犬兄弟の適当な長男   作:丸猫

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桔梗さんと風牙さんの過去。
別段、風牙さんは桔梗さんのことを一等好きなわけではなく、犬夜叉の好きな人だからこそ特別なわけです。


ひとでなし

(・・・・・何だ?)

 

その日、巫女である桔梗は己が張った結界の中に、何かが入ってきたことを察した。

それは、何の抵抗も無く、するりと結界の中に入り込んできた。

桔梗はそれに矢を番え、歩き出した。

己の結界を気にすることも無く入り込んできたもの。

 

(・・・・力の強いものが入り込んできたな。)

 

桔梗は小さくため息を吐いた。

 

 

 

道を歩きながら、桔梗は己の頬に冷や汗が垂れることを理解した。

最初は、強く在ろうとも己ならば対処できるだろうと桔梗は考えていた。

が、それに近づけば近づくほどにびりびりと、威圧感があった。。

桔梗の守る村近くの森は、珍しいほどに静まり返っている。動物の気配も無く、まるで己の知らない場所にいるような、そんな不安感に襲われる。

一瞬だけ、近づかない方が賢明ではないかと考えた。下手な刺激をしない方がいいのではないかと。

けれど、それもすぐに霧散した。

それで、もしも、その妖が村に何か被害があれば。

桔梗はその考えを振り払うように頭を振った。

いきついたのは、森の中にある池だ。桔梗は警戒のために、草木の間から様子を伺った。

 

(・・・あれ、は。)

 

そこには、池を眺める形で腰を下ろした人型がいた。それは、小さな杯を片手に、ひょうたんから何かを注いでは飲み干している。

桔梗はゆっくりと矢を放つ準備をする。

 

「なあ、おい。そんなところでこそこそせずにこっちに来ればいいだろう?」

 

それに桔梗の手が止まった。

顔立ちは、はっきりと見えなかった。美しい、銀糸のような髪が風に弄られて揺れている。

そうして、桔梗でさえも理解できるほど上等そうな着物を着ている。

その程度しかわからなかった。

桔梗の背に、嫌な汗が伝った。

桔梗はいるのは風下であり、それに加えて妖の死角にいるはずだ。だというのに、それはあっさりと桔梗の存在を看破して見せた。

桔梗は下手に隠れても無駄かと考え直し、物陰から身をさらした。

 

「幾分か、力のあるものと見受けうるが。この地に何ようだ?」

 

問答無用に矢を打たなかったのは、警戒のためだった。

妖怪の言動からして、ある程度知性を持っているのは察せられた。そう言った存在は、ある程度桔梗のような祓う力を持つものへの対抗手段のようなものを心得ている。

まずは、そういったものがどういったことを目的としているのかを探ろうとしたのだ。

桔梗の言葉に、その妖はゆっくりと杯を置くと、桔梗の方に振り返った。

 

美しい、妖だと、桔梗は咄嗟に思った。

 

振り返ったことで曝された顔立ちは精悍さを感じさせる。銀の髪に、金の瞳を持つそれはまるで月光のように嫋やかに微笑んでいた。

美しいと、そう思うと同時に桔梗は男に妙な既視感をいるものを抱いた。どこかで、あったことあるような、そんな感覚を。

 

「ああ、そう警戒するな。別段危害を加える気などないんだ。俺はただお前さんに用があるんだよ、桔梗。」

 

妖の声に耳を傾けながら、桔梗はその銀の髪を見つめて何に既視感を抱いているのか理解した。

 

「弟が、犬夜叉がだいぶ世話になっていると聞いて来たんだ。」

 

そう言って、柔らかに微笑んだ顔は、犬夜叉にどこか似ていた。

 

 

 

「そんな人を殺しそうな顔をするな。別にお礼参りに来たわけじゃないんだよ。」

「なら、何をしに来た。」

「弟が粗相をすれば、兄が詫びに来るものだろう?」

 

その言葉で桔梗は目の前の存在が犬夜叉の身内であることを理解した。

 

「人の様なことを言うな。貴様も半妖なのか?」

「はっはっは!長く生きているが半妖などと言われたのは初めてだな。」

 

