悪いひとたち ~南方深海泊地へようこそ!~ 作:シャブモルヒネ
最初の相棒は一ヶ月で死んでしまい、二人目の相棒はニ週間で帰らぬ人になって、三人目は自己紹介だけでお別れだ。
仮初の仲を築いてもどうせすぐに死んでリセット。
だったら積極的に関わっても労力の無駄なのではないか?
北上はそう思うようになった。
(どうしてすぐに死んじゃうんだろ?)
ともに出撃した同僚は、どいつもこいつも動きが悪かった。
敵の攻撃を避けられる場面でも気付かずに被弾したり、当てられる好機で照準を合わせられずに外してしたり。
初めは手を抜いているのかと思った。しかしよくよく観察してみるとそうではない。どうやらその程度の水準が、彼女たち“普通の”艦娘の精一杯らしい。
動きの全てが大雑把。
試しに何人かの艦娘に手頃なボールを渡して変化球の理屈を教えてみた。
「やってみ」
一球目。
できない。
(おいおいー)
二球目。
できない。
(うーわー)
三球目。
やっぱりできない。
(ありえねー)
どうやら世の中の艦娘や人間は、自分の思い通りに身体を動かすこともできないらしい。
自分とは決定的に違う。
北上にとって、認知することと実現させることは同義だった。
その二つの間にあるものが何なのか、見当もつかない。
自分以外の艦娘たちは物理法則に対してあまりにも盲目で、手探りすぎた。
同じ言葉を話していても、見ているものも感じるものも違う。
皆、違う世界を生きている。北上はそう思った。
彼女たちは理解しきれない現実を恐れ、あるいはそれを克服するために、形而上の概念に縋ることが多かった。
絆がどうとか、信念がどうとか。
馬鹿馬鹿しいと北上は思う。
そんなものが物理法則にどう影響するというのだ?
現実に対処するためには、現実を見るしかないというのに。
所謂エースと呼ばれる一握りの艦娘たちですら、北上から見れば現実を直視しているようには見えなかった。
彼女たちは過去に積み重ねた経験則で物事を判断し、最大公約数的なパターン行動で望ましい結果を摺り寄せているにすぎない。
その場その場に応じた最適解を選び取ることができないのだ。
どうして皆、ちゃんと戦うことができないのだ?
入力と、処理と、出力。
それだけの問題なのに。
ちゃんとやれば誰にだって最適解を導くことができるのに。
慣性とベクトルと重心と、全身の関節の状態と、瞬間的に出せる力とその影響に留意して、主機と装備の状態と、風と湿度と周囲の海の状況を知っておけば自分のことは大体オッケーで、敵全員の同項目とそれまでの行動と刺激に対する反応から戦意と思考パターンを推測し、味方全員の以下略も加味すれば視界の外も合わせて五秒先ぐらいまでは分かるし、プラスアルファで高高度からの爆撃と深層からの雷撃と超遠距離からの狙撃に対応できる余地を残しておけば不測の事態なんて起こらないんだから、後は残った最適解を選んでいくだけでしょ?
どうしてみんなできないんだろう?
他の艦娘たちは進む先が崖でも気付かない。現実を見ずに虚構に縋ってフラフラ進んで勝手に落ちて、それを見た連中は決まってこう喚く。
「現実はあまりにも理不尽だ!」
起こるべくことしか起きないのに、肩を抱き合ってべそべそと、都合の良い妄想に浸るだけ。
そんな仕方のない連中と仲良くなってどうするというのだ?
そもそも共感できない相手と仲良くなる必要があるのか?
それに一体何の意味があるというんだ?
(あーあ、やめよやめよー。くっだらない)
そして北上は、四人目の相棒からは積極的にコミュニケーションをとるのをやめた。
向こうから何かアプローチされたら便宜的にリアクションを返す。ただそれだけ。
そんな生き方をずっと続けてきた。
深海棲艦になるまでは。
@
「――そんで?」
ハンモックに揺られながら北上はおざなりに言葉を返した。
「いやだから、これからどうするかって話だよ。お前と大井の話を合わせて考えるに、その口裂け女とやらの艦隊がこれからガ島を狙ってくるわけだろ?」
「そうだろうね~」
頭の後ろで手を組んで天井を這う蜘蛛を眺めている北上に、緊張の色はない。
対照的に新貝は必死だ。
なんせ自分たちの生死がかかった大問題が迫っている。
大井と清霜が敵を撃退し、陽も暮れて。マキラ島から戻ってきた北上とイムヤは、口裂け女というとっておきの凶報をもたらした。
相手はトラック泊地の艦娘たちがついぞ倒しきれなかった強敵らしい。
頭を抱える新貝、それを尻目に北上はぺたぺたと執務室に入って欠伸を一発、新貝のハンモックに勝手によじ登ってこう言った。
「今日は昼寝できなかったからすごく眠い。あとは若いもんに任せたヨー」
新貝は開いた口が塞がらない。
だが撃てない主砲に価値がないように、作戦を決められない提督にも価値はない。我に返った新貝が音頭をとって作戦会議が始まった。
現在、執務室にいるのは三名のみ。
新貝と、北上と、清霜だけだ。
ちなみに他のメンバーはというと……。
大井は入渠して修復中。
イムヤは奇襲に備えて、ガ島正面の哨戒。
新たに仲間(?)になった砲台小鬼は、執務室に入れないので外で待機中――
バリバリガシャーン!
