悪いひとたち ~南方深海泊地へようこそ!~   作:シャブモルヒネ

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4-14:鉄底海峡7

海の中は平和の国だった。

光は無く、音も無く。熱も無ければ、振動も無い。時の止まった場所。

争いなど、起きようはずもなく。

そんな無人の空間をかき乱すように、ひたすら進む。不変の海はただ重く、泳ぐ手足に抗うようにぶつかってくる。それは時には海流となって新貝たちを押し流そうとした。

気を抜くとのけ反ってしまいそうになる。

新貝は身体を丸めて停滞に抗った。そうすると、腰にしがみついて泳いでいるイムヤと目が合った。

今こうして進むことができているのは彼女のおかげだ。

あの戦場を脱してから、まだ一分も経っていない。

置き去りにしてしまった清霜と雲龍が気がかりだった。始めはイムヤの手を振りほどこうと思ったが、そうして戻ったところで足手まといにしかならない。

イムヤだって本心では逃げたくなんてなかったはずだ。本当なら仲間を守るために戦いたかっただろう。そうしなかったのは全て新貝を助けるため。それぐらいは新貝も分かっていた。

新貝は、この期に及んで「どうして俺なんかのために」と卑下するのを止めた。皆が命を懸けている。それを貶めるような真似をしてはならない。役に立つことができないとしても、せめて邪魔だけはしてはならない。

(だが逃げてどうする……そこから先に俺にできることはあるのか?)

一度態勢を整えてから、救助に戻る。あるいは反撃に転じる。

それが撤退戦の次手としては妥当な道だろう。

しかし、そもそもこの一戦で皆が死んでしまったら救助も何もあったものではない。

次の機会なんてありはしない。

(いいや、違う! 悲観的になるな!)

諦めてはならない。可能性はゼロではないのだ。置いてきた仲間たちが運良く包囲網から逃れられる可能性はきっとある。

(せめて一人だけでも……)

拳を強く握りしめる。

それは都合の良い妄想かもしれないが、今は信じて生き延びるしか道は無い。もしも自分まで死んでしまったら身を挺した仲間たちの覚悟が無駄になる。きっと大井はため息をついて首を振り、清霜だって呆れるだろう。そうさせないためにも今はこの状況を切り抜けねばならない。

口元から二酸化炭素を吐き出して、前方をしかと見据えた。

深夜の海中は、まったくの闇。

海上に居たときよりも周りが見えない。底は果てしなく抜けていて、魚は一匹も現れない。虚無の空間。ただ水を掻き分ける重さだけが皮膚に伝わった。

――こんなに薄ら寒い場所がこの地球上に在ったのか。

新貝は知らず、イムヤを強く抱き留めた。

(そろそろ、息が……)

肺が苦しい。全身が酸素を欲している。

それを察したイムヤが上昇を始めた。海面を目指す。

その顔は険しかった。

できることならばずっと海中に居たかったはずである。

何故ならば、海の上は戦場だからだ。

「――ぷはっ! はあっ、はあっ……うっ!?」

勢いよく飛び出た先は、深海棲艦の群れのど真ん中。

驚いている暇なんてない。殺戮の獣たちが一斉に首を巡らせて、そのギラついた眼が熱を帯びると同時に弾が飛ぶ。

「うおっ!」

耳のすぐ傍を風切り音が通り抜けた。

即座に再潜航。イムヤはありったけの速度で直下に進む。そして再び先へと進もうとして……その身体が強張った。

目の前にぼんやりと、円柱状の物体。

爆雷。

(間に合わ――)

咄嗟に身を捩って離れようとするイムヤ。その小さな身体に新貝は覆いかぶさった。

直後、炸裂。

(っ!)

全身の深部まで圧が走る。柔道で受け身をとれなかったときの衝撃を何倍にもしたようなエネルギー。思考が一瞬飛ぶ。

(……ぐうぅ)

かろうじて、酸素は吐き出さずに済んだ。

心配そうに見上げてくるイムヤ。

新貝は頷いて見せた。大丈夫だ、と安心させるために。

その背中を見せるわけにはいかなかった。

どうなったかは自分でも分からない。痛みこそまだ無いが、無傷でないことだけは分かる。痺れるような、もっといえば爆雷の衝撃がずっと残っているような感覚がある。

確実に負傷している。

平静を保とうとしていると、イムヤがぎょっとして新貝の向こう側を凝視した。

つられて新貝も首だけで上を見る。

ゴォーン、ゴォーンと伸びきった音とともに、爆雷が雨のように降ってきた。

(や、やばい……!)

