悪いひとたち ~南方深海泊地へようこそ!~ 作:シャブモルヒネ
窓から朝陽が差し込んで、机の上を焼いていた。
新しい朝がきた。忌々しい朝が。喜びに胸を開けられるのは昨晩ぐっすり眠れた奴だけで、徹夜明けの大淀にとってその大空は仰ぐには眩しすぎた。
時計を確認すると、マルゴーマルマル。もうそんな時間になったのかと大淀は大きく伸びをする。全身が凝り固まっている。隈が浮かんだ目を閉じて、眉間のしわを揉み解してみるが、疲労はガッシリとしがみついて離れない。
「あと少し……頑張らなくちゃ……」
山のような書類の山も、残すところあと一枚。
艱難辛苦の日々だった。なにせ今回の仕事量は、大淀の艦娘人生の中でも最大量。
今回ばかりは無理かと思った。というか無理に決まっていた。だから秘書艦経験がある娘たちに応援を頼まざるをえなかった。余計な仕事を増やしてしまって本当に申し訳ないと思う。こんな辛酸を舐めるハメになったのは、全てショートランド泊地の提督――新貝貞二が行方不明になったせいである。提督が受け持つべき仕事を全て秘書艦がこなさねばならなくなったから。しかも、その通常業務に加えて、ガ島奪還作戦の後始末もあるというのが最悪だった。
やるべき仕事は列挙すればきりがない。
例えば、艤装や装備の点検。修理依頼。新規発注。廃棄手続き。
減った資材の確認。輸送依頼。それに伴う今後の出撃・演習・遠征プランの見直し。
戦闘詳報。戦果認定。関係各所への礼状。
その他の書類、そして書類、また書類、最後の最後までとにかく書類。
作成して、承認して、却下して。
この辺りはまだマシだ。大淀にとっては慣れた作業。とにかく億劫だったのは、艦隊編成の組み直しである。どこの艦隊も穴だらけになってしまったからだ。先のガ島奪還作戦で何人もの艦娘たちがショートランド泊地から居なくなってしまったため、その空いた席を埋めるために大幅な異動が必要だったのだ。
悪いのは全て、かつての司令部だ、と大淀は思う。
あの無能な連中が立てた無茶な作戦のせいで、一体何人の艦娘が“特進”してしまったのだろう。
おかげで今のショートランド泊地は、半月を過ぎて尚、お通夜のような陰鬱さが漂っていた。
命を張るのが仕事の艦娘たちとはいえ、今回の作戦は轟沈した者があまりにも多すぎた。慰めあう仲間すらいない娘さえいる。
大淀の仕事は、そんな生き残りたちをパッチワークのように継ぎ合わせて新しい編成を作ることだ。そうして更に、落ち込んでいる暇は無いぞと尻を叩いて、その手で遺品を整理させ、新しい艦隊の一員として任務に従事させなければならない。
もしも代われる奴がいるなら代わってほしい。流石の大淀もうんざりしていた。彼女は、自身のことを冷徹な判断ができる方だと思っていたが、そんな自己評価は撤回せざるをえなかった。どうすれば艦娘たちの精神的な負担を減らせるか……その気配りのために少なくない時間をかけてしまった。
そのツケが、この徹夜三昧である。
それでもギリギリだった。
何とか崩壊を免れられたのは、手伝ってくれた艦娘たちがいたおかげに他ならない。彼女たちには頭が上がらない。これがもし自分一人だったら、一日が四十八時間あっても足りなかっただろう。
「お、終わったぁ……」
最後の書類をバインダーに留めて、項垂れる。
そのまま上半身を机に突っ伏し、頬までつけて、夏場の犬のように舌を出して喘いだ。
今だけはどんな醜態を晒しても許されると大淀は思う。
悪戦苦闘の半月だった。
「これで私はぁ、自由ですぅー……!」
朦朧とした意識の中、くたばる前にすべきことを考える。
風呂。
その単語が真っ先に浮かんでくるが、もはや入りたいとさえ思えない。浴場まで歩く気力が無い。自室の方がまだ近いがそれも却下した。このまま重力に負けていたい、ただそれ一点だった。
「ソファーで寝てもぉ、いいかなぁ?」
ひたすらに横になりたい。床でなければどこでもいいとさえ思う。イチ泊地の秘書艦としてあるまじき行為である、と脳裏でプライド様が怒っていたが、苦行を乗り切った解放感くんは別にいいじゃんと免罪符をくれた。そーだそーだ、少しは私を労われーと本能ちゃんが賛成に投票して決議は完了。方針は『その辺で寝ちゃいましょう』に決定しました。これは多数決なんだから私は悪くない。
(あーもう、頭が本格的にダメかも……あ、)
一瞬、服に皺ができると不安がよぎる。しかしハンガーを探す手間を考えて諦めた。もはや脳を動かすカロリーが足りていない。これはきっと頭を業務に最適化しすぎたせいで、その証拠に目を閉じるとほら、瞼の裏に明朝体の文章群がちらついて離れないのです。
「あぁ、あぁー」
とにかく眠りたい。目玉だけを動かしてソファーの背もたれを視界に入れるが、やはり立ち上がれそうになかった。もうこのまま机で寝ればいい。定時の連絡なんて知らない。ツケは起床後の私に任せよう。ばいばい現世、フォーエバー。
――ざりっと、無慈悲な雑音が聞こえた。
無線が、大淀を呼んでいた。
大淀は時が止まったように中途半端な姿勢で固まっている。充血気味の眼球だけを、恨めしそうに無線に向ける。
「……よりにもよって、このタイミングで来ますか」
百万の呪詛を浮かべながら通信相手に想いをはせる。どうせまた総司令部からの問い合わせだろう。
「平気な顔して注文ばかり。誰のせいでこんな苦労をしていると思ってるのでしょう……」
恨みつらみを念にこめて無線機に送っても、機械が気を使ってくれるわけもなく。
居留守を決め込んでやろうかとよっぽど悩んだが、流石にそこまではできなかった。手を伸ばして、無線の周波数を調整する。
もうこれ以上仕事を増やしてなるものか、どんな指示を下されようと「それだけはできません」と答えてやろうと心に決めた。
だが飛び込んできた声は司令部からではなかった。
『――よぅ、俺だよ俺、俺』
なんだか懐かしい声がした。
「はい?」
思わぬ第一声に面食らう。
(『俺』って、誰?)
