悪いひとたち ~南方深海泊地へようこそ!~   作:シャブモルヒネ

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4-9:鉄底海峡2

契約履行のときがきた。

新貝からショートランド泊地襲撃成功の報を受け、コンゴウはその日のうちにガ島泊地を訪れていた。

引き連れてきた連合艦隊は、浜辺で待機。

護衛役にハルナを連れて、門を潜った。

ガダルカナル泊地。

かつて欲しがっていた泊地。

そこは、思った以上に朽ちていて、コンゴウを大いに落胆させた。

仮にも泊地と称されるからには、もっと威厳を放ち、きめ細かに整備されているべきではないか。

灯りが豆電球だなんて聞いてない。床を歩くたびに音が鳴るのはどういうことだ。壁や窓枠には当たり前のように隙間があって、あらゆる意味で軍事施設に相応しくない。部屋にはそもそもドアすらついていなかった。

なんだここは、と不満が募る。

(まるでバラック小屋そのものではないデスか)

こんなのは詐欺である。自分たち第三戦隊が遠路はるばる中部海域からやってきたのは、仮設住宅を得るためではない。

唇を尖らせながら廊下を歩いていると、見覚えのある機械が目に入る。思わず首が伸びた。

「Wow! 入渠設備! 久しぶりに見ましたヨー!」

そうそう、コレが無くては泊地とは言えない。

こんなボロ泊地でも、機能だけは動いていることに安堵する。

その様子を見て、案内役の白髑髏はいかにもぎこちない愛想笑いを浮かべた。

(……ハァ、それにしてもなんなんでショウ、この男は)

新貝貞二。

警戒心が見え見えで、それを隠そうとしていることまで丸分かり。例え未熟な学徒でももう少し腹芸ができる。低次元すぎてコンゴウは指摘する気にもならない。

「……最近は、こんなのでも提督になれるんですネェ」

「ン、何カ言ッタカ?」

「いいえー! なぁーんにも?」

「ソ、ソウカ」

執務室に入室して、チープでボロなソファーに腰を下ろす。

きったないテーブルを挟んで新貝と向かい合った。

その自称提督は、落ち着かないように両の掌を擦り合わせながらこちらの出方を伺っている。

「エート、ダナ……」

挙動不審。

大方、以前の交渉を思い出しているのだろう。あの時に随分と脅かしてしまったから穏やかではいられないのか。だが、それがどうしたとも思う。痩せ我慢ぐらいしてみせろ。心のうちはどうあれ、どっしりと構えてみせるのが男だろう。

「シ、シカシ、アレダナ。入渠施設モ無シニ、今マデドウヤッテ戦ッテキタンダ?」

「海に浸かってれば直りマース。死んでいなくても足りない部品が勝手に集まってくるんですよ。……そんなことも知らないんですカー?」

「アア、初耳ダ」

「恵まれた環境で羨ましいですネー。ちなみに、直るといっても物凄く時間がかかるんですよ? だから入渠設備が要らないってことはないんデース。むしろ喉から手が出るほど欲しいですネ」

「ヘェ~、ソウナノカ。何カアッタラ使ッテクレテイイカラナ」

「…………」

わざと言ってるとしたら、大したものだ。

新貝の背後に立つ大井にチラリと目線を向けてみると、溜め息交じりに頷いて見せた。

(アナタも大変ですネ)

(そうなのよ、本当に)

