悪いひとたち ~南方深海泊地へようこそ!~   作:シャブモルヒネ

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5-6:ガダルカナル島浜辺

『覚悟があればなんでもできる』

そんな言葉は嘘である。

例え人生を懸けようと、その覚悟はただ垂れ流すだけでは結果に結びつかない。

覚悟とは――

しっかりと方向性を定めて、適切な使い方を選択し、効率よく消費しなければ。

強敵を打ち倒す力にはなりえない。

 

 

みしり、と音がした。

自身の腰椎が軋む音を、黒井は確かに聞いた。

己の横腹を貫いているレ級の腕、その指が、南方棲戦姫の脊髄を壊そうとしている。

その状況を認めるよりも早く、生存本能が悲鳴を上げた。

――引きはがさねば!

反射的に身体が動く。

右腕を振りかぶり、そこでようやく一筋の思考が追いついた。

拳はだめだ、衝撃が己の脊髄にまで響いてしまう。反動無き一撃を。首をズパリと一撃で撥ね飛ばさなければ。

五指を伸ばし、ガチリと固める。

絶死の手刀。

音速を越えて大気を切り裂く。

……が、首には届かなかった。

清霜が左腕をぐるりと回して南方棲戦姫の身体ごと逸らしたからだ。

そのまま彼女は地を蹴って全身でぶつかった。二者が宙に浮く。半壊した壁にぶつかっても止まらない。木屑とともに外に飛び出して、もみ合ったまま地を転がった。

めきり、と腰椎から音がした。

黒井はようやく危機を自覚した。

今、自分は、生と死の狭間にいる!

――ガラクタ風情が……調子に乗るなッ!

以前ゴミのように撃ち殺した負け犬に命を文字通り握られている――その事実は黒井に激怒をもたらした。

飼い犬に手を噛まれる、ではないけれど。人は格下と見下している相手に反逆されたときにこそ残虐性を発揮する。まして黒井にとってこの清霜は処理したはずのゴミ同然。それが勝手に戻ってきて異臭を放つどころか自分を死の病に侵そうとしている。

けして許せるものではない。

が、そんな黒井の激情は一秒で吹き飛んだ。

身体を持ち上げられたときに、見た。

清霜の右腕に真っ黒い魚雷が握られていた。赤い管が浮かび上がっているおぞましい形状。ただのレ級の魚雷ではない。

雷巡棲姫の存在が頭をよぎる。

――こいつ、まさか!

レ級が、その右腕を振りかぶる。

振り下ろす先は。

ありえないことに、この自分。

――このゼロ距離で炸裂すれば二人とも全壊するというのに!

暴挙に、臓腑が縮こまる。

黒井は吠えた。あらゆる見栄を放棄して気合を振り絞る。これを食らえば終わってしまう。

「おおぉぉぉ!」

「アァァァァ!」

遮二無二、左腕を振り抜いた。

けたたましい金属音。

清霜の右腕が弾かれて、魚雷が天高く飛んでいく。

窮地は切り抜けた――が。

悪手だった。

分かってはいた。

そうする以外の道が無かった。

後先を考えずに振り払った黒井の左腕が伸びきって、そこにレ級の尾が口内の主砲を定めていた。

距離、三十センチ。

外してくれるわけがない。

耳を聾する炸裂音。

左手首がへし折れた。逆方向に折れ曲がってヌンチャクのようにぶらりと垂れる。断面からは鉄骨が覗き、すぐに大量の血が噴き出した。

「ぎっ、あ、あ!」

更に、腰椎から。

びきり、と音がした。

反射的に清霜の左腕を掴んだ。無事な方の右腕で。全力を籠める。しかしすぐには解けない。掴んだ箇所にはヒビが走ったが粉砕には至らず。これ以上食い込まないように固定するだけで精一杯。

鉄をも潰す、超圧縮。

ぎりりぎりりと鋼鉄が軋む音が二つする。

先に壊れるのは、南方棲戦姫の脊髄か、それとも清霜の左腕か。

そんなチキンレースに乗るわけにはいかない。だが今更離すこともできない。また支点一つで振り回されれば負荷に耐えきれずに竜骨が破折する。

「う、ぬ、ぬぐ……」

歯軋りとともに口角から血の泡を噴き出した。

その巨体を持ち上げて、返り血まみれの清霜はブルドーザーのように発進し始める。

「ラアアァァァ!」

足が浮く。ロケットのような推進力。自由が利かない。

巨木に激突し、尚も止まらなかった。障害物を発泡スチロール製のオブジェのようにドカンドカンと何本も轢き壊していく。

「……ぐっ、ぎぎぎ……っ!」

慣性と衝撃に振り回されて、黒井は呻くことしかできない。

 

 

争う二者の姿は、やがて雄叫びとともに林の奥へと消えていった。

「……げほっげほっ」

粉塵収まらぬ執務室から、白髑髏が顔を覗かせた。

新貝貞二。

なんの武装も持たない深海棲艦。

彼にできることはもう無い。後は仲間の勝利を祈るだけ。

「始まっちまったな……」

決戦だった。

清霜が望んだ殴り合い。せめてその結末を見届けるために新貝は壁の大穴から一歩踏み出した。

――と。

カランカラン……と足元で音が鳴る。

見ると、網戸が外れて転がっていた。

「……まぁた壊しやがって」

これで三度目だった。

一度目は清霜の仕業。

二度目は砲台小鬼の仕業。

その度に苦労して直したのは新貝だ。大工仕事ばかりやらされていたように思う。男だからという納得いかない理由で押しつけられていた。一番非力なのは自分なのにと抗議しても誰も聞こうとしなかった。薄情な連中、そして慌ただしい遭難生活。今となっては懐かしい。

