悪いひとたち ~南方深海泊地へようこそ!~ 作:シャブモルヒネ
鏡の前で服装チェック。
襟、良し。
裾、良し。
リボン、良し。
頭のてっぺんから靴下の裏まで、乱れ無し。
霞は仁王立ちして腕を組み、ふんすと鼻息を吹かせて鏡に映る自身を睨んだ。両目の下の隈の跡が消えなかったことが不満だが、これも秘書艦業務における勲章のようなものだという大淀の言葉に騙されてやることにした。それなりの睡眠時間を確保させてもらったおかげで今朝のコンディションはオールグリーン。準備は万端というやつだ。
踵を返し、部屋を出た。唇をぎゅっと結んで駆逐艦寮の廊下を歩く。
とうとう約束の日がやって来た。
新貝貞二がやってくる。深海棲艦たちがやってくる。
先日の停戦交渉の返事を聞くために。
この二日間、霞と大淀にできることはなかった。新貝たちとの通話記録を司令部に渡して、あとは指示を待つだけ。下っ端には意見を具申できる余地も無い。
他にできることといえば備えておくこと。停戦条件の擦り合わせか、問答無用の交戦か。そのどちらでも対応できるように準備することだった。
たった二日でそれをやるのは中々きつかったが仕事である以上仕方ない。突発的な業務にも霞たちは慣れたものだ。手を動かしながら「戦争なんて終わってしまえばいいのに」と漏らしてから自身で驚いた。ただの弱音がいかにも正しい言い分のようで。平和主義とは案外こういった現実逃避がきっかけで生まれたのかもしれない。
『ショートランド泊地に接近する敵艦隊を捕捉、迎撃せよ』
『追記:大淀・霞の両名は、混乱を避けるため先の深海棲艦との通信内容は秘匿せよ』
昨晩に届いた総司令部からの指示である。
あまりにも予想通りで笑ってしまう。今の司令部には積極性というものが足りなすぎる。せっかく意思疎通ができる深海棲艦が現れたというのに、事態が悪化したときの責任追及を恐れてマニュアル通りに戦う道しか選ばない。お偉方の面々が無言の会議室で牽制しあっている様子が目に浮かぶようだ。
まぁそんなものだろう、と霞は思う。先の大戦でも同じだったのだ。進む先に十の戦果を見込めても、一の損失の恐れがあれば立ち止まる。何故って、それが昇進に響くから。それが連綿と受け継がれてきたこの国の模範解答なのだ。同時に、人間の限界でもある。人間というものはとどのつまり、目の届く範囲でしか真剣になれない。いくら理屈で分かっていても全体の利益を真に追及してリスクを背負いこめる者などいないのだ。だって考えてみろ、遠い国の知らない誰かのために自身の人生をドブに捨てることができる者がどれだけいる? そしてそれを薄情だと非難できるほど立派な者がどれだけいるというのだ? 人間はそこまで理想的な生き物ではない。
だから霞は、総司令部が本土から遠く南方海域にあるショートランド泊地の問題に対して冷徹な対応をするのはある意味で人間的で仕方のないことなのだと思っている。故に彼女は、今回の司令部の決定に反対しなかった。
世の中には上手くいかないこともある。総司令部も臆病なだけで悪くはないし、新貝貞二も楽観的なだけで悪くはない。そう、全ての元凶めいた悪いやつなんてどこにもいないのだ。
ただ、現場の者たちがその尻拭いをさせられるという現実は面白くないが……組織に所属するとはそういうことだ。霞はそれを承知して艦娘をやっている。
しかし。
割り切れないこともある。
霞はとある部屋の前で立ち止まり、そのドアにかかった表札を見上げた。
“朝霜と清霜の部屋”
かつて闇夜の中に置き去りにしてしまった少女の顔を思い出す。
もしもあの時……などと考えても意味はないと分かってる。そんなことをしたって時が巻き戻るわけじゃない。だから前を向いて進み続けなければならないと、一度は振り切ったはずだった。
けれど清霜は帰ってきてしまった。
霞は未だにどうしたらいいか分からずにいる。勿論頭では分かっている。霞は艦娘で、清霜は深海棲艦。つまりは敵同士である。先日の通信では向こうに退く様子はなかった。そして霞も退くわけにはいかない。だったらもう戦う他に道はない。当たり前の理屈だ。
しかし。
わだかまりが無いといえば嘘だった。
後ろめたさがあるから。あるいはかつて面倒をみたせいで情が移ったから。そのどちらも正しく、そして正確ではない気がする。
