悪いひとたち ~南方深海泊地へようこそ!~ 作:シャブモルヒネ
ショートランド泊地近海に、レ級の叫びが轟く。
それは霞の耳にはおぞましい深海棲艦の喚き声にしか聞こえなかったが、彼女は怯むことなく前進を続けた。
レ級もまた前傾姿勢で応じる。全速全開。
霞も速度を上げる。
二人はぐんぐんと近付いていく。磁石のように真っ直ぐに。あっという間に距離が縮まり、もう互いの顔立ちまで判別できる。
戦艦が突っ込んでくる。猶予が無い。それでも霞は直進する。
激突の瞬間。
突き出されたレ級の右腕を掻い潜り、霞は全身を海面に投げ出した。背中から海に落ちる、その寸前に、片足を軸にしてベクトルを別方向に変換する。転倒ぎりぎりの片足ドリフト。運動エネルギーはそのままにレ級の脇下を通り抜けた。背を海面に逸らしながらくるくると旋回し、重心を器用にコントロールしながら霞は一発の砲撃を置いてきた。
12.7cm連装砲がレ級の肩に直撃する。
甲高い音。
弾は、きっと装甲に弾かれた。
霞は速度を緩めずに距離をとる。次弾を装填しながらレ級の後方へと回りこみ、様子を伺う。
レ級は、宙に突き出したままだった右腕をゆっくりと下ろす。そうして平然とした様子で振り向いた。
まるで効果がない。
当たり前だ。相手は戦艦なのだから。
駆逐艦の主砲が通じる相手ではない。
レ級は、足を止めていた。
戦闘態勢を解いて、だらりと両手を垂らす。棒立ちで、背筋を伸ばして。そうして紫の瞳でじぃっと霞を見つめていた。
霞には、深海棲艦の表情なんて分からない。感情の色があるようにすら見えない。
だがしかし、今この瞬間だけは、目の前のレ級の意思を理解することができた。
あの深海棲艦――元清霜のナニカは、きっと自分に用がある。何かを伝えようとしている。
じゃあ、どうする?
「……」
霞は、大きく半円を描いて速度を落とす。レ級と視線を絡ませながら、かろうじて表情が分かる距離で停止した。
敵戦艦とタイマンの状況で、速度ゼロになる。
その行為は通常ならば自殺に等しい。だが霞は、とてつもない覚悟をもって主砲をも降ろしてみせた。
二人が対峙する。
艦娘と、深海棲艦。
先輩と、後輩。
置き去りにした者、見捨てられた者。
「…………」
どんな顔をしたらいいか分からない。
何を言ったらいいか分からない。
こんなときに霞が縋りつけるのは、いつも通りの態度だけ。本音を隠す、強がりの仮面。それを被って、霞は、顔の角度だけはレ級に向けた。
ゆっくりと、肩ベルトに装着した無線を開く。
「そこの深海棲艦に告ぐ。こちら第十八駆逐隊所属、霞。言葉が通じるなら所属と艦名を応えよ」
――自分は、何を言ってるんだろう。
所属? 艦名? そんなものを聞いたって仕方ないというのに。そう霞は後悔するが、しかし、相対するレ級は、深海棲艦らしからぬ声色で質問に応じた。霞を真っ直ぐに見据えたままで。
『ガダルカナル泊地の、清霜』
よく知っている声色だった。
もう二度と聞くことはないと思っていた声。
その発生元は、間違いなく目の前のレ級。なのに、声は清霜だった。
とっくに分かっていたはずなのに動揺してしまった。
「……ガダルカナル泊地、ですって?」
表情には出さない。出すわけにはいかない。
相手はどこからどう見ても深海棲艦。ショートランド泊地の装備庫を破壊したばかりの、まぎれもない敵なのだ。弱みを見せるわけにはいかない。
「そんな泊地は存在しないわ。何年も前に壊滅したんだから」
『違う。ガダルカナル泊地は、ある。私たちが再建して住んでいる』
「仮に施設が残っていたとしても、それは深海棲艦のものではないわ。人類のものよ。あそこを奪還しようと軍が動いているのは知っているんでしょ? 排除されたくなければさっさと出て行くことね」
――違う。
こんなことを言いたいわけじゃない。
しかし相手は元仲間で、深海棲艦。そんな相手に本心をどう伝えたらいいのか分からない。