名前を当てろと? また面倒なことを。これ以上頭を使わせないでほしい……とまで考えて、頭を振った。朦朧とした意識をリセットする。
こんなふざけた無線の切り出し方は軍人としてありえない。
(一般人? 通信先を間違えたとか……。いやいや、それこそありえません)
ここは深海棲艦の跋扈する南方海域、その最前線のショートランド泊地なのだ。一般人の無線と繋がってたまるか。
「ええと、どちら様でしょうか」
違う違う、そうでもない。下手に出るのはおかしい。この相手が何者かは知らないが、無線でふざけるような手合いがお偉方のはずがない。大方、下っ端の作業員あたりが酔っ払って度胸試しでもしているに違いない。大淀はのろのろと再起動する。朝っぱらからなんて迷惑な奴だろう。段々と腹が立ってきた。
(説教してやる)
八つ当たりである。だがそれの何が悪い。この忙しいときにふざける奴が悪いのだ。大体、このご時世にオレオレ詐欺の真似事とは実にけしからん。しかも軍事施設に向けてとは、よほど覚悟を決めての蛮行に違いない。なんなら軍法会議にかけてやる。
(――そういえば)
ふと、思い出す。かつて似たような馬鹿をする奴がいた。そいつはかつて、泊地全体を巻き込んで、どこにも許可を取らずに水上スキー大会を開こうとしたりした。そうだ、あの時の尻拭いも大変だった。考えてみればいつもあの提督の尻拭いをさせられている気がする。いつかツケを払わせてやろうと思っていたのに、その前に行方不明になるなんてずるい。これではやり逃げ同然じゃないか。なんて酷い男だ。新貝貞二め。
(新貝貞二?)
そういえば、あの人と声が似ている気がする。
『その声は大淀か? なあ、俺が誰か分かるか?』
大淀は眉根を揉んで自省する。どうやら自分は思っている以上に疲れているらしい。
「……名乗ってもらわないと分かりませんね。あなたね、こんなイタズラして、洒落じゃすみませんよ。悪いことは言いませんから、」
『イタズラじゃねえよ。随分と薄情だな、秘書艦殿』
「私は秘書艦ではありません」
『ああ、元秘書艦だったな。今は雲龍……じゃあないか。誰になった? また霞あたりにお鉢が回ったか?』
(この男――)
妙にショートランドの事情に詳しい。秘書艦の変遷まで把握しているとは只者ではない。下っ端作業員ではなさそうだ。
「あなた、所属と名前は?」
「おいおい、本当に分からないのか?」
その、自分本位な話し方。
もしかして、という疑念の灯がともった。ありえない話じゃない。行方不明ということは生死不明なんだから、生きて無線を繋いできてもおかしくない。
「嘘……だって、そんな……」
気がつけば椅子を蹴って立っていた。
「て、提督ですか!?」
『こら、ちゃんと名前を言え。俺から名乗ったんじゃ誘導したみたいで意味がない』
その馴れ馴れしさに、一瞬、息が詰まる。
「生きていたんですか、新貝提督っ!」
『おう、生きてたぞ。いや、これは生きてたって言っていいのか? ちょっと分からんが』
「提督! 私、てっきりもう……! い、今どこにいるんです!? 無事なんですか!?」
『まぁ待て、落ち着け。まず確認したいことがある』
「なんですか、もう!」
『この無線機は録音されてるか?』
「え? ええ、一応は」
無線での会話は、記録を録るために自動的に録音されるようになっている。そんなことぐらい知っているだろうと聞くと、確認した理由を教えてくれた。
『今から俺が話すことはな、ありのままで、総司令部に持っていってほしいんだ。変な解釈をされると困る。俺たちも、お前たちもな』
「はい? よく分からないのですが……」
“俺たち”。
そして、“お前たち”。
なんだかまるで別のグループのように言うんだな、とその時の大淀は思った。
『順を追って話をしようじゃないか』
まず、オレオレ詐欺の真似事をした理由。
無線の声だけで新貝だと判断してほしかった、と男は言った。自分で「新貝です」と名乗り、それに大淀が釣られたのでは、それこそ偽物が騙っているようだから、と。だからノーヒントで判断してほしかったのだと新貝は説明した。
大淀は呆れた。大体、秘書艦がどうのとヒントめいたことを言っておいて、よくもノーヒントなどと言えたものだ。
そういうところの爪が甘すぎるからいつも私たちが苦労する――そんなふうに、大淀が文句を言う前に、突如として爆弾は落とされた。
「俺さぁ、深海棲艦になっちまったんだよ」
返事をするのに五秒ほどかかった。
「――は?」
「実は死んじまってな、目が覚めたら深海棲艦になってたんだわ」
「はい? 今なんて言いました?」
大淀は聞き間違いだと思った。あるいはつまらない冗談だと。
新貝のほうはそんな大淀の様子にはまるで気付かずに、“深海棲艦になってからの出来事”とやらを語りだす。
曰く、初めての無人島生活。
曰く、筏を組んでの大冒険。
始めのうちは何のネタだ、笑いどころはどこなんだと、生返事を返していたのだが、新貝の話す体験談とやらはいつまでたっても終わりそうもない。これはツッコミ待ちなのかと若干苛々してきたところで『清霜も一緒にいる』というワードが飛び出した。
思わず眉をひそめてしまう。
それは、ちょっと笑えない。
なぜなら、清霜は戦死認定されているからだ。彼女の血痕付きの魚雷発射管が回収されたことを知らない新貝ではあるまい。なのに、その清霜を冗談のネタにするなんて、あまりにもたちが悪いのではないか。
そう思ったのも束の間、その死んだはずの人物の声が無線から飛び込んできた。
『おはようございます、大淀さん。久しぶりだね』
忘れもしない、清霜の声だった。
大淀は、ただ絶句。
新貝はこともなげにこう続ける。
『まあいきなり深海棲艦になったと言われても困るよな。見なきゃ納得しないだろうからよ、今近くまで来てるんだ』
「な、なんですって?」
――今、なんて言った?
