悪いひとたち ~南方深海泊地へようこそ!~   作:シャブモルヒネ

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4-13:鉄底海峡6

清霜が犬歯をむき出しにして唸っている。

その瞳には、もはや敵しか映っていない。

仲間とは目を合わせようともしなかった。

戦うことだけにとり憑かれた生き物。それは、まさに戦艦レ級と呼ばれた深海棲艦に相応しい在り様で。

「清霜、まさかあなた……」

死を恐れず、無謀な戦いに身を投じるつもりか。つい先刻の大井のように。

そう問いかけたイムヤに、清霜はあっけなく肯定した。

「私が敵をひきつける。イムヤさんは司令官を連れて海中を突破して」

「……何、言ってんの?」

「潜水艦娘って一人ぐらいなら抱えて一緒に潜れるんでしょ? 私、知ってるんだから」

例え海の上が地獄でも、その下も同じとは限らない。

海の中には砲弾は届かない。誰も追いかけてはこれはしない。

穏やかで安全な場所。

そこに潜伏して、逃げ延びることができるのはイムヤだけだ。

「私に……仲間を置いて逃げろって言うの!?」

「違います。仲間を連れて逃げろって言ってるんです」

誰か一人だけならば、一緒に逃げることができる。

ならばそれがあなたの使命だろう、全滅するよりいいじゃないか――そんな乱暴な提案を、しかしイムヤは飲むしかない。

事ここに至っては、全員で助かる道が無いことぐらいイムヤだって分かってる。

それは、少々の友軍が今更現れたところで揺るぎようのない事実だった。

「ォォォオオオ!!」

雄たけびが、真横から。

荒ぶる波を乗り越えて、傷だらけの戦士たちが現れる。

キリシマ率いる第三戦隊。

全速の勢いのままで突進し、清霜たちの後方を塞ぐ連合艦隊に襲い掛かった。

側面への不意打ちが炸裂する。

奇襲をもろに喰らった敵の連合艦隊は、一瞬で三人がスクラップと化した。

敵艦隊に動揺が走る。が、すぐに殺意を取り戻して反撃に転じた。

情け容赦の無い潰し合いが始まる。互いがフレンドリーファイア上等と入り乱れ、手が届きそうな距離で大口径主砲の砲弾が飛び交った。血の雨が降る大乱戦。臓物と油と鉄片が撒き散らされる。

「ラアアアァッ!」

6対9。

数の差は1.5倍。この程度なら練達の兵である第三戦隊には問題にならない――はずだった。この時ばかりは話が違った。本来ならばとうに瞬殺しているはずの相手でも、ここに来るまでに負った損傷と疲労が重くのしかかり苦戦を強いられている。

「さぁ、イムヤさん!」

今しかないと清霜が叫ぶ。

イムヤは苦悩の選択を迫られた。

彼女は、何があろうと仲間を見捨てない、命に代えても守ると誓いを立てている。

けれど、例え自分一人の命を代価に捧げたところで、できないものはできやしない。この場の全員を救うのは不可能だ。救えてせいぜい一人だけ……それは、全く清霜の指摘通りなのだ。

そんな理屈に納得できない新貝が吠える。

「清霜っ、馬鹿を言うのを止めろっ! 一緒に逃げるんだよ!」

「……司令官はさぁ、」

清霜はそれだけ言って、黙り込む。そして少しだけ微笑んだ。

「……私のことを覚えていてよ。清霜はすごい戦艦だったって。司令官を守り抜いて、大将首まで獲ったんだって、さ」

イムヤは、何故だかこの時、清霜のしたいことが分かった。

艦娘は深海棲艦をやっつけるヒーロー。そんなイメージを持ちながら、適正足らずにベンチウォーマーで居続けるしかなかったかつての自分。いつしか理想を諦めて、現実と折り合いをつけていた。

けれど清霜は違った。

まだ諦めていない。勝ちたがっている。己の思い描くヒーローに成ろうと掻き続けている。

そんな清霜が、この状況をどう感じているか?