霞にできるのは、せめて戦うことを回避するために彼女を遠ざけようとすることだけだった。
けれども、そんな想いが届くことはない。
『――奪還? 何なの、その言い方は?』
霞の台詞を聞いたレ級の顔つきは、ただ険しくなるばかりで。
『……人間たちにガ島の所有権があるって、言いたいんだ? そんなのは人間が勝手に決めたルールでしょ? 人間でも艦娘でもない私たちには関係ない』
そう、艦娘の言葉が届くわけがない。
何故なら彼女はもう異なるルールに棲む生き物なのだから。
『そんなにガ島が欲しいなら、力づくでやってみたら? させないけどね』
「縄張り争いでもしようってわけ?」
『そうよ。分かりやすくていいでしょ?』
「私は動物と話しているつもりはないわ」
『へえ、人間様は動物に入らないんだ? それは知らなかった』
「子供みたいな言い草はやめなさい。そんな屁理屈が通ると思ってるの?」
『ふん』
冷笑の気配。
『さっきから、いかにも正しい側にいますって感じの口調ね。今まで人間同士でだってお互い土地の所有権を譲らないで、どれだけ殺し合ってきたか知ってる? そんな勝った者が決める定義に、正しいもなにもないのよ。いくら綺麗な理屈をつけて飾っても、人間がやっていることも動物の縄張り争いと同じよ』
「聞いたふうなことを言わないで。自分たちを正当化したいからって、思ってもいないことをさも信じているように言うのはやめてくれる?」
『だったらなんだって言うの? 結局攻めてくるのは変わらないんでしょ。なら私たちは迎え撃つだけの話よ」
「……そうね。じゃあ本音で言うけど、あたしもどっちが正しいかなんて理屈に興味はないわ。だってあたし、政治家でも将校でもないもの。ただの艦娘。できることは戦うことと、こうやって呼びかけることだけ。だから言わせてもらうわ。死にたくなければガ島から逃げなさいってね」
『……そんなの、余計なお世話。こっちこそ言わせてもらうよ。死にたくなければブイン基地にでも逃げなさいってね。……駆逐艦が戦艦に勝てると思ってるの? それとも時間稼ぎが目的? だったら失敗ね』
ざりっというノイズとともに無線が切れる。
「……あの馬鹿娘」
もう言葉すら届かない。ここからは行動するしかない。
霞は再び砲を構えた。
戦いが始まる。
@
甘ったれたことを言ってもいいのなら。
清霜は、かつての自分が死んだあの夜に、できることなら皆に一緒に居てほしかった。
つい強がりで「置いていけ」なんて言ってしまったけど。あれはただ皆の足手まといになるのが嫌で、みじめな思いをするのに耐えられなかっただけだ。
本心ではけして置いていってほしくなんてなかった。
――今更な、話である。
もしも本当にそうしてほしかったなら、最初から「置いていかないでくれ」と泣いて縋ればよかったのだ。しかし清霜はプライドを選び、虚勢を張ると決断した。
他ならぬ清霜自身がそうしたのだ。
霞が悪いわけじゃない。
だから清霜は、置き去りにされたこと自体に文句を言うつもりはさらさら無かった。
しかし。
だからといって。
割り切れないこともある。
あの星の無い夜に、清霜は確かに「置いていけ」と言った。
そして霞は、本当に、置いていった。
そこは演習区域ではない。泊地の正面海域でもない。安全が保障された人類の領海ではないのだ。
そこは、深海棲艦が跋扈する、悪名高き鉄底海峡のど真ん中。
付け加えるなら当時の清霜は、ショートランドの駆逐艦の中でもドベもドベ、ド素人もいいところであり、大がかりな作戦任務に参加するのも初めてという有様だった。
そんな清霜が、主機が壊れた状態で、たった独りで取り残されればどうなるか――分からなかったとは言わせない。
とどのつまり、霞はあの瞬間、“足手まといの清霜なら轟沈しても構わない”と判断したのだ。
コイツはもう要らない、と決めたのだ。
そんな奴が、どうして未だに先輩面して、説教めいたことを言えるんだ?
