「時に上杉君。君は付き合いを大事にする方かね?」
「はあ?」
試験結果が返却された日の昼休みに、俺は武田と答案用紙を突き合わせてテストの復習をしていると、武田の友人の一人が突然そんな事を言いだした。
明るく染めた茶髪を摘まみながら、ぎょろりと蛇のように睨んでくる。敵愾心というような悪意ある視線ではないが、何というか探るような視線は居心地が悪い。
「お前らに沢山噂していただけるほどに付き合いは大事にしてると思うけどな」
「そっちの、中野さんの話じゃないって。男同士の付き合いってやつだよ」
「柳生君。もしかして、あの話をしたいのかい?」
理由を知っているらしい武田は呆れながら肩を竦めた。人当りの良いこいつがこんな反応するなんて、あまり良くない物事なんだろう。
「武田、お前が一言「はい」と言ってくれれば俺もこんな事しなくていいんだがな」
「君もこりないねえ」
「うるさいモテ男。俺らみたいな奴はこーいう事しないといけないんだよ」
「俺、席を外すか?」
「いや、お前がいてくれないと困る」
「なんで」
「他の学校の奴も誘って遊びに行こうって話をしてたんだけど、こいつ、「上杉君が来るなら参加するよ」とか言いやがってよ」
ふっと面倒な事態を目の当たりにした時みたいに、武田の友人は短くため息を吐いた。それを見た武田は悪びれもせず笑うと、ウィンクをパチンと飛ばしてきた。女子だったら喜んだかもしれないが、生憎と俺は男子でおまけに彼女持ちだ。……だからそうしてくるのは止めてくれないか。三玖と付き合ってる事が一部の女子の間でカモフラージュ扱いされてるんだが。
「まあ、武田に賛成だな。そもそも受験生だぞ俺ら。夏休みを前に遊んでる暇なんてある訳ないだろ」
「分かってないな。夏休みの前だから遊ぶんだろ。どうせ皆予備校の夏期講習に行くんだから」
「言わんとしたい事は分かるが」
「だろ。分かってくれるよな。そうだ忘れてた。上杉、来てくれたらこれやるよ」
というと彼はポケットから財布を取り出してお札を入れるスペースをまさぐった。まさか金で釣る気じゃないだろうな。いくら年中金欠の俺でもそれは断るぞ。
「あった。これ、どうだ?」
俺の顔の前に突き出されたのは、無駄に色鮮やかな名刺程度の大きさの紙きれだった。小さな紙面の上段に学校の近くのカラオケの店名が大きく書かれ、イメージキャラクターが手招きしていている。
「何だこれ。えっと、一時間無料券?」
「お前お金が無いからって中野さんとロクなデートしてないんだって? これでも使って一緒に遊んだらどうだ」
「ちょっと待て。何でお前がそんな事知ってるんだ」
「そういう噂」
「もう噂はいいよ……」
二乃が噂に嫌気がさして入れ替わりを頼んだ理由がよく分かるな。俺も変わって欲しいくらいだし。
しかしカラオケか。近いしそこそこ楽しめるし……密室に二人きりだし、タダで行けるなら悪くない選択肢だ。
「いいぞ」
「え、本気かい上杉君」
「よっしゃ。聞いたか武田。上杉が来るってよ。約束だからお前も来いよ」
「分かったよ。君の勝ちだ。僕も男だ、約束は守ろう」
「よーし」
「おい、一応言っておくがあんまり長い時間は無理だからな」
「あー、そんなんいいって。最初にちょろっと顔出してくれるだけで。女子のお目当てはこいつになるんだろうし」
女子……え、女子って言った?
