おふくろさんを除いた墓参り。
人は、いや、生き物というものはいつだって残酷だった。
とたとたと、幼い足音がした。それに、人はきっと健康な幼子を思い浮かべるだろう。けれど、その足音の主というのはいささか、そういった想像からは飛び出ていた。
まず、目を引くのは何で染めたかもわからないほど、見事で鮮烈な赤く、紅く、朱く、染め上げられた衣を纏っていた。そうして次に目に映るのはまるで雪のような、月のような銀の髪。そうして、ぼっかりと浮かんだ満月の、瞳。
それだけならば、それだけならば、どれほど幼子にとっても、母親にとってもよかったのかもしれない。
それだけならば、彼は人でしかなかった。
ただ、毛並みの違うだけの、人であれただろう。
けれど、幼子の受け継いだ、人でないものの証が彼の頭がひょこりと飛び出ていた。
幼子は、走ることが楽しい。
とたとたと、軽い音を立てて、走るのは楽しい。
だって、それぐらいしかすることがない。
幼子、犬夜叉はその年端としてはしっかりと自分の立場、扱いについて理解していた。
屋敷にいる貴族たちは、犬夜叉と母を害することはない。けれど、いつだって彼らはひそひそと遠巻きに、犬夜叉が一人であることを示して見せる。
いつか、丸い毬を、大人が、子どもが蹴り上げて遊んでいる場面に出くわしたことがある。それが、なんだか楽しそうで。
遊んでほしかったのだ、混ぜてほしかったのだ、何も知らなかったのだ。
いれて、ぼくも、それにいれて。
無邪気に駆け寄った彼から逃げる様に、そこから誰もいなくなり、ぽつんと残った毬だけが犬夜叉を待っていてくれた。
その意味を、彼は理解できなかった。ただ、困ってしまった。どうして、そうなったか分からないからこそなおさらに。
母の涙を、そこで見て。
ただ、自分は泣かぬようにと思った。自分が泣けば、母はきっともっと悲しくなるだろうから。だから、彼は一人でいるのだ。
それでも、寂しいと、感じないわけではない。
そんな時は、未だ幼い体にいささか大きすぎるあかい衣に顔を埋めるのだ。
そうすれば、仄かに、知らない匂いがする。己でも、母のものでも、屋敷の者のものではない、知らない匂い。
(・・・きっと、これが父上のにおいなんだ。)
見たことも無い人。
それでも、母はいつだって自分の顔をいとおしむように撫でるのだ。
月色の、瞳と髪と。
(・・・・父上と、同じだって。)
それは、よすがだ。幼いそれの寂しさを慰めるための、優しく、柔らかなおまじないだった。
かたん、と。
音がした。
それに、十六夜は急いで近くにいた犬夜叉を抱え込むように引き寄せた。犬夜叉は、まだ深い眠りの中にいた。
(・・・・こんな夜更けに私を訪ねて来るなんて。)
子を一人生んだとはいえ、未だ若く美しい十六夜の局に夜更けにやって来ると言えば、真っ先に夜這いか何かを想像するだろう。
けれど、十六夜はそれを真っ先に否定した。
十六夜は、彼女の親戚筋に当たる家に身を寄せていた。
子を孕んだ彼女を一応はその家は受け入れはしたが疎まれていた。けれど、彼女の産んだ子供でその針の筵は一気に恐れに至った。
月色の、瞳と髪。そうして、ひょこりと頭の上に生えた畜生の耳。
家の者は、それを呪いと言った。それを、悍ましいと言った。それを、おそれた。
犬夜叉を産んだ時、十六夜はどれほど嬉しかったろうか。
愛しい男に似た息子。忘れ形見。愛しい、愛しい、影法師。
犬夜叉を産んでなお、彼女が屋敷を追い出されないのは偏に異形を産んだ女を疎ってたたりでもないかと恐れているのだ。
そんな彼女に手を出そうというものはいない。
かたんと、微かに御簾が動くような音がした。
「誰ですか?」
声が震えてしまったのは仕方がないことだろう。十六夜は、非力な女だ。己の子を守るとしても、その身を犠牲にすることぐらいしか思いつかない。