頼りになる北上と大井はこの場におらず、後方は大乱戦の真っ最中、前方には姫級と戦艦タ級の連合艦隊。

どう考えても撤退は不可能で……つまり、ヒーローに憧れる少女にとっては最高の状況なのだ。

今の清霜にとって最も崇高な使命とは、仲間を助けた末に、敵の旗艦を沈めること。そうやって最期を華々しい勝利で飾り、勝ち逃げすることこそが彼女の望みだとイムヤは理解した。

突風が、清霜の頬を叩く。

本日、天気晴朗なれども浪高し。

「状況は最高、これより反撃します!」

「清霜、お前――っ!?」

怒鳴る新貝、その腰をイムヤが抑えた。両手でがっしりと抱える。水中に潜っても絶対に離れることがないように。

「イムヤ、まさか……おい止めろっ! 雲龍もなんか言え!」

「……ごめんなさい。私も賛成よ」

全滅か、それとも二人だけが生き延びるか。

そのどちらがマシかと問われたら、後者しかないのは当然だった。

「清霜、雲龍さん、ごめんっ!」

「イムヤ! 止め――」

その言葉と新貝の叫びを残して、イムヤは新貝を抱えて水中に潜った。

 

 

「三文芝居ハ、終ワリカネ?」

正面で、敵が囁く。

南方棲戦姫。

それに加えて十一人のタ級が、清霜と雲龍の前に立ち塞がっていた。

「オ前ヲ、ドウヤッテ殺シテヤロウカ、ズット考エテイタ。シカシ、ソレモモウ、ドォーーウデモイイ。スグニ死ネ。早ク死ネ。コレ以上、息ヲ吐キ出スンジャアナイ」

「あなたを、連れていく」

宿敵同士、言葉に応じることはなかった。

互いの主機がうなりを上げて、艤装が駆動した。

清霜が前進を始める。戦艦のみで構成された狂気の連合艦隊を相手に、怯む様子は無い。

(彼女を助ける)

それが最期の任務だと雲龍は心に決めた。

清霜。艦娘時代の後輩であり、今の仲間でもある彼女を手助けするのに否やは無い。

それに、ここで時間を稼いだ分だけ、敵の数を減らした分だけ、逃げた新貝たちの安全度は高まるといっていいのだ。やらない理由はどこにも無い。

俄かに、空気が張り詰める。

周囲には砲撃の音が絶え間なく轟いている。

後方では第三戦隊が血戦を繰り広げ、正面と左右の水平線上では見知らぬ深海棲艦たちが持て余した戦意を発散させるために食らい合っていた。

ここは、地獄だ。

戦争だけがルールの別世界。各々が抱えた正義も悪も、戦うための燃料に過ぎない。戦うことが全てであり、そうなるように深海棲艦は出来ている。

戦争のための生き物。

その在り様は、生物としてはあまりに戦争に特化しすぎているのではないか、と雲龍は感じた。

(どうして深海棲艦は“こう”生まれるの?)

それは、漠然とした疑問だった。

数秒後には消えてしまうような儚い思いつき。しかしこの時の雲龍は、その思いつきこそが正解なのではないかと思った。

――深海棲艦は、戦争を起こすように生み出されている。

何者かの意思のようなものを感じた。

それは大きな流れのようなもので、深海棲艦たちの“戦わねばならない理由”を絡めとりながら一ヵ所に集まろうとしているように思えた。戦争を望むものが居る。あらゆる想念がぶつかって弾けて消える様を見たがっている――そんな直感が雲龍を支配した。

「海が……」

気がつけば赤くなっていた。夜だというのに煌々と、まるで生き物が興奮しているように。

海が、戦争を観たがっている――そう雲龍は思った。

深海棲艦とはそれを再現するための演者に過ぎない。そうなるために未練がある者が――戦う理由がある者が選別されている。

海が、深海棲艦を生み出しているのだ。

考えてみれば当たり前の話かもしれない。死者が自力で復活できるわけがない。何者かの手助けがあったに決まっている。

「悪名高き、鉄底海峡……」

この海にはきっと意思がある。戦争を観たがっている。それもただの戦争じゃない。きっと食物連鎖よりも上質の殺し合いを望んでいる。誰かのために命を懸けるとか、果たせなかった願いを叶えたいとか……そういった想いがぶつかる様を鑑賞したがっているのだ。

それこそが深海棲艦が無限に発生する理由。

――けれど、仮にそうだったとしても。

雲龍も清霜も、黒井だってその流れに逆らうことはできない。

この鉄底海峡に存在する全ての深海棲艦は、もはやどうしようもないところまで巻き込まれている。“戦わねばならない理由”が鍔迫り合っている。その刀を納めることは、己を棄てられる聖人でなければできはしまい。

