悪いひとたち ~南方深海泊地へようこそ!~ 作:シャブモルヒネ
新貝がまだショートランド泊地の提督だった頃、常々思っていたことがある。
深海棲艦のスペックは明らかに艦娘より高い。にも関わらず艦娘が勝利できるのは、ひとえに練度の差があるからだ、と。
ならばもし、深海棲艦が訓練を重ねて練度を上げたらどうなるだろう?
勝敗の天秤はおのずと深海棲艦側に傾くことになるだろう。
その妄想を、まさか自分の手で実行することになるとは夢にも思っていなかった。
朝一番、浜辺に呼び出された清霜を待ち構えていたのは、新貝と北上だった。
「清霜、俺は今日から鬼教官に……いや、神通になる!」
「え、えぇ~!? どういうこと?」
清霜は情けない悲鳴をあげる。
神通の名を出されては清霜も元駆逐艦として戦慄せずにはいられない。
鬼と神通のどちらにしごかれるのがマシかと聞かれ、神通と答える勇気のある駆逐艦は存在しないのだ。
「いいか! 俺たちは強くならねばならない! 何故なら、敵がまたいつ現れるか分からないからだ!」
「で、でもマライタ島のはもうやっつけたんだから敵はもういないんじゃない?」
「確かにあそこにはもう居ないだろう。それに加えて、ガ島奪還作戦でも多くの深海棲艦を倒している。今の南方海域は平和そのものといっていいかもしれない」
「でしょ? 哨戒しても敵が全然いないもん」
「今は、な。忘れたか? どこからともなくやってくるのが深海棲艦だ。余所の海域から他の敵がやってくるかもしれないだろ?」
「ええー、そうかなぁ? 考えすぎじゃない?」
「甘い! 有事に備えてなんとやら……というわけで、これから特別訓練を行う! 今日はスペシャルインストラクターとして北上先生をお呼びした!」
「どうも~、北上でーっす。スーパー北上様ってぇ、気軽に呼んでねぇ~」
ゆらゆらと頭を揺らしているのは寝ぼけ眼の北上だ。
いつもはまだ夢の中にいる時間だからかふらふらしている。
ちなみにイムヤは巡回中。潜水艦娘はいつだって忙しい。
「……なに? 訓練をやってるの?」
何の騒ぎかと、遅れて大井も顔を出す。
「貴方、偉そうにしてるけど指導経験とかあるわけ?」
呆れ顔で大井が突っ込むが、新貝は聞こえないふりをして取り合わない。
「それでは北上先生、今回の新兵はこの清霜でございます。というのもこの清霜といったら避けるも当てるも実に下手くそでして、戦艦になってからというものの出撃している時間より入渠している時間の方が長いという有様なんです」
「ひっどーい! 私だって好きで入渠してるんじゃないのに!」
「ええい黙れい! 装甲頼りで突っ込んで被弾しまくってる似非戦艦はどこのどいつだ!」
新貝は反論を一蹴する。誇張した事は言ってない。
その言葉には大井も同調する。
「確かにね。いつも真っ直ぐ接近していくって聞いてるわよ。之字運動とか習ってないの?」
辛辣なコメントに清霜はたじろぐ。痛いところを突かれたという顔だ。
「戦艦なら長距離射程を活かしなさい。それと撃つときに棒立ちになるようじゃ話にならないわ。大型主砲の反動にもちゃんと慣れておきなさいな」
言われることがいちいち尤もなので反論できない。
新貝は満足げに頷くと、早速北上に話をふる。
「それで北上先生、今日はどのような訓練を?」
「うーーん、そうだねえ……」
北上にしては珍しく、眉間に皺を寄せて悩み始めた。
なにせ北上は誰かに何かを教えたことはおろか、誰かに教えてもらった経験もなかった。
自分の中だけで完結しているものを他人に伝授しろと言われても困る。
それに、清霜の下手くそさは技術云々の前の話だった。
どうにも清霜は主機や装備に振り回されているところがある。動きがやたら初心者くさく、何かが起こる度にいちいち自分の中の引き出しから“できること”を探して動いている始末。
そんな悠長なことをしているから避けられないし当てられないのだと北上は思う。そもそもの話をすれば、避けるも当てるもそれに好ましい状況を作らねばならず、そこで初めて相手との駆け引きが発生するのだが……今の清霜にそんなレベルの話をしても意味がないだろう。