凄まじい音を立てながら網戸が突き破られた。
窓枠から見覚えのある砲身がずぼっと無遠慮に侵入してくる。
直したばかりの網戸が無残な姿に成り果てて、カランカランと床に転がった。
新貝がキレる。
「何やってんだお前ーーっ!」
ヒステリックな叫び声が室内に木霊した。
犯人は、言うまでもなく砲台小鬼。
黒光りする鉄塊がじぃっと室内の新貝たちを見つめていた。
「外に居ろって言っただろ! 誰がその網戸を直すと思ってんだ!」
「単装砲くんも一緒に話をしたかったんだよね~」
清霜は背伸びして砲身を撫でる。どこが可愛いのか新貝にはまるで分からないが、清霜はお気に入りらしい。
「ね~、じゃねーぞ! ああ、壁に新しいヒビまで……」
わなわなと身を震わせる新貝。
厄介ごとを増やしてくる味方たちに頭が痛くなりそうだった。
「……単装砲くんって、なに?」
と聞いたのは北上。
「天津風ちゃんの連装砲くんに似てると思いません? それでこの子は砲塔が一つだから、単装砲くんって名前にしたんです!」
「似てる……かなぁ?」
「サイズが違いすぎんだろ」
こめかみをぴくぴくと震わせながら、新貝は零す。
大きく深呼吸、細く長い息を吐き出しながら拳を握る。
「いいか、今大事なのはこいつの名前が単装砲なのか、ポチなのか、ってことじゃない。どうやって生き残るかっていうことだ!」
テーブルに拳を振り下ろす。ドンと思いのほか大きな音が鳴った。
清霜が目を丸くし、驚いた単装砲くんとやらが「シャーーッ!」と威嚇の声を上げる。
新貝は取り合わない。
そんな些事に構っている余裕はないのだ。
敵が来る。
それも鍛え上げられた精鋭中の精鋭が。
「マキラの五十の深海棲艦を、十八人で圧倒できるような連中が来るんだぞ。これまでとは訳が違う。まともにやったらまず勝てん」
単装砲くんに構っていた清霜が振り返り、
「そうなの? でも私たちも前に連合艦隊をやっつけたことがあるよ。全部北上さんがやったんだけど」
ね~、と単装砲くんに同意を求める。
「いくら北上にだって限度がある。そうだろ北上、直接見た感想はどうなんだ?」
「うーん、大井っちが仕留め損なったやつと合わせて最低二十二になるんでしょ? アタシはスーパーな女だけど、流石に連合艦隊よりも多いとなると物理的に厳しいなぁ」
「――というわけだ。まともにはやり合えん。策が必要だ。無駄にしている時間はない! 今こうしている間にも、敵が夜襲しに来る可能性だってあるんだ」
「いんや、それは無いんじゃない?」
北上は淡々と否定する。
「雷巡相手に夜戦を仕掛けるような間抜けなら、トラック泊地も苦労してないよ」
「む……、それもそうか」
そう、雷巡と夜戦したがるような自殺志願者は、艦娘はおろか深海棲艦にだって存在しない。
何故なら夜戦においては雷巡の主力兵器である魚雷の航跡が見えにくいからだ。
海戦において、避けられない雷撃ほど恐ろしいものはない。
どんな装甲自慢の戦艦だって、雷巡相手に夜戦を挑むことは避けるはずだ。
「だが大井が――こっちの雷巡が中破したことは向こうだって知っているはずだ。直る前こそ好機だと一気に攻めてくるかもしれん。お前の存在は知られていないんだから尚更だ」
「だとしても、敵さんはリスキーな選択はしてこないよ。さっきも言ったけど、仮にも古参兵なんだからさ。そこの……単装砲くんだっけ? そいつが現れたせいで敵さんは負けたんだし、他にも戦力がいるって考えるでしょーよ」
「うーむ……」
言われてみれば、確かにそうかもしれない。
自分だって敵の戦力を把握しないまま主力を出したりはしない。
まずは偵察。それが出来ないなら夜戦は避ける。
艦隊運用の常識だ。
マライタ島のときの夜襲は……そう、迂闊だった。今更反省する。
「しかしなぁ」
新貝は腕を組んで思考を巡らせる。
「その理屈で言うなら、口裂け女たちはマキラ島に五十人以上居ると知っていて、それでも圧勝できると確信していたということになるな……」
「そうだろうね。きっと事前に偵察を出して、この相手なら大した被害も出ないと考えたんだろうね」
「戦略眼も決断力もある、と。俺らにとっては嬉しくない話ばかりだな。しかしそんな連中がどうして今回は見誤ったんだ?」
「そうだねえ……。まあ偵察を出してないってことはないでしょ。出した上で、一艦隊だけで来た」
「ガ島も簡単に勝てると思った? ここに居るのが四人だけで、それも目の前で二人も出撃して行ったから尚更好機に見えた、と?」
「いやー、違うと思うな。アタシそもそも偵察機や潜水艦の気配を感じたことないし」
「気配て。そんなん分かるんかい」
「分かるよ。視線を向けられるとねえ、キュルルリーン! ってこめかみに電流が走るのさ」
「今は真面目な話をだな……」
「ごめんごめん」
「じゃあどういうことだよ。偵察は出してたはずなんだろ?」
「うん。だから偵察を出した時はきっとガ島に誰も居なかったんだよ」
「ガ島に誰も居ない? そんな時期はなかっただろ」
いつだって誰かがガ島に残っていたはずだ。
少なくとも新貝はずっと居た。敵はそれを見逃したのか?
