三玖と恋するフータロー   作:アランmk-2

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一花はどうしてああなってしまったのか…
この話の前である『固い蕾が開いたら【下】』をこのあとすぐ投稿します


馬鹿らしいほど馬鹿馬鹿しい

 息を深く吸う。さっきまで夜だった証の涼しさが宙を舞って、吸い込まれて、私の肺いっぱいに溜まる。

 ゆっくりと歩きながら軽く跳ねて体を揺らし、準備運動を済ませた。よーいドン、と心の中でピストルを鳴らして駈け出した。

 走り出してからすぐに、ふくらはぎが少しピリッとしたり、太ももがちょっと痛くなったりする。それを無視して五分十分ほど走ると、体が温まってきて走りのギアが上がる。ストライドが大きくなり、踏みしめる足に力強さが増して、スピードがぐんぐん上がって頬を撫ぜる風が強くなる。

 日課になっているランニングの、この走るための動物になったような、いわゆるランナーズハイの状態は、普段にない私を感じられて好きだった。

 日がどんどん高くなってきて、さっきまであった涼しさは鳴りを潜める。汗がどんどん流れ落ちて体力を奪っていく。

 三十分ほど走ると、ゆっくりとペースを落としてクールダウンする。軽く一キロほど流しながら走って、心臓が落ち着いてくると公園の芝の上に座り込んだ。体を傷めないようにゆっくりと柔軟体操をしていると、遠くから私を呼ぶ声が聞こえてくる。

「い、一花~」

 あれ、珍しい。二乃だ。

「どうしたの? 汗みずくになるのは男子の仕事って言ってなかったっけ」

 ぜえぜえと息を切らしながら、肩で息をして呼吸を整えている。

「そ、そうなんだけど……」

 限界がきたように芝生に倒れこんだ。

「はあ……私が優秀なのが災いしたんだわ」

「あはは、なにそれ?」

 倒れこむ弱々しさとは裏腹に、飛び出てくる強気な言葉のギャップに思わず吹き出してしまった。

「それで? 優秀な二乃さんはどうしてこんなに汗を流しているのでしょうか」

「楽しんでない?」

「いやいや」

「まあいいわ。私ってケーキ屋でバイトしてるじゃない?」

「そうだね。フータロー君がバイトしてるお店でね」

 そう茶化すと、二乃はぐぬぬと唸って続ける言葉を失う。直球勝負をモットーとする二乃にとって、この事実は納得いくように自分の中に落とし込めないらしい。

「この泥棒猫!」

「しょうがないじゃない! あの時は三玖と付き合ってるなんて知らなかったんだから」

 どうも二乃の中には、この妹の恋人にちょっかいをかけるお邪魔虫感が抜けないらしい。

「私だってさ、春休みの旅行でフータロー君を取られたくない、なんて思ってたのに。フータロー君が三玖と付き合ったのって、旅行から帰って来てすぐくらいだったっけ?」

「そうね」

「よっしゃやるぞって試合会場に行ったら、試合は昨日終わりましたよって言われた気分になったよ。二乃暴走工業と三玖天下第一高校の戦いの間に入ることすら出来なかったのは、ちょっと後悔かな」

「高校野球じゃないんだから。ていうか名前の時点で三玖強すぎない? なに天下第一高校って」

「いやー、もうフータロー君の中の天下は三玖が制覇したし」

「私だって、そんな戦った気分しないわ。というか、気が付くべきだったのよね……どうも三玖は余裕だったって事に」

「ふーん。どんな感じだったの?」

 と聞くと二乃は視線をさ迷わせ、バイトを決めた日の事を回想する。

「四葉だったかしら、フータローがバイトしてるお店の募集があるって言ったのは。それで私は飛びついたの。当然、三玖も同じ気持ちなんだろうなって思ったら、『もっと時給が良い所ない?』なんて言って求人誌をぱらぱらめくるのよ? 私は変だなって思って『良いの?』って聞いたら、三玖何て言ったと思う?」