故に、どんなに愚かだと分かっていようとも、深海棲艦は戦争から下りることができないのだ。

「……第一次航空隊、発艦始め」

雲龍は雑念を捨てた。何がどうあろうとも、今は清霜とともに戦わなければならない。

二人だけの単縦陣が始まる。

清霜の後ろに並んで進みながら、片腕を振り上げて艦載機を展開させた。

鋼の頭蓋骨が浮遊する。

弧を描かせながら自分たちの頭上に侍らせた。

これで今が昼ならば、制空権をとったうえで敵を攻撃できただろう。しかし今は夜。その命中率には期待できない。

故に雲龍は、艦載機の使い方を普段と変えることにした。

それは、空母としてはありえない運用法。

身を守る盾として、そして敵の視界を遮る煙幕として使う。

無事に戻らせてこその艦載機を、一度きりの役割で使い捨てる――全ては不退転の決意が成せる行動だ。

タ級の群れの砲口が一斉に光った。

鉄の暴風雨。

そのあてずっぽうな攻撃は、清霜たちが進路を切り替えただけで殆ど外れた。弾幕の端がかろうじて後続の雲龍を捉えたが、咄嗟に展開させた艦上戦闘機によって防がれる。雲龍本人には被弾無し。

お返しとばかりに清霜の反撃が唸りを上げた。四つん這いに近い姿勢で砲門を安定させ、発射。

反動を殺した一撃は、見事にタ級の芯を捉える。

一人、撃沈。

「……悪くはない」

雲龍は戦況を分析する。

――やはり、この相手は練度が低い。多少は訓練した形跡が伺えるが、所詮は付け焼刃。距離さえ保てば怖くない。今の清霜なら、ヒットアンドアウェイを繰り返せば倒しきることも不可能ではないかもしれない。

だがそんな思惑は、勿論すぐに対処されることになる。

黒井は、自身を含めた十一人の深海棲艦を二つの艦隊に分けた。そしてタ級のみで構成された五人組を真っ直ぐこちらに突撃させる。対して自身を含めた艦隊は、迂回しながら雲龍たちの進路を抑えにかかった。

距離を潰しながらの、挟み撃ち狙い。

(嫌な手ね)

先刻の、ショートランド勢に向けて使われた戦術を思い出す。キャッチアンドデストロイ。それは今この瞬間にも狙っているだろう。

もしも戦艦の馬力で掴まれたら絶対に逃れられない。

故に、けして接近されるわけにはいかなかった。

しかし、二つの艦隊に追い掛け回される以上、そう遠くない未来に捕まってしまうのは明らかだ。

それまでにどれだけ敵を減らせるかが問題だった。

――そう、とにかく敵の数が多いのが辛い。

下手な鉄砲もなんとやら。練度の差など関係なく、距離を詰められて撃たれればそれだけで被弾しかねない。

(まっとうなやり方では駄目)

雲龍は、意識を攻撃機に注入した。白い髑髏型の攻撃機。それは傍目には艦上戦闘機と区別がつきにくいが、役割は全く違う。敵を葬るための爆弾が腹にある。それを敵の頭上から投下して、水上艦を一方的に倒すのが攻撃機の役割だ。

しかし雲龍は、それら艦爆をも、規定通りの運用方法で使うのを止めた。

夜にはどうせ当たらない。

だから、当たるように使うことにした。

頭上の攻撃機を目の高さに配置して、真一文字に並べてみせる。鋼の頭蓋骨たちが海上に整列して主とともに併走する。

その高度は低すぎた。ほんの少しでも操作を誤れば波に引っかかり、また低さ故に爆弾を投下して敵に当てることもできない。

いいことなんて一つも無い……そういうわけでは、勿論ない。

本来、艦爆が当たりにくいのは、点への攻撃だからだ。特に夜、この暗い闇の中でただ一点の座標に命中させるのは殆ど不可能となる。

だから雲龍は、線の攻撃へと切り替えた。

艦爆を横に並べて、単純に真っ直ぐ突っ込ませる。爆弾を抱えたまま体当たり。そうすればどれかが当たるという目論みだ。

凄まじい無駄遣いとは分かってる。しかし空母の自分が夜戦装備も無しに攻撃を当てるにはこれしかない。

「稼働機、全機突撃」

狙いは、真っ直ぐ迫ってくる五人のタ級艦隊だ。

腕を、そして指をビッと標的に指し示すと、鋼の頭蓋骨たちがその歯をカチカチと鳴らしながら一斉に突撃した。海上すれすれの軌道で進んでいく。一機たりとも着水しないのは熟練の腕があってこそ。

