魔法科高校の神童生   作:RAUL85

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皆さん、お久しぶりでございます。いつもの通り、遅れてしまい申し訳ありません。なんか色々とやりたい事を詰め込んでいたら、こんなことになっていました。なんと文字数も約2万5千文字! 長いっ! とつっこまれるのは覚悟の上ですが、夏休み編は次話で終わらせたかったので、つい…… 異様な長さですが、読んで頂けるとありがたいです…


夏休み編
EPISODE37:暗殺者の夏休み〜前編〜


 

 夏休みであれど、九十九隼人の朝は早い。いや、夏休みだからこそだろうか。

 

 彼の一日はまず、何時の間にか布団に潜り込んでいるエリナを引っぺがす所から始まる。

 大抵の日は気づけば抱き枕にされているので、縄抜けの要領でエリナの拘束から抜け出し、代わりに巨大ぬいぐるみを挟み込んで解決である。もう手慣れてしまったのは、喜ぶべきか、このまま放置し続けている自分に悲しむべきか。

 

 

 軽い自己嫌悪に陥りながら洗顔を済ませた隼人は、早速朝食の準備に取り掛かる。残念ながら、母であるセラ以外の九十九家の女性(居候も含む)は料理が苦手である。故に、料理のできる三人の内、母と父はよく家を空けるため、必然的に料理当番は彼の仕事になってしまっている。

 しかしそれも既に慣れたこと。専用のフライパン、専用の包丁、専用のまな板などなどの調理器具を取り出した。

 

「さって、ささっとやっちゃいますか!」

 

 腕を捲り、気合いを入れて料理に取り掛かる。

 とはいえ、夏休みといえど朝から凝ったものを作るつもりはない。いつも通り米を炊き、卵焼きを作りながら鮭を焼く。更に同時進行で味噌汁の味を整え、レタスやトマトなどの野菜を切っていく。

 

 そうしている内に、朝食の匂いに釣られて寝惚け眼のエリナが起きてくる。

 まだ意識がはっきりしていない彼女を洗面台まで連れていき、出来上がった朝食の数々を並べて終了–––––

 

 

 ––––ではなく、寝坊助の姉を起こしに姉の部屋へ特攻。布団を剥ぎ、だらしなく腹を出して寝ている姉の耳元へ息を吹きかけて速攻で退散。間もなく、顔を真っ赤にした姉がリビングへ飛び出てくるのと、エリナが覚醒したのを確認して、ようやく朝食の時間である。

 

「あ、今日お母さんとお父さんが帰ってくるらしいわよ」

 

「……なんでそういうことを当日に言うのかな」

 

「忘れてたのよ。その時にエリナも紹介するけど、平気?」

 

「はい! 大丈夫です」

 

「それで、何時頃に帰ってくるの?」

 

「予定ではあと十分ね」

 

「そんなことだろうと思ったよチクショー」

 

 溜息をつき、残っていた味噌汁を飲み干して台所へ食器を運ぶ。両親が帰ってくるまであと十分。流石に寝巻きで出迎える訳にはいかないだろう。

 

「食い終わるのが一番遅かった人が洗い物! よーい、スタート!」

 

「あ、ちょ、それはずるいわよ隼人!」

 

「ハグハグハグハグハグ」

 

「くっ、エリナも抜け駆けして! 覚えてなさいよ!」

 

 途端に賑やかになった食卓に笑みを浮かべて、着替えをするために二階の自室へ戻る。

 

「ん、と。まあ、適当なのでいいか」

 

 寝巻きではまずいが、なにも着飾る必要など皆無だ。クローゼットの中にある左から三番目と右から二番目を手に取りささっと着替える。

 さて一階の皿洗い戦争はどうなったのやら。

 

 

「姉さん、エリナ、そろそろ––––くそ、逃げたか!」

 

 ダイニングに戻ると、そこには何もなかった。

 正確に言えば、テーブルの上の食器は全て台所へ運ばれ積み上げられ、洗い物を担当するはずの二人の姿がないということだ。

 壁の時計に目を走らせると、タイムリミットまであと五分と少し。

 

「あの量なら––––間に合う…!」

 

 結局、自分でやることになってしまったが仕方ない。こうなることは予想できたのに監督していなかった自分の責任だ。

 積み上げられた食器を前に気合いを入れる。さあ、何十年と磨き上げてきた皿洗いスキルを解放する時!