含意を察せない者に、当て擦っても仕方ない。コンゴウは早速本題に入ることした。

「――で、ショートランド泊地の話ですが。装備は壊せたんですネ?」

「アア、勿論。艦載機ト大口径主砲ハ、殆ド壊セタハズダ」

「Congratulations! 頭上を気にしなくていい戦いはそれこそ何年ぶりでしょう!」

とは言っても、次の戦闘は夜戦になるのだが。

装備庫を襲撃された艦娘たちが、態勢を立て直す前に畳みかける。そのための速攻だ。

今の新貝たちがガ島に戻っているのは最後の補給をするため。のんびりと英気を養うためではない。今夜すぐにでも出撃する予定だった。

そして、そのタイミングで来てくれと言われていたのがコンゴウたちだ。

敵陣営を弱体化させた後に合流し、一気呵成に攻めたてる。そういう契約になっていた。

しかし、ここで契約相手がとんでもないことを言いだした。

「艦娘ヲ沈メナイデクレナイカ」

思わず、目をぱちくりと瞬かせてしまう。

「は?」

「俺タチハ、ショートランドト交渉スル。停戦ヲ目指シテイル」

初耳だった。

新貝は、続けた。

停戦したいから、それがスムーズにいくように手加減してくれ、と。

「き、貴様……何を、言ってる? この期に及んで……停戦ですって?」

絶句するコンゴウの胸中を、ハルナが代弁してくれた。

そう、まさしく「何を言ってるんだ」としか言いようがない。

停戦狙い?

だから撃沈禁止?

無理難題である。というよりも、話が最初と違っていた。確か、契約内容はこうだったはずだ。“ショートランド泊地を落とす”。……そりゃあ“どうやって”については言及されていなかったけど、そんなのは“敵を沈めて”に決まってる。普通に考えてそれ以外にあり得ない。もしも特殊な条件をつけたいのなら、最初から念入りに伝えておくべきだ。

なのに、この男は、この土壇場にきて、全ての前提条件をひっくり返した。

「資源ヲヤル。奪ッタ分ニ、利子ヲツケテ八万ダ。ガ島ノ真南……レンネル島ニ隠シテアル」

――ご褒美をあげるから、言うことを聞いてくれ。

まるで、ガキを使いにやるような言い方だ。

あまりに幼稚で、馬鹿にされているとさえ思えない。この男は本物の馬鹿なんじゃないかと呆れたのだろう、ハルナは大口を開けたまま固まってしまった。

コンゴウだって似たようなものだ。

ここまでされると、一周回って、憤慨する気にもならない。

コンゴウ一派は、第三戦隊である。

中部海域イチの質実剛健さを誇る、本物の連合艦隊。矜持と復讐心だけを胸に六年間も戦い続けてきた。その第三戦隊が、どれだけ目的に対して実直であるかは、目の前の新貝貞二もその身で思い知っているはず。何をどう思い違ったらこんな意に反する要求が通ると思うのだろう?

「……どういうつもりデス? アナタ、よもや私たちが資源欲しさにそのような軽挙妄動に応じると思っているわけではないデショウ?」

「ソレヲ承知デ、頼ンデイル」

そう言うと、新貝はいよいよ頭まで下げてみせた。

そうしてその姿勢のまま、甘っちょろいこと極まりない妄言を吐き始めた。

曰く、自分たちの戦力とショートランドの戦力が拮抗すれば、一時停戦にこぎつけることも可能なのだ、と。

そして下手くそな言い訳が始まった。

ちょっと待て、と止めてみても聞きやしない。ベラベラと自分たちにだけ都合の良い妄想を垂れ流し、いよいよハルナが青筋を立てた。罵りが始まるが、新貝はただ端的に謝意を述べるだけだ。

なんて無様で、みっともない振る舞いなのだろう。

浅慮どころの話ではない。こんなのはその場しのぎにすら値しない。

コンゴウは呆れてものが言えなかった。

どうやらこの寸足らず野郎、本当のことを言ってもどうせ断られるからと、このタイミングまで隠していたようだ。そして、このどうしようもないところまで引っ張ってからぶちまけた。

不誠実、ここに極まれり。

その瑕疵を覆い隠そうと、報酬を釣り上げて雑な謝罪を繰り返しているところも気に入らない。

こんなのが男なのか。

こんなのが、本物の提督であるものか。

そりゃあハルナでなくたって怒るだろう。

契約を履行する寸前というタイミングで前提条件をひっくり返すなんて、仁義無き深海棲艦の世界でも中々ない。そう言っても、聞きやしなかった。暖簾に腕押しとはまさにこのこと。

しかもこのろくでなし、言うに事欠いて、この戦争を轟沈艦なしで収めるつもりらしかった。

……そういえば、最初にそんなことを言っていたと思い出す。

思わず振り返り、ハルナと目線を合わせてしまう。今聞いた戯言が幻聴でないかを確かめるために。

「……What?」

「……何ですって?」

零れた言葉まで、重なった。

やはり、聞き間違いではないらしい。

どうやらこの新貝貞二という生き物について誤解していたようだ。

不甲斐なく、寸足らずで、浅薄だと思っていた。しかし、そんな表現だけでは全く足りなかったらしい。もはや阿呆の極みとしか形容のしようがない。

だってこの男、何と言った?