十六夜は、犬夜叉を抱える様に抱きしめた。そうして、彼女の局を覆っていた几帳の向こうに大柄な人影が見えた。
「へえ。」
聞こえてきたのは、年若い男の声だった。妙に、どこか、聞き覚えのある柔らかな声だった。
「なるほどなあ。」
ゆらりと、暗闇の中に一人の男が立っていることに、十六夜は気づいた。
「あ、なた・・・・」
茫然と、十六夜は呟いた。それに無意識に犬夜叉を強く抱きしめてしまう。
それによって、幼子の満月の目が見開かれた。
幼子は、何故、母に抱きしめられているのかを不思議に思って、ふと、自分の目の前に男が立っていることに気づいた。
真ん丸の、満月の瞳に、その姿が映り込む。
月色の、髪と瞳。
犬夜叉と、同じ。
(おんなじ、めだ。)
くんと、香ったその匂いは、なんだかたまらなく懐かしくて。
(・・・きものの、においと、おんなじだ。)
「父上?」
無邪気な声音が、そう呼んだ。
それに、男は目を丸くして、一言、囁くように言った。
「おうおう、愛らしいねえ。」
甘ったるい、どこか軽薄そうなその声音に、十六夜は目の前の存在が彼女の恋い慕った誰かでないことを覚った。
「残念ながら、俺はお前の父上ではないんだよ。」
「じゃあ、えっと、だれ?」
「うーん?そうさな。お前の腹違いの兄にあたるんだよ。」
「あに?」
男は、十六夜には目もくれず、己に興味を示した犬夜叉ににこにこと笑いかけた。犬夜叉と同じほどの視線になる様にと屈みこんで、その顔を覗き込む。それを、十六夜は無言で見つめた。
正直な話をすれば、どんな反応を取ればいいのか分からなかったのだ。
男は、本当に彼女の愛した男に似ていた。それこそ、一瞬本人と見まごうほどに。
けれど、蓋を開ければ、よくよく見れば端々に違う誰かが垣間見える。
それが、奇妙な違和感となりたまらなく齟齬を感じるのだ。
なにか、彼の人の仮面を被った別人が現れたかのような、そんな気持ち悪さ。
もちろん、別人なのだから当たり前ではある。けれど、それを無視するには男は余りにも彼の人に似すぎていた。
「・・・風牙様、でしょうか?」
十六夜の虫の鳴くような声に、ゆるりと細められた。その、どこか人を揶揄う様な雰囲気が、やはり似ていないなと思った。
「おお、俺の名前を知ってるか?」
「・・・・はい。あの方から、お話を聞いています。」
震える様な声の十六夜に、男はやはりくすくすと愉快そうに笑った。
「相変らず、おしゃべりな人だねえ。」
十六夜は己の背を流れる冷や汗に、ぶるりと少しだけ震えた。
男に、息子が二人いるのは知っていた。寝物語のように、少しだけ聞いたことがあったのだ。
男は、そこで楽しそうに息子のことを話していたのだが。
彼は、殺生丸という二人目の息子に関しては自慢げ、というのだろうか。父親らしい顔で殺生丸のことを話していた。
けれど、男は何故か長男であるらしい風牙という青年に関してはどこか奥歯に物が挟まったような言動をする。
悪いものではないのだが。そうだな。十六夜、会うことはないだろうが。あれにはあまり深入りせぬ方がいいだろう。
その言葉の意味を、本人を前にしても十六夜にはよくわからなかった。こういっては何だが、目の前の男というのは近寄りがたさとは無縁のように見えた。
それこそ、その容姿さえ差し引けば気の良さそうな只人としてどこかであって良そうな空気を纏っていた。
彼女の記憶の中にある男とそっくりの容姿は、その落差を強調していた。
「母上、あにって?」
「・・・・この方は、お前の父君の御子息です。そうですね、犬夜叉、あなたの兄上にあたります。」
「兄上?ぼくに兄上がいたの!?」
犬夜叉は母を見上げていた瞳に歓喜を宿して、くるりと風牙の方を向いた。
それも当たり前だろう。
子一人母一人。おまけに友人と言えるような存在もいない幼子は、おそらく寂しかったのだろう。そんな中、兄がいると言われれば子ども心にその歓喜も仕方がないだろう。