 

 

 

☆★☆★

 

 

 

「珍しいわねぇ、隼人がお皿割るなんて」

 

「……面目無い。後始末まで手伝ってもらちゃって」

 

 大惨事皿洗い大戦から暫く。割ってしまった食器を片している内に両親は帰ってきてしまった。

 ガチャガチャと音を立てながら、床に散らばってしまった破片を拾い集める。母さんの魔法を使ってだが。

 

「いいのよ別に。寧ろ、隼人は一人で色々なものを背負おうとするから、もっと頼ってもらいたいわ」

 

「別にそんなことないと思うけど」

 

 そうは言うものの、俺は父さんや母さんに色々迷惑を掛けていると思う。これ以上負担になる訳にはいかないというのが本音だ。

 

「ああ、そうだ。エリナちゃんを家に泊めるのは別に構わないわよ」

 

「ん、ありがとう。それを聞いて安心したよ」

 

 まあ、両親がエリナの同居を許すのは半ば予想通りだ。そもそも、二人はこの家を空けていることが多いから家の実権を握っているのは姉さんなのだ。姉さんには前から許可は取ってある。

 

「それにしても、モテモテねぇ。隼人は」

 

「モテモテ? 俺が? なんで?」

 

「自覚が無いところまで櫂そっくり。潮さんが言ってたわよ〜、『娘が隼人クンの話しかしない』って」

 

「雫が? うーん…俺そんな変なことしたかな?」

 

「……これは重症ね」

 

 呆れたような顔をした母さんに言葉が詰まる。

 はて、俺は知らぬ間に雫に何かしてしまったのだろうか。それならば今度謝らなければならないのだが。

 

「ああ、そうそう。櫂が後で話があるって言ってたわ」

 

「ん、了解。後処理手伝ってもらってありがとね、母さん」

 

「いえいえ。ほら、早く行きなさい」

 

「はーい」

 

 

 

☆★☆★

 

 

 

「入るよ、父さん」

 

 書斎の扉を開けて、中に入る。相変わらず所狭しと本が並んでいるこの部屋は、掃除がされていないからか少し埃っぽい。

 

「ああ、隼人か。丁度よかった、今新しい任務が正式に下ったんだ」

 

「新しい任務?」

 

「そうだ。取り敢えず、そこに座って」

 

 指差された木製の丸椅子に腰を掛ける。ギシリ、と音を立てたことに強度面の不安を覚えたけど、まあ大丈夫だろう。

 

「さて、単刀直入に言うよ。隼人、君に政府から特務が下った」

 

「特務、って、父さんがいつも受けてるあれのこと?」

 

 特殊任務。九十九櫂と九十九セラにのみ課せられる日本政府からの任務のことだ。その任務内容は暗殺から交渉など幅広く、主に対外関連のものが多い、らしい。というのも、この特務の秘匿性は最高度に位置している。俺がこの情報を知っているのは、父さんが『ついうっかり』口を滑らせることが多いからに過ぎない。

 

 しかし何故、一介の高校生––––というには語弊があるが––––に特務などが下るのだろうか。

 

「そうだ。隼人には、これからアメリカに飛んでもらって、現地の部隊と合流し、ある組織を潰して欲しい」

 

「アメリカに、俺が…?」

 

 アメリカ。正確に言うならば、北アメリカ大陸合衆国(USNA)。先の第三次世界大戦で成立した国家だ。

 日本とは表面上は同盟国だが、魔法技術に関しては競合国として優劣を争いあっている。

 

「これは日米合同任務らしくてな。日本の誇る暗殺者をこちらに寄越せってアメリカが言ってきたみたいで、いつも政府に媚び売ってる九十九にお鉢が回ってきてしまったというわけだ。ちなみに俺とセラは明日から別任務だから出れない。スバルは防衛大学で研修があるから無理。あとは、分かるよな?」

 

 はっはっはっ、なんて笑う父親。いきなりの大役に、胃がキリキリと痛みだした。

 

「ちなみに、日本の九十九という手札を一枚見せるということで、アメリカの魔法師の手札も一枚見せてくれるそうだ。恐らく、そいつとコンビを組んで任務に当たることになると思う」

 

「アメリカの魔法師かぁ……ところで、敵対組織って?」

 

「人間主義組織『レジストリエル』–––––最近、アメリカ国内で勢力を伸ばしてきている過激派組織だよ」

 

「人間主義––––つまりは非魔法組織ってことか……なら、重火器への対応も考えないと」

 

「なんだかんだ言って乗り切りじゃないか」

 

「諦めも大切なんだって学んだからさ」

 

 ここまで外堀を埋められては、今更俺が何を言ったってこの事実は覆ることはない。だから俺の精神衛生上、素早く諦めて吹っ切ることが大事なのだ。

 

「ところで、その任務っていつから–––––?」

 

 

「明日」

 

 

 

☆★☆★

 

 

 

「……どうして、ウチの人達はもっと早く予定を教えてくれないんだろう」

 