イムヤは新貝を抱え直して大きく旋回。爆雷の隙間を見つけ、イルカのように泡を立てながらくぐり抜けていく。

炸裂の衝撃を避けて、時にはその身で受けながら、ひたすらに東へと進んだ。

この地獄のような戦場から脱出して安全な場所へと逃げるため。

今は祈ることしかできない。

――大井、北上、清霜、雲龍よ。どうか生き残ってくれ、と。

 

 

キリシマは限界だった。

荒れた呼吸が整わない。膝は震え、気を抜けばへたり込んでしまいそうだ。弾丸が食い込んだ左目はとうに感覚が無くなって、腹部は機関が露出してカァンカァンと不吉な擦過音を立てている。

何よりも、弾がもう残っていない。

それは随伴艦の仲間たちも同様で、もはや撤退戦すらできない有様だ。ここからは一目散に逃げることしかできない。そこで新手に進路を塞がれたら万事休すだ。

「おい、逃げるぞ! 今しか、ない……!」

その場の全員に呼びかける。

自分の腕の中で意識を失っているのはヲ級改――雲龍だ。

彼女の決死の攻撃のおかげで敵は残り三人にまで減った。

連中は揺らめく炎に包まれて、今だけはこちらを見失っている。

だから逃げ出す好機は今しかない。

そんなことは目の前で主砲を構えているレ級――清霜だって分かっているはずなのに、彼女はその時間をあろうことか攻撃に使った。

四つん這いに近い姿勢のまま敵影に接近し、砲撃。炎中の二人を撃破した。

「あいつ……!」

蛮行以外の何ものでもない。離れるどころか近づくなんて。

そんなことをしてしまうから、残り時間がゼロになる。

「……ドイツモ、コイツモ、役立タズ……」

敵の最後の一人が、炎の壁を悠々と踏み越える。

巨大な人影――南方棲戦姫が姿を現した。

その威容は、姫級であることを差し引いても異常だった。艤装が大きすぎる。左右それぞれの腕だけで胴体の二倍は厚みがある。更には、背から伸びたアームと主砲群、これがもう規格外すぎた。凄戦姫の身体と比べるのも馬鹿らしい。例えるならば大きさは乗用車と同程度。重さはどう低く見積もってもトン単位。

それを女の身体で自在に使いこなすのだから姫級という存在は恐ろしい。

見た目がスレンダーな女であろうと騙されてはいけない。その中身は艦娘やただの深海棲艦とは比較にならないからだ。人と熊。サメとシャチ。あるいはそれ以上の差かもしれない。

――そのことを、あの少女は理解しているのだろうか?

清霜は堂々と対峙している。

彼我の距離はおよそ五メートル。

近すぎる。もう逃げることはできない。

戦うしかない。

死骸が燃える音だけがパチパチと音を立てていた。炎に照らされて一つの空間が浮かび上がる。そこは円形闘技場。勝敗を決めるための決戦場。

そこに清霜は、自ら足を踏み入れた。

「……逃げるぞ」

キリシマは、清霜を諦めた。

彼女の横顔に壮絶な決意を見たからだ。

アレはもう止められない。戦うことしか頭にない。旧第三戦隊と同じ顔だった。その手を引いて説得しようものなら、容赦なく砲撃されるだろう。

キリシマは随伴艦に撤退の指示を出し、痛みに耐えながら雲龍を抱え直した。

腹に大穴を開けられた空母。彼女が入渠施設も無しに助かるかは分からない。けれど、見捨てるのも忍びなかった。それに……どうせ無茶な逃走劇ならもう一つぐらい無理を重ねても成功率は変わらないだろう。

(姉なら甘いと呆れるだろうか?)

キリシマは頭を振って思考を切り替えた。今の旗艦はこの自分。亡き姉ではない。自分で決めて、自分で進むしかない。

顔を上げて、戦いに魅入られた少女を目に焼きつけた。

右手を水平にあげて肘を曲げ、人差し指を額にあてる。敬礼の動作。

「来世で、また会おう」

背を向けた。

別れの言葉だった。

 

 

