三玖と恋するフータロー   作:アランmk-2

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誠意とは金額。はっきり分かんだね


これから正義の話をしよう

「「「「「……」」」」」

 

 ある日の夕食の前、私達の間に重苦しい沈黙が広がっていた。

 ケンカして口もききたくない……という事ではなく、これから繰り広げられる光景に緊張しているからだった。

 自宅で何を大げさな、と言われるかもしれないけれど。

 

「ただいま」

 

 と玄関から地の底から響くような低い声がする。

 お父さんだ。

 七月に入る前に、私達はあのアパートから元のマンションに戻ってきていた。

 そんな中、まだ荷解きも終わっていない数日のうちに、お父さんが帰ってくるとスマホにメッセージが飛んできて、私達の間に緊張が走った。

 私はこの前話をしたから、そんなに嫌だとかいう意識はない……と思うけど、やっぱりあの鉄仮面を前にすると背筋が伸びる思いにさせられるのは間違いない。

 お父さんの声に皆の肩がびくっと震えて、慌てて玄関の方へ向かって迎えた。そういえばこんな事ってほとんどした事ないんじゃないかな。表情の変わらないお父さんにしては珍しく、驚いたように目を見開いていた姿を見て、ふとそんな風に思った。

 お土産と言って手渡してくれたケーキを、嬉しさに目を見開いた五月が冷蔵庫に収めに行く姿は、食べ物に関してはそれはそれ、これはこれという思考の持ち主の五月らしい。

 お父さんはスーツから着替える為に自室に向かうと、私は二乃と一緒にご飯の用意をしに台所に急いだ。

 焦げないように、冷めないように火を入れていた舌平目のムニエルをお皿にのせてテーブルに並べた。他の家庭だったらお父さんにお酒を出すのかもしれないけど、我が家のお父さんは特別な日以外はお酒を口にしないので、私達と同じようにグラスにミネラルウォーターを注いだ。

 自室から部屋着で出て来たお父さんは、クラスの友達の口から出てくる、パンツ一丁で歩き回るとかそういう事はなくて、今も夏らしく薄い生地だけどきちんと折り目のついたズボンに襟のついたポロシャツを着ている。お父さんの普段着はラフだけど、このまま来客を迎えても失礼に当たらないくらいの恰好のラインを下回った事を、私は見た事がない。

 お父さんが椅子に腰かけたのを見て私達も座った。

 

「どうかしたかな?」

 

 座ってから黙ってしまった私達に、お父さんは箸を持ちながらそう聞いてきた。

 

「いや……えっと……なんでもないわ、パパ」

「そうですよ。今日は久しぶりにお父さんが帰ってくるので、皆気合が入ってるだけです」

 

 二乃がそう言って口火を切ってくれたおかげで、私達の寒い日のようにかじかんだ感すら覚える口元がほころんで、まず動いたのは、今すぐにでもいただきますと言って料理に手を付けたい五月で、私達もそれに倣って食べ始めた。

 

「帰ってきてくれて嬉しいよ。一人でいるにはいささか広い部屋だからね」

 

 料理を半分ほど食べた所で、お父さんは優雅な所作で水を飲んでグラスを置いた。その口ぶりは、本気なのか冗談なのかいまいち分からないけど、そんな言葉にきっと皆同じ事を考えたと思う。いつも帰って来ないじゃん、って。

 そんな思いを感じ取ったのか、お父さんは自嘲するように小さく笑って語りかけて来た。

 

「そんな顔をされるのも仕方ないか。僕は忙しさにかまけて、君達とあまりにも関わらなさすぎた。恥ずかしい話だが、君達がどうして飛び出して行ったのか、いまいち分かっていないんだ」

 

 言葉を頭から絞り出すみたいに、こめかみに指を当ててさすってお父さんはゆっくりと話す。慣れない事をする子供が目一杯知恵を絞るような仕草に、私達は顔を見合わせて笑った。

 お父さんは益々バツの悪そうに目を伏せると、けど誤魔化さないといった風に顔を上げる。

 

「だから、教えてくれないか?」

「お父さん?」

「君達が変わったのは上杉君のせい……いや、おかげと言うべきだろう。彼と過ごすうちに君達がどう変わったのか、何を思ったのか、僕は何も知らない。今更、と言われても仕方がないけれど、どうか教えてほしい」

 

 お父さんは座っている上座の方から私達の顔を見た。

 びっくりした。

 あのいつも正しいお父さんが。家庭教師をつける事も、その家庭教師が目標を達成できなかった時に解雇する事も、家を飛び出した娘に帰って来いと言う事も、家庭教師一人での成績向上が難しいならもう一人をつけようとする事だって、冷徹に正しい事を行うお父さんがこんな風に言うなんて。

