悪いひとたち ~南方深海泊地へようこそ!~   作:シャブモルヒネ

28 / 45
4-11:鉄底海峡4

一寸先は、別世界。

“こちら”と“あちら”。

そこにはっきりとした境界はないけれど、視界を遮るあの闇の向こう側はきっと地獄に繋がっているに違いない。

その地獄は本来ならば、この海の底よりもずっと下、奈落の奥に在るはずだけど。

この夜だけは違った。

現世の大気に入り混じり、同じ座標に顕現している。

そう確信させるほどに――向こうの闇から続々と深海棲艦が沸いていた。

そいつらは深海の底からやってきた、知性に乏しい亡者たち。この世の生者を引きずり落とそうと手を伸ばし、ただ道連れを増やすことだけを望んでいる。けして潤うことのない魂を慰めようと荒れ狂う、その姿はまさに魔物と呼ぶに相応しい。

「撃て、撃てぇー!」

それを近付かせまいと迎撃している娘たち。ショートランドの艦娘たち。

誰もが必死の形相で砲撃を繰り返していた。そこにはもはや統制射撃の体は無い。各々が射撃速度と命中精度を天秤にかけて連射の限りを尽くしている。だがそれでも敵の勢いを跳ね返すには至らない。徐々に押し込まれつつあった。

「くそっ! このままじゃあ……!」

朝霜は吐き捨てる。

まるで終わりのないガンシューティングゲームを延々とやらされている気分。こちらの攻撃は確かにバカスカと直撃しているはずなのに、しかし敵の先頭は入れ替わりながらもグングン寄せてくる。ジリ貧、という単語が脳裏をよぎる。接近されたらどうなるか、その答えは既に見た。

同じ目にあうのはゴメンだ、と朝霜は思う。現実はゲームではないのだから残機は一つしかない。さっさと脱け出してしまわねば人生が終了してしまう。

けど、

どうやって脱け出せばいい?

朝霜はチラリと両隣の第一艦隊と第三艦隊の様子を確認する。

どちらも、抗うだけで手一杯といった様子。第四艦隊だって似たようなものだろう。どこの旗艦も自分の艦隊を維持することに手一杯。撤退の号令を発する余裕は無く、それに応じて離脱するタイミングを合わせることも難しい。

一瞬でいい、空白の時間さえ作れれば。

そんなことを考えていたのが悪かった。

朝霜が撃ちぬいたはずの敵の軽巡洋艦が――倒れなかった。

のけ反った上半身を、ゆっくりと前傾に戻しつつある。

「!」

狙いが甘かった。連射速度を意識するあまり敵の急所を外してしまったのだ。

生き延びた敵の軽巡洋艦は、破損した胸部装甲を意に介さずに前進し始める。

「嘘だろォ!?」

朝霜の主砲を持つ腕は、もう既に、別の敵に構えてしまっている。

どちらを撃つ?

迷いが生じた、その僅かな時間の分だけ敵が迫った。今狙っている敵をさっさと倒せば良かった、そう焦る気持ちさえ不純物。二人の敵が、四本の腕が伸びてくる。

間に合わない。

片方しか倒せない。

撃てなかった方に掴まれる。

どうする? 振り払う? だがそんな腕力は自分には無い。もし掴まれたら轟沈まで一直線だ。

思わず身を竦めて、最悪を覚悟する。

そこに。

猛然と、一人の影が飛び込んだ。

「――戦場が、勝利が私を呼んでいるわ!」

それは、精悍なボディと練度を誇る一匹の狼だった。

「どぉりゃー!」

重巡洋艦、足柄。裂帛の気合を叫びながら朝霜を追い抜いて、彼女を狙う不埒者へと襲いかかる。両の腕を“く”の字に曲げて激突し、二人の首を刈りとった。ダブルラリアット。けたたましい金属音が戦場に響き渡る。