前進である。

断固、前進である。

それ以外の選択肢はない。

勝利は進んだ先にしかないのだから。

清霜は、もう足踏みをするのはまっぴらだった。勝つ。そのためだけに海の底から舞い戻った。自分は役に立つのだと証明するために。何よりも自身が納得するために。

正面には南方棲戦姫。

随伴艦のタ級たちを沈められ、それでも生き残れたのはきっと装甲の厚さだけが理由じゃない。位置取り、回避技術……それらが他のタ級たちよりも優れていたからだ。

信じがたいことに練度が高い。

実際に戦って、その航行技術を見ていた清霜は確信した。

こいつは既に素人ではない。

「……艦娘一人ヲ、育テルノニ……ドレダケノ金ト時間ガ、カカルト思ウ?」

黒髑髏がゆっくりと腕を伸ばす。棲戦姫の首の後ろをぐるりと巡らせて、その頬をぺちぺちと叩いた。意思の無いがらんどうの戦艦娘――その前世を示唆するように。

「タダノ軍人ヨリモ、コストガカカル。ナノニ、見合ッタ成果ヲ出セナイ連中ガイル。……コレハ一体、ドウイウコトダ?」

ぎろり、と黒髑髏が清霜を睨んだ。

黒井成一。

元提督で、現在は深海棲艦。

どちらの時代も変わらぬ邪悪が言葉を紡ぐ。

「元人間ノ私ガ、タッタ半月デ習得デキルヨウナコトガ……ドウシテ貴様ラハ、デキナイノダ? 貴様ラニ投ジタコストハ、莫大ダ。モシモ他ニアテガッテイレバ、多クノ者ガ救ワレタダロウ。ナノニ、貴様ラハ、成セズニ、ノウノウト……シカモ、死ンダラ死ンダデ、敵ニナル……ナァ、教エテクレヨ? 貴様ラ無能ハ、何ノ為ニ存在スルノダ?」

「五月蠅い、喚くな」

聞く価値なんて一片も無い。

――もう戦うしかないのに、何故喋る? 相容れないからこそ戦うのに、そんなことも分からないのか――いいや、もういい。それこそ無駄な考えだ。

清霜の目が、うっすらと青く輝く。

「今すぐ黙らせてやる」

戦艦レ級、その尾が大きく膨らんで、根元から先端へと収縮を始めた。蠕動し、唸りを上げながら弾丸を送り込む。自慢の16inch三連装砲が殺意を帯びる。

装填、完了。

標的までの距離は五メートル。

必中の距離である。

ならば撃つしかないだろう。開戦の合図なんて必要無い。生まれる前から始まっている。故に清霜は一切の躊躇無く、爆音とともに莫大なエネルギーを吐き出した。

避けられるはずのない距離――しかし。

南方棲戦姫の右半身側、そこに装着された全ての主砲群が明後日の方向へと火を噴いた。その反動で棲戦姫の細身の身体は瞬間的に左方向へと位置がずれる。

「!?」

弾かれたようにのけ反った棲戦姫。

清霜の弾は彼女の髪束を刈りとるだけで役目を終えた。

身体には命中せず。

回避された。

「コノ程度ノ、コトヲナァ――」

棲戦姫は傾いた勢いそのままに背中のアームを伸ばして海面に引っかけた。抵抗が生まれ、僅かな反動を得て態勢を持ち直し、更にはそのまま後方に砲撃することで前方への推進力を獲得。更にはこれに主機の急速稼働のエネルギーを加算することで、ロケットのような加速を実現させた。

「ドウシテ貴様ラハ、デキナイノダ!?」

超重量が清霜に突進する。

五メートルは一息で潰された。

上体が逸りかえった先には右拳が握られていた。

――受けたら終わる。

剛腕旋風。

「っ!」

放たれた右の直突き、その脇下を清霜はかろうじて潜り抜けた。

大気に焦げ跡が刻まれる。

カスった額の皮がもっていかれた。

反撃――できない。相手は体軸がぶれてない、これは牽制、次打がくる。目の前で棲戦姫の腰が回転し、

(拳!? 蹴り!?)

分からない。清霜は左の打ち降ろしに賭けた。その支点となるはずの左肩に向けて全力で蹴りを放つ。

命中。

正解だ。

足の裏で肩を抑えた……にも関わらず、止まらない。強引に押し切られて後方に飛ばされる。レ級の脚力をも意にも介さない。まるでショベルカー。

(なんてパワー……!)

海面に足が着くと同時に副砲を何発も撃ち込んだ。

が、棲戦姫は意に介さない。全ての弾を受けながら悠々と砲撃態勢へと移る。

副砲なんて撃つべきではなかった、と気付いたときには遅かった。棲戦姫は左腕も右腕も振りかぶっている。連撃の準備、もう終わる。

連撃が始まる。

清霜はまだ速力区分を切り替えたばかりなのに。

戦艦は重い。速度が乗るまで時間がかかる。そこに連撃がきたら避けられない。

(加速! もっと加速を! 一気に全速力まで!)

そんな反則技なんて知らない――否、さっき見た、知っていた。

清霜はとっさに尾を両腕で抱えて右方へ砲撃。

反動を敢えて抑えずによろめいて初速を得る。加速し始めたところで敵の初撃が衣服を破る。足の艤装と砲撃でひたすら加速していると二撃目が副砲の先端を消し飛ばす。三撃目からは、転倒すれすれにまで身を投げ出すことで逃れることができた。

棲戦姫は両の拳をシャドーボクシングのように交互に打ちながら弾を放ち続ける。

一撃、二撃、三撃、四撃、五、六、七、八――!