「いいさ、何度だって直してやる」

だから、生きて帰ってこい。そう祈る新貝の耳に、轟くような金属音が届いた。

グワワァァーーン……と伸びきった、重い鐘が響くような音。

同時に、視界の先で、林の稜線から先端を覗かせていた管制塔がゆっくりと傾いていった。

「おいおい、流石にあれは直せないぞ……」

それはまるでピサの斜塔のように、僅かに傾いたところで止まった。

あれを元の角度に戻すためには重機を超えた強大なパワーが必要だろう。

「お前にも手伝ってもらうからな……清霜」

 

 

木に激突し、鉄塔に激突し、それでもレ級の足は止まらなかった。

林を抜けて、浜に出た。尚も進んで波打ち際を越えて、とうとう浅瀬に至ったときに黒井は覚悟を決めた。もはや損害を抑えようとしている場合ではない。このままでは押し切られる。致命傷以外は全て捨て置かねばならない。

ドス黒い殺意が湧き上がり……しかし、全ては委ねない。

窮地を自覚した黒井はかえって冷静になった。ここからは何一つ間違えられない。一手ミスれば死が迫る。故に、その優秀な頭脳をフル稼働して最善手を探した。走馬灯に近い高速思考。状況確認。敵の傾向、自分の手札。将棋を詰めるように勝利を目指すためだけの機械と化す。

己を抱えて清霜は走っている。

南方棲戦姫の足は浮いてしまい、好きなように振り回されていて自由が利かない。

これでは攻撃しても上手く当たるかどうか。無駄な一手となりかねない。

ならば。

まずはその足を止めてやろう。

腹に刺さった敵の腕を右手で改めて固定した。そこを支点に左脚で蹴り上げる。

――ドゴォ!

レ級の右腹に直撃。

肋骨が何本も折れる感触。

衝撃で、膝の高さの浅瀬に円状の波が立った。

敵の足が止まる。

ならば次。追撃だ。

唯一自由に動かせる左腕を振りかぶった。

選択肢は二つ。

一つ、肘鉄を頭頂部に振り下ろす。

一つ、折れた手首の先端を鎖骨に叩きつける。

黒井は前者を選択した。肘鉄の方がコンマ数秒速いから。当たりさえすればただのレ級なぞ一撃で終わる。

そう思っていた。

 

 

南方棲戦姫の肘鉄が、清霜の頭頂部に炸裂した。

生身がぶつかったとは思えない金属音。メリメリメリと頭蓋骨が割れるおぞましい音が清霜の耳朶を埋め尽くす。食いしばった前歯が軒並みへし折れた。

「ふんぐ……っ!」

眼を開いているはずなのに視界が暗転、火花がきらめき、平衡感覚が消失。

衝撃で目玉が飛び出てしまったのかもしれない。

この、威力。これが姫級。足が浮いていて、腹筋が片側死んでいる手打ちの一撃で死にかけた。戦慄に値する。

だが。

まだ生きている。

――第二関門突破である。

清霜は内心、莫迦めとほくそ笑んだ。

もしも鎖骨をやられていたら左腕が外れてしまい、距離を取られていた。そうなれば技量に劣る清霜では勝ちの目が無くなっていただろう。

だが、黒井は姫級の腕力を過信し、肘鉄を選んだ。

おかげで清霜が失ったのは視力と平衡感覚だけ。

その程度。

南方棲戦姫の身体を固定して位置が分かっているこの状況においては些事にもならない。

故に、この中破は無傷に等しい。

(一手、得だッ!)

清霜は両脚を大きく開いて重心を落とす。二十八万馬力の右腕が唸りを上げた。

ガ島の近海に甲高い破壊音が轟き渡る。

「ググッ! ギ、ギギッ!」

鳩尾に命中。

今回の貫き手は、盲目の状態で打った不完全な一撃。

指先は、胸骨の下に潜り込むも、阻まれた。

装甲を砕く感触止まり。

つまり損害は軽微。

反撃が来る。

そのタイミングでぼんやりと視界が戻ってきた。どうやら目玉は健在だった。

「……!」

南方棲戦姫を、しかと見た。

膝蹴りが来る。狙いは清霜の右脇腹。既に折れている右肋骨に攻撃を重ねて完全に粉砕しようとしている。

望むところだった。

南方棲戦姫の殺人的な膝蹴りが直撃する。

――バギャッ!

割れた骨が完全に折れ曲がってとうとう内臓へと突き刺さった。

激痛を超えた激痛。

しかし清霜は怯まない。

ただの覚悟では耐えきれなかっただろう。その痛みを知っていたから耐えられた。

知っていたのは艦娘の清霜だ。アバラをイ級に噛み砕かれて沈んだ夕雲型最終艦、駆逐艦清霜だ。彼女の経験が実のある覚悟を用意した。

どのような痛みがどう走るのか? それを精確に想像し、タイミングを合わせて、食らう場所に用意する。そこまでやって、人は初めて耐えることができるようになる。

清霜は前後不覚のまま弾を装填し、砲身を棲戦姫のヒビ割れた鳩尾に捻じ込んだ。

黒井の顔がひきつる。

その思考が手に取るように分かった。

――そんなことしたらッ!