けれど、シンプルな軌道は、当たり前のように撃墜されやすい。真正面から接近するだけの攻撃機たちは、タ級の12.5inch連装副砲によっていとも簡単に迎撃されていく。白色の装甲が海面にばらまかれた。

通常ならばありえない被撃墜数に雲龍は歯噛みした。覚悟していたこととはいえ、辛いものは辛い。

しかし、その甲斐はあった。

敵の弾幕を抜け、誘導弾と化した攻撃機がタ級艦隊に激突する。

肉を切らせて骨を断つ。

三人、撃滅。

そのために突撃させた攻撃機の全てが引き換えになった。高すぎる代価だが、腐らせるよりは遥かにいい。

これで雲龍に残された攻撃機は温存した十機だけになった。

敵は未だ健在。

タ級が二人の艦隊、

そして、姫級一人とタ級五人の艦隊だ。

その両者からの砲撃を避けながら考える――残る十機の艦載機と清霜でこの連中を倒しきれるか?

後方で第三戦隊と乱戦している連中も怖かった。そちらまで意識を向けている余裕がまるでない。もしも第三戦隊が負けてしまったら、雲龍たちはその無防備な背中を撃ち抜かれることになる。

(さっきの攻撃方法……艦爆のカミカゼ特攻、そんな同じ手は通じない。今度はどうすれば当たる? どうすれば……)

迷った末に頭上に展開させた。

その雲龍の左肩に、鋭い弾道が迫る。

「っ!」

掠った。

それだけのはずなのに、衝撃で上体が大きく傾いた。引っ張りまわされるような勢いに敢えて逆らわずに身を任せる。転倒だけはしないように一回転、二回転、とターンすることでようやく衝撃力を殺しきる。

「雲龍さんっ!」

「……大丈夫、まだ小破」

――だが、今の砲撃はなんだ?

顔を上げた雲龍の目に、撃ち手の正体が映る。

南方棲戦姫。

その砲口から煙が昇っていた。

(馬鹿な……)

ズキズキと痛み出した肩を抑えながら雲龍は慄いた。

素人に当てられる距離ではないはずだ。

まだ長距離射程――熟練の戦艦娘であろうと容易には当てられない距離なのに。先程の清霜の攻撃が命中したのも血が滲むような訓練を重ねたからこそであり、それでも外してしまう可能性は十分あった。事実、練度の低いタ級たちの砲撃はずっと有効弾を得ていない。

なのに、黒井は一発で当ててきた。

肩にカスらせただけとはいえ、その命中精度は通常ありえない。

黒井が熟練者のはずもない。あの男は深海棲艦になってから半月も経っていないはずだ。となればズブのド素人のはずなのに、それがこの短期間で……と、ここまで考えて雲龍は気付いた。

そもそもの話。

――あの見るからに重量バランスが滅茶苦茶な南方棲戦姫の身体を、ただの人間だった男がたった半月で使いこなし、海上を自在に航行できるようになっている時点でありえないのではないか?

“成ろうと思えばなんでも成れる”

そのフレーズを思い浮かべた雲龍に、次弾が命中した。

やはり南方棲戦姫だった。

「ぐっ」

左腕の一部が穿たれる。が、衝撃が抜けきったおかげで転倒だけは免れた。

とはいえ、流石に速度が鈍る。

この間に、清霜が敵の別働二人のタ級を仕留めていたが、残る敵の本隊まで抑えられるわけもなく。

戦艦部隊の砲口、その五つが一斉に雲龍へと定められた。

――死ぬ。

咄嗟に、空中を飛ぶ爆撃機たちを呼び戻そうとして、止めた。

盾にすれば、助かるかもしれない。しかし、その後に残るのは丸裸になった空母だけだ。そんな延命をしてもしょうがない。だったら敵の数を減らせるだけ減らして、清霜と、逃げた新貝たちに繋いだ方がよほどいい。

意識を、爆撃機に集中する。

そのせいで自身の航行速度は落ち、回避行動もとれなくなったが関係ない。夜空に浮かぶ髑髏たちが敵座標ただ一点に向けて突き進む。その向きと速度だけに雲龍は全てを注いだ。

チャンスは一度だけ。

絶対に命中させなければならない。

――もう少し、もう数秒で、敵の航路と軸が合う!

