悪いひとたち ~南方深海泊地へようこそ!~   作:シャブモルヒネ

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4-10:鉄底海峡3

目が覚めたら深海棲艦だった。

選ぶべき道は二つしかない。

かつての仲間のために黙って死ぬか? それとも今の仲間のために殺し合うか?

 

男は、後者を選んだ。

かつての仲間を裏切って、砲を交えた敵とは手を結び、いざ決戦へという段にまで漕ぎつけた。

しかし最後の一歩を踏み出すことができなかった。

有り体に言って、ビビっていた。

短慮な戦争より、粘り強い停戦交渉。出たとこ勝負の合戦で多数の犠牲者を出すよりも、ガ島に引き籠って専守防衛をしていた方がマシではないか? そんな誘惑にとらわれて開戦の決断を出せずにいる。

彼は前世からそんな調子の男だった。

理屈に従って行動することはできる。しかし覚悟が足りないせいで、土壇場になると「本当にこれで良かったのか?」と頭を抱えるのが常だった。態度だけはいっぱしで、思いつきだけは及第点。そこから先のツメの甘さには味方はおろかかつての敵ですら頭を抱え、「今はあんなのでも提督になれるのか」と世も末っぷりを嘆いた。

その男の名を、新貝貞二といった。

「やらなきゃ、ならないんだよな……」

新貝は波打ち際で、夜の水平線を睨みつける。

鼻腔をくすぐる潮の香り。海の雄大さを実感させられる。目の前に広がる大海はあまりにも広く、力強い。それに比べて我が身の脆弱さといったら。足裏の砂が引き波にさらわれて、少しだけよろめく始末。

新貝は頭を掻いてわざとらしく溜め息をつくと、伺うように隣の少女に声をかけた。

「……なぁ、清霜よ。これは弱音だ。何も言わなくていい。愚痴らせてくれ」

相棒の少女は言われた通りに返事をしなかった。彼女は新貝に並んだまま海を向き、無言で続きを促している。

「今日のこの時まで、ずっと思惑通りにいっている。だからこの状況はベストなんだと思う。けどな、それはあくまで“俺の中でのベスト”だ。……分かるか? 他のベストもあるんじゃないかって、思うんだよ」

「……」

「俺より頭の良い奴が作戦を考えていたらどうだったんだろうな……ってな。こんな博打みたいなやり方じゃなくて、そもそも最初から戦わなくても済むような方法があったんじゃないか……そんなことを、考えちまうんだ」

どうしても、IFの未来を思い描いてしまう、と新貝は言った。非暴力不服従に徹していたらとか、そんな馬鹿な仮定すら浮かんでくると。

もう取り返しのつかないところまで来てしまった。

避けようのない未来が待っている。

ここから先の戦いでは、きっと、必ず、誰か死ぬ。

それは艦娘の誰かかもしれない。大淀かもしれないし、霞かもしれない。他の見知った艦娘たちかもしれない。

あるいはここまでついてきてくれた部下たち。イムヤか、大井か、北上か。あるいは、雲龍か清霜かが、また自分のせいで死ぬのかもしれない。

全て承知の上だった。何度も何度も考え直した上で、戦うしか道は無いと決めていた。

だが、その決意は、あくまで机上でこねくり回した空想を前提に成り立った決意でしかない。

あくまで仮初の決意。

いくら想像を巡らせようと、所詮は殺人童貞の絵空事。本番の実感を思い描くことはできない。

今の新貝は、理屈で構成されたピストルを握っている。

マニュアル通りに手入れして、オススメされた弾を買ってきて、言われたままに装填し、考え無しに撃鉄を引いて、訓練通りに狙いを定めている。

そして今、初めて、理屈の霧が晴れた。

現実が見えた。

自分が狙いをつけている銃口の先に居たのは、理屈という名の仮想敵ではなかった。ずっと守りたいと思っていた奴らそのものだった。その彼女たちの人生を断つのは、他ならぬ自分の指だった。

この引き金を引けば、誰かが終わる。可能性が無くなる。“これから先”が消滅する。

それが、己の理屈が定めた結末なのだ。

魂が震えた。

――理屈では、その他に道は無い。

――理屈では、これがベスト。

そんな言い訳は、自分さえ納得させることができない。

新貝は怖がっている。誰かの人生を断つことを。命の責任を負うことを。

「大丈夫」

清霜は、他には何も言わなかった。「きっと上手くいく」とも「司令官は悪くない」とも言わなかった。

ただ動かず、水平線の向こうから何本も現れた探照灯の光の群れを睨みつけている。

本番の刻が、迫っていた。

 

 

