好きなキャラの名前で延々遊んでられる
暑い。
六月も終わりに差し掛かり、梅雨明けから一気に夏の気候へと移り変わった空に恨みがましく目線を送る。うだるような暑さに、立っているだけで体力に知力に色々と奪われるような心地だ。
はあと息を吐いて、凍らせた水が入ったペットボトルを首筋に当てながら、こんなんじゃあいつらに悪いなと思い直し、萎えそうになる心を奮わせる。
額を流れる汗を袖で拭いながら、アパートの階段を上がって部屋のチャイムを鳴らした。
「フータロー、いらっしゃい」
扉を開けてくれたのは三玖だった。ノースリーブの花柄のワンピースを身に纏った夏らしい装いで、晒されている白い腕が眩しい。俺は太陽を見上げた時のように目を細めた。
しかし、似たような服装は姉妹がしているのに、どうしてこう三玖の恰好はどきりとするのだろうか。
こういった肩を出す恰好は、意外にも五月が良くしている。オフショルダーの信徒ではないのかと疑うほどだ。いつか本人にそこんとこどうなのと聞くと、「そうですね、華奢に見えるので……って何て事言わせるんですか!」という事らしいが。
「どうしたの? 冷気逃げちゃうから早く入って」
「ああ、すまん」
不思議そうに眉根を寄せて、早く来いと手招きされたのでさっさと入った。いつもなら四葉あたりが一声かけてきそうだが、部屋には他に誰もいないようだ。
「そういえば皆はどうした? 今日は午前から家庭教師をする事は言ってただろ」
「皆? 用事があるって出かけたけど」
「……まさかとは思うが俺達に気を遣ってるとかいう理由じゃないだろうな」
「そんな事ない。一花は事務所に台本を貰いに行っただけだし、二乃は買い出し、四葉は五月と一緒に参考書を買いに行ったからすぐ帰ってくるよ」
「そうか。三玖は用事は無かったのか?」
「ここにいる事が用事かな」
「は? どういう……」
ピンポーン
用事とやらを聞き出そうとした所でチャイムが鳴った。宅配便のお兄さんがかけて来た声に三玖は返事をして玄関に向かう。受取証書にさらさらとサインをしてダンボールを受け取った。
「持とう」
「ありがと」
重たそうにダンボールを抱える姿を見て、俺が持つことを提案して、三玖は投げ出すように俺によこした。持った瞬間前につんのめりそうになった。
「重いな。何だこれ」
女の子と同じくらいの力ってのはまずいだろ、と思って少しずつ鍛えていたおかげで持てたが、見た目に反してかなり重い荷物のようだ。
「お爺ちゃんから荷物を送るって連絡はあったんだけど、中身は知らない。開けよう」
こいつらの爺さん、師匠からの荷物か。受験があるから年度内はあの旅館に行けないだろうが、近いうちに皆で行ければいいなと思う。五人の顔を見分けられるようになった報告もしたいしな。
春休みの旅行の事を思い出している間に、三玖は鋏でテープを切って封を開けた。
……そういえばあそこの鐘の下でキスされたんだったな。
あの時はそれが誰か分からずに、しばらく自分の中に出来た想いに悩む日々を過ごしていたが、旅行の後に三玖が告白してくれた事で気が付くことができた。あの時、三玖を見分けられたのは、彼女に対して愛を抱いているからだと。
改めて思い出すと気恥ずかしいな。
見上げて来た三玖の肩に手を置いて、開けてくれと促した。
「……お米?」
「重い訳だ」
ダンボールの上を開くと、見えたのは大きくコシヒカリと書かれたビニール袋。十キロの米袋が詰まっていたのだから重いのも道理という事か。
「うーん、でももうすぐ引っ越すのに使いきれるかな」
「引っ越す?」
「あれ? 言わなかったっけ? 契約更新があるから、更新料払う前にあっちのマンションに帰ろうって話を皆でしたんだ」
「そうだったのか」
改めて部屋を見渡すと、確かにこざっぱりしている。
見る? と言って三玖が寝室の扉を開けると、そこにはいくつものダンボールが積まれていた。驚くべきことに一花が寝ているスペースも片付いているようだ。やはり単純に荷物が多いんだろうな。
「来週の休みに引っ越すから、よかったらフータローも手伝いに来て」
「業者は何時に来るんだ?」