(もしも清霜と会う時がきたら、私はどんな顔をすればいいんだろう。そして何を言ったらいいんだろう……)
それだけが霞を悩ませていた。
眉間に皺を寄せていると、突然、ガチャリと音を立てて目の前のドアが開く。
霞が顔を上げるより早く人影が飛び出してきた。
「ちょ、ちょっと! 危ないわよ!」
ぶつかりそうになって思わず声を上げる。相手も驚いたように急ブレーキ。なんとか激突せずに済む。
「あ、あんたね、周りぐらい見なさいよ!」
何か言ってやろうとして、口が止まる。
変な奴がそこに居た。ニット帽を目深にかぶり、マスクをした上にマフラーをぐるぐると巻いていて、更にはどてらを何枚も重ね着して雪だるまのような風体だった。下半身に夕雲型のスカートとタイツが見えていなければ不審者としてひっ捕らえたに違いない。
「……朝霜? 何なの、その恰好は。風邪でもひいたの?」
雪だるまは喉が痛いのか、顔だけを何度も縦に振った。フラフラとした足取りで霞の脇を通り抜けようとする。
「大丈夫? そんな調子で出撃なんて……って今日は出撃は無いか」
今日は大事な任務があるために。
「なら遠征? 止めときなさいな。……ねえ、聞いてるの?」
雪だるまは一度だけ手を振って、そのまま足を止めずに通り過ぎていく。
無理して悪化したらどうするの……と小言を言おうとして、止めた。朝霜は忠告を聞くようなタマじゃない。それに、よく見ると身体の重心はしっかりしていて思ったより元気そうだ。さっきフラついたのは厚着で前がよく見えないせいか。そんなに重症というわけでもなさそうだ。
「あんた、いくら風邪でもそんな恰好して暑くないの?」
霞は呆れて溜め息をつく。よくもまぁ南国でそんな格好ができるものだ。いかにも形から入る朝霜らしいといえばそれまでだが。
(でも、カラ元気でも出せるなら良いか)
もう一度、表札を見上げる。
“朝霜と清霜の部屋”
通常、轟沈した者の名前は速やかに消さなければならない。だからこの表札に“清霜”の二文字を残しているのはルール違反だった。しかしそれを指摘されても朝霜は消さなかった。「死体が上がったわけじゃないだろ!」というのが彼女の言い分だ。
何も言うまい、と霞は思う。
ともあれ、朝霜はけして落ち込む様子を見せなかった。いつも通りといった顔で演習や遠征をこなしている。けれど霞は知っていた。ここ最近の朝霜が甘味をいつも二つセットで確保しているということを。それは、誰が帰ってきたときのための物なのか……聞き出す勇気は霞には無い。
そんな朝霜が――もしも清霜が本当に生きていると知ったら何をしでかすだろう? 想像するまでもない。大変なことになる。
ならば霞がするべきは、総司令部の指示通りに裏事情を伏せておき、素知らぬ顔で今日の迎撃任務に従事することなのだろう。そうすればショートランド泊地はこれからも健全さを保つことができる。
「……クズのやることね」
霞は口元を歪めて自嘲する。何が“悪いやつなんてどこにもいない”だ。とんでもない悪人がここにいるじゃないか。
@
マルゴーゴーゼロ。
その無線通信は約束通り、当たり前のようにやってきた。
『ショートランド泊地へ。こちら新貝貞二。先日の返答を聞きに来た。応答せよ』
大淀は能面のような顔でそれを聞いていた。
執務室には彼女が一人。霞はぎりぎり間に合わなかった。それで良かったと大淀は思う。厄介ごとに関わる艦娘は少ない方がいい。
大淀は耳に入ってきた新貝の言葉を反芻し、その意味を確かめた。簡潔で分かりやすく、他の意味に間違えようがない。
ならば、返すべき言葉は既に決められている。
「こちらショートランド泊地、大淀です。当泊地――ひいては海軍は、深海棲艦との取引には応じられません。……以上です」
ショートランドの執務室に沈黙が満ちる。
『そうか』
新貝はそれだけを零して黙る。
この男はいつもそうだった、と大淀は思い出す。決断が必要になるとすぐに黙る。先に予想できただろうに、その時になって初めて考えだすのが常だった。そんな調子だから業務は進まず、しなくてもいい残業ばかりさせられた。
そう、以前はそうだった。しかし今はその程度のペナルティでは済まされまい。停滞は最悪を招く、そのことをこの男はちゃんと理解しているのだろうか――そんな大淀の考えは杞憂だった。
元提督は朗々と語り始めた。