「兄上!」
無邪気な声が局に響いた。それに、風牙の目が大きく見開かれた。
その時、また御簾から誰かが入ってきたような音がした。
それに、十六夜は風牙の後ろに目を向けた。そこには、犬夜叉や風牙とよく似た容姿の青年が立っていた。
その容姿から、十六夜はその青年が男の言っていた、もう一人の息子である殺生丸であることを察する。
「風牙、いつまでかかっている。」
まるで冬の夜のように静かで、冷たい声音で殺生丸は風牙に目を向けた。その瞳は、十六夜には目もくれず風牙と犬夜叉に向けられていた。
「それが、犬夜叉か?」
「えっと、だれ、ですか?」
「・・・殺生丸様?」
名を呼んだ十六夜に、初めて殺生丸の瞳が向けられた。それに、十六夜はまた体を震わせた。
その瞳には、人への蔑みだけでなく隠そうともしない嫌悪と敵意が渦巻いていた。
それに、十六夜は羞恥で顔を伏せた。
その感情の理由が分からないほど愚かではない。
自分たちは、彼の父親の死によって生き残ることが出来たのだ。
自分たちのせいで、彼の父は死んだのだ。自分の、愛しい彼は死んだのだ。
彼は、奪われた側なのだ。
十六夜は、迷う。
その敵意のままに力を振るわれれば自分たちは死んでしまうだろう。ただ、逃げ切れるかもわからない。行動を起こそうかと迷っている中、犬夜叉と向かい合っていた風牙が突然に倒れた。
「兄上!?」
いの一番に驚いたような声を出した犬夜叉は倒れ込んだ風牙に縋りつく。風牙は、口を押えて小さく震えていた。それに、殺生丸が怒号のように言った。
「貴様ら、こいつに何をした!?」
「な、なにも・・」
「ならば、これはどういうことだ!?」
自分たちに向けられる明確な殺意に、十六夜は震える声で反論した。犬夜叉も茫然と、殺生丸を見上げた。その時、震える声で風牙が呟いた。
「・・・もう一度。」
「え?」
倒れ込んでいた風牙の様子に、皆が耳を傾ける。
「犬夜叉、もう一度、兄上と。」
「兄上?」
「・・・・兄様と。」
「に、兄様?」
「兄者は?」
「あ、兄者?」
「・・・・・おにいちゃん。」
「お、お兄ちゃん!」
繰り返された言葉の内、最後のお兄ちゃんで風牙は飛び起き、そうして犬夜叉を抱き上げて叫んだ。
「愛いいいいいいいいいい!!!」
もしも、未来の人間が居たならば某獅子の王を思わせるような抱き上げ方だった。
そうして、風牙は心底嬉しそうに犬夜叉を抱き上げて、くるくると回り始めた。
「うわああああああ!かーわーいーいー!!殺生丸の時とはまた違う愛いさぞ!あの、懐かない、誇り高さも悪くないが、この素直な愛らしさも格別に愛いぞ!」
風牙は、犬夜叉に頬ずりをして、でれでれと相好を崩した。十六夜は呆気にとられた様にそれを眺めた。犬夜叉はというと、自分の兄という存在がとにかく元気であること、そうして自分を好いてくれていることを察したのかきゃっきゃと笑っていた。
そうして、最後に殺生丸はというと、自分の目の前で起きていることへの収拾が付かないのか固まっていた。
その、きょとりとした顔の幼さに、十六夜は彼が己よりもずっと年上であるというのにまだ子どものような感覚を覚えた。
けれど、殺生丸は目を赤く染めて本性を浮き彫りにして、風牙に斬りかかる。けれど、それを風牙はまるでじゃれ付きをいなす様に背負っていた大剣で受け止めた。
「何するんだ。」
「それは私のセリフだ!!!唐突に倒れ込むから何かと思えば、何をしている!?さっさと鉄砕牙を出せ!」
「そんなにカリカリすんなよ。つーか、遅くなったのだってお前が騒いだからだろ?」
「叢雲牙を洗濯竿代わりにしているのを見て、騒がぬ理由もないだろうが!?」