その雲龍に、大型主砲の弾が放たれる。

この世で最も破壊力のある風切り音が列となって吹きつけた。

胃が縮む瞬間。

死が次々と傍を通り抜けていく。

タ級たちの砲撃精度はやはり新人に毛が生えた程度の代物で、速度の落ちた空母相手に一発しか命中させることができなかった。

右太腿が損傷した。

とうとう雲龍は微速になり、あろうことかそのタイミングで南方棲戦姫の装填が終わる。

避けようのない未来が見えた。

だが全ては覚悟の上だった。

「ここよ、撃ってきなさい!」

叫ぶ雲龍に、殺意が向けられて。

徹甲弾が腹部を貫いた。

「――かはっ」

全身がバラバラになるような衝撃。踏み堪えるどころではない。木の葉のように吹き飛ばされ、海面に叩きつけられる――その直前。

雲龍の身体を力強く受け止める者が居た。

キリシマである。

片目を瞑り、その瞼からはドス黒い液体が零れ落ちている。

その傍には、血みどろの第三戦隊が立っていた。

無事な者など一人も居ない。五体不満足になりながら、それでも六人全員がそこにいた。意識を失って肩を支えられている者もいる。明らかに全員が大破していた。呼吸は荒く、血走った目だけが生きていることを証明している。

敵の連合艦隊を撃滅してやってきたのだ。

「ハァ、ハァ……ハ、グゥ……」

しかし、次戦を挑む余力はありそうにない。

雲龍は、彼女たちをチラリと見上げ、ろくに礼も言えないことを心中で詫びた。

「全機、突撃……」

雲龍にはもう指一本動かすこともできない。

それでも。

その命令は完了していた。

「――ッ!?」

空母本体に意識を集中させてしまった戦艦部隊が反撃に気付いたがもう遅い。見上げた空から白い艦爆群が落ちてくる。捨て身の急降下爆撃。それらはコントロールを失っていようとも照準を定め終えていた。

主の仇を討たんとばかりにその腹に爆弾を抱えて突撃する。十機の死神が命を刈りとる隕石となって戦艦部隊へと降り注いだ。

その流星群が着弾するたびに爆発が巻き起こり、敵艦隊が炎に包まれる。

――だが。

それでも今は、夜だった。

「ダメか……」

炎の中で揺らめく影が三つある。

三人も、取り逃がしてしまった。

(もう自分は戦うことはできない。第三戦隊もきっとそう……)

残る戦力は、清霜、ただ一人。

逃げて、と雲龍は祈った。敵が正面の三人だけになった今ならば、きっと逃げ延びることができる。戦う必要なんて無い。生きて、提督の傍に行ってくれ――そう願いながら意識を手放した。

 

 

自分のやりたいことをそのまま行動に直結させるような間抜けを誘導するのは簡単だった。

自身の位置を調整するだけで、思い通りに進路を辿ってくれる。北上を囲もうとした駆逐艦二人は置き魚雷に引っかかって吹き飛んで、それを見た他の連中は足元を気にして動きが鈍る。

そこを主砲で撃ち抜いた。

首を折られた軽巡が沈む。それだけで敵は陣形が乱れて右往左往。焦りながらとにかく弾幕を張ろうとろくに照準も定めずに弾を放ってきたが、その弾道も全て北上は承知済み。好戦的な重巡が北上の胸部を狙うが波に足を取られて射角が落ちて海面を撃ってしまい、余裕の無い駆逐艦は、自身の慣性も制御せぬまま撃とうとしてバランスを崩して空を撃った。

だから回避行動なんて必要なかった。

これは今に始まった話ではない。いつだってそうだった。

北上には敵なんてずっと居なかった。

「……けど今日はアンタが居るから違うかな? デス子ちゃーん?」

駆逐水鬼。デストロイヤーと名乗った駆逐艦。

その黒い少女は北上に近い実力を持っていて、故に北上の目論見も読んでいた。北上の誘導行為を察知して主砲を差し込んでくる。

重心を変化させる瞬間を狙ってくるのが凄くいい、と北上は思った。おかげで加速や方向転換をするタイミングに駆け引きが必要になって、自在な運動が制限される。

こんな手間は今までは無かった。

主導権を奪いうる敵なんて初めてで、北上は胸を躍らせた。

敵だ、敵がいてくれる。この初めての高揚感。このときめきに飽きるまでは戦い続けてみたいと北上は思った。

勿論、思うだけ。そんな贅沢をしているほど戦場は悠長な場所じゃない。敵の援軍が現れる前に仕留める必要がある。せっかくの敵ではあったが、さっさと沈めて目的を達成しなければならない。