『正義や平和が、大切だと……誰もが口を揃えて言う。軍隊はそのためにあるんだってな。否定はしないが、同意もしない。俺はな、顔も名前も知らない連中のために身を捧げて戦おうと思ったことは一度もないし、そんな曖昧なもののために部下たちの命を賭け金にしようとも思わない』
「……」
『その感覚は、敵に対しても同じだった。今まではよく知らん奴だから躊躇なく戦うことができた。殺せと命じることができていた。しかし今回の相手はどうやらよく知っている連中らしい。俺はそれが嫌で嫌で仕方ないんだ。どうにか争いを回避できないもんかとずっと頭を捻っても、困ったことに何も浮かんでこない。なあ大淀、お前はどうなんだ?』
「……私もそう思います。けれど、私は艦娘です」
命じられれば、戦うだけだ。
『まあ、そうだな。普通そうだ。仕方のないことは、世の中いくらでもあるからな……』
新貝は決断を下そうとしている。けして選びたくなかった決断を。無線越しに大淀はそれを理解した。
『どうやら俺は、次善の策を選ばなきゃならんらしい。相手はやる気満々だ。戦いは避けられない。だったら、どうする? どちら側に立てばいい? かつての仲間のために黙って死ぬか、今の仲間のために殺し合うか……』
「それは……」
『無い頭を絞ってずっと悩んで、やっと決めた。俺の助けが本当に必要なのはどっちだ? ……そんなのは決まってる。人間はたくさんいるだろう? 艦娘側には協力者がごまんといるんだ。お前らは助けが欲しけりゃそいつらんところに逃げ込めばいい。泣いて縋れば何とかなるだろうさ。だがな、深海棲艦にはそれができない』
これはきっと決別の挨拶だ、と大淀は悟った。
『深海棲艦に味方はいないんだ。お前らからすれば全て同類に見えるだろうが、そうじゃない。言葉だって通じやしないんだ。どいつもこいつも我が強くて自分のことしか考えてないし、そんなんだから誰も助けてくれなくて、何も成し遂げられずに沈んで消えていく。だからな、俺は、』
「提督! ……本当は全部、ドッキリなんでしょう? 深海棲艦になったなんてたちの悪い冗談、子どもでも言いませんよ?」
新貝は、それには応えず。
「だから俺は、深海側につくことにしたよ。俺のところに集まってくれた馬鹿どもぐらいは守ってやらなきゃいかんだろ。そうでなきゃみっともなくて成仏だってできやしねえよ。俺は戦うぞ。例え相手がかつての仲間であってもだ。そう決めた」
交渉はあっさりと決裂した。元より妥協の余地さえなかったけど、それでも大淀はこの事態を回避できるものならしたかった。
だってこの戦いに何の意味がある? お互い本音では戦いたくないというのに。
だが事ここに至れば砲火を交える他に無い。
「……勝ち目はあるんですか」
『どうだろうな。うちは言うなれば弱小企業もいいとこだからな』
「降伏したらどうですか」
『お前は勝ち目がなかったら降伏するのか?』
「……降伏を受け入れてくれる相手なら、あるいは」
『俺もそう思う』
「だったら!」
『実験台にされる未来しか見えないな』
「そんなことは……」
『お前は知らないから言えるんだ。軍の上層部はそういうことをやってるんだよ。俺はそいつに反発して消されちまった。ああっと、ここの会話は上手いことカットしておけよ。俺と同じ目に遭いたくなきゃな』
「……」
『いやー、深海業界は厳しいぞ。給料も休みも、福利厚生もありゃしねえ。転職するなら他所がいい。もっとも、他に行くあてがなくなったっていうなら歓迎するが。……とまぁ、長くなっちまったが、そろそろ宣戦布告させてもらおうか』
「!」
『こいつは先制的自衛権とかいうやつだ。お前らが「お願いですから停戦協定を結ばせて下さい」って泣いて謝るまでボコらせてもらう。降伏には応じてやりたいところだが、こっちにゃ野蛮な連中もいるから保障できない。その辺はそっちで上手いことやれ。以上だ』
「ま、待ってください!」
『いいや、待てない。もう始めちまった』
その時、執務室のスピーカーがバツンと音を立てた。警報が鳴り響く。不快な音調が大淀の胸に不安を募らせた。
その警報は誰もが知っている。
深海棲艦の接近警報である。
『次は、交渉の席で会おう』
「……っ!」
新貝の無線が切れた、と同時に執務室に霞が飛び込んでくる。
「大淀さん!」
警報を聞いたのだろう。目で疑念を訴えてくる。
