三玖と恋するフータロー   作:アランmk-2

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君と窓辺にいられたら

 中野家への家庭教師を終えていつもの帰り道、いつもと違う事が一つある。

「フータロー」

 隣を歩く三玖がいる事だ。

三玖に泣きつかれた後の俺は結局勉強を教える事にしたのだが、たびたび昨日はどうだの三玖はどうだったのだの、針の筵にいるような居心地の悪さを散々させられた。

そしてこの事態を引き起こした決定打は、五月が話の流れでポロっとこぼした、家出していた時に俺の家に来ていたという事実だ。一花に二乃に四葉は面白おかしく五月を追及し始めたが、三玖は少し俯いて何も言わなかった。

「三玖、何か五月に聞きたい事ないの?」

 俯いたまま動かない三玖に気を遣って二乃は質問を投げかけた。

三玖は顔を上げると涙目になりながら四人を見渡して、私もフータローの家に行くなどと言い出した。

さすがに質問攻めしすぎた負い目があるのか、他の四人は何も言わず着替えや教科書をまとめて三玖に持たせてくれた。

隣を歩く三玖を見る。それだけで胸が高鳴り、体が熱くなるように感じた。

「ねえ、フータロー」

 しかし、三玖はどこか浮かない顔をしている。自分を恥じ入るような、どこか嫌悪にも似たような、そういう複雑な顔だ。

「やっぱり帰る」

「どうした、三玖?」

「恥ずかしくて、五月が羨ましくて思わずあんな事言っちゃったけど、フータローに迷惑かけられない」

 羞恥と怒りとがない交ぜになったような感情のままに飛び出したはいいが、家を出てしばらく歩いて冷静さが戻ったのだろう。しかし、さすがに自重するだろうとは言えあの四人の大渦の中に三玖を放り込むのも気が引ける。

三玖の手を引きながらゆっくりと歩き出し、電話をかけた。

『もしもし、お兄ちゃんどうしたの?』

「らいは、いきなりで悪いんだが今日一人家に泊めても大丈夫か?」

『家に泊まる……もしかして五月さん?』

「いや、違う。三玖って分かるか? 右目が隠れるくらいの長い前髪してる」

『あー三玖さん。大丈夫、分かるよ』

「そうか。それで一人増えても大丈夫か?」

『私はいいけど』

「分かった。それで今から買い物に行こうと思ったんだが、何か必要な物はあるか?」

『買い物……ちょっと待って』

 と言うとうんうん唸る声が聞こえる。らいはが頭のメモ帳をめくっているのだろう。

『お兄ちゃん、買い物はいいよ。近所のスーパーがセールやってるからそこで買っちゃうね』

「ああ、ありがとう」

『はいはーい』

 電話を切って隣の三玖を見る。口を一文字に結んで難しい顔をしていた。

「フータロー、何で……」

「意地悪な姉妹の毒牙から守りたいからだ」

 三玖は潤んだような瞳を揺らし、その顔を伏せた。

「三玖、遠慮するな。俺は三玖が家に来てくれたら嬉しいぞ」

 握った手に力を込める。三玖は涙がこぼれそうな顔を上げて、笑顔で言った。

「ありがとう、フータロー」

 ゆっくり話ながら歩いていると、段々と日が傾いてきた。空が赤く染まり、全てに赤が差す。車のライトに光が灯り、夜の訪れを知らせる様に道を走って行く。

 楽しい時間はあっという間に過ぎ去っていく。気が付くといつの間にか家についていた。

「ここがフータローの家なんだ」

「まあ狭い家だが」

「そんな事ない。私達の家の方が」

「五人いるから狭く感じるだけだろ」

 ドアに手をかけるが開かない。らいは、まだ帰ってきてないのか?