その一撃をモロに受けた被害者は、哀れにも独楽のように空中で回転し、爆散した。

「あ……足柄サン!?」

妙高型の三女。

彼女はブイン基地の所属のはず。それがどうしてここに……という朝霜の問いは、突き出された人差し指で遮られた。そんなことを聞いている場合じゃないだろう、と狼は横目で不敵に笑う。

「十門の主砲は伊達じゃないのよ!」

重心を落とし、片腕を腰に据えて高らかに叫ぶ。その艤装にぎっしりと並べられた20.3cm(2号)連装砲が唸りを上げて火を放つ。

前方の敵四人が一気に薙ぎ払われた。

「す、すげェ……」

重巡の火力に助けられた。

朝霜は、まだ生きていることに感謝し、早鐘を打つ心臓を抑えた。

が、安心するのはまだ早い。次に狙われたのは足柄だった。

「足柄さん、次が来るぞーっ!」

「むむっ!?」

足柄は今気付いたとばかりに素早く目を走らせる。

正面120度から六人の駆逐艦が襲い掛かってくる。

範囲が広くて一斉射では倒しきれない。朝霜を助けるために突出しすぎたせいだ。この状況はまさに狩場に放たれた生餌と同じ。邪悪な肉食魚たちが喰らいつかないわけがない。

六人もの深海棲艦が一斉に咆哮を上げた。

足柄には次の弾を装填している猶予がない。

「上等じゃない!」

標的とされた勇猛な重巡洋艦は、ならばとばかりに腰を落として両腕を構えてみせた。

「この足柄にぃ! 後退の二文字は無ぁーい! 来いっ!」

迎え撃つ気である。

いくらなんでも無謀すぎる――その朝霜の悲鳴は、新たに駆けつけた別の艦娘が代弁してくれた。

「こぉの、馬鹿重巡!」

波の隙間から突如として浮上した潜水艦娘――伊58が、敵を迎え撃たんと大股開きになった足柄の両足首を掴む。そして思い切り海中へと引き擦り込んだ。

「妙高型の装甲を舐めないで――って!? ちょ、ゴボベバボボ」

直下に消える足柄。

間一髪。

敵の群れが接触する前に脱出することができた。

標的を獲り逃した敵たちはその勢いで互いに激突し、足が止まったところを、また新たに現れた重巡娘に掃討されることになった。

「足柄にも困ったものです」

沈んでいく深海棲艦の傍で。涼しげな顔で残心しているのは妙高だ。

先程の伊58と同じく、ブイン基地所属。彼女は、自分たちが現れた理由を一言だけで説明した。

「友軍として来ました」

そして、次弾装填。前方を睨み、すぐに現れるであろう敵に備えて構えてみせる。

「想定以上に敵の数が多いようですね。こちらも六人しか来ていません。撤退しましょう」

「お、おう、助かった……でもどうして?」

朝霜は冷や汗をぬぐいながら問う。

援軍にしても速すぎる。ショートランド勢が危機に陥ってから五分も経っていない。

「ショートランドから要請を受けていました。今朝、そちらが襲撃を受けたときに」

「ああ、大淀サンか……」

「来るのが遅れました、すいません。最低限の許可が下りるのを待っていたら間に合いませんでした」

「いや、いや、感謝するよ……します。来てくれなかったら今頃アタイは魚の餌だ」

何はともあれ。

ブイン勢が来てくれたおかげで、敵の勢いに空隙ができた。ほんの僅かな、しかし黄金よりも貴重な時間が生まれる。ここで行動せねば明日は無い。

朝霜は思い切り息を吸い込んで、号令をかけた。

「みんなァ、退くぞー! 五秒前っ! 三! 二! よーい、じかーん!」

朝霜が言い切ると同時に、その合図を待っていましたとばかりに全ての艦隊が退き始めた。追い縋る敵を撃ち払いながら、徐々に速度を上げていく。

「良かった、何とかなりそうですね」

妙高はそう呟き、ショートランドの艦娘たちが雨あられと放つ砲弾を抜けてきた敵を、一つずつ丁寧に潰していった。そして、そろそろ自分たちが逃げる番となったとき、すぐ横の海面から足柄と伊58が顔を出す。

