このドキドキをどう言葉にしたらいいんだろう。
俺は今、前まで五人が住んでいたマンションのエレベーターに乗って、三十階に到着するのを心待ちにしている。
操作盤のすぐ前に立っている三玖が、俺の方を振り返ってきて、赤い顔を伏せるようにしながらそれでも手を握って来た。
俺が欲しがっていた肯定の意味の言葉を口にした三玖について行くと、そこはこのマンションだった。
この前父親と会った時に帰ってきても良い、とカードキーを手渡されたらしい。ロックを解除する際に、ごめんなさいと三玖が言っていた。しかし、その後ろめたさに三玖の頬が赤らんで、俺もそうだがあまりよろしくない興奮をしている事は否定できなかった。
さっきの言葉を思い出すだけで、俺は下半身に血が集まってきてしまって、それを隠すように言い訳がましく赤本を持ち、その本で股間を隠した。
上る箱が動きを止めると、ゆっくりとドアが開く。あの部屋までの僅かな距離の廊下が輝くように思えてくる。この少しの距離を歩いたら、誰にはばかる事もなく三玖とめくるめくようなセックスに溺れる事が出来るのだろうか。俺はさらに下半身に血が集まって、どうしようもない程に三玖と繋がりたくなった。
三玖がカードキーを通す。
がちゃりと開く扉は、さながら天国への扉のようだ。
三玖が先に入り、俺が後に続く。後ろ手に扉を閉めて鍵をかけると、三玖が俺の首に抱き着いてきた。
「おかえり、フータロー」
「三玖、ただいま」
その会話で、俺達は夫婦なんだと自分に言い聞かせる。
そうだ、俺達は夫婦なんだから、セックスする事は何らおかしくない。
ちゅっと短いキスをしてくっつけていた体を離す。もしもっと長いキスや、深いキスをしてしまうと、この場で下着を下ろしてまぐわってしまうだろうという事を、お互いに考えているだろうから。
「ご飯の用意するね」
そう言うと三玖はブレザーを脱いで、青いカーディガンの上に黒のエプロンを着けた。
大きな鍋を取り出して水をいっぱいに張り火にかける。手には黄金色の束。パスタだろうか。三玖は冷蔵庫の中身と睨めっこして、スマホをとんとんとタップする。何のソースを和えるのか決めたのか、冷蔵庫から卵とチーズとベーコンを引っ張り出した。
「フータロー、お風呂の用意してて」
言われるまま俺は浴室に向かう。浴槽を洗い、お湯を入れる。ここの風呂は楽だ。溜まったら勝手に蛇口を締めて止まってくれる。
リビングに戻り、料理をしてくれている三玖を眺める。何かに打ち込んでいる姿は不思議なほど魅力的に見えてしょうがない。
ああ、三玖に抱き着きたい。キスがしたい。料理よりもお前が食べたいなんて言って、そのまま始めるのも悪くない。
頭をふってその考えを追い出す。もしそうして、行為の最中に腹の虫が鳴ったら興ざめもいいとこだ。普段の俺では考えられないほどピンク色の妄想を振り払おうと、鞄から漢文の問題でも取り出して見てその世界に没頭する。
……
「フータロー」
頭の中で文を組み立てていると、不意に俺を呼ぶ声が聞こえた。三玖がテーブルにパスタの入った皿を置いて、頬杖をつきながらこちらを見ている。
「冷めちゃうよ」
「すまん。食べるよ」
ふわりと三玖は笑って「めしあがれ」とおどけて言う。
「いただきます」
薄く黄色のソースにベーコンがぱらぱらあって、上に黒コショウがかかっている。カルボナーラだ。さすがにそれくらいは俺でも知っている。
フォークに少し巻き付けて口に運ぶ。チーズのねっとりと絡みつくような旨味と、甘いようにも感じる肉の脂が口の中で混ざり、最後にコショウの風味が鼻に抜ける。
「上手くなったんじゃないか? 三玖」
旨さを感じる下限が低すぎるんじゃないの、とは二乃の俺に対する評価だが、三玖の料理が以前の物とは違うことが俺の貧乏舌でも良く分かった。
「嬉しい」
三玖は笑う。そんな顔が見られるなら、何でも旨く感じる事は得だなと思った。先に食べ終えた三玖は、食べている俺を見ながらにこにこと嬉しそうだ。
浴室の方からお風呂が沸きました、という声が聞こえてくる。
「三玖、先に入ったらどうだ? 洗い物は俺がやっておこう」
「わ……分かった……」
一番風呂を勧めると、三玖はなぜか赤くなって着替えを数枚持って浴室に向かった。
変な三玖、と思って頭を捻っていると一つ思い当たる。先にシャワー浴びて来いよ、なんて映画でも聞かないセリフを言っていたも同然だ。俺は一人で恥ずかしくなって顔が熱くなる。男が赤ら顔で何が面白いんだ、と自嘲しながら煩悩を落とすように皿を洗った。
「ふ……フータロー、えっと……どうぞ」
ソファに座って漢文問題の続きをしていると三玖が声をかけてきた。返事をしようと問題から顔を上げると、俺は三玖の恰好に目が釘付けになる。