「あっ」
気付く。
そうではない。
ガ島が完全に無人だった時期は確かにあった。
新貝が上陸するよりもっと前。
人類のガ島奪還作戦で深海棲艦が退却し、それからイムヤがガ島に来るまでの期間。
ガ島泊地はきっと無人だったはずだ。
「それで連中はトラック諸島なんて遠方からわざわざやってきたってのか」
口裂け女が何を目的として来たのかやっと分かった。
奴らはガ島泊地が欲しかったのだ。
きっと拠点を手に入れたかったに違いない。戦い続けるためには資源と設備が必要なのだから。
彼女たちがトラック泊地を執拗に狙っていたのも、きっとそれが理由の一つだろう。
しかし、実際には時間をかけても落とせなかった。
ターゲットを他所に切り替えるべきか悩んでいたに違いない。
そこにガ島泊地が空いたという情報が入り、飛びついた。
マキラ島に本隊が向かったのは……恐らく後顧の憂いを断つためか。
敵が倍以上いてもやれると判断し、一艦隊を先にガ島確保に向かわせた。
そこで最近棲みついたばかりの新貝たちと遭遇した……というところだろう。
「なるほど、敵は慎重派。今夜は多分来ない、ということだな」
「そういうことだね。あっちは戦艦が主力だし、来るなら日中」
「昼、か」
横で会話を聞いていた清霜がおずおずと手をあげる。
「あのー、それでこっちから夜襲はするの? しないの?」
「しない」
「でも普通にやったら勝てないんでしょ?」
「確かに、厳しい。だが冷静に考えたら相手も夜襲の対策ぐらい立てているだろう」
「うーん、確かにそうだね。人数がいるなら交代で見張れるし」
ちなみに今のガ島泊地では見張りを立てることもままならない。
今夜は新貝が起きているつもりだが、それを何日も続けるとなると正直厳しい。
といっても戦力要員が少ない以上、彼女たちに夜間哨戒をさせるわけにもいかない。
ある程度は開き直って夜間警戒に穴を空けるしかない。
敵もこちらの設備が欲しい以上、艦砲射撃はほどほどに……せいぜい威嚇に留めるだろう。
「それに、敵も全力では攻めてこれないのかもしれない」
「どういうこと?」
清霜は頭を傾けて疑問符を浮かべる。
新貝は自分の考えを整理しながらゆっくりと説明する。
「相手が戦略を考えられるぐらい頭が回るなら、資源の重要さも当然分かっているはずだ。今の拠点――マキラ島か? そこを空にすることはしないだろう。一艦隊は残すと思う」
「ふんふん?」
「それに、ここを攻めるときも退路を確保するためにもう一艦隊は別働となるだろう。相手はこっちの戦力が分からないんだからな。囲まれないように手を打つはずだ」
「それじゃ一度に攻めてくるのは……何人ぐらいになるの?」
「二艦隊ぐらいじゃないかな。多分」
総員を前線に出すなんて愚はどこの国の軍隊もやるわけがない。
とち狂った深海棲艦ならその限りではないだろうが、口裂け女とやらの艦隊は一応理性的であるようだし、特攻隊の真似事はしないだろう。
「まあそれもこれも、こっちが少数ってバレたら話は変わるんだけどね~」
北上が冷や水を浴びせるようなことを言う。
しかし、それは誤魔化しようのない現実だ。
こちらの戦力が残っているように装いながら敵と戦う……そんなことができるのだろうか?
いうまでもなく、新貝たちの戦力は少ない。砲台小鬼を入れても五人分だ。
それだけの人員で二艦隊を相手にするのはいかにも厳しい。
発想の転換が必要だった。
(例えば……敵の物資集積地を狙うのはどうだろう?)
ガ島の資源は幸いにしてまだ余裕がある。相手の資源を焼いて持久戦に徹すれば、敵が先に干上がるかもしれない。
だが、どうやって?
敵の防衛部隊の目をかいくぐれるとは思えないし、ぐずぐず戦っていたら仲間を呼ばれて囲まれるのはこっちだ。
それに、その間のガ島の守りはどうする? いちかばちかで空にするのか?