秒単位で即死が飛んでくる。それらを必死に避ける。尾の遠心力と慣性を利用して、ときには砲撃の反動を使いながら。

ただチャンスを待った。

連撃なんて長くは続かない。装填が必要になったときこそ最大の好機。尾先の16inchをブチこんでやる瞬間を夢想する。

頭の隅で、誰かがゆっくりと頭をもたげた。怨嗟を零し、吠え立てる。

――ぶっ殺してやる。

――誰が無能だ、好き勝手言いやがって。

――そうやって見限った相手がどこまで強くなったかを思い知らせてやる。

(そうだ、こいつが全部悪いんだ!)

見捨てられた私たち。その主張に忌避感は一つも無い。完全に同期した。血潮が巡る。胸が高鳴る。全ての私が殺せと叫ぶ。

そしてついに、棲戦姫の連撃が止まった。

チャンスに殺意が膨張する。

清霜は限界まで加速する。古今東西、足で劣る船に勝ちは無い。急カーブを描きながら棲戦姫の側面に回り込み、尾の口だけを敵に向け、すれ違いざまに主砲を放つ。

「食らえ!」

砲弾は甲高く空気を切り裂いた。

 

キュゥィイイ――ドガアッ!

 

南方棲戦姫の胸部へと命中。

勝機到来。

よろけた棲戦姫の周りを駆けながら、ありったけの砲弾を用意する。

一撃、二撃、三撃――お返しとばかりに爆炎を咲かせてみせる。

しかしその最中に反撃が飛んできた。

ズバン。

灼熱と激痛。

左腕の肘から先が吹っ飛んだ。

――だからなんだ、これしきのこと!

悲鳴をあげるよりもやるべきことがある。

態勢を整えながら距離を取り、弾を装填し直していると――棲戦姫が併走してきた。

速い。もう速度に乗ったのか。

睨みつけて、気付く。よく見ると左あばらのところにヒビが入っている。他に傷は見当たらない。

16inchを四発も直撃させたのに。

ヒビが一本、入っただけ。

「あはっ」

これでいい!――清霜は歓喜した。

(私は今、渦中に居る!)

待ち望んだ決戦の中にいるという実感。

――こうでなくては。これこそ試練に相応しい。

敵は姫級。火力も装甲も段違い。そして練度もかなり高い。だったら自分の強みはなんだ? この敵よりも優れている点は?

その答えを、清霜は“小回り”と定めた。

相手はデカい。そして重い。例え馬力があってトップスピードがあろうとも方向転換は不得手だろう。ならば機動力で翻弄する。右に左に進路を切り替えて、相手の背後へと回り込む。

そのために清霜は敢えて近づいた。

近いほど相手は旋回が間に合わない。

(撃ってみろ……その時にお前の足は止まる。滅多打ちだ!)

棲戦姫は動じなかった。

主砲は使わず、魚雷をダースで扇状に放ってくる。清霜の進路上への先撃ちだ。

――魚雷!?

これでは足が使えない。まさか読まれて先手をうたれたのか……その焦りを抑え込む。だったらこちらも同じことをすればいい。

清霜も魚雷をばら撒いた。

しかし遅れたせいで清霜のほうが不利だ。先に進路が制限される。

相手がそこを狙い撃つつもりなのは分かっていた。

だから副砲で対処する。敵の魚雷に連射して、次々と誘爆させていく。

しかし、全てとはいかなかった。

二本すり抜けた。

これに怖気づいているようでは主砲を食らう。

魚雷には意識を割かないと決意した。あくまで敵本体を凝視して、クソ度胸で敵主砲を避けてみせる。

同時に、敵の魚雷が足元を通り抜けていく。その最接近距離はおよそ三十センチ。

これが磁気信管だったら終わっていた。危ない賭けだった。

しかし、その逆境を乗り越えた見返りは大きい。

立場が逆転した。今度は敵が魚雷の試練に挑む番である。

しかも、これはただの試練ではない。先程の清霜よりもずっと重い試練だ。何故なら南方棲戦姫は副砲を持っていないから。機銃も無い。あるのは重く、隙のある大型主砲だけ。

そんなもので迎撃した日には、清霜の16inchが黙っていない。

(さぁ、どうする!?)