「そんなおチビは引き出しを増やしてもしょうがないだろうしねえ」
とにかく直感的に動けるようにならなければ話にならない。
北上は「む~」と顎に指をあてて考え込む。
「身体のなー、タイムラグがなー、どうすりゃいいのかなー」
中々答えが出ない様子に新貝と清霜が不安になりかけたそのとき、北上は頭の上で電球が灯ったかのようにぱっと顔を明るくしてみせた。
「そうだ。習うより慣れろってやつだ」
そして清霜をすっと指を差して宣告する。
「おチビ、今から海の上に行きなされ」
「そ、それで何をするんですか?」
「何でもかんでも」
清霜は頭上に疑問符を浮かべて首を傾げる。
「えっと……?」
「考えるより感じろ、みたいな? 波の感覚とか、装備の反動とか、身体のバランスとか。ずっと海の上いれば嫌でも身につくでしょ?」
「ああ、そういうこと」
大井が納得したと頷く。
「つまり起きてから寝るまで、生活の全てを海でしろっていうことね」
新貝も清霜も「ええっ!?」と目を丸くする。
「できれば寝てる間も海にいてほしいぐらいだけどね~。立ったまま寝るのはできないか~」
あはは、と口では笑っているが目は真剣だ。冗談ではないらしい。
「神通ンとこに入ったらこのぐらい日常茶飯事でしょ」
「んなアホな」
北上は清霜の手をがしっと掴んで浜辺に歩き出す。引かれる清霜は「冗談だよね?」と新貝たちの顔に視線を向けるが、止める者はいなかった。
「頑張れ。応援しているぞ」
「え? え? 本気なの?」
ずりずりと引きずられていく清霜の足で、浜辺に二本の轍ができる。
新貝は手を振りながら遠ざかる姿を見送った。
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その日から清霜の苦難が始まった。
演習、哨戒、索敵、その他諸々とにかく何でもやった。
誰も居ない泊地正面海域を往復させてタイムを計る。前回のタイムから十秒以上遅れたらガ島一周のペナルティ。ズルをしたら飯抜きと宣告されてはわざと手を抜いて徐々に速度を上げることもできない。
続く哨戒任務ではコップに色水を入れて持ち運べと言われる。勿論こぼした量に応じたペナルティ追加。波の勢いを下半身のバネで殺さなければならないため一瞬も気が抜けない。雨が降ったらどうするのかと聞いたら気合で避けろと言われる。
午後の策敵はイムヤに同行。特に課題は与えられなかったが、どこに敵が潜んでいるかもしれないと思うと今まで以上に神経を張り詰める必要があった。
へとへとになって帰ってくると待ち構えていた北上による演習指導が始まる。
まずは回避運動だと中口径主砲を撃たれまくる。ちなみにガ島泊地には演習用の砲弾などという慈愛に満ちた代物は存在しない。使用するのは全て実弾である。少しでも速度を緩めれば直撃するように撃たれるのだから手を抜けない。
それら基本セットの合間に、変則的な訓練が思いつきで混じる。
清霜が元気だったのは初日の午前中までで、すぐに口数が減って熱病患者のようにふらつき始めた。
動きっぱなしで今にも倒れそうな清霜の姿に心配になった新貝はつい北上に尋ねてしまう。
「なあ、この訓練ってそれぞれどういう意味があるんだ?」
その答えはこうだ。
「知らなーい。適当。思いつき」
「ええっ!?」
新貝が思わず声を荒げてしまうのも無理はないだろう。
「別にやることは何でもいいのさ。頭と身体を疲れさせるのが目的だから。余力をぜーんぶ吐き出さないとおチビちゃんみたいなタイプは上達しないんだって」
「どういうことだよ?」
北上、曰く。
清霜は頭が固いところがあって、能率的な動きをいくら訓練で覚えたとしても実戦で使うことができないのだそうだ。窮地においてその動きを選択し、成果が出たという成功体験がなければ本当の意味で身につくことはないという。
ではどうすればそれができるのか?