撃沈禁止という条件で、電撃的に勝利して、ショートランドから停戦を引き出す?

そんなことが成し得られるわけがない。

戦争を舐めている。

大体、誰がその上がりに上がりきったハードルを飛び越えると思っているのだ。こっちは命を賭けるのに、相手の命を大切にしろ? よくもまぁ言えたものだ。シャブでもキメているとしか思えない。

「あのねぇ、新貝サン?」

百歩譲って、それができるとしても、だ。

ブイン基地がすぐに参戦してくるに決まってる。そうしたら数的不利になるのは明らかで、千歩譲っても“轟沈艦なし”などという偉業は達成できまい。そう言い含めても、新貝は折れなかった。

よぉし、分かった。

じゃあ一万歩、譲ってやろう。

ブインの増援が来る前に決着をつけられたとしよう。そして艦娘全員を一度の交戦で無力化してふん捕まえられたとしようじゃないか。じゃあそこから、どうなると思う?

いくら最近の若い連中が腑抜けているとはいえ、艦娘は艦娘。命惜しさに深海棲艦相手に白旗を挙げるような真似はしないだろう。腐っても軍に所属している艦船である以上、その程度の矜持はもっているはず。つまり、いくら砲を突きつけて脅したところで、「誰が貴様らの言うことを聞くものか」「さっさと殺せ」と言われて終わり。

更にトドメに付け加えるならば、たかがイチ泊地に独断で停戦協定を結ぶ権限は無い。艦娘側にその意思があっても実行することはできない。

つまり、つまりだ。新貝の描いている妄想は、十万歩譲っても実現できるか怪しい代物ということだ。そう諭しても、この阿呆は、

「頼ムヨ」

できもしないことに命を懸けて、尚も停戦を目指すと言うのだ。

ハルナは溜め息と共に、こう漏らす。

「……話になりませんね」

コンゴウだって、そう思う。

思うのだが……。

胸の奥がチリチリと疼いていた。

この阿呆が、どこまで阿呆なのかが気になった。

コンゴウは腕を組んで、ゆっくりと首だけで振り返る。

そこに居たのは護衛役のハルナ。そして壁向こうの浜辺には、第三戦隊の面々がいるだろう。自分が育てた自慢の兵たち。だから、彼女たちが考えることは分かる。新貝の言い分には全く納得できないだろう。自分だって同じだ。

けれど、けれど……何故か分からないが、一周回って……いいや、五周ぐらい回って、面白いと思ってしまったのだ。悪い癖である。提督という存在を試したくなってしまった。

「阿呆すぎて笑えてきマース」

「そ、そうですか……?」

理解できない、といった顔のハルナ。

「どこまでやれるか見物だと思いませんカー?」

「はぁ……?」

「私はね、この阿呆の言うことに乗ってやってもいいと思うのデスよ」

「え……ええっ!?」

思った通り、絶句した。あんぐりと口を開けて。

ふと視線を動かすと、大井も驚愕していた。目を大きく見開いている。きっと、コンゴウが応じるなんて想像もしていなかったに違いない。その表情はまさに鳩が豆鉄砲を食らったようで、痛快だ。