(だけど、どうやって沈めよう)

こんな海のど真ん中で沈めてもしょうがない、と北上は考える。その後に復活を待つには不向きすぎる場所だ。どこか陸地の近くに運んでから沈めたい。

(南のレンネル島。あそこにしよう)

まずはこの鉄底海峡から離れよう。そうすれば面倒くさい深海棲艦も減るはずだ。もしかしたら運良く生き延びた新貝たちも来るかもしれないし、そうなったら衣食住の手間も省けるだろう。いいことずくめだ。そうだ、そうしよう。

決定。

自称デストロイヤーを倒す。死体をレンネル島まで運ぶ。浜辺に近いところに沈める。そして悠々自適に復活を待つ。

(けど死体は重いしなぁ……)

どうせなら運ぶ労力も減らしたい。四肢を落としてしまおうか。けど損壊が大きいのも問題だ。復活の過程で他人がたくさん混ざったら、全くの別人になってしまうかもしれない。傷は少ないほど良い。

折衷案。

(足の一本ぐらいなら平気かな?)

大丈夫だろう、きっと。

(じゃあ勝ち方は決まったね)

魚雷で片足を吹っ飛ばす。そして動けなくなったところを主砲でズドン。

そうと決まれば話は早い。あとは導きたい結果から工程を逆算するだけだ。

海中に潜ませた置き魚雷は、残り二十発。有効に使えそうなのは六発。その中からデストロイヤーに直撃させうる軌道と速度がある魚雷を選ぶ。

(二十八秒後に来るやつがいいね)

それに自分から当たりに行くように仕向ける。

(餌はどうしよう。アタシを仕留められる好機を晒してそれを餌にするのが最も有効だけど、見え見えすぎて引っかからないか。挑発も効かんし。だったらハメよう。それが手っ取り早い)

トドメの魚雷を二発用意する。どちらかを避ければもう片方が当たるように、必至の状況を作り出す。

そのためにはやはりどこかで相手の選択肢を減らす必要がある。“こうしなければならない”と徐々に追い込んでいくのだ。

(物理的に進路を制限してやろう。敵を使う。敵の随伴艦、でかくて重い戦艦を誘導してデストロイヤーの進路を邪魔させて、その先に魚雷を先撃ちしといて、それを避けたら置き魚雷が浮いてくる。それを二十八秒後に合わせる。つまりアレを先にああして、戦艦の並びをこうして、こう、こう、こう……)

手順が決まった。

この間、一秒未満。

北上の膝に重心がかかる瞬間を狙って撃たれたデストロイヤーの一撃がようやく迫ってきた。

ので、空中で撃ち落とした。

作戦を練っていたらすっかり平常心に戻ってしまった。高揚感を覚えていたのが遠い昔のよう。あれから一秒も経ってないけど、もう飽きた。

――そんなものだ、人生なんて。だから享楽的に生きるのだ。

デストロイヤーの連撃が北上の進路上に放たれる。速度を抑えるために撃たれたということは狙いは随伴艦の命中率を上げることだろうが、それを防ぐために北上がずっと左手側に迂回していたということをデストロイヤーは知っているだろうか? 追撃する敵重巡の足元から置き魚雷が浮かび上がり、それを近くで目撃したせいで砲口がブレる。弾は北上の右脇下を通り抜け、その事態に備えていたデストロイヤーが瞬時に追撃するが、北上は既に次の場所に居た。見てから対応しているようでは一生触れることさえできない。北上の機先を制する一撃が、駆逐水鬼特有の艤装――背中から生える巨大な手の腱を、二本とも撃ち抜いた。これで彼女はトドメの瞬間に随伴艦を掴んで軌道を変えることが不可能になって、最後の回避手段を失ったことになる。