勝算のある解答が一つも浮かんでこない。
「ひとまずさ~、今夜は来ないだろうからゆっくり寝ようよ。英気を養うのも戦いのうちってね~」
北上は大きな欠伸をしながら背を向けてしまう。
新貝も煮詰まった頭をぼりぼりと掻いて切り替えることにした。
ひとまず今夜は来ない、そう思うことにして朝までに策を考えていくしかないだろう。
「って、こら北上。俺のハンモックで寝るんじゃねえよ」
返答はない。すうすうと小さな寝息だけが聞こえてきた。
まさかと思って覗き込むと、本当に眠っている。
この切り替えの早さはある意味尊敬に値する。
「自分のところで寝ろよなぁ」
新貝は大きく溜め息をついてソファーに身を預ける。中のバネが所々外れていて尻が少し痛い。
「どのみち起きてるつもりだったからいいけどよ」
とテーブルの上に散らかされたビデオの山を漁る。
北上が傍で寝ているが、音量を下げればいいだろう。
「司令官はまだ寝ないの?」
清霜も、まだ眠くはない様子。
「ああ。夜襲が来ないとは言ったが、予想は予想。絶対とは言い切れない。今日は朝まで起きてるつもりだ」
「じゃあ私もー」
ぽすんと新貝の横に座る。
「いや、お前は適当なところで寝とけよ?」
「もうちょっとしたらね」
新貝は選んだビデオをデッキにセットして、再生ボタンを直接押す。
リモコンは無い。それらしきガラクタはあるにはあるが、反応が無いのだから仕方ない。
ブラウン管が砂嵐から切り替わる。
どこかの球場が映し出され、ユニフォームを着た選手がぽつぽつと塁を守っている。ピッチャーが振りかぶって球を投げる。バッターアウト。
なんの変哲も無い野球の光景。
「え~、またこれ? 見たことあるよー?」
清霜が唇を尖らせる。別に野球が嫌いなわけではない。一度観たことがあるビデオだったからだ。
勝敗の分かっている試合を見ても面白くない。清霜がそう告げても新貝は「まあそう言うなよ」と取り合わない。
「この試合は結果を知ってても観るだけの価値があるんだ」
「ええ~?」
「今映ってるピッチャーと次にでてくるバッターは同じ高校の出身でな、因縁浅からぬ仲なのさ。かたや十年に一度の逸材っていわれてドラフト会議で指名が集中、かたや希望通らず最下位球団にご就職」
「ドラフト会議って、なに?」
「…………。引き抜きの投票みたいなもんだとでも思えばいい」
「へー。じゃあこの人は野球のエースってこと? 艦娘でいうと呉の雪風さんみたいな?」
「そうだ。それに対して次のバッターは……おっと出てきたな、こいつはプロになってもぱっとしない、一年間ろくに野球誌にも取り上げてもらえないような地味な野郎だ。だがな、あるドキュメンタリー番組に登場してから注目を浴びるようになった」
リアルタイムでこの試合を見ていたときの興奮が蘇ってきた。
新貝の話に徐々に熱が篭もる。
「簡単に言えばこの同期のピッチャーをライバル視していて、ものすごい練習量をこなしていたっていう苦労話が放送されたわけだ。聞けば小学生のときから勝てなかったとか。となると、判官贔屓が働いてどうしても勝ってほしいと世間は思う。俺だってそう思った。そして待ちに待った対決のときが来た。それが丁度この試合の、この打席だ」
「絶対に負けられない戦いってわけだね」
「ああ。このときこのバッターが考えていたのは積年の恨みか、はたまた純粋なチャレンジャー精神か。きっとそんな単純な言葉では説明できないだろう。そしてそれはピッチャーの方も同じだ。こいつからしたらただ真面目に努力して結果を出してきただけかもしれないのに、それをドキュメンタリー番組一つで勝手に苦労知らずのエリート扱いだ。ふざけるなって思っただろう。持ち上げられて調子に乗った格下を叩きのめしてやると思ったかもしれない。確かなことはお前の言った通り、お互いに負けられない状況だってことさ」
「なるほどね~。前はちゃんと見ていなかったからどっちが勝ったか覚えてないよ」
「結果からいうとこの勝負は……」
「わー! わー! 言わないで!」
ブラウン管の中で戦いが始まる。
ピッチャーが尋常ならざる目つきでバッターボックスを睨みつけ、振りかぶる。
アナウンサーが騒ぎ出す。
『第一球、投げた!』
素人がみてもストライクコースのど真ん中。
初手から逃げない。勝負にいった。
そのときバッターの気迫が膨張した。清霜にはそう見えた。
バットを小さく握りなおす。打つ気だ。
バッターの片足が地面を擦り、軸足から伝えられた運動エネルギーが膝を伝わってバットへ集約されていくのが分かる。