 ポケットから鍵を出してドアを開いた。三玖にどうぞと目で促して先に入ってもらう。俺はその後に続いて入る。

 すぐに電気のスイッチを入れる。さして広くない部屋の全てが露わになると、三玖は興味深そうにキョロキョロと見渡した。

「面白い物なんかないぞ」

「ここにフータローが住んでるだなって、不思議な感じ」

 というと三玖は振り返ってくる。微笑みながら弾むように嬉しそうに言った。

「フータロー、おかえり」

 その時俺はどんな顔をしていただろうか。胸が悲しいように痛んで、嬉しいように弾んだ。これがいわゆるキュンキュンするというやつなのだろうか。

 その眩いような笑顔にそっと触れて、ゆっくりと顔を近づける。三玖は長い睫毛に縁どられた瞼をゆっくり閉じて訪れる唇を待つ。

「ただいま」

 ふわりと温かくて柔らかい三玖の唇に触れると、心も温かくなるような感覚に包まれる。胸の奥がもっとしたいという思いで疼くように、痛いほど脈打つ。その望みを満たそうと、荒い吐息交じりに三玖を呼んだ。

「三玖……」

「フータロー……して……」

 三玖の顔は美しい赤に染まって、その赤のように熱い息がお互いの気分を高める。

「んっ……」

 今度は乱暴なほどに深く口付けた。火花が散りそうなほどに快楽がはじけて頭の中を駆け巡る。らいはが帰ってくる、自制しなければというタガも外れたように、さらにもう一度キスをした。

「フー……あ、んっ……」

 

「ただいわあああああああああ!!!」

 

 玄関からいきなり上がった叫び声にびくりと身を固くする。声の方を見ると、買い物袋を落として両手を口元に当てて驚きにあんぐりと口を開けているらいはがいた。

「らいは、驚かすなよ」

「驚いたのはこっちだよ! え、お兄ちゃんどういう事?」

「前に言っただろ、付き合ってる子がいるって」

「本当だったんだ……」

「ええ……」

 らいはから彼女が出来たと言い張るヤベー奴と思われていた事に、さすがにショックを受ける。

「え、じゃあ三玖さんがそうなの?」

 うなだれる俺をしり目に三玖の下へ歩いて行った。三玖は屈んでらいはに目線をあわせる。

「うん。春休みの終わり頃から……つ、付き合ってる」

 三玖はさっきキスをしていた時とは別の感情で赤くなった。

「え~そうだったんだ」

 らいはがこちらを振り返ってくる。その顔はにやりとして新しいおもちゃを見つけたかのようだ。

「お兄ちゃんいつもあんなにイチャイチャしてくるの?」

 女性はいくつでも恋愛模様に首を突っ込みたがるらしい。ただ幸いなことにらいはに知識が余りないのであの四人の様な質問は飛んでこないだろう。

「うん。フータローは結構大胆」

「へえ~、お兄ちゃんがね~」

 あ、これ長くなるやつだな。

「ね、ね、キスっていつしたの?」

「付き合ってすぐに」

「え~ほんとに大胆~。きっとお兄ちゃん勉強ばっかりだったから、三玖さんっていう恋人ができて爆発しちゃったんだ」

 ……勉強しよう。

「あ、そういえばどっちから告白したの?」

「私」

「そうなの? お兄ちゃん、女の子に告白させるなんて甲斐性なし」

「悪かったな」

 二人はしばらく恋愛話に花を咲かせていたが、らいはが唐突に手を叩いた。

「そうだご飯の準備しなくちゃ」

「らいはちゃん、私も手伝う。フータローの好みの味を身に着けたい」

 台所へ歩いて行くらいはに三玖が付いて行った。大丈夫だろうか。

「お兄ちゃーん、お風呂の準備しておいて。ていうかそのままお風呂入って。あがったころにご飯できてるから」

 俺は読んでいた英文から顔を上げる。らいはが少しだけ顔をこちらに向けて、そして料理に目線を戻した。立ち上がって浴室に足を運んだ。家事の事でらいはに反論できる奴はこの家にいない。

 浴槽を洗いお湯を溜め始める。五分もすれば丁度いい具合にお湯が溜まっているだろう。

 少し単語帳でも見て風呂に入ろうと思っていると、台所かららいはの大きな声が聞こえた。三玖が何かヘマでもしたのか。

 台所へ足を運ぶと俺の懸念はその通り、らいはが三玖にお説教の最中だ。

「三玖さん! 味付けはレシピの分量通りかちょっと少ないくらいにしないと、薄味は後で濃くできるけど、濃い味は薄くできないよ」

「ご……ごめんなさい」

「それに、火が強すぎたり弱すぎたりすると、焦げたり火が通ってなかったりしちゃうよ。お兄ちゃんは『料理は科学だ。条件をそろえれば誰でも再現できる』って昔言ってたよ」

