悪いひとたち ~南方深海泊地へようこそ!~ 作:シャブモルヒネ
『そうだ、最後に。俺の机の一番下の引き出しだがな、上げ底になってるからそこにある酒をブインの提督に渡してやってくれないか。賭けの負け分なんだ、払わないのも未練がある』
その言葉を最後に、新貝と名乗る深海棲艦からの通信は切れた。
机の引き出しを開けて確かめると、本当に上げ底になっていて一升瓶が隠してあった。
大淀と霞は顔を見合わせる。
「大淀さんはどう思います?」
青天の霹靂とはまさに今日の出来事のようなことを指すのだろう。新貝貞二というかつての提督は、本当に深海棲艦に成ってしまったのだ。そう理解しつつも霞は、割り切れない気持ちがあることを自覚していた。
対して大淀は、どうという様子でもなく、ただぼんやりと眠そうな目で一升瓶を見つめているだけだった。
「さっきの会話だけでは何とも言えません。でも、ただの成りすましでは無さそうですね」
「じゃあアレはやっぱり本人……?」
「恐らくは」
霞は爪を噛みながら、唸る。
「人間の深海化。……そんなことがあると思います?」
「そんな前例は聞いたこともありません」
大淀はそう言うが、だからといってあり得ないと証明できるわけでもない。
確かに、艦娘が深海棲艦になる事例は――公にしていい話ではないが――確認されている。
だとしたら、だ。同じように、ただの人間や動物が深海化してもおかしくないのではないか? そして、もしも誰もが深海棲艦になりうるのだとしたら、その中から生前の記憶を保つ者が現れるのも、またあり得る話なのではないか?
それは恐ろしい想像であり、けして公開してはならない可能性だった。
かつての仲間が、姿だけを変えて敵側に居るのだとしたら――?
深海棲艦に武器を向けることができなくなる艦娘も少なからずいるだろう。艦娘全体の戦意に、ひいては戦況にも関わってくる。いいや、きっとその程度では収まらない。反戦論者が勢いづいて、終わりのない戦争に疲れた一般市民たちがその流れに乗ってしまえば、どうなるか?
その想像は、霞の脳裏にとある深海棲艦の名を浮かび上がらせていた。
「
その皮肉めいた仇名は、かつて北極海を制したある深海棲艦の二つ名だ。一時期はメディアにすらその姿を晒した彼女たちの存在はあまりにも有名で、軍はおろか一般人にも知らない者はいなかった。
――そう、誰もが知っていた。彼女たちが人類との融和を掲げたばかりに北の大国が二つに割れてしまったことを。そして、融和派の人間たちから援助すら受けた彼女たちが、他の深海棲艦群を北極海から駆逐しきったそのときに、どれだけ鮮やかに手のひらを返したのかを。
かの大国は未だ、荒れに荒れている。あの一方的な裏切りこそが深海棲艦の本質なのだと叫ぶ者たちと、全ては既得権益を融和派に奪われることを恐れた政府が仕組んだ陰謀であると唱える者たちの争いによって。
もはや話は大淀や霞だけの判断でどうこうできる次元ではない。
彼女たちにできることは、上からの指示を待つことしかないのだ。
「――提督は、本気ですね」
大淀の呟きに、霞はハッと驚いたように顔を上げる。
「交渉が成立しないなら本気で攻撃してくるでしょう」
「そんな度胸があるようには思えませんけど」
「あの人は、あまりコミュニケーションが得意な方ではありません。話はいつも端的で、大事なことをハッキリと言いたがらない上に、話している最中で面倒くさくなって切り上げてしまうことさえある。初対面の上官に対してさえ、そうでした」
「まるで社会不適合者ですね」
「ですが、そんなあの人が今回はやけにすらすらと喋っていました。真剣に考えてきたんでしょうね。伝えなければいけないことは何か? 誤解がないように、そして真面目に対応してもらうにはどうしたらいいか……」
「……つまり、交渉が失敗した後のこともちゃんと考えている、と?」
「はい。これは私の勘ですが、あの人は――あの人たちは、本当に切羽詰まった状況にあるのではないでしょうか。停戦か、戦争か。その瀬戸際にいるのだと思います」