決戦の刻。星の無い夜だった。

全ての光を閉じ込める宇宙の大穴に似た暗がりが世界を支配している。そこは、ある程度は夜目が利く深海棲艦の目をもってしても見通すのは難しい。闇が霧のようにたちこめて、視界を物理的に遮っているようにさえ思えた。

新貝たちガ島泊地の面々は、ガダルカナル島の浜辺に陣取っている。予備戦力であり、要所を突き崩す遊撃部隊。第三戦隊は、そこから少し北に出た沖合いに居る。

そして、そんな深海棲艦の連合艦隊のほぼ真西には――艦娘の艦隊が揃っていた。探照灯の光が何本も闇夜を切り裂いて、その存在を主張している。

互いに準備は万全である。

合図一つで始まって、行き着くところまで行くまで終わることはあり得ない。

天下分け目の関ヶ原――そんな言葉がコンゴウの脳裏をよぎった。

そう、まさにこの戦いの勝敗は第三戦隊にとってはまさに趨勢を決するものになるだろう。ここで資源と装備を強奪し、入渠設備を得られなければ未来は無い。遠からず撃滅されてしまう。だから、この戦いには絶対に勝たねばならなかった。

だというのにコンゴウは、そんな結末にはまるで興味が沸かなかった。何故なら過程こそが重要だからだ。自分たちを切り捨てた艦娘たちを粛清する、その行為だけが全てだった。そのためだけに生き延びてきたし、それをこの手で実行できるなら、第三戦隊に先など要らない。例えここで全滅しようと本望だ。

その華々しい最期を想像すると、笑みさえ浮かぶ。

「ふふふ、いけないいけない……」

コンゴウは待ちきれないとばかりに両の手の平を擦り合わせながらも己を戒めた。

新貝との契約を忘れてはいけない。仮にも提督との約束である。それを艦船側から破るようでは筋が立たない。最低限のプライドを捨ててしまってはトラックの裏切り者たちと同列だ。それだけは踏み越えてはならないラインだと自らに言い聞かせる。実際にヤるのは別の戦いでいい。

「……それでもやっぱり何人かは沈めたいですネー」

これから始まる戦争が愉しみで仕方ない。首筋の産毛が逆立つようだ。その破滅願望めいた渇望は、艦船としての本能か、それとも深海棲艦としての悪癖か。

それはコンゴウだけでなく、ハルナやその他大勢の第三戦隊も同様だった。戦意を漲らせている。

ただ、偵察から帰ってきたばかりのキリシマだけが湖面のように静かに佇んでいた。何も面白いことなどありはしない、という顔で。

その姿をコンゴウがつまらなさそうに横目で眺めた、そのときだった。

唐突に、右手側から叫び声が届けられた。

 

――アイツラダ! アイツラヲ、ヤッテクレェ!!

 

闇夜の奥、北方向から。

「なんです?」

ハルナは訝しむように首を巡らせた。

その方向には誰もいない……はずだった。

その保証はキリシマがしてくれた。ショートランドから出撃した艦娘は、全て鉄底海峡を直進している。つまり、敵がいるのはサボ島、フロリダ諸島、ガダルカナル島の間だけで、それらの島々の外側であるサーモン海北方からは誰も来ないはずだった。つまり、叫びの主はせいぜい単艦か少数のはぐれ者ということになる。

だからコンゴウも始めは大して警戒していなかった。

しかし、何の気なしに叫びの主へと目を向けてみると、どうにも様子がおかしい。

イ級が居た。

一匹だけで、浮いていた。

そのイ級は、まさしく浮いているのが精一杯という有様だ。探照灯を向けてみれば遠目でもよく分かる。尾びれは欠損し、身体の所々には深い傷跡が刻まれ、丸みを損なった胴体には大人の腕ほどの太さの鋲が二本も突き立てられている。大破以上の損壊。沈んでいないのが不思議なほどに痛めつけられている。

そんなイ級が、どうやって泳いできたのか――命を賭して、としか思えないが――とにかく、そんなボロボロのイ級一匹が、第三戦隊の右手側に現れていた。

「なんだ、アイツは?」

一体何者で、どこから逃れてやってきた?

