五年前に海外へと旅立ったプロデューサーはもういない。それでもなんとかアイドルを続けようとした、中谷育十九歳のお話
「中谷育、十九歳です。今日はよろしくお願いします」
「育ちゃんってあの765プロの?」
「はい、そうです」
またこの反応。正直もう慣れてしまった。
大ブレイクした十歳から早九年。
あの頃はまだ幼く、その純粋さと元気さがファンの方たちにも好評だった。
しかし、残酷にも時は流れていくのです。気づけば成人まであと一歩というところまで来ていた。そうなれば必然、そのセールスポイントはなくなっていくわけで…。アイドルは楽しいからまだ続けていますが……もうそろそろちゃんと自分の人生を考える時期なのかもしれません。
「ただいま戻りましたー」
「あらお帰り、育ちゃん」
出迎えてくれるのはこのみさん。今では立派に事務員をこなしています。身長は相変わらずですが。
「今日は確かテレビ企画のオーディションよね。どうだった?」
「正直あまり……良いとは言えないです」
「そう、残念ね。でも、まだ次があるわ!」
このみさんは優しいなあ。いつまで経っても私にとっての大人です。
「はい、そうですね。また、頑張ります」
でも、やっぱり辛いなあ。
自分に何が足りなくて、何が必要かわからなくて、それでも時間だけは過ぎ去っていく。
まだアイドルを続けている環ちゃんはその元気さと運動神経でたくさんの仕事をこなしています。桃子ちゃんはアイドルとしては活動はしていなくて、女優さんとして活動しています。月九にもよく出てるくらい人気な女優さんです。
みんなそれぞれ自分の強みを活かして活動してるんだよね。私の強み…なんだろうなあ。
こんなとき、プロデューサーならなんて……。
「私、もうこんなに大きくなっちゃったよ」
プロデューサーの姿を思い出して、ぽつり溢れる独り言。
プロデューサーは五年前に海外へと旅立った。ちょっと経験を積んでくるとか言って出ていった割には、定期的に送られてくる写真はスタイルのいい女の人の写ったものばかり。あ、なんかイライラしてきた。
「ただいまー!」
勢いよくドアが開くと同時に環ちゃんの声が聞こえる。
「育も帰ってたんだ。おかえり!」
「うん、おかえり、ただいま」
おかえりとただいまを互いに言い合う。
「ほら環ちゃん。反省会するわよ」
遅れてやってきたのは琴葉さん。プロデューサーのあとを継いで、いろんなお仕事を取ってきてくれます。
「あ、育ちゃん。オーディションは…その様子だとだめだった?」
「はい、ごめんなさい」
「あ、謝らないで。私の方こそ、ごめんね。次はちゃんとお仕事取ってくるから!」
「その、琴葉さん。このあと少しお話いいですか?」
少し相談に乗ってもらいましょう。何か糸口がつかめるかもしれない。
「夕方になっちゃうけど、大丈夫?」
「大丈夫です。すみません、お忙しいのに」
そう言うと琴葉さんはすこし難しい顔をする。なにか変なこと言ったのかもと思い言葉を思い返すけれども特におかしな点は思いつかず。
「琴葉さん…?」
「あ、ええ。じゃあ夕方ね」
「ことはまだー?」
琴葉さんは一礼すると事務所の会議スペースへと入っていく。時間は三時過ぎ。夕方というから五時か六時くらいでしょう。
「じゃあこのみさん、レッスン行ってきますね。劇場のレッスン場、空いてますよね?」
「ええ、今日は誰も使ってないわ。行ってらっしゃい」
そろそろ、しっかりと自分の歩む道を決めなくちゃいけない。まだ大人になれてない私にどこまで考えられるか分からないし、それが正しいかもわからないけれど。でも、アイドルも続けたい。このお仕事もとても楽しいから。
……いや楽しかった、かもしれない。今となってはあまりお仕事もこなせていないから…。
全部全部ひっくるめて琴葉さんに相談してみようと思う。今までずっと面倒を見てもらった琴葉さんに、こういう事を言うのは気が引けるのだけれど。
昔に戻れたらなあ。
そう思うことが最近は増えてきた。アイドルは好きだし、楽しい。けど今はなんだか楽しくない。何が変わってしまったのか。私と環ちゃん、何が違うのか。私はーー
ドンッ
「あっ、す、すみません」
肩がぶつかってしまった。
いけないいけない、考え事ばかりしながら歩いていたら車に轢かれてしまう。ちゃんと前を見て歩かなくちゃ。
「……育?」
突然後ろから聞こえた声に、足が止まる。
名前を呼ばれたから。
その声に、すごく聞き覚えがあったから。
その声を、ずっと待っていたから。
でも、そんなことは有り得ない。
だって、だって五年だよ?