清霜はどうしても納得することができない。
置き去りにされたことについて文句は言わない。
だが。
自分を見限った奴に、その後も何事もなかったかのように上から目線で振る舞われることについては我慢ならなかった。
「……死にたくなければ逃げろ、ですって?」
もう清霜はかつての未熟な艦娘のままじゃない。
口だけ達者な駆逐艦なんて一撃でぶっ飛ばせる無敵の戦艦になったのだ。
思い知らせてやる、と清霜は思った。
霞には、確かに世話になったこともある。目標にもしていた。尊敬だってしていた。
だからといって、何でもかんでも許すと思ったら大間違いだ。
大体、霞のほうはどうなんだ。
霞は自分のことをどう思っていたんだ?
――どうとも思っていなかったんじゃないか?
だから、簡単に見捨てることができたんだ。あの口の悪さがその証明じゃないか。だって、ずっと昔からそうだった。
思い当たる節はたくさんある。
朝は眠いと言っても毎日布団をひっぺ返しに来たし、廊下ですれ違うたびに制服の乱れをいちいち注意してきたし、差し入れのおにぎりはしょっぱくて好みではなかったし、居残り訓練をしていると頼んでもいないのに教えに来た。
霞はきっと、いつまでたっても成長しない清霜を除隊に追い込んでやろうと嫌がらせで付きまとっていたに決まってる。
そんな奴のことなんて知るもんか。清霜は、ずっと昔から霞のことが大嫌いだった。そう決めた。
「……戦って、勝てばいいんでしょう?」
言葉にしてみれば自分でも驚くほどシンプルな答えだった。
そうだ、一体何を迷うことがある? 深海棲艦として生まれ直したあの時からずっとこうすると決めていたじゃないか。やり返してしてやるんだって。弱さを理由に私を見限ったあの時の誰よりも強くなって、代わりにあの暗い海底に引き擦り込んでやるんだって。
文句なんて言わせない。弱者に生きる権利は無いのだと、そんな強者の理論を先に振りかざしたのはそっちなんだから。
「今のあなたは私より強いの? 戦艦レ級より? ねえ、どうなのよ!」
全ては単純な話だったのだ。
勝った奴が偉く。
負けた奴はそれよりも下。
それだけの理屈に、清霜は真理を見た。
@
霞の正面で、レ級が再び戦闘態勢に移り始める。
それは、先程までの姿勢とは、明らかに違った。
脱力し、どんどん前に傾いていく。まるで猿のような猫背になり、指先が海面に触れた。いや、もっとだ。もっと沈む。もうほとんど四つん這いに近い。頭の位置は、既に霞の腰より低かった。
ぎりぎりぎり、と弓が引き絞られるような音がした。
レ級の背後から、巨大な尾がサソリのように持ち上がった。その尾には、主砲と副砲と魚雷発射管がついている。戦艦レ級、特有の艤装。あるいはソレこそが本体と言う者さえいる、不気味な器官。
その尾を、ぴたりと霞に向けた。
先端の口が開き、鋼鉄製の息がぶわりと吐き出される。
顔と尾、その二つについている口が同時に動いた。
――ギャッギャギャッ!
――ギャッギャギャッ!