その疑問が解消される機会は永遠に訪れなかった。

闇夜の奥の、もっと奥から砲弾が飛来してイ級に直撃した。暗がりがぱっと明るくなって炎が大小に飛び散る。

イ級はあっけなく沈没していく。

死んだ。

何もせずに。

が、重要なのはそこではない。

砲弾はイ級の向こう側から――北から飛んできた。

誰か、居る。

艦娘ではないだろう。味方のはずもない。ならば、必然的に第三者。余所者がやってきたことになる。

いいや、その表現は正確ではない。第三“者”ではなかった。複数人。その数は五人、十人、三十人……まだまだ増える。ならば第三“陣営”と呼ぶべきだ。

闇を掻き分けて、ぬらぬらと大量の深海棲艦が現れる。その瞳を爛々と輝かせ、口を半開きにして涎を垂らし、陣形さえも組んでいない。無秩序に増殖し、その総数は百に届く――いいや、もっとだ。もはや数えきれない。見渡す限りに現れた。ニ百は居る。

それらが、探照灯も持たずに闇と同化して、四百以上の瞳で物欲しそうに第三戦隊を見つめていた。

 

――ゴミガ、先走リヤガッテ……

 

その低い男の声は、不気味なほどによく響いた。

(深海棲艦のくせに、男の声?)

そのちぐはぐな印象の正体を確かめるために、コンゴウは見た。

白磁のような肌が、よく目立つ。引き締った長身に、二つにくくった髪をたなびかせ、無尽蔵の軍団の中央にソイツは居た。

南方棲戦姫。

その右肩におぶさるように、黒い髑髏がへばりついていた。

上半身だけの髑髏。ソレは、棲戦姫の白い肌にめり込むほどに爪を立て、眼窩をこちらに向けている。顎をカタカタと震わせて……そう、この髑髏は生きていた。

「オカゲデ、完全包囲ガ、成ラナカッタジャナイカ……」

無線を介さずとも声が分かる。

ということは……同じ未練を持つ者か、姫級。

この闖入者の正体は明らかに後者だった。

「ちっ、大和が化けて出たか。何もこんな時に……。ヘイ、新貝! 悪いけど作戦を変えさせてもらいマース! 聞いてマスか!? ……新貝?」

『……アノ野郎……深海棲艦ニ、ナッテヤガッタカ』

「あの野郎?」

アイツは大和のはずだ、とコンゴウは振り返る。南方棲戦姫――即ち、かつて第三戦隊が沈めた艦娘の成れの果てを。

しかし新貝の態度は、かつて艦娘だった者に向けるそれじゃない。明らかな憎しみを向けている。そのことが、同じ未練を抱える者として声色だけで分かった。

「あの黒髑髏のことですか? ……お知り合いで?」

『俺タチハ、全員、奴ノセイデ死ンダンダ。アノ野郎ハ、佐伯湾ノ元提督ダ』

「ヘェ……提督、ですか?」

思わず声が低くなる。

提督。ということは、確かめなければならないことができた。先程のイ級、アイツはどうして殺された? 先走ったから対処した、みたいな言い方をしていたが、もしや“味方だったのに始末した”のではなかろうな?

――だとしたら、

絶対に、

絶対に絶対に絶対に、

生かしておけなくなるわけだが――

コンゴウの目が細められる。

目線をちらりと西に戻す。

艦娘たちは、既に揃っている。探照灯の動きを見るに、水雷戦隊が四つ分。まだ戦艦の砲撃も届かない距離だが、うっすらと判別できる動きから判ずるに、彼女たちもまた突然の闖入者に困惑しているようだ。まぁ向こうからすれば深海棲艦の増援が現れたように見えるだろう。しかも信じられないぐらい大量に。

「……だったら逃げられちゃうかもしれませんネェ」

ならば、第三戦隊はどう動くべきか。

あの黒髑髏は包囲がどうとか言っていた。全周囲を確かめてみると、確かに後方――東側にも深海棲艦の群れが展開していた。こちらも百は下るまい。

残る南はガ島。陸地なら安全なはず――と考えるのは間抜けのすることだ。もしも敵が三面包囲を目論むのならば、手を回していないわけがない。逃げ出せる先にこそ最もブ厚い壁を用意するに違いなかった。そう、一見安全そうな南こそが罠なのだ。

……つまり、逃げ場はどこにも無いということになる。

「フン、舐められたもんデース」

どこのどいつだか知らないが、あんな傍目でも分かるような練度の低い連中で私の第三戦隊を止められる思ってもらっちゃあ困る。前進突破も、渦中に飛び込んでからの殲滅戦も、よりどりみどり。どうとでもしてみせる。

……と、言いたいところだが、弾も無限にあるわけじゃない。敵の数の方が多いとなれば、どこかで切り上げる必要があった。

もう一度、包囲網を確かめる。

……確かに、完璧ではない。東の布陣が、最も雑だ。

突破するなら東しかあるまい。

「……でも今それをやったらあの阿呆たちは間に合いませんネー」

まだガ島近辺に居る新貝たちは間に合うまい。全員で一気に脱出するためには合流する必要があった。

(ま、義理ぐらいは果たしてやりますカ)