「おいやっぱ……」
「はいこれ券な。先に渡しておくからちゃんと来いよ。学級委員長が約束を反故になんてしないよなあ。じゃ、俺は向こうに連絡してくるから」
「やっぱいらな……」
「じゃあまた後でな!」
俺の言葉を遮って、封じて、話を聞かないままあっという間に走り去って行った。言質を取らせないという点では賢い選択なのかもしれない。スマートとは言い難いが。
「やられたね」
「まさか女子もくる集まりだったとは。合コンってやつか」
「だから僕は断ってたんだよ」
「言えよ」
「言おうとはしたんだよ? 君は気付かなかったかもしれないけど、その度に機先を制されたというか、行動の起点をつぶされたというか」
「いやな新陰流だな。もういい。行くと言った以上は顔を出すさ」
「顔を出す? フータロー、どこか行くの?」
「うわ!」
どんなに好きな物でも、状況によっては嬉ばしくないというシチュエーションはあるが、今の俺は正にそんな感じだ。合コンに出るだの出ないだのという話をしている時に、どこか出かけるの? などと、何て心臓に悪いんだろうか。いや知らなかったんです許してください、と言ったら許してくれるか。……駄目そう。
「うわって酷いよ」
「す、すまん。いきなりで驚いただけだ」
「ふうん」
心持ち一つで見方は大きく変わる。きっと普段の俺ならいつも通りだなと思うのだろうが、今の俺は三玖の目がやましい事あるんじゃないのと責めている様に見えた。
「あー、三玖。今日はちょっと武田と、その友達の集まりに呼ばれたから一緒に帰れない」
「そうなの?」
「うっ……ああ。だよな」
「そうなんだ。ごめんね三玖さん」
「良いよ。フータローは友達少ないんだから大切にしないと」
「酷いなお前。自分だって大して変わらないくせに」
「そういう事言うんだ」
ぷくっと膨れて可愛らしく不貞腐れながら、ぺちぺちと俺の肩を叩いてきた。
うわ、普通の会話のはずなのに凄い罪悪感が。きっと上司に女の子が接待してくれるお店に誘われたのを誤魔化しながら奥さんに伝えるサラリーマンってこんな気持ちなんだろうな。いや知らんけど。
何も知らずに良かった良かったと嬉しそうな三玖に申し訳ないので、放課後は行ってもさっさと帰る事にするから許してくれ、と心の中で謝っておいた。
――
「はーいこちら放送部の椿でーす。今私は駅前のアミューズメント施設にやってきています。あ、あちら学校終わりの学生さんでしょうか? ちょっとお話聞いてみたいと思います。こんにちは」
「……楽しいか?」
「ちょっとした暇つぶしには」
ニコニコと陽気に笑っていた、明るい髪色を横で一つ結んでレポーターのようにマイクを持つ仕草をしながら、俺を呼んだ男子の構えるスマホに向かって話かけていた椿という女子は、俺の言葉に興がそがれたみたいに笑顔を手放してガードレールにもたれかかった。左側のサイドテールが退屈に跳ね回る子供のように揺れていた。
「ていうか遅―い。まだ来ないの?」
「もう少しで到着するって来てるんだけどな」
椿が文句を垂れると、男子は文句を受け流しながら自分のスマホを触って、相手先に連絡をとっていた。
「そう言えば何人くるんだ」
「ん? 向こうの奴が女子を四人連れてくるって」
「男女比がすでにおかしい。こっちが女子を連れてくる必要はなかったんじゃ」
俺は武田と話し込みだした椿の方を見た。彼女を呼ばなければ男子は俺、武田、こいつ、他校の男子の四人で、女子はその他校の男子が呼んでくる女子四人で4:4で丁度良いのに。
もしそうだったとしても俺はすぐに抜けるつもりなので一対面の形は崩れる事になるだろうが。
「しょうがないだろ。あいつが椿ちゃんを狙ってるんだから」
「なに? 私の話した?」
「したした。可愛い将来の局アナって話」
「褒めてくれるのは嬉しいけど、上杉君いけないんだー。三玖ちゃんに言ってやろ」
「一言も言ってないんだが」
「冗談だよ。どうせ知らずにつれて来られたんだろうから言わないでおいてあげる」
「この度は格別のご高配を賜り……」
「やめてよー」
からからと笑いながら、ノリよくレスポンスを返されると、自分がコミュニケーション強者になった錯覚に陥るな。しかしこんなやつらに恋人がいなくて、勉強ばかりしていたような奴にいるなんて人の巡り合わせは分からない物だ。自分に降りかかってきた幸運に感謝しながら、すぐに帰るから許してくれますようにと心の中で三玖に謝っておいた。