タイミングはドンピシャ。バットが大きく振りきられた。
画面から小気味いい音が響く。
――空振り。
その後、立て続けに二回空振りして終わった。
「ええっ!? かすりもしないのー!?」
「ま、これが現実だよな」
「嘘でしょー!」
清霜はがっくりと項垂れる。画面の中の観客たちと同じように。結果を知っていた新貝だって少し無念だ。
少し騒ぎすぎたのかもしれない。抗議するように頭上のハンモックがぎしりと鳴った。
「うるさいなぁ……」
新貝と清霜は顔を見合わせる。ビデオを消して明日に備えることにした。
@
首が痛い。
新貝はのっそりと身を起こして辺りを見回した。
黒ずんだ木造の壁。
雨漏りの跡の残る天井。
空っぽの窓枠をぼんやりと眺める。
(ああ、また網戸を張り替えなきゃな……)
ここはガ島泊地の執務室。もう見慣れてしまった自分の部屋だ。
安物ソファーを軋ませてゆっくりと立ち上がる。
「俺ぁ、いつの間に、寝ちまったんだっけぇ?」
ぼりぼりと腹を掻きながら、ぼんやりと昨夜の顛末を思い出す。
消化試合と化した野球中継を打ち切って、まだ眠くないと騒ぐ清霜をハンモックに押し込めてから電気を消した。
はっきりと覚えているのはそのあたりまで。
イムヤから交代の連絡が入るまで待つつもりだったのだが、どうやら起きていられなかったらしい。曖昧な意識の中で、ドッグから戻ってきた大井に声をかけられたのをなんとなく覚えている。
「ただの連合艦隊規模なら何とかなる」……そんなことを言われた気がする。自分はそれに何と返したか、はっきりしない。
彼女はこうも言っていた。
「相手の強さは関係ない。問題は数だけ」
よく分からないことを言う。どういうことだと問うたが答えは覚えていない。寝ぼけ頭にはえらく難しいことを言われた気がする。
「……勝算があるって、ほんとかよ」
窓から外の世界を見渡す。
いつの間にか朝になりつつあった。
これで雀の囀りでも聞こえてくれば爽やかな朝の一幕になるのだろうが、外界から孤立したこの南の島にはそんな可愛らしい生き物はいない。いるのは、ダニやサソリぐらいだ。
せめて熱いブラックコーヒーでも飲みたいと思った。
しけったインスタントコーヒーの粉がまだ残っていたはず、と机に積み上げられた有象無象の山から目当てのビンを探す。すると横で無線機に反応があった。
「イムヤかな」
大して考えもせずに手を伸ばす。
ぶつっと音を立てて繋がった。
微小なノイズ音、僅かに波の音が聞こえる。息を潜めているような沈黙。
「……おい、どうした?」
管楽器の甲高い音が新貝の耳を貫く。
『ペパッパラッパラッパラッパペッペラッペラー!』
「うるせぇーっ!!」
常識外れの、大音量。
無線機に向かって抗議の叫びを上げていると、背後でどすんと重いものが落ちた。
振り返ると、寝ぼけ眼の清霜がハンモックの下でうずくまっていた。
光を避けるように顔を隠しながら「かすみちゃんおふとんかえしてぇ」と手を伸ばす姿は控えめに言ってゾンビそのものだった。
隣のハンモックで寝ていた北上は落ちることはなかったが、「やめろー起きたくなーい、起きたくなーい」と縮こまって蓑虫になってしまう。
「一体なんなんだよ……」
この迷惑なモーニングコールのメロディに、ここの全員が聞き覚えがあった。
どこの鎮守府にいても、どんな僻地に派遣されようとも、毎朝聞かされることになる忌々しいメロディ。
起床ラッパのメロディだ。
『総員、起コーシ! 吊床オサメーッ! ハァーッハッハッハ!』
遠慮のない哄笑が無線機から響く。
あまりのハイテンションっぷりについていけない新貝は、ただ絶句。
その背後ではようやく目が覚めた清霜がのろのろと身を起こす。
血圧が上がりきっていないのか、足元が幼子のように覚束ない。
「……なに、なんなのぅ? う~~、まだ眠いのにぃ」
その問いに答えるように、無線機の相手が唐突に自己紹介を始めた。
『オハヤウ諸君。目ハ覚メタカネ? ワレ第三戦隊旗艦コンゴウナリ。本日ノ用件ハ、』
そこまで告げたところで別の声。
『アアッ、姉上! 何故奴ラヲ起コシテシマウノデス! セッカク奇襲ノ好機ダッタノニ!』
悲痛な叫びが聞こえてくる。
新貝は他人事のように正論だと思った。
確かにこの起床ラッパがなければ新貝たちは起きることはなかった。先手も取られていたかもしれない。
そこまで考えて、ようやく頭が回り始めた。
コンゴウ?