「フータローがそんな事を……」

「だから三玖さん、まずはレシピ通りに作ろう」

「うん。分かったらいはちゃん」

 話に一つ区切りがついた所で口を突っ込むことにした。

「なあらいは。何だか三玖に当たりがきつくないか?」

「あ、お兄ちゃん。だって三玖さんと結婚するんでしょ? そうなったら私お兄ちゃんにご飯作れないから三玖さんに料理覚えてもらわないと」

 らいはの口から飛び出してきた結婚という言葉の石が頭に直撃して火花を上げた。それを種火として頭の中に火が点いて三玖の頬が燃える様に赤くなった。きっと俺の顔も赤くなっている事だろう。

「え? しないの?」

 らいはがきょとんとした顔で俺と三玖を交互に見てくる。

 ……結婚か。

「あれ、そういえばお兄ちゃんお風呂は?」

「今から入る」

 着替えを取って浴室へ向かった。

 体を洗い湯船につかる。息を吐いて人心地つくと、さっきの言葉が頭の中を巡る。

 結婚か。

そもそも、恋愛事自体をどこか小馬鹿にしていたから、結婚について思いを巡らせる事なんてなかった。俺も今年で一八歳になり、保護者の同意が必要とはいえ結婚できるようになるのだから、少しくらい考えるべきだろうか。

 三玖と結婚するのか? もちろん好きだし、愛している。恋人ならそれだけでいいのかもしれないが、結婚となると家の事も考えなければならない。この借金を抱えた上杉家に三玖は来てくれるだろうか。三玖が良いと言っても、あの父親は許してくれるだろうか。

 頭がぼうっとしてきた。まず風呂からあがってその後でまた考えよう。

 体を拭いて着替えに袖を通す。部屋に戻るとテーブルに料理が並べられている。

「フータロー、ご飯出来てる」

 三玖に促されてテーブルの前に座り、いただきますと手を合わせて料理に箸をつける。豚肉入りの野菜炒めだ。一口食べると、三玖の大きな目がきらきらと光って俺の方に目線をくれる。らいはが三玖の心を代弁して聞いてきた。

「お兄ちゃん、どう?」

「どうって、普通に旨いぞ」

 そう言うと、三玖はほっと胸をなでおろした。

「良かったね三玖さん」

「らいはちゃんのおかげ。ありがとう」

 二人はそう言って喜び合うと、おしゃべりに花を咲かせた。学校の事、友達の事、そして時折俺の事。お喋りと食事が一段落すると、三玖は食器を片付けようと立ち上がって台所に運んで行った。らいはが私がやると言ったが三玖は、

「いきなり押し掛けたお詫びにこれくらいさせて」

 と言って譲らず、任せることにした。洗い物をしている三玖を視界の端に捉えながら、らいはは少し小さい声で尋ねてきた

「お兄ちゃん、どうして三玖さんうちに来る事になったの? ケンカしちゃったの?」

「前に五月が泊った事があっただろ」

「うん」

「それを聞いた三玖が私も行きたいって。そういう話だ」

「そうなんだ。でも、すぐに連れて来るなんてやっぱりお兄ちゃん恋が爆発してるよ」

「してるか?」

「うん」

 洗い物を終えた三玖がこちらに戻ってくる。

「三玖さんありがとう。お風呂お先にどうぞ」

「え、でも」

「いいからいいから」

 らいはに押し切られる形になり、三玖は浴室へ向かった。俺は風呂に入る前にやっていた英語の参考書を開き、勉強を再開する。長文問題を終えたくらいに風呂からあがった三玖が姿を現した。

 顔を上げて三玖を見るとどきりとした。

 濡れた髪がつやつやと輝いて頬にくっついている。上気したように肌がほんのりと赤くなり、くつろいだ首回りの寝間着姿が妙に色っぽい。そんな三玖が俺の家にいる事に不思議な興奮を覚えた。