それに桔梗は思わず警戒の体勢に入る。大抵の妖怪は、半妖などと言われれば怒り狂う。だが、目の前のそれからは怒りなど見えず心底愉快だというように笑っていた。それを、桔梗は不可思議な気分で見つめた。

妖は散々笑った後に、かいた胡坐の上で頬杖をついてのんびりと喋りはじめた。

 

「残念ながら、俺はあれとは半分しか血は繋がっておらんのさ。父親が同じでね。少し前まで、俺の元にいたんだが独り立ちをしてしちまってなあ。まあ、いい経験かって放っておいたんだが。どうもこの頃、お前さんに面倒をかけてるようだったんでな。一言、詫びはいるかと思ったんだが。」

 

このあたりの奴に、お前はここら辺を通るって聞いて待ってたんだよ。

 

にこにこと、まるで幼子のように笑う妖を前に桔梗は注意深く男を見た。

犬夜叉と名前を出しても信用する気にはなれなかった。

ただ、確かに目の前の存在と似通った雰囲気があった。毒気を抜かれてしまったのは事実だった。

 

「あれにつけていた目がな、お前さんにこの頃よくよく絡んでいるって報告してきてな。なに、有名な巫女の桔梗だっていう話じゃないか。だから、まあ。お前さんへの詫びと、あれへの警告がてらな?」

 

そうそう、俺は風牙ってんだ。俺だけ名を知っているのは不公平だろう。

 

風牙はそう言って、くすくすと笑いながら盃をあおった。そうして、その妖はどこからか大量の甘味が盛られた皿やら、美しい反物などを取り出した。

その行為の意味が分からない桔梗に、風牙は微笑んだ。

 

「ほれ、持っていけ。」

「・・・・・どういう意味だ?」

 

桔梗の言葉に風牙は首を傾げた。

そうして、反物に手を統べられた。

 

「ふむ、趣味ではなかったか?」

「それがお前の言う詫びということか?」

 

風牙の反応に、桔梗がそう言えば男はくすりと笑った。まるでどうしようもない子どもを見るような目だった。

 

「そんなに怯えるな。」

 

かあいいなあ。

 

その言動に、桔梗の手が矢へと延びる。それに風牙はお道化る様に肩を竦めると、ゆるゆる笑って立ち上がる。

 

「まあ、今日はここでお暇するか。そこにある土産は好きにするといい。」

 

そう言って、風牙は立ち上がり森の中へと消えていく。桔梗は咄嗟にその背へと矢を向けた。

けれど、その矢が放たれることはなかった。

下ろした弓を見つめて、桔梗は息を吐いた。

手を出してはいけないという、己の勘に従ったことが間違いではなかったのかを疑問に思いながら。

 

 

 

「・・・・なあ。」

 

桔梗は己の前にいる犬夜叉を不思議そうに見た。

犬夜叉は、四魂の玉を狙っているため桔梗に死なない程度とはいえ攻撃は仕掛けて来る。それに加えて、半妖である身のために巫女の桔梗を警戒して寄って来ることなど滅多にない。

けれど、その日は何故か、彼は桔梗の側に寄って来た。

 

「なんだ?」

 

今度は何を企んでいるのか桔梗はその少年を見つめた。犬夜叉はどこか思いつめた様な顔で、桔梗を見つめた。

その悪戯が見つかったような顔に、桔梗はもういちど、どうしたと問いかけた。

 

「・・・・兄貴に会ったのか?」

 

桔梗の体が微かに震えた。思い浮かべたのは、あのどこか陽気そうな妖の事だった。妙な動揺をしてしまったのは、犬夜叉の顔に浮かんだ、似合わない表情のせいだろうか。

その、顔に浮かんだ感情は、なんと表現すればいいのだろうか。

恐怖、というわけではない。親しみというわけでもない。かといって、疎ましいだとか憎いというものではない。

それは、桔梗もよく知らない感情であった。

 

「風牙、という妖が訪ねてきたのは確かだ。」

「そうか。」

 

犬夜叉はそれだけ言うと、まるで何か遠い場所を見る様に、明日の方へと視線を向けた。それが、ひどくらしくなかった。

 

まるで、生き疲れたような目で、いつもの生命に満ち溢れた目はまるで枯れ落ちる寸前の花のようだった。

 

