三玖と恋するフータロー   作:アランmk-2

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三玖ってむっつりスケベだからすごそう(小並感)


春風扇ぐ君の手で

 フータローが最近おかしい。

 普段している恋人同士の触れ合いの質が変わった。あのキス魔のフータローが、十分時間があっても一回しかしてこなかったり、その代わりにボディタッチが増えたりという具合だ。

 心当たりは、あの一緒にした誕生日パーティーの夜の事だ。あの時愛を交わしてその行為の余韻に浸っているときに、フータローが言った、

『次こういう事をする時は、三玖がしたいって言ってくれるまで我慢する』

 という言葉だ。

 あの甘くて熱くて、二つの糸が縺れて絡まるような一時は結構好きだけど、フータローが熱く零すような気持ちよさと言うものはあまり感じた事はない。それをフータローは分かったのだろうか。

 だから触れ合う事は気持ちいい事なんだ、と教えてくるような触れ方をするようになったのかな。

「三玖」

 ぎくりと胸が跳ねた。タイミングが良いのか悪いのか、声の主はフータローだ。ゆっくりと振り返るといつもの少し憮然としたような顔で私を見ている。

「今日バイトだろ。少しくらい勉強会に参加していかないか?」

「うん、そのつもり」

 人気のない廊下を手をつないで歩いて行き、空き教室に入る。教室は机が斜めになっていたり、椅子が出しっぱなしになっていて人がいた形跡はあるが、今は誰もいなかった。

「あれ、どこ行った?」

 フータローは多分他の姉妹が座っていたであろう席に歩いて行く。机の上には可愛らしいピンク色のメモが置いてあった。なになに、友達と勉強会を開くのでそっちはよろしくやっててください、と書いてある。

「あいつら、ふざけているのか?」

「でもその友達っていう子、クラスで一番成績のいい女の子だよ」

 ぐるるとフータローは納得いかないように唸る。やがて唸る無意味さに気付いたのか、鳴らしていた喉からため息を吐きだした。

「まあいいだろう。そういう勉強するネットワークは広い方が良いからな」

 そう言うとフータローは椅子にどかりと座り込む。鞄から分厚い参考書を取り出してノートを広げる。

「三玖、時間無いんだろ。分からなかった所を教える。それくらいなら出来るだろう」

「うん。えっと、昨日分からなかったとこが……」

 私は昨日解いていた英語の長文問題をフータローに見せた。私にとっては筋張って噛み切れないような問題を、フータローは魔法のように解き明かす。文に区切りを入れながら読み解く姿に、やっぱりフータローって頭が良いんだなと思う。

話を聞きながチラッと顔を盗み見る。男らしいけど細面な顔。普段は睨み気味の鋭い目が真剣な色を帯びて英文を追っている。真っすぐな鼻筋が通って、その下に最近はご無沙汰な唇が言葉を紡ぐ。

「……と、なる。分かったか?」

「うん。ありがと、フータロー」

 疑問が一つ解けたところで時計を見る。十分後に学校を出れば充分間に合うだろう。勉強にかこつけて、もう少しフータローと二人きりでいよう。

「あ」

 カチャンとペンが落ちる音がした。慌ててそれを拾おうと椅子から降りて屈む。ペンを摘まみ上げようとした指にフータローの指が重なった。目線を上げると、私の顔のほど近くにフータローの顔がある。

「三玖」

 優しく呼び掛けられると、胸が否応なしに弾んだ。フータローの深い知性を秘めた緑がかった目が、優しく笑って私を見つめてくる。

 重なった手を、フータローはぎゅっと掴む。フータローは笑ったまま、何をするでもなくじっと私をみているだけだ。

 その目線はまるでレーザービームのように私の心を溶かしてしまう。目線の熱量を受け取って、私は体が燃える様に熱くなる。

「三玖」

「フータロー……」

 心臓が泣いているように痛んで鼓動を刻む。この傷をフータローに舐めて癒して欲しかった。熱くて、照れくさいようで、少しの不安が体中を駆け巡る。

 フータロー、どうして見てるだけなの?

 いつもみたいにキスしてよ。

 私とキスするの、飽きちゃったの?