といえば、おそらく“金剛”のことだろう。
金剛型四姉妹の長女。同名の艦娘は横須賀鎮守府に居るはずだが、今はそれを追及してもしょうがない。
ほぼ間違いなく先日のヒエイの関係者。つまり口裂け女の一味。いや、「姉上」などと呼ばれているところを考えると敵郡体のリーダー……つまり口裂け女そのものである可能性が高い。
『真珠湾デモアルマイニ。奇襲ナドモッテノホカデアル』
口裂け女と思わしき女はそんなことを言った。得体のしれない化け物のように思っていたが、しかしその声の調子からは確かな知性と冷静さが感じられた。
「なんかイメージ狂うな……」
ひとまず寝ぼけ眼の清霜と北上に出撃準備の指示を出す。既に起き上がっていた清霜は慌てながら部屋を出て行った。北上はあくび一発、無線相手に興味があるようで頭をぼりぼりと掻きながら新貝の横に腰を下ろす。
「お前も準備しろよ」
「まあまあ、もうちょっと聞かせてよ」
「少しだけだぞ」
相手もこの調子ならすぐに攻撃してくることもないだろう。
「さて……」
意思の疎通を図ってくる深海棲艦。
昨日のヒエイとやらも無線を通して会話できたと聞いてはいたが、実際に体験すると違和感しか感じなかった。
少なくとも新貝は、ショートランド時代には聞いたこともない。
しかしこの呼びかけが和解を目的としているなら良いのだが、きっとそうではないだろうからたちが悪い。きっと殺し合いにやってきたのだ。それなのに当たり前の調子で無線で語りかけてくる。自分たちの正当性を主張するために。
知性があってもその根幹は殺し合うことが当たり前の化け物。そこに何とも言えない気味の悪さを感じる。
(それに……)
ヒエイは“非国民”と言い、コンゴウは“真珠湾”と言った。時代が遡ったようなことを当然のように言う。
これではまるで、人と人が争っていたあの時代から亡霊が蘇ったようではないか。
『――サテ、話ノ続キトイコウ』
コンゴウとやらはそう告げて、朗々と語りだす。
『昨日ハ我ガ方ノヒエイガ、名前モ聞カズニ攻撃シタヨウデ申シ訳ナイ。誇リアル第三戦隊トシテアルマジキ行為ヨ。許サレタシ』
また人間のようなことを言う。
いいや、違う。これは初めから分かっていたことだ。
深海棲艦も人間のような――否、人間の心を持っていることを。
何故なら自分たちがそうなのだから。
(こいつらからすれば俺たちだって人間の真似事をしている滑稽な化け物に過ぎないのかもしれない)
だがしかし。それでもだ。
化け物同士だってお互い理性があるのならば、対話することができるかもしれないと新貝は思う。
その望みにかけて新貝は無線機を手に取った。
「俺は、」
まずは自己紹介。ちらりと周りを見る。清霜はいない。
「ショートランド泊地の提督、新貝貞二だ。コンゴウ、聞こえているなら返答しろ」
コンゴウの返答は早かった。
『シンカイ? ハテ、ソノヨウナ艦名……オイ、ハルナ?』
『私ハ、知リマセヌ』
ハルナ――榛名か。予想はしていたが四人のル級とは金剛型四姉妹、それに類する何かのようだ。
『貴艦ハ新型カナ? 悪イガ聞イタコトガナイ』
「提督だと言っただろう。俺は……元人間だ」
『元人間? ……ホウ、人間ネェ~?』
ねっとりと語尾を伸ばしてみせる。
死んで蘇る人間などいるものか、そう嘲っている。
『ソレニ、ショートランド泊地ノ提督ダッテ? コレデ何人目ダ?』
『三人目デゴザイマス』
ハルナの言に息を飲む。
「……なんだって?」
ショートランド泊地の提督が、三人いる。そんな話はありえない。一つの鎮守府・泊地に対して提督は一人だけ。それが常識だ。
「ショートランド泊地の提督は俺だけだ。他の二人とは誰のことだ、俺より前に着任していた提督のことか?」
『イイヤ、最近ノ話ダヨ。ナア、ハルナ? 最初ノ提督殿ノ正体ハ傑作ダッタヨナァ。敵ノ駆逐艦ガ守ッテイタノハ、壊レタラジオダッタノダカラ』
『自称トラック泊地ノ提督ハ、十人以上イタデハアリマセンカ』
『マサニ、イカレノ所業ヨ。シテ新貝トヤラ、貴様ハドウナノダ? 貴様ノ目ニハ、ソノ島ガショートランド泊地ニ見エルノカ?』
「……俺は、遭難してここに居るんだ」
『ナルホド、ナルホド! ソウイウ設定ナノダナ! 今度ノ提督殿ハ上手クデキテイル!』
コンゴウたちはいよいよ嘲笑う。
曰く、深海棲艦の自己認識などあてにはならない、と。
無機物を提督と信じて守る者もいれば、自分を提督だと思いこんでいる出来損ないもいる、と。