「・・・・なんか、俺に伝言でもあるか?」

「い、いや。特別には、ないが。」

 

そのらしくなさに動揺していると、犬夜叉は少しだけ顔を伏せて、小さくそうかと頷いた。

犬夜叉はそれに満足したのか、くるりと桔梗に背を向けてしまう。

 

「・・・・桔梗、たぶん、言っても無駄かもしれねえけど一応言っとくな。」

 

あいつにはあんまり近づくなよ。

 

簡潔な言葉だった。それに桔梗は咄嗟に声を上げた。

 

「何故だ?それほどまでの妖怪のなのか?」

 

桔梗の言葉に、犬夜叉は自嘲気味に笑みを浮かべた。

 

「・・・・あいつほど、何を憎みも、蔑みもしてねえものはいないだろうさ。ただな。」

 

犬夜叉は深呼吸でもするように言葉を切った。

 

「憎しみも、蔑みも、それと同時に怒りがなくたって何も傷付けねえわけじゃねえだろうさ。」

 

桔梗はそれにどういう意味だと問いたかった。けれど、そのまるで今にも消えてしまいそうな、何かを押し殺したような表情に思わず黙り込んでしまう。

 

「近づかねえほうがいい。俺だって、その理由を上手く言えねえけど。あいつのことが、嫌いってわけでもねえがな。きっと、近づきさえしなければまだ。」

 

犬夜叉はそう言った後に首を振り、また歩き出した。そうして、振り返しもせずに一言だけ言い放った。

 

「・・・・・もしも、あいつに会ったら、俺は絶対に会わねえって言っといてくれ。」

 

唐突に託されたそれに、桔梗は口を開こうとする。けれど、犬夜叉の何か奥底に沈む様な雰囲気に黙り込むことしか出来なかった。

 

 

犬夜叉は、言っては何だが変わった少年だった。

半分は人間であると言っても、半分は妖怪なのだ。ならば、少々の常識と言えるものの欠落はあるだろうと思っていたのだが。

その少年は不思議と人らしかった。

何かをされれば礼を言うし、乱暴な口を聞けども弱者に力を振るったことも無い。

もちろん、四魂の玉を狙って桔梗を襲うことはあっても決して死ぬような力を振るったことはない。

犬夜叉から両親のこと等を聞いたことはなかったが、それでもその生き方と言えるものの中に人よりのものたちだったのだと考えていた。

 

「やあ、桔梗。何を考え込んでいる?」

 

桔梗はそれに胡乱な目で上を見上げた。さやさやと、この葉擦れの音が聞こえて来た中、そこには、木の枝に寝そべるものがいた。

 

「またお前か。」

「まあ、そんな嫌そうな顔をするな。あの子の様子を教えてほしいんだよ。」

 

くすくすと風牙はまるで少女のように軽やかな笑い声をあげた。

それに桔梗は、はあとため息を吐いた。

 

桔梗は結界の見回りのために歩き回った後、休むために木の根元に腰かけていた。そこに見下げる形で風牙がいたのだ。

桔梗はこの頃、見慣れた顔になったその妖にため息を吐きたくなった。

風牙は何故かまた桔梗へと会いにやって来た。というよりも、犬夜叉から託された伝言を目当てにやって来たと言った方が正しい。

彼は、その伝言を聞くと薄い微笑みを浮かべたまま、一度だけ頷いた。

それに満足して、さっさと去るかと思えば風牙は次の瞬間ににっこりと微笑んだ。

 

「まあ、お前さんにはまた会いに来るよ。」

 

その時の桔梗は、今までにないような間抜けな顔をしていたのは風牙の話であった。

 

それから、その台詞の通り風牙はふらりと桔梗の元にやって来た。彼は、よくよく犬夜叉の話を聞きたがった。

曰く、本人から聞けないのならそれを知っている存在から聞けばいいと。

確かに、その言葉の通り犬夜叉と接触しているのなんて桔梗ぐらいだ。ならば、確かに彼女以外に少年の様子を聞くことは出来ない。

桔梗もまた最初は拒絶していたのだ。妖とあまり近い状態であることは好ましいことではないと桔梗も分かっていた。

けれど、それは叶わないことだった。

風牙という妖は、それはしつこかった。

さすがに村に顔を出すことはなかったが、人でないものを祓うために森深く入る桔梗にしつこく付きまとった。

追い払おうと桔梗も努力していたものの、最終的に破魔の矢さえも防ぐ風牙に対抗できることも出来ず、とうとう根負けした。

基本的に風牙は問いかけたことにさえ応えれば満足して帰っていく。それならば、素直に答えた方がずっとましであるだろう。

 