「フータロー」

 息がかかりそうなほどの距離で、私は呟いた。

 フータローは空いている手で、私の顎を伝いながら、くいっと顎先を持ち上げた。どくんと期待に震える胸が大きく脈打つ。神経が昂って、異常なほど集中していることが分かる。唇が、揺れる空気すら感じ取って、フータローからのキスを今か今かと待ちわびている。

「愛してる」

「ぁ……」

 その一言と共に、私の唇にフータローは唇を重ねる。唇から伝わるフータローの熱に、びりびりと痺れるような快感が顔に、頭に、体に伝わる。頭の中がぐしゃぐしゃにされるように強烈で、甘美で、体の芯も燃え溶かすような、そんなキスだった。

 しかし、フータローはすぐに離れた。笑いながら時計を指さして見ろと促している。

 見ると、もう学校を出ないとバイトに間に合わない時間だ。後ろ髪を引かれる思いだったけど、バイト先に迷惑をかけるわけにもいかない。

「……フータロー、また明日」

 フータローは私の頭をくしゃりとなでると、またな、と言って私を引っ張って立ち上がる。

 うん、がんばろう。

 

 

 二人きりで勉強している時、不意に合った目線に世界が止まったように感じる瞬間がある。それを感じた時、いつもフータローは私の体を触り、ゆっくりとキスをしてくれる。

 今日もそんな瞬間が不意に訪れた。

 休憩の時に私はお茶を淹れようと立ち上がる。フータローは手伝おうか、と言って立ち上がりかける中腰の時に、丁度私と同じ高さになって目線が重なった。

 それだけで私は、ああキスされるんだ、と思って期待に胸が膨らむ。フータローは私の肩を掴んで抱き寄せた。温かい恋人の体温を感じながら、うっとりするようなフータローの鼓動に聞き入る。

「三玖」

 何よりも愛しい声が、私を呼んでいる。その方向を見ると、きらりと光るフータローの瞳がこちらに向けられていた。あの鈍ちんで女の子に興味のなかったフータローが、こんなに熱い目で私を見ている。その嬉しさに、喜ばしさに愛の証が欲しくて、フータローにキスをねだる。

「フータロー」

 そう言って顔を少し上向きにして目を閉じる。私にキスをして、といういつものしぐさ。だけど、待っていてもフータローの唇が落ちてこない。目を開けるとフータローはじっとこちらを見ているだけだった。

 背中に回されていた彼の手がじわじわと首筋を上ってくる。普段は髪とヘッドホンで守られているそこは、初めて物が触れたかの如く過敏に反応する。

「ひゃっ……」

 ぞくりとするような感覚が背中を駆け抜ける。フータローの手はそのまま上に行き、五本の指が髪をかき分けながら頭をなでてきた。ちりちりと髪が擦れる音をどこか遠くに聞きながら、その髪一本一本すら愛撫するような優しい触り方に、私は顔の血がどんどん熱くなるのを感じた。

このとろとろに蕩けたような温かさで、フータローに思い切りキスされたらどんなに気持ちいいんだろう。あのあげたチョコレートのようにフータローの唇にまとわりつくようなキスがしたい。ぺろりと舐め取られるみたいに彼に食べられたってかまわない。

 だから、ねえ……フータロー。

「どうした、三玖。何をして欲しいんだ?」

 いじわるにフータローは笑う。察して、というわがままを許さない突き放した態度に、どうしてか胸の奥が疼く。

「き……キスしてほしい……フータロー」

 そう言うと、フータローは目を開けたままゆっくりと私に近づいてくる。この瞬間を私は待っていたんだ。心臓が早鐘を打つ。

早く。

早くキスして、フータロー。

 フータローにキスしてもらうために、私の唇はあるんだよ。

 唇にふわりとフータローの唇が当たる感触。いつもなら、そこから押し付けて絡まって溶け合うような行為が続くのに、どうしてなのかフータローは唇を離した。

 触れ合うというよりたまたま掠ったような、キスと呼べない刹那の唇の触れ合いに、胸がしくしくと泣くみたいに悲しく脈打つ。

「はっ……ぁっ……」

 望みをかなえてくれないもどかしさが、気付かないうちに息になって零れた。

 フータローはぽんと私の肩を叩いて、勝手知ったる私達の台所の棚からヤカンを取り出してお湯を沸かし始める。

馬鹿な事とは分かっているけど、その水にさえ嫉妬の様な気持ちが湧いてくる。水はいい。沸いてお湯になったらフータローに飲んでもらえるんだから。だけど、沸いたお湯のように熱く駆け巡るこの気持ちは、フータローに飲んでもらえなかったらどうすればいいんだろう。