「ぷはーっ!」

「足柄、退きますよ」

「えぇーっ! 来たばかりなのに!?」

足柄は抗議する。額に貼りついた前髪を整えようともしない。ズブ濡れになろうとも戦意は充分……いや、余るほどだ。

そのエネルギーを別の方面にも向けてくれるとよいのですが、と妙高は溜め息をつき、少しだけ声色を落とした。

「足柄?」

「うっ……分かったわよぉ」

不承不承、と唇を尖らせる妹を確認して、妙高は満足げに微笑んだ。

「でもでもっ! 殿ぐらいはやってもいいわよね!?」

「勿論です」

「やぁったー、みなぎってきたわ!」

そう叫び、足柄は鬱憤を残さぬようにとヤケクソ気味に連装砲を連射する。ボッカンボッカンと絶え間なく撃ち続け、その殆どを敵に命中させる。

「……いつも思いますが、そんなに主砲を積んでよく当てられますね」

「深夜は感覚が研ぎ澄まされるの。サイッコーね!」

そう言って足柄は四本の主砲を一斉射。闇夜に景気の良い爆発が咲き乱れる。

「重巡は元気でちねぇ」

「まぁ悪いことではないでしょう」

妙高も迎撃に協力しながら、伊58の呆れ顔に答える。

足柄と一括りにされるのは少しだけ納得できないが、あながち的外れな評価でもない。夜戦は重巡にとっても華である。逸る気持ちが無いといえば嘘だ。せっかくのこの機会、存分に暴れさせてもらおうと妙高は思う。

――それもこれも、ブイン基地の提督が援軍を決断してくれたおかげだ。

妙高は心中で感謝を送った。

「さて」

後方を見やる。

ショートランドの水雷戦隊たちはもう殆どが安全圏に抜けたようだ。ならば任務は完了といっていい。

来て正解だったと妙高は思った。大淀から要請がきたときはその必要性を訝しんでいたが、この敵の数と、この戦法――下手をすれば大惨事になっていたかもしれない。

ショートランドの艦娘たちもよく持ち堪えたと想う。もしも誰かが先に逃げ出していたら、あるいは蛮勇を奮って囮役になってでもいたら……ぞっとする。

今回の撤退劇が成功したのは、自分たちブイン勢の援軍が来たからではない。現場の艦娘たちの、互いを想い信じる心こそが彼女たちを救ったのだ。

――もしも、それがなかったら。

仮に、自分勝手に動く者が一人でもいたならば。

きっと総崩れになっていただろう。

 

 

「上手いなぁ」

それが北上が抱いた素直な感想だった。

煽り方がとても上手い。

視線の先にいるあの黒い少女――駆逐水鬼は、やる事なす事が理にかなっている。

北上は、かの黒い姫級が第三戦隊を煽る姿をずっと見ていた。双眼鏡越しだったから喋っていた内容までは分からない。だが、言葉なんて些細な要素だ。重要なのはタイミング。先程の、あの生首を晒したタイミングが素晴らしいと思った。

あの駆逐水鬼がやったことを思い出す。

まず始めに、標的である第三戦隊が興味を示すような現場を目撃させる。

そして、激情の火が灯るのを見計らってから姿を現し、矛先を自分に向ける。

続けて仲間の首を突き付けて、怒りの炎を燃え上がらせる。

トドメは、適当に笑みでも浮かべてやればいい。

第三戦隊の攻撃性は、後戻りのできない強度で固定される。つまりは“けして退くことのできない戦い”という状況が完成するというわけだ。

「分かってるねぇ、痺れるねぇ」

あの駆逐水鬼は、どのように煽れば第三戦隊が引き返せなくなるかをよく分かっていた。

そう、アレは煽り。

つまり、あの駆逐水鬼の振る舞いは全て演技といっていい。今まさにレンズの向こう側で戦い始めたあの少女……その顔は童女の如く笑ってはいるけれど、心中では何一つ面白いと感じていない。それがよく分かる。だって喜びを示す出力が、その顔の表面にしか表れていないから。首筋も、肩も、体幹も、随意筋が及ぶ全てが平常運行を示している。一片の遊びも無い。余力を保ち続けている。