「よしよし、良い子の桔梗には褒美をやろう。」

「・・・・いらん。」

「そういうな、貴重な薬草だ。」

 

そう言って、自分の膝に落ちて来た薬草に桔梗は目を滑らせた。そこにあるのは、桔梗がちょうど欲しがっていた高い効能を持つ薬草だ。

それからはよこしまなものは感じなかった。

上を見上げれば、まるで気の良い人のようににこにこと笑う妖がいた。

 

風牙は、時折、礼だと言って贈り物をしてきた。

それは、桔梗が丁度欲しいと思っている薬や情報であった。

最初は疑っていたものの、それが確かなものであると分かれば妖がもたらしたものだと分かっていても、利用してしまう。それが、貴重であり、村がさほど裕福でないとなればなおさらのことだった。

 

「いやあ、にしても犬夜叉がなあ。」

 

桔梗に聞いた犬夜叉の話を思い出しているのか、風牙は笑みを深めてくすくすと笑った。桔梗は、それにちらりと目だけを動かした。

それに、桔梗はなんだか、酷く不思議な気分になる。

 

(・・・・まるで人のように笑う妖だ。)

 

その妖は、良く笑っていた。

それこそ、いつだってにこにこと気の良い人間のように笑っていた。だからといって、桔梗とてその笑みが心からの笑みであるとは思っていなかった。

人をだますために、そう言った親しみやすい雰囲気を作るものは少なくない。

けれど、その妖は本当に、嬉しそうに笑うのだ。

犬夜叉との他愛も無い会話にも、村でのつまらぬ日常にも、男は心底楽しそうに笑うのだ。

だからこそ、桔梗は、何となしに察していたのだ。

その妖には、すべからくとは言わないが、確かな慈しみを持っているのだと。

 

「あの子は元気にしているんだな。」

 

良いことだ。

そう笑う妖を見ながら、桔梗はふと肩の力を抜いた。

その妖の側はひどく、気楽だった。

 

 

桔梗という少女は、その力を自覚したときから常に心を凪いでいた。そうしなければ、人でないものに容易く食われていただろう。

それ故に、少女は、ひたすらに心に鍵をかけたのだ。

 

揺るがぬように、潰れぬように、魅入られぬように、喰らわれぬように。

どんなものにも、心を明け渡さぬように。

 

いつかに、犬夜叉にも言ったように桔梗は人である。けれど、彼女に赦された在り方は人ではなかった。

 

「・・・・・私は、人なのだろうか。」

 

そんなことを、ぽつりと呟いた。

そんな、弱気のようなものが漏れ出たのはどうしてだろうか。

ただ、その妖は、桔梗が初めて会った、勝てないと察せられる存在であったためだろうか。

それが、やろうと思えば己のことなど殺せてしまうという、ある種の諦めから来る怠惰さが桔梗をある意味素直にさせていた。

きっと、その妖は変わらないだろう。

どれだけ、桔梗が、惨めに愚かに哀れに、落ちぶれ、敗北したとして、それは変わることなく微笑むのだろう。それは、確かに安堵であった。

変わることのないもの。自分を意識することのないもの。

それは、確かに安堵であった。

風牙の前では、桔梗という少女は何者でもなくなる。

ただ、ただ、生々しいまでに剥き出しになった人に成り下がる。

その妖の前では、桔梗はどうしようもなく人であった。

だって、その妖は心の底から人というものを好いていたためだった。そうして、それが力を振るおうと思えば、幾らでも可能であったせいだ。

自分が無力であるという事実は、桔梗の枷を不思議と取っ払ってしまった。その妖の前では、桔梗は守護者から弱者へと成り下がる。その気楽さたるや!