「だってさあ。この刀くっそ使いにくいんだよ。使うと、それこそ大騒ぎになる様なことにしかなんないし。もうちっと、普段使いの出来る刀が欲しいぞ、俺は。それにさあ、こいつの話つまんないんだよなあ。天下が欲しくないかって馬鹿の一つ覚えみたいで、話術のカケラもねえし。というか、人を思い通りにしたいならある程度こっちがお、何々って話を聞くかって感じに持っていけって話だろ?さっきもさ、話を聞いてやるかってワクワクしてたけど、蓋を開けたらくっそつまんねえし。今も、めんどくさいからもっと話を練って来いって封じといたけど。」
「貴様は、もっとその刀を丁寧に扱えと言う話だ!!」
「いやあ、この刀別に、厳密に言えば親父の刀じゃねえし。あの人も、どっちかというと仕方なく持っていた感もあるけどなあ。」
「なら、私に寄越せ!」
「それは駄目。」
唐突に無機質な声音に、殺生丸は固まった。じっと、己を静かな目で見る、父によく似た兄の顔を凝視した。
「お前には、このおもちゃはまだ早い。」
そう言って、ゆるりと微笑むその様の、父によく似た面差しよ。
思わず、殺生丸は黙り込んでしまう。黙り込んで、その顔を凝視した。
何故か、その笑みを見ていると途方に暮れる様な感覚を覚える。手を、伸ばしたくなる。
けれど、分かっているのだ。彼が望んだものはもう、手が届かぬと兄の顔を見ているとまざまざと分かるのだ。
そこで、風牙は抱き上げた犬夜叉に顔を向けた。
「まあ、そうだな。そろそろ、行こうかね。」
そう言って、風牙は犬夜叉の右目に指を向けた。すると、犬夜叉の右目から、黒い玉がするりと転がり出て来た。そうして、その黒い玉を殺生丸に振った。
「ほれ、黒真珠。これで、鉄砕牙があるとこに行けるわけだが。」
ふむと、風牙は頷いてくるりと十六夜に顔を向けた。
「・・・・・よっしゃ、身内でちょいと親父の墓参りでもするか。」
黒真珠によって送られた世界は、まさしく異界という言葉がよく似合っていた。
岩の山脈、骨でありながら羽ばたき飛ぶ鳥、霧の湧き立つ世界。
そうして、その中心に座す、山のような大きな骨。
「ほれ、これがお前の親父さんだ。」
「わあああああああ!!」
空からぐんぐんと迫る巨大な骨に、犬夜叉は感嘆に似た声を上げた。
訳の分からない、世界の、その骨を父と本当に認識できたわけではない。けれど、怒涛のように教えられる真実の中で、その大きな骨は確かに彼に父の巨大さというものを本能的に分からせた。
そうして、犬夜叉はちらりとその横で落ちていく殺生丸に目を向けた。
殺生丸は、犬夜叉と十六夜がこの墓に来ることをよく思ってはいないようだった。ただ、風牙のごり押しが面倒になったのか、同行を認めた。
犬夜叉と十六夜は現在、風牙に抱えられる形で墓を訪れていた、
犬夜叉はちらりと、殺生丸と風牙を見比べた。
自分に、兄がいた。
それを知った時、どれほど嬉しかったろうか。
犬夜叉という幼子の世界は、母以外に誰もいなかった。それこそ、たしかに彼の周りには人は多く居たが、彼らは犬夜叉のことを遠巻きに見つめていた。誰もが、犬夜叉の世界に入ろうともしなかったし、入れてくれはしなかった。
犬夜叉は、ちらりと風牙を見た。
そうして、殺生丸を見た。
殺生丸のことは、少し怖い。けれど、話してみたいと思う。
風牙は陽気そうで、もしかしたら遊んでくれるかもしれない。
殺生丸は、怖そうであるけれど、素直にかっこいいと思った。
お話しできたらいいのに、遊んでくれたらいいのに。
(・・・・言ってみようかな。)
遊んでと、お話しようと、兄上って呼んでいいかと。
ただ、その身に混ざった嬉しさに、犬夜叉はへにゃりと笑った。
降り立った父の亡骸の内部にて、皆は降り立った。
骨の敷き詰められた亡骸の中、その中心に丸い台座。そうして、それに突き立てられた刀。
殺生丸はそれにまっすぐと近寄っていく。