「お兄ちゃん、私お風呂入ってくるけど、イチャイチャするのもほどほどにしてね」

「そんなに信用ないか?」

「私が帰ってくるのにずっとちゅっちゅしてたお兄ちゃんにそんなのないよ」

 そうらいはが言い切ると立ち上がって三玖とすれ違う。三玖は一度らいはを振り返り、小首をかしげながら俺に聞いてきた。

「フータロー、らいはちゃんに何言われたの?」

「いや、大したことじゃない」

 三玖は納得いかないように少し眉をひそめながらも頷いて、鞄から数学の問題集を引っ張りだしてノートを開いた。しばらく紙を滑るペンの音だけが響く静かな時間が広がる。

「なあ三玖」

 その静かな時間を打ち切って俺は聞いた。

「俺ってそんなに恋が爆発してるか?」

 俺の質問をかみ砕いて飲み込むと、三玖は小さく笑った。

「してる」

 と言うと、まだ可笑しさが引かないのか笑っている。

「どんな所が?」

「すぐ手を握ってきたり、キスしてくる所?」

 それと。と三玖はさらに付け加える。

「フータロー、前は鈍かったけど、今は私のして欲しい事すぐ分かったりして鋭い所とか」

「鋭くないとお前達が誰が誰だか分からないだろ」

「もう皆の事入れ替わってても分かる?」

「三玖だけなら絶対に分かるんだが、他の四人はもう少しかかりそうだ」

 口元をほころばせて三玖は俺の近くまで来た。

「ね、フータロー」

 訴えかけるような目線を俺に向けて、三玖はその場で止まった。して欲しいことを当ててみてという事だろうか。

 風呂上りの温かさで上気したような赤い顔に、やさしい目をして、少し身を乗り出すようにこちらに前のめりだ。

 俺はあぐらをかいて手を広げて言う。

「三玖、おいで」

 目の前の可愛い顔がぱっと華やいで、俺のかいているあぐらの上に座ってきた。ふわりと甘い女の子の香りが俺の鼻腔をくすぐる。三玖は俺の背中に手を回して抱き着いた。その濡れて艶やかな髪を指で梳くように頭をなでると、子猫のように目を細めて嬉しがる。

「こういうこと、フータローはしたくないのかなってずっと思ってた。恋愛なんて、って言ってたから」

「そんなことは……」

 ない、と良い訳がましい事は言えなかった。過去の発言に恥じ入ることくらい俺にもある。だからだろうか。それを埋め合わせるように、三玖に触れたいのは。

「三玖」

 気持ちと期待を込めて、三玖の綺麗な瞳を見つめた。俺のことなどお見通しかのように、すぐ行動に移してくれた。

 三玖は俺の首に手を回すと、ゆっくりと顔を近づけてきた。目を閉じて三玖からのキスを受け止める。温かくて思わずうっとりしてしまうような、そんな幸せなキスだった。名残惜しくゆっくりと唇を離していく三玖を追いかけて、今度は俺から唇を重ねた。爆発でも何とでも言われて良い。こんなに君の事が好きなのだから。

「フータ……んっ」

 鳥が木の実を啄むように、短いキスを繰り返した。唇が離れるたびにちゅっというリップ音がして、世界に知らせるように部屋に響いた。

「フータロー、目を瞑って」

 三玖に言われるまま目を瞑る。光が消えて、聴覚と触覚の世界になる。あぐらの上に乗る三玖の柔らかい太ももが俺の体の方に体重をかける。しなやかな手が俺の首筋を這いまわって、そして力をいれて抱き寄せられた。俺の胸板に、三玖の柔らかい胸がつぶれる幸せな感触がする。耳元に息づく妖精が、こう悪戯をしてきた。

「大好き」

 頭の中でその言葉がリフレインして、嬉しくて心地よい稲妻が体中を駆け巡る。薄目を開けて、幸せそうに笑う三玖を見て口付けた。

「出たよ~」

 浴室の方かららいはの声が聞こえた。俺達に気を遣っているのだろう。その気遣いを受け取ることにした。三玖は俺のあぐらの上から立ち上がって、広げていた自分のノートの前に戻った。