なんて言っているのかは分からない。
分からないが――敵意があることだけはよく分かった。
レ級は、のっそりと動き出す。
サソリのような、ムカデのような、奇妙な態勢のままで。
その理由を霞はすぐに察した。
小柄な体躯に、巨大な尻尾。その不釣り合いな身体構造を制御して戦うためには、それに見合った姿勢をとる必要があるのだろう。艦娘と同じように二本の脚で立つだけではバランスが悪いのだ。それではきっと重心をコントロールしきれない。故に、あのレ級は立会い前の力士のように上体を沈めているのだ。そしてあの掲げた尾で位置エネルギーをコントロールすることで、重心を微調整している。
霞は確認のために小口径主砲を一発放った。
あっけなく避けられた。
――見ろ。
目の前のレ級は、旋回するときに尻尾を円の内側に傾けている。そうしてスムーズな重心移動を実現させている。
やはりアレが、あのレ級本来の戦闘態勢なのだ。
霞も遅れて動き出す。
微速から半速、そして一気に最大戦速へ。全身にかかるGに抗いながら、霞は己の知識を洗い出す。
レ級と称される戦艦と戦うのは初めてじゃない。何度か砲を交えた経験がある。けれどそのときの相手はあんな異様な態勢ではなかった。せいぜいが艦娘に近い前屈み。そして動きは鈍かった。
それがどうだ、今対峙しているあのレ級の動きは。旋回角度が駆逐艦のように鋭い。
戦艦とは本来、重量のある艦種だ。急カーブを描けない。それでも無理に曲がろうとすれば、バランスを崩すか、速度が死ぬ。それが常識だ。
しかし、このレ級はその常識から逸脱していた。
五体以外の肉体――尻尾をあますことなく利用して、艦娘では不可能な軌道を描いている。
その技術をどうやって体得したのかは霞には想像もできない。自分には尻尾なんて生えていないのだから当たり前だ。
けれど確信をもって言えるのは、それはまさに血が滲むような訓練の賜物なのだろうということ。そうでなくては、尻尾を使った動きなんていう理外の技術は習得できまい。
だからこそ言える。
清霜は確固たる意志をもって強くなった。それだけは間違いない。
では、その強さは何のため?
一体、どこに向けるため?
一体、誰を殺すため?
霞は唾をごくりと飲み込んで、余計な思考を排除した。
同航戦。
レ級はどんどん近づいてくる。戦艦なのだから射程差を活かせばいいのにそうしない。食らいつかんばかりに寄ってくる。
それは、きっと自らの砲撃が当たらないと知っているからだ。霞に撃っても当たらない、と。霞は回避が上手いから。それをあのレ級は知っている。だから距離を詰めてくる。確実に命中させるために。
手加減はできない。
元より艦種の強さに開きがありすぎる。駆逐艦と戦艦では本来勝負にもならないのだ。戦艦の分厚い装甲の前では小口径主砲なんて豆鉄砲と変わらない。だから、勝機は一つだけ。駆逐艦最大の武器――魚雷を連続して叩き込む。それしかない。
霞は牽制のために12.7cm連装砲の弾をばら撒いた。
しかしレ級は一顧だにしない。胸に、腹に受けながら、爛々とした瞳を逸らさない。
痛覚が無いのかと思ったが、即座に否定する。ほんの少しだけ庇うような動きがある。痛くないわけではない。
(じゃあどうして突っ込んで来れるの!?)
レ級の狙いが分からない。
もう距離五千をきったというのに副砲の一発すら撃たない。ひたすらにじりじりと近付いてくる。焦るこちらのミスを誘うように。
距離三千。
ありえない。この距離なら熟達した駆逐艦だって回避は難しい。いくらなんでも撃っていいはずだ。
まるで、そこをなんとか回避して仕切り直そうと思っているのがバレているようで。
(何を狙っている……!?)
併走するレ級は勿論応えない。這いずる亡者のような態勢で、海面スレスレから霞を見上げている。無表情で、何も言わずに。それはまるで、恨み言を体現しているかのようだった。
――私はもう、こんなふうにしか走れないのに。
――あなたは未だ綺麗なままなのね。
「くっ!」
霞は耐え切れず、魚雷を六本も発射した。
レ級の接近を阻むためだけに。その数は、慎重というには多すぎた。
気圧されたか――霞は唇をきつく結ぶ。
ともかく、次だ。今の雷撃を遠回りして避けるであろうレ級に追撃し、逆に主導権を握る。そうして徐々に選択肢を奪っていき、最後は――
最後は……?
どうするんだ?
自分の手で沈めるのか?
――ギギッ!