戦艦三人が急接近してくる。

いよいよ囲まれたが問題は一つも無い。

姫級一人、戦艦三人、重巡二人、駆逐艦四人。

つまり、敵が一人に、意のままに動く奴らが九人。

手持ちの魚雷を三本だけ空高く放り投げる。敵が即座に対応できるときに放った愚かな一手。だから、すぐに撃ち抜いて誘爆させれば決着がつくよ――とデストロイヤーを誘ってみるが、乗ってくるほど馬鹿ではない。

一本しかない主砲を迎撃に使えばその隙を狙われると気付いているからだ。

主砲は温存し、慌てふためく駆逐艦を背後から蹴飛ばして魚雷に接触させた。

魚雷が炸裂したが、爆発は小さい。

威力を調整しているからだ。その事実を他の随伴艦たちに気付かせてデストロイヤーは戦意を復活させた。

「いいね」

味方を上手く使うというやり方は、北上も知らない戦法だ。

もっとも、肝心の随伴艦たちが弱すぎて、連携する意味もないのだが。

北上は別の駆逐艦の額を貫いて、更に敵のフレンドリーファイアを利用して二人を追加で落とした。

(さぁて、こっちの残弾も減ってきたところでクライマックスだ)

残り十三秒。

敵戦艦に無駄弾を撃たせながら魚雷を放つ。左に三本、右に三本。そのうち右の一本が本命だ。それら全ての航路は一見滅茶苦茶で、そのままでは誰にも当たりそうにない。

馬鹿にされていると思った敵の戦艦三人が頭に血を昇らせて砲撃準備に入った。想定通りに斜め一列になって狙いを定める。彼女たちはその構えのために速度が落ちて、デストロイヤーの邪魔になる。

おかげでデストロイヤーは攻撃できないし、真っ直ぐ進むこともできない。迂回を強制される。

その先に先程の本命魚雷が来る。分かっていても進むしかない。そして、その魚雷を波に乗って飛び越えた先にトドメの置き魚雷が浮かび上がる――そういう筋書きだった。

しかしデストロイヤーは、進路上の戦艦三人を避けなかった。真っ直ぐ進んで素人のようにぶつかった。

後ろから衝撃を受けた戦艦は大きく転倒し、哀れにも水面に叩きつけられた。

「おおっ?」

北上も思わず声を上げる。狙っていた戦術が台無しになったことも手伝って、彼女は呆けたように速度を緩めた。

デストロイヤーは動かない。

彼女の随伴艦たちが驚いている。

「なんだなんだ……?」

殺し合いの空気が、霧散した。

デストロイヤーは、ただ静かに俯いて、揺れる波を凝視している。

北上には理解できない。何が起こっているのか分からない。

何故なら彼女はいつも、勝利への方程式しか頭になかったから。北上はいつだってそうだった。

人の気持ちを考えない。重視しない。そんなもので何かを得ることはできないと軽く扱ってきた。それはこの戦いにおいても同じ。今まで観察していたのは“相手がどうやって戦うのか”ということだけで。その他の事柄をデストロイヤーがどう感じるかなんてまるで考えていなかった。

デストロイヤーと名乗った黒い少女。かつて艦娘で、今は深海棲艦である彼女は、己の強さだけが拠り所である。彼女は自分こそが最も優れていると思っていて、だからこそ優遇され、何をしても咎められることはないと思っている。過去に向けられた非難と諫言は全て無知蒙昧から生じた戯言で、自分は何一つ悪くなかったと信じている。

――そんな彼女が、敵に遅れをとったらどうなるか? 自身の信仰が破綻しかねない事態に陥ったときにどうするか?