 

「私達も知りたいわ、パパの事。ね、皆」

 

 二乃が真っ先に言った言葉は、私達の総意でもあって、皆でこくりと頷いた。

 この人が私達の父親になってから、もう何年もの月日がたっているのに、認められないなんて器量が小さいとなじられても仕方がない、とここ最近思うようになった。

 ことさら注意深く思い返さなくても、私達が放蕩三昧なバカ娘な事は疑いようがない。けど、それをお父さんは許し続けてくれた。それを私達に興味がないからと言ってしまうのは簡単だけど、この人の不器用な愛をそんな言葉で切り捨ててしまうのは、とても悲しい事だ。

 お母さんがくれた物は、私達皆大好きだった。

 抱きしめてくれる温かさ。ふわふわのパンケーキ。何より、同じ日に生まれた姉妹。

 だったら、天国に逝く前に現世に残してくれた、お父さんとの縁も、きっと大好きになれるはずだ。遅すぎる、なんてことは無いと思いたい。

 だからここから、歩み寄って行こう。

 

――

 

「って事があってね」

「そうだったのか」

 

 あれから数日して、私は放課後に教室で勉強しているフータローに話していた。お父さん、の言葉が出て来た瞬間に、ピタッと動きを止めて冷や汗を一つかいていたのがなんだかおかしい。

 

「で、どうなんだ。上手くいってるのか?」

「え? うん。楽しくできてるよ」

「楽しくねえ」

「この前カラオケ行った時ね」

「えっ、あの人カラオケ行くの?」

「付き合いで行ったりするんだって。それで……ふふっ」

 

 この前皆で行ったカラオケの事を思い出して、あの光景がよぎった。お父さんの、あの真面目な顔そのままに、一花や二乃が歌う可愛い歌に合いの手を入れていく姿。

 

「あははは!」

「なにしたんだよあの人」

「気になる?」

「そりゃな」

「でも教えない」

「なんでだよ」

「知りたかったらフータローもお父さんとカラオケ行ったら?」

「えぇ……」

 

 今度こそフータローは嫌そうな表情を浮かべた。

 雇用主という事と、恋人の父親という気の進まない二代要素を盛り込んだお父さんと話す事は、気が進まないのは私でも分かる。

 フータローは苦い顔をしながら手元の紙にさらさらと何かを書いて、とん、と点を打って頷いた。

 

「よし。出来たぞ」

「何が?」

「試験対策の問題集がだよ」

 

 ほら、と言いながらフータローは私に紙束を渡してくる。主要五科目の科目ごとに何枚か、姉妹事にばらつきはあるけどそんな問題集が五セット。

 フータローが作ってくれるこの手書きの問題集との付き合いも長くなったなあ、と思う。これを作る労力は分かっているつもりだけど、けど問題一つの一文字一文字までフータローの気持ちがこもっていると思うと、とても嬉しくなる。

 

「ありがと」

「今日俺バイトだから、三玖から皆に渡しておいてくれ」

「うん。分かった」

 

 問題集を丁寧にファイルに挟んで鞄に入れて、筆記用具に参考書にノートにと机に広げていたフータローの片づけを手伝う。

 忘れ物がないかと鞄をのぞき込む頭に、そっと手を置いてみた。いつもしてくれるみたいに、ゆっくりと髪を梳くように頭を撫でた。

 

「何だよ」

「えへへ……いつもありがとね」

「安くない金を貰ってる身だからな」

「素直じゃない」

「ほっとけ」

 

 拗ねたみたいにそっぽを向いたフータローに、こっちを向いてとお願いするように腕に抱き着いた。三年生の教室だけど残っている人は今日はいないので、こんな大胆な行動をとっても平気だ。

 胸いっぱいに広がる嬉しさとありがとうの気持ちを送るように、そっと頬に口付けた。

 恥ずかしそうに眉根を寄せた彼に、ますます嬉しいような、楽しいような気持ちになって、跳ねるような足取りで途中まで一緒に帰った。

 

 

 

「という訳で問題集貰って来たよ」

「ありがとー」

 

 皆がそろった夕食の後に、私はフータローのお手製問題集を渡した。四葉と五月は「はい」と素直に喜んで受け取り、一花と二乃は苦い顔をして受け取る。そんな顔してるけど、内心フータローがかけてくれた手間が嬉しいのは皆の知っている。

 

「そうか。もうそろそろ期末試験か」

 

 食後のコーヒーのかぐわしさを漂わせながら、お父さんは優雅にコーヒーカップを傾けた。

もう慣れたのか、皆お父さんがいる風景に緊張したりしないようになっていた。さすがに馴れ馴れしく、という訳にはいかないけど、少しずつ距離を縮めていけていると思う。

 