その答えがこの過酷な訓練メニューらしい。
疲労が溜まりに溜まって一ミリでも身体を動かすのが苦痛な状態になれば、肉体は無意識的に余計な動きを排除しようと能率的な動作だけを選択し始める。
その時になって初めて身体が“何度も経験してる安定の行動パターン”より“僅かでも楽に動けるかもしれない理屈だけは知っている動き”を選ぶのだという。
「要するに怖がりなのさ。これはおチビちゃんに限った話じゃないけどね。どんな艦娘だって関節の数は同じなんだから、物理的な意味で“エースにしかできない動き”なんて存在しないのよ」
遠い目で、なんでこんな回りくどいことをしなければ皆できるようにならないのかねえ、と嘯く。
新貝が「お前は違うのか」と聞くと「正直、身につくって感覚が分かんない」と返される。
「理屈通りに動けばいいだけ。トライアンドエラーなんか必要ないでしょ?」
「んな訳あるか。それにその理屈だって、誰かに教わらなきゃ分からないだろ」
「なんで?」
と心底不思議そうに返す。
「たった今生まれたわけでもないんだから。物理法則も身体の動かし方も分かってんじゃん」
「……それでできるのはお前だけだ」
訓練はまだまだ続く。
二日目にして早くもゲロを吐いたが北上はにこにこと笑いながら訓練の続きを促した。
なんでもそれが神通式らしい。
絶対に嘘だと新貝は思う。いくら噂の鬼軽巡でもそこまでスパルタなわけがない。
「……だよな?」
「知らぬが仏ってやつだねー」
清霜は真っ青な顔をしながら昼食で差し入れされた握り飯を無理やり飲み込み、ふらつきながらも午後の索敵へと動き出した。
三日目にはとうとう無言になって、北上の理不尽な思いつきにも無言で従うようになった。抗議するエネルギーが勿体ないからだ。
その様子に北上はなぜかご満悦。「アタシの軽巡の血が蘇ってきたのかも」とよく分からないことを言いながら舌なめずりをして新貝をドン引きさせた。
しかしその遠慮のない教育にも効果があったのか、よく見ていると清霜は初日よりも波を乗りこなしているように見える。上半身があまり揺れていない。少なくとも新貝はそう感じた。贔屓目かもしれないが。
「北上先生はどう思う?」
「新米少佐が中堅少佐になった感じ」
「なんだそりゃ」
「んー、良くはなってるよ? でもなんか変な癖とかあるんだよね。構えるときに、こう、グッっと力が入ったりさ。なんなんだろアレ、何が拗れてああなったのか全然分かんない」
「ふーむ。よく分からんがとにかく成長してるなら良かった」
「まあ清霜は戦艦になって性能も大きく変わってるし。慣れるまでは苦労するだろーね」
「ん? どういうことだ?」
「身体が変わったから、今までの経験が通用しないってこと」
「深海棲艦になったからってことか? お前もそうなのか?」
「まあそーだね。身体の重さとか力の入り具合も変わってるから、艦娘のときの感覚で動いてると大事なところでポカしちゃうだろうね」
なるほど、と新貝は得心する。ほとんどの深海棲艦の練度が低いのは、新しい身体に慣れていないからなのかもしれない。
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「お疲れさん、今夜も好きなだけ休め」
「う~あ~。地面が揺れて酔いそう~」
「イムヤ、マッサージでもしてやってくれ。俺がやるのは絵的にまずい」
「はいはい」
夜。
訓練を終えた清霜は、執務室のソファーでうつ伏せになって死んでいた。
とはいえ初日の夜は一言も発することができなかったことを考えると、やはり少しは訓練の効果があるのかもしれない。
ぽつぽつと清霜が零すところによれば、一番辛かったのは釣りらしい。能動的に目標を達成することができないからだ。否が応にも全身の疲労を自覚してしまう。ただ待つということがこんなに大変だとは思わなかったとゾンビのような声で漏らす。
「司令官、ちょっと」
清霜のふくらはぎをマッサージしていたイムヤが声を上げる。
「なんだ?」
「今日の午後に清霜と索敵してたらさ、深海棲艦っぽい影を見たんだよね」
「おいおい、そういうことは早く言えよ」
新貝は思わぬ知らせに渋面を作るが、イムヤは涼しい顔で。
「だって司令官さっきまでいなかったじゃない」