コンゴウは決めた。

北を抑える。足並みを乱して時間を稼ぎ、新貝たちと合流、その後に共同で東をぶち抜いて撤退する。

艦娘との決戦は――お楽しみは、また今度だ。

「新貝へ。こちらコンゴウ。我々は北の棲戦姫を抑える。さっさと海に出てきてくださいネ? 合流して、東から逃げるデース!」

言うだけ言って、左腕を水平に振り払う。それだけで同胞は軒並み応じて砲を構えた。そこから先は命じるまでもない、いつも通りの手順。

「――Fire!」

 

 

第三戦隊が戦端を開いた。

決断が早い。流石は戦争の玄人――などという感嘆は、すぐに頭の隅に追いやられた。

不思議なぐらい頭が冴えわたっている。

目に見える場所に、黒井が居る。

そのことが、新貝をかつてないほどに研ぎ澄まさせた。

過去の因縁が走馬灯のように浮かび上がる。ガ島奪還作戦、観測船……それら悪夢のような記憶は、一秒で消し去った。要らないからだ。再放送をしている場合じゃない。セカンドシーズンが始まろうとしている。黒井成一が蘇ったからには最悪が起こるに決まっていた。

あの黒井が、大軍勢を引き連れて、艦娘との決戦の舞台に現れた。

その行為は絶対に意図的であるはずだ。新貝にはすぐに理解した。奴は、皆殺しにするつもりだ。自分たち深海棲艦とショートランドの艦娘を。狙いは漁夫の利。だが、先走ったイ級のせいで失敗した。本当は二つの勢力が損耗し合ってから手を出したかったのだろう。

ならば、これはピンチであると同時にチャンスでもある。

選択肢は、二つ。

憎しみを晴らすために一切合切を使い潰して殺し合うか、

生き延びるために復讐を諦めて逃げ出すか。

「……俺は、」

新貝貞二は、深海棲艦だ。艦でなくて人であろうと本質は同じ。未練があるから死にきれず、それを果たすために生きている。新貝の未練は二つある。一つは、清霜に会うこと。会って言葉を伝え、手助けをすること。それは大体できている。問題はもう一つの未練。それは、前世の死に際に刻まれた憎しみを、思うがままに晴らしてやることだ。

今まではその対象がいなかった。けれど今は、火砲の届く場所に在る。

「……黒井よぉ、テメエはよくもまぁ俺の前に出てこれたもんだなぁ……?」

例え天が許しても俺は許さない――新貝はそう思っている。そのためになら腹に爆弾をくくりつけて突撃したっていい。この二度目の人生は、黒井の不義を誅するためにあると本気で信じている。

でも。

その私怨と己の部下たちはなんの関係ない。

清霜。イムヤ。大井。北上。雲龍。

そこにコンゴウたちを入れてもいい。今の新貝は一人ではなかった。

あの大軍勢に突撃させてしまえば、絶対に生きて帰れない。例えそれで黒井を討ち果たせようとそれでは意味が無い。

特攻だけは命じることができなかった。

そりゃあ、本音では八つ裂きにしてやりたい。けれど、自分の怨みを晴らすためだけに仲間たちを死なせるわけにはいかなかった。

「……畜生!」

浜辺で一人、拳を震わせてただ耐えた。

だったら、次だ。

早く次をやれ、と冷静な自分が言っている。第三戦隊のように即座に行動しろと。そんなことは分かっていた。状況はどうしようもなく切羽詰まっている。生き延びるつもりならあの大軍勢とまともにやりあうわけにはいかない。最悪なのは艦娘との挟み撃ちになること。北と東は黒井の軍勢、西は艦娘。コンゴウたちはそのど真ん中。現状の布陣はいかにもまずい。まずは包囲から抜け出さなければならない。逃げ道は一つだけ。南のガ島に退くべきだ。そして陸地で防衛に徹する。それでも耐えきれないなら、もっと退いてガ島の裏側から逃げればいい。……でも、どこへ?

(レンネル島! あそこには資源が隠してある!)

ならば最悪、ガ島を失おうと何とかなる。お先は真っ暗でも崖際ではない。今はその想像に賭けるしかなかった。

新貝は無線を手に取って叫ぶ。

「コンゴウ! ガ島に退け! いくらお前らでもあの数は無茶だ! ……コンゴウ!?」

返答は、無かった。

激闘の最中にいるからではない。それ以上の非常事態が起こっていた。

 

 

「深海棲艦の、仲間割れ……?」

その報告は大淀を混乱させた。

そんな事態は今まで聞いたことがない、と思いかけたが引っかかることがあった。いつぞやの、大井とやらの台詞を思い出す。

『深海棲艦は一枚岩ではない』

『日和見派がいる』

……だったら過激派もいるはずだ。というより、大多数がそっちのはず。

そいつらは新貝たちの行動をどう思った? 停戦などという甘っちょろいことを望む異端者たちを放置しておくだろうか?