だから、黒い少女が浮かべているあの笑みは、獲物である第三戦隊を煽るための演技でしかないと断言できた。

“クソガキが己の才能に寄りかかって調子コイている”

そう演じているだけだ。

どうしてそんな行為に及ぶのか、その理由を北上は十全に理解していた。

だって、自分でも似たようなことをするつもりだったから。

第三戦隊は強い。個々の脅威度はともかく、あの連携力は突出した個を押し潰すに足るものがある。戦場を俯瞰できる視野の広さも厄介だ。まっとうにぶつかれば長期戦に持ち込まれ、勝敗がどちらに傾くか分からない。あるいは賢明に撤退を選んでしまう可能性だってある。そうなった場合は、突き崩すのは至難の業だ。大多数は逃がしてしまうだろう。

そうさせないために煽る必要があった。

挑発して怒らせる。それだけであの短慮な連中は簡単に釣られてくれる。その末に最期まで殺し合うと決めてくれれば、願ったり叶ったり。そこから先はこちらの土俵だ。望んだ勝利を手に入れることができる。

そう、全ては選択肢を奪うため。

状況をコントロールするために挑発しているのだ。

……そんな簡単なやり方を、理解しない連中の多いこと多いこと。

実戦は、演習とは違う。

区切られた空間で、時間制限が設けられ、決着に向けてのみ最善を尽くすよう義務付けられているわけではない。

持久戦に徹して、増援を待つことができるし。

撤退して被害を抑え、もっと有利な状況で再戦を挑むこともできる。

だから戦いとは、単純に“当てる”と“避ける”だけに集中するわけにはいかない。

追いかける余力と姿勢を保持しなければならないし、

逆に、逃げ出せる速度と位置関係も確保しなければならない。

猪突猛進なんてもっての他。その瞬間その瞬間だけの戦闘行為に集中してしまったら、どれだけ練度が高かろうといずれ外的要因であっさりと沈むことになる。

だから。

第三戦隊を怒らせて撤退の選択肢を奪ってしまうというやり方は、このうえなく有効な手段なのだ。

(精神攻撃は基本、というやつだーね)

そう嘯く北上自身だって似たようなことをやろうと思っていた。

第三戦隊とはいずれ戦うことになる、そう思ったからこそマキラ島での交渉のとき余計に挑発しておいたのだ。一度プライドを刺激しておけば、次の来たるべく本番になったときに使える手が増えるから。例えばそう、もう一度同じ煽り方をするだけでいい。それだけで、初めて煽るよりもずっと効いてくれる。

――ほぅら、見ろ。

そんな思惑通りに短期決戦に引き擦り込まれた第三戦隊が、今、どうなっているのかを。

「うん、ものすごい勢いで食われてるねぇ」

本来ならば自分がやるはずだったその手管を、北上は眩しそうに眺めていた。

そう、見ているだけ。

本当はそれがいけないことだというのは分かってる。第三戦隊を助けてやらなければならない。生き長らえさせて、その力を充分に発揮させてやらなければ、北上自身も含めたガ島泊地の面々が生き延びる確率は大幅に下がってしまう。

それを全て承知したうえで、北上は。

そんなのは些細な問題だと思った。

だって、ずっと会いたかった奴がそこに居る。友達を作るという半ば諦めていた夢が叶うときが迫っている。

それに比べたら、そのうち始末しようと思っていた第三戦隊の生き死になんて知ったことではない。

自分のやりたいことが一番大事。

だってこの好機を逃したら絶対に次は無いのだから。他のことはかなぐり捨てて優先順位ナンバーワンを獲りにいく。そのやり方こそが北上の行動理念だったし、これからもまさにそうしようと思っている。

