の泊地だったのだから、少しは使える施設や兵器が残されていてもおかしくない。

イムヤに案内されながら薄汚れた部屋を巡る。

驚いたことに電気がついた。

(占拠していた深海棲艦が使っていたのか?)

そんな馬鹿な、と新貝は思いつきを打ち消す。

廊下の天井には裸電球が一定の間隔でぶら下がっており、ぼんやりとした灯りで周囲を照らしている。足元にはダンボール箱や紙束、何に使うのか分からない木材がまとめて端に寄せられていた。イムヤが片付けたのだろうか。

目の前を歩くイムヤの背中を見つめて考える。

彼女も前作戦で沈んだはずだ。それは目撃者もいた確かな情報。ということは彼女もまた深海棲艦なのだろうか?

新貝は穴が開くほど見つめてみるが、その後姿に清霜のような尾は生えてない。

するといきなりイムヤの足が止まり、新貝の視線を手で遮った。

「あのー司令官? お尻ばっかり見つめてくるのは、その、セクハラってやつだと思うんですけど」

「ああ、いや、別にお前の尻に興味はないんだ」

「勝手に見ておいて失礼なことを言う……」

後ろから清霜がひょっこり顔を出す。

「そうなんですよーイムヤさん。司令官っていい歳してえっちなんですよー」

「人聞きの悪いこと言うな」

会話をしていても、やはりイムヤが“どちら”なのか分からない。

なおもイムヤの全身をジロジロと探る新貝に、イムヤはジト目で応える。

「ロリコンの変態しか提督になれないって噂は本当なんだったんですね」

「なんだと? もういっぺん言ってみろ」

拳を固めて息を吹きかけると、イムヤと清霜は「わー!」「きゃー!」とわざとらしく頭を抱えて逃げだした。

新貝は一人残され、深く溜め息をついた。

「だめだ。俺にはさっぱり分からん」

二人を追って新しい部屋に入る。

すると、型は古いが見覚えのある装置と器具が目に入った。

「お? これは入渠設備か?」

バスタブに大小様々なチューブがくっついたような形をした装置が並んでいた。

逃げていたイムヤが顔だけ扉から出して答える。

「そうでーす。ちなみに使えるよ。私で確認済み」

使ったのか、と設備を眺める。かつて前線拠点だっただけあって造りはしっかりしており、数も四つある。

「こりゃいいな。後は……」

「燃料も弾薬もあるよ。あっちが資材庫」

と親指で後ろを指す。

「残っているのか」

「深海棲艦の奴ら、慌てて持っていけなかったのかもね」

「輸送船に積みきれなかったって線もある。ちなみにどのぐらいある?」

「えーっとね」

イムヤは思い出すように斜め上に目線をやりながら答えた。

結構あった。

少なくともこれでしばらくは資材不足に悩まされることもなさそうだ。

あとは単純に戦力さえあれば戦えるが、無いものねだりをしてもしょうがない。

ただの人間である新貝は当然戦うことができないので、清霜とイムヤの二人に頼ることになる。

その清霜も部屋に入ってきた。入渠ドックをしげしげと見つめて「あんまり綺麗じゃないねー」と呟いた。

とりあえずすることもないので、清霜には資材庫の状況把握と整理を頼んだ。

清霜は「了解しました!」と芝居がかった敬礼をして去っていく。

それを見送って、新貝はとりあえず入渠ドックの点検をすることにした。

イムヤには何も頼んでいなかったので手持ち無沙汰に新貝の手元を見つめている。

「司令官って整備できるの?」

「少しだけならな」

「私にできることってないかな?」

「じゃあ作戦会議でもするか」

新貝は電源を入れて表示パネルを見つめたまま話す。

「飯ん時の話の続きな。敵が来るかもって言ってたけど、間違いなく来るぞ。昼に清霜が倒した敵艦隊な、それなりに統制がとれていた。はぐれじゃない。ありゃ強行偵察の類だな」

「そっかぁ……」

「運よく無線連絡されてなかったとしても、偵察が戻らないとなったら当然また来る。少なくとも前よりは強い艦隊で、だ」

「どんな編成だったの?」

「重巡一、軽巡一、駆逐二」

「わぉ、中々手強かったんだね」

「俺も最初は死んだと思った」

「清霜が全部やっつけたの?」

「そうだ」

「戦艦になったって本当なんだ?」

「……そうだ」

「どうして清霜には本当のことを教えないんですか?」

新貝は振り返ってイムヤの顔を正面から見据える。

その目には普段とは違う真剣さが宿っていた。両手をぎゅっと握りしめて、言葉を選ぶようにしてぽつぽつと話しだす。

「司令官が起きる前にちょっと探ってみたけど、あの子はまだ艦娘のつもりでいるみたいね。司令官は知っているんでしょう? あの子はもう、」

「……深海棲艦だってことか」

「そう。そしてそれは……私も」

「やっぱり、お前もか」

驚きは少ない。しかしイムヤ自身がすでに理解しているとは思わなかった。

「見た目は変わっていないようだが?」

「そうなの? 自分ではソ級に見えるんだけど」

ほら、と手鏡を出してイムヤは自分を映す。

新貝は絶句した。

 