『泊地正面に居るよ』
清霜は、そう言った。
「え、え、え?」
『今は午前五時を過ぎたところだよな。ということは、そろそろ遠征部隊が出る頃合だ。そいつらに俺たちを見つけてもらう。深海棲艦となった俺たちをな。だからな大淀、遠征部隊の連中には、これから深海棲艦に遭遇するけど攻撃はするなと言っておいてくれ』
新貝はこちらの都合なんかおかまいなしにペラペラと話を進めていく。
「ちょっ、ちょっと待ってください!」
そんなに矢継ぎ早に言われても飲み込めない。
清霜は実は生きていて?
二人は深海棲艦になっていて?
今は泊地のすぐ近くに来てる?
(えーと、どこまでが冗談で、どこが笑いどころ? 遠征部隊に攻撃するなって……なに?)
混乱する大淀。
対照的に無線の向こう側は気楽なもので、雑談とばかりにショートランド泊地に着くまでの苦労話を始める。
『いやー、ここまで来るのは大変だったぞ。前に水上スキーの練習をした甲斐があったってもんだ』
『えー、でも道中の半分ぐらいは私にしがみついてたよね?』
『しょうがないだろ? 鮫がウヨウヨいたんだから』
『今はもういないよ?』
『見えないだけでその辺に潜んでるかもしれないだろ! ……っていうかお前ら、よくこんなところで戦えるな。海、怖すぎんだろ。生身でウロつく場所じゃねえ』
『もうー、いい加減に離れてよー。また筏でも作れば良かったのにぃ』
『そんな時間は無かっただろ……って、ようやく遠征部隊が来たようだな』
そう新貝が言うや否や。
計ったようなタイミングで、大淀のすぐ左手横の、別の無線機が反応した。
『大淀さーんっ!』
飛び込んできた声は、随分と切羽詰っていた。
『東急遠征中の、朝霜だぁ! 泊地正面に変なのがいるぜーっ!』
大淀は事の展開についていけない。
これは壮大なドッキリ大作戦ではなかろうか――その可能性を捨てきれない。だって、こんな馬鹿な話が現実にあるわけがないのだから。
しかし、現実は小説より奇なり、というやつで。誰も『ドッキリ大成功!』のプラカードを持って執務室に乱入してくれる様子はなかった。
朝霜は早口で報告を続けている。
『大淀さん、泊地正面に深海棲艦がいる! 数は三! レ級と、白骨死体? 動いてるけど! あと……人型のなんか、こう……よく分からん奴ぅ!』
それに応えるように、新貝側の無線からは、
『うおー、艦隊と正面から向き合うっていうのは中々緊張するもんだな……』
と変な感想が漏れていた。
対して、朝霜側の無線は、せっつくような調子で。
『大淀さん、やっていい? やっちゃっていい!?』
戻って、また新貝。
『大淀、撃つなって言ったか? 言ったよな? 言ってないなら絶対に言っとけよ……絶対だぞ?』
なんだか大変なことになってきた……と思ったときにはもう遅かった。我に返って朝霜に交戦禁止を言い渡そうとしたときには、既に始まっていた。
『えーい面倒くせー! やってやんよ!』
朝霜側のスピーカーから、音割れした砲撃音が鳴り響く。
「!! ままま、待って、朝霜っ!」
『あ、あーっ! 撃ってきた! 誰だあの駆逐艦! 大淀、止めさせろーっ!』
新貝側のスピーカーからは海面に砲弾が撃ち込まれる音、水滴が降り注ぐ音、そして主機の駆動音が聞こえてくる。立て続けにスピーカー本体を震わせて、無線の向こう側が攻撃を受けている真っ最中だということを知らせていた。
『あの駆逐艦は誰だっ! 霞かーっ!? 霞ならやりかねん! 撃つなーっ、俺が悪かったーっ!』
『霞ちゃんなら外さないよ!』
『誰だくそーっ! し、白旗はねえのか!? うおーーっ!』
音だけでは判断がつかないが、とにかく生きていた新貝貞二が、朝霜含む遠征艦隊に攻撃されているのは間違いなさそうだった。
大淀は必死に叫ぶ。
「朝霜! 中止中止、攻撃中止ーっ!」
『ええっ!? なんで!?』
「いいから! ひとまず距離をとって!」
『だってよぅ……あっ、やり返してきた! いーい度胸してんじゃねぇか、いくぜーっ!』
「いくんじゃなーいっ!」
大淀は声を張り上げるが、問題児は止まってくれそうにない。ドンドンバンバンと砲弾が飛び交う音が響き、新貝側の無線からは悲鳴のような叫びが返された。
『コラァ大井! 撃ち返すな! 馬っ鹿やめろ今日は挨拶だけって言っただろってオイお前ーっ!』
遠くで「うるっさいわね黙ってなさい!」と知らない女の怒鳴り声が聞こえる。向こうは向こうで大変なことになっている。
(……大井? 大井って、あの轟沈した大井?)