清霜は容赦しなかった。

一式徹甲弾が本領を発揮して、爆裂が女の体内を駆け回った。

棲戦姫の目と鼻と耳の穴が発光し、それでも収まらず爆炎が漏れ出した。

鳩尾がぱっくりと裂ける。女の胸の中央から鮮血のような輝きを放つ炉心が覗く。

「ガッ、アアア、ア!!」

もはや黒井の顔には一片の余裕もない。

――痛いだろう? 骨が何本も臓腑に突き刺さるのは。その痛みをお前は今日まで知らずにいたはずだ。でもな、その激痛。私は知っていたぞ。お前が押しつけてきたんだよ。

悶える棲戦姫の傷口から鉄の機関さえも零れて落ちた。ボチャボチャと。大破をとっくに越えている。黒井も必死だ。背中の艤装を動かしているが、密着する清霜は近過ぎて射角を向けられない。

使えるのは、五体だけ。

左腕は、既に千切れた。

残るは右腕。

しかしこれも清霜の左腕を抑えるために離せない。

苦し紛れに棲戦姫は右手甲から狙いも定めず火を噴いた。16inchの砲弾がいくつも放たれて浅瀬を抉る。

そのうちの一つが清霜の左足を貫く。

「ぐっ!」

バランスが崩れた。

棲戦姫の両足が水面に、そしてその下の砂に着いた。

自重を支える場所が増えた。

その瞬間、待っていたといわんばりに南方棲戦姫が右腕を離した。反撃に転じる。右腕の艤装――怪物の顔を模した艤装が、清霜の顔面めがけて放たれた。

清霜は迷うことなく自身の右腕を艤装の口に突き入れる。

ギロチンの刃が少女の腕に喰らいつく。万力を超える力でレ級eliteの装甲と肉を容易に断ち切って、骨の中ほどにまで達した。清霜の全神経に電流が走る。知らない痛みに身体中の毛穴が開いた。防衛反射の嵐のせいで跳ねる身体をコントロールすることができない。

「ぐぎぎいいい!」

清霜の喉から苦悶が迸る。

しかしその眼は、涙を滲ませながらも闘争心はいささかも衰えない。

身体の肉は、苦痛を受けたとき本能に抗うことはできない。だが骨は。身体の根幹となる骨は。痛みをやり過ごすことができれば反撃を繰り出すカタパルトと化すことができるのだ。

「しゃあああァ!」

尾をぶつけた。お返しとばかりに胸に噛みつく。敵の露出した炉心を歯で挟み、捩じ切るように回転させる。右に左に、何度も、何度も。

「ガアッ!」

――炉心を、噛み千切られる!

黒井は咄嗟に右腕で抑えようとするが、清霜がその艤装の奥の奥まで手を突っ込んでいるせいでどうしても外せない。もはや口内の右腕を先に噛み切るしか自由にする道がない。

……めり、めりり、と。

炉心が悲鳴を上げた。

炉心は、心臓。失えばどんな深海棲艦でも生きていられない。

「ア、ア、アアアッ!」

死が見えた。

このとき黒井は、まさに火事場の馬鹿力を発揮した。リミッターを一息で飛び越える咬合力で獲物を三秒で噛み千切る。

――ブツンッ!

清霜の右腕が落ちる。

これで黒井の右腕はフリーになった。

すかさず炉心を守るために手を伸ばし――

だが、遅すぎた。

――ブチブチブチ……

耳を塞ぎたくなるような断裂音。更に絶叫が重なって。南方棲戦姫の炉心が、引っ張り出された。

ケーブルが千切られて、炉心が海に落とされる。

「……はぁっ!」

「――! ――!」

心の臓を失えば……姫級だろうと死ぬしかない。棲戦姫はがくがくと痙攣し、やがて首をぐったりと横に垂らして、動かなくなった。

呼吸は……していない。

死んでいる。

……絶命していた。

「はっ、はぐっ、う……はぁ、はぁ」

清霜はただ喘ぐ。脂汗を浮かせて憔悴し、呼吸をゆっくりと整える。

敵の死に顔を、確認した。

……酷い顔だった。

顔にある穴の周りが焼け焦げて、鉄の筋繊維が露出して、口からは黒血の涎が垂れ続けている。

「はぁ……はぁ……んぐぅ」

己の身体を確認した。

頭が砕け、歯が折れて、右の肋骨が折れて、左腿に穴が開き、右腕は切断された。

満身創痍とはまさにこのこと。大破以外のなにものでもない。

しかし、敵の胸には大穴が空いている。炉心を抜き取ってやった。

だから勝負はついていた。

ファンファーレが鳴らなくても、称える者が居なくとも。清霜の勝利のはずだった。

「やった……」

――しかし。

黒井はまだ生きていた。

 

 

南方棲戦姫は死んでいる。

首から上だけ、死んでいる。

身体はまだ生きている。

南方棲戦姫の炉心が消えようと、黒井の炉心が生きていた。

下半身の無い黒井の身体。その脊髄は棲戦姫の背中に埋没して彼女の脊髄へと繋がっている。

二つの身体に、二つの炉心。

故に、一つの炉心が無くなろうと、完全なる絶命には至らなかった。

黒井は、眼下の小娘を睨みつける。

「この、カス……が……!」

玉砕覚悟――そんな単語が黒井の脳裏に浮かんだ。黒井はその瞬間だけ激痛を忘れる。

――馬鹿はすぐにそうやって開き直るから救えない。安易に使命を決めつけて、自己満足を得るためにあらゆるものを犠牲にする。例えばそう、黒井の家族のような無関係な者たちを。

漆黒の殺意。

深海棲艦に向ける感情は、やはりそれしかない。

黒井は口角から泡を飛ばしながら右手の主砲に弾を装填した。

――こんな負け犬にやられていい自分ではない!