清霜が狙いをつけていると……棲戦姫は右の掌を上に向けた。

黒い何かが飛び出した。

艦上戦闘機。

平べったいステルス戦闘機のようなものが次々と沸いている。沸き続けている。

――空母か、こいつ。

そう悪態をつきたくなるほどの数だった。それらはブォンブォンと渦を巻き、あっという間に棲戦姫の頭上を埋め尽くす。まるでイナゴの竜巻。それらがうねうねと一つの生き物のように渦をくねらせて、傾いたと思ったときには一斉に飛び出してきた。

清霜に向けて機体ごとぶつかってくる。

大した被害にはならない。しかし途切れない。運動に支障がでる。視界も遮られた。敵が見えない。主砲の照準を合わせられない。

「くっ」

このチャンスを逃すわけにはいかなかった。

全身にまとわりつく艦戦を無視して一点集中。黒い暴風雨の隙間から敵の姿を捉えた。主砲の狙いをつけ直す。

清霜の魚雷が敵に到達する瞬間だった。

(間に合った!)

敵は魚雷を避ける――と思っていた。

しかし棲戦姫は片足を上げて、邪魔だとばかりに魚雷を踏み潰す。

「なっ!?」

棲戦姫が水柱に包まれる。

また姿が見えなくなった。

慌てて弾を撃った。考えている場合ではない、敵が魚雷を受けたなら、その衝撃で動きが止まるはず。そこに砲弾を刺せるだけ刺そうと撃ち込んだ。

水柱はすぐに収まって……しかし、そこには誰もいなかった。

ぞっとした。

あの巨体が消えていた。この程度で沈むはずがない。なのに一体どこへ?

顔にまとわりつく艦戦の群れを振り払う。こんなことをしている場合じゃないと焦りながらも視界を確保して、右に左に視線を巡らせた。

それでも見つからない。

頭が真っ白になりかけたとき、すぐ後ろから声がした。

「――ソノ眼ガ、気ニ入ラナイ」

爆裂音と衝撃。

被弾した。

「――っ!?」

振り向きながら裏拳を放とうとして――腰を回すことができなかった。

腹筋に力が入らない。半身だけ振り返ろうとして、できない。

見た。

自身の左脇腹が無くなっていた。

棲戦姫の腕がずるりと伸びて、清霜の首を捕まえた。

「か、はっ!」

足が浮く。

棲戦姫の指がぎりぎりと締まる。反射的にその指をこじ開けようと右手で抗ったがびくともしない。万力のように硬い。

「『信ジテイレバ、願イハ叶ウ』……ソンナ眼ダ。同ジヨウナ眼ヲシタ奴ガ、何人モイタ。全員、負ケ犬ダッタ。……ドウシテカ分カルカ? ソレハナ、思考停止ノ眼ダカラダヨ」

棲戦姫は更に清霜を持ち上げた。

足が宙を泳ぐ。海面にかすりもしない。かつて清霜が霞にしたように片腕で浮かされている。

抜け出すことができない。

「……安易ナ解決法ヲ、弱者ハ欲シガル。『コウシテイレバ、大丈夫』ト、安心スルタメニ。成功者ノ真似サエスレバ、自身モ成功ガ約束サレルハズダト、作業ニ甘ンジヨウトスル……」

足掻いても意味はなく、横腹の穴からはどくどくと生命力が零れ落ちていく。

清霜は歯を食いしばって敵を睨みつける。

「愚カ、デシカナイ」

黒髑髏は憎悪を浮かばせる。

その爪を、棲戦姫の肩にめり込ませ、顎をカタカタと震わせた。

「負ケルタメニ戦ウ奴ナンテ、イハシナイ。誰モガ勝トイウトシテイル。……モシモ願エバ叶ウトイウノナラ、全員ガ勝者ニ、ナルダロウ。シカシ、ソンナコトニハ、当然ナラナイ……。ソレガ現実ダ。必ズ、誰カガ、負ケルノダ。……ダカラ、勝者ハ、努力スル。周リカラ少シデモ抜キン出ルタメニ。泥ヲ啜ッテ、石ニ齧リツイテマデ……」

――こいつ、は。

清霜の心を、折ろうとしている。

さっき四発の砲撃を受けたのも、魚雷をわざと踏み抜いたのも……こうして嫌味を言うためだ。お前の攻撃など何一つ通じはしないのだと、知らしめるためにわざとやっている。

舐めている。

馬鹿にしている。

見下している。

「ソレニ比ベテ、貴様ラハ何ダ? エエ? 今コノ戦イニ至ルマデ、一体何ヲシタ? 哨戒モ碌ニ出サナイデ、敵ガ来タラ余所者ニ頼リキリ、手ニ負エナクナッタラ逃ゲ出シテ……。恥ズカシクハ、ナイノカネ? ソンナノハ生キテイルトハ、言ワナイ。死ンデナイダケダ」

「黙……れ!」

首を掴む腕を殴りつける。

へし折れるはずだ。この腕がル級やタ級のものならば。しかし姫級の肉体は強靭でびくともしない。

――どうする? どうすればいい?