――いや、今はそれどころではない!
「朝霜ーっ、攻撃中止ーっ!」
『大井! いい加減にしろーっ!』
結局。
交戦が収まるまでにたっぷり三百秒の時間が費やされることになった。割りと洒落にならない量の弾薬が双方共に消費された。といっても、撃っていたのは殆ど朝霜と、大井と呼ばれた新型の深海棲艦だけだが。
今は互いに距離三万以上を空けて対峙している。
これは戦艦レ級の砲撃なら届くかもしれない距離だが、攻撃動作を見てからでも容易に避けられる距離だ。
それなりに安全で、それなりに危険。
それが、艦娘と深海棲艦が戦闘せずにいられる最低限の距離だった。
「で、その白骨死体のような深海棲艦が、あなただというんですね? 新貝提督」
『ああ、そうだ』
新貝の自己申告と、ぶー垂れる朝霜の報告を照らし合わせると、そういうことになる。
試しに無線で「だったら手旗信号をやってみて下さい」と頼んだら、件の白い髑髏はレ級に掴まれて(水上に立てないらしい)、起信信号を見せてきた。新貝側の無線からは『あまり自信はないんだが……』と言い訳じみた呟きが聞こえてくる。朝霜側に双眼鏡で確認を頼む。
『ワ・レ・イ・ケ・メ・ン、終信。……だってさ』
「…………マジですか」
『さっきっからマジだっつってんだろ?』
大淀は頭を抱え、脱力した。
自分のところの提督がまさか本当に深海棲艦になっているなんて。この世で最も信じたくない類の話だった。前世でどんな業を背負ったらこんな最悪の事態に見舞われることになるのだろう。大淀は運命を呪った。
『へぇー、今時の深海棲艦は手旗信号ができんのかぁー。すげーなー』
何も知らない朝霜はただ素直に感心している。
彼女もまさか今自分が観察している深海棲艦がかつての提督だとは思うまい。
いや、思ってもらっては困るのだけれど。
「あのですね、言いにくいのですが、このことは朝霜たちには……」
『ああ、俺や清霜が深海棲艦になったなんてことは言わなくていい』
艦娘は轟沈すると、深海棲艦になる。それはもはや公然の秘密だが、けして気軽に話していい内容でもない。
――今まで沈めてきた敵はかつての戦友なのかもしれない。
そんな与太話を公的に認めてしまえば、一体どれだけ士気に影響するか分からない。曖昧だからこそ戦えるのだ。
――死んだ戦友は天国に逝った。だから敵になんてなるわけがない。
そう信じることで、初めて主砲のトリガーを引ける。
あくまでも深海棲艦は海の底からやってきた怪物で、それ以外の回答は存在してはいけなかった。
その不文律に反する存在が、今の新貝たちである。
元人間、元艦娘だと自称する深海棲艦たち。
その一人である白い髑髏が、まるで人間みたいに流暢に喋るのだ。
『見ろよこれ、明らかに人間の姿じゃないだろ。……って執務室からは見えないか』
「私には、まだ信じきれません。本当に提督は、その、深海棲艦になったんですか?」
『そうだと言ってるだろう。大淀は相変わらず頭が固いな。そんなだから事務仕事ばかり押しつけられるんだ』
「……」
『大淀?』
「いえ、こうして話していても、やっぱり新貝提督だなって。深海棲艦っていったら、もっとこう……」
『理性の無い化け物、とか?』
「……ええ、そうです」
『まぁそんな感じの奴らもいる。俺らは違うがな。姫級じゃなくてもこの通り、ちゃんと喋れるし、理性もある。死ぬ前の記憶もな。中身は普通の人間や艦娘と変わらんさ』
「それは中々……興味深い話ですね」
『面白いだろう? 是非ともそっちでも議論してほしいもんだね』
「さあどうなることか……あまりに突飛すぎて、私は何も言えません」
喋りながら大淀は、どう考えても自分では判断できない問題だと思った。明らかにグレーゾーンを飛び越えている。この問題に対しては、その見解も対応策も、全て総司令部が下すことになるだろう。
「ああ、そのせいなんですね……」
『ん? なんだ?』
『始めに録音をしているか気にしたのは、総司令部に正確な情報を伝えるためだったんですね」
つまり、この通話は総司令部に向けて行われているのだ。
大淀たちショートランドの艦娘たちに生存報告をするためではない。
『最初にそう言っただろう?』
今の大淀はただの無線窓口にすぎない。
その事実が大淀には少し面白くなかった。
仮にも自分のところの提督の一大事なのに、自分はその窓口にしかなれないなんて。そして、新貝もそれを承知している口調で喋っているのが気に入らない。段々と不機嫌になっていく自分が分かる。言葉に刺々しさが出てしまいそうで、大淀は咳払いしてどうにか気持ちを切り替えた。