「宣戦布告と同時に警報がなりました。これは恐らく……」
「迎撃部隊は!?」
「既に出ているはずです」
そのための艦隊を昨日新設して、準備した。ショートランドが誇る一線級の連合艦隊。先日確認した敵の未識別個体――自称元大井は姫級であると認定したため手抜きはない。
その迎撃部隊から連絡が入る。早くも敵を敵機影を確認したようだ。だがその内容が妙だった。
「……三人しかいない?」
@
「艦娘の使う周波数なんて大体パターンが決まってるんだよねぇ」
小型無線に耳をくっつけているのは北上。無線は傍受できて当たり前というけれど、符丁も変えていないとは恐れ入る。こっちが元艦娘だと知らないのか、それとも敢えて聞かせているのか。
まぁどっちでもいいや、と聞き耳を立て続ける。
『……正面に雷巡棲姫を二匹…………単縦陣を……』
「ほっほ~、アタシたち姫級だってさ~。いいねぇ、痺れるねぇ~」
「チ級みたいな雑魚じゃなくて安心したわ」
大井は腕組みをしてわざとらしく鼻息を鳴らす。
「大井っちやる気あるじゃん。珍しい」
「大の大人に泣いて縋られちゃ仕方ないじゃない」
「ツンデレだねぇ」
「言ってなさい」
「いいじゃん、誰かに頼られて戦うのって。ヒーローみたいでさ~。そういうの一度やってみたかったんだよね~」
「どう見たって今の私たちは悪役よ」
「向こうにとってはね」
仁王立ちする二人の雷巡。その頭上を敵の索敵機が旋回している。もうとっくに発見されているというのに平気な顔だ。
この二人はやっぱり自分とは違う世界に住んでいるんだ、とイムヤは思いながら海面から顔を出す。
「あの、今回の目的分かってますよね?」
「うん? 陽動でしょ?」
「イムヤは心配してるのよ。貴女が適当に艦娘を沈めないかを」
「ええー?」
「いや、そんなんじゃないですけど。……一応確認してみただけで」
「だーいじょうぶだって~。一人でも沈めちゃったら本当に徹底的にやるしかなくなるって分かってるから。それは最後の手段なんでしょ?」
「お願いしますよ、本当に」
そう、この三人は陽動だった。本命は別。イムヤたちの仕事は敵の目を引きつけること。
頼むからやりすぎないでくれ、とイムヤは天に祈った。
@
ショートランド泊地正面海域に現れた深海棲艦はたった三匹だけ、という報告だった。
その編成もまともじゃない。
姫級と思われる雷巡が二匹に、潜水艦ソ級が一匹。
何をしたい艦隊なのかが分からない。姫級に護衛もつけない艦隊なんて初めてだ。普通は、強力な戦力にこそ護衛をつけて慎重に運用するもの。なのに駆逐艦さえつけないなんて意味が分からない。こうやって混乱させること自体が目的にしてもリスキーすぎる。何か他に狙いがあるはずだ。例えば……
大淀はその細い顎に指を当てて考える。
(わざと隙を晒しているのだとしたら? 姫級という餌をぶら下げて食いつくのを待っている。そこを横合いから別動隊で殴りつければ……)
素晴らしい戦果が見込めるだろう。その推測はいかにももっともらしく思えた。
だが。
ショートランド正面海域には伏兵が潜むような島は無い。
あるとすれば、ずっと後方。
ならば……これは釣り野伏か。数的不利に見せかけて撤退し、狩場まで誘い込む。そうしてショートランドから離れたところで一気に戴こうという算段だろう。
大淀は迎撃部隊にその危険性を伝え、追撃を控えるよう指示。
迎撃部隊、承諾。
そして、ついに敵艦隊と対峙した。
報告がすぐに入る。
敵艦隊は一定の距離を保ち、散発的な攻撃しかしてこないとのこと。
「やはりあの連中は囮ですね」
そう大淀が確信し、次の手を打つために口を開こうとすると、またしても警報が盛大に鳴る。
大淀と霞は思わずスピーカーを見上げる。
それは深海棲艦の接近を知らせる警報ではなかった。
空襲警報。
直後、間近で耳を聾する炸裂音。衝撃で執務室の窓がびりびりと震える。
「く、空襲ですって!?」
近い。
衝撃は断続的に続いている。
大淀は真実を確かめるために窓に張り付いた。
――泊地が、爆撃されていた。
燃え上がる炎。
砕かれた外壁。
そして、宙には、深海製の白い髑髏型艦載機。
一機や二機ではない。十、いや二十は居る。我が物顔で泊地の上を旋回しながら爆弾を投下している。その攻撃は、一際目立つ頑健な建築物に集中していた。
「資材庫がっ!」
「一体どこから!?」