「だとしたら……」
もし新貝がどちらかを選ぶしかないのだとしたら。
逃走という選択肢があり得ないのだとしたら。
未来はもう、決まったようなものだった。
@
「――あの様子だと、駄目だな」
新貝の呟きに、清霜は振り返る。
「どうしてそう思うの?」
「大淀は“次”の段取りをしなかった」
清霜は、小首を傾げてみせる。
「どういうこと?」
「物事をスムーズに進めるためには先手先手の段取りが必要だ。今回の交渉でいうと、“次の話し合いを行うためには、何を決めておくとスムーズか?”といったところだな。例えば……次の交渉の方法とか、な。もう一度無線でやるのか、実際に顔を合わせてするのか? あとは交渉で使う場所とか、同行していい戦力とか。最低でもそれぐらいは擦り合わせておかないと、上の連中だって困るだろう? しかし、あの賢い大淀が何も聞かなかった。それは何故か?」
「聞く必要が、無いから……」
「そう。こんな交渉は成立するわけがないと思っているんだ。だから半分聞き流していたんだ。まあ普段の大淀ならこんなポカはしないだろうが……きっと気が抜けてたんだろうよ。あの時の自分はただの交渉窓口だってな」
あるいは――大淀にとっては、自分のところの提督が深海棲艦化したというのがあまりに衝撃的で冷静ではいられなかったのではないか? その程度は慕われていた、と新貝は希望的観測を抱かずにはいられない。
かつて艦娘たちの提督だった男は、唇を真一文字に結んで思い出す。ショートランド時代の大淀について。
彼女には随分と世話になった。あのときの新貝が好き勝手にやれたのも、彼女がショートランド泊地運営のモラルの最終防衛ラインを守ってくれたおかげだ。もしも彼女がいなければ、ショートランドはとっくに崩壊していたに違いない。
「大淀は秘書艦経験も長い。上の方針や派閥の力関係をリアルタイムでよく分かっている。そのあいつが無意識にしろ、次の段取りをするなんて無駄だと判断した。ならばそれはきっと正しいんだろう。あいつはその辺のバランス感覚を間違えることは絶対にないからな……」
そう言って、自身を誤魔化すように咳払いをした。
清霜は何も返さない。この結末はある意味初めから分かっていたからだ。特に食い下がる様子も見せなかった。
と、横から棘を含んだ声が返される。
「まったく、何のために遠出したのかしらねぇ」
向くと、並走している大井が口をへの字に曲げて、いかにも「機嫌が悪い」という顔をしていた。
「なんだお前、言いたいことがあるならハッキリ言え」
そう言って、新貝はすぐに後悔した。
「言いたいこと、ですってぇ?」
大井の眼球がぎろりと向けられる。
「さっきのお話し合いは一体何? どうして下手に出てたわけ?」
組まれた腕が見て分かるほどにこわばっている。
一つ言い訳すれば、十になって返ってくるという予感が新貝にはあった。しかし黙っているわけにもいかず、渋々といった体で口を開く。
「別に、下手に出てたつもりはないんだが……」
「あのザマで? じゃあ貴方、ショートランド時代からあんな態度で提督をやっていたってわけ? ありえないわ、提督は艦娘のお友達じゃないのよ?」
「いや、だからそんなつもりは……」
「あんな体たらくじゃ困るって言ってるの。そもそもね、舐められたら話し合いにもならないって言ってたのは自分よね? それがどうしてああなるのよ? 普段からそんなだから、あの小娘にも舐められるのよ」
「ぐぬ、霞は元からあんな感じで……」
「はァ? なのね、仮にも元上司にあんなふざけた口を利く駆逐艦がそうそういるわけないでしょう。大体ねぇ、上がそんなだと下まで舐められるって思わないの? つまり、この私まで舐められるってことなのよ? 冗談じゃないわ! どうしてあんなクソ生意気な小娘に私まで低く見られなきゃいけないの?」
「お、お前の方が見下してたじゃん」