「それで? 提督が仮に深海棲艦になっていたとして、一体どうしてほしいんですか? 何か用件があるのでしょう?」
『ああ、色々考えたんだが……こんなナリだし、そっちに戻るのは無理だと思う。下手すりゃ人体実験されるってな、こっちの愛想の悪い女が言うんだよ』
『一体、誰のことかしら』
謎の女の声。今のが件の大井だろうか。
『俺たちがそっちに戻ったらな……いじられて調べられて、最後は解体。丁寧に瓶詰めにされて墓にも入れない……なーんて恐ろしいことを言いやがる。大淀はどう思う? もし俺たちがそっちに帰ったら、一体どういう扱いになるんだ?』
そんなことを問われても大淀に分かるはずがない。だが、まさかフリーパスで泊地を歩き回れはしないだろう。どんなに甘く見積もったとしても拘束は免れまい。
「……検査は、あるでしょうね」
『だろう? 俺はそれが怖くてなぁ。元提督として考えると、あの参謀連中ならやりかねんと思うわけだ。だから、こうして交渉にきた』
そこで発言が止まった。
無線機が壊れたのかと思ったが、どうやら繋がってはいる様子。僅かに波の音がする。ただ新貝が黙っているだけのようだ。息を吸い込む音が僅かに聞こえる。
『そういう訳でこの私、新貝貞二は、この度ガダルカナル島に新しい泊地を立ち上げます。本日はその挨拶に伺いました』
突然口調を改めて、そんなことを言った。
『ショートランド泊地の皆様、ひいては海軍の皆様方は……』
そこで区切って、
『……ええと、こういうときはどう続ければいいんだ? すまん、不勉強でよく分からん』
といつもの調子に戻った。
「ちょ、どういうことですか?」
大淀は慌てて話を止める。
ガダルカナル島といえば、ショートランド泊地の目と鼻の先にある島だ。そこに深海棲艦が本拠地を打ち立てる? それは殆ど宣戦布告に等しい。
「ガダルカナル島って、奪還作戦があったばかりじゃないですか! そこに住むっていうんですか? 深海棲艦の身で? ば、ば、馬鹿なんじゃないですか!?」
『ほーら、俺が言った通りだろ? 怒られた』
ハハハと無線機の向こうで新貝が暢気に声を上げる。
対する大淀は気が気ではない。新貝の言ったことはけして笑い事では済まされない。
ガダルカナル島に深海棲艦が棲みついたとしたら?
そんなの、争いになるに決まってるのだ。
『俺もなぁ、ショートランド泊地のOBとしてお前らと懇意にしたい気持ちはあるんだよ。しかし、事はそう単純じゃなくてな。あんまりそっちの都合に合わせるわけにもいかないんだ』
「……わ、分かりません。提督は結局、何がしたいんですか?」
『争うのは、本意じゃない』
「だったらガ島に住むなんて……」
『まぁ聞け。ガ島は譲れない、これはこっち側の絶対条件なんだ。そのうえで停戦を申し入れたい』
“停戦”。
ようやく具体的な要求が飛び出した。
ガ島の占拠を認めたうえで停戦しろ、と新貝は言った。
『停戦といっても、全ての深海棲艦と争うなって言ってるんじゃない。ガ島にいる深海棲艦――つまり俺たちだけでいい。俺たちだけ放っておいてくれればいいんだ。余所の深海棲艦とはこれまで通り戦争してくれて構わん。俺たちはスルーする』
「ガ島と、だけ……?」
『ああ。俺たちは確かに深海棲艦だが、他の全てと繋がってるわけじゃない。別の勢力だと思ってくれ』
「そんなことを言われても……」
『とにかくガ島とそこに棲む深海棲艦とは戦わんでくれ。そうすればこっちもお前らとは戦わない』
「……仮に、協定を結ぶとして。そんなのどうやって保障するんですか? 立ち会ってくれる第三者なんていませんよ?」
『正式な協定を結べとまでは言わない。そんなの誰もやれないだろう。誰がこの問題を管理して、どう責任をとれる? だから、非公式で、一時的な、停戦だ。それで構わない』
「口約束でも、いいと?」
『まぁそういうことになる』
「停戦、ですか……」
大淀も少しずつ冷静になってくる。
徹夜明けの頭に衝撃的な話を次々と捻じ込まれたせいで混乱してしまったが、要するにこれは交渉なのだと理解した。
整理しよう。
まず前提として――新貝貞二は深海棲艦になった。
要求は、停戦。
つまり人類と戦いたくはないと言う。
しかしガ島からは退かない……それは何故? 深海棲艦の領海は広いのだからもっと奥に退けば人類と争わないで済むだろうに。……いや、一枚岩ではないとも言っていた。そこに問題があるのか? 例えば――深部の深海棲艦たちは元艦娘や元人間に優しくない、とか?