否。するわけがない。

「これは、粛清なの?」

真実は分からない。が、同士討ちをしているのは確かだ。

ならばショートランドはどう動くべきか?

敵は二種類。四十に満たない小勢と、三百に届こうかという大軍勢。その二勢力が争っている。全員倒すのが理想だが、不可能だ。多すぎる。だったら、無理をせずに敵の被害を最大化することを考える。漁夫の利だ。小勢を上手く利用しながら、大勢を叩く。危なくなったらさっさと逃げ出してしまえばいい。ニ勢力の争いに戻るはずだ。――それは、いかにも最善の策に思えた。

けれどそうなった場合、取り残された小勢は滅びることになる。

「……言い訳はしません」

今の大淀はショートランド泊地の艦娘たちの命を預かっている。無茶はできない。深海棲艦より、艦娘を優先させる。それは当たり前の理屈だし、そうする責任が大淀にはある。

その号令を下そうと無線機を手に取ると、現場の艦娘から悲鳴のような報告が届けられた。

『て、敵が! 一斉に突撃してきて……第二艦隊が!』

 

 

――待タセタナ、ガラクタ共。……撃ッテヨシ! 殺ッテヨシ! 沈メテヨシ!  全テヲ、消シ去ッテシマエイ!

 

その姫級の叫びとともに、深海棲艦の群れが前進を始める。速度は徐々に上がり、すぐに全速力と呼ぶべき勢いになる。そのスピードはポジション争いをするには全く適していない。速すぎて曲がれない。というよりも、この敵はそもそも曲がろうとしていなかった。ただ単純に、真っ直ぐと、一番近いショートランド泊地第二艦隊に向かって突き進んでいる。

「撃ち方、はじめぇーっ!」

艦娘たちが主砲を放ち、目標の殆どに命中した。爆炎があちこちに咲き乱れ、深海棲艦たちが砕けて沈む。

そしてすぐに第二波が現れた。

またしても突っ込んでくる。フェイントの一つも見せずに直線で。その愚直な軌道は狙い打つには簡単すぎた。

自軍の第二射が、敵の駆逐艦の群れを再びなぎ払う。

「なんだなんだぁー? こいつら、まともに戦う気あんのか?」

朝霜がぼやくのも無理はない。

妙な敵だった。まるでホラーゲームのゾンビのように真っ直ぐ突っ込んでくるだけ。まともではない。誰だって、自分は避けて、相手に当てるために動きを工夫する。戦いとはそういうものだ。なのに、この深海棲艦たちは違った。まるで死ぬために来ているように特攻してくる。

「ちっ、面倒くせぇなー!」

第三波が現れる。迎撃、迎撃、迎撃。そしてすぐに第四波。味方の屍に躓く者さえいるのに誰も速度を落とさない。まさに血を求める亡者のように殺到してくる。第五波、というより途切れない。彼我の距離は詰まりつつあった。

「くっ、こいつら……!?」

撃っても撃ってもキリがない。ただ数が多かった。それだけの理由で接近を許し、ついにはその腕を掴まれる者がでた。最初の犠牲者だった。

掴まれた艦娘に次々と後続がへばりつく。その腰に、肩に、脚に、五人の深海棲艦が全身でしがみつく。

「は、離せっ!?」

敵味方がもみくちゃに密着し、隣の艦娘は援護することもできない。一塊の団子となった彼女たちは、当然のように足が止まり。戦場の只中で停止してしまう。

それこそが棲戦姫の狙いだった。

「撃テイ」

深海棲艦の本陣に居並ぶタ級の群れ。十一人の戦艦と、姫級一人。その圧倒的火力が、停止した目標に集中した。

「!!」

命中。命中命中命中。破壊音が途切れない。鼓膜が破れるようなそれが七秒間も続けられる。八秒目は無かった。標的が木っ端微塵になって消失したから。煙と火花、そして砕けきった鉄片……それらが全てになっていた。

「そんな……お、おいッ、嘘だろ!?」

あっけなさすぎて朝霜は目の前の光景を信じることができない。

だって、十秒前には生きていた。怪我なんて一つもしていなかったのに。それがどうしてこんな一瞬で……。

「――くそぉ!」

朝霜は必死に黒煙を掻き分けて人の形を探した。目に煙が染みて痛んだが、手を止めるわけにはいかない。滲む視界、その向こう側に、かろうじて死体と呼ぶことができそうな物体を見つけた。