「当たり前でしょ、私を誰だと思ってるの? 艦娘時代は色んな鎮守府から引っ張りだこで、裏でスパイの真似事もして、オマケにあの北上の面倒まで見てたのよ? 自分で言うのもなんですけどね、その辺の艦娘とは実力も実績も違うの。その私に向かって、たかが秘書艦経験があるだけの小娘が、なんて言った? 死・に・ぞ・こ・な・いぃ?」
「ちょ、ちょっと落ち着けよ」
自分の言葉に自分でキレ始めている。新貝は救いを求めて清霜に目を向けるが、彼女は苦笑いするだけで一言もフォローしてくれない。
「落ち着くとか落ち着かないとかじゃないの。不愉快なの、私は! そもそもね、私は護衛について来ただけなのよ? なのに口を挟まなきゃいけなくなったのは全部貴方が不甲斐ないせいじゃない! 仮にも私の上に立つならね、昔の部下ごときに舐められるような態度するんじゃないわよ!」
「いや、その……すまん」
「すぐに謝るんじゃないの! そういうところが……!」
ガミガミガミガミとまくし立てられて、新貝は負け犬のように呻いた。
大井の説教は、ガ島に着くまで終わらなかった。
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「そっか」
ガ島に帰投して事の次第をイムヤに伝えると、彼女は意外にも食い下がることなく納得する素振りを見せた。
「もしかしたら少しぐらい譲歩してくれるかもって、思ってたんだ」
新貝と目を合わせずに、そう呟く。
「大丈夫か」
思わずそう訊きながら手を伸ばすが、イムヤはやんわりとそれを制した。
「分かっていたことだから」
そう言って、背を真っ直ぐに正す。
「戦って、停戦を引き出す。私たちにはもうそれしかないのね」
「そうだな。ええと、うん。そうなんだ」
上手く慰めてやれる言葉が見つからず、新貝は咳ばらいをして誤魔化した。思考が上手くまとまらない、そんな彼の内面を知ってか知らずか、傍にいた大井はしかめ面で話を次の段階へと進ませた。
「じゃあもうショートランドの話はお終い。次はマキラ島ね。あの口裂け女たちとの交渉するんでしょう?」
「ああ、奴らと同盟を組む」
「本当に言いくるめることができるの? 今度は最初から敵視されてるのよ?」
「わ、分かってるよ。今度はちゃんとやるさ」
「悪いけど信用できないわ。私がついていって口添えしなきゃダメね」
「ぐ、ぐぬぬ」
「……と言いたいのは山々だけど、」
大井は腕を組みながら、渋々といった調子でもう一人の同行者候補に目を向けた。ソファーに寝そべりながら天井を眺めている北上に。
「口裂け女の相手ができるのは北上しかいないわね」
「アタシかぁ、メンドくさいなー。仕方ないけどさー」
他の者ではあの者たちの武力に対抗しきれまい。
「じゃあ北上にはついてきてもらうとして……」
せめてもう一人は欲しいところだ。北上一人では敵を撃滅することはできても新貝の身を守ることまでは手が回らないだろう。
では誰が行くか?
本来ならば大井が適任だ。実力もあり、判断力もある。しかしだからこそガ島を防衛するという役割を担わねばならなかった。
他の適任者を探して新貝と大井は執務室をぐるりと見渡してみる。
真っ先に目が合ったのは――清霜だ。
「んっ、なになに?」
ちょっと……いや、かなり荷が重いだろうと二人は思う。猪突猛進が二度も通じる相手ではない。
次――イムヤ。
「えっ、護衛役にもう一人連れていきたいの?」
「まぁ流石にな、いくら北上が強いといっても腕は二本しかないわけだし」
「うーん、私じゃあまり役に立てないかなぁ。水上艦の人の方がいいと思うよ」
「それもそうか」
言われるまでもなくその通りだろう。潜水艦では抑止力になりにくい。適している役割といえば哨戒要員の方であり、イムヤはむしろガ島に残るべき人材だ。
となれば、残るは一人。
大井はためらいがちに声をかけた。
「雲龍……さん、お願いできるかしら」
「ええ」
雲龍は起伏のない表情で頷く。
「呼び捨てでいいわ」
「じゃあ雲龍。もう艦載機の扱いにも慣れたわね?」
「万全よ」
「なら話が早いわ。安全確保が貴女の役割よ。索敵機は常に飛ばして周囲を警戒して。あの連中は前に潜水艦を別働隊にしてきたわ。くれぐれも囲まれないように」