 誰かに飲んでもらう? あり得ない。私が愛しているのはフータローだけなんだから。結局のところ、自然に冷めるまでこの気持ちを置いておくしかないんだ。けど、冷めても完全に熱が失われる訳じゃなくて、暖炉の灰に残った炭みたいに、その中に赤々と熱を残してくすぶっている事をフータローは分かってるのかな。

 受け止めて欲しいよ、フータロー。

私、どうにかなっちゃいそう。

 

 

 休憩時間に友達が買ってきた雑誌を読みながら話していると、こんな話題が出て来た。

「男ってヤりたいばっかでサイテー」

 私の友達のグループは、どちらかというと男っ気のない集まりだけど、各々男子に思う事を言い合い始めた。

「ジロジロ見て来るし」

「特に胸ばっか」

「ちょっと優しくすると勘違いして」

「あいつらバカなんだから」

 立て板に水とばかりに、たくさんの言葉の流れがどんどん溢れて板の上を滑り落ちていく。

 私は事の発端になった記事をもう一度見る。『男子に本音アンケート』と銘打たれたコーナーに赤裸々な質問が数問載っていた。これの『セックスをしたいか』という質問で圧倒的多数がはいと答えている所が、皆の逆鱗に触れたらしい。

 私も少し考えてみた。質問を『キスしたいか』くらいに考えれば、この質問にはいと答えた男の人の気持ちが少し分かる気がした。

 あのじりじりと焼けつくような、渇望する気持ち。したいと言っても暖簾に腕押しという風にすかされて、でもいやらしい人と思われたくなくて、すごすごと引き下がるしかない情けないような感情。私がフータローからのキスを欲しがるような気持ちで、男の人はセックスを求めているのだろうか。そう思うと、どこか同情のような気持ちが湧いてくる。

「かわいそう」

 ポツリと何の気なしに呟いた言葉は、皆の琴線に触れて、笑いの大音声を奏でる。納得したように、かわいそうかわいそうと口々に言っておかしさの引かないようにまだくすくす笑っていた。

 そう、かわいそうだ。沸きあがる熱い気持ちを受け取ってもらえず、結局自分の心中に収めるしかない事ほど情けない事は無い。

 教室のドアを見るとフータローが食堂から帰ってきていた。隣にはあの模試の一件以来仲良くなった武田君がいる。きっと私には理解できない勉強の話で盛り上がっているんだろう。この前話に混ぜてもらった時は、ニュースになっていたブラックホールから相対性理論の話になって、全く理解できずに大人しく四葉のグループに混ざってご飯を食べた事をよく覚えている。

 話に混ざれなくても、こうしてフータローを見ているだけで、ドキドキと鼓動が速くなる。クラスの皆は武田君ばかりカッコいいというけれど、フータローの方がカッコいいと声を大にして言いたかった。

「やっぱり付き合うなら武田君かなぁ?」

「うんうん。カッコいいし、頭も良くてスポーツ万能」

「性格だって優しいし、おまけに家はお金持ち」

「少女漫画でもなかなかいないくらいの男の子だよね」

「でも漫画だったら二番目ポジだよね」

「分かる~」

 どうやら会話のステージを漫画に移すらしい。

 分かる範囲でふんふん頷きながら、ときたまフータローの方を見る。

 フータローは漫画だとどういうキャラかな。ぶっきらぼうで、けっして性格の良い人とは言えないけれど、胸の内に優しさを秘めている。こう書くと、漫画に出てくるヒーローみたいだ。

  ……えへへ

フータロー。

私のヒーロー。

私の毎日が楽しいのは、君が悲劇のヒロイン気取りの目を覚ましてくれたからだよ。

ふとフータローと目が合った。声に出さずに目だけで思いを伝える。

大好き! フータロー。

赤くなって俯いた彼に、伝わった事が嬉しくてくすくすと心の奥で笑った。

 

 