けれど、何故だか……意識の隅に引っかかるものがあった。

北上は、双眼鏡からけして目を離さない。

けれどその皮膚感覚と聴覚と、意識のほんの一部は、後方の生き物たちに向けられていた。

世間一般の連中に言わせれば“仲間”とかいう関係にある生き物たちに。

大井。新貝。清霜。イムヤ。雲龍。

「……うーん」

理屈に合わない迷いがある。正確にいえば迷いではないのだけど、ひっかかりのようなものがあった。

そのうちの一人である浜辺に立つ男――新貝貞二について考えてみる。

優柔不断……ではあるが、それは乱暴に言い換えれば許容範囲が広いともいえる。

あの男はいわゆる変わり者である北上の協調性の無さを矯正しようとはしなかったし、否定もしなかった。ただそこに居させてくれた。それは自分にとっては新しい体験だった。

今まで渡り歩いてきたどんな鎮守府の提督も、変人の北上を嫌悪したから。

けして言動に出なくても表情筋を見ればすぐに分かる。なんだこのサイコパス女は、と全身で警戒するのが常だった。そして、どうせすぐに転属していくからと、つかず離れず、視界の隅でマークして。大切なほうのお仲間の輪を乱さなければそれでいい、と拒絶の気配を滲み出していた。

その態度に不満は無かった。北上は、自身に不利益が無ければ問題ないと思っている。だって期待してもいない相手にどう思われようと関係ないから。しかし――自覚していなくても、やはり積もるものはあったのかもしれない。淋しい、とか呼ばれる感情のようなものが。

新貝は、今までの提督たちと何が違ったのだろうか? けして何かしてくれたわけじゃない。けれどこのガ島での生活は、今までのどこよりも居心地が良かったのは確かだ。

それに対して恩義めいた感情を抱いている自身に軽く驚く。

だったら、これが最期かもしれないのだから、一言ぐらいかけてやってもいいだろう……そう北上は思った。

振り返る。

浜辺に立ち尽くす新貝に、双眼鏡を投げて返した。新貝がキャッチし損ねたのを見て軽く笑う。やっぱり新貝も下手くそだ。

「あのさぁ! 戻ってこれるか、分かんないわー!」

そう叫ぶと、新貝は目を丸くして固まった。考えていることが手に取るように分かる。この非常事態に何を言い出すんだ、とか思っているに違いない。

ずっと前から言っておいたじゃん、と苦笑いする。

その答えを――アタシの最優先事項を、もう一度教えてやろう。

北上は、遥か遠くで戦っている駆逐水鬼を指差して、

「あいつと友達になれるかもしれないんだー!」

と告げた。そして大きく手を振った。

「あそこらへんの連中は全部アタシが抑えておいてあげるよ! 後は上手くやりなー! じゃーあねー!」

――このぐらい言えばいいか。

そう決めて、スパッと意識を海に切り替えた。

前進を始める。

後方の事情は全て切り捨てた。頭の隅で何者かが引き留めようと声をあげていたが、北上の興味はもうそこには無かった。

その瞳には、駆逐水鬼。

双眼鏡越しでは、やはり細かい部分が分からない。もっと近づいて、対面して、言葉を交わさなければ。

そう逸る気持ちに夢中になっていた。

 

 

「おいっ! 北上ーっ! ……くそっ! マジで行きやがったあいつ!」

遠ざかって、豆粒のように小さくなっていく北上。

彼女に向けて悪態をつく新貝の声を聞きながら、大井はことさら大きな溜め息をついた。

あの馬鹿ならきっとこうするだろうという確信があった。

あの北上が、ずっと探していたという同類が現れたときに躊躇うはずがない。そのことは、その同類の存在をキリシマから聞かされたときから分かっていたことだ。

まぁ、それがまさかこの修羅場そのものといっていいタイミングになるとは思わなかったけど。

「……別れの挨拶をしただけマシってもんね」

むしろ多大な進歩といっていい。北上と艦娘時代からずっと付き合ってきた大井から言わせれば、最後に振り返ったことは異常事態でしかない。あの、情の“じ”の字も知らない北上が、最優先事項を前にしてその他の事情を気にかけるなんて驚くべきことだ。