レ級は、避けなかった。
ぎりりり、と音を立てながら尻尾をブン回し、その遠心力で体躯を半分浮かせながら無理やりに回頭。海面に激突する勢いで着水し、滅茶苦茶な軌道修正をして霞に突っ込んだ。
そして魚雷の網に自らかかる。
「っ! き、清――」
大爆発。
熱波が霞に届く。
それほどの近距離。
爆心地のレ級は、きっとただでは済まない。
「ど、どうして……」
一体、何を考えてこんな特攻めいた蛮行を。唖然とする霞。
その瞳に、炎壁を突き破って迫るレ級の姿が映った。
身構えることもできない。
激突。
「かはっ!?」
全速の戦艦のもつ運動エネルギーはそれだけで駆逐艦を大破させる。全身がバラバラになるような衝撃を受け、霞の肺から酸素が絞り出された。
華奢な身体が吹き飛ばされる。その刹那、レ級が霞に左手を伸ばし、制服の胸倉を掴んだ。
首が、気道が閉まる。
「が、はっ――!」
反射的にレ級の腕にしがみつく。
足が浮いている。
艤装が海面から離れている。
身動きが取れない。
霞は、胸元を掴んでいるレ級の指をこじ開けようと足掻く。が、1ミリも動かない。
駆逐艦の腕力で、戦艦の握力から逃れられるわけがない。
(何かで意識を逸らさなきゃ無理!)
だがどうする? 目の前のレ級は魚雷にだって飛び込んできた。そんな相手に今更12.7cm連装砲を直撃させても怯ませることができるとは到底思えない。
必死に考える間にも首が絞まる。
酸素が足りなくなってぼやける視界に、レ級の顔が近付く。
人差し指一本分の距離。
その瞳は紫色で、歯はサメのように尖っていたけれど――顔立ちはやっぱり清霜だった。
(あぁ――)
霞は理解した。
やはり清霜は復讐しにきたのだ。己を見捨てた薄情者を成敗するために。
霞の視界に、ぐるりと蠢く尻尾が映る。
強力無比な大口径主砲を備えたソレが霞の胸に――心臓にぴたりとあてがわれた。
撃つ気だ。
そんなものをこの零距離で撃たれたら、間違いなく死ぬ。
だがどうする気も起きない。どうせ首を掴む手は外せない。ただ苦しさから逃れるために身を捩じらせるのが精一杯だった。
呻く霞の顔を、清霜は獲物をいたぶる猫のように目を細めて観察する。そうして歯をむき出しにしてみせる。
――ギャッギャギャッ!
清霜が何かを言っている。
なんと言っているのかは分からない。
分からないが――自分もすぐに分かるようになるのだろうか。同じ深海棲艦になったなら。
そう思い、霞はとうとう手を離した。
けれど、清霜は撃たなかった。
「……ぐっ、ぅ?」
清霜は発声をぴたりと止める。何が不満なのか、眉間に皺を寄せて。グルルルと唸り、空いた右手を自身の肩に伸ばした。そして装着された無線機の電源をONにする。
――ギャッ。
『――どぉ?』
化け物じみた肉声と同時に、清霜の声もした。
あっけにとられてしまう。
肉声と、無線機を介した声が、全然違う。リアルタイムで聞かされたそれは、まさに怪現象だった。
清霜も、普通に喋れると思っていた。
さっきまでの化け物じみた鳴き声は、威嚇のためにわざとやっていると思っていた。
しかし。もしかしたら。
清霜の肉声は、ずっとこんな調子で。
無線機を介してのみ、人語として伝わるのかもしれない。
(そんなことが、あるんだとしたら……)
霞の脳裏に、一つの仮説がたてられる。
この現象は、他の全ての深海棲艦にも起こっているのか?
他の深海棲艦にも本当は理性があって、言葉を発しているけれど、伝わっていないだけなのか?