「あいつら、俺達に気を遣う余裕なんてあるのか?」

少し勉強してからバイトに行こうと、この前と同じようにフータローと一緒に空き教室に行くと、これまた同じようにピンクのメモが置いてあった。もちろん内容も同じ。

フータローは納得しかねるという風に頭を軽く振るとこの前と同じ席に座った。私はそのすぐ隣に座る。

「三玖……その、だな」

「どうしたの、フータロー?」

 静かな時間が少し過ぎると、フータローは何の脈絡もなく言葉をかけて来た。数学の問題を解いている手を止めて、フータローの話に聞き入ることにする。

「ああいう事は止めて欲しい」

「ああいう事って?」

 私が聞き返すと、フータローは赤くなって口元を手で隠しながら言った。

「昼休みの……あの、好きって目線だ」

「何で?」

「何でって、それは……」

「迷惑だった?」

「そうじゃなくて……」

 フータローは前髪をいじってしばらく考えると、ゆっくりと身を乗り出してきて私の顔を両手で挟むように掴んだ。

「あんな可愛い顔、他の奴に見せたくない」

 その独占欲の詰まったらしからぬ言葉に、頬が緩んで笑いが零れた。私みたいに独り占めしたいって思ってくれてる事に、嬉しさを覚える。

「フータローのくせに」

「俺にだって、恋人を独占したいって気持ちくらいある」

「うん。嬉しい」

 困ったように眉根を寄せたフータローに、どうしようもないほどに愛しさを感じて、もっと触れ合いたい気持ちが膨れ上がる。

「ねえ……フータロー……」

 私の顔を挟むように持っていたフータローの手が解かれた。その手はふらふらと行き場を求めて、机に置いている私の手を包むように握って来た。

 なんだ? とフータローは笑う。

「キスして欲しい……して?」

 上目遣いにフータローを見る。私の精一杯のおねだり。

 瞳を閉じて、フータローからのキスを待つ。そっと額にフータローの温かい手の感覚がして、口付けられたのはそこだった。

「何で……?」

 私はいい加減そのじれったさに、もったいぶった行動に、いら立ちに似た感情が湧き起こる。

「どうして、してくれないの?」

「三玖?」

 そう言って覗き込むように見てくるフータローに、その唇に、私から飛びついた。

「んぐっ……」

 驚いたフータローの鼻息が頬をくすぐる。もう文句を言っても止めてあげない。こんな私にしたフータローがいけないんだ。

 そんなに日が空いたわけではないけれど、久しぶりに感じるキスは麻薬のように頭をくらくらさせる。キスってこんなに良かったっけ、と思うほど体がかっと熱くなり、頭に電極でも刺されたみたいにびりびりと色んな感情が頭の中を駆け巡る。

 息が続かなくなって、仕方なしにフータローから離れた。

「はっ……三玖、いきなり……」

「いきなり、じゃないよ。フータローがいけないんだよ。ずっとしてくれないから」

 待て、というフータローの静止の声も聴かずに、もう一度舐める様に唇を重ねる。

 胸の奥で温かい思いが爆発するように鼓動が早まり、心地よさの、溺れるほどの奔流に身を任せる。

「三玖、悪かった」

 唇を離すと開口一番フータローはそう言った。そのどこか言い訳くさい言葉の奥を見極めようと、私は睨むようにフータローを見つめる。

「何でしてくれなかったの?」

「それは……三玖の飢餓感を煽ろうかと思って」

「でも、したいって何回も言った」

「その、だな……キスだけじゃなく、もっと先の事に踏み込ませようと……」

 その先、と私はその言葉の意味する所を思い出して、俯いてフータローの視線から逃げた。もしフータローが、キスするからさせてくれと言ったら、私は頷いたと思う。

「でも、フータローが言ってくれたら……えっと、私は……」

「それじゃダメだ」

「でも、私は良いって言ってる」

 そう言った私の肩を軽く叩くと、フータローは優しく語り掛けてくれる。

「俺が言うから、じゃダメだ」

「……でも、男の人はしたいって雑誌に……」

「今だけ良いって付き合いならそれでいいかもしれないが、そうじゃないだろ?」

「フータロー?」

 フータローは手を伸ばして私の頭に置いた。そっと頭をなでてくる手の温かさに、優しさに身を任せて、その嬉しさに思わず頬が緩む。

「だからだな、その、性生活の不一致は離婚の原因にも十分なりえる訳で……」

 なでてくる手の動きが乱れる。答えを探すようにあっちこっちに目線を散らすフータローは新鮮だ。フータローにも答えにくい問題があるんだ。

「俺がしたいって言えば、三玖は嫌だったとしてもいいよって言うだろ」

 これはその通りかもしれない。初めてした時、バラバラに裂けそうなくらい痛かったけど、でもフータローがしたいなら私が我慢すれば良いんだ、と思った事は記憶に新しい。フータローがたくさんの時間とキスを掛けてくれなかったら、私はあの行為に嫌悪の感情しか抱かなかっただろう。