「どうしてガ島なんですか? 他所に行けないんですか?」
『他に行く場所がねえ』
新貝はキッパリと答えた。
『縄張り意識みたいなモンがあってなぁ……移民にゃ冷たいんだよ、深海棲艦の世界でもな』
「それって具体的には……」
大淀が更に話を掘り下げる前に、新貝は『色々あるんだよ』とその話を打ち切った。
『もしこちらの条件を認めてくれるなら、相応のメリットを提示できる』
「メリット、ですか?」
『ああ、情報をやる。今まで誰も知らなかった深海棲艦の生態やら成り立ちやら……俺たちもその身に成って色々と知ることができた』
あぁなるほど、と大淀は得心がいった。確かに交渉というからには双方に利がなければ成り立たない。
新貝側は、ガ島の占拠を認めてもらう。そして見逃してもらう。
その見返りとして人類側は、深海棲艦の情報を得るというわけだ。
ほとんど未知だった分野にメスが入ることになる。そのために一部の深海棲艦を見逃してもいいのか、その価値があるのかについては……大淀には分からない。
『あとな、ガ島に住むついでに、そこで防衛線を張ってやるよ』
人類の代わりに周りの深海棲艦を叩いてやる、と新貝は言った。
『放っておいてもサーモン海域が平和になるって寸法だ。お前らは資金も資源も人材も使わなくて済む。お得な話だろ?』
「それは……私がどうこう言える立場ではないので何とも言えませんが……」
『いいや、お得なはずだ。元提督の俺が言うことじゃないかもしれんが、人類にとってはガ島を維持する価値は無い。物資を輸送するだけでも大変だし、得られる資源もろくに無い。それに、ガ島自体が南方海域の先端みたいなもんだ。その先の海に用は無いだろう?』
(――なんだか、今の提督って)
どこか必死だな、と大淀は感じた。
『だったらそのエネルギーを他所に割り振った方がいい。北方海域でも中部海域でも、他に危ういところはたくさんある。違うか?』
新貝はこの交渉を成立させるために必死になっている。そこに嘘は無いと大淀は思った。
何に対しても面倒くさがりの新貝貞二がこうもぺらぺらと喋るのは、何か強烈な目的意識をもったときだけだ。ショートランド時代もそんなことがあったからよく分かる。そのときは他の仕事全てが中断してしまって――おかげで仕事が捗らなくて苦労させられたものだけど。
大淀が感傷に浸っていると、突然、背後から声がした。
「甘いんじゃないの?」
ぎょっとして振り返ると、いつの間にか小柄な少女が立っていた。
朝潮型駆逐艦、元秘書艦の霞。
『……その声は、霞か?」
一体、いつから話を聞いていたのか。ドアが開いた音はしなかった――それもそのはず、元から同じ部屋で仕事していたことを思い出す。一緒に何日も徹夜して、先に体力の限界を迎えた霞をソファーで寝かせた覚えがある。
そんなことも失念していた。今日の自分は失態ばかりだ。
その霞はずいと身を乗り出して、大淀から無線のマイクを取る。そして無線の向こう側の新貝に向かって口を開いた。
「今あんたが言ったことは、全部現場レベルの話。ガ島を放置すれば楽になる? そんな空想が上に通用するなら苦労しないわ。資金より、資源より、艦娘の命より、『このワタクシ様の立てた作戦のおかげで新しい土地を解放できました』っていう名誉の方が優先されるに決まってる。そんなことも知らないでよく提督なんてやってられたわね?」
『で、でもな』
「そんなことを気にするような奴はねっ!」
突然、霞は声を張り上げて、机を思い切り叩いた。
「よっぽど優秀で余裕があるか、夢追い馬鹿のどちらかだけよ! この国にはもうどっちもいない! いるのは、他人の足を引っ張ることだけが取り得の、真性のクズだけっ!」
俄かに、場が静まりかえる。
肩で息をする霞を横目に、大淀は最近の様子を思い出す。ガ島奪還作戦が終わってからというもの、霞はずっと不機嫌だった。無能な上層部に不満があったから? それも間違っていないだろうが、それでもここまで表立って批判することはなかった。
何が彼女を激発させたのか――それは言うまでもない。
「……新貝貞二」
ぽつり、と霞は零した。
「あんた、本当に死んじゃったの?」
『ああ、死んじまったよ』
「……あっそう。あのクズはもうどこにもいないってわけね。せいせいしたわ」
『……私の司令官は、クズじゃないよ』
その声は、霞にとっては懐かしい後輩の声だった。
霞は彼女のことをよく知っていた。不器用で、誰より真面目な夕雲型の末娘。
「――清霜?」
つい半月前まで共に過ごしていた少女の姿を、霞はすぐに思い浮かべることができた。結果的に死に追いやってしまった彼女がそこにいる。霞の口は自然と動き出した。
「無事……なの?」
無線機の向こうから息を呑むような気配が伝わる……といったら言い過ぎだろうか。やや時間をおいて、清霜の返答。
『無事、ではなかったかな』
「そう、なのね。でも今は生きている。生きているのね……」
霞は何かを言おうとして口を噤み、それでもと思い切ったように口を開くが、やはり何も言わなかった。
言えなかった。
「元気にしているか」とか「無事で良かった」なんて、艦娘が深海棲艦に向けていい言葉ではない。もしそれを言ってしまえば、深海棲艦に殺されてきた仲間たちへの裏切りになる、霞はそう信じていた。
だから代わりに口から出せるのは、本来の意図とは異なる、艦娘としての立場に縛られた言葉がせいぜいだった。
「そこの馬鹿に言っておいて。死にたくないなら逃げなさいって」
『……嫌』