ふふと、桔梗は笑ってしまう。

そんな疲れ切った桔梗の言葉に、やはり木の葉の間からくすくすと少女のような笑い声がした。

 

「何を笑う。」

「ううん?いやなに。おかしなことを言うなと思ってな。」

 

己の在り方を迷う時点で、お前さんは人でしかないだろうになあ。

 

くすくすと、男の笑い声がした。

 

「妖や神は、歩む方向を迷うことがあっても歩み方を忘れることはないのだぞ?歩み方にも悩むのは人ぐらいだ。そんなことで悩むなんて、人とは本当に面白いなあ。」

 

くすくすと、本当に可笑しそうに人でないものは笑っていた。

それは、別段慰めの言葉ではない。ただ、おかしなことを言うものだという呆れを含んだものだった。

それに、桔梗は苦笑した。

それは、人ではなかった。人ではないがゆえに、桔梗にとってはどうなっても構わなかった。

だからこそ、彼の前ではその女は自由であった。

 

 

 

世界は、桔梗が驚くほどに平和であった。

犬夜叉という、彼女にとっての特別である少年によって自分は弱くなるのだと思っていた。

そのために結界の力が弱くなることや霊力は弱体化などを考えていたが村は平和そのものだ。もしも、そんなことがあれば今まで散々妖怪たちの恨みを買って来た桔梗が平和に過ごせるはずもない。

桔梗は、柄にもなく安堵していた。当たり前のように過ぎていく日々に、何の憂いも抱いていなかった。

 

「隣の村が妖怪にやられたそうです。」

「・・・・またか。」

 

違和感を持ったのは、桔梗の村の周りで妖怪の出没が増えたことだった。

もちろん、桔梗がいるためにそこであぶれた妖怪たちが周りの村に出ることはなかったわけではない。

そのために村の者たちや生き残った者たちはさほどの疑問を持っていなかった。

けれどだ、あまりにも多すぎる。

負傷者の手当てをしながらそんなことを持っていた桔梗は抱えた違和感に悩んでいた。

そうして、ある時、力の強い妖怪を追った時があった。

 

一つの村を襲おうとしたそれは、偶然に通りかかった桔梗によって追撃された。そうして、逃げ出した妖怪を追った桔梗に、その異形は憎悪を叩きつけるように叫んだ。

 

「人間の巫女が、妖と手を組んだか!!!」

「な!?」

「犬どもを手なずけたか!」

 

自分に襲い掛かる妖怪に、桔梗は咄嗟に破魔の弓を放つ。

崩れ落ちていく妖怪に、桔梗は先ほどの言葉について考えていた。

 

「犬ども、手なずけた、妖怪・・・・」

 

それに、ようやく全ての違和感の意味を理解した気がした。

 

 

「・・・・どうした、桔梗。今日はやけにしょぼくれているなあ。」

 

穏やかな声が耳朶を擽る。人にとっては安心感さえ感じる様な声だ。

桔梗は、木の枝に腰かけゆるゆると笑う銀髪の妖怪を見た。

 

「さあ、今日はどんな話を聞かせてくれる?ああ、そうだ。今度はどんな褒美がいいか?」

 

幼子に褒美をやるような声で、その妖は桔梗に語り掛ける。桔梗は、押し殺したような表情で風牙を見た

 

「・・・・お前が。」

「うん?」

「お前が、手下を使って、私の村から妖を追っ払っていたのか?」

 

押し殺した、震えるような声で桔梗は言った。

それに風牙は心の底から不思議そうな顔で、コテリと首を傾げた。

 

「ああ、そうだが?」

 

妖怪は、心の底から不思議そうに無邪気に笑った。

 

 

 

桔梗とは、誰にも口には出していないが贄なのである。

美しく、高潔で、気高い巫女。

そんな彼女を貶めたいと、穢したいと、そうして倒すことで名を上げたいという妖は多い。彼女を襲う妖怪がいるために、桔梗へと被害が集中していた。

そうして、彼女によって張られた結界も又被害を減らす理由であった。

四魂の玉を持ったことで妖の数は多くなった。

結界によって追い込み、桔梗が叩く。

 

そんな中、桔梗の村を一方的に守り続ければどうなるか。

倒すわけでもなく、追い払うだけではどうなるか。

 

「貴様なら分かっていたはずだ!」

「ああ。そうだな、お前という餌で釣り、お前自身が撃退していたおかげでこの辺は安全だったからなあ。だが、それをしないせいでこのあたりの村がだいぶ被害を受けてなあ。」

 

可愛そうに。

そう言って、それは笑った。桔梗はそれに固まる。

言っていることと、仕草と、その思考のちぐはぐさに固まる。

 

「何故、そう思っていながら、何故だ!?」

 

お前は人が好きなのだろう!?