「それは嫌だ。俺はセックスするより、三玖とずっと一緒にいる方が大切だから」

 ずっと一緒……

痺れる様に心臓が跳ねた。きゅっと縮こまって、そして破裂寸前まで膨らむような、体がその嬉しい言葉に付いていこうと無理してるみたいな、今まで感じた事のない鼓動。

「とは言っても俺だって男だから、したい気持ちが無いとは言えない。だから三玖がしたいって言ってくれるように策を弄したんだ」

 そう釈明し終えるとそっと短いキスをくれた。

「でももう止めだ。三玖がそんな風に思っていたなら、キスくらいいくらでもしよう」

 そう言ってくれたフータローに、嬉しくなって飛びついた。

 首に腕を回して、出来なかった分を取り戻すように深い口付けを交わす。

「んっ……ちゅっ……」

 舌でフータローの唇をつついて迎え入れてもらう。赤い舌がちろちろ舐め合い、甘い唾液の交換をする。

 久しぶりのその深いキスに、呼吸の仕方を忘れた体が悲鳴を上げて気持ちとは裏腹に離れた。

「はっ、はー……ふぅ」

 息を整えて、もう一回絡まりあう。びっくりするようなフータローとの体温の差がなくなったように、もう自分の口を舐めているのか、フータローの口の中を舐めているのか分からないくらい頭がどろどろになった。湯だった頭には、もうフータローとキスすることしか頭にない。

「ふぁ……あむっ、ちゅっ……」

 触れるだけの、噛みつくような、絡ませるように、もっと、もっともっと、

――したい

 抱いたことのない気持ちがドクンと胸を弾ませる。

 今、私は何て思ったの?

 したい? 確かにキスはしたいけど。

でも、それとは違うもっと深いところから湧き上がってくる不思議な気持ち。確かめるように、もう一度キスをする。唇で噛みつくようにフータローの唇を挟む。フータローの目が笑って、お返しとばかりに下唇を挟みこまれる。

 満足の炎が体中を駆け巡っているのに、どこかで切ないような、ズキリと痛むような不満足の煙がくすぶっている。

「キスがレモンの味なんて言った人は、きっとレモンが好きだったんだろうな」

 フータローは満足そうな笑顔を浮かべながら、そんなことを言ってきた。いまいち意味が分からない私は、首をかしげてフータローに答えを求めた。

 そっとキスをしてきて、そして言った。

「俺が世界で一番好きな味がする」

「ぁ……」

 そのちょっとキザなセリフ、臆面もなくそう言ってくれる嬉しさにキュンキュン胸が疼いて、体の奥から燃え尽きる様に熱くなった。

「フータロー、好き」

 とてもじゃないけど我慢できなかった。火山の噴煙をせき止められないように、胸の内にもくもくと、したい気持ちが膨れ上がって恥ずかしさなんて物を焼き切るようにへし折ってしまう。

「こんなに好きで、好きで好きで好きな気持ち、私にあるなんて知らなかった」

 なんで好きって言葉に、こんなに物足りなくなるんだろう。世の恋人達はどうやって恋人にこの気持ちを伝えているんだろう。

「好きだよ、愛してる。フータロー、愛してる」

 愛してるより、もっと上の気持ちを表す言葉があったらいいのに。

「三玖」

「ぁ……」

 嬉しい。嬉しい、嬉しい!