もっとも、そんな低レベルの進歩で納得できるような者は世界中のどこにもいないだろうけど。

「くそっ、どうする!? こうなったら全員で北上を援護して……いや、それでもあの数は無茶だ……でも見捨てるわけには……」

頭を抱えている新貝。

その姿を、大井は目に焼きつけておくことにした。

「さぁて、この男は上手くやれるのかしらね……」

この頼りない元提督は、果たしてこの窮地から生き延びることができるのだろうか?

大井には分からない。

分かりそうにない。

予感がする。キナ臭さを感じる。それもとびっきりの。生存か全滅か、そのボーダーラインに自分たちは居る。いいや、そんな生温い状況じゃない。もっとアウトの方向に立たされてしまっている。

死が背後から忍び寄っていることを、大井は肌で感じていた。

「――北上のことは諦めなさい」

さらりと忠告すると。

目の前の頼りない男は怪訝な顔をした。

「……なんだって?」

「見捨てるとか、見捨てないとか。そんな段階はもう過ぎたわ。囲まれてるのよ? 北上は、あの東の敵艦隊を引きつける囮になってくれた……そう思いなさい」

「んな事ができるか!」

「一緒に固まっていたら全滅しかなかった。それが今は違う。東の敵は第三戦隊と北上に、北の敵はショートランドの艦娘たちに目が向いている。今なら突破できるかもしれないのよ」

「大井っ! お前なぁ!」

「聞いて」

正対して目を合わせると、新貝はすぐに黙った。大井の瞳に浮かんだ真剣な光に気付いたからだ。本物の危機が迫っているという焦りがそこには在る。

「黒井成一が言っていたことは嘘よ」

その名前に、その場の全員が息を呑んだ。

新貝も、清霜も、イムヤも、雲龍も。全員がその男の企みのために一度命を落としている。

その男は狡猾で、謀に長けていた。誰よりも優秀な提督だった。“成ろうと思えばなんでも成れる”、それが黒井成一の提督時代の風評だったことを全員が知っている。

その男が、今回に限って隙を見せるようなことがありえるだろうか?

「“完全包囲に成らなかった”……なんてきっと嘘。逃げ道という希望をわざと残して、戦意を捨てて逃げ出したところを叩くのが一番楽で確実だからそう言っただけ。そう、そうね……今にして思えば、最初に出てきたイ級からして罠だったんだわ。あいつのせいで包囲に失敗した、そういう説得力を持たせるための生贄だったのよ」