「えー、何だろ」

「正解は『安心だね』でしたー」

「うっはー。それは確かに余裕だね」

 そんなセリフ、フータロー君を信頼しているから言える言葉だ。

まず恋人が自分以外の女の子に手を出さないだろうという信頼。次に初めてのバイトで困るだろう二乃を、フータロー君は助けてくれるだろうという信頼。フータロー君は二つの信頼に応えてくれるだろうから、二乃のバイトに安心の二重丸を押したのだろう。

「そうでしょ! 二人が付き合ってるって知った時に、さっきの会話の違和感が一本の線になって繋がった感分かる!?」

「真実はいつも一つ的な」

「じっちゃんの名に懸けて的な」

 私達は謎が解けた事をミステリー漫画を引き合いにだして表現した。軽く笑いあって、話の核心に迫る事にする。

「まあそれは分かったんだけど、結局二乃が走ろうって思った理由ってなに?」

 げっと苦虫を嚙み潰したような顔をした二乃は、恥じるように顔を伏せてその長い睫毛をしばたたかせる。

「だから……料理人に付き物のアレがね」

「アレって?」

 二乃は人差し指を舐める仕草をする。

「ああ、味見」

「それに、たまーに売れ残りを食べて品評会みたいな事をするのよ」

「へー。フータロー君も?」

「あの万年カロリー欠乏症のあいつが脂質糖質炭水化物のゴールデントリオに飛びつかない理由なんて無いでしょ」

 つまり、どういう事かな。どちらも物を口にする共通点が……あ。

「分かった、太ったんでしょ」

 と言うと、ぐっと息を詰まらせて悔しそうに歯を食いしばる。

「まだ予兆の段階だから!」

「嵐の前の静けさってやつだよ」

「だからこうして走ってるんじゃない」

 ほどほどに二乃と言い争いながら帰路につく。喉の渇きを覚えて途中の自販機に立ち寄る。

「飲み物買って良い?」

「私水ね」

「自分で買いなよ」

「お姉ちゃんお願―い」

「しょうがないなあ……」

 お願いされるとつい許してしまうのは、姉心というやつだろうか。

 財布から小銭を出す時、カード入れの黒いカードがきらりと光った気がした。

 二乃に水を渡して、どうしても気になってしまい、そのカードを取り出す。黒いカードの真ん中には五角形を意味する『PENTAGON』の文字。私達が前までいたマンションのカードキーだ。

「……意地張ってる場合じゃないのかな」

「どうしたの?」

 私はカードキーをひらひらして二乃に見せた。

「二乃はどう思う? あのマンションに帰るべきかな?」

「あのマンションの生活が恋しくなったの?」

「そうじゃないんだけど……三玖がね」

「三玖がどうかしたの?」

「うん。昨日さ、仕事から帰って来たら三玖が通帳を見ながらニコニコしてたの」

「別に普通じゃない? フータローに何か買ってあげるんだ、とか何とか言ったんでしょ」

「ま、そうも言ったんだけど。もっと驚く一言が出てきてさ、だから……何て言うかな、こんなに悩んでるんだよ」

「もったいぶらずに早く教えなさいよ」

 私はペットボトルのキャップを捻り、スポーツドリンク一気に飲む。分かっていたつもりとはいえ、この言葉が三玖の口から出て来た事は、やっぱり私にとって現実を突きつけられたように思って心がちくりと痛んだ。

「三玖はね、こう言ったんだよ。『いつか生まれてきてくれる私達の子供に、服とかおもちゃとか買ってあげたい』ってね」

 二乃はぐっと唾を飲み込む。その子供は誰との子供かなんて、考えるまでもない。

 その言葉は、三玖はフータロー君とずっと一緒にいるんだという決意表明に他ならないだろう。

「だからさ、未来の甥っ子や姪っ子のおもちゃ代を取り上げてまで、今のアパートに住む意味って何だろうなって」

 学校の友達や役者仲間には、お兄さんやお姉さんが結婚していてもう子供がいるという人もいる。皆は「この歳でもう叔母さんだよ」と苦笑いするけれど、子供を抱っこする顔は優しくて、嬉しそうで、ちょっと羨ましいなとすら思う。