「二乃、もう破っちゃダメだよ」

「もう一花。しないってば」

「破る?」

「えっと……ち、違うのよパパ」

「えー、二乃あんなにビリビリに破って」

「四葉、あの時怒ってたのね」

「何の事かなー?」

「悪かったってば」

「それはいつの事かな?」

「二学期の期末の前だよ。フータロー君あっちこっちに大変だったって」

「そう言えば二乃の家出騒動もその頃だったかな。といっても、僕は彼から聞いただけだったけれど。言われたよ、父親らしい事をしろとね」

 

 お父さんが言ったフータローの言葉に、真剣に考えてくれているんだと優しさに嬉しい気持ちになる。二乃はきまりが悪そうに顎の辺りを撫でるけど、唇の端が上がっていた。

 

「結局の所、どうして出て行ったんだい?」

「ドメスティックなバイオレンスを振るわれたからよ」

「もう、二乃」

 

 それから私達はあの色々な事があった二学期の期末試験の話をした。といっても私と、そして一花も蚊帳の外な感じだったから、お父さんと一緒にほうほうと頷くばかりだ。

 

「なるほどね」

 

 二乃が髪を切って、四葉が受けていた陸上部の強引な勧誘を振り切った話で一区切りすると、お父さんは指を組みなおして興味深そうな顔をした。

 

「そんな事があったのか」

「私も知らない事けっこうあったよ」

「自分のダメな所ペラペラ話したくないでしょ?」

「確かに」

「五月君が姉妹にそんな事をするなんて。どんな問題集か興味あるね。誰か見せてくれないか?」

「あ、じゃあ私のをどうぞ」

 

 お父さんがちらりと紙束を見た視線を察して、四葉が机に置いていた問題集を手に取って渡した。ありがとうと小さく言って問題集を繰る。

 

「手書き……」

「ね、ほんとフータロー君の努力には頭が下がるよ」

 

「どうしてこんな無駄に時間のかかる事を?」

 

 と言う、お父さんの素朴な疑問に、私達の空気が固まった。せっかくのフータローの努力が蔑ろにされた気がして、自分の意思に関係なく眉に力が入ってしまう。一言で今の気持ちを言うなら「は?」という感じだ。

 

「どうしてって、上杉君の家庭の事情はお父さんも知っているでしょう?」

「もちろん」

「だったらそんな事言わないでください」

「……まさかとは思うが、彼はパソコンを持っていないのか」

「そうです。だから……」

「言えばパソコンくらい買ったんだが」

「「「「「えっ」」」」」

 

 皆の少しピリピリした空気が、急に弛緩していく感じがした。

 

「何か変な事を言ったかな?」

「へ……変じゃないと思うけど」

「三玖君、君のバイト先は設備費を払わせるかい?」

「そんな事ある訳……」

「それと同じ様な物だよ。僕に買ってくれと言い辛いなら、誰か貸してあげればよかっただろう。特に一花君」

「え、私?」

「君達のパソコンは起動した記録が僕の方に送られるようになっているが、一花君は全くと言って良い程起動していないだろう。使ってもらえばよかったんじゃないか」

「パパ、私達がパソコンで何してるか見てるの!?」

 

 突然の事実に、二乃は髪が逆立ちそうな程に怒って食って掛かる。変な物を見ているつもりはないけれど、確かに見られているのは良い気分じゃない。

 

「分かるのはログインしたかどうかだけだよ。何をしているかまでは知らない」

「それなら……いいんだけど」

「彼の努力を否定する訳じゃないが、手書きの問題集なんて時間がかかり過ぎる。頼んでいる身としては手をかけてくれるのはありがたいけれどね」

 

 四葉から借りていた問題集を返して、お父さんはいつものような冷静な表情に戻った。

 確かにお父さんの言う通りだ。手書きの問題集は、フータローの手間を厭わない仕事に対する真摯な姿勢を感じられて好きだけど、時は金なりって言葉もあるし、改めないといけないのかな。

 

「今度送っておこう」

「ご、ごめんなさいお父さん」

「いや。でも今度からは言ってほしいな。今更君達の勉強代を惜しむことはないから」

「うん、分かった」

 

 カタンとお父さんはコーヒーカップをソーサーの上に置く。

 中高と私立に通わせて、しかも高校の時に起きた退学騒動の顛末は転校をいう形で今の高校に来させた際に、どれほどお金や人脈を使ったのか。そんな不良娘の勉強の環境を向上させるためなら、言葉通り今更お金を惜しまないのだろう。

 改めて考えると、お父さんって見た目は怖いけど甘いなあって思う。

 

「私もフータロー君に何冊か参考書はあげたけど、さすがにパソコンはねー」

「貢ぎ癖……」

「なーに、三玖」

「むっ」

 