確かにそうだ。しかし遊んでいたわけじゃない。
「野砲の弾を運んでいたんだよ。で、そいつらの場所は?」
「マキラ島だと思う。そっちに向かっていったから。こっちのことはばれてないはずだよ」
「ちゃんと迂回して帰ってきたか?」
「当然」
哨戒任務でこっちが尾けられていたら笑い話にもならない。
「しかし今度はマキラか。こないだマライタのをやっつけたばかりなのに」
マキラ島はガ島の南東にある大きな島だ。難破船のあったマライタ島からみて南にあたる。勿論、ガ島からも近い。
「偵察を出すしかないな」
「私一人で行く?」
頭上のイムヤの問いに清霜の耳がぴくりと反応する。
しかし新貝の返答は無情だ。
「清霜は連れて行かなくていい」
「なんでー!?」
がばりと起き上がる……つもりが筋肉疲労のせいか中途半端な姿勢で固まって、ずるずるとソファーに沈没していった。
「それ見ろ。せめて身体を休めてからにしろ」
「ぐぬぬー」
「そんな顔をしても駄目だ」
不満そうに呻くが、流石に自分でも疲労が溜まっていると分かっているのだろう、強くは押してこなかった。
「イムヤは北上を連れて行け。あいつ言動はアレだが腕は確かだ。水上艦でも見つかるようなヘマはしないだろう」
「そういうこと言ったら怒られるんじゃないの」
「別に怒らんだろ」
北上は、自分の言動が他人にどう思われるか分かった上でああ振る舞っている節がある。だから悪意さえなければ何を言われても怒らないと新貝は考えていた。いや、ことによると悪意があろうと気にも留めないのかもしれない。
「北上さんってすごいよねえ」
清霜がぽつりと呟く。
「連合艦隊を一人でやっつけちゃうんだもん。どうやったらあんなに強くなれるんだろ」
「そりゃお前、」
訓練だろ、と言うのが普通だが、北上は普通ではなかった。あれは裏で努力しているようなタイプではない。才能とか第六感といった一般人には理解できない感覚で戦っているタイプだろう。
「……まあ北上も色々と頑張ってきたんじゃないかな、うん」
言いながら流石の新貝も説得力がないと思った。
「訓練かあ。訓練してたら本当に強くなれるのかなあ」
平坦な声で零す。そこには清霜らしからぬ諦観の色があった。
「どうした、一体」
厳しい訓練で気持ちも参ってしまったのだろうか。
しかし清霜の口調は淡々としていて、思わず口に出てしまったという感じではなさそうだ。
「だって私、駆逐艦のときも、ずーっとずーっと頑張ってたけど全然強くならなかったんだもん。人より成長が遅いからたくさん訓練したり、霞ちゃんにコツを教えてもらったりしたけど上達しなかった。せめて一点だけ長所を作ろうって砲撃とか雷撃とか集中的に取り組んでみたけど、やっぱりだめだったし」
そういってソファーに顔を埋めてしまう。
新貝は未だに清霜が練度のことで悩んでいるとは思わなかった。
というのも初対面のとき以来、清霜は弱音や泣き言はおろか相談一つしてくることがなかったからだ。
それを察したように清霜は寝そべったまま不満の声を上げる。
「しれーかーん? 私に悩みなんてないって思ってたでしょー?」
「ああ、いや、そんなことはないぞ」
「これでもねー、色々とー、考えたりしてるんだからねー」
とゆっくり身を起こす。
イムヤに揉んでもらった足を擦りながら息をついた。
「あーちょっと楽になったかも。イムヤさんありがと」
「どういたしまして」
「ねえねえイムヤさんはさ、どうやって強くなったの?」
「え? まあ訓練だよねえ」
「そっかあ」
「でも私も戦闘に関してはそんなに伸びなくてさ。艦隊運用とかを勉強して旗艦をやってたって感じかな」
「ふーん」
あまり参考にならないと思ったのだろう、生返事を返した。
清霜はぽすんとソファーの背に寄りかかって天井を見上げる。
「戦艦になったら火力とかすっごく強くなっちゃってさ、今までの努力なんか全然関係ないんだもん。ちょっと虚しくなっちゃったかも」
両腕を前に大きく伸ばしながら、そんなことを言う。
焦点の定まらない瞳。それは疲労で眠いせいだけではないのだろう。
新貝はただ一言。
「お前は強くなってるぞ。少しずつだが確実に」
「でも私の知ってる戦艦の人たちには遠すぎるって思う」