 

その妖は良く笑っていた。笑いながら、人を愛でていた。

桔梗の村にふらりと現れては、村の子どもと遊ぶことさえあった。

村人たちも、この頃それに慣れてしまっていた。

それほどまでに、その妖は理知的で、そうして穏やかであった。

困っている者がいれば手を貸し、悲しむものがいれば慰め、苦しんでいるものに慈しみを与えた。

それに、一部の者たちは神仏の様だとさえ言っていた。

 

その妖は、人をかあいいと言って愛でていた。

立ち上がる様が愛おしいと、助け合う様がいじらしいと、子を慈しむさまが恋しいと、妖は笑っていた。

それを、桔梗は信じていた。だって、そう言って笑う妖の笑みは真実だった。それほどまでに、その妖は優しかった。

犬夜叉の様子は気になりはしたが、血縁関係のある相手というのは複雑なものであることはあるかもしれない。

何よりも、その妖は犬夜叉を育てたのだという。それは、確かに信頼できる事実だ。

 

「なら、どうして追い払うだけにした!?貴様ならば、殺すことぐらい出来ただろう!?」

「仕方がないだろう?そんなことをして、この村の警備が手薄になってしまうだろう?お前さんの結界の力が弱くなっているんだから。」

 

最後の台詞に桔梗は固まる。それに、風牙は気にした風も無く、のんびりと話を続けた。

 

「結界とは、もちろん作る手順や手立ても重要ではあるが。それと同時に、張った当人の状態も必要だ。お前さん、この頃弱くなってしまったからなあ。」

 

風牙は微笑ましいというように微笑んで、ゆったりと頬杖をついた。

 

お前は、犬夜叉に恋をしたんだねえ。

 

まるで幼子の頭を撫でる様な、そんな声であった。

桔梗は、それに改めて己の今を自覚する。

何故なら、桔梗は弱くてはいけないのだから。人を守護する者。私情無く、人でない者たちから人間を守る者。

 

「この村を守るのに手間を割いていたからな。あまり、手を増やすと妖怪たちに俺の存在がばれてもお前さんの立場もあるだろう?まあ、他の村に被害が出てしまったが仕方がないだろう。」

「仕方がないだと!?何を持ってそんなことを言う!?何故、私に結界が弱まっているという事実を言わなかった!」

 

心を殺すことぐらいには慣れている。それぐらい、成して見せた。その思いに鍵をかけ、胸にしまっておくことぐらい、きっと。

 

「何故、そのぐらいのことでお前が恋心を捨てなくてはいけない。」

 

ああ、なんて優しい声だろう。

桔梗は導かれるように、風牙を見た。風牙は、まるで御仏のような優しい笑みを浮かべて、桔梗の目の前に立っていた。

そうして、ゆるりとその、美しい少女の顔に手を添えた。

 

「ああ。人の子よ、美しき女よ。力あるゆえに、弱さを赦されず、高潔さを求められ、恋を禁じた、愛らしき子よ。どうして、お前が人の子たちの犠牲にならねばならぬ?」

 

力を持ったがゆえに、何ゆえそれを他のために使わねばならん。お前は、優しき子だ、いじらしき子だ。

頑なに、人を守り続けたお前がどうして、その感情を捨てねばならん。どうして、お前が不幸にならねばならん。

 

「誰かの幸福の上で笑い続けた者たちが、少しだけ代価を支払っただけのことだ。お前が苦しむことはない。良くあることだろう、人が死ぬなんてこと。」

 

その妖は、笑う、わらう。

本当に、優しげに穏やかに、笑って。

 

 

桔梗は勢いよく、風牙を振り払った。揺らぎもしない風牙に、桔梗はギリギリと歯を噛みしめた後に叫んだ。

 