「了解したわ」
「あと、言うまでもないと思うけど先に攻撃してはダメよ。例え挑発してきても聞き流して頂戴」
「問題ない」
むぅ、と大井は眉間に皺を寄せる。
何を聞いても三秒以上喋らない女だ。大井の知っている空母像とあまりにも違う。
空母という艦種は通常、艦隊を率いる役割を担うことが多い。そのため声高にリーダーシップを示す者が多い。それは日常生活においても同様であり、風通しの良い雰囲気を作るために敢えて親しみやすいキャラクターを演じる者さえいる。
なのにこの雲龍型のネームシップときたら、愛想笑いの一つも見せやしない。
これが勝手の分からぬ新人ならば上から目線で説教でもかましてやればよいのだが、当の雲龍は戦歴も長く実力も確かだというから始末に悪い。
端的に言って、やりにくい。
かつて水雷屋に属していた大井としては、何を考えているのか分からない大型艦に対してどのような態度にでていいのか分からないのだった。
「……とにかく、お願いしたわ」
「ええ」
「それともう一つ、貴女には今回の交渉のフォローもお願いしたいのだけど」
「そういうのは、苦手」
「……そうだろうと思っていたわ」
幸い大井は雲龍の艦娘時代の評価を知っていた。
艦載機運用には優れるが、消極的な面がありコミュニケーション能力に難あり。
彼女と組んだことのある艦娘に言わせると、「勝手に合わせてくれるのはいいんだけど、何も言わないからこっちが合わせられない。旗艦には向いてないんじゃない?」とのことだ。
そこを改善するという名目もあってショートランド時代に秘書艦に任命されたはずだが、そう簡単には変わらなかったようだ。
となると、交渉のフォローはもう一人の護衛役に期待するしかないのだが――
「んあ? アタシの顔になんかついてる?」
北上だった。
問題外である。むしろ余計なことを言わないよう黙らせておくべきタイプだ。
大井は苦虫を一ダースも噛み潰したような顔になった。
「どうすんのよ、これ」
「さぁ?」
新貝は椅子に腰を下ろし、両手を上げた。
「何とかなんだろ」
「あのねぇ」
大井は髪をかき上げながら溜め息をつく。
「何とかならなかったら“ズドン”よ? 分かってる?」
「ずどん?」
言われたままに聞き返してみると、ソファーで寛いでいる北上が答えを示した。指を鉄砲の形にしてみせて、新貝に向ける。
「ズドン」
「ああ、そういうアレか……」
額を擦りながら新貝は厭な顔を作る。
交渉に失敗すれば、即ズドン。
確認するまでもないことだが口裂け女たちは深海棲艦である。そして深海棲艦に人間の常識は通用しない。敵対する使者を生かして帰してくれるなどという甘い期待をする方が間違っているのだ。
「仕方ないわね」
大井はコツコツと踵を鳴らしながら新貝の背後に回り、おもむろに彼の襟を引っ掴んだ。
「ぐえっ! な、なんだ?」
「軍大学では模擬面接ってやってるのかしら?」
大井は見事な笑みを作ってみせた。これが接客業の面接ならば一発で採用間違いなしの愛嬌満点の笑顔だ。
「分析と対策。ちょっと実践してみましょうか」
「ひぇっ」
新貝にとってその笑みは悪魔の舌なめずりにしか見えない。
「だ、誰か止めてくれ!」
ずりずりと別室へと引きずられながらの助命の声に、何を思ったか大井の足がピタリと止まる。
「雲龍もどうかしら? 何事も練習よ」
雲龍は少しだけ考える仕草をし、抗う新貝と微笑む大井を交互に見る。そしてゆっくりと頷いてから答えた。
「またの機会にするわ」
「う、雲龍! 助けろよぉぉ」
遠吠えとともに新貝たちは執務室から消えた。それを見て、清霜は人差し指で唇に触れながら「私も練習しとこうかなぁ」と声を漏らした。
「いーのいーの。そういうのは提督の役割なんだから」
「そうかなぁ?」
「アタシたちの役割は戦うことでしょ。艤装の手入れでもしといたら?」
「ん、そうだね」
この交渉が上手くいってもそうでなくても、次の戦いは近いのだから。
ほんとかなぁ。