「頼んでないよ。江端さんが運転してくれる車で運ぶから」
「あの運転手の人か」
江端さんという名前から、俺はあの初老に差し掛かるくらいの年齢の男性を思い出した。人の趣味をどうこう言う気はないが、春休みに見た時は真っ黒に日焼けしている姿で違和感が凄かったな。今は日焼けは引いて元通りになっているらしいが。
米びつの横にでも置いておこうと袋を持ち上げると、紙が一枚はらりと机の上に落ちた。
「手紙?」
その落ちた紙をつまんだ三玖は、広げて見るとそうつぶやいた。
米袋を置きながらどんな内容か聞いてみると、受験に挑む孫の為に参考書代として図書カードを贈ると同時に、掃除しているとある物を見つけたので皆の役に立てばと思い送ることにした、と書いてあるらしい。
「これ……お母さんのノートだ」
ダンボールの底に置かれたノートを拾い上げて眺めると、表紙には【数学】や【日本史】と綺麗な字で書かれていた。
三玖は感慨深そうに息を一つ吐くと、宝物を扱うように丁寧にノートをめくる。綺麗な字に、ところどころ赤色の簡素なレイアウトのノートは女子らしくはないかもしれないが、きっと華美を喜ばない人だったのかもしれないな。三玖は少しだけ見ると、パタンとノートを閉じて机に慎重に重ねて置いた。大きな目が波打つように潤んでいて、母との思い出を思い返しているのかもしれない。
「いない方がいいか?」
「え? ううん、大丈夫。これは皆と見る事にするよ」
「そうか」
ノートとプリントを挟んだファイルを一つ一つダンボールから撮りだしていくと、底に入っていたファイルから一冊のノートが転がり落ちてきた。
「何だこれ」
俺の足元に来たそれを摘まみ上げると、三玖達の母親の字とは異なる達筆な字で【名前】と書いてある。名前を書くんじゃなくて【名前】と書かれているなんて、どういうノートだ、と思って広げてみた。
ぱらぱらめくるとそこにはいくつもの漢字が並べられていて、その中に赤丸で囲まれたものがあった。
一花 二乃 三玖 四葉 五希
「三玖、これ」
「なに?」
「お前達の名前案ノートじゃないか?」
「本当だ。あ、五月の漢字が違うね」
机に置いて、三玖と肩を並べてノートに見入った。最初のうちは色々な名前が書いてあったが、途中から一から五までの漢数字をつかった名前が多くなってきている。そのあたりで五つ子だという事が分かったのだろう。
という事は、これが書かれたのは十八年ほども前だ。だが爺さんが丁寧に保管していたからか、少しかすれてはいるが問題なく読めた。
「一人だったら香菜ちゃんだったかもね」
「いや綾音だったかもしれないぞ」
ノートを眺めながら、もしかしたらこういう名前だったかも、なんて話をしてみる。大きな赤丸の、今の名前、つまり『一花 二乃 三玖 四葉 五月』と書かれたページを最後に名前候補は書きこまれなくなり、白いページになった。
「これも後で皆に見せよう」
「勉強の後でな」
「分かった。それまでは内緒にしとく」
そう言ってノートを閉じようとすると、エアコンの風に吹かれてページが繰られた。
そこには、比較的新しい文字がまた同じように並んでいた。
新大(あらた) 春希 永一郎
愛子 太陽 (あかり) 夏月美
「また名前? 私達にって考えてた名前じゃないよね」
「だろうな。男の名前も混じってるし、ひ孫って考えるのは気が早すぎるだろうから、何の名前だ?」
「ひ……ひ孫」
一瞬、俺の顔を見つめた三玖は真っ赤になって頭をふらふらさせるとそっぽをむいた。
もう一枚二枚ページをめくると二つ折りにされた紙が挟まっていた。広げると、ノートにある文字と同じ筆跡で書かれている手紙だった。季節の挨拶から始まって、軽く近況報告し、皆元気でやっているか、という普通の手紙だ。メールではなくわざわざ手紙なのが、なんとなく“らしい”と思ってしまった。
そっぽをむいていた三玖も気になったようで、ちらりとこちらを見上げて、けどすぐに恥ずかしそうに目を伏せながら手紙に視線を落とした。全くこいつは。
手紙の最後まで目を通すと、この比較的新しい名前達に込められた想いを理解した。
[体調が悪い事も理解しているが、どうか諦めるような事はしないで欲しい。