「他の奴なんかどうでもいいだろ」
「そんなのでいいのかなぁ」
「いいんだよ」
反応が薄い。どうしようかと思っているとイムヤが目配せを送ってくる。「何か上手いことを言ってやれ」というサインだ。
仕方ない、これも提督の仕事か。
「お前はさ、なんで強くなりたいんだよ?」
「それはぁ、」
ようやく清霜は天井の鑑賞をやめて、新貝とイムヤの顔を見て少しだけ考えこむ。
「……なんでだろ?」
「その歳でもうボケたのか」
「ボ、ボケてないし」
呆れたように溜め息をつく新貝に、清霜は言い訳をするように言葉を紡ぐ。
「私が強くなる理由はっ! えーと、えーと、皆を守るため? かなぁ?」
なんとか搾り出した答えがそれだった。
教科書通りで、自信もなさそう。いかにも今思いつきましたという回答で、ついイムヤと目を合わせてしまうが、ここは話を続けることにする。
「その皆って、誰のことだ」
「ここの皆?」
「具体的に誰のことかを聞いてるんだよ。北上と大井は元から超強いんだからわざわざお前が守る必要なんて無い。じゃあイムヤか?」
突然名前を呼ばれた当人は、自身を指差し「わたし?」と目を白黒させる。
「イムヤは潜水艦だからいざとなったらいつでもとんずらできる。お前に守ってもらわなくても大丈夫だろう」
「とんずらなんてしませんけどぉ」
不平が聞こえるが今は無視。
「清霜よ、お前は誰を守るっていうんだ?」
「司令官、じゃない?」
「そうだな、俺だよな。自慢じゃないが、俺は戦闘になったら自衛の一つもできない。放っておいたらすぐに死ぬ。お前はちゃんと守ってくれるのか?」
「そりゃ司令官の一人ぐらい……」
「本当か? こないだみたいな連合艦隊クラスが攻めてきてもちゃんと守れるのか? 頼りになるのは清霜、お前だけなんだよ。そこのところちゃんと分かってないだろ」
「私が、頼り?」
「ああ、お前だけだよ。北上と大井は薄情だからいざとなったらきっと俺のことは見捨てるだろうし、イムヤはイムヤで潜水艦だからできることに限りがある。残るはお前しかいないだろ」
「私だけ……」
「お前が手抜きしてるようじゃすぐ死ぬぞ。それともなにか、こんな座ってるだけのおっさんは死んでもいいって言うのか、お前は」
「そんなことないよ!」
「だったらちゃんと守れるように少しでも強くなってくれよ。後で後悔しても遅いんだからな。まったく、ここをどこだと思ってるんだ。南方海域だぞ。ぼんやりしやがって。ちょっとは想像力を働かせてからものを言え、ボケ娘」
「だからボケてなーいっ!」
「まあまあ二人とも、明日も早いんだし、今日はもう寝たら?」
狭い執務室に清霜の叫びが反響する。子供じみたやり取りは大井がクレームを入れに来るまで続いた。
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早朝からイムヤと北上はマキラ島にむけて出撃していった。
目的は偵察。北上は万が一のための護衛兼足止め要員で、潜水艦であるイムヤの後方からついていくように指示をした。遮蔽物のない海原では水上艦は隠れることができないからだ。見つからないに越したことはない。
居残り組みの清霜と大井は、待機。
といっても大井は相変わらず新貝の指揮下に入るつもりはないようで普段通り自室で艤装をいじったりしているだけだったが。
新貝は執務室で無線連絡待ち。
清霜は一応埠頭で待機させている。
しかし今回はただの偵察任務。出撃組がガ島を離れてから小一時間、新貝は早くも暇をもてあましつつあった。
手持ちの小型無線機で誰かと雑談でもしようかと考える。
何かあったときにすぐに連絡がとれるように、全員に小型無線機を持たせている。
「さあて誰と話すかな……」
まさか雑談するために出撃組に無線を飛ばすわけにいかない。となると残る候補は清霜か大井。
さてどちらにしようかと一瞬悩み、大井の周波数に電波を飛ばすことにする。
反応はすぐにあった。
『何かあったの?』
「いや、暇でな」
『私から話すことはないわ。さようなら』
「待て待て、切るな!」
辛辣な対応に焦る。
なにも適当に大井を選んだわけじゃない。話したいことがあったのだ。
――貴方は清霜に殺してこいと命じることができるのかしら?
