夜空に三日月が笑っている。
私はそれを見て明日からの修学旅行の前途は良いものだとぼんやりと思った。
温かい初夏の風が頬を撫ぜる。そのまま風のなすがままに髪を遊ばせた。
「三玖、寝ないの?」
ベランダの窓がからりと音を立てて開かれると、そこには風呂上りのリボンをつけていない四葉が立っていた。
「うん……ちょっと寝られなくて」
「上杉さんと一緒に京都を回るんだもん。楽しみだよね」
月光に照り返された四葉の顔がぴかぴかに光って眩しい程だ。私もその笑顔に笑顔で返した。
「楽しみ」
ポケットからスマホを取り出してメモにまとめた明日の予定を確認する。あまり明るい画面を見て目が冴えてもいけないのですぐにしまったが、もう見る必要もないくらい覚えてしまうほどに何回も見たんだから大丈夫なはずだ。
「フータロー」
愛しい恋人の名前を小さく呼んだ。会いたい切なさに胸がつきりと痛んだが、それすらも明日からの旅行の前には些細な事だ。
君と一緒に私の大好きな物がいっぱいある街を回れる事は、何て嬉しいんだろう。
「もう寝よ」
「うん。そうだね」
くっと伸びをして外の空気を吸い込んで部屋に戻った。
「あ、二人とも。もう一花と二乃は寝ましたよ」
そこには髪の乾かしがどこか甘い五月が眠たい目を擦りながら座っていた。ちゃんと乾かさないから二乃に髪が跳ねてくすぐったいと文句を言われるのでは。そう思ったが今更な気がして言わないでおいた。
「そう? じゃあ私達も寝よう」
「ふわーあ。寝よ寝よ」
五月がリビングの電気を消して、私達三人は寝室へと向かった。
「おやすみ」
布団に寝転がった二人にそう言ってから横になった。
しかし、彼の顔が思い浮かんでドキドキと胸が高鳴る。顔が熱い、眠れそうにない。深呼吸を一つ二つして、逸る胸の鼓動を落ち着かせた。
フータロー。
掛布団を彼に見立ててぎゅっと抱きしめた。
明日からの修学旅行が楽しみだな。
夜空に浮かぶ三日月は、微笑む三玖の目のようだ。
もう少し時間をかければ古文の問題よろしく短歌でも詠めそうだが、明日の新幹線の時間に間に合わないなんて間抜けな事は避けたい。敷かれた布団の上で考えて、眠たくなったら躊躇なく寝るくらいで考え事をしよう。
俺はすやすやと寝息をたてるらいはの横にそっと寝転んで目をつぶった。
京都と聞いて思い出すのは、小学校の修学旅行で出会ったあの女の子の事。今はあの写真は手元にないが、何回も見た物だから目に焼き付いている。そういえば零奈の奴は写真をちゃんと持っているだろうか。
あの子は誰なのだろう。もしあの少女が三玖なら実に運命的だが、そうでなくてもあの少女は俺が変われたきっかけだから特別な感謝の気持ちを抱いている。あの時一人だった俺が、今では友人と、そして大切な女の子と一緒にいられるのは彼女のおかげに他ならない。
……こんなに他の(と決まったわけではないが)女の子の事を考えていたら、三玖は怒るかな。むくれている三玖がありありと想像できて、隣で寝ているらいはを起こさないように忍び笑いを漏らす。
修学旅行のしおりに書き込んだ一日目の予定表を思い出す。けっこう街中を歩く事になるが、三玖は大好きな物に溢れた街並みを、どういう顔をして歩くだろうか。
へばってその辺にあるベンチに座りこむかもな。まあその時は俺も一緒にへばっているんだろうが。そうなったら適当な店で、何か冷たい物でも買って休もうか。バスを逃して武田と前田に呆れた顔をされるかもしれない。そんなトラブルも旅の楽しみだと言い訳させてもらおう。
使い捨てカメラを手に取って眺める。俺の携帯は大したカメラが付いていないから、綺麗な写真を撮るならこういう物が必要だ。三玖はどういう顔をして映ってくれるだろう。
修学旅行というものはこれが最後だから、四葉の言葉ではないが、後悔のない物にしたい。
明日からの修学旅行が楽しみだ。