心の中にいる三玖は「有罪。市中引き回しの刑」と言って腕を引いて俺をデートに連れ出した。……だったらいいなあ。
「あ、来た来た」
その声にはっとして顔を上げると同じ制服を着た男女の集団がぞろぞろと歩いて来ていた。あれが今日来るもう一人の男子だろうか。短い黒髪の、いかにも爽やかなスポーツマンといった風体の男で、周りに四人の女子を引き連れている。一人の男子が四人もの女子を引き連れている様子は、何というか凄いな。
周りから見たら俺もこんな風にみえているのか。やべー奴扱いされる訳も良く良く理解できた。
「おせーぞ」
「ごめんごめん。お、武田の奴本当に来てる」
「偶にはね」
言葉は短いが親し気に今来た男子と言葉を交わして、予約を取っていたらしい大部屋へと入って行く。
「じゃあまず自己紹介から。俺は柳生」
「武田だよ」
「上杉だ」
「徳川でーす」
徳川と名乗った他校の奴は椿の方を向いて軽く手を振っていた。分かりやすい。だが椿はクラス内に好きな相手がいるとかいう話があるらしいぞ。野暮だから言わないが。
「はい、椿です」
「本多だ」
「酒井だよ」
「井伊」
「榊原です」
おい徳川が四天王連れてきてるぞ。
遊びに行くという建前で来た以上、何らかの土産話は持って帰るつもりだったので助かるな、と一人で満足した。三玖が好きな話題だし。もう帰ってもいいな。
「じゃあ飲み物でも取ってくるから、先に始めててくれ」
「まあ待ちなよ上杉君。一曲くらい歌ってから出て行っても遅くないだろう。ね☆」
『ね☆』じゃねえよ。『ね☆』じゃ。
こいつ俺が飲み物取ってそのまま流れで帰ろうとしているのを察しているのか。確かに普段大きな声で話さない奴はどんな歌声をしているのかというのが気になるのは理解できる。俺がカラオケ無料券でこんな良く分からない集まりに釣られたのも、三玖ってどんな歌声なのだろうという興味があったからだし。
しかし同時にこいつは知っている。俺の家にはテレビが無くて流行りの歌など全くと言って良い程知らないという事を。
いや。一つこの前の事があって覚えた歌があった。
まあ一発ネタみたいな感は否めないが。
――俺ら東京さ行ぐだ 作詞・作曲 吉幾三
その曲が流れている間、武田にだけは糞ほどウケたが他の奴らにはポカンとされた哀れな男がいたそうな。これ知り合いには効くな。
結論から言うと最後まで参加してしまった。
俺が知ってる曲なんて小学校の時歌った合唱曲くらいだと言うと、じゃあそれでもいいよと馬鹿にする事なく合わせてくれたのだった。人間が出来ている。
そんな感じで俺が歌っていると、女性陣がマイクを取ってソプラノパートを歌いだして、突如として合唱の練習が始まってしまい、男性陣には悪い事をしたか?と思ったが、椿を狙っているらしい徳川は隣に件の彼女がきてデレデレしていたのでまあこれはこれで良しと思う事にする。
終了五分前の電話がかかって来て、じゃあこれで最後と歌ったのが今日一の出来だったのには奇妙な感動すら覚えたほどで、恐らくもう会う事は無いのだろうが無駄に仲良くなってしまった。……いやいや、無駄とか言っている様では成長がない。
勉強をやりたがらなかった中野五姉妹が「勉強なんてしても無駄」とか言い出していたのを、「やってから言って欲しいんですけど?」と内心怒っていたのと同じような物だろう。初対面の印象が決して良くない三玖と付き合うようになったみたいに、人の繋がりが自分にとってどんな物をもたらすかは、すぐには分からないのだと思う。
「ねえねえ最後の録ってた?」
「ばっちり」
「あとで送ってよ」
「分かった。グループチャットに乗っけとくね」
店内の階段を下りながら、女子達は今日の歌の出来栄えを録音していたようで喜々としてそのデータを共有していた。その興奮っぷりはこのまま二次会に行こうとすら言い出しかねない。
「上杉。お前もいるだろ?」
女子達の集団から一人が振り返って馴れ馴れしく声をかけて来た。長い髪をポニーテールにまとめた髪型で切れ長の目をした女子、名前は本多とか言ったか。なんでも剣道の大会で五歳の初陣から今まで一つとして傷を負った事がないらしい。それ何て忠勝?