一撃で、確実に。死の淵だからこそ正確に。16inch三連装砲の狙いを定めた。

「ぶっ殺してやる!」

 

 

清霜は不明瞭な意識の中で、敵の主砲が自らの炉心に照準されたと察知した。

その16inch三連装砲の威力はよく知っている。自分と同じ主砲。なのに威力は段違い。それに殺されたこともある。全てを穿つ超火力。それが炉心に直撃すればレ級eliteの装甲など紙屑も同じ。

だが、清霜は怯まなかった。

こうなることは分かっていた。

敵の身体が二人分ならば、炉心もまた二つある。そんな可能性もありえると考えていた。

最悪の事態ではあったけど、そんな不運こそ我が身に訪れると覚悟を決めていた。

――第三関門が来てしまった。

この一撃に耐えきれたなら尾の主砲で勝ちきれる。

食らえば死ぬ。それは分かっている。

抗う手段は一つも無い。

だから乗り越えるしかない。

意地と気合と根性で、この無謀を受け止めるしかない。

避けるわけにはいかなかった。敵を掴んでいる左手を離したら、視界が歪んでいるこの状態では反撃を当てることができなくなる。だから避けない。

敵の攻撃の方が絶対に速いと分かっていながら、迷い無く弾を装填した。耐えたら撃ち返す。それしかない。

「来いッ!」

来る。

必殺の16inch三連装砲が来る。

清霜はまさにこのとき命を懸けた。

爆裂。

轟音と衝撃に、大気が震える。

二者を中心に海面が白く波立った。

辺りに鉄片と肉片がボチャボチャと着水する。

直撃、した。

清霜は硬直し、微動だにしない。

……それは僅かな時間だけだった。

ずりずりと。棲戦姫にもたれかかるようにして崩れ落ちていく。敵の腹からずぼりと左腕が抜けた。波飛沫を立てながら海面に倒れこむ。うつ伏せに沈む、その胸部の炉心が、潰れていた。

即死だった。

 

 

「ハッ、ァ、ハハ、ハッハァッ!」

新貝が浜辺に辿り着いたときには決着がついていた。

黒井が哄笑し、清霜が浅瀬にうつ伏せに沈んでいる。

どちらが勝ったかは明らかだった。

「清霜……!」

南方棲戦姫はなおも立っていた。

右腹を貫かれ、左腕を撃ち折られ、胸の中心に大穴を空けられながらも立っていた。

その足元でレ級eliteが死んでいた。

顔まで海中に没してぴくりとも動かない。

何度見ても、どれだけ祈ろうと、その現実が書き換えられることはなかった。

無様に遅れてきた新貝に、黒井が気付く。

その口から血反吐を垂らしながらも顔を歪めてみせた。

「残念ダッタナァ!? 深海棲艦ハ、一匹タリトモ逃ガサナイ! 根絶ヤシニシテヤル!」

「……っ!」

こいつは、またやったのだ。

提督時代は、艦娘を。

深海棲艦になってからは、深海棲艦も。

己の満足のために殺し続けている。

新貝は握り拳を震わせた。

「そんな勝手な言い分で何人殺した!? 中にはお前を慕う艦娘もいただろう……!」

「艦娘ゥ? 所詮、深海棲艦ノ前身ダロウ!? ナラバ俺ノ家族ノ仇モ同然。殺シテ、何ガ悪イ!」

仇討ち、と黒井は言った。無関係な者たちに矛を振るう、その行為を仇討ちと。

家族を殺した深海棲艦を探しもせずに、手の届く深海棲艦や艦娘に怒りをぶつける。それだけの行為をいかにも正しいことのように嘯いた。

どうしてそんなことをする?

仇を探す手がかりがないから?

全てを殺し尽くせば復讐を果たせるから?

いいや違う。

黒井だって本当は分かっているはずだ。

これはただの八つ当たり。そう知りながらも暴挙に身を委ねている。

もう全てがどうでもいい。仇討ちなんて口実に過ぎない。

――そう、思っているのだろうけど。

やられた方は納得できるわけがない。

「お前が仇討ちを騙るのなら、通してもらわなきゃならねえ筋がある!」

「アァ?」

「今度はお前が仇を討たれる番だ。俺たちの、そして清霜の仇を……討たせてもらう」

「……聞キ間違イカ? 誰ガ、誰ヲ倒スッテ? 武器モ持タナイ貴様ガカァ?」

哄笑が繰り返される。

「進退窮マッテ、オカシクナッタカ!? 貴様モ、何モデキナインダヨ! タッタ今死ンダ、コノ負ケ犬ノヨウニ!」

「決めつけんなよ。清霜は負け犬なんかじゃない!」

「ハッ! モウイイ、囀ルナ! オ涙頂戴ハ、ウンザリナンダ。昔カラナ!」

「……言われてんぞ」

「……? ナンダッテ?」

「負け犬だと舐められて、同情狙いの醜態晒しだと馬鹿にされてるぞ。いいのか、それで? もう諦めないと決めたんじゃあなかったのか!?」

「……フン。愚カナ男ダ。貴様モ死ヌガイイ!」

棲戦姫の背中の艤装が肩の上まで持ち上がり、巨大な主砲が狙いをつけた。

三文芝居に縋りつく無様な男を黙らせるために。

「立てッ、清霜ッ!」

トリガーが、引かれる。

 

 

知っていた。

こうなることは分かっていた。

全力を尽くして、それでも負けてしまうのがこの“私”。

もう皆、黙ってしまった。

北上さんも、雲龍さんも、コンゴウさんも、その他のたくさんの人たちも、清霜さえも、喋らない。

やっぱりこうなった、って顔してる。

さっきまで散々応援していたくせに、現実を見たら一発で黙り込んだ。

 