髪が濡れて艶っぽく輝き、その長い髪が首筋に張り付いていた。血色の良くなった顔が照れたように赤い。何より目にとまるのは、水色のキャミソール姿ということだ。その白い肩を、首回りを惜しげもなくさらしている。立ち上がって三玖を見下ろすと、その豊かな胸の間に生まれる深い谷間が良く見えた。
「……見すぎ」
「え……ああ、すまん」
じっと見すぎたせいか、三玖に腕で胸元をかばうように隠されてしまった。ちょっと残念に思いながら、以前泊まり込みで勉強をしたときに着ていた服を持って浴室に向かった。
服を脱いで、まだシャワーの温かさが宙に漂う浴室に入る。
脳裏にさっきの三玖がフラッシュバックする。あの女性としての魅力に満ちた、ほっそりとして、でも出るとこは出ている体。あの柔らかな胸に指をうずめる感触がありありと思い出されて、欲望を抑えられずに屹立したものに触れる。しかしすぐに快楽が頂点に達しそうになり、慌ててその手を止めた。こんなところで無駄打ちなんかしていられない。
冷たいシャワーを浴びてあれが収まるように深く息をする。収まったところで髪を洗って、念入りに体を洗う。
風呂から上がると、洗面台の前で歯を磨いてる三玖と目が合った。三玖は視線を俺の頭からつま先まで二・三回往復させると、赤くなって慌てて逃げだした。
そんな様子をおかしく思いながら体を拭いて、用意してくれた服に袖を通す。途中のコンビニで買った安物の歯ブラシの封を切り、歯磨き粉を失敬して磨き始めた。機をうかがっていた三玖が入ってきてうがいを始めた。
一通り終わらせた三玖は、俺に呟く。
「部屋で待ってるから」
三玖を見る。しかし三玖は顔を伏せて俺の視線から逃げて、そのまま部屋へと小走りに駆けて行った。
部屋で何をするのか。その事を思うと体中の血がかっと熱くなり、痛い程勃起して、期待に先走る汁でパンツをダメにしてしまいそうだった。
マウスウォッシュ液を少し頂戴して念入りに歯磨きを終わらせた俺は、リビングに置いた自分の鞄をあさる。常にあわよくば、と考えている男子の浅ましさなのか、財布に忍ばせたコンドームを三個……四個持っていこう。
マンションの一室のくせにある階段を登り、三玖の部屋の前に立つ。コン、とノックすると「入っていいよ」と言う声が僅かに聞こえた。
ドアを開けて中に入ると、掛け軸に屏風といった和な調度品が目に入る。そして、ベッドが置いてあり、その上に三玖が腰かけていた。
「フータロー」
小さく囁くようなその声は、俺達の他に誰もいない部屋に良く通る。呼ばれて、俺は三玖の下に歩いて行く。眩いほどに美しい三玖に引き寄せられる俺は、さながら蝶か蛾だろうか。
「三玖」
呼びかけると、三玖はその潤んで煌めく大きな目を上目遣いがちに俺に向ける。その綺麗な目に圧倒されて、息が詰まるように感じた。ズキリと切ないように胸が跳ねて、早く三玖と触れ合いたいと思う。
隣に座り、三玖の両肩を掴む。
「「愛してる」」
重なりあった声の様に、俺達は唇を重ねた。
風呂上がりの温かくて甘い女の子の香りが、鼻腔から脳を揺さぶり狂おしいほど好きの感情をかき立てる。短く、何回も触れ合うキスを繰り返す。
ちゅっ、と一際大きなリップ音が鳴ると、それが合図かのように三玖は俺の背中に手を回し、体をぴったりくっつけた。
柔らかい胸の奥から命の震えが伝わってきて、この三玖という一人の女の子に愛しい感情を改めて感じる。
「好き」
三玖は胸に秘めている思いを爆発させると、噛みつくようにキスをしてきた。唇で俺の唇を挟んできて、わずかに開いた口の隙間に舌を入れてくる。俺は口を開けて三玖の舌を迎え入れた。口に入って来た愛しい訪問者をぺろりと舐めて歓迎する。
「ん……ふっ、ぁん……」
鼻から甘い声が漏れて、乱れた息を整えるために唇を離す。細い透明な唾液の糸が名残惜しそうに俺と三玖の間に架かり、見つめるだけの余韻を残して、そして切れた。
切ない吐息が三玖から零れて、その切なさを飲み込むようにゆっくりキスをした。そっと押し付けるようにキスに力を込め、そのまま三玖をベッドに押し倒す。
キャミソールの肩紐が片方外れて、なぜだかとても色っぽい。色気の源である紐がかかっていた肩にキスを落とす。鎖骨のくぼみに舌をつたわせ、首筋にキスをしながら登っていく。
「ひゃっ……ぁ、んんっ」
くすぐったそうに身をよじりながら、嬉しそうに小さく笑った。顎の付け根にちゅっと口付けると目の前に耳がある。女性は耳が弱いという話を、図書館で読み漁った雑誌か本かに書いてあった事を思い出して、
「好きだ、三玖」
優しく声をかけ、耳たぶを甘噛みした。
「フータロ……」
戸惑うような声が三玖の口から零れる。まだ足りないか?