犬夜叉は物珍しい光景に興奮したのか、風牙の腕からたんと躍り出た。十六夜はというと、骨だらけの床では危ないからと風牙に抱えられたままだった。
十六夜は、夫の以外の腕の中にあることに戸惑いはしたが、それでも彼の息子であるのだからと割り切ることにした。というよりも、それ以上に彼女はようやく、男の墓参りが叶ったことに歓喜していたのだ。
その、山ほどの遺骸。
それに比べれば、あまりにも小さな自分。
それでも、確かに、己は彼のものを愛したのだ。男に、愛されたのだ。
三年間、ずっと、押し込めていた感情が決壊する様に様々なものが溢れ出た。
「・・・・ありがとう、ございます。」
震える声で、女は言った。風牙はぼんやりと殺生丸と、はしゃぎまわる犬夜叉に何かないかと気を配っていた目を十六夜に向けた。
女は、泣いていた。
まるで、水晶のような涙を、ぽろぽろと流していた。
「・・・・・ここに連れてきてくださったことを、感謝します。叶わぬと、諦めていた犬夜叉とのあの人との再会も叶いました。何か、お礼を。」
「美しいなあ。」
「え?」
涙を流していた十六夜は、その言葉にかたまった。風牙はそんなことなど聞こえていないかのように十六夜の顎を掴んで、己の方に引き寄せた。
「親父が狂うのも分かるなあ。なるほど、お袋とは真逆だ。」
そう言って、風牙はゆるりと楽しそうに笑った。
「あの時、殺さなくてよかったよ、本当に。」
「ころ、す?」
掠れた様な声に、風牙はまるで犬夜叉のように無邪気な笑みを浮かべた。
「ああ。親父があんたを見初めて、そこまでは別に何ともなかったんだがなあ。ただ、犬夜叉を孕んだ時はさすがに家の中が色々とうるさくてなあ。」
殺そうかと思ってたんだよ。
まるで天気の話をするかのように、それは気楽そうな声だった。そうして、その声と共に、風牙は十六夜の頬に触れ髪を梳く。
「いやねえ。人の女を愛でるまではいいんだけど。子どもまで作られたら、それこそみんなが騒いでなあ。お前さんが親父の弱みになってもそれこそ面倒だし。殺しとこうかと思ったんだけど。止めといてよかったよ。」
「どうして、ですか?」
十六夜はぐらぐらと恐怖と混乱で狂いそうになり意識を必死につなぎとめた。ただ、まるで目の前のことが夢のようにさえ感じた。
だって、そうだろう。目の前の男は、あんまりにも彼の人に似ているというのに。
まるで、美しい面影の中からどろりと湧き出た、悍ましい何かに十六夜は恐怖した。
そんな言葉が漏れ出たのは、男の本心を少しでも知りたかったのだ。
彼の人の血を引く息子が、何か、恐ろしいものであると認めたくなかったのだ。
それでも、男はそんな言葉にあっさりと言い捨てた。
「だって、その方が面白そうだろ?」
平然と、そう言い切った。
「もしも、お前さんが親父さんの寵を貰ったとして。お袋はどんな反応するのだろうか?あの人、あんまり感情を剥きだすことがないからさあ。悋気がどんなものか興味が出たんだ。あと、親父と人の間に生まれて来るのはどんなものか興味があったしなあ。バケモノか、もっと面白いものか、知りたかったしなあ。まあ、変なもんでも始末は付ける気だったしよお。殺生丸の反応も面白そうだろ?ほら、さっきの駄々のこと見てみろよ。かあいいだろお?あいつもなあ、親父のしたいことが分からんから、犬夜叉のことやら俺に焼きもち焼いてんだ。でもなあ、俺からすれば逆だぜ?気に掛けられてんのは、犬夜叉と殺生丸だぜ?あいつらは、形見分けの刀は貰いはしたが、俺はどっちかっていうと後始末を任されたようなもんだぞ?なんて、まあどうだっていいだろうが。いや、にしても、犬夜叉はかあいいなあ。殺生丸とは別のかあいらしさだ。本当に、お前を生かしといてよかった。知らんだろうが、ずっとお前のことを守ってたんだぞ?馬鹿なことを考えるのはいるもんだからなあ。あの時、長い面倒さに負けて始末しないでよかった。本当に、あの時俺、よくやったなあ。」