 湯気が上がりそうな赤い顔をして、汗を一筋流しているらいはが歩いてきた。

「どうした、らいは。のぼせたのか?」

「え、そうかな?」

 らいはは両手で顔を扇ぎながら、冷たいものを飲もうと冷蔵庫を開けた。お盆にお茶を注いだグラスを三つ乗せて来てくれた。

「お兄ちゃん、三玖さんもどうぞ」

「ありがとう、らいはちゃん」

 俺もらいはに短く礼を言い、グラスに口をつけた。冷たい物を飲んだおかげか頭が冴えたような気持ちになる。寝る時間になるまで勉強をするとしよう。

……

「それで四葉が……」

「えー、ほんとに?」

 勉強に没頭していた意識が話し声で現実に引き戻された。三玖とらいはが楽しそうに会話をしている。

「らいは、三玖に勉強させてやってくれ。三玖、赤点回避したとは言え油断して良い訳じゃないぞ」

「フータロー、ごめん」

「でもお兄ちゃん、もういい時間だよ」

 と言われて時計を見る。確かに普段ならもう寝る時間だ。

「まあそうだな。今日はもう寝るか」

 同じ体勢をしていたせいで凝り固まった筋肉を軽く動かしてほぐす。大きく体を伸ばして深く息を吐いた。見るともう布団が敷いてある。らいはの布団が一番端に置いてあり、大人用の布団が隣り合っている。

「五月の時みたいに川の字になって寝ないのか?」

「そうなの? らいはちゃん、私はいいけど」

「三玖さん、お兄ちゃん、私だって恋人に割り込まないくらいの気は遣うんだからね」

 らいははそそくさと自分の布団に入っていき、

「電気消してね」

 と言うと寝息をたて始めた。

 俺は三玖と顔を見合わせ苦笑した。電気を消して三玖と隣り合う布団に入った。

 今日は満月ではないはずだが、カーテンの隙間から世闇を切り裂くような青白い月明かりが漏れて、闇の中に三玖が幻想的に浮かび上がる。

「フータロー、そっち行って良い?」

 目を閉じても眠気の起こらない静かな時間が経つと、隣の三玖の囁きが聞こえる。俺は掛布団を上げてスペースをつくり、そこに三玖が飛び込んできた。

 甘い女の子の香りが舞い、三玖の顔が俺の目の前に来る。笑ったことが、顔は見えずとも雰囲気と少しの空気の震えで分かった。そばに来た三玖の腰に手を回して抱き寄せる。

「ねえフータロー、結婚したら毎日こんな風に一緒にいられるのかな」

 らいはが言った事を三玖も考えたのだろう。

結婚。

遠い様で、近いもの。

街を見渡せば何組もの夫婦がいるのに、どうして自分の事になるとこんなに現実の事の様に思えないのだろう。

闇に眼が慣れて、三玖の顔が見えるようになった。青白く差し込む月光のように、不思議と心がかき乱される光を宿した瞳が俺を見ていた。

「なあ三玖」

「なに? フータロー」

「俺の家には借金がある。そんな家に来てくれるか?」

「私も働いて借金を返す。お嫁さんだもん」

「三玖が良いって言っても、あのお父さんは何て言うか」

 三玖の顔にむっと力が入る。幸せな想像に水を差してしまっただろうか。

「お父さんに何言われても関係ない。フータローは私と結婚したくない?」

「でも三玖に会えたのは、お父さんが家庭教師を雇おうと思ったからだ」

「それは……そうだけど……」

「だからこそ、あの人にも認めてほしい。あの時俺を雇って良かったって。三玖も、そして皆も笑顔になれるような結婚をしたい」

「フータロー……」

 月光のような神秘の光を瞳に湛えた三玖に、想いを伝えるためにその頬に触れた。手から伝わる三玖の温かさに、胸が熱くなる。

「愛してる、三玖」

「私も」

 言葉に乗せきれない想いを込めて唇を重ねる。甘い痺れに全身を貫かれて、その心地よい愛の魔法をまた唱える。

 三玖の目が細められて、口元が綺麗な三日月を描く。

「愛してる、フータロー」

 愛の証をたてるように、数えきれないほどにキスをする。

「はっ……フータロー……んちゅっ……」

「三玖……んっ……はっ」

 口から零れる吐息さえも味わうように、舌を三玖の口に入れた。蕩けるような熱に触れて、夢中になってその深いキスを繰り返す。

「はぁ……はぁ……んっ……れろ」

「んくっ……んっ……んむぅ……」

 キスだけでは足りないような気がして、俺は三玖の上に覆いかぶさる。のしかかるようにゆっくりと三玖に体重をかけた。その俺の胸板に柔らかい三玖の胸が押しつぶされる。芯から燃え上がるような熱を孕んだ腹が触れて、しなやかな足を絡ませる。全てが溶け合って混ざりそうなほど熱く唇も重ねる。どくんと三玖の心臓が俺を震わせる。俺の心臓も、彼女の心を震わせただろうか。