 

「よくあることなどという言葉で赦されるはずがない!貴様は、貴様は、どうしてそんなことが言える!?貴様とて、子を、弱きものを慈しみ、柔らに抱いていただろう?なのに、どうして、どうして、そんな、そんなふうにあっさりと・・・・・」

「そうだなあ、お前の村の者たちも、村々の子らもかあいいのだがなあ。俺はなあ。」

 

お前や犬夜叉のことの方が一等にかあいいのだよ。だから、お前たちが幸福であることが何よりも優先すべきことなのだよ。

 

それは、残酷なほどに素直な優先順位の話であった。

その妖にとって、犬夜叉や桔梗のほうが大事である。その事実は少しだっておかしいことはない。

子を優先せぬ親はおらず、下の子を守らぬ兄姉はおらず。

それは別段真っ当なことだ。

 

ああ、けれど、けれど。

 

(これは違う。)

 

その感覚を上手く言い表すことは出来ずとも、その男が浮かべた慈しみの表情は狂っていた。

その、慈愛に満ちているはずの笑みからこぼれる、悍ましいなにかよ!

 

「子が死んだのだぞ、幼い子供たちが、死んだのだ!お前は、言っていたじゃないか。子が笑っていることが何よりもだと。」

 

そこで桔梗は、彼が反応するであろう唯一の話題を思い浮かんだ。彼女は、それに飛びつく様に叫んだ。

桔梗は、風牙に理解を求めてしまった。

その妖を、理解の出来ない何かだと斬り捨てたくはなかった。

そうするには、風牙はあまりにも優しかった、穏やかだった、美しかった、慈しみを持っていた。

その妖は、あんまりにも、桔梗にとって柔らかだった。

それを、桔梗は後悔する。どうして、あの時、ただ切り捨てるだけではいけなかったのか。踏みこんでしまったのか、ずっと、後悔する。

 

 

「お前だって、犬夜叉に何かあれば苦しいだろう!?子を失った親の気持ちも、親を失った子の気持ちも、分かるはずだ!」

 

「親が生き残っているならばまた産めばいいだろう?」

 

その言葉の意味が、一瞬分からなかった。固まった桔梗に、風牙は不思議そうに呟いた。

 

「子が恋しければ産めばいい。だが、そうだな。確かに庇護者を失った子は哀れではあるがなあ。そういった子なら俺の所に連れて来るといい。俺が世話をしよう。」

「産んだ子に、変わり等、あるわけ・・・・・」

 

思わず漏れ出たそれに風牙はやはり不思議そうに首を傾げた。そうして、何かを思いついた様に頷いた。

 

「そうだな。確かに。代わりのない存在というものがあるな。そうか、よし、ならば。」

 

桔梗はその台詞に、安堵を想った。今まで、散々、目の前の存在と自分が違うものだと理解していたというのに。

それでもなお、桔梗は幻想を想いたかった。

愛しい、半妖のあの子の兄がそんな悍ましいものだと思いたくはなかった。

 

「その子を失った親のことは、早めに殺してやろう。」

「え?」

 

茫然とした顔で、桔梗は風牙を見つめた。それに、風牙は名案を思い付いたかのように頷いた。

 

「人は臆病だからなあ。代わりがないほどに愛しいものを失ってなお、後が追えないのだろうなあ。それは哀れだなあ。よしよし、よいよい。俺が、痛みのないように殺してやろう。子とて、てて様もかか様もおらんのは寂しかろうになあ。共に在るのが一番良いだろう、よいよい、それが一番に、一等に良い。」

「そんなの、違う・・・・・!」

「何故だ、代わりがないのだろ?ならば、どうして生きていられる?どうして、その喪失に耐えられる?ならば、後おうだろう?」

 

俺ならば、そうするのだがなあ?

 

ああ、その、慈悲深き微笑みよ、その慈しみに満ちた声音よ!