警報とほぼ同時に空襲されるなんてありえない。監視レーダーの網が蟻の這い出る隙間もなく設置されているのだから。どうやったって潜り抜けることはできないはずだ。
――海の側から来たのなら。
「……もしかして!」
大淀は反対側の窓に走り寄る。海とは反対側の、陸側の窓に。
「――っ!?」
そこは人類側の領域のはずだった。
大淀は見た。
陸地側から続々と敵の艦載機が押し寄せてくる悪夢のような光景を。
盲点だった。
今まで陸側から攻撃してくる敵なんていなかった。当然だ、海からやってくるからこその深海棲艦。しかし、今回の敵は違う。そんな自分たちの思考を知り尽くした元提督が相手なのだ。
執務室の外からは、艦娘たちが応戦する声が聞こえる。見下ろすと、待機していた駆逐艦たちが対空機銃を撃ち続けている。
大淀は胸を撫で下ろす。
流石は第一線を任されたショートランドの水雷戦隊、対応が速い。
それに、と大淀は爆撃が続けられている資材庫へ目を移す。
重要な施設は特に頑丈に作ってある。外から攻撃して壊すのは至難の業だ。例え戦艦クラスの姫級が攻め手であろうと暫くは持ちこたえる。
ならば、たかが攻撃機の爆撃に耐えられない道理はない。
この奇襲、こちらが不覚を取ったのは確かだが、相手の爪が甘くて助かった。自分たちはただ確実に敵機を落としていけばいい。
「霞さん、手の空いている艦娘は全て対空戦闘に向かうように指示を、」
「待って!」
霞から悲鳴のような声が上がる。
「朝霜が遠征の準備に行ったのよ!」
指を差す。爆撃に晒されている資材庫を。
「あ、あそこに居るんですか!?」
窓から現場を見下ろす。
爆撃は資材庫だけに行われているわけではない。外れた爆弾が渡り廊下や近くの建物も破壊している。
もしもあの周辺に、艤装もつけていない無防備な艦娘がいたとしたら……。
いや、それはない、と大淀は頭を振る。
「それはありえません。朝霜さんは朝一番で遠征に出ているんですから」
どうにかそれを思い出すことができた。けれど、それを聞いても霞は納得のいかない顔のまま。
「朝一番って……? あたしはついさっき会ったんです!」
「ついさっき? 東急はマルゴーマルマルに出発開始ですよ。あなたも知っているでしょう?」
霞は言われるままに時計を確認する。
今は朝六時を過ぎたところだ。一時間以上前に出かけていった朝霜に会えるわけがない。
「え……? だ、だって……」
霞にしては、珍しく狼狽する。
どうして納得できないのか、大淀には分からない。
「あなたが会ったのは本当に朝霜さんだったんですか? 同じ夕雲型の誰かと見間違えたとか……」
言いながら、大淀は重大な事実に気がついた。
今のショートランド泊地には夕雲型は朝霜一人しかいない。
じゃあ霞は誰を見て、どうして勘違いした?
嫌な予感がする。
「その人の顔は見たんですか?」
「え、だって、夕雲型の制服が、見えたから……」
霞はしどろもどろ。スカートとタイツが見えた、けどどてらを羽織っていて制服の上は見えなくて、顔は帽子とマスクとマフラーをしていたから見えなくて――そこで霞の言を遮った。
「顔を、見ていない……と!」
霞は呆然と口に手をあてる。
「でも、制服を……」
「制服なんて、朝霜さんの予備を借りればいいだけです!」
つまり、誰かが成り済ますことができたということ。ついでに言うなら、多少の体格差はどてらを羽織ってしまえば簡単に隠せる。
いくら風邪を引いたからといってこの暑い南国で重ね着をするなんてありえるか? 霞はもっと疑問に思うべきだった。
「じゃあ、あれは誰だったの!?」
わざわざ顔を隠してまで朝霜に成り済ます必要がある艦娘とは誰なのか。
大淀も霞も、もう分かっている。
そんなことをする艦娘はいない。そんなスパイみたいな真似をする味方はいない。仮にスパイがいたとしても変装なんてベタな手段はとらないだろう。
つまり敵。
深海棲艦しかいない。
人類の敵が、この泊地に侵入しているということになる。
そんなやり方を思いつけるのはただ一人。たった今、泊地に宣戦布告した新貝貞二以外にありえない。
二人は確信する。これこそが大本命。
正面海域の姫級たちは囮。
資材庫への爆撃も囮。
狙いはショートランド泊地への潜入。
「まさか……」
霞の思考は次の疑問に捕らわれる。
では実行犯は一体誰なのか?