生気のない瞳。

顔が隠れるほど伸び放題になった髪。

そして頭を覆う、深海棲艦特有の謎の生物型の艤装。

 

資料で何度も見たことがある。

鏡の中にいたのは間違いなく深海棲艦の潜水艦ソ級だった。

新貝の反応を見て、イムヤは溜め息を漏らす。

「やっぱり鏡だとソ級に見えるんだ。清霜も司令官も、私のことを伊168って認識できているからおかしいと思ってた。肉眼で見ると元の姿で見えるのね」

「……こいつは驚いた」

新貝は自分の目が信じられない。

目の前にいるのは間違いなく伊168なのに、手鏡に映っているのはソ級。

出来の悪いマジックでも見せられた気分だった。

「じゃあ、清霜も鏡で見ると深海棲艦の姿なのか?」

「うん。こっそり確かめたら戦艦レ級だった。驚いたよ、艦種が変わることもあるんだね」

「清霜は妖精が改装してくれたって言ってた。俺にはよく分からん」

「なんだろうね? まあ深海棲艦のことなんて元から分かんないんだけどさ」

新貝は腕を組んで考える。

この眼が間違っているのか、鏡が間違っているのか。

信じたくはないが恐らく前者だろう。

清霜の尻尾を思い出す。あれは深海棲艦である証拠だ。

では、なぜ生前の姿で見える?

深海棲艦同士だとそう見えるものなのか?

(いや、そんなはずはない)

なぜなら昼の深海棲艦は清霜を敵とみなして撃ってきたからだ。

「なあ、昼に襲ってきた連中は清霜をどう見てたんだと思う? 攻撃されたが仲間だとは思わなかったのだろうか?」

「敵に見えてたんじゃないかな? 私も今まで他の深海棲艦に仲間扱いされたことはないし」

「つまり同じ深海棲艦でも、仲間のやつと敵のやつがいるということか……」

そのグループ分けはなぜ起こるのだろう?

元艦娘の深海棲艦と、生まれつきの深海棲艦は、別の生き物なのか?

そして、肉眼と鏡とで見え方が違ってしまう理由は?

答えを教えてくれる者はどこにもいない。

そもそも深海棲艦という生き物自体が謎に包まれているのだ。

学者によっては生き物ですらないという意見もある。

ただの一提督だった新貝に詳しい生態が分かるはずがない。

――ともあれ、考えを整理する。

ひとまず今分かること。

清霜とイムヤが深海棲艦になっている。

そして鏡を通すと認識のズレのようなものがカットされて現実の姿が見える。

それだけ。

――いや、ちょっと待て。

元艦娘同士が肉眼でお互いを見ると、生前の姿で認識し合うことができる。

ならば“元”じゃない普通の艦娘――沈んでいない艦娘が清霜たちを見たらどうなる?

生前の艦娘の姿で見えるのか?

それとも深海棲艦として見えるのか?

それは、考えたくもないことだが……やはり深海棲艦として見えるのだろう。

なぜならば、鏡に映すと深海棲艦に見える艦娘がいるなんて報告は今までされたことがないからだ。

そんな事例があれば全提督に周知されるはず。

つまり、艦娘と深海棲艦は、一度沈んだか否かで棲む世界が明確に別れるのだろう。

(ん? 一度沈んだかどうかだって……?)

その時、新貝の脳裏にふとした疑問が沸いた。

ちょっとした思い付き。

だからこそ何一つ考えずに、ぽろりと口から出してしまう。

「なあ、俺にもお前らのことが艦娘として見えているぞ? なんでだ?」

「えっ?」

イムヤが目を見開く。

気付いてなかったの? と、手鏡を新貝に向けた。

軽い気持ちで覗く。

そして見てしまった。

新貝はなに一つ覚悟していなかった。だからこそ驚愕した。

そこに映っていたのはようく知っている中年男の冴えない顔ではなかった。

 

白い髑髏がそこに在った。

 

「う……っ!」

絶句。

生きている人間の姿では、ない。

口を動かしてみると鏡の中のしゃれこうべも連動して口を動かした。

それは紛れもなく“自分”であった。

ぼろの軍服を着た骨人間。

B級海賊映画だってこんな捻りのない怪物を登場させはしないだろう、と思えるような単純なフォルム。

それが今の新貝貞二の姿であった。

「…………おいおい、嘘だろ」

鏡を見ながら頭を触ってみる。

その手には確かに髪の感触がある。しかし鏡に在るのはただの骸骨。当然髪なんて生えて無い。

(これは――深海棲艦、だ)