 私達が叔母さんになるとしたら、それは三玖がフータロー君との子供を産むという事が一番近くて、そして一番現実的なんだろうな。

「そう言われるとすっごい悪い事してる気分になるわね」

「このカードキーを貰って、帰ってきて良いって言われて、フータロー君は家庭教師に復帰できる。だから、分かんなくなっちゃった。あのアパートに住んでるのは、ただの意地なんじゃないかってね」

 こういう事に答えなんて無いのかもしれないけど、でも無駄な事をしているんじゃないかって思うと、焦るような、急くような、そんな気分にさせられる。

「あ、悩みの種が走ってるわ」

 二乃は不意にそんな事を言った。私は二乃の目線の先を見ると、そこには三玖がへろへろになりながら走っていた。

「おーい、三玖―」

 私は大きく手を振って三玖に呼び掛ける。あの運動音痴の体力無しな三玖がランニングなんて、どんな心境の変化だろうか。まあフータロー君が発端なんだろうけど。

 三玖はストライドの度にがっくんがっくん揺れる頭をこちらに向けると、息を切らしながらやって来た。

「お……おはよう、はぁ……はぁ……一花、ふぅ……二乃も」

 流れる汗を袖で拭いながら、絶え絶えな息で苦しそうに話かけてくる。

「おはよー」

「自主的に運動なんて、きっと今日は雪が降るわね」

「に、二乃だって、人の事言えない……」

 その切り返しに思わず笑ってしまった。

「確かに」

「良いでしょ、たまには汗みずくになったって」

「でも三玖、本当に何でいきなりランニングしようって思ったの?」

 ようやく息が整った三玖に、残ったスポーツドリンクをあげて一緒に帰ることにする。

「ありがと。えっと、この前体力テストの結果が帰ってきたでしょ」

「うん」

 それは4月に行われた全国体力テストの話だろう。私はまあ平均くらいだったけど、四葉は表彰されてたっけ。

「でもそれがどうしたのよ」

「総評の欄に、もっと運動しないと早く老け込んでしまいますよって書いてあって……」

「「あー……」」

 二人して妙に納得してしまった。ずっと綺麗でいたい女の子にとって、老け込むという言葉は中々にきつい物がある。一生を添い遂げたい男の子がいる三玖にとっては、なおさら効いただろう。