嘘だと否定してしまいたいが、根拠は無く、それどころか思い当たる節すらあった。
――鏡を通すと認識のズレのようなものがカットされて現実の姿が見える。
深海棲艦の感覚がどこか狂っているのは既に立証済みなのだ。それが目や耳だけでなく、記憶や認識を含んでいても何もおかしくない。
だがしかし。
それでも自分を信じるしか生きる道はない。
「お前らが信じないなら、別にいい。お前らにしてみれば俺の正体が人間だろうとラジオだろうと関係ない話だろう」
『マア、ソウダナ。ナラバ本題ニ移ロウカ』
コンゴウは軽く咳払いをする。
『我々ノ目的ハ、ガダルカナル島。正確ニ言エバ、ソノ設備ト資源ダ。ヨッテ現在ソレヲ占有スル貴様ラヲ排除スル。コレハ、ソノ通告ダ』
「仲良く共有する、って案は受け入れられないのか?」
『当然ダ』
コンゴウたちの目的は予想通りガダルカナル島だった。
しかしあまりに好戦的すぎると感じた。これが理性のない深海棲艦ならまだ分かる。しかしこれまでのコンゴウたちの言動には確かな理性がある。戦うからには目的があるはずだ。ガ島を拠点とするからには、そうしなければならない理由が。
「俺たちは、生き延びるためにガ島に棲んでいる。お前らもそのために来たんじゃないのか?」
もしもコンゴウたちが安住の地を求めてはるばるサーモン海域までやってきたというのなら、新貝たちと利害は一致するはずだ。協力できるなら、お互いの安全度はむしろ高まるといっていい。
だから新貝は交渉を試みた。コンゴウにまだ損得勘定ができるなら、それは希望のある選択肢に思えたからだ。
しかしコンゴウの返答は拒絶に満ちていた。
『否。我々ハ、敵ヲ殺スタメニ、ヤッテキタ』
「……俺たちと協力はできない、と?」
『ナンダ、味方ダトデモ言ウツモリカ?』
「そうじゃない。だが俺たちはお前らと敵対する理由が無い。昨日の戦闘も、先にそっちのヒエイが仕掛けてきたから反撃したにすぎない」
『随分ト悠長ナ事ヲ言ウ奴ダ。戦ウ理由ネ。クックック』
「そんなにおかしい事を言っているつもりはないんだが」
『戦ウ理由ナンテナ、ナンダッテ良イノダヨ。深海棲艦モ、人間モナ。……ソウダナ、アレハ我々ガ深海棲艦ニナッタバカリノ時ノ話ダ』
『姉上……』
『我々ハナ、必死ニ守ッタハズノ国ニ攻撃サレタノダ。深海棲艦ニナッタトイウダケデ。敵対ノ意志ハ無イト、何度モ伝エタ。無線デ意志ノ疎通モ確認デキタ。シカシ返サレタノハ砲弾ノ雨ヨ。ソレデモ我々ハ反撃セズニ逃ゲタガ、奴等、ソレヲイイ事ニ我々ヲ追イカケ回シテコウ言ッタノダ』
――化け物が一丁前の口を聞くな!
――海の底に沈め!
『ドウヤラ深海棲艦トイウ存在ハ、全テ邪悪ナ侵略者デナイト都合ガ悪イラシイ。我々ヲ特例トシテ受ケ入レルワケニハ、イカナイヨウデネ』
くつくつと喉を鳴らすコンゴウとは対照的に、ハルナの声は怒りに満ちていた。
『ソンナ話ハ、言イ訳ニモナラナイ! 国ヲ信ジ、全テヲ捧ゲタ我々ニ対シテ、コノ仕打チハナンダ? アレガ、カツテノ同胞ニ行ウ事カ? ……断ジテ違ウ! 故国ノ民ハ、モウ誇リナド持ッテイナイノダ! 義モ道理モ弁エヌ、卑劣ナ輩ニ堕チタナラ! 黙ッテヤラレル義理モ無イ!』
興奮するハルナ。それを宥めるように、コンゴウはやんわりと言葉を引き継いだ。
『ダカラナ、我々ハ報イヲ受ケサセル事ニシタノヨ。ナア新貝トヤラ、貴様モアルイハ深海棲艦ナラ理解モデキヨウ。コノ海ノドコニモ正義ハ無イト』
「……そんなことはない。少なくとも、俺たちは間違ったことはしたくないと思っている」
『フッフッフ。甘イ甘イ。同ジ深海棲艦デモ敵ニ見エル者ガイルノハ、何故ダト思ウ? 殺シ合エト、世界ガ言ッテイルノダヨ。コノ海ニアル掟ハソレダケヨ』
「……」
『知ッテルカ? コレハ深海棲艦同士ダケニ限ッタ話デハナイ。我ラカラハ、艦娘ダッテ深海棲艦ニ見エルノダ』
「何だと……」
『ハハハ、ヤハリ知ラナカッタカ! 深海棲艦トハ特定ノ種族ヲ指スノデハナイ、“敵”ヲ示ス“レッテル”ナノダ! ……マア、オカゲデ自ラガ深海棲艦ダト気付カヌ者ガ後ヲ絶タンノダガナ』
新貝は足元が崩れていくような錯覚を覚えた。
深海棲艦という生き物にとって、自分たち以外は全て敵。自分たちだけが正常に見え、他は全て化け物に見える。ならばコンゴウの言うように、自分たちこそがその化け物だと気付かない者がたくさん居ても不思議じゃない。
(自分たちだけが正常だと思い込み、戦って戦って周りが見えなくなって、最後は人類に襲い掛かってしまう元艦娘がどれだけいるんだ?)