北上は全く想定していなかった。

「あ、」

北上はようやく“その可能性”に思い当たる。

デストロイヤーにとって弱者に価値は無い。

自分の邪魔をする弱者は排除されねばならない。

と、なれば彼女は――

デストロイヤーは右手の主砲を頭の高さまで持ち上げて、こめかみの少し上に当てた。

「……要ラナイモノガ、多スギル」

撃った。

その瞬間を、北上は目を丸くして見ていた。

反対側のこめかみから弾丸が鮮血とともに飛び出していく光景をはっきりと見た。衝撃でデストロイヤーの上体が傾いて、目と耳と鼻の穴から勢いよく血が迸った。

しかし、倒れない。

立ち続けている。

「やっべ……!」

北上は我に返って即座に攻撃。相手が制御を取り戻す前に致命的な損傷を、

「ビ」

与えられなかった。

黒い少女は上体を傾けたまま右手の主砲を乱射する。それらは北上の追撃を残さず叩き落した。

「ビ――――ッ」

更にはその勢いのまま上体をぐるりと動かして、周辺の随伴艦に死を叩き込んだ。全てが急所へ直撃する。

唐突な裏切りに驚く者はいなかった。倒れる前に事切れている。重力に引かれて崩れ落ち、その中の一人――重巡洋艦の手から中口径主砲が飛ばされた。

それが測ったようにデストロイヤーの左手に収まった。

ガチャリ、と装備する音だけが響き渡る。

たった今、己の脳を撃ちぬいた少女は……顔にある穴という穴から血を垂れ流し、こめかみからは柔らかな肉を覗かせて、それでもニタリと喜んだ。

「ビ――――ッ」

まるでビープ音。肉声とは思えない機械音が口から漏れていた。

そこに乗せられた彼女の意思を、北上は遅まきながらに理解した。

 

――これで私の中から弱者は居なくなった。

 

さっき、デストロイヤーは言っていた。己の中に、前世の自分は27%しか居ないと。つまり73%はその他の誰か。そいつらは彼女にとっては凡人で、弱者で、つまり悪い奴。

強いはずの自分の足を引っ張る、悪い奴。

デストロイヤーはその連中を物理的に排除した。脳を乱暴に切除して、言語能力を損なってまで。

強者で在るためにその他を棄てた。

きっと要らないのだ。艦船に必要なのは戦闘能力だけと、自分で言っていた。

誰からも好かれる必要は無かったし、だから喋る能力も要らないのだ。

「ビ――――ッ」

その右手には、己の主砲。

左手には、重巡から奪った主砲。

「……まずくない?」

知らない存在に成っていた。

立ち姿を見るだけでも分かる。負傷していることを差し引いても呼吸のリズムがまるで違った。重心の取り方も違う。眼球の動きも違う。大元である思考ルーチンからして変わっている。

先刻までの駆逐水鬼とは別種の生き物に成った。

新しい彼女に敢えて名を付けるなら――駆逐水鬼・壊といったところか。

自傷行為で大破して、そのせいで身体の細部の制御が叶わず、指先や口元がピクピクと痙攣し続けている。しかし、それらの損傷は、今この状況――北上と戦っているという状況においては殆ど問題にならない。そんなことよりもこの天元通同士の戦いにおいては、別の思考回路をもつ生き物に変貌したという事実の方が圧倒的に大きい。

北上が積み上げてきた情報の蓄積が、全て無に帰した。

またイチから読み込み直さなければならないが、そんな手間をかけられる余力は北上には無い。

つぅー、と北上の鼻の穴から、一筋の血が垂れた。

脳を酷使しすぎたせいだ。身体の疲労も馬鹿にできない。更には置き魚雷は全部無くなって、主砲と魚雷の残弾数も少ない。

相手は逆に、疲労は少なく残弾数は多く、情報戦においては北上の殆どを把握しつつある。

この状況をいっぺんに解決するためには、北上も相手と同じことをやるしかない。つまり、脳の一部を破壊して己の思考ルーチンを物理的に変えるのだ。

しかしそれをやっても状況は五分以下で、流石の北上でも自身の人格を損なう行為には躊躇いがあった。そして何よりその自傷行為に伴う隙を、さっきから爛々とした瞳でこちらを凝視しているデストロイヤーを見逃すわけがない。

「ビ――――ッ」

そのデストロイヤーが、少しずつ前傾になる。早くも新しい自分の動かし方を探り終えたようだ。

対して北上は対応策を見出せない。疲れた脳を酷使して探り続けてはいるものの、未知の強敵に対して有効な手段など見つかるわけがなかった。

「……おいおいおい、死ぬわアタシ」

――まさかこんな一手があるとは思っていなかった。

北上は思った。

詰んだかもしれない、と。




ガバ自白。
魚雷の射程って短いんですね。長いと思ってました。
まぁそれは現実の魚雷の話ですし、この作中の艦娘・深海棲艦の魚雷は射程が長いと思ってください。
あと距離関係、わりとガバガバです。
人の目の高さだと水平線って4~5kmぐらいの距離なんですって。
でもそうすると今やってる話的にアイアンボトムサウンドが狭すぎることになってしまいます。そもそも大口径主砲の射程って具体的に何kmだよって言われたら、こう答えるしかありません。
「私にも分からん」
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