 むにむにと一花が私の頬を摘まんでいじくってくる。

 

「一花君、その参考書の領収書は? レシートでもいいが」

「え? 捨てちゃったよ」

「……なるほど、捨てた、ね」

「あ、あれ? まずかったかな?」

「まずいね。経費として落としてもよかったが、買った証拠がないなら、それもできない」

「お、お父さん? ごめんって」

「ここ最近君達と過ごして分かった事だが、君達はお金の使い方が下手だね」

 

 はあ、と零れたため息が本当に心底呆れた響きで、私達は近くの姉妹と手を取って「ヒェッ……」と恐れおののいた。

 

「君達はカードで色々な物を買ってきただろう? それは別に否定しないけれどね。母親を失った悲しみを物が埋めてくれた部分もあるだろうし」

「そ、その節はお世話に……」

「だが」

「「「「「はいっ」」」」」

「お母さんが天国に逝って六年ほど経って、君達ももう大人と言っても差し支えない歳だろう。この家を飛び出して、バイトもしてお金を稼ぐ大変さを知ったのに、そんな下手な時間やお金の使い方をしていると、こちらもいささか不安になるよ」

 

 あ、お父さんから感じた事のない気配がする。これは落第寸前生徒だった私達が、何度も先生から向けられた気配に似ている。

 お説教の気配だ。

 そーっと二乃は手を取り合ってた四葉と部屋へと続く階段に足を向けるけど、もちろん見逃すお父さんではない。

 

「待ちなさい二人とも。話はまだ終わっていない。聞かないと言うなら、必要ないと言えるだけの大人の対応をして欲しいね」

「お、大人の対応とは何でしょうか、お父さん」

「君達が少し前までしていたように、住んでいる家賃を払ってもらおうか。そうだな……半分とは言わないけど、六分の一くらいというのはどうかな?」

「六分の一? それなら何とかなるかも」

 

 どんな無理難題が繰り出されるのかと身構えていた二人は、馴染みのある事に肩の力を抜いた。そういえばこのマンションってどれくらいかかっているんだろう。高い事は分かるけど、六分の一なら何とか払えるかな。

 

「これくらいだが、払えるかな?」

 

 お父さんはスマホに先月の家賃の引き落とし完了画面を表示して皆に見えるように机に置いた。

 

「無理無理無理!」

 

 二乃はそれを見て素っ頓狂な声をあげる。私達もぽかんと開いた口が塞がらない。

 その額は六等分しても、前のアパートの家賃を五等分しないで十倍にしたくらいの金額だったから。

 

「そうか。では聞いてくれるね」

「分かったわよ……」

 

 二乃はしょんぼりして席に座った。私達も座って、そして顔を見合わせる。嬉しくないけど、こういう事もちゃんと親子の関係を築く上で重要かもしれない、と自分を納得させようとした。というより、今までが言われなさ過ぎたんだ。

 

「ではこれからお金の話をしよう」

 

 もう無駄遣いしません。

 と皆の心が一つになった瞬間だった。

 

――――

 

「お届け物でーす」

「はい。えっとサインで」

「はい。ありがとうございます」

「お疲れ様です」

「お兄ちゃん、何それ?」

「えっと差出人は……げ、お父さん!?」

「お父さん?」

「中野のお父さんな」

「あの目つきの鋭い男の人? 春休みにも皆と一緒だったよね」

「ああ、その人だ。まあとりあえず開けてみるか」

「うーんと。あ、お兄ちゃんこれパソコンだよ」

「パソコンと……手紙?」

「セッティングしていい?」

「任せた。俺はちょっと手紙を読んでるから」

 

『 上杉君へ

 家庭教師の仕事が順調なようで何よりだ。娘達はまた赤点だろうかと思い悩む日々がなくなった事は素直に感謝している。

 さて突然の贈り物で困惑していると思うので理由をここで述べておこう。問題集を作ってくれているようだが、手書きなんて非効率的な事は辞めたまえ。君の勉強時間をいたずらに奪うだけだ。家庭教師業にかかる手間を減らす為にパソコンとプリンターを送らせてもらう。

 ネットに接続できるようにしてあるので君の調べものに使ってくれても構わないし、妹さんとヒ〇キンでも見ていいので存分に活用してくれ。

 そのパソコンとこちらにあるプリンターはネットで繋げてあるので、宿題を送ろうと言う場合に使ってくれたまえ。電源は常に入っているようにしておくので、いつでも送ってくれて構わない。

 これからも娘達の勉強をよろしく頼むよ』

 

「なるほど。ありがたく使わせてもらおう。しかしらいはがユーチューバーに興味ある訳……」

『ブンブンハローユーチューブ』

「見てる……」

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