――ギャギャッ。
『これが実力なんだから!』
そう言うと清霜は、霞の胸倉から手を離した。
「……ひゅはっ! はっ、う、はぐぅ」
浮いた身体が落ちる。足が海面に着いて、ばしゃりと音を立てた。
一体、何が起こったのか。
霞はただ呆然と見上げる。
映った清霜の顔は、死人のように真っ白で、瞳は紫色で、歯はサメのように尖っていた。見てくれは化け物のようだった。
けれど。
殺意はどこにも無かった。
その清霜が、矢継ぎ早にこう言った。
『どう、どうなのよ!? これが私! これが清霜なの! 清霜は、強くなったのよ!』
そんなことを、思いつくままに。
『前とは違う! すっごく頑張った! ちゃんとやれる! もうお荷物なんかじゃない! 艦娘にだって負けない……司令官は私が守る! 守れるの! 私はもう、弱くないんだから!』
霞には、意図が分からない。言葉が耳から耳へと抜けていく。
これが人語であることは分かる。一言ずつの意味も分かる。しかし、何が言いたいのかが分からない。
そこには恨み言なんて一つも無くて。
子供のように、ただ自身の成果を自慢しているだけだった。
そのことを、霞は随分と時間をかけて理解した。
「え、えぇ……?」
一体、何なんだ?
そんなことがこの場で重要なのか? この生き死にがかかっている場面で。艦娘と深海棲艦が対峙しているという、この場面で。
二の句も告げない霞に、清霜は納得できないように呻いてみせる。
『うぅ~~!』
気の効いた啖呵が思いつかないとばかりに、地団駄を踏み鳴らす。
『ばーーーーーかっ!』
そう吠えて、霞を突き飛ばした。
「あっ」
霞はふらふらとよろめいて、たたらを踏んだ。首元を抑えながら清霜の顔を凝視する。今度はちゃんと真っ直ぐに見据えてみる。
おぞましい化け物。
恨みを募らせた亡者。
そう思っていた。そう見えていた。そう映っていた。
けれど、本当にそうなのか?
その色眼鏡は、自身の先入観がもたらした妄想なのではないか? 相手がいかにも人外な姿をしているから、そう思いたい心がそう見せていただけなんじゃないか?
「あんたは……」
清霜は、まだ変なことを言い続けている。『いい!? 清霜は強いのよ! 分かった!?』と、背を向けながらも、顔だけはこちらに向けて。彼女の尾までもが「ギャギャギャ!」と文句を垂れていた。
そうして、清霜はゆっくりと撤退していった。
霞の無線機に通信が入る。ショートランドの主力艦隊から。安否を尋ねる声は耳に入らなかった。
その目は、遠く水平線近くで艦娘の砲撃から逃げていく一人の深海棲艦に釘付けになっている。
「あんた、清霜なのね……」
どんな顔をしていいか。
霞には、その答えが分かった気がした。
@
艦娘の連合艦隊からなんとか逃げ切って、清霜は肩を落として呟いた。
「う~、やっちゃった……」
膝を擦る。
実は、滅茶苦茶痛かった。
いくら戦艦の身といえど、魚雷が二発も直撃したのはまずかった。
流石に、効く。中破ぐらいはしているかもしれない。これではまた新貝に怒られる。
そもそも、ショートランドの装備庫を破壊した後は、何があろうと真っ直ぐ逃げる段取りになっていたのだ。それを個人的な事情で反転し、交戦したとあってはゲンコツだけでは済まないかもしれない。
「ぬぬぬ」
頭の中で言い訳を考える。
が、きっと通じないだろう。
「……まぁ、私が悪いよね」
怒られても仕方ないと思う。あのときは熱くなりすぎた。そのぐらいは清霜自身も分かっていた。
――あのとき。
霞と交戦し始めたときは、正直、轟沈させても仕方ないと思っていた。
そのための決意も固めていた。
けれど、被弾覚悟で霞を捕まえて、いよいよその心臓を撃ち貫けるという段になったとき、どうしてもその気になりきれなかった。
だって、霞がずるすぎた。
あんな戦い方をされたら清霜じゃなくてもヤる気が失せる。
かつての実戦経験の薄い清霜なら分からなかったかもしれない。しかし今の清霜は、あの無慈悲な北上の訓練を受けていたから、よく分かる。霞は、砲撃も雷撃も、ヤる気が全然無かった。