「フータロー……好き、大好き……愛してる」

 愛しさの器から溢れたものが俺の瞳をにじませた。この切なさすら覚えるような莫大な感情を、人は愛と呼んだのだ。

 三玖を、愛する人を確かめるために彼女の輪郭に触れる。

またキスをするために近づいて……

「う、うーん」

 少し離れた布団からうめき声のようなものが聞こえる。らいはだ。

 俺達は顔を見合わせて軽く笑った。

「もう寝るか」

「うん。おやすみ、フータロー」

 俺は三玖の上からどいて、三玖は布団に戻っていった。ドキドキと跳ねる胸を押さえて深呼吸を一つ。危なかった。もしらいはがいなかったら、絶対にセックスしたくなっていた。昨日の今日でそんな事をして、三玖に体目当てなんだと言われたら立ち直れないかもしれない。

 俺は目を瞑る。熾火のように残る熱に浮かされる心地のまま、いつの間にか眠っていた。

 

 

 まぶしさに目が覚めた。カーテンの切れ間から朝日が差し込んで、その光が俺の顔にかかっていた。身を起こして軽く伸びをする。すると寝間着が引っ張られる感覚がして、力のかかっている方を見た。すやすやと穏やかな寝息をたてる三玖が、俺の服の裾を摘まんでいた。

「風太郎、朝から見せつけてくるじゃねえか」

 突然の声に驚いて周りを見る。金髪の中年がこちらを見ていた。

「は、親父!?」

「おい大声だすな起きちまうぞ」

「ん……」

 横から二つの声がした。三玖とらいはが眠たい目をしながらゆっくりと起き上がってきた。らいははすぐ親父に気が付いた。

「あれ、お父さん? いつ帰って来たの?」

「ついさっきな」

 早くから家事をしたりして朝に強いらいはは、軽やかに立ち上がって腕を回した。対して三玖は冬の動物の様に緩慢な所作で起き上がり、どこかぼうっとした目が俺を見て来た。

「フータロー、おはよ……」

 ちゅっ

「え?」

 三玖が俺の頬にキスをしてきた。夢の中と思っているのだろうか。ぼうっとした目のまま、三玖は朗らかに笑う。

「熱いねえ」

「三玖さん大胆……」

 俺以外の声が聞こえた事で夢の中ではないと気が付いたのか、三玖の目が現実に焦点を合わせた。三玖は恐る恐るといった様子で周りを見渡すと、口に手を当てて驚いているらいはと、ニヤリと口の端を釣り上げている親父を視界に捉えた。自分がどういう状況で何をしたのか思い出し、真っ赤になって俯いた。

「お、おはようございます……」

 おかしくてたまらないと言わんばかりに親父は声を上げて笑った。

「ガッハッハ、可愛いじゃねえか、大事にしろよ風太郎。そしたら上杉の坊主は美人な嫁さん貰ったなって俺も自慢になる」

「お父さん朝ご飯は?」

「今から一旦寝るから俺の分は用意しなくていいぞ」

「分かった」

「お熱い二人も起きた起きた」

 親父は俺の腕を引っ張って無理やり立ち上がらせた。布団から出ると親父はそこにどかりと横になった。

「むさい男の寝た布団じゃなくて、可愛い女の子が寝た布団で寝たいね俺は」

「親父!」

「冗談に決まってるだろ。カーテンちょっと閉めてくれ」

 言われた通りカーテンを少し動かして朝日を遮ると、すぐにガーガー寝息をたて始めた。

「二人とも、朝ご飯にするよ」

 らいはに言われて朝食の卓につこうとしたが、三玖が顔を隠したまま動かない。

「どうした三玖」

「うぅ……もうお嫁に行けない……」

「俺の所に来ればいい。早く行くぞ」

 そういって三玖の手を引く。

「ありがと、フータロー」

 らいはがにっこり笑ってこちらを見てくる。……食べにくい。

 朝食を終えて、身支度を済ませる。

 靴を履いて出ようとする俺達に、らいはが首をかしげながら聞いてきた。

「行ってきますのチューはしないの?」

 三玖と顔を見合わせて笑いあう。らいはに目線を合わせて、

「「行ってきます」」

 俺は右の、三玖は左の頬に口付けた。らいははぽかんと口を開けて固まったが、両頬をさすってはにかんだ。

「ありがとう、お兄ちゃん、お姉ちゃん」

 

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