「……負ケ犬ハ、努力ハシタト、決マッテ言ウ……シカシ、本当ニソウカ? 本当ニ? 誰ヨリモ効率ヲ求メタカ? 時間ヲ費ヤシタカ? ……ダッタラ、成果ニ、出ルハズダ。ソウナラナイト、イウコトハ……足リンノダヨ。他者ヨリモ、努力ガ劣ッテイル。『コレダケヤレバ、イイダロウ』デシカナイ。結果ヲ出セネバ意味ガ無イノニ、自己満足デ止メテイル……」

黒髑髏の人差し指が、ぴたりと清霜の眉間を指した。

「ソレガ、無能ノ正体ダ。ソシテ、改メテ聞コウ……貴様ラ無能ハ、何ノ為ニ存在スル?」

弱肉強食。その生存競争から転げ落ちた者は消えなければならない。そう言わんばかりに、棲戦姫の指が更に締まる。

清霜の気道が完全に圧し潰された。

呼吸が止まる。意識が遠のく。

ぼやけていく視界の中で、清霜の心は猛烈に反発していた。

こんな奴に負けてなるものか、と。

 

 

……それは、走馬灯だったのかもしれない。

いつ頃の話だったか、すぐには思い出せない。

あれはそう、ブイン基地の駆逐隊と演習をした……その後の話だ。

霞がいて、朝霜がいた。

演習相手はまだ着任してから日も浅くて、だから勝って当たり前の試合。けれど自分が狙われて、そこを起点に主導権を奪われて……負けてしまった。

だけど仲間たちは一言も責めなくて、全員の責任だと言わんばかりに「次は頑張ろう」と締めくくった。だから清霜もなんにも言えなくて、作り笑いでその場を去って。朝霜と一緒にシャワーを浴びて、霞とお昼ご飯を食べて、空き時間になったからいつも通り勉強しようと教本を手にして自習室に向かった。そうしたら曲がり角で朝霜と霞の声がして、何故だか自分でも分からないけど隠れてしまった。はっきりと覚えている。あの時、彼女たちはこんなことを言っていた。

「あー、また出撃かよー」

「愚痴愚痴言わないの!」

「んだよー、霞だって疲れてンだろ? 演習のすぐ後に出撃なんてさ、少しは休ませてほしいぜ。もう五日連続だろ」

「そんなこと言ったって、代わりの駆逐艦娘も少ないんだからしょうがないじゃない」

「えー、でもよぅ……」

朝霜と霞は遠く去っていく。清霜に気付いた様子はない。

清霜はその間、ずっと壁際に隠れていた。

案山子のように突っ立っていた。

だって他にやることがなかったんだから仕方ない。

清霜はいつもそうだった。いつも午後は暇だった。

朝霜と霞は、暇じゃない。いつでも仕事で忙しい。

ずきん、と。

胸が抉られたかのように痛んだ。

今まで見ないようにしていた問題を、鋭いノミで浮き彫りにされたような気がした。

自分だけが取り残されたように感じた。この世界にはもう誰も残っていなくて、自分独りだけが同じところでぐるぐると走り回っているように思えた。

本当は誰も自分のことなんて見ていないんじゃないかって、皆から忘れ去られていく途中なんじゃないかって。そんな焦燥感で吐きそうになった。

一緒についていけないと駄目なのに、そのための足が無い者はどうしたらいいのだろう?

夕雲型の制服をぎゅっと掻きむしり、狭い部屋に居るのが気持ち悪くて飛び出して、けれど誰にも顔を見られたくなくて、意味の分からない嗚咽が漏れだす前に一人になろうと裏庭に逃げ出した。

そこに司令官が居た。

雑草が伸び放題の裏庭で、死んだ魚のような目でベンチに座っていた。銜えた煙草の煙だけが揺らめいていて、当人はそれこそ死体のように微動だにしなかった。涙と鼻水にまみれた清霜を見つけても顔色一つ変えないで、ただ隣を指して「座れ」とだけ言った。

……そこから、何をどう話したのか、記憶はしばらく抜けているけれど。司令官は否定も肯定もしなくって、相槌すらしてくれなかったのを覚えている。

この人はちゃんと聞いているのだろうか? そう疑問に思い、少しだけ腹が立ち、気がつけば「そういえばこの人はどうしてこんな抜け殻みたいになってるんだろう?」と気にする余裕が生まれていた。

――徹夜明け?