「…………ぅ」

奇跡的なことに生きていた。呻き声まで聞こえる。あれだけの砲弾が直撃しても命がある。その理由を、朝霜はすぐに思いつくことができた。恐らくは……しがみついた深海棲艦たちが意図せずに盾となったのだろう。直撃の多くを引き受けたのだ。その証拠に、彼女にへばりついていたはずの五人の深海棲艦たちは誰として原形を留めていない。そのおかげで標的であったはずの艦娘は生き延びることができたのだ。

しかし。

「ぁ、ぁ……」

この状態は、生きているというにはあまりにも惨たらしい。一刻も早く入渠させねば本当に死体になってしまう。なのに、

「……良ォーシ、良シ良シ良シ良シ。上出来ダ。デハ、次。手本ハ見タナ? 同ジヨウニ、ヤレ」

間髪居れず、次の波が来た。

敵の駆逐艦と軽巡洋艦がまたしても特攻してくる。

艦娘たちは震え上がりながら応戦する。考えている猶予は無い。捕まれば死に至る、それだけは理解できた。がむしゃらに迎撃する、が敵の数が多すぎた。撃っても撃っても減らない。むしろどんどん寄せてくる。このままでは順繰りに潰される。

こうなったら下がりながら撃つしかない。だが。

「チクショウっ!」

朝霜は、最短距離の意味を知る。

敵は一直線。ならばこちらも真っ直ぐ逃げねば絶対に追いつかれる。けれど、そんな軌道はやったことがない。敵にただ背中を晒すような真似はしたことがなかった。何故なら、逃げるときは普通斜めに逃げるものだから。右に左に、敵の射線を惑わすために。そうしなければ狙い撃たれてしまう。この場合でいえば、あのタ級の群れにやられてしまうだろう。

真っ直ぐ逃げねば、敵の特攻部隊に捕まって死ぬ。

真っ直ぐ逃げたら、敵の戦艦部隊に狙い撃たれて死ぬ。

単純な二択だった。

こんな状況は普通ではない。全ては、味方を犠牲にして良しとする非道な戦法が前提となっていた。近付くために仲間を三十人犠牲にすることも、抑えにかかった仲間五人をそれごと撃ち抜くことも、あの南方棲戦姫は良しとしている。損得勘定が無い。こちらを一人葬れるなら手段は選ばない、そんな怨念めいた殺意がある。

「なんなんだよ、こいつらはッ!」

下がりながら、迎撃する。それだけが生き延びる道なのに、誰もが先駆者となるのを躊躇った。後退するタイミングが周りとほんの少しでもズレてしまえば、逃げ遅れた味方の艦隊はどうなる? 敵の特攻隊の習性はただ一つ、最も近い艦娘に突っ込むこと。つまり、取り残されてしまった艦娘は全ての敵に群がられ、一瞬で轟沈することになる。

そして、撤退のタイミングと速度を伝える余裕はもうどの艦娘にも残されていなかった。

 

 

その光景を第三戦隊は直視していた。

「……あの、野郎、」

その呟きを区切りに、コンゴウは何も言わなくなった。これ以上口を開けば、煮えたぎる憤怒が嵐となって噴き出てしまう。

第三戦隊。敵の前衛連合艦隊の屍の中心で、次の標的へと向かうというところで足を止めていた。敵の主力を前にして目が西へと釘付けになってしまう。それほどまでにその光景は無視できない代物だった。

そこでは、艦娘たちが深海棲艦に群がられ、足が止まった順に撃ち抜かれていた。足止めをしている深海棲艦ごと。

ビキリ、とコンゴウのこめかみの管が盛り上がる。目尻が痙攣し、あっけにとられていた口が歯ぎしりと共に閉じられる。

――仮にも提督が、部下に、味方ごと敵を撃ち殺せと命じる。

その光景は、コンゴウにとって――否、第三戦隊にとっては、絶対に、絶対に絶対に絶対に、許しておけぬ不義であった。

キリシマは、考える。

なるほど、確かに。

確かに、あの練度の低い連中でも、停止した標的相手なら攻撃を当てることはできるだろう。自軍の被害を無視していいのなら、最短距離で突撃して大乱戦に持ち込んでしまい技量の差を埋めるのは有効なやり方なのかもしれない。

だが。

そんなものを見せられて黙っていられる第三戦隊ではない。

例え天地が逆さになろうとも、許しておけぬ不義がある。その裏切りを抹消することだけが第三戦隊の宿命なのだから。

(――と、御姉様たちは考えているのでしょう)

状況は最悪だった。自分とその直属の部下たちは理性を保てているが、姉たちはそうではない。生存確率ゼロの殲滅戦に突き進んでしまう。それだけは避けなければならない。まずは生きねば。こんなところで終わってしまっては、それこそ今まで生き延びてきた意味が無い。