まぁ、それが当たり前。

現実には誰も抗えない。そんなの子供でも分かる話。

なのに。

そんな当たり前を分かろうとしない人がいる。

本当に仕方のない人だ。

気の利いたことも言えないし、的確なアドバイスもできないし、先のことも考えていない。

だけど、見捨てずに、傍にいてくれた。

まだ応援してくれている、その声だけが届いてる。

 

だから……もう、いいや。

もう強くなれなくてもいい。

もう誰にも勝てなくてもいい。

こいつだけ倒せればそれでいい。

 

保険をうっていた。

それは発動するかも不確かな予防線。

無駄に終わるかもしれない。

けれどもしかしたら、万が一ということもあるかもしれないから。

新貝のアドバイスを信じて、できうる全ての手段を用意しておいた。

そして。

保険は、発動した。

 

――第三関門突破である。

 

 

がくん、と。

黒井は左脚に浮遊感を覚えた。

落とし穴を踏みこんだように地の感覚が消えた。

――落とし穴?

いや、違う。一歩も動いていないのにかかるわけがない。

右脚一本でどうにか踏ん張って、バランスを取り直す。脇腹が悲鳴をあげたがなんとか耐えた。

しかし、そうやって姿勢が崩れたせいで、新貝に向けて放たれた砲弾が僅かに逸れた。命中せず。背後の木々に飛び込んで爆炎を巻き上げた。

――何が起こった?

視線を落として確認する。

死体があった。

たった今殺したばかりのレ級の死体が。

その死体が顔を持ち上げている。

目を。

こちらに向けている。

黒井を睨みつけている。

「何……だと……?」

南方棲戦姫の左脚が、その踝から下が、もぎ取られていた。

ありえない。

炉心を抉り飛ばしたはずのレ級が、まだ動いている。

黒井の表情が驚愕に染まった。

「馬鹿な……。死んでいるのに、なぜ動く……?」

いくら深海棲艦でも炉心を――心臓を失って生きていられるはずがない。

このレ級は確かに死んだはずだ。

「な……何が、起きている……?」

深海棲艦が復活する生き物というのは知っている。だが、死んで即座に復活する深海棲艦なんて聞いたこともない。どんなに損傷が少なかろうと、その死から立ち直るまでに二日はかかる。そういう実験結果が出ていたはずだ。それがなぜ、こんなにも早く――

その答えを。

新貝貞二が口にした。

「オ前、殺スコトバカリ考エテ、生カス方法モ忘レチマッタノカ?」

レ級の露出した胸部に新しい炉心がついていた。……新しい? いや、違う。その鮮血のような輝きに見覚えがあった。他でもない自分自身の――南方棲戦姫の炉心だ。もぎ取られてしまったはずの炉心、それがレ級についている。みるみるうちに結合されていき、彼女の一部となり、ついには立ち上がる。黒井成一と向かい合う。

「ま、まさか……」

轟沈し、即復活する。

その現象を、黒井は確かに知っていた。

艦娘を、その命を重要視する提督ならば必ず頭の隅に置いておくべき選択肢。

それは、

「ダ、」

――応急修理要員(ダメージコントロール)!!

そんな反則技が――しかし、まぎれもない現実で。

まだ終わっていなかった。

痛みは激しさを増すばかりで流血は止まらない。呼吸さえおぼつかず、瞼を開けているだけで疲労が溜まる。すぐにでも入渠しなければ死んでしまう。だというのに、このレ級は、なんにもできないはずの負け犬のくせに――!

「こ、こいつ、まだ」

――続けるつもりか。命を希望ごと潰されて、それでもまだ諦めずに。

終わっていないどころか始まりだった。

前人未到の延長戦。

黒井はその地獄に付き合い続けなければならなかった。踏みつけにしてきた者たちの執念が晴れるまで。それだけのことをやったのだから。

 

 

ショートランド泊地から持ち出した、応急修理要員。

それは実際のところ十全に機能していなかった。ただ復活のきっかけになったにすぎない。艦娘用の装備なのだから当たり前。動いただけでも僥倖だ。本来ならば立ち上がることさえ不可能だった。

だから、海水で補った。

清霜は沈んでその意識を失いながらも海水をガブ飲みした。修復材の効果を得るために。

その二つの効果が合わさって、清霜はかろうじて立ち上がることができた。

もぎ獲ったばかりの南方棲戦姫の炉心を取り込んで、ついでに鉄の機関をも我が物とした。

その馬鹿げた保険を成立させるために海辺まで移動してきたのだ。

全力を尽くしてなお敗北し、かつ、応急修理要員が深海棲艦にも作動してくれたそのときに、立ち上がれないようでは困るから。

ざばあぁぁ、と海水を滝のように滴らせながら、清霜は立ち上がった。

蛇のように細く縦に割れた瞳で黒井成一を睨みつける。

「お、ま、え」

――知っていた。

16inch三連装砲で炉心を破壊される痛みを知っていた。

レ級normalが知っていた。

知っていれば覚悟ができる。

その覚悟は全身に注入済みだった。だから死にも耐えられた。死んでも屈さずにいられた。

その清霜に対し、黒井はやってはならないことをした。

「より、にも、よって、私の、前で、」

月の無い夜の再現。

初めての憎悪が生まれたきっかけを――その体験を再現してしまった。

「よくもッ! 司令官を、狙ったなッ!」

レ級の尾。息を吹き返した16inch三連装砲が唸りをあげる。

黒井が我に返った。

「グ……ガァァッ!」

敵の主砲よりも速く仕留めるために右手を放つ。修復したてで剥き出しの炉心を握りつぶすために。

清霜は、左手で受けた。

両者の掌がぶつかって、指がみしりと絡み合う。手四つならぬ手二つ。尋常ならざる握力のぶつかり合い。どちらも大破状態ならばスペックに勝る南方棲戦姫に分がある、はずだった。