「……どうしてそんなことが分かる?」

「分からないわけないじゃない」

訝しむ新貝に、大井は顎をしゃくってみせる。

「私たち軍警が、あいつの尻尾を捕まえるのにどれだけ苦労したと思ってるの?」

そう言い終わると同時、大井が顎で示した先で、甲高い音が響いた。

それは唐突に、ガ島の森の奥からもたらされた。

木々に阻まれて視界の通らぬその奥から、カランカランと木の板が打ち鳴らされる音がした。

鳴子だ。

鳴子が、鳴っている。

それは、糸に引っかかった侵入者の存在を知らせる原始的な防犯具。

もしもの時に備えて百は作った。それが鳴っている。カランカランと始めは散発的に。それがすぐさま、豪雨が如く音の連打へと変わった。

その数と頻度は、侵入者の数を示していた。

「敵は、南にも居た」

その場の全員が振り返ってガ島の奥を凝視する。

暗く、見通しのきかない暗い森。その奥に敵がいると大井は言う。

「南側の敵が少ないということはありえないわ。奇襲するためではなく、包囲して殲滅するために送り込まれたのだから。きっと大量。南から逃げるのは得策じゃないわ」

その言葉を証明するように、早くも森から一人の影が現れた。

重巡リ級。

その胴体を、清霜が瞬時に撃ち抜く。

重厚な金属が破壊される音が轟いた。

その音に引き寄せられて周辺の侵入者たちが集まってくることは誰にでも予想できた。

その連中は恐らく、島の反対側から上陸したのだろう。そして今この瞬間にも包囲網を狭めてきている。

「時間が無いわ。とっとと海に出なさい。東でも西でも北でも、陸で囲まれるより遥かにマシよ」

そう言って腰を落とし、魚雷発射管を指でなぞる。

まさかの戦闘態勢に全員が目を剥いた。

「大井さんは!?」

イムヤが悲鳴のようなあげる。

「私、言ったわよね? 敵が来たときは協力するって」

淡々と言い切る大井。

「逃げるにしても尻を叩かれながらじゃ敵中突破なんてできないわ。誰かが足止めしなきゃいけないの」

「そんなの、だめ」

歩み寄る、雲龍。

そして新貝。

「一人でなんて無茶だ! 時間なんて稼げるものか!」

大井はゆっくりと首を横に振った。

「……五月蠅いわねぇ」

大井はその太腿に装着された魚雷発射管を駆動させた。ここは浜辺、魚雷は陸地を進まない。だから大井は、射出した一本の魚雷が地に着く前に、宙でキャッチした。

「確かに私の装甲は薄いままだったけど、代わりに火力は随分伸びたのよ?」

真っ黒い魚雷を握りしめて、大きく振りかぶる。槍投げの姿勢。そして、とうとう森から姿を見せ始めた敵の群れに向けて、思い切り投擲した。

魚雷はストレートに宙を飛び、着弾する。

閃光。

雷鳴が如き爆音が圧となって新貝たちを貫いた。

「……どう? 見てくれたかしら?」

着弾地点には大穴が空いていた。戦車がすっぽり収まるほどの。そこに居たはずの七人の深海棲艦はもう影も形も無い。肉片すら蒸発して消えていた。煙が立ち昇り、空に形成されたきのこ雲が魚雷の威力のほどを物語っている。

「うおぉ……」

凄まじい威力だった。これはひょっとしなくても戦艦の主砲より破壊力がある。インチキめいた広範囲攻撃。これならば森から現れる敵の群れをモグラ叩きのように順繰りに潰していくことも可能かもしれない、

そう新貝たちに思わせるに充分なパフィーマンスだった。

「分かった? じゃあ、さっさと行ってちょうだい。貴方たちが逃げたら私も追いかけるわ」

「しかし……」

「――ぐずぐずしない! 私を生き残らせたいなら全速で行きなさい!」

その発破にかけられて全員が動き出す。

一寸の時間も無駄にできない。

海へ向けて走る、その間際に新貝が声を上げた。

「大井、お前っ! 死ぬんじゃねえぞ!」

大井は視線を森に向けたまま、手をひらひらと振ってそれに応じた。

「お前って言わないでって何度言ったら……ふん、もういいわ。まったく」

仲間たちが遠ざかる音を耳で確認し、大井は溜め息をついた。

「やれやれね」

騒がしい連中だった。

このガ島に来てからというもの、大井は溜め息ばかりつかされている気がする。そういう連中は、煩わしいから嫌いだ。

そのはずだった。

実際のところどうなのかは自分でも分からない。分からないから、分かるまで付き合ってあげてもいい。……そう思う程度には気を許していたと思う。

でも、命を張るほどでもないと思う。

じゃあ実際のところ、どうして殿を引き受けたのか? その理由を大井はよく理解していた。

さっきイムヤに告げた言葉が真実だ。

“敵が来たときは協力する”

そういう約束をしたから。

本当にそれだけが答えである。これは強がりではない。本当に、ただそれだけのために殿を引き受けている。

自分で言ったことを守る。そして借りを作るという気持ち悪さをほんの少しの時間も許さない。そういう生き方をずっと貫いてきた。

本当に意固地で、面倒くさい女だと、自分でも思う。

自分を納得させるためだけに色々なものを放り投げてきた。ほんのちょっと妥協するだけで色々なものが手に入ったはずなのに。それだけが未練だ。

「まだ終わるつもりはないけれど……」

未練というワードが引っかかる。

深海棲艦は、未練を果たすために蘇るという。そして同じ未練を持つ者が寄り集まるとか何とか、キリシマが言っていた。

ならば、このガ島泊地の集団に共通する未練は何だ?