霞は知っている。朝霜たちの部屋の外、そのすぐのところに敷地の外へと通じる穴が掘ってあることを。小柄な体躯の娘しか通れない穴。こっそりと禁制品を買いに行くためのその穴の存在は、駆逐艦娘の間では公然の秘密だった。
あの娘が知らないはずがない。
「まさか……!」
秘密の穴を知っていて、それを通ることができて、朝霜サイズの制服も着れて、そして未だに影も形も見せていない戦艦レ級の正体を、霞はよく知っていた。
つい先刻、ぶつかりそうになった不恰好な雪だるまの正体、それは――
「まさかっ!」
大音響が執務室の空気を揺らす。近い。資材庫からではない。
無線から悲鳴が届く。
『レ級が! レ級が、装備保管庫で暴れています!』
「――っ!? 霞!」
走り出した霞を止めようと大淀は手を伸ばすが届かない。霞は弾丸のような勢いで執務室を飛び出していった。
「くっ!」
大淀はすんでのところで踏みとどまる。
今のショートランドを統括しているのは自分だ。執務室を空にするわけにはいかない。誰かを呼んで留守を預けなければ動けない。
激情を、下唇を噛んで、押し込めた。
レ級に対抗できる大型艦含む精鋭艦隊は、既に海上に出てしまっている。
では泊地内で攻撃機に対応している水雷戦隊はどうだ? 対空機銃や小口径主砲で戦艦を相手にできるか? 答えはNOだ。
ではその他の艦娘たちはというと、それこそ論外だった。装備も主機も無い艦娘なんて、ただの人。そして戦艦レ級は、自らを轢こうとした軍用トラックを素手でひっくり返すことができる身体能力の持ち主だ。はっきり言って勝ち目なんて無い。
大淀は無線をひったくるように掴み取って水雷戦隊に指示を飛ばす。
「敵の本命は装備保管庫です! 空襲は無視していいから、近場の者は渡り廊下に集合! 六人以上集まったら突入してください!」
勢いのまま、机を叩く。
肩で息をしながら今日という日の不幸を呪った。
とんでもないことになった。まさか直接侵入してくるとは思わなかった。どうやって入ったのか分からないが、これ以上なく有効な手段だと思う。
今頃、保管庫の装備は壊され放題だろう。いくら建物が頑健な造りをしていても、中から直接攻撃されればどうにもならない。
思えば、先に資材庫を襲撃したのも上手い。泊地内で対応できる艦娘を一ヵ所に集めてしまえば時間を稼げる。ついでに潜入も容易になる。その方法だって簡単だ。朝霜の認証カードを使えばいい。服を盗んだついでにカードも盗めばいいだけ。なんという手際の良さだ。
大淀は再びマイクを手に取り、海上の主力部隊に急いで戻るよう連絡した。
が、今度は対峙していた姫級たちが足止めに転じたという。
つくづく人の嫌がることが好きな連中だ。こうしている間にも貴重な装備と主機が次々と破壊されているというのに。
知らず、拳が握りしめられる。
「くぅぅ……!」
このままでは艦娘の装備が全て無くなってしまう。そうなればショートランド泊地は無力化したに等しい。
@
焦燥と屈辱の七分間だった。
大淀が装備保管庫に駆けつけたときには事件は終わっていた。
装備保管庫で暴れていたレ級はもういない。
万全の装備で武装した水雷戦隊が駆け付けるやいなや、即座に攻撃を止めて逃亡したらしい。それを駆逐艦が小口径主砲で止められるはずもなく、殆ど無傷で逃がす結果となってしまった。
大淀は、恐る恐る装備庫に踏み入った。
惨憺たる有様だった。
例え中でクラスター爆弾が複数炸裂したとしてもここまで酷くはならないだろう。
室内には足の踏み場も無い。ガラクタが無秩序に堆積して、ところどころから煙が立ち上っている。見える範囲では壁材が剥がれ、天井からは鉄骨がいくつも折れて垂れ下がっていた。静寂の中で聞こえるのは、パチパチと火が弾ける音。
真っ先に大型艦のエリアを確認する。
大口径主砲の砲塔は、根元から砕けていた。
艦載機は、胴体から真っ二つになっていた。
それらはまだマシの範疇で、元が何なのかも分からないほど破壊されたガラクタの山がそこら中に散らばっていた。
特に空母の装備品エリアが酷かった。おそらく意図的に狙ったのだろう、艦上戦闘機が念入りに破壊されていた。
烈風系、紫電系、特別仕様のものも含めた零戦各種……詳しく調べる必要はあるが、ぱっと見でも無事な艦載機が一つもない。