しかし。

相手はもうレ級eliteではなかった。

「ウグ、グググ……!?」

動かない。

競り合った腕がびくともしない。

南方棲戦姫の炉心を取り込んだ清霜は、姫級の馬力を手に入れて、純粋な膂力で拮抗していた。

「ゴ、互角……!?」

清霜の背後で、大蛇のような尾が蠢いた。

黒井は一歩下がろうとして、そのための脚が片方無いことを思い出す。距離をとらないと背中の主砲が使えない。残るは右腕の主砲――これも今は封じられている。五体で使える部位が無い。

いよいよ追い詰められた黒井に対して、清霜は、完全にキレていた。恨み言さえ繰り出さず、全ての情動を殺意に変換し、僅かな正気をもって渦巻く狂気を一方向へと導いた。

もはや。

原子一つ分すら、慈悲はない。

尾の矛先が、ゆっくりと、黒井の顔面へと定められ。

清霜の目がうっすらと黄金色に輝く。

「オ……オアアァァッ!?」

黒井の目の前に、死が在った。

戦艦レ級flagship。

黒井は手首の無い左腕を盾にして、それでも防ぎきれないと直感してその腕を斜めに構えた。せめて弾道を逸らすために。

――ッガアーーンッ!

鼓膜が破れるような轟音とともに発射された一撃は、棲戦姫の左腕を肩から引きちぎってなお勢いを緩めずに入道雲へと消えていく。

「ッグ、ガガガ、アァ!」

更に、黒井は、見てしまった。

清霜の切断されたはずの右腕が、くっついていた。

その結合部から鉄の管がみちみちと伸びていき、互いに絡み合って補強して、一本の腕に戻ろうとしている。その右腕が、その五指が、ぴくりと動く。ギュウゥと一つの用途のために固められた。

「ヤ、止メロ……」

その形は忘れようはずもない。

左脇腹を穿たれた。

鳩尾を割られた。

殺意しかない、貫き手の形。

「止メテクレェ!」

三十六万馬力の貫き手が突き刺さる。

――ッギィーーンッ!

南方棲戦姫の腹を貫通し、背中から手首が顔を出す。だけでは、終わらない。血塗れの五指が大きく開く。獲物を探す。棲戦姫の背へと埋め込まれている異物――黒髑髏の脊髄をがしりと掴んだ。

黒髑髏と南方棲戦姫。本来ならば別個の生物を繋いでしまっている一本の管。それが今、完全に千切られた。

「……カッ、ハ……」

腕は、ゆっくりと抜かれた。

黒井はもはや悲鳴さえ上げられず。清霜に胸倉を掴まれて、ただ見ていることしかできない。

分断された南方棲戦姫の巨躯が膝をつき、うつ伏せに倒れた。

「ァ、ァァ……」

「――お前も、復活、するんだろう?」

蛇の瞳が、瀕死の黒髑髏を覗き込む。

「お前は、これから木っ端微塵に、するけれど、それでも復活、するんだろう? ……知ってるよ。そうじゃないと、困るんだ……」

誰かを憎むことでしか生きられない人がいる。

そういった人たちは排除されるのが世の常で、人類はそうやって健全さを保ってきた。

しかし深海棲艦に、本当の意味での“退場”は無い。

何度でも蘇る。

だから都合の悪いひとたちを消し去ってそれで終わりとすることができない。

憎しみの連鎖はどこまでも続いていく。

「私は、三回も殺された。けれど、お前は、二回だけ。“これから”のを含めても二回分にしかならないんだ。……分かる? 帳尻がさぁ、合わないんだよね……」

清霜は――誰かを排除するやり方が嫌だった。勝者の都合で、敗者を足跡ごと抹消するようなやり方が。下らないと決めつけて、あるいは悪のレッテルを貼りつけて、無視して棄ててしまう人の世のやり方が大嫌いだった。

だから、誰のことも軽んじないと決めた。

それが怒りに染まる獣だろうと、悲しみに暮れる幽鬼だろうと、大嫌いな黒井成一であろうとも、真正面から相手をしてやると決めたのだ。

その目を見て、言葉を交わし、慮ってからぶっ飛ばす。

「また来なよ、ねぇ? 待ってるからさ。もっかい同じことやって……帳尻を合わせるんだ。そしたら、平等。分かる? 痛みわけ。……そうなったら、お前のことは大嫌いだけど、話ぐらいは聞いてあげる」

黒井は、震えた。

目の前の少女は、息を荒げながらも穏やかな顔で語りかけてくるその少女は、来世もお前を殺してやると宣告した。そんな存在は、まさに悪夢でしかない。本人は気付いていないようだけど、むしろ善意で言っているような口調ですらあって、だからこそ余計に恐ろしかった。

「ヒ、ィァァ」

――逃れたい。

死んでもいいから、逃れたい。

こんな狂った娘には二度と遭いたくないと、黒井は魂の芯から震え上がった。

「この世には、どうでもいいことなんて一つも無い」

清霜は、言った。

怒りも、悲しみも、苦しみも、後悔も、孤独も、絶望も、憎悪さえも。それがあるから先に進める人もいる。

他ならぬ自分がそうだった。正しさだけではここまで来れなかった。だからこそレ級flagshipの魂は、この狂った深海棲艦の世界において、憎しみの連鎖さえ否定しないと決めた。繋げばいい。やられたらやり返せばいい。きっとどこかで納得がいくだろう。