新貝がここ最近になって清霜の特訓を始めた理由は、大井の忠告に触発されたからだ。
それまで新貝は最悪の事態について考えることを無意識的に避けていた。一度思いを巡らせてしまえばその未来が引き寄せられてくるのではないかと何となく思っていたからだ。
しかしそんな惰弱な考えは、部下の命を預かる一提督として持つべきではない。これでは新米だと馬鹿にされても仕方がないだろう。
「――だから一言、礼でも言おうと思ってな」
『それで? 他にも用事があるのでしょう』
回りくどい言い方をするな、と大井はつっけんどんに返す。
しかしそれは逆にいえば、言い淀んでいるこちらを促しているようにも感じた。
最近になってようやく分かってきた。大井は口こそ悪いが、その本意はけして相手を突き放してはいない。新貝はこうも思っている。大井は他人との間に壁を作るような言動をするが、根っこのところではお人好しなのではないか、と。
「お前が……大井が言っていた非常事態に備えておこうと思ってな。手を回すことにしたんだよ」
『それは優先順位をつけられるようになったということかしら、新貝貞二さん?』
「ああ」
『では聞かせてもらおうかしら』
ほら、思った通りだ。「勝手にすれば」と無線を切りはしない。こちらが覚悟を示せば手を貸してやると暗に言っている。
ならば示そうではないか。
「俺はガ島泊地の提督として戦う。いざとなればショートランドだって敵に回そう」
『かつての部下たちを殺すことができるの?』
「……戦いを回避する方法は探す。だが手をこまねいて自分たちが追い込まれるような真似はしない」
『へえ? 具体的には?』
「場合によっちゃあ先制攻撃も辞さないってことだ」
沈黙。ほんの一瞬の間ではあったが、大井もそれで何かを決めたらしい。声色が変わる。
『何故こちら側を優先するのかしら?』
「ショートランドの……いや、艦娘たちは全人類が味方で、頼る相手はいくらでもいる。逃げ出す先もある。だが俺たちにはそれが一切が無い。だったら俺一人でも味方になってやらなきゃ可哀想だろう?」
『何それ。同情?』
「ああそうだ。俺はもう誰かを孤独に追いやることはしたくない」
清霜が死んだときのことを思い出す。
彼女は司令部に見捨てられ、同じ艦隊の仲間たちに置いていかれ、頼りにしていた新貝からは無視されたも同然だった。
あまりにも酷い仕打ちだと思う。当の清霜は恨み言一つ吐かないけれど、それに甘えてしまってはならない。もう何があろうと清霜を突き放すような真似をしたくない。
そしてそれは清霜に限らない。イムヤも、北上も、大井だってそうだ。こいつらはもはや全人類、全艦娘から断絶している。見放してしまえば誰の記憶にも留まることなく泡のように消えていくだろう。そんなことは許してはならないと新貝は思う。彼女たちを見捨てることはしないと決めたのだ。
『あらそう。私は別に貴方の助けなんて要らないけど、まあいいわ。新米と呼ぶのは辞めてあげようじゃない』
「じゃあ早速だが協力してくれ。俺たちは戦力が少ない。手を取り合わなければ生き延びることも難しいだろう。お前の助けが必要なんだ」
『それは嫌』
「まずは全員で連携をとって……って、なにぃ!? この流れで嫌だとぉ!?」
『嫌よ』
「なんで!」
『鎮守府ごっこが馬鹿らしくなったからよ』
「……海軍に信用がおけなくなった、ってか?」
前作戦――ガ島奪還作戦では、大井と北上も沈んだと言う。普通の作戦ならエース級が二人もやられることはない。それだけ無謀な作戦だったということだ。
なるほど、それなら司令部や提督という存在に幻滅するのも仕方ないと思う。
新貝だってその気持ちはよく分かる。
「俺を信じられなくても構わない。他の連中のために戦うことはできないか? 北上は……合わないとしても、せめて清霜とイムヤのために」
『その二人も好きではないわね』
「その二人も、って……えぇ?」
思いもよらない言葉が飛び出した。イムヤも清霜も、大井の気に触るようなことはしていないはずだ。
「何が気に食わないんだ。そりゃお前から見たら色々足りてないかもしれないが、それを埋めようと努力はしているだろ」
興味をもたれないならまだしも、嫌われるような理由はないはずだ。
大井は淡々とした口調で訳の分からない話を続ける。
『別にあの娘たちがどうこうって話じゃないわ。理屈では清霜もイムヤも悪い子じゃないって分かってる。けどこればっかりはどうしようもないのよ』
「……何を言っているのかさっぱりだ。もっと分かりやすく言ってくれないか」
『要するに私は人嫌いなの。この世の誰とも何とも仲良くする気はないってこと』
「そんな身も蓋もない……」
『これでも生前は人の輪に入ろうと努力していたのよ。けれど善意で絡みとられて煩わしいだけのつまらない人生だった。今は解放されてせいせいしている。私は同じ轍を踏みたくないの』