「どうして? 命より大切なものなんてないでしょ?」
『あるよ』
意外なほどに力強く、清霜は言った。
『そっか、霞ちゃんは知らないんだね。命が一番大切な人はね、深海棲艦にはなれないんだよ?』
「……よく、分からない。清霜は死ぬのが怖くないっていうの?」
『怖くないわけないじゃない。死ぬのは怖いし、痛いし、辛いことだよ。でもね』
そうして息を大きく吸い込んで、まるで誰かに宣言するかのように声を張り上げた。
『それでも私は退かないよ。何もできないのは嫌だから……だから私は深海棲艦になったんだ』
「……何を言ってるのか、やっぱり分からないわ。けど、あんたはこう言うわけね。自分は深海棲艦だって、艦娘のあたしに向かって、そう言うわけね?」
『そうよ、始めからそう言っている』
そうして、霞は。
黙祷するように目を瞑り、きっちり三秒で見開いた。
その顔にはもう決意が漲っていた。
「――で? あたしたちと戦うってわけ?」
答えたのは新貝貞二。
『戦いたくない。だから停戦を申し入れている』
「詭弁ね。戦いたくないなら逃げればいいのよ。どうしてガ島なんかに固執するの? 自分で価値はないって言ってたけど、深海棲艦にとっては価値があるの?」
『さあ、どうだろうな』
ぴくりと眉が動く。
はぐらかすような態度は、霞が最も嫌うものの一つだ。
「あんたなんか死ねばいいのよ。あたしがやっつけてやるわ。確か、白い髑髏だったわね。今度海で見かけたら、世界の果てまで追いかけてやるんだから!」
霞の怒声。それに触発されるように、それまで黙っていた女が口を開く。
『わんわんキャンキャン、五月蝿いわねぇ』
大井と呼ばれた女が。淡々と、呆れたように。
『ショートランドの子犬は躾もできていないのかしら?』
「……なんですって?」
霞の手に力が篭る。マイクがビキリと不吉な音を立てた。
『霞とか言ったかしら? 貴女、さっきから誰と話してるつもり?』
「敵よ」
『そう、敵なのよ? 貴女が吠えているこの男はもう貴女の司令官じゃないの。“元”司令官なのよ。お分かり? 新貝貞二という人間に思うところがあるのなら、共同墓地にでも行って独りで泣いてきなさいな』
「……あんた、誰よ」
『大井。元ブイン基地所属』
「ふん、死にぞこないってわけね」
大井と名乗った女はそれには応えず、
『そして、元軍警察』
とだけ言った。
「軍警察ぅ?」
大淀には心当たりがあった。艦娘の中に軍警察の内偵要員がいるという噂を聞いたことがある。大井と名乗った女はそれなのかもしれない。そう霞に説明すると、それを聞いていた大井とやらも同意した。
『そう、その内偵要員ってやつよ。そして、その私がこっちに居るということがどういうことか、総司令部の皆さんなら分かるはず』
「何? どういうこと?」
大井はもう霞を相手にしていない。言葉を向ける先は、いずれこの会話内容を聞くことになる総司令部の面々に対してだ。
『私たちが何故死ななければならなかったのか、それは全てバレているということよ』
『――大井ッ!』
突如、新貝が吼える。普段の彼からは考えられない声量で、別人のような声色で釘を刺す。
『それ以上は止めろ。こいつらは関係ない』
『……ま、いいけれど』
大井は一つ、咳払いをする。
『この通り、“うちの”提督は甘々よ。自分の棲家を爆撃して、砲台を一基潰した相手に交渉しようというんだもの。大概よね』
「待って、それってどういう……」
『本当なら交渉なんてしたくない、ってことよ』
『大井!』
声を荒げる新貝。
『五月蝿いわね、少しぐらい喋らせなさいな』
無線の向こうで揉める声。小さく『下手なことは言わないわよ』と言い訳めいたことを言っている。
何かを隠しているのは明らかだった。それぐらいは頭に血が昇っていた霞でも察したようで、前のめりになった姿勢を改める。
大井は、続けてこう言った。
『勘違いしているようだから言うけれど、私たちは別に見逃してくださいって頼んでいるわけじゃないのよ? 手の内を知り尽くしている相手なんてどうにでもなる。けれどうちの提督がどうしてもかつての部下たちと戦いたくないって言うから、渋々協力してあげてるだけ』
霞は、フンと鼻息を一発、
「よく言うわ、三人しか来てないくせに。そんなことができる戦力がいるとは思えない」
言われてみれば確かにそうだ。大淀も心の中で同意する。そもそも今の南方海域にショートランドをどうこうできる数の深海棲艦がいるはずがない。先のガ島奪還作戦で、サーモン海域周辺の深海棲艦はほとんど撃退したのだから。
しかし大井はそんな反論は意にも介さない。せせら笑う。
『貴女たちが深海棲艦の何を知っているというの?』
まるで無知な子どもを哀れむように、彼女は殊更ゆっくりと説明し始めた。
『そうね、貴女の言う通り、今ここには三人しか来てないわ。何故って、他の連中は敵を前にして落ち着いて話ができるほど友好的ではないのだから。深海棲艦の大多数は艦娘が嫌いなの。それぐらい、言われなくても分かるでしょう?』
「論点をすり替えないで。あたしは、南方海域には大した数の深海棲艦はいないと言っているのよ」
『艦娘は沈むと深海棲艦になる。じゃあ深海棲艦は沈むと何になると思う?』
「何ですって?」
『答えは“もっと濃い深海棲艦になる”よ。私たちはリサイクル可能な地球に優しい生き物ってわけ。何度でも蘇る。戦力を心配していただく必要はないわ』
「何を言うかと思ったら。そんな空想話を信じると思う?」