「ど、どうしてですか!? 艦娘を見逃すなんて! いくら資源が無いとはいえ……」

「資源? 馬鹿言っちゃいけないヨー? そんなもののために戦場で遊ぶわけないデース」

コンゴウはテーブルに身を乗り出して新貝に詰め寄った。そしてその鋼鉄製の人差し指で阿呆の胸をトンと突く。

「けして泣かず、諦めず。最期の最期まで阿呆を貫きナサイ。それが、私たち第三戦隊が協力する条件デース」

不敵に微笑む。

新貝は、自分で要求したくせに、承諾されたことが信じられないようだった。

「イ、イイノカ……?」

「いいんデース」

すぐさまハルナが抗議する。

「そ、それでは我々は何のために……」

「納得いかない、でしょうネ」

「当たり前です!」

「ショートランドの粛清は後に回す。そうしないとこの阿呆は今ここで敵になるでしょう。そうなると我々も困る、それだけの話デース」

「しかし……だからといって……」

「いいのデス。私たちは別に誰が相手でも構わない。だから、ショートランドと戦うのが最後になっても問題ない。違いますか?」

「ち、違いは、しませんけど」

「ただ順番が変わるだけ。それに……」

腰に手を当てて、見下すように顎をあげてみせる。

「こういう夢追いの阿呆は、真っ先に死ぬ。だから争うのも馬鹿らしい。私たちが手を下すまでもないのデース」

どうせ、成し遂げられやしまい。

新貝がいうような大団円は、天地が引っくり返っても実現しない。

そんな現実の厳しさを、コンゴウは痛いほどよく知っていた。

しかし同時に、こうも思うのだ。

例え、手を取り合える可能性がゼロパーセントであろうとも――それでも声をかけてくれたなら。

コンゴウは遠い記憶を辿る。

自分たちが深海棲艦になった時のことを。人類と、深海棲艦。それが相容れないことぐらい分かっていた。だから追い返されたのは仕方ない。

だが、それでも。

かつて鎮守府から叩き出されたあの時に、かつての仲間たちがほんの少しでも受け入れる努力をしてくれたなら。あるいは、たった一言でもこちらを慮る言葉があったなら。何かが、違ったのではなかろうか?

 

『済まない』

『これまでの奮戦、感謝している』

『息災を祈る』

 

何だっていい。そんな意味合いの餞別をもらえていたなら、こんなところまで来ることはなかったのではないか?

今はもう、引き返せない沼の底。ズップリと浸かってしまい、どうする気すら起きない。そんな現状を肯定できるところまで来てしまったけれど。それでも。あのトラックの馬鹿提督がもう一寸でも気を利かせてくれたなら、自分たち第三戦隊はもう少しマシな生き方ができたかもしれないと思うのだ。

「……ふん」

その仮定は、コンゴウにとっては今更すぎた。

もう手遅れ。認めてしまうにはあまりにも多くの者たちを沈めすぎた。だから、けして認めてはならない。自分の心の奥底に、まだ提督という存在を信じてみたい気持ちがこびりついていることを。

「難儀な奴ですネー」

そんな矛盾が自身の中にあることは、薄々分かっていた。

だって、そうでなければ、この阿呆――新貝貞二とかいう自称提督がマキラ島に交渉に来た時に、問答無用で撃ち殺していなければおかしい。だが自分はそうせずに、嫌がらせまがいの腹切りを強いた。

それは、何故か?

答えは簡単。部下のためなら腹をも斬ってくれるような理想の上官がこの世のどこかにいてくれると信じたかったからだ。

それを体現してほしくて、吹っかけた。

当の新貝貞二にとっては迷惑極まりない話だっただろうけど。

「ヘイ、自称提督さん。言っておきますが、保証は全くできませんよ? 撃沈禁止なんて無茶もいいとこデース。「可能なら実行する。不可能でも断行する」……そんなことを言っていたかつての海軍はどうなりました?」

「海ノ藻屑ダロ。知ッテルヨ」

「我々が命を懸けるのはあくまで我々の目的のため。遊びに最期まで付き合うとは思わないことデース」

「アア、努力シテクレルダケデ、充分ダ」

「何人殺すかは分かりません。ひょっとしたら九割方を、殺すかも」

「分カッテル」

「だったら始めから全員沈めてしまった方が確実では? そうして手も足も出なくしてから無条件降伏させればいいじゃないですか」

「ソリャア、ソッチノ方ガ、簡単ダロウサ。ケド、ソレジャア……」

そう言って、口を止める。目線を彷徨わせて言葉を探すが、良い言い回しが見つからなかったようだ。続きを促してやる。

「それじゃあ……何です?」

「甘ッチョロイ事ヲ、言ウケドナ……。戦ウ事ガ避ケラレナイトシテモ、沈ム奴ハ一人デモ少ナイ方ガイイダロウ?」

「あはっ、これは傑作デース!」

喜悦がふきこぼれる。

この男、新貝貞二。不甲斐なく、寸足らずで、浅薄で、そのうえ折り紙つきの阿呆とは! エゴ丸出しの深海棲艦は辟易するほど見てきたが、ここまで夢見がちな奴はいなかった。