そうかもしれない。

そうじゃないかもしれない。

どちらにせよ、普通はここまでの有様にはならない。だったら何か大変なことでもあったのかもしれない。それが何かは、清霜には知る由もないけれど……何となく、察することができた。

――ああ、そうか。とうとう心が折れたんだ。

当時の新貝貞二は着任したてで、毎日のように大淀にしごかれていた。負けん気だけでなんとか食らいついていた。徹夜明けで活力ゼロになることもあったけど、目だけは死んでいなかった。

けれど今は違う。前向きな様子がまるで無い。

今は昼。午後の業務が始まる時間で、本来ならば喫煙にふけっている余裕はないはずだ。なのにそうしているということは、もう業務が滞ろうと、大淀に怒られようと、知ったことではないと投げ出したということだ。死んだ魚の目でどうにでもなぁれと真っ白になっている。

新貝貞二はこの日この時にポッキリ折れた。……それを、この時の清霜は察することができた。

だって自分もそうなるところだったから。

そっかぁ、としか言いようがない。

自分だって大変なんだから他人を気遣ってなんていられない。けれど、自分よりも先に駄目になった人を見ていたら、何故だか気持ちが楽になった。見栄を張らなくても大丈夫だと思った。どうせならこの先達に感想でも聞いてみようかなぁと、そんな気持ちになれていた。

「……私、向いてないのかなぁ」

と、何も考えずに零してみた。

そうしたら、気遣いの無い言葉が返ってきた。

「知らねーよ」

司令官として言っていい言葉ではないと思った。

「辞めたきゃ辞めろ。人生、いくらでも道はあるだろう」

「……うわぁ、すごいこと言うね」

「ほんとのことだろ。自分のことは自分でしか助けられねえんだ。無理したって仕方ない」

「そういうものかなぁ?」

「ほら、アレだよ。一昔前に世間で流行ったろ? 頑張らなくったっていい、自分を大切にしよう……みたいなやつがさ」

「あー、あったけどさぁ」

「俺はな、『できることを全部やって、最後まで諦めなければできないことはない』なんて言葉を信じていたんだ。アホでしかない。騙されたんだ、俺は……」

「なにそれ? いい言葉じゃない?」

「んなわけあるか。いいか、この言葉はな、自己啓発セミナーじみたクソみたいな研修で、二時間も立ちっぱなしで聞かされた、ありがたーい金言なんだよ。何が悲しいのか当時の俺は、やる気さえあれば何でもできると思ってた。それが見ろ、こんなまじない以下の戯言を信じたばっかりにこんな南半球の端っこまで飛ばされちまった。これをアホと言わずになんという?」

「……それで? もう信じてないんならどうするの?」

「提督なんて辞めてやるよ」

「え」

「向いてねえんだよ。……お前だって分かるだろ? 俺にゃあ能力も適正も無いし、立派な志があるわけでもない。なぁんで俺はココに居るんだ、って毎日二十回は思ってる」

「そ、そうなんだ」

「けど、なぁ……」

「けど?」

「……俺と同じように、向いてないって自分で分かってる奴がいるんだよ。そいつは俺よりずっと年下なのに歯を食いしばって頑張っててなぁ。そういうのを見せられると、大人の俺が先に根をあげるわけにはいかなくなるんだよ」

「……なにそれ。誰のこと?」

「お前のことだよ」

「……じゃあ、なに? 私が辞めたら、司令官も辞めるってこと?」

「おお、辞めるとも。というかな、今日の終わりに辞表を出そうと思っていた。偉い奴が来るからな。なのに、お前に会ったせいで台無しになった。つまんねえ意地を思い出しちまった」

そう言って、懐から封筒を取り出した。辞表だろうか――びりびりと破く。地面にぱらぱらと撒いて……誰が掃除すると思っているんだろう。きっと何も考えていないに違いない。

「……じゃあ、私もそうしよ。司令官が辞めたら、私も辞める」

「はぁ? 俺の方が先に辞めるって言いたいのか?」

「そうよ。だって司令官って根性ないじゃない? 自分で言ったことも守らないって有名よ。きっとすぐに辞めちゃうんだから、それまでぐらいなら私だって頑張れるよ」

「なにぃ? 生意気言うじゃないか」

「そしたら私は司令官よりは頑張ったってことよね。私の勝ち。それなら踏ん切りつけられるかも」

「馬鹿言ってんじゃない。俺が先に辞めるわけないだろ?」

「ほんとかなぁ~?」

「見てろよお前、大人の意地を見せてやるからな」

「大人はそんなくだらないことで競わないと思う」

「うっせえ!」

……結局。その辞める辞める詐欺は、ずっと成立しなかった。つまらない意地の張り合いで、互いに土俵際ぎりぎりで粘り続けることができた。

相手はまだ辞めてないのだから、自分も今日だけは頑張ろうって。

それは約束ですらない、冗談みたいなもので、傷の舐め合いなのかもしれないけれど……それでもあのやり取りがなかったら、とっくに諦めていたと清霜は思うのだ。

 

 

だから。

清霜は、司令官より先に逝くわけにはいかないと思い出す。

(私の、負けに、なっちゃうでしょ……!)