『総司令部のお歴々はもう承知している話だから大丈夫よ。記録だって集めているようですし』
「……下らない。深海棲艦が陰謀論をお好みだとは知らなかったわ」
『使い走りは何も考えなくていいから楽よねぇ』
「……っ!」
『話をまとめさせてもらうわ。この提案に乗るなら、深海棲艦の日和見派が、嫌々ながらも中立派になるでしょう。けれど乗らないのなら、私たちは順当に大多数に迎合して、一枚岩となるだけ。そのときは、提督と私の知っている全ての情報が速やかに共有されることになるでしょう。例えば、各鎮守府・泊地の戦力配置や、戦術のセオリー、輸送のルート……』
輸送のルート。
その言葉に大淀はハッとする。霞も同じ発想に至ったのか、驚きの表情を見せた。
とある疑念が沸いていた。
「あんたたち、まさか……」
そこまで口にして、思いとどまる。
霞は口元を手で抑えて黙り込んだ。その小さな頭の中で、すさまじい葛藤が渦を巻いているのが大淀には分かった。
質問するだけなら簡単だ。しかし、そうすることで敵に余計な情報を与えてしまうことになるかもしれない。そう思うと下手な質問はできない。
大淀はその気持ちが痛いほどよく分かった。
今の自分たちを苦境に陥らせている犯人は、かつての仲間たちなのか? その真偽を確かめたいと思うのは当然のことだ。
だから大淀は霞からマイクを取り、自分がその役目を担うことにした。
「大淀さん?」
「大丈夫。責任は私が取ります」
意味深な言葉に、無線の大井は僅かに苛ついた様子を見せた。
『何かしら? 聞きたいことがあるならはっきり言いなさい』
「質問します。最近、ショートランドに向かう船を襲っているのはあなたたちですか?」
沈黙。
それまで自身たっぷりに話していた大井が一発で黙り込んだ。
この沈黙が意味するのは肯定か、それとも困惑か。推し測るにはまだ早い。相手がどう反応するか、それを聞いてからでも遅くない。
『――何なの、その話は? 知らないわね』
回答は、困惑。
無線機の向こうでマイクを手渡す雑音が鳴る。新貝に替わったようだ。
『俺もそんなことは知らねえぞ』
大淀もそう信じたい。しかし、信じるためには、追求する必要がある。
「ここ最近、ショートランドへの輸送ルートがピンポイントで襲撃されているんです。その遭遇率は偶然と片付けるには高すぎます」
『なんだ、つまりこう言いたいのか? 元提督の俺なら輸送ルートにも詳しいだろう、と?』
「違いますか?」
『……攻撃しながら交渉を持ちかける馬鹿がどこにいる?』
「違うんですね?」
『知らんと言っているだろう。単に今の輸送ルートが読まれてるだけじゃないのか? お前らの作戦が悪いんだよ……。ん? そういえば今の輸送ルートは誰が決めてるんだ? というか――』
新貝は何かに気付いたように、言葉を止める。
『なあお前ら、いつまで喋ってるんだ? 俺の後釜――今の提督に替わらなくていいのか?』
今度は、大淀たちが沈黙する番だった。それは伝えてはならない情報だったから。例えその沈黙のせいでバレてしまうとしても。
『……おい。俺が居なくなってからもう半月は経つんじゃないか? なのにまだ新しい提督が着任していないのか?』
返答は、やはりできなかった。
新貝の指摘通り、今のショートランド泊地に提督はいない。
だが総司令部から放置されているわけでもない。着任予定はあった。が、その移動中に連合艦隊規模の深海棲艦に襲撃され、全て撤退、あるいは沈没してしまっていた。
その回数、この半月で実に三回。
明らかに不自然な遭遇率である。
不自然といえば、そもそも深海棲艦が意味も無く連合艦隊を組むことがおかしかった。基本は六人で一艦隊。それを崩して巡航するからには何かしらの確信があるに違いない。例えばそう、そのルートを重要な人物・物資を乗せた船が通ると知っている、とか。
『そんなことってあるか?』
「明らかに狙い撃ちされているんです。提督は――いいえ、あなたは何か心当たりはありませんか?」
『はぁ? そんなもん、あるわけないだろ』
「では、あなたたち以外に情報を流してしまうような人や、そういった機会はありませんでしたか?」
『全く無いな。そんな機会も、覚えも無い。少なくとも俺たちが発信源じゃあない。……まぁ恐らく、移動ルートのパターンがバレてるんだろうよ。そろそろ変えたらどうだ?』
「ええ、もう改めています」
『ならもう問題は無いな』
会話が途切れる。
まるで灰色は黒だとでも言わんばかりの、重苦しい雰囲気だった。
新貝は一度大きく咳払い。
『こっちから伝えることはこれで大体終わりだ。あとはこの通話記録をそのまま上の連中に提出してくれ』
「分かりました。そうしましょう」
『……』
「……あの、他にも何か?」
『いやなに、そっちから聞きたいことはあるか、と思ってな』
「いえ、交渉窓口としては、特にありません」
『……そうか。ああ、一つ伝え忘れていたが、返答は二日後までに頼む。それ以上は待てない』
「随分と急ですね」
『こっちの都合で、それが限界だ。延期には応じられない。白黒はっきりと頼む』
「二日で答えを出すには難しい問題ではないでしょうか? ああいえ、あくまで私見ですが……」
『だとしてもやってもらわなきゃ困る。もしできないなら俺たちは――生き延びるために最善の道をとるしかないだろう』
それは、遠まわしな宣戦布告だった。
なんか今月の5-5が超手強いんですけど!
いつも通してくれる3マス目のレ級がドゴォーンバゴォーンって直撃祭り。
勘弁してください。