五人を一緒に引き取ってくれる男と再婚を考えていると以前教えてくれたが、だったらいなくなる未来ではなく生き続ける未来を考えてくれないか。
同封したノートに儂の考えた子供の名前を書いて送る。
一花、二乃、三玖、四葉、五月の名前を考える時に使っていたノートだ。
再婚する彼と、このノートが必要になる未来を故郷から祈っている]
「この名前、お父さんと再婚する時……苗字が中野に変わる時に合う名前を考えてくれてたのかな。子供を産めるくらいに元気になってくれって」
「そうだな」
三玖は小さく鼻をこすると、もう一度ノートの中を確かめた。自分達の名前候補を見て幼いころの母親の思い出に想いを馳せているのだろう。五人の子供を女手一つで育てていた生活は苦労の連続だったに違いない。けれどもそんな生活でも、数えきれないほどあった幸せな事に溢れていたのだろう。皆を見ていれば分かる。
「……ごめんね、なんだか湿っぽくなっちゃって」
「いや。いいんだ」
「お爺ちゃんきっとこのノートをファイルに入れてた事忘れてたんだろうね」
「まあそうだろうな。手紙なんていう宛てた人以外には見せたくない物が挟まっているからそうだろ」
「悪い事しちゃったかな」
「黙っていようぜ」
「うん」
三玖は目元をこすると、少し赤くなった目に光をきらりとさせて微笑んだ。その赤らんだ目元にそっと手を当てて、優しく撫でる。
「えへへ……」
朱が差した頬から手を離して、なおも幸せそうに笑う三玖に、俺も小さく笑いかけた。
あっと何かを思いついた三玖は、スマホを取り出して言葉を打ち込んでいる。
「ねえ見てフータロー。新大君の姓名判断、大吉ばっかり」
そう言って見せてきたスマホの画面は姓名判断サイトだった。名前の画数の横に大吉と書かれ。苗字と名前の組み合わせにも大吉と書かれている。
「ああ。太陽ちゃんも相当良い名前だな」
いくつか書かれた名前候補を片っ端からサイトに打ち込んでいくと、吉や大吉ばかりの名前で、爺さんが真剣に考えた事が窺える。
「ほら。もう勉強始めるぞ」
「ちょっと待って。最後に一つだけ……」
画面をタップしながら、今日一番の笑顔で言うので、それを見せられたら俺としては何も言う事ができない。惚れた弱みと言うやつだ。その体中を駆け巡る温かい感覚に、嬉しいような恥ずかしいような。
「えっ……」
「どうした?」
三玖は先ほどまでのニコニコ顔から、奈落にでも突き落とされたような暗い顔に一変してがっくりとうな垂れた。握っていたスマホが力なく床に転がり落ちる。
「何見たんだよ」
がっくりと肩を落としたままの三玖に一応お伺いを立てるが、無視されてしまったので悪いなと思いつつ勝手に見る事にした。
その画面は変わらず姓名判断サイトで、何をそんなショックを受ける事があるのだろうかとスクロールすると、その原因が現れた。
上杉三玖
という名前の評価が、苗字の組み合わせ、全体の字画、全て《凶》だったのである。全部だ全部。三玖はテレビの占いを毎朝チェックしていると言っていたから、こういう物を気にしてしまうのか。
「あー、何だ、三玖。気にするなよ」
せめてもの慰めになれば、と思ってうなだれたままの三玖の頭を撫でてやった。さらさらと細い髪が指の間を流れる度に、柔らかい甘い香りが立ち昇ってきてドギマギさせられる。
機嫌が直ったのかこっちを上目遣いに見ると「あっ」と言ってその大きな目をパチリと瞬かせる。
迫力のある大きな蒼い目が、見開くように広げられて、瞬きも少なく段々俺の方へ近づいて来た。
「フータロー……」
「み、三玖さん?」
じりじりと迫りよってくる三玖は、音もなく忍び寄ってくるホラー映画の何かみたいで怖い。俺は少し後ずさりながら呼び掛けに答えた。
三玖はひしっと俺の両手を取ると顔の前に持って来て、息がかかる程に近づけた。
「フータロー」
「な、何でしょう」
「フータローは中野風太郎になる気はない?」
「えっ」「えっ」「えっ」「えっ」「えっ」「いたっ! 急に立ち止まらないでください」
俺の声と重なるように、玄関の方から女性の声があがった。同じような声が四つ。もちろん帰って来た三玖以外の四人だ。