もっと面白い反応を見たくて、つい煽る。

「二兎を追う者はなんとやら。不可能だから止めておきなさい」

言われた阿呆は、不満そうに片眉を上げる。

「誰ガ、ソウ決メタンダヨ?」

「誰に聞いてもそう答えマース」

「言ワセトケ」

甲斐性なしが俄かに立ち上がる。コンゴウと対峙して、苛立ちを隠そうともせずに吐き捨てた。

「関係ネェンダヨ、ンナコタァーヨ」

腹芸もできない無能提督だから分かりやすい。「上等じゃねえか」と全身で言っていた。

その未熟者に人差し指を突きつけられて、コンゴウは満足したように「ならばよし」と返してみせた。

「そのまま逝くがいいデース」

「死ナネーッツウノ」

コンゴウはもう一度ハルナを振り返る。

「愚か者の末路は決まってる。けれど、それが何だと言うんデス? 私たちは深海棲艦。今更、小利口になれるぐらいなら、最初から諦めて成仏できていたはずデース」

「……そうまで言われるなら、私はただ、従うだけです」

ハルナが承服するのを見届けて、コンゴウは、新貝に右手を差し出した。握手のために。

すると新貝はすぐに応じた。先日に握りつぶされたばかりだというのに、躊躇わない。よほど頭が残念でソレを忘れてしまったか、それとも――本物の阿呆なのか。

そして合意は成された。

「ショートランドを制圧する、契約期間はそれまでデース」

「アア、助カル」

「ちなみに、その後はブイン基地を制圧する予定デス。そこからは手加減なし。轟沈アリアリですヨ?」

「好キニシテクレ」

「おや、薄情な」

「俺ハ正義ノ味方ジャナインデナ。ソコマデ手ハ広クナイ」

「……その後はどうするつもりで?」

「ショートランドガ、片付イタラ、カ?」

「はい」

「ソウダナァ、全テガ上手クイッタラ……」

新貝は中空を睨みながら、思考を呟いていく。

「居座ルコトハ、デキナイダロウナ……資源ト装備ヲパクッテ……南方海域ニイルデアロウ他ノ仲間ヲ探ス、カナ。ガ島奪還作戦デ沈ンダ艦娘ハ、他ニモタクサンイルンダ。デモ、マズ始メニ……」

「始めに?」

「旨イモンガ食イテェ。アト、煙草。キレチマッタンダ」

「ふっ」

コンゴウが笑う。

旨い物を食べる。そんな人間みたいな欲求は、もう何年も忘れていた。ショートランドを制圧したら第三戦隊もご相伴にあずかろう。そして和菓子をたらふく食べるのだ。

「……おっと、失礼」

後ろからハルナが伝えてくる。無線に連絡があったらしい。偵察中のヒエイとキリシマからだ。

「ショートランドが出撃したみたいデース」

「……ヘェ」

「向こうは大型艦が殆ど無力化しましたからね。水雷屋が主力なら、夜戦を挑んできてもおかしくありません」

その程度の予測はできて当然だというのに。新貝はあからさまにたじろいだ。

「イヤ、夜戦ナラ予定通リ……問題ナイ」

誤魔化し方も、下手。

しょうもない奴だ。こんな阿呆が本当に提督だったなんてコンゴウにはけして認められないけど、それでも一歩も踏み出さずに全てを投げ捨てるような馬鹿野郎よりは百倍ましだと思った。

 

 