「だから、今はさようなら」

みしり、と。

音がした。

肉が伸縮し、骨が軋みを上げる音が。

清霜は決意とともに主砲を構える。

鋼の尾。

それは彼女の決意に応えるように、蠕動し、唸りを上げる。

死人のような白い鮫肌に、夜闇のような真っ黒の艤装を身につけて。

尾の先端にずらりと並んだ牙がガチガチと擦れて金属音を打ち鳴らす。

一式徹甲弾が、装填されて、

「来世でまた戦りましょう!」

黒井成一の頭部を――粉々に吹っ飛ばした。

首の無い上半身は、ぱたりと力を失って、枯れ木のように落ちて浅瀬に沈み、やがて吸い込まれるように沖へと流れていった。

その遺体が見えなくなっても清霜は動かなかった。

「……」

終わった。

ついに勝ったのだ。

「……やった、んだ」

それまでの激情が嘘のように去っていた。

――もっと、何かあると思っていた。仇を討った喜びとか、借りを返した満足感とか。あるいは人生の新しい幕開けに相応しい劇的な何かが。

けれど、そんなものは一つもなくて。

復讐なんて楽しいもんじゃないと清霜は知った。

それが分かっただけでも良かったと思う。ただ悶々といじけているよりはずっと。

「勝ったんだ」

じわじわと、腹の底からこみ上げてくるものがあった。

達成感。熱が全身を巡りゆき、むずむずして飛び上がりたくなる。

「勝ったーっ! ……痛た、たた!」

そういうわけにもいかなくて。

痛くて、腹を抱えて蹲った。「あおお……」と乙女にあるまじき呻きを漏らしてただ耐える。滅茶苦茶痛い。緊張感とアドレナリンがきれて涙が出そう。出た。

「馬っ鹿、無茶すんな!」

新貝貞二がばしゃばしゃと浅瀬に駆け入って、全身ズタボロの清霜を支えた。

「大丈夫か!? 俺が分かるか!? パッパラパーになってないか!?」

「そ、そっちの心配……?」

「だってお前、復活したてだろ。見境なしになりました、とかは勘弁してくれよ?」

「だーいじょうぶで……おおうあ、ああぅあ、」

「……ま、喋れてるし、大丈夫か」

「だ、駄目かもぉ……死んじゃうぅ」

清霜の状態は……改めて確認しなくても大変なことになっていた。応急修理要員の効果はあったけど損傷はほとんど塞がっていない。穴は穴のまま。艦娘だったら失血死かショック死していてもおかしくない。

「よし、入渠するぞ。ガ島泊地のを使う。……立てるか?」

「うん」

新貝の手を握り、ゆっくりと浅瀬に立つ。肩に寄りかかる。

――ぎりぎりの戦いだった。

作戦通りにいったのは最初だけで、殆どがドロドロの根性勝負。最後なんてギャンブルに任せるしかなかった。これで勝利と胸を張っていいのかは分からない。けれど、それでも今立っているのはこの自分。その事実だけで充分だった。

――後は。この戦いの後のこと。

艦娘と、これからどうなるか? ……今は、ちょっと考えられない。一刻も早く休みたい。

そのためにガ島泊地へと進んでいた新貝の足が、止まった。

「ん……?」

新貝は、首だけを捻って後ろを見ている。海を凝視している。

つられて、清霜も見た。

先程まで死闘を繰り広げていた海辺――そこに、女が立っていた。

引き締った長身に、白磁のような肌。二つにくくった髪をたなびかせ、こちらをじっと見つめている。

南方棲戦姫――かと思った。

しかし服装が違った。艤装もきちんと整備されている。その凛々しい佇まいを清霜は知っていた。かつての憧れ、最強の戦艦娘。大和型二番艦、武蔵。

「……ああ、武蔵、さん……か」

艦娘が何人もそこにいた。

数えるのも億劫で、けれど叩き込まれたルーティンが怠惰を許さない。目を走らせて十二人と認めた。

「ああ、佐世保の艦隊か。もう来たのか……」

そう呟く新貝からは、しかしこわばりが抜けていない。

ブインとは停戦した。

でも佐世保とは何も交わしてない。

本土の精強な艦娘たちが深海棲艦を前にしてどう動く? ブイン基地の提督が勝手に結んだ契約を守ってくれるだろうか?

それは、武蔵の瞳に浮かぶ剣呑な光を見れば明らかだった。

「あらら、これはちょっと嫌な感じ……」

「司令官」

「な、なんだ?」

「私ね、今はなぁんにも未練無いからさ、やられたらこのまま成仏しちゃうかも」

「それは困るな。いや、いいことなのか……?」

艦娘たちの連合艦隊。その旗艦である武蔵がゆっくりと左手を上げる。ハンドサイン、見たことがある。というかコンゴウの記憶が知っていた。撃てとかいう意味だった。

(けど、まぁいっか)

やりたいことはやれたわけだし、と妙な満足感があって抗う気になれない。

「なんなら司令官、一緒に死んでくれない?」

「……まいったな、今のお前を見てたら俺も未練がなくなった気がしてきた。大井たちに怒られちまう」

「いいじゃない」

「いいのかな……?」

武蔵のどでかい主砲が持ち上がり、狙いを新貝たちに定めた。トリガーに指がかかり――止まる。すぐ後ろの重巡娘が声をかけている。内容は聞き取れない。手に小さな受信機を持っていて……無線が入ったようだった。

 

 