戦艦用エリアも目を背けたくなるような惨状だ。使える大型主砲がどれだけ残っているのか、確かめるのも恐ろしい。
大淀は指先の震えを止めることができない。あまりに強烈すぎる先制攻撃だ。
新貝貞二は最初からこれを狙っていたのだ。
深海棲艦と戦えるのは艦娘だけ、そして艦娘を艦娘たらしめているのは専用装備である主機と艤装、そして装備だ。艦娘からその“艦”たる所以を獲られたら、ただの“娘”しか残らない。戦うどころか満足に抵抗もできないだろう。
「……霞さんは?」
「レ級を追いかけて、海に……。駆逐艦の装備は無事だったのでそのまま……」
「一人だけで出撃したんですか!?」
聞けば、周りの制止を振り切って飛び出したという。慌てて追いかけようにも空には敵の攻撃機が飛び回っていて、その爆撃から仲間たちを守るため動くことができなかったらしい。
「……分かりました。皆さんは引き続き、攻撃機への対応と周辺警戒をお願いします。また敵が侵入してくる可能性が無いとは言い切れません」
「大淀さんは?」
「執務室に戻ります。指揮を執らなければなりません」
「あの、霞は……」
「……」
「すいません、何でもないです」
大淀には、大淀の責任がある。
独断専行した艦娘のために貴重な人手を割くわけにはいかない。ましてやこの場に戦える艦娘は、巡洋艦や駆逐艦しかいないのだ、逐次投入してもレ級には勝てまい。
ならば今すべきことは、現場の混乱を収めること。
主機と艤装、装備をチェックして、戦える艦娘を選定すること。
出撃は、その後だ。
頼みの綱は海上の主力艦隊だ。即座に動ける戦力は彼女たちしかいない。大淀はその連絡のために早足で執務室に戻った。
主力艦隊が、足止めをする姫級たちを振り切って霞の援護に向かえるか? それが全ての鍵だった。
@
「やった、やった!」
清霜はかつてない高揚感の中にいた。体中が熱くなるのを感じる。航海中でなかったら飛び上がってしまいたいほどだ。
潜入、そして破壊活動。
任された任務は大成功だった。
自分にしかできない、自分だけの仕事。それを成し遂げたいがために生まれ直したような気すらしてくる。私はちゃんとできるんだ、とかつて己を見限った総司令部の連中に中指を立てて回ってやりたい気分だった。
得意満面で振り返り、遠ざかりつつあるショートランド泊地を眺める。
かつての住処。
そして今の敵地。
ざまあみろ、自分を切り捨てるからこうなるんだ。インガオーホーとかいうやつだ。
「ふんだ、ショートランド泊地なんて……」
けれど、少しばかりの後悔もある。
あの場所は嫌いじゃなかった。楽しい思い出もたくさんあった。そんな場所を自分の手で滅茶苦茶にしてしまった。かつての仲間たちは怒っているだろうか……そんな考えが、後ろ髪を引いた。
頭を振って迷いを打ち消す。もう割り切ったはずだ。
その瞳に、人影が映る。
「あれは……?」
後ろから一匹、謎の生き物が追いかけてくる。
人型で、両手に砲塔を携えていて、足には艤装のようなものが付いている。肌は死人のように真っ白で、闇夜のように真っ黒な主機を身につけている。まるで、別の世界からやってきた侵略者。どこからどう見ても深海棲艦そのもので、しかしその瞳と表情は理性に彩られている。
アレはきっと艦娘なのだろう。
そして、今まさに背後から追いかけてくる深海棲艦は、見覚えのある制服を着ていた。朝潮型の制服。つまりアレは朝潮型の誰かだ。
「……ふぅん、やっぱり敵にしか見えないや」
前に交渉に来たときに、遠目にだけは確認していた。けれど改めて見てみても信じられない。自分たち以外は全て敵に見えるなんていう怪現象が、深海棲艦の当たり前だなんて。
「艦娘……、艦娘かぁ」
その生き物についてはよく知っている。
人類のために戦う正義の味方。知恵と勇気を振り絞り、抗う悪を全て滅ぼす。
ならば今標的とされている自分は、まさに悪そのものというわけだ。
「ふんっ」
笑えてくる。
なんておめでたい連中なんだろう。何にも知らず、知ろうともしていないくせに。お前らは、ただ前を向いているだけだ。後ろも、下も、眼中に無い。そんなやり方で、ちゃんと見てもいないのに、どうして私たちが悪だと言えるんだ?