意識はある。手も動く。

ならばまだ終わってない。

清霜は、死んでもいいと思っていた。勝つためならこの命は惜しくないと。しかし、それでは意味が無かった。この命は自分だけのものじゃない。

黒井は、清霜たちを無能というけれど、本当に無能なのかもしれないけれど……それでも無価値なわけじゃない。

南方棲戦姫の指は、こじ開けられない。

素早く視線を周囲に走らせる。何かあるはずだ。生き延びるためのチャンスが。

その焦点は一ヵ所に留められた。

棲戦姫の左あばら。

その装甲にヒビが入っている。

「ぐ……ぎぎぎ!」

歯を食いしばる。

攻撃だ。攻撃しかない。それであの装甲を抜けるかは分からない。四発当てても駄目だったのに、五発目で壊せる保証がどこにある? 相手は姫級、まごうことなきモンスター。ただのレ級が気合や根性だけで倒せる相手ではない。

けれど、そんなことは関係ない。

(やるしかないならやるだけよ!)

諦めることだけはしないとずっと昔から決めていた。

左腕を振りかぶる。肘から先の無い左腕。その断面から、血と油の混合液を飛び散らす。

「ウッ!?」

黒髑髏の目にかけた。目潰しだ。

棲戦姫の方の目にはかけていない。もしもそっちの目も見えているなら無駄な行動になる。けれど知ったことではない。できないことまで考えていられない。

尾を持ち上げた。存在しない左脇腹の幻痛を噛み潰す。狙いは棲戦姫のあばらのヒビ。弾はもう入ってる、あとは狙いをつけるだけ。なのに、砲門が定まらない。腹筋が片側無いせいで固定できない。

――だったら。

他の方法で固定すればいい。

清霜の尾は、ただの主砲ではない。死人のような白い鮫肌に、夜闇のような真っ黒の艤装を身につけて――尾の先端にはずらりと牙が並んでいる。

それで思い切り敵のあばらに噛みついた。

「グァッ!」

固定、完了。

16inch三連装砲が唸りを上げる。戦艦レ級のもてる最大火力、それが棲戦姫のヒビに密着し、一斉に火を噴く直前で、

潰された。

「――あぐぅ!」

棲戦姫の左腕が、尾の真ん中を貫いている。

痛みが脊髄を駆け上る。

尾が死んだ。

固定していた牙が抜け、力無く垂れ下がる。

主砲と副砲と魚雷を撃てる部位が破壊された。装備が軒並み無くなった。

「……あ、あ」

もう武器が、無い。

脳裏に仲間たちの顔が浮かんだ。その中から北上の顔が現れて、かつてガ島の浜辺でしてくれたアドバイスを繰り返す。

 

――例えジリ貧な状況に追い込まれても、一か八かはやっちゃだめ。そういうのをやっていいのは、それが失敗したときのフォローができる公算が立ってから。

 

つまり、そういうことだ。

一か八かがバレたのだ。

黒井は、清霜の博打を知っていた。悪あがきをするだろうと油断せずに潰してのけた。

そうなることは分かっていた。

分かったうえでやったのだ。

清霜は右拳を強く握りしめる。

黒井なら、これぐらいはやってのけると分かっていた。だから覚悟を決めていた。尾骨をブチ抜かれる覚悟を。その痛みに耐えて、拳を振りかぶる覚悟を。

南方棲戦姫。

その右手は、清霜の首を掴んでいて。

その左手は、尾を貫いたばかり。

彼女の両手は塞がっていて――清霜の右ストレートを防げない。

「私はねえ……!」

戦艦レ級の持つ二つのボイラーが燃え盛り、稼動限界の120%を超える。

命の炎を浴びたタービンが全エネルギーを腕へと注ぐ。

二十一万馬力の拳が軋む。

「――っ!?」

黒髑髏が、驚愕に歪んだ。

まだ諦めないとは思わなかった――そんな誤算が死を招く。

「あなたにねえ……!」

――この男は、私に問うた。

清霜が、新貝が、多くの深海棲艦や艦娘たちが、結果を残せなかった全ての生き物たちが何のために存在するのかと。

だったら教えてやろうじゃないか。

言葉ではなく、この男の大好きな結果とやらで。

弱者にどんな価値があるのかを、この鉄拳に乗せて――

「勝ちに、来たのよっ!」

――貫き通す!




伏線というか、後でまた使おうと思っていたフレーズをばんばんと回収していけるのはとても気持ちのいいものですね。

南方棲戦姫の連撃は艦これアーケードを参考にしています。
やたら近接格闘戦が多いのは『陽炎、抜錨します』の影響です。いや、あの作品はこんなに殴り合っちゃいないけど……。
次世代の続編、出ないかなぁ。
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