「いや、俺はいい」
「なんだ、お前の家にはテレビだけじゃなくて携帯もないのか」
「持ってる。いじりが酷いなお前」
「じゃあいいだろ。交換しよう」
「だからいいって」
「もしかして女子と番号を交換するのが恥ずかしいのか? うい奴うい奴」
「ばっ止めろ」
本多はふっといたずらっぽく笑うと、俺の脇腹を無遠慮に突っついてきた。何で体育会系の奴らはこんな感じでちょっかいをかけてくるんだ。
「ほらほら教えろー」
「止めろお前。教える、教えるから」
「……フータロー?」
突如として後ろから響いて来た声に、それは聴きなじみのある声に俺の全てが凍り付いたように固まってしまった。
振り返ると想像した通りの人物、中野三玖が立っていた。
「み……三玖、今日はバイトじゃなかったのか?」
「今は店のシナモンパウダーが切れたからそこのスーパーに買いに行くように頼まれたんだけど。……ふうん。へえー。なるほどね」
「三玖、これには理由……というほどの事も無いんだが……」
三玖の声の温度が、どんどん下がっていくのを肌でしっかりと感じた。ふうん、ともう一度言いながら、段々笑顔になって行くのが何と恐ろしい事か。
その冷気にも似た怒気を感じたのか、さっきまでうっとおしい程周りに付きまとっていた本多がいつの間にかいなくなっていて、女子陣の輪に戻ってひそひそ話を繰り広げている。
「あれはそういう事ですか椿さん」
「お察しの通りだよ」
「リアル修羅場!?」
修羅場ってるのはお前ら女子陣がいるからなんだけどな。
「どういう事か説明してくれる?」
「どうって……三玖の考えてる通りで」
「フータローの口から聞きたい」
「そうだ上杉君。男らしく自分で言えー」
「ちょっと椿さん黙っててくれませんかねえ!」
こちらを見ている外野は、他人事だと思ってはやし立てるような事を言ってくる。
ちらりと三玖が目線を投げかけるとひゅっと小さく息を呑んで黙りこくった。だがすぐさま「あの子中野一花に激似じゃない?」とか「本人?」とか言っている。
「で、早く男らしく教えてよ。早くお店に帰らないといけないし」
「そのだな……武田の友達の集まりに行くって言ったのは一応嘘じゃないんだ。ただこう、女子と遊ぶ集まりだったのを知らなかっただけで」
「ふんふん」
「言い訳くさい事は百も承知で言うが、ここの無料券を先に貰っちまったから、その分の義理は果たそうとしてだな」
「へえー」
「だから今度は二人で行こう。な」
「うーん」
俺の必死の弁明にも、三玖は肩眉を僅かに動かすだけで響いたのかそれとも怒りの炎に油を注いだだけなのか判別がつかない。ただその言葉を待っている俺はまな板の上の鯉という感じだ。どうやって包丁を入れられるのか待っている。
「ねえフータロー」
「なんだ?」
「フータローは友達と遊びに行ってくるって言った私が男の子と遊んでたらどう思う?」
「三玖が他の男と……?」
俺のした事を反転すればそう言う事か。
友達と遊んでくると言って送り出した三玖が、現場に行って見るとどこぞの知らない男と楽しそうにしている……
「ぐはっ」
「膝から崩れ落ちた!?」
「他の男とどうたらが相当効いたみたいだね」
「それでフータロー、そんな他の男の子からもらった何かでデートして嬉しい?」
例えば遊園地にデートに行ったとして、そのチケットが他の男と遊んで『三玖ちゃんありがと。これお礼ね。彼氏と遊んで来たら(笑)』みたいな感じで貰ったものだったら。
「つらい……」
「泣いた!?」
「これは大した打ちひしがれっぷりですね……」
泣いてない。己の犯した罪に頭を抱えているだけで。
しかし考えるだけで何て胸糞の悪い。三玖が怒るのも無理のない話だな
「すまなかった三玖。自分がされたと思うとこんな気持ちになるんだな」
俺は教会のステンドグラスを見上げる信徒のように三玖の顔を見上げる。見下すような冷たい眼差しを、赦しを乞いながら見上げているとふっと三玖は柔らかく微笑んだ。
「私もいじわる言っちゃってごめん。遊びに行ったら女の子がいるなんて状況、普通にある事なのにね」
三玖は一歩近寄ってくるとそっと抱きしめてきた。俺が膝をついている状態なので自然と彼女の豊かな胸に顔を埋める形になって、両頬を柔らかく包み込まれる。
バイト先で付いたのだろうか、小麦粉を焼いたような香りが制服からかすかに漂ってきて、その奥から三玖の甘い女の子の匂いが俺の頭を揺さぶる。
「でも今度からはそういう集まりならちゃんと言って欲しいな」
「悪かった」
「いいよ」
俺は膝についた砂埃を払いながら立ち上がった。優しく笑ってしかたないなと許してくれる三玖をもう裏切らないようにしようと、俺は心に決めたのだ。
「……私達は何を見せられているんだろう」
「さあ?」