だから、説得しなければならないのに。

悪夢というやつは最悪のタイミングでやってくるのだ。

「――味方ヲ沈メルノハ、イケナイコト? ……ソウ、イケナイコト!」

その声は、第三戦隊の後ろから。雑な布陣の東側から、その悪夢は現れた。

「デモネ? 味方ッテイウノハネ、互イニ得ノアル関係ダト思ウノ。ダケド、アノ娘ハ、邪魔ナダケダッタ。アノ娘ヲ守ルタメニ、ソウ、二人ハ無駄ニ沈ムトコロダッタンダァ……」

キリシマが振り返ると、敵の群れの中心に、真っ黒い少女が居た。両手を腰の後ろに回して、ニコニコと場違いな笑みを浮かべている。特殊な艤装……姫級だ。そのマフラーに見覚えがあった。色こそ違えど、たなびくそれは、かつて自分たちを壊滅寸前まで追い込んだ駆逐艦のトレードマーク。

天眼通。

「ダカラネ、アノ特型ハ、味方ジャアナカッタンダヨ。……ネエーッ! 提督サン! コイツラハ味方ッポイ!?」

遠く、問われた棲戦姫は、ジロリと目線を向けた。それだけ。何も返さない。

天眼通はなおも喜々として。

「ダヨネ! 私モチャント、サッサト帰レッテ言ッタノニサ! ソレデモ居ルナラ、モウ敵ダヨ! 敵ハネ、沈メナキャアイケナイ! ソレガ本当デショ?」

「……貴様らは、」

コンゴウが口火を切る。握りしめた拳は震え、血が零れ落ちている。

もう駄目だ、とキリシマは思った。もう止められない。どちらかが消滅するまで食らい合う。それだけが全てになってしまう。

「――どうやって殺されたい? えぇ? 言ってみろ。どうやって殺されたいんだよ?」

凄むコンゴウがまるで見えていないかのように、天眼通はあっけらかんと微笑む。

「コンバンワ! アナタタチ、マタ一緒ニ居ルノ? 仲ガ良イネェ、困ッチャウネェ!」

そう言って、天眼通は後ろ手に隠していたモノを高々と第三戦隊に晒した。

「ダカラネ、コウシマシター!」

その首は。

例えば新貝貞二が見たならば、どこにでもいるル級の顔に見えただろう。しかし、第三戦隊の面々にとってそれは、血よりも濃い絆で結ばれた仲間の首で。

「……ふっ、ふふっふっふ」

「く、くくっくく」

怒りというものは。

限度を超えると笑みとして出力される。その後の行動がどうしたって一つしかない状況になると、何故だか人は笑うのだ。それは深海棲艦だって同じ。コンゴウは笑っていた。ハルナも。他の随伴艦たちも。目を血走らせ、口元を不自然に強張らせて。引き絞られた弦のように。

キリシマはかろうじて理性を保つことができた。このような結末に至る日が必ずくると長い時間をかけて覚悟していたからだ。だが姉たちは違う。例え同じ覚悟を備えていようとも、けして耐え忍ぼうとはしないだろう。その先に破滅が待っていても関係ない。仇に報いを受けさせるためならば一切合切を躊躇なく投げ捨てるという確信があった。

終わってしまう。何もかも。

しかし、そんな予想に反して怒り狂う長姉は動かずに、天眼通を睨みつけたまま言葉を紡いだ。

「……ねぇぇえ、キリシマ? 新貝はどうやって我々の輸送部隊のルートを知ったと思いマスぅ? 警戒網を広げていたんでしょうか? いいえー、違う違う。あいつらにそんな人員は居ませんでした」

「……え?」

まるで独り言のように、早口で。

いきなり始まった問いかけにキリシマは戸惑い、コンゴウは一顧だにせず熱に浮かされたように言葉を続けた。

「だったら犯人は第三者? 例えば、中部海域の誰かが嫌がらせで漏らしたとか? いいえ、それも違いマース。そうなら自分で資源を奪うはずです」

これは……だいぶ前の話だ。新貝たちが第三戦隊の輸送船団を襲ったときの話。そのせいで第三戦隊は戦争を中断せざるをえなくなった。そんな話を、コンゴウはしている。

「御姉様、一体なにを……」

「つまりですネ、私が言いたいのは……あの輸送ルートがバレたのはありえないということデース」

顔を向けぬままにコンゴウは、唐突に黙り込んだ。

そういった沈黙は珍しい。姉は躊躇うということが殆ど無い。だから、話の途中で黙ったときは只事ではないのが常だった。いうなれば艦隊の行く末を左右するような壮絶な決意をするようなときぐらいなもので。

「ありえるとすれば、そう……」

コンゴウは、あくまでもキリシマを見ないまま、唐突に最後通牒を突きつけた。

「身内が情報を漏らしでもしない限りは、ね。……でしょう、キリシマ?」

「――ッ!」

肝が冷える。

“どうして?”