だから拍子抜けしてしまった。
艦娘と深海棲艦の戦いなのに、そんなことをされたら白けてしまう。そう、本当なら、どちらかが沈まなければならなかったのに。だから一生懸命、霞を嫌おうとしたのに。どうせ戦わなきゃいけないなら、嫌いな相手の方が都合が良かったから。
けれど、無理だった。
霞は確かに偉そうで、上から目線で、先輩面して、口が悪かったけど。そんなのはいつものことで、誰に対してもそうだった。霞の態度が悪いのは、清霜を侮っているからではない。
それに。
霞が毎朝起こしにきたのは、夜遅くまで訓練していて自力では起きられないからだった。
制服の乱れを指摘してきたのは、それで誰かに舐められないようにするためだった。
差し入れのおにぎりの塩加減は、疲れた身体には最高だった。
居残り訓練にいつも付き合ってくれたおかげで今の自分がある。
そんなことは百も承知だった。
そこまでしてくれた霞が、清霜をどうでもいいと思っているわけがない。
それを思い出させられてしまった。
「うーー」
悔しい。
が、悪い気分でもなかった。
清霜は一つ理解した。
自分はどうやったって霞を嫌いになりきれない。
けれど、それでも戦わなければいけないのが今回の戦争だ。
今度会ったときは本当に沈めなければいけないかもしれない。どんなに嫌でも、やらなければやられるだけ。そのことを忘れるほど清霜は愚かではない。弱肉強食。その現実を経験してきている。だから、ヤるときはヤる。それだけの覚悟は揺るがない。
……霞には、その覚悟ができていないようだったけど。
「霞ちゃん、かぁ」
かつて憧れた先輩。
あの強い強い霞に、自分は勝った。
けれど、全く高揚していない。
こんなのはきっと自分が望んだ勝利じゃないからだ。
霞は確かに強い。けど、言っちゃあ悪いが所詮は駆逐艦だ。戦艦である清霜なら勝って当たり前。
それは、ショートランド泊地での破壊活動だって同じこと。あんなのは別に誰でもできる。なんなら駆逐艦にもできることだ。だって、誰もいないところで暴れただけなんだから。
そんなのは、戦艦の役割じゃないはずだ。
戦艦たるもの、水上戦で、大型艦船をぶっ飛ばさなければいけないのだ。例えばそう、戦艦クラスの姫級とかを。
それを成し遂げて初めて清霜は自身の有用さを証明したことになるだろう。
「……そうだよね、司令官」
――何よりも、恐ろしい想像があった。
それは、いつか司令官に見捨てられる日がくるんじゃないかということ。
勿論、あの人はそんなことはしないと知っている。けれど、それでも恐ろしい。人の気持ちは移ろうものだから。
清霜は戦艦になっても本来の役目を全うできていない。そして、これからもできなかったら、司令官はどう思う? そんな自分のままで、もっと役に立てる人が仲間になったらどうなってしまう? 例えばそれが、戦艦の人だったら? それも、自分よりも強くて、賢くて、艦載機も飛ばせる、別の戦艦レ級だったら?
そうではない清霜はどうなるんだ?
想像する。
少しずつ話す時間が減っていき、いつしか任務を与えられなくなって、控え要員として定着し、居ても居なくても変わらない存在になってしまい、ついには忘れられてしまう。清霜と呼ばれた少女なんて始めから居なかったかのように。
――恐ろしい。
死ぬことよりも恐ろしい。
司令官に見捨てられるなんて想像するだけで魂が凍りつく。
「ちゃんと勝たなくっちゃだめなんだ」
清霜は、まだ何も達成していない。
戦艦に相応しい戦果を出せていない。
(……こんなんじゃ駄目だ)
駆逐艦相手に、魚雷を二発も食らわなければ勝てないようでは話にならない。
強くなりたいと清霜は思った。
もっともっと、誰よりも強くならなければ、と。
それが清霜の魂にこびりついた未練の本質だった。
金剛さん、丙改造おめでとうございます。
私はね。
女の子がぐちゃぐちゃの内面を押し込めてメンチきりあってる状況が最高に好きみたいです。