「……また姉上の悪い癖がでたか」

ヒエイの愚痴は、闇夜に吸い込まれて、消えた。誰も居ない海。その只中を、探照灯で照らしながら進んでいる。ショートランドの監視任務は終わった。今はキリシマと交代して、一艦隊で帰路を走っている。

「撃沈を避けろとは、また厄介なことを仰る」

できる範囲でよい、とは言っていた。しかしそれは裏を返せば、できる範囲なら必ずやり遂げろ、と言っているに等しい。手を抜くなと。敵を殺さず、こちらも死なず――そのギリギリのラインを見極めなければならない。

「我が姉ながら無茶を言う。まったく、とっととガ島を奪ってしまえばいいものを……ん?」

探照灯が照らす視界の端に、オレンジ色の物体が見えた。派手な原色。深海棲艦ではあるまい。

ヒエイは即座に思考を中断し、左手を上げて随伴艦の皆にハンドサインを送る。速度を緩めて旋回して、ゆっくりとソレに近付いた。

 

救命胴衣。

――をまとった人間、の死体だった。

 

周辺警戒を伝達する。

ヒエイ以外の五人は原速のまま、周辺を警戒。ヒエイはその中心で死体に光を当てて観察する。

成人男性だった。その肌は、青く腐ってもいないし、赤く膨れ上がってもいない。ということは新鮮な死体であるはずだが、身につけた救命胴衣は何年も漂流したかのように汚れていた。細かい傷も多い。

おかしい。

こんな状態の救命胴衣を、普通は使いまわそうとはしない。高価な物でもないのだから、すぐに交換するはずだ。で、あるならば、この死体が身に着けている救命胴衣は、持ち主の状態と同様に、新品でなければおかしかった。

(何か、事情があったのだろうか?)

どこぞに打ち捨てられた救命胴衣を拾って、海に飛び込まなければならない状況……? ヒエイはすぐに思いつくことができない。

ふと、そのショルダー部分に黒い手形が残されていることに気がついた。小さな手形。大人の大きさではないが、子供でもない程度の手形が、ベタベタとつけられている。特に、そのベルトとバックルに多く残されていた。その跡はまるで、救命胴衣を着せるのに苦労した痕跡にも見える。

古く、汚い、救命胴衣。

そんな物をどうして着せたのか。新しい物は無かったのか。漂流中に破損したらどうするつもりだったのだ……とそこまで考えて、問題点がそこではないことに気が付いた。

この死体の男は、何故、自分で着なかった? 大の大人がまさか自分で着用できなかったとも思えない。わざわざ着せてもらっている。それは何故?

「……自分では、着られなかった? もう死んでいたから……」

死んだ後に、着せられた。だから救命胴衣は劣化していても構わなかった。

それをやったのは黒い手形の持ち主だ。

そいつは、どうしてそんなことをしたのだろう? 少しだけ考えてみる。

新しい死体。救命胴衣を着せる。どうして? 着せなければ……沈んでしまうから。出来立ての死体は浮かばないから。つまり、死体を浮かばせたかった。だから、救命胴衣を着せて、浮かばせた。そして海上に放置した。

恐らく、そんなところだろう。

だが、それは、何のためだ? 何のために死体を浮かす? それに何の得がある? 死体を海面に漂わせたら、一体何が起こるんだ?

ヒエイは一つの結論に辿り着く。

死体が浮かんでいたら、ソレを見つけた奴の足が止まるじゃないか。

 

「ヒトーツ」

 

その声は、唐突に天から降ってきた。

ヒエイたちは俊敏に反応して声の主を探す。周りに光を放つ。粘ついた闇は容易には切り裂けず、そのスポットライトはほんの一部しか明瞭にできない。けれど、それも動かし続ければ、やがては全周囲を把握できる。二本の光が大きく動かされたが、何者も見つけ出すことはできなかった。

(二本、だけ?)