ただ名前を呼ばれただけで、何でこんなに嬉しいんだろう。これが恋の魔法なんだ。

「愛してる」

 その言葉が嬉しくて、嬉しすぎるほどに心が震えて、涙が溢れてきてフータローの顔もにじむほどだった。

 フータローは頬をつうっと流れる涙を舐め取ってくれる。その優しさがどれだけ私を喜ばせてくれるか伝えたくて、また絡まるようなキスをする。

「情熱的なキスは嬉しいが、三玖、バイトの時間じゃないか? 俺もそうだけど」

「え……?」

 そんなことを言われても、この体は離れたくないと痛いほどに脈打った。

「うぅ~」

「そんな顔してもダメだ」

「さ……最後にもう一回させて……」

 しょうがないな、とフータローは笑いながら私の頭をくしゃりとなでる。そんな姿もさまになっててカッコいいなって、胸のときめきが抑えられなくて破裂してしまいそうになる。

 ゆっくりとフータローが近づいてくれる。甘い吐息が触れて否応なしに期待が高まる。ふわりと唇が触れれば、何回しても飽きない痺れるような気持ちよさにつつまれて、ふわふわと自分の立っている足元さえおぼつかなくなってしまう。

 フータローが唇を離すと、そんなの嫌だと思って追いかけた。

「み……んんっ」

 何回しても、し足りない。もっともっと繋がりたい。

 ああ、そうだ。

 きっとこれが……

「三玖。もうしないぞ」

 フータローが自分の唇の前でバツ印を作った。名残惜しい気持ちはあるけど、でもそうやって止めてくれないとずっとしていたかもしれない。

「あと顔を洗って行け」

「え、そんな酷い顔してる?」

「綺麗だ。だから他の奴に見せたくない」

 反則だ。

なんでこの人の言葉は、こんなに胸を疼かせて、嬉しい鼓動が轟くんだろう。

 でも一旦忘れよう。私だってこういう顔をフータロー以外に見せたくない。

「バイトが終わったら会える?」

「ああ。時間をつくろう」

 フータローの大きな手を握る。握り返してくれるのが嬉しくて、その嬉しさに口元をほころばせながらフータローを見つめる。

 そのまま正門から出て行くと、何人かにジロジロ見られたけど、そんな事気にしていられない。恥ずかしいより、嬉しい方が大きいから、見られたって平気だ。

 

 

「中野さーん。はいこれ、次のシフトね」

「あ、ありがとうございます」

 バイトの終わり頃、店長が次のシフト表をくれた。

「中野さんこれから修学旅行だっけ? その前にちょっと詰めちゃったけど大丈夫かな?」

「はい、大丈夫……」

 シフト表を見ると驚きの事態に焦りが生まれる。修学旅行まで休日はほぼ全て出るようにシフトが組まれている。

「ごめんね、なぜか中野さんが修学旅行行くまでの間、休日に出られないって子が多くて。でも修学旅行終わってからはちゃんと減らしてるから」

 そう言ってくれても慰めになるかどうか。目を皿のようにしてシフト表を食い入るように見つめると、蜘蛛の糸のような救いの一日休みがあった。その日はフータローも休みな事を思い出す。

 それは明日だ。

「中野さん?」

「え、あの、大丈夫です。お疲れ様でした」

「う、うん。お疲れ」

 急いで着替えてシフト表を制服のポケットに入れる。

 急がなくちゃ。私に残された時間は、あと三時間ほどしかない今日と、明日だけなんだから。

 フータローはバイト先であるケーキ屋さんのすぐ近くにあるコンビニで見つけた。

「ん、三玖。お疲れ」

 ただの風よけに入っただけのフータローは、雑誌コーナーで赤本を読むという珍妙な姿だったが、とりあえずそれは脇においておいて外に引っ張りだした。

「三玖どうした。急ぎの用事でもあるのか?」

 急ぎと言えば急ぎだろうか。

 でも、こうフータローを前にするとどうしても恥ずかしい気持ちが顔をのぞかせる。

 ……いいや、いかなくちゃ。明日を逃したら、このもやもやした気持ちを少なくとも修学旅行が終わるまで抱える事になるんだから。

 動くこと雷霆の如し。

 私はフータローの首に抱き着いて、思い切りキスをした。

「三玖、どうしたんだ?」

 フータローは顔を赤らめて口元を隠し、流し目をくれるように私を睨んでくる。その色っぽい目にドキリとして目的を一瞬忘れかける。

 だめ。勇気を出さなくちゃ。あれはそういう気持ちなんだって分かったから。

「フータロー……」

 屈んでくれたフータローの耳に、ぽしょぽしょと内緒話する。

――えっちしたい。

 


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