「それに……」

「それに?」

 三玖のポツリと言った、聞こえないほどの大きさの声を耳ざとく聞いた二乃は追及する。聞かれたとは思っていなかった三玖は、分かりやすくうろたえて誤魔化そうとしてきた。

「なんでもない。とにかく、それだけ」

 そう言い切ると小走りに駆けだそうとする。

 ……あやしい。

 私は二乃と顔を見合わせる。その顔はニヤリとして、どうやら同じ気持ちらしい。

「確保―!」

「え、え? 何?」

 私は手を上げて二乃に指令を下した。

 二乃は三玖の後ろに回り込み、抱えるように両脇に手を入れて拘束した。二乃も体力がある方ではないが、三玖を抑え込むくらいわけない。

「白状した方が身のためだよ」

「な、なんのことだか分からない……」

 なおも抵抗の意思を示す三玖に、私は実力行使を慣行する。

 ガラ空きになった脇に手を入れて、そのままくすぐりの刑だ。

「あははは、一花、やめ……ははは、もうほんとに、あはははは!」

「そらそらー、吐きたくなったかなー?」

「は、はなす……あはは、話すから……ははは!」

 被疑者が落ちた事を確信してくすぐりの手を止め、二乃に拘束を解くように言った。

「はぁ……はぁ……」

 赤い顔をして目に涙を浮かべ、荒い息を吐く三玖はなぜか色っぽい。……同じ顔のはずなのに。

「で、三玖、それに……何かしら?」

 二乃はことさら強い口調で三玖に詰め寄る。逃げられないぞと暗に言っているのだ。

 三玖は辺りを見渡し、人がいない事を確認して、片手で口元を隠すようにした。内緒話をするからもっと近寄ってということだろうか。私達は三玖の囁きに耳をそばだてる。

「……の」

「え、何? もう一回言って」

「だから…………の」

「三玖、もうちょっと大きい声でお願い」

 私がそう言うと、三玖は恥ずかしさの許容限界に達したかのようにぷるぷると震え出した。これで終わりという風に三玖は少し語気を強めて言葉を発した。

「だから……えっちする体力がないの」

「「は……?」」

 その言葉が受け止められず、私と二乃は固まった。三玖は真っ赤になって小さくなっていく。

「……ぷっ」

 隣から気の抜けるような笑い声。二乃は口元に手を当ててくすくす笑い出した。

「ふふふ。あーあ、馬鹿馬鹿しい。一花もこんな色ボケちゃんに悩まされてたなんて」

 色ボケという言葉にショックを受けた三玖は、その場にうずくまってしまう。地面に『の』の字を描きながらいじけていた。

「いいもんフータローはそんな私でも良いって言ってくれるもん。あっ、フータローやめて……いじわる、やっぱやめないで」

「前までだったら可愛らしい妄想で済んでたけど、今のあんたが言うと生生しさが半端ないからやめなさい。ほら帰るわよ。一花を悩ませたあの話、皆で考えてみましょ」

 二乃に引っ張られて立ち上がった三玖は、小さく首をかしげて尋ねる。

「あの話って?」

「ご飯食べてからでいいわよね? これは皆で話さないといけない話だから」

「二乃……?」

「一花、いつまでぼーっとしてるの? あんたが言い出したんだからね」

「もう、分かったよ」

 先を歩いて行く二乃を追いかけて私達は帰っていく。

 今の私達がしている事を、未来の私達が見たら何て思うかな。子供の癇癪だったな、と恥じるのだろうか。いや、あれは大人の階段を昇るために必要だったんだよ、と懐かしむのだろうか。

 過ちを認めて糧にすればいい、なんて言えるほど大人になれないけど、でも私達は時の流れがそのまま成長の軌跡を描くほどの子供でもなくて、悩んで、考えて、それでも間違える怖さを知っていくんだろう。

 大人になるって事は、世界を知っていく事なんだろうか。知るって事は、賢くなるって事なんだろうと信じたい。賢くなるって事は、馬鹿な事をしなくなるって事なのかもしれない。

 さっき二乃は(まあ私も少し思ったけど)、三玖の行動の切っ掛けを馬鹿馬鹿しいって言ったけど、我欲にすぎる馬鹿らしさも、時には必要なんじやないかな。

 まだ二乃がフータロー君を好きになる前に、三玖がしていたアプローチを馬鹿みたいって言う事があったけど、三玖がフータロー君と恋人同士になれたのは、結局はその馬鹿みたいな事の積み重ねをしていたからだ。

 馬鹿馬鹿しい事も、馬鹿に出来ない、何て言うとひねくれたトンチみたいかな。

 健気なとか、ひたむきなとか、そう言うこっ恥ずかしさすら感じるような、馬鹿みたいな真っ直ぐさ。それが三玖にあって、私達に無かった物なのかもしれない。

 馬鹿になる事を恐れて、望む未来を得られないのは、果たして賢いと言えるだろうか。少なくとも、私はそう思わない。未来の私は、高校生の私にあの時もっと馬鹿みたいに仕掛けてたらな、と後悔するんだろう。

 この馬鹿らしさと賢さの二律背反に苦しむことは、知ったかぶりな言い方かも知れないけど、きっと人生って事なんだ。 

「あーあ、でもやっぱり馬鹿らしいな」

「いちかぁ……」

 今更ながら言った事の恥ずかしさがぶり返してきたのか、三玖は涙を溜めた瞳で睨んでくる。

 五月晴れの爽やかな風が私達の間を通り抜けていく。三玖のセミロングヘアーがふわりと風になびいて、きらきらと光の波がうねる。

 でもね、今は素直に言えないけど、こう思ってるよ。

 綺麗だよ、三玖。

 おめでとう、馬鹿みたいに可愛い、私の妹。

 

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