「よく分からないが、それは大井が優柔不断だったせいじゃないのか? 嫌なことは嫌と、はっきり断れば良かったんだろう?」
『だから今、嫌だと断っているんじゃない』
「あ、そうか……。いやいや違う、それじゃ困る。そうじゃなくてだな」
『なにも違わないわ。最初から言ってるじゃない。敵が来たなら手を貸す、それ以外は知らないって。これ以上何を求めるというの?』
「そんなんじゃいざって時に……」
『そうなったらなったで潔く死ねばいいわ。自分を縛って生き残る可能性を上げるより、自由に死んだほうがマシってものよ』
大井はぴしゃりと拒絶するように言い渡す。“敵が来たときだけ協力する”、それは大井が最初に宣言した参戦条件そのままだった。
『それ以外は知らないわ』
「く……」
一時は和解めいた空気が漂っていたと思っていたのに、どうやらそれは錯覚だったらしい。
ここに至ってまだ我意を通そうとする姿勢に、新貝は眩暈を覚えた。こんな面倒くさい性格の奴は初めてだ。
(こんのクソ女……)
喉まで出かかった言葉をどうにか飲み込む。
防衛だけでも手を貸してくれると言ってくれるだけ有情だと思いもするが、頭を振って妥協的な考えを追い出した。全員で協力する、それは来たるべく時に向けた必須条件だった。
妙案を探して考えを巡らせる。部屋の隅々から窓の外にさえ視線を向けるが、当然そんなところに答えは転がっていない。
頭を抱えていると別の無線機が反応を示した。
『司令官! 敵が来ちゃった!』
清霜だった。
“てき”ってなんだろうと思っていると、ひゅひゅひゅひゅと砲弾が落ちるような音が聞こえる。霞に追いかけ回されて模擬弾を撃たれたときの音によく似ているな、と思っていたら目の前が閃光に包まれた。
爆音と熱波が新貝を襲う。
「うおーっ!?」
思わず身を屈めたのが幸いしたのか、どこにも怪我は無かった。
見ると窓の外の樹木が真っ二つに破壊されて炎上していた。
「こ、こいつは……」
もしかしなくても艦砲射撃だ。
よりにもよって北上がいないこのタイミングで敵襲があるとは。
『……本当に来ちゃったのね』
無線機から漏れた溜め息に、我にかえる。
「そうだ、お待ちかねの敵襲だ! 約束通り戦ってもらうぞ! 埠頭に行って清霜と合流しろ!」
流石の大井も、この期に及んで嫌とは言わなかった。無線機からは渋々といったふうに返答があった。
『タダ働きなんてごめんだけど、やると言ったからには仕方ないわね』
@
大井は埠頭で清霜と合流し、海面に飛び降りながら敵艦隊を確認する。
数は四。戦艦ル級一、重巡リ級一、駆逐ロ級が二。
はぐれだろうかと一瞬考えるが、大井たちの姿を見つけた敵艦隊の反応を見て即座に否定する。
四隻が鏡に写したようにぴたりと同じタイミングで回頭。陣形間隔に乱れなし。観艦式でも中々お目にかかれぬ一糸乱れぬ艦隊運動だ。並の深海棲艦にできる芸当ではない。
一応、新貝の無線に報告を入れながら大井は考える。
清霜には荷が重いかもしれない。
とはいえ大井単独で戦うのも厳しい。自分は北上のように対多数戦が得意なわけではないのだ。あの練度相手に一対四を挑めば、当たり前のように敗北するだろう。
――まあ、身も蓋もなく言ってしまえば。
別に今更死ぬのは怖くないし、その後に清霜や新貝がどうなろうと知ったことではない。
しかし、無様に死んで目の前の敵を喜ばせるのはごめんだし、それで愚かな女だと思われるのはどうにも我慢できない。
「あれも厭、これも厭。まったく……」
口の端を歪めて自嘲する。
戦う理由はそれだけで充分だった。
敵艦隊は接近しつつある。
大井は敵から目を逸らさぬまま、併走する清霜に声をかけた。
「いい清霜、よく聞いて。敵は強い。普通に戦えば貴女はすぐに沈むでしょう。そして私が囲まれてお終い。だから貴女は回避に専念しなさい」
隣の清霜から返答はない。頬に無言の抗議を感じる。
「貴女が生きていればそれだけで敵の注意が分散される。そうすれば私が逆に各個撃破していける可能性があるわ。分かるでしょ?」
「……私だってやれます!」
「いいえ、やれないわ。貴女には屈辱的かもしれないけど、今はこれが最善。敵からすれば戦艦が目の前でうろうろしているだけで物凄く邪魔なの。いつ攻撃が飛んでくるか分からない、もう少しで排除できるのに……そう思わせ続けることが重要なのよ」
「でも……」
「負ければ新貝貞二も死ぬことになるわよ」
「!!」
「いい? 攻撃は安全が確保できたときだけ。回避に専念すること。復唱!」
「……分かりました。攻撃は安全が確保できたときだけ、回避に専念します」
「よろしい」
そろそろ敵戦艦の射程範囲に入るはずだ。にわかに緊張が高まる。
そのとき敵艦隊が進路を右手に変更し、射程ぎりぎりの外を保つように緩やかな円運動を始めた。
(何のつもり? 増援待ち……はなさそうだし)
ちらりと大海原に目を向けるが水平線には何者の影も無い。
逆にこちらの増援を警戒しているのだろうか?