清霜は、深海棲艦になってからも悪いことをした覚えはない。少なくとも自分ではそう信じている。弾劾されるとすれば、人を一人殺したことぐらいだが、それだって相手は司令官の仇で、自身の仇だったのだ。責められる謂われは無い。まぁ人類のルールに則るなら罪にはなるだろうけど、そんな言い分には全く納得できない。
自分には何一つ負い目は無いと信じている。
――ならば、正々堂々と抗ってやろうではないか。
海の警察気取りの艦娘に、調子に乗るなと鉄槌を下してやるのだ。
そうするだけの力が清霜にはある。身体性能も、戦闘技術も、かつての何もできなかった艦娘時代とはわけが違う。
「分からせてやる」
清霜という名の元艦娘が、どんな地獄を潜り抜けてきたのかということを。
清霜の腰部が別の生き物のように膨張する。鋼の尾。こいつで私の力を証明してやろう。清霜という少女は、もういいようにやられるだけの弱者ではないということを。
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前方でレ級が回頭し、身構えた。
そのときに、肩と腕にグッと力が入った。見覚えのある角度で。
その、独特のルーティン。
今度こそ霞は確信した。
あのレ級の正体は、絶対に清霜だ。
その一挙手一投足を知っていた。嫌になるほど繰り返し見せられていたのだから忘れようもない。
癖になってしまったと言い訳し、何度注意しても直らなかった、見栄えが良いだけの意味の無い動き――特撮ヒーローの真似事を、まさにこれから戦場になろうという場所で披露する。そんな大馬鹿者は、世界中を探したってあの夕雲型の末娘以外にいるわけがない。
「清霜ーっ!」
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同時に、清霜も確信する。
ショートランドに朝潮型は数いれど、あんな挙動をする艦娘は一人だけ。
あの深海棲艦の皮をかぶった艦娘は、間違いなく霞だ。
駆逐艦なら誰もが見惚れる重心移動。運動効率を極限まで突き詰めたその技を盗もうと、目に焼きつくまで研究していたのだから疑いようもない。
あれは、かつての自分が憧れた朝潮型のエース。
そして今はまぎれもない敵だった。
「霞……ちゃん!」
かつて共に訓練を重ねた仲。そして今は敵対する間柄。そんなありきたりな言葉だけでは霞との関係は到底言い表せない。
割り切れない感情が出口を求めてぐるぐると暴れまわっている。
ずっと会いたかった。会って伝えてやりたかった。自分はこんなにも強くなったということを。お荷物でしかなかったあの頃とは違うということを。
『――ザザッ』
肩につけた無線機から、イムヤの声が届く。
『主力艦隊に逃げられた』と聞こえたが、清霜は聞き流した。そんなのは知ったことではない。今から霞に証明してやらねばならないのだ。だってそうしなければ霞の中の清霜像は、いつまでも足手まといのまま。そんな屈辱は耐えられない。自分はもう役立たずではない!
清霜は吠えた。
そして世界中の深海棲艦に宣言する。
――誰であろうと手出しは許さない! あの艦娘は、私の相手だ!
そう。
これは必然。
艦娘と深海棲艦が海で出遭ったら、やるべきことは唯一つ。
戦うしかない!
と、いうわけで。
残弾が尽きました。毎日更新はここまでとなります。
次の更新は、正直いつになるか分かりません。
ワタクシ、書くのがもの凄く遅いものでして。週に一度しか書けないし、イベントが始まると完全にストップするしで。
けど絶対に完結はさせますよ。信じてください。信じよう!