いくら定期的に連絡取ってるからって、五年も前のこと覚えてる?
それに、私だって変わった。背も一気に伸びたし髪だって伸ばしてる。それなのにあの人が気付けるわけがない。
なのにどうしてだろう。期待してしまう。
鼓動が早くなる。上手く呼吸ができなくて、胸が締め付けられそうで…。
そうだ、名前を呼ばれたんだから振り向くのだって当たり前じゃあないか。だから、少しだけ期待しても…いいよね。
そう思いつつゆっくりと振り向く。
「ああ、やっぱり育じゃないか。大きくなったなあ!」
プロデューサーだ。何も変わっていない。あの時のままの、プロデューサーだ。
辛かったんだよ。
寂しかったんだよ。
今まで溜め込んできた思いのすべてが、一気に溢れてくる。この五年間の色んな想いが、色んな思い出が、一気に溢れてくる。
「うんっ」
と、精一杯頷く。そして、声が震えているのにも気付く。
「え、お、おい育。なんかあったのか?」
どうしてだろう、プロデューサーに会えて嬉しいのに。いっぱいいっぱいお話聞いてもらいたいのに。
溢れてくる涙が…止められない。
いいよね、今だけは。
まだ子供だもん。泣いたっていいよね。
「ぷろ、でゅー、さぁあああうぁああああああ」
「えっと、その…ごめんなさい」
さて、問題です。
あなたは警察官です。
目の前で顔をクシャクシャにして泣いている女の子と、ガッチリとした体型の男がいました。あなたはどうしますか?
補導しますか?
正解です。
あなたは常識人なんですね。道のど真ん中で突然泣き叫び始める私は非常識人です。
「いいっていいって。育は今でも泣き虫さんだな」
と、笑いながら許してくれる。
そうだ、琴葉さんにしようと思っていた相談。プロデューサーさんにしてみよう。きっとプロデューサーさんなら…話を聞いてくれる。
「プロデューサーさん、あのね…。戻ってきて突然こういうこと言うのも失礼なんだけど」
「ん、どうした?」
「私ね、アイドル…辞めようと思ってるの」
ちらっとプロデューサーの顔を除く。朗らかな笑顔が、一瞬だけ険しくなる。
「うん、そうか」
「……止めないの?」
「止めないさ」
理由も何も話さない。ただ、聞かれたことだけに答える。でも、怒ってるとか興味がないとか、そういうのじゃない。なにか心配しているような…。
表情を伺っていると、プロデューサーが口を開く。
「止める必要なんて、ないだろ?」
ああ、そうだったのか。
やっぱり私は、アイドルとしての個性を失くしてしまったのだ。だから、プロデューサーもアイドルを続けさせる気がないんだ。相談して、よかっーー
「だって育は、アイドル辞める気なんてないだろ?」
「え、だから私は…」
海外に長く居すぎて日本語が分からなくなちゃったのかな?
そう思うほど、今の会話の流れはおかしい。おかしいよね。
「本当に辞めたいなら、『止めないの?』なんて聞かないさ」
あ……。
「それに本当に辞めたい人がレッスンなんてしに行かないだろ」
自分の本当の気持ちを、現実と照らして抑え込んでいたこの気持ちを、ぶつけられてしまった。
「育。辛いこと、嫌なこと。全部話してくれよ。力になるからさ」
「うん…うんっ。あの、あのね、プロデューサーさん……」
「中谷育、十九歳です!」
背筋を伸ばし、つま先、指の先まで意識する。
「よろしくお願いします!」
「お、元気いいねえ」
顔を上げ、笑顔は一旦しまう。
「マネージャーさん」
「ん、なんだい?」
「この前のオーディションは、ごめんなさい」
「この前って…ええっ!?」
流石に驚かせてしまった。でもこれはちゃんと言わなきゃだよね。
「この前はいろいろ悩んでて、上手くできなかったけど」
今の私なら、どこまでだって進んでいける。どこまでだって飛んでいける。
「今はもう大丈夫だよ。元気一杯、みんなに元気を分けてくから、絶対に目を逸らさないでね!」