「ハイ、ハァイ! 了解シマシタ~!」

深海雨雲姫が無線を切った。

身体に五つもできた被弾痕、そこから煙を昇らせながら、両手をパンと合わせてみせた。

「残念ナ、オ知ラセデース。ウチノ提督ネェ、ヤラレチャッタミターイ!」

「……フゥン」

「アラアラ? ソレダケェ?」

「イツカハ、コウナルト、思ッテイタ。コンナニ早イトハ、思ワナカッタガ」

デストロイヤーはそっけない。

その彼女の身体にも弾痕がいくつも刻まれている。対峙している娘たちにも同様に。

その敵の名は……北上、そして榛名。

この四者の戦いは千日手の様相を呈していた。無傷の者は一人もいない。実力が拮抗した者同士、順当に傷つけあって睨み合い、といった場面だった。

張り詰めていた空気が、弛緩する。

「黒井、死ンダッテ?」

「ソーナノ。死ンジャッタノォ」

北上の問いに、雨雲姫が答える。主が死んだというのに悔しそうな表情は微塵も見せず、いっそせいせいしたと言わんばかりの他人顔。

それはデストロイヤーでさえ同じだった。

「アイツハ――黒井提督ハ、気持チ良クナリタイダケノ奴ダッタカラナ」

「ドウイウコトー?」

「当タリ前ノ理屈ダヨ。仇討チダノ、使命感ダノ。ソンナ自己満足ニ浸ッテル奴ガ、勝ツコトシカ考エテナイ奴ニ勝テルワケガナインダヨ」

「イツカハ追イツカレル……兎ト亀ッテワケヨ」

口を挟んだ北上に、デストロイヤーは首肯する。

「勝チタイナラ、勝ツコトダケヲ追及シナキャ駄目ナンダ……」

「ジャ、コノ戦争ハ、決着ッテコトデ~! ハイ、オシマイ!」

雨雲姫はそう言って、愛らしく小首を傾げて笑った。

榛名は眉を顰める。――今、何て言った?

南方棲戦姫――敵の首魁が死んだと分かった途端に北上は戦意を消し去った。敵の二人の深海棲艦も同じだった。この三人、まるで終了条件が達成されたからもう戦う理由は無いといわんばかりの態度。……いや、まさにその通りなのだろう。

雨雲姫などは「アーア、負ケチャッタ」といじけて手の爪をいじっている。それでも大きな隙は見当たらないけれど、まるで街中にたむろする少女のようだった。

榛名には理解できない。つい先程まで殺し合いをしていたのにこうもあっさりと矛を収められるものだろうか?

(……いえ、それが深海棲艦なのかもしれませんね)

戦争は、ルールに則って実行される競い合い。

深海棲艦が戦争のための機械なら、決着以上の領域にまで踏み込まないのも道理かもしれない。

片側のボスが獲られたからこの戦争は終わり。

それだけ。

殺意を抑えられない獣でもなければ、敵というだけで虐殺できる人間でもない。そんな不思議な生き物なのだ。

もしここで榛名が続きをやろうとしたらどうなるだろう? 空気を読まない愚か者は総出で叩き潰されるに違いない。流石の榛名も、残弾が半分をきった状態で三人の手練れを相手にするのはごめんだった。

「あなた達は負けました。投降しますか?」

「アハッ! マッサカァ。私タチハネェ、エート……ドウシマショウ~?」

北上はガ島方向を指しながら、

「黒井ハ、ドウスンノ? シバラク待テバ、復活スルカモダケド」

と聞くと、デストロイヤーはにべもなく首を振った。

「アイツハ、私ノ提督デハナカッタ。モウ要ラナイ。モット有能ナ奴ガイイ」

「アッソウ。人望無イナァ。カワイソ」

「……深海棲艦って薄情なんですね」

「ソーオ? 艦娘ダッテ、従ウ相手ハ選ビタクナイ?」

「好き勝手に振る舞っていたら組織は成り立ちません」

「ソン時ァ滅ビリャイイノヨ。劣ッテイルナラ淘汰サレル、摂理デショ?」

榛名にはもう言うことはなかった。

二人の姫級が去っていく。それをただ見送った。

彼女たちのいうように、戦争はもう終わったのだ。

「……そういえば、雷巡棲姫さん。あなた、あの駆逐水鬼と戦う理由があったのではないですか?」

「インヤ? オ互イ壊レマクッテ理解不能ナ生キ物ニナッチャッタシ、モウイイヤ」

「では、向こう側はどうなんです? どうしてあっさり引き下がったのでしょうか? あの駆逐水鬼はあなたの口を封じるつもりだったでしょう?」

「黒井、死ンダカラ。バラス相手ガ、モウ居ナイジャン」

「それだけ……? 味方殺しまでやっておいて、それで終わりなんですか?」

「ソダヨ。……ソレヨリサァ、榛名チャン。アンタ、結構ヤルヨネ~。アタシ、感心シチャッタヨ。……ドウカナァ、深海棲艦トオ友達ニナルッテノハ? ネ、大丈夫ッテ、言ッテホシイナ~?」

榛名はきょとんと北上の顔を見る。

雷巡棲姫。深海棲艦。元艦娘。

そんな身の上は友情を結ばない理由にはならない。榛名はレイシストではなかった。

けれど問題なのは、そう、この自称北上とやらの性格がとんでもなく自己中だという点で。

「いいえ。榛名は大丈夫じゃありません」

にっこりと微笑んで否定した。




・馬力について、その2。
前の話のあとがきで書いた『馬力:火力』を南方棲戦姫にあてはめた結果、
南方棲戦姫の馬力 = レ級flagshipの馬力 = 36万馬力
となりました。死の淵を越えると強くなる……サイヤ人かな?
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