いざ自分がその身になってみると衝撃は大きかった。

今まで生きてきた道のりの全てがガラガラと音を立てて崩れていく。

別の生き物になってしまった。

もう提督ではないし、人間ですらない。

人類の敵。

これではショートランド泊地には戻れない。

残してきた艦娘には会えないし、少しはマシな提督になって艦娘たちに楽をさせるという密かな夢も叶えることはできなくなってしまった。

いや、ショートランド泊地に戻るどころではないだろう。

もはや地球上のどこにも居場所がない。

故郷に帰ることも昔の友人達に会いに行くこともできないし、嫁さんを作って実家の両親を安心させることは不可能だ。孫の顔を見せる機会は永遠に訪れない。

全てが断絶した過去の話になってしまった。

新貝貞二という人間は、遭難から目を覚ましたあの瞬間に完全に途切れて消えたのだ。

「司令官?」

言葉が出ない新貝の心中を察したように、イムヤが口を開く。

「……私も、初めて鏡を見たときはさ、ショックだったよ。艦娘として死ぬ覚悟はできていたけど、まさか深海棲艦になってるなんてね」

「俺も深海棲艦の仲間入りってわけか」

「そうだね。でも司令官は“艦”じゃなくて“人”だから、深海棲人っていうのかな」

「なんだか宇宙人みたいだな」

はは、と無理に笑う。

イムヤが新貝の手に自分の手を重ねる。

「大丈夫?」

「大丈夫じゃないけど、大丈夫ってことにする」

自分一人じゃなくて良かったと思う。

もしこの場に誰もいなかったら、みっともなく叫び声を上げて、いつまでも情けなくうな垂れていただろう。

だが今はイムヤがいる。

かつての部下にみっともない姿は見せられないという小さな理性を残すことができた。虚勢を張ることができる。

新貝は心中でそのことに感謝した。

それに――と新貝は明日のことを考えて奮い立つ。

敵が来るのだ。

そうだ、落ち込んでいる暇はないぞ、と無理矢理にでも立ち直る。

今はその理性に縋るしかなかった。

イムヤはそんな新貝の顔をじっと見つめて、次に新貝の手にある手鏡に目を向けた。

「ガ島にある鏡はそれだけだよ。だから清霜が自分で気付くことはないと思う」

あの子には知らせなくていいんだよね? と言外で確認し、イムヤは新貝の身に起こった変化にそれ以上言及しなかった。

傍から見れば、イムヤはこの深海棲艦化について特に思うところはないという態度をとっている。

しかしイムヤだって自身が深海棲艦になったと気付いたときに絶望しなかったはずがない。彼女はそれを乗り越えて、ここにいる。そしてありがたいことに、今は新貝と清霜のことを気遣ってくれてさえいた。

なのに仮にも提督だった自分が、いつまでもうじうじとしているわけにはいかない。新貝はそう思った。

強く、イムヤの手を握り返す。

「……この俺が、深海棲艦か。なっちまったもんは仕方ない。やるぞイムヤ。ここを立て直して襲ってくる敵を追っ払う。わけも分からず死ぬのは……二度も死ぬのはごめんだからな」

「良かった。私の知ってる司令官だ」

イムヤはほっとしたように胸を撫で下ろす。

「私もこんなんなっちゃったけど、あの作戦を無駄にしたくないんだよね。艦娘じゃなくなったからもう知らない、なんてできないんだ」

「だったらやることは一つだ。ガ島泊地を守るぞ!」

「おー!」

拳が三つ掲げられる。

「ん?」

新貝の手と、イムヤの手と、知らない手。

いや、知ってる手だ。その主を確かめると、清霜が無邪気に手を上げていた。

「げぇっ、清霜!?」

驚く新貝に、いつの間にか混ざっていた清霜も驚く。

「わぁっ!? げぇってなによ、もう、失礼!」

「お、お前いつからいた?」

「たった今だけど」

清霜は頭上にクエスチョンマークを浮かべながら見上げてくる。

「もしかしてお邪魔だった?」

「そ、そういうんじゃないから!」

「資材庫はどう、だったんだ? ん?」

新貝もイムヤもしどろもどろ。もうちょっと上手くはぐらかせ、と互いに目線でやり取りしていると何かを勘違いした清霜が、

「資材庫、わりと綺麗だったからすぐに終わったんだけど……もう一度整理してくるね。ごゆっくり!」

言うが早いか飛び出した。違うんだってばーと追いかけるイムヤ。

新貝は見送ってから大きく溜め息をついた。

「聞かれてない……ならいいか」

さて、と窓から星空を見上げながら考える。

これからどれだけやれるかは分からない。

行くあてがないこともあるが、あの二人を見捨てるわけにもいかなかった。

たった二人の元艦娘と司令官で、このガ島泊地を守ると新貝は心に決めた。

(いや、ガ島泊地はとっくの昔に滅びたし、今は軍の管轄でもない。ならばそう、深海棲艦が棲む南方の泊地……南方深海泊地とでも名づけるべきか)

やることはたくさんある。

まずは入渠設備の点検からだ。

新貝は腕まくりをして取り掛かるのだった。

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