甘ったるい声で、風牙は自由になる片手で十六夜の頬や髪を愛でる様に弄った。するすると、己の顔をはい回る手の感触を感じながら、十六夜はがたがたと小刻みに震える。それでも、必死に男の囁く言葉に耳を傾けた。
恐ろしかった。
男の言葉の中には、確かに弟たちへの情があった、愛らしさへの情があった。
けれど、端々から零れ落ちる、言葉に出来ない不快さと恐ろしさは何なのか。
それは、言葉に出来ない。
悪意があるわけではない、情がないわけではない、不幸を願っているわけではない。
けれど、けれどだ。
その男の端々から感じる、言葉に例えられない何かの感情はなんなのか。
顔を青くした十六夜を気にした風も無く、彼はくすくすと笑いながら、微笑みかけた。
その顔があまりにも恋しい男に似ているものだから、余計にその奇妙な齟齬が恐ろしかった。
何か、自分が何か、一瞬でも間違えれば、男の皮が破れて訳の分からないものが飛び出すんじゃないかという恐れ。
「・・・・俺が怖いのか?」
唐突に放たれた言葉に、十六夜は身を固くした。震える顔で、風牙の方に目を向ける。そこには、心配そうに十六夜を見つめる男の姿があった。
まるで、先ほどのことが夢であったのではないかと錯覚するほどに、彼の様子は父親とよく似通っていた。心の底から、十六夜のことを心配しているかのような顔をしていた。
それに、十六夜はほっと息を吐く。
夢だったのだ。きっと、さっきのは聞き間違いで。
恋しいあの人の息子が、そんな恐ろしいものであるはずがない。
「お前は本当にかあいいなあ。」
風牙の言葉で、ぶつりと十六夜の思考が途切れた。十六夜の視界いっぱいに、にいいと厭らしい、獣のような笑みを浮かべた男がいた。
ぎゅっと、空気を呑む様な音が十六夜の喉からした。
これは、なんだ?
漠然とした思考の中で、そんなことを思い浮かぶ。
これが、あの人の息子だと?犬夜叉の兄だと?
否定を重ねる十六夜に、するりと腹を撫でる手があった。それに、十六夜は身を固くした。
くすくすと、にたにたと、男は笑う。
楽しそうに、これほどに楽しいことはないというように、男は笑う。
「親父が気に入ったのも分かるなあ。」
その、男の目に映った、それは、情欲に似ていた。どろりとした喜悦のそれは、それでも情欲とは言い切れない何かがあった。
ただ、そこには、純粋な子どものような感情があった。
小さな虫を前にした子どものような、感情が。
「兄上?」
無邪気な声に、十六夜は悲鳴を呑み込んだ。声の方に目を向けると、足元に幼い少年がいた。
「母上も、どうしたの?」
逃げなさいという言葉が、十六夜の口から漏れ出そうになった。けれど、それよりも前にくるりと風牙が犬夜叉の方を向いた。
「何でもないぞ。まあ、ちっと疲れが出たんだろ。」
そこにいたのは、今まで通りの陽気そうな、人好きのする男だった。十六夜は、まるで悪夢から醒めたかのような心地で冷や汗の流れる体を摩った。
「ほんとうに?だいじょうぶ?」
「え。ええ。大丈夫ですよ。」
本心を言えば、そんなことはなかったが、それ以外の言葉が浮かばなかった。
犬夜叉を宥める様なことを風牙が言っているのを聞きながら、十六夜は男の腕の中にいるしかない。
そんな中、ぼそりと独り言じみた風牙の声がした。
「父上の食べ残しを喰うのは、さすがに意地汚いなあ。」
それに、十六夜は風牙の顔を見た。風牙は、平然と何ともないような顔で笑った。
そこには、悪意も敵意も、欠片だって存在しなかった。
だからこそ、十六夜はようやく理解したのだ。
彼の人、闘牙王の言葉の本当の意味を。
人でないものが、本当は、どういったものであるかを。
風牙さんとしては、殺してないから話してもいっかみたいなノリです。
感想ありがとございます。やる気があるので、書いてくだされば嬉しいです。