探照灯は、三基あるはずだった。

即座に点呼をとる。警戒を怠らずに集合するが、四から先が聞こえない。周りを照らしても、やはり四人しかいなかった。二人もいない。そんな馬鹿な。無音でやられるわけがない。自分たちが足を止めてから誰も一言も発していない。せいぜい自分が、口の中で独りごちただけ。だから、何かあったら必ずこの耳で察知しているはずだった。

 

「フターツ」

 

今度は、すぐ背後から聞こえた。

弾かれたように振り返ると、そこに一人の女が居た。いや、少女といった方が近い。真っ黒い少女。ソレは、膝を抱えて座り込み、浮かぶ死体を見つめていた。ヒエイたちには目もくれず、まるで蟻の行列に魅入る幼児のように、ただじぃっと。

その場所は、ヒエイたち四人の深海棲艦が警戒しているど真ん中。どうやってそこに到達したのかは、誰にも分からなかった。

ヒエイは全く躊躇しなかった。目にも留まらぬ速さで攻撃する。構えもせずに放ったその一撃は、標的である黒い少女に向かって正確に吸い込まれていった。

破裂音。

鉄片が砕かれて、ほうぼうに着水する。

標的は……何の影響もなく座ったまま。右腕の主砲だけをヒエイに向けていた。

無傷。

当たっていない。が、けしてヒエイが外したわけじゃない。防がれたのだ――あいつの砲弾で。

ヒエイは思い出す。かつて天眼通と呼ばれた駆逐艦。多少姿が変わっていても見間違うことなどありえない。あんな曲芸ができる艦船は他に存在しない。

敵の砲弾を、空中で撃ち落とすなんていう絶技ができる怪物は。

ヒエイが背中に伝う冷や汗を感じる前に、天眼通が口を開いた。

「ミーッツ」

ヒエイの背後で誰かが倒れる音がした。きっと仲間の誰かが落とされた。天眼通は微動だにしていないのに――ならば、先程の迎撃は、連撃だったのだろう。対峙していたはずのヒエイが分からないほどの早撃ちだ。仲間の安否が気になるが、振り向くことはできなかった。正面の怪物から目を逸らせば、死に至る。

(コイツ、深海棲艦に成ったのか……)

かつて、鉄屑同然にしてやったはずだ。身体より、穴の体積の方をでかくしてやったのを覚えてる。なのに、それでも尚、復活できるなんて事例を、ヒエイは知らなかった。

……かつて、大和が沈む間際に言っていた。

砲撃命中率100%の駆逐艦がいる、と。

当時の第三戦隊の面々は鼻で笑った。そんな奴がいるわけない。所詮、沈む間際の虚仮おどし。誰もがそんな戯言を信じなかった。

しかし、その悪夢は現実にやってきた。

ソイツは、艦娘のくせに、何故か単艦だった。「これはこれは可愛いらしい御嬢ちゃん。迷子センターに案内してあげましょうか?」そう揶揄したハルナは、一発で落とされた。小口径主砲、のはずだった。しかし装甲の継ぎ目、かつ体内で急所に跳弾するように撃たれてしまってはひとたまりもない。第三戦隊全員が瞬時に色めき立ち、袋叩きにしようと襲いかかる。しかし、何一つ当たらなかった。全ての攻撃手段が読みきられているかのように避けられて、叩き落された。そして攻撃されるたびに誰かが死んだ。一発一殺。それは、まさに悪夢としかいいようの無い光景だった。

「……ダッテ、マイナスフタツ、ダッタンダモン」

唐突に天眼通が呟いて、ゆっくりと立ち上がる。

小ぶりな艤装からは巨大な腕が二本も生えていた。そんな姿の駆逐艦といえば一種類しかいない。

駆逐水姫。

よりにもよって姫級だった。

「アノママジャ、マイナスフタツニ、ナッテタモン。ダカラ私ハ、邪魔ナ子ヲマイナスヒトツニ、シタンダヨ? マイナスフタツヨリ、マイナスヒトツデショ? ナノニ、ドウシテ私ガ、怒ラレナキャア、イケナイノ?」

天眼通との、かつての戦いを思い出す。

初遭遇で、第三戦隊はまさに壊滅寸前まで追い込まれた。ハルナもコンゴウも自分だって殺された。生き延びたのはキリシマと他五名。その妹たちはなんとか逃げ延びて潜伏し、後に復活した面々が時間をかけて集合することで、ようやく第三戦隊は再建できた。そして作戦を立てて復讐を果たした。