新貝は、清霜に会って話をしたかった。

清霜と雲龍は、新貝に再会したかった。

イムヤは、生前に助けられなかった味方に謝りたくて、北上は、存在すら不確かな同類とやらと友達をやってみたいと言っていた。

ならばこの集団に共通する未練とは、“会いたい誰かがいる”ということになるのだろう。

と、すると。

逆説的に、大井も誰かを求めているということになる。

「……面白くないわね」

自分がどんな奴に会いたがっているかは分かっていた。

愛想が無くて、意固地で、面倒くさくて、つまらなさしか残ってないような女。それがこの自分。

そんな自分が会いたかったのは、そんなマイナス要素の全てを許容してくれるような天上人だ。要は北上と似たようなものである。この厄介すぎる女にフィットできる奇跡的な誰かに邂逅し、親友や恋人のような関係になってみたいと思っている。

そういう関係性にある種の憧れがあった。何故って、それが普通というやつだから。

「普通でいたいと思うのは普遍的な欲求だけれど、ねぇ?」

己の浅ましさに自分でも吹いてしまう。その都合のいい妄想加減に。

幼稚すぎる。まるで、二次元のイラストを嫁と公言して憚らない童貞男のような低次元っぷりだ。

そもそもの話。誰かと仲良くなりたいというのなら、自分から歩み寄って然るべき。だというのにこの厄介な自分は、頑な部分を寸分も変えようとしていない。それでいて「普通をやってみたい」とか、そのために聖人のような相手を求めるとか、みっともなさすぎて死んでも口外したくない。

だったら、そんな願いは叶わなくていい思う。

欲求がある、それは認めよう。だが、それを叶えなくてはならないと、誰が決めた? 前に進まなくて何が悪い? モヤモヤしたまま人生を終えてもいいじゃないか。青臭いJ-POPの歌詞じゃあるまいし、夢や目標に向かって進むことだけを人生の価値にするなんてそれこそ下らないと大井は考えている。

夢は、叶えなくてもいいのだ。

みっともなさを露呈させたくないがためにつまらない人生を送る。それでいい、それこそが自分に相応しいと大井は思うのだ。

だから。

大井は今、借りを作らないためだけにガ島の浜辺に立ち塞がっている。

「雷巡が陸でどこまでやれるのか――見せてあげるわ」

どうせなら最期まで意地を張り続けてやろうじゃないか、と思う。

魚雷を両手に、直で持った。

その投擲の技術は、硬すぎる姫級を魚雷の飽和攻撃で一気に仕留めるために練習してきた奥の手だ。その成果をここで奮う。悪くない。備えが報われるのは素直に喜ばしい。その相手が数え切れないほどの大軍となれば、尚のこと。

ついに森の奥から敵が一斉に現れた。産毛が逆立つほどワラワラと。五十、百? 数えている暇は無い。

戦艦、重巡、駆逐艦のごった煮、詰め合わせ。こいつはすごい、大盛況だ。

「浮世の煩わしさを……忘れさせて頂戴っ!」

そして大井は渾身の力で魚雷を投げつけた。




礼号組で一人だけ出してないのもアレなので足柄さんを出しました。
論者です。当てる論者。
最強か。

妙高さんは、なんか直前に読んだ鬼滅の刃の蟲柱さんのイメージが混じってしまいました。
ゲームとちょっとキャラが違うと感じたら、きっとそのせいです。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。