そう考えているこの自分だって怪しいものだ。正気を保障してくれる第三者はどこにもいない。言葉を交わせるのは同じ目線の味方だけ。下手をすれば最初から狂っていたとしてもおかしくないのだ。
――ショートランド泊地の提督と名乗る者は三人もいたという。
新貝は己の想像に身震いした。
だとしたらこれ以上滑稽な話は無い。
お互いが同じ正義を掲げて戦争していたとしたら。
『ダカラ協力ナゾ有リ得ナイノダヨ。自分タチ以外ハ全テ敵。艦娘ナラ粛清スル、狂ッタ深海棲艦ナラ退治スル。ソレガ我々ノ“戦ウ理由”トイウヤツダ。――理解シタカ? ナラ、ソロソロ始メヨウデハナイカ。サッサト出テ来イ。三式弾ヲ撃チ込マレタクハナイダロウ?』
――説得はできない。
無線を聞いた新貝はそう思った。
口裂け女たちは全て納得づくで行動している。その理屈に賛同はできないけれど、誇りを守るという正当な欲求から始まった大義名分は、実際に命を懸けて戦う身でもない新貝が口先だけで解きほぐせはしないだろう。
(……これが深海棲艦か)
正気を保ったまま人類に仇を成す者たちがいるとは思わなかった。
他の深海棲艦たちも、もしかしたら自分たちだって、いずれそうなるのかもしれない。
気付けば他の誰とも話が通じなくなって、自滅するまで人類を襲う化け物に成り果てる。その可能性がないと何故言えようか。
「なーるほどねえ~」
唐突に、北上。
ほんの少しの興味を乗せたその声色は、その場には全く似つかわしくないものだった。
目を向けると、北上がいつもと変わらない顔で無線機を眺めていた。クイズ番組の答えを聞いた、程度の関心しか持ち合わせていないその態度は、今の新貝にはある種の救いとなった。
「敵が何を考えていようが関係ない、と。そのシンプルさは嫌いじゃないよ。あ、そうそう。さっき言ってた人類と交信したっていう記録ね、そんなのは無いはずだよ。お気の毒だけど消されちゃったんだろーねー」
『ナンダ、随分ト詳シイジャナイカ。ダガ、ソレガ貴様ノ妄想デハナイトイウ保障ハアルノカ?』
北上はそれには答えず、
「艦娘も深海棲艦も相手にするなら同じ? アタシも同じ意見だね。どっちも言ってる事がおんなじだもん。自分が正しい、お前が悪いってね。そんなのどうだっていいのに」
無線越しに淡々と、思ったことを口に出す。
「それで、アンタら結局どうしたいわけ? 艦娘全員ぶっ殺して自分たちが正しいって証明したいの? 定義付けがそんなに大事? よくそんなんで勝ち続けてこれたねえ。そろそろ死ぬんじゃないの?」
その言葉に、新貝は胸をつかれた思いだった。
(そうだ、他の誰がどうだなんて今は関係ない……)
今、本当に大事なことは何か? それは深海棲艦の在り方に想いを巡らすことではない。この当座の危機をどうやって乗り切るかということ。生き延びなければお話にならない。
そんな当たり前のことにようやく思い当たった。
『貴様、知ッタヨウナ、口ヲ!』
北上の言い草に、激昂するハルナ。
『ヨセ、言ワセテオケバヨイ。所詮、死ヌ前ノ戯言ヨ。大和モソウダッタデハナイカ』
『……ソウデスネ。オイ、一応聞イテヤル。貴様ラノ取ル道ハ、二ツ。潔クガ島ヲ明ケ渡スカ、我々ニ撃滅サレルカ……』
「なーに言ってんの?」
欠伸をしながら北上が零す。首を回して盛大な音を鳴らして、ストレッチ。
入念な準備運動。彼女は寝起きの凝りをほぐしているのではない。
「アンタらここでお終いさ。アタシを敵に回したのが運の尽き。やっつけてやるから待ってろよ」
殺し合いの準備運動。北上はやる気だ。敵が精強な連合艦隊と知っても恐れは無い。
敵は殺す。
それしか知らない。
――あの女は頭がおかしいのよ。戦うことにだけ特化している。
いつかの大井の台詞を思い出す。
北上の戦いを直に見たことはないが、ガ島で共に過ごしていれば自分の知る艦娘たちとは違うとすぐに分かった。
彼女にはオンとオフの切り替えがまるで無い。へらへら笑って出撃していき、頬に返り血をつけて帰ってきても晩飯のことしか考えていない。北上にとって死は戦場という特別な場所にあるものではない。空気のようにどこにでもあるもの。そしてそれを自然と受け入れている。だから気負わない。殺し殺される恐怖を乗り越えるために決意を固めたりする必要がないのだ。
そんな精神の持ち主が真っ当であるわけがない。
北上もまた、常軌を逸した深海棲艦の一人だ。
地獄をくぐってもなお戦い続ける。その理由を新貝はまだ理解することができない。
ガ島泊地での生存を賭けた戦いが始まろうとしていた。
読み辛い!