作戦は、単純だった。ローテーションを組んで、持久戦狙い。絶対に当ててくるから回避行動は厳禁。狙われたら守備を固めて耐える。それで、燃料切れまで持ち堪える。それだけだった。それしか対抗手段が見出せなかった。

結局、なんとか天眼通を沈めることはできたが、彼女一人に多大な犠牲を払うことになった。ダブリで死んだ者も含めれば、合計四十一人分が殺された。

だから、もう二度と復活することがないように、その死体を念入りに破壊したのに。それなのに、どうしてまた自分の前に現れたのだ?

「……っ」

背後の仲間が探照灯を照らし出す。天眼通の向こう側。その闇を切り取ると、そこには無数の深海棲艦がひしめいていた。戦艦、空母、巡洋艦。その数、恐らく三十以上。その亡者たちは、前方180度以上に広がってヒエイたちを物欲しそうに見つめていた。

(仲間を率いることを、覚えたか……)

それは、きっと前世で多数に嵌め殺されたため。その反省を活かしている。単艦のときですら手に負えなかったのに、随伴艦までいるとなればもはや手のうちようがないように思えた。

 

――シィィアア!

 

そして、前触れ無く一番近い戦艦タ級が、ヒエイを狙った。

確実に当たる距離、それに耐えきれずに砲を構えたタ級は、即座に反応したヒエイが後の先を当てるよりも速く半身で振り返った天眼通に殺された。

「アッ、ア、アッ、ナ、仲間ヲ、」

あっけなく沈んでいくタ級を凝視して、まるで誰かに弁明するかのように天眼通が叫ぶ。

「ナ、仲間ヲ殺スノハ、イケナイ事! イ、イケナイ事! ウン、イケナイ事!」

「……貴様」

ヒエイは苛立ちが募っていくのを自覚していた。

(こいつ、仲間を殺しやがった!)

きっと、獲物を横取りされるのを防ぐ、それだけのために。

仲間殺し。

それは、第三戦隊の一員としては、絶対に見過ごしてはならない最悪の裏切りだった。

「……よくも私の前でヤってくれたな、ええオイ?」

敵は大型艦多数、そして姫級に成った天眼通。状況は絶望的である。……だがそれが何だというのだ?

――我々は第三戦隊である。例えこの場に三人しか居なかろうと関係ない。喧嘩を売ってきて、更に許せないものまで見せてきた。ふざけろクソ野郎。誰であろうとぶちのめしてやらねば気が済まない。姉ならきっとこう凄むはずだ、「どうやって殺されたいか言ってみろ」と。ならば自分もそうするべきだ。例えここで自分が沈もうと、姉妹が仇を討ってくれるのだから怖いものなどありはしない。だから、やるべきことは決まっていた。

俄かに、空気が、張り詰める。

ヒエイは血が昇りつつある頭で考える。確かに、自分たちよりこいつらの方が戦力は上だろう。天眼通一人をとっても自分よりも遥かに強い。そのぐらい分かってる。だがそんなことは関係ない。

「舐められっぱなしで済ませる道はねェんだよ」

戦意は、随伴艦に伝播する。ヒエイは部下たちの覚悟を背中で感じていた。よぅし、やってやろうじゃないか。分からせてやる。第三戦隊がどういう集団なのかをその身に叩き込む。

それに、どうしようもない程の差でもない。

今の天眼通の言動は、明らかに安定していない。まだ完治しきっていないのだ。全盛期ではない。ならば、一矢報いる余地がきっとある。

「気合を入れろォ!」

雄叫びとともに襲いかかる。作戦なんてない。ただ己が信じる道へと我武者羅に突っ込んだ。

そして。

ヒエイたち第三戦隊の三人は、

 

「ヨーッツ」

「イツーツ」

「ムーッツ」

 

三つの戦果になった。




本当はここの話、事後報告形式の3行ぐらいで済ませるつもりだったんですよね。
でも思いついちゃったから仕方ないんだ。


次回、ブチぎれコンゴウ!
絶対見てくれよな!
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