攻撃してこないならそれに乗ってやってもいいと大井は思う。何せこちらは不利なのだ。戦わずに済むならそれに越したことはない。
大井は敵艦隊の動きに迎合するように弧を描く進路をとり、互いで一つの大きな円を作る動きになった。
そのまま帰れと念じながらゆるやかに移動していると、手持ちの無線機がざりっと音を立てて反応した。
『――ワレ第三戦隊所属ヒエイ也。通告スル。ガダルカナル島カラ退去セヨ。繰リ返ス、ガダルカナル島カラ退去セヨ』
思わず目を見開いて凝視してしまう。敵のル級が無線を寄越した。意志の疎通を図ろうとしてくる深海棲艦なんて初めてだ。
いや、それよりも――無線を介せば言葉が通じると知っている?
(ヒエイ――“比叡”なら横須賀でぴんぴんしてるはずだけど。騙りかしら?)
清霜に目を向けると彼女も驚いていた。自分の耳がおかしくなったわけではないらしい。
視線を戻すと、ル級は未だ獲物を見定める肉食獣のような目つきでこちらを見つめている。表面だけ人の形を模した化け物、その印象は未だ変わらない。だがアレは確かに知性をもって交信してきているのだ。
大井は返答するべきか迷い、結局返すことにした。
「いきなり砲撃してきた挙句にそれはないんじゃない? 理由を聞かせてくれないかしら?」
聞くとル級、その口の端を大きく吊り上げる。
『最近ノ若イ連中ハ、戦場ノ機微モ知ランラシイ。コレハ交渉ニアラズ。宣戦布告ヨ。後ハ砲弾デ語ルノミ』
語る口から犬歯が覗く。彼女が笑っているわけではないことに大井は気付く。あれは威嚇だ。
殺し合おうと言っている。
目を細めたル級が前触れなく重心を落とす。するとそれに連動するように敵艦隊が一斉に砲を構えた。
『非国民、誅スベシ!』
四人の深海棲艦の砲門が一斉に光った。
「――ッ!」
異なるサイズの砲弾が、一塊となって大井に襲い掛かる。
大井は身体を大きく傾けて制動をかける。波飛沫が派手に巻き上がり、砲弾の雨は鼻先を掠めて斜め後方に水柱を乱立させた。
「――っ」
思わず冷や汗を覚える。
素人の制圧射撃とはわけが違う。あまりにも精度が良い。だからこそ今の攻撃を避けられたが、もしまた一斉射撃を撃たれるようなことがあれば、今度は避けられない範囲に弾幕を散らしてくるに違いない。次の機会を許してはならない。
仮に斉射を許してしまったら――自分でさえ回避できる自信がない。ましてや清霜には無理だろう。蜂の巣の出来上がりだ。
分かっていたことだが長期戦は不利。
かといって勝負を焦って賭けにでればそこを狙い撃ちされるだろう。
「ふん、生意気な連中」
苦戦の条件が揃っていくことに大井は胸の高鳴りを覚える。
悪い癖だと分かっていてもこれだけは抑えることができない。
誤解を恐れずにいえば、大井は戦うことが好きだった。戦っている瞬間だけが浮世の煩わしさを忘れることができるから。
だから、他の全てを忘れられるような激戦こそ望むところだった。
(――それに)
大井は戦闘モードに切り替わりつつある思考の片隅で、新貝に対して防衛だけならやってやると偉そうな口を叩いてしまったことを思い出す。
これで失敗なんてしたら、あの未熟な新米提督になんと言われるか分かったものではない。口だけ達者な勘違い女――そんな評価を受けることは彼女のプライドが許さない。
「上等じゃない……!」
大井は唇をぺろりと舐めながら攻撃態勢に移行する。
彼女の大腿部からぎしりと金属が軋む音が鳴った。
忌まわしい、深海棲艦の艤装。
それだけが今の大井の戦意を受けとめてくれる愛しい相棒だった。
地獄榛名に鬼金剛、羅刹霧島、夜叉比叡。
この超絶カッコいいネーミング通りの姿を、ぼかぁ見てみたかったんだよ。
でもなんか違うんだよなぁ。イメージには勝てねぇや。