それが一番に頭に浮かんだ言葉だった。

どうして、バレたのか? ではない。

どうして、今このときにそれを言うのか? だ。その理由を、キリシマは一瞬で悟る。悟ってしまった。

「キリシマは、一度しか沈んでませんでしたネー。まぁだ甘さを残してる。“我々”とは違って。生き延びる事を優先させるなど、我々には理解できない話デス……。そう、もはや全く、理解する事がデキマセン……」

コンゴウが再び拳を握りしめ、ビキリと鉄が割れる音がした。

その横顔が全く別の顔に変わっていく。深海棲艦の顔に。戦艦ル級の顔に。コンゴウだけではない。ハルナも、他の仲間たちも、画一的な“敵”の顔になっていく。

「あ、あ……」

違う未練を持つ者は、深海棲艦の姿で見える。

仲間では、ない。

「オ前トハ、絶縁スル」

コンゴウは左手を挙げて天眼通を指し示す。

『全艦突撃、あのクソ女を何が何でもブチ殺せ』

そのハンドサインは、第三戦隊全員の共通言語のはずだった。

「御姉様ッ!」

駆け寄ろうとしたキリシマの足元に容赦なく砲弾が撃ち込まれる。水しぶきを浴びて足が止まる。もう数ミリずれていたら艤装に当たっていた。

次は当てる――姉だったル級がそう言っている。

「コッチ側ニ、来ルンジャネエヨ」

第三戦隊は一糸乱れぬ回頭をして駆けていく。

コンゴウ、ハルナ、ずっと一緒だった仲間たち。互いを守るために支え合った。そうでなければここまで生き延びることなどできなかった。替えがたいもの、それが遠ざかっていく。

その背中に手を伸ばす。届くわけがない。

「……どうして」

バレていた。それはいい。どうしてすぐに問いたださなかった? まさか今この瞬間に気付いたわけでもないだろう。

キリシマが情報を漏らしたと、コンゴウはずっと知っていた。なのに何も言わなかった。

それは何故か?

一度口に出してしまえば、苛烈な罰を与えるまで収まらないからだ。こと第三戦隊において裏切りに類する行為は極刑に値する。腹切り三文字ぐらいで済むわけがない。

「御姉様は……っ」

だから黙っていた。そして悪いのは輸送ルートを決めた自分だと判決を下し、キリシマが気付く前に指を落とした。そうして早々とあの話を終わらせてしまった。

――“あのときのケジメ”は、全て分かったうえでのことだった。

その気付きはキリシマを胸のうちを大きく抉った。彼女には泣く資格すらない。何故ならば、彼女はそのケジメを知ってもなお、自供することができなかったのだから。

「……」

そして、今度は。かつて必要の無い罰を引き受けた長姉は、生か死かを選ぶタイミングでわざわざキリシマの裏切りを口にした。

どうしてかなんてすぐに分かった。

生きて帰るつもりがないからだ。それに妹を巻き込まないために言ったのだ。絶縁する、と。お前はもう仲間じゃないのだから、付き合わなくていい、と。まともな奴は引き返せ、と。

――そんな酷い話があるものか。そんな真似をされてハイそうですかと自分だけ生き延びられるほど貴女の妹は薄情ではない!

「私はっ! 第三戦隊、第四艦隊旗艦、キリシマです!」

キリシマ、そして直属の部下五名。合わせて一艦隊が遮二無二飛び出していく。死地に飛び込むその後ろ姿には一片の後悔もなかった。

 

 

その決死の出撃を、遠くガ島の浅瀬からじぃっと見つめている女がいた。

昼夜兼用双眼鏡をまじまじと覗き込み、そのレンズの中心にいるターゲットの一挙手一投足を分析している。瞬きもせずに夢中になって、まるで恋に恋する乙女のように。

彼女の意中のお相手は、今まさに可憐な仕草でふわりと生首を放り捨てた黒い少女だ。

「見ぃーつけたぁ」

喜悦を滲ませているのは他でもない、ずっとずっと同類を捜し求めていた女。艦娘時代はエースオブエース、深海棲艦になったら姫級で、二回目の人生になってもその強さは変わらない。わざと喰らったのを除けば被弾率0%の無敵の重雷装巡洋艦。

北上である。




冒頭は一話の改変です。
なんかこういい感じのしてやったり感、出なかった。


イベント。
E4削りで頭おかしくなりそうになりました。
そして友軍がきたのでフレッチャー掘り。道中大破のフルコース。またしても頭がおかしくなりそうです。誰か助けて。
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