「愛してる、三玖。俺とずっと一緒にいてくれ」
耳から直接脳を揺さぶるように囁くと、三玖は震えて俺を力強く抱きしめた。三玖を押しつぶさないように突っ張っていた腕に力が入らなくなり、のしかかるように体重をかけた。
「三玖、重いだろ」
「フータローだから重くない」
顔だけ上げて、そっと口付ける。三玖は両手で俺の頭を掴むと、自分の唇に俺を押し付けた。息が出来ないほどの情熱的なキスに、粟立つほどの気持ちよさが体中を駆け巡る。
しかし息が続かなくなり、肩を叩いてギブアップの意思を示した。唇が離れると、まだ不満そうな顔をのぞかせる三玖が要求してくる。
「フータロー、もう一回言って」
「何をだ?」
と俺が言うと、怒ったように膨れっ面になり、俺の耳に口を寄せた。
ぞわぞわするような、甘い囁きを繰り出す。
「フータロー、大好き。愛してる。私のこと、めちゃくちゃにして」
なるほど……これは効く。
いたずらっぽく三玖が笑うが、その可愛らしさを裏切ってしまいそうな、獣のような欲が湧き上がってくる。コンドームもつけないで思い切り腰を振り、三玖の中を全て白に染めるほどの精を解き放ちたいという、男の奥に秘められた欲望だ。
俺は痛いほど膨れ上がったモノを三玖の柔らかい太ももにぐいと押し付けた。三玖は驚きに目を見開いて何かを訴えるように口をぱくぱくさせるが、赤くした顔を横に反らす。
「めちゃくちゃにしたい」
その言葉の持つ意味が実感を伴って蘇ったのか、大きな目に零れ落ちそうなほどの涙が溜まる。
俺は冗談だよと言うふうに笑って額にキスをした。そのキスに込められた意味を察したのか、三玖も笑って俺の頬にキスをし返した。
「学校でも言ったが」
三玖は大きな目をぱちくりと数回瞬きして、小首をかしげて話の続きを促す。
「こういう事には、三玖の意思がないと」
「でも男の人はしたいんでしょ?」
同じような話の流れ。どうやら三玖はもう一度言って欲しいらしい。ずっと一緒、という言葉は三玖の琴線に大いに触れるようだ。
「三玖の嫌な事は、俺も嫌だ」
小さな桜色の唇を舐めて、二つが一つになりそうなキスをゆっくりと落とした。
「あ……んっ……」
口の端から喘ぐような桃色の色がついた吐息が立ち昇る。なんてたまらない気持ちになるのだろう。この子の愛を独り占めにしたい、という欲望が沸々と湧いて抑えられなくなる。だから三玖はずっと一緒という言葉が好きなんだ。
「ずっと一緒にいられない事が、一番嫌だからな」
目の前の三玖の肩が震えて、俺の体に回した腕の力を強める。その長い睫毛にダイヤモンドのような涙の雫が乗り、眩い様な美しさに拍車をかける。
「嬉しい、フータロー」
三玖は右手で俺の左手を取る。ゆっくりと、確かめるように指を絡ませて強く握ってきた。
「ずっと一緒にいて」
その言葉を言葉だけにしたくなくて、証明の判を押すように口付ける。交わした約束に重さが生まれて、捉えどころのない愛が確かなものとして二人の間に刻まれたように感じる。唇を離すと、三玖は嬉しそうに笑った。三玖も同じ気持ちだ、と感じる事は、何て幸せだろう。
「フータロー」
三玖は絡ませていた手をほどく。空いた両手で俺のシャツの裾をまくってきて、俺はその求めに応じて袖を抜き、上半身を裸にした。
体の奥から零れるような熱い吐息が、三玖の口から吐かれて俺の肌を撫ぜる。
「男の裸なんて面白いか?」
「……カッコいいよ」
おそるおそるといった様子で、三玖は俺の体に触れてくる。細い指が俺の体を這いまわるとくすぐったくなり、小さく笑い声が出てしまう。
「どうしたの?」
「くすぐったいだけだ」
体を触っていた三玖の手がつつっと俺の胸板を滑って首筋を登り、顎に手を添えて来た。
「フータローが脱がして」
その願ってもない提案に飛びつくように、キスをして了解の意を示す。
三玖がしてくれた事をし返す。顎から首筋を下り、キャミソールのカップの間を抜けて、脇腹に手を添えると「あっ……」と色っぽい声が聞こえて、そして水色の裾をまくり上げた。