それは、確かに優しかった、慈悲深かった。

けれど、結局それは人ではなかった。

 

それっきり、桔梗は風牙に会うことはなかった。

桔梗は、初めて妖怪に恐怖を覚えた。彼女は防衛反応のように、風牙を攻撃した。

それが彼女からの本気の拒絶であると悟ったのか、二度と彼女の前に姿を現すことはなかった。

そのことを、犬夜叉には言えなかった。彼女に取って、悪い夢のようなものだと思いたかったのだ。

けれど、いつだって彼女の頭の中に、その美しい妖のことがあった。

幼い、素直ではない半妖の少年を見るたびに思うのだ。

ああ、これもまた、あれと同じ血を引いているのだと。

それは、まるで小さなシミのように彼女に付きまとい続けた。

 

 

 

 

 

 

「・・・・桔梗の墓が暴かれたそうです。」

「ふうん?」

 

白縫の言葉に、盃を傾け酒を飲んでいた風牙は返事をした。

 

「どうされますか。骨を奪ったのは、裏陶という鬼術を使う鬼女ですが。骨を使い、何を企んでいるのか。」

「放っておけ。どうせ、その骨から桔梗を蘇生させようとしているのだろう。」

「蘇生、ですか?」

 

風牙がいたのは、とある泉のほとり。彼は、そこで酒をあおりながら何かを考えているようだった。

白縫には、それが何かは分からない。けれど、彼女はそんなことはどうでもいいのだ。

彼女にとって己が主の目的が達成されることは重要である。例え、自分がどうなろうとも。

ただ、自分が主の考えを察せられず、手間をかけてしまうことが申し訳なくて仕方がなかった。

 

「・・・・白縫、おいで。」

「はい。」

 

沈んだ顔をしていた従者を、風牙は柔らかな声で呼んだ。それに、白縫は不思議そうな顔で主に寄る。彼は、にっこりと微笑んで白縫を抱き上げ、己の膝に抱き上げた。

 

「よしよし、よく知らせてくれたな。お前は良い子だなあ。」

 

そう言って、己の頭の上に乗せられた暖かな手と、そうして優しい言葉。

それだけで、白縫は体を震わせた。

それだけで、報われた。

 

(・・・・・あなたのためならば、どのようなことでも。)

 

ひどく昔、何もかもから打ち捨てられた己を救った主に、彼女は深く、深く、そう思った。

 

 

(・・・・・きな臭いんだよなあ。)

 

風牙はさらさらとした少女の姿をしたそれの髪を梳りながら疑念を思っていた。

何故、こんなにも都合のいいことが起こるのか。

風牙にとって、犬夜叉が幸福であることは何よりも大事である。

けれど、今の現状は都合が良すぎる。

犬夜叉が封印されたことに関してはいいだろう。

だが、何故、そんな犬夜叉の元に淡い恋を覚えその果てに殺し合った女の生まれ変わりがやって来た?その果てに四魂の玉を集める旅に出、共に過ごしている?そうして、どうして失われた恋を取り戻す様にひかれあう?

 

(あまりにも、都合がいいのか。)

 

きな臭さを感じつつ、その理由でありそうな候補をいくつか頭に思い浮かべる。

白縫の毛並みはいいなあと思う。考え事をするときに弄るには最適だ。その、幼子特有の温さも良いものだ。

(・・・まあ、それは追々調べるとして裏陶のことだ。どうせ、噂に上がってる四魂の玉を見つけるために桔梗の人形が欲しいだけだろう。)

 

だが、すでに桔梗は生まれ変わってしまっている。ならば、術を失敗するだろう。けれど、だ。もしも、もしも、それは成功すれば?

 

(いや、成功することはないだろうなあ。高々、そこらの鬼女程度の術じゃあかごめちゃんには負ける。もしも、成功したとしても、中途半端な結果になるだけだろうし。)

 

それはそれでいい。

半端に蘇生されたのなら、今度こそ役に立ってもらおう。

 

(結局、犬夜叉のことを信用できずに殺し合うなんてつまらないことをして。ああ、だが、かごめちゃんなら大丈夫だろう。けれど、恋にはやはり試練がいるな。試練こそ、恋を強くする。)

 

風牙はゆるゆると笑って、これからのことを考えた。

 




風牙さん的には人のことは好きだけど死んでも悲しいけど代わりがいないわけではないし、自分の大事な存在が幸せならそれだけでいいぐらいです。

本当に大切な存在ならば、いなくなった時点で後を追うはずなので。殺してあげるのも慈悲です。

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