「お前ら、帰ってたのか」
ニヤニヤしている一花に二乃からその目線を反らすように一声かける。
「そうだよ。三玖がフータロー君にプロポーズした所から帰ってたよ」
「あんたねえ、告白を女の子にさせてプロポーズまで女の子にさせるってどういう了見なの!」
「とんだ言いがかりだ」
「へえー。じゃあ何でそんな話になったのか聞きましょうか」
二乃は買い物袋を置いて俺の真正面に座った。化粧でより大きく見える目が、刃のように俺を刺し貫いてきて、寒気すら感じるほどだ。いつか肝試しをする機会があれば二乃に睨まれるだけのコーナーを作ろう。世の男どもの心胆寒からしめること請け合いだ。
「それは、ほら、お前らの爺さんから荷物が来る事は知ってただろ?」
「そうだね。だから三玖にお留守番をお願いしたんだし。そういえば荷物って何だったの?」
「お前達の母親が使っていたノートやらの勉強道具だ。その荷物の中にお前達の名前の候補が書かれたノートがあったんだ」
「へー。ねえ見せて下さいよ」
「机に置いてあるぞ。ほら、三玖の目の前」
「はーい。五月も一緒に見ようよ」
「私はお母さんのノートの方が気になります」
四葉は五月と一緒に三玖の隣に腰掛けて、ぱらぱらとノートをめくり始めた。
「それで、なんで上杉風太郎君は中野風太郎君になる事を勧められたのかしら?」
「それはだな、書かれている名前で姓名判断していたんだが、その流れで三玖が《上杉三玖》なんて入力して、その結果が散々だったからだ」
「散々って?」
「組み合わせが全部凶」
「「ははっ」」
占い結果をそのまま言うと、冷たいすまし顔が笑いに歪んで、くっくと忍び笑いを漏らしながら肩を震わせる。四葉と五月と一緒にノートを見ていた三玖は、こちらの笑いに何やら良からぬものを感じ取ったのか、不思議そうに小首をかしげながら声をかけて来た。
「なに?」
「何でもないよー」
「そうそう。何でもないわよ。三玖って名前と上杉って苗字の組み合わせが悪いくらい何でもないわ」
「……ちょっと気にしてるのに」
三玖はむっと頬を膨らませて不満を露わにさせた。しょせん占いだと思うのだが。まあ大安に結婚式を挙げたがる人が多いのと同じで、ゲン担ぎというのは気にする人にとっては馬鹿にできない物なのだろう。
「ねえ、一花も二乃も見てよ。私達の名前だけど、五月の漢字が違うよ」
「見せて見せて。本当だ。五つの希望ちゃんじゃん」
「ごがつちゃんと言われるよりは良いと思うのですが」
「その理論でいくとごきちゃんになっちゃうわよ」
「うわー、やだなあそれ」
「五月という漢字で良かったです」
四人は書かれている名前を見ながら、これが可愛い、これがカッコいいと話に花を咲かせている。
「そうだ。フータロー君と三玖の為に私も名前考えてあげようか?」
「いらん気を回さんでいい」
「まあそう言わずに。うーん、ぱっと思いついたのは一太郎君かな」
「ワープロが上手そう」
「一花、さらっと自分の名前を入れないで」
「あ、だめ?」
「だめ」
だから気が早いと言っているのに。
話の輪の中に三玖も混じって行って、上杉ならこれだとか、中野ならお爺ちゃんが考えてくれたこの名前を使えばとか、議論は盛り上がりを見せている。
これは少なくとも午前中は勉強は無理だな。
「はあ……」
「何ため息吐いですか?」
「お父さんも話し合いに参加しておかないと、子供が大きくなった時にお母さんから文句をいわれますよ」
「い、言わないよ……」
「分かった。午前中は思う存分付き合ってやるから、午後はちゃんと勉強しろよお前ら」
「えー」
「は?」
「いえ何でもないです……」
しゅんとした四葉を慰める五月に一度目線を送り、少し身を乗り出して話し合いに加わる姿勢をみせた。
こんな少しで決まったりはしないだろうが、きっとこうやって皆で考え合う事が大切なんだろう。こいつらの爺さんも、母親も、こうやって五人の名前を決めて行ったに違いない。
いつかというのは分からないが、子供が大きくなって名前の事を聞いてきたらこう言おうか。
こんな風に俺達は君の名前を探していたんだ、と。