 そうボヤいても後の祭り。大忙しで服や生活用品、パスポートや特務受任証明書、ベレッタやワイヤーやCAD、その他諸々の準備を整えて、気づけば朝。

 慌てて母さんが作ってくれた朝食を押し込み、日本政府の迎えの車で空港へ。そこから慣れない手続きに四苦八苦しながらもなんとか搭乗。飛行機内で睡眠欲に負けて爆睡して、現地の情勢などを記した書類に一通り目を通して、気づけば目的地に着いていた。

 

 今いるのは北アメリカ大陸合衆国のマサチューセッツ州ボストン市にある空港。俗に言われるボストン空港で、待ち合わせの人を待っていた。

 この場所にいれば、迎えの人が待っていると聞いていたのだが、どうもまだ到着していないようだった。

 

「ふわぁ……」

 

 朝の九時に日本を出発して、約十三時間を掛けてアメリカに到着。日本では現在二十二時。眠い。

 ちなみに日本とボストンの時差は十三時間。つまり、ボストンの現在時刻は午前九時前になる。眠い。

 

「それにしても……やっぱ空港は人が少ないなぁ。日本よりも多いけど、やっぱり海外へ行くことが禁止されてるからかなぁ」

 

 何十年前なら、海外へ旅行へ行くことができたらしいが、現代では魔法技術の流出を防ぐ目的で、基本的に海外へ行くのは禁止されている。今回の俺のは特務という例外中の例外であって、そもそも外国へ向かう空港に人はそれ程多くはないのだ。

 

 それにしても、暇である。もういっそのこと立ったまま寝てみようか–––––

 

「あのー……」

 

 そんな馬鹿げた事を本気で考えていると、不意に背後から声がかかった。そちらに目を向けると、そこには金髪の少女が立っていた。

 というか、日本語…?

 

「九十九ハヤトさん、ですよね?」

 

「ああ、うん、そうだよ。俺が九十九隼人だ」

 

 日本語で話しかけられた為に、反射的に日本語で返してしまったが。こちらの返答に安堵したように息を吐く様子を見ると、どうやら通じたようだ。

 

「そういう君は、アンジェリーナ・クドウ・シールズさんで合ってるかな?」

 

「ええ、合ってます」

 

 待ち人が来たようだ。

 金色の髪と碧色の瞳を持つ彼女の名前はアンジェリーナ・クドウ・シールズ。日本語が話せるということは、どうも日本人とのクォーターという話は本当のようだった。

 

「それにしても、まさか同い年くらいの女の子だとは思わなかった。これから少しの間だけど、よろしくね」

 

「…よろしくお願いします。取り敢えず移動しましょう。着いてきてください」

 

 少女に連れられて、空港のロビーを後にする。さて、彼女がこれから一週間程コンビを組む相手か。なるほど、とても優れた魔法師だということはサイオンの保有量で分かった。

 さてさて、これからどうなるか。面倒なことが起こらなければいいのだけれど。

 

 

 

「ここがワタシ達が住む部屋よ」

 

 リーナが手配したらしい車に揺られて暫く。慣れない外国の風景を堪能しながら、やがて一軒のアパートの前に車は停車した。運転手の厳つい黒服のお兄さんに感謝を告げて、車から降りる。

 ちなみに、英語は結構話せる方だと自負している。よく色々なパーティに参加するものだから、必然と英会話は習得できてしまったのだ。

 ただまあ、使い慣れている日本語の方が好ましいのは当たり前な訳で、日本語で話してくれるリーナとは車内で随分と打ち解けることができた。

 

「ふぅん。普通のアパートなんだね」

 

「今回の作戦の為だけの一時的な拠点なんだから、仕方ないのよ」

 

「別に文句はないよ。寧ろ、こっちの方がいい」

 

 リーナに連れられて、二階の一番奥の部屋に入る。

 中を見てみると、やはり一時拠点なだけあって、家具は必要最低限のものしかない。冷蔵庫にテレビに衣装箪笥、あとは居間に大きなソファーが一つあるくらいだ。まあ、不自由はないだろう。

 

「それで、ハヤトの部屋がこっちでワタシの部屋がこっちね。あの奥がバスルームとトイレよ」

 

「ん、了解。さて、これからの予定は?」

 

「取り敢えず、今日の内に熟さなければならない作戦はないわ。まあ、ハヤトも長旅で疲れてるだろうから、今日は自由行動ね」

 

「それはありがたい。じゃあさリーナ、俺街を見てみたいんだけど」

 

「構わないわ、案内してあげる」

 

「ありがとう!」

 

 そうと決まれば早速準備しなければ。外国へ行ける機会なんてそうそうないのだ。例えそれが特務で訪れたとしても、楽しめる時は楽しむべきだと、父さんや母さんも言っていたし。

 

 

 

☆★☆★

 

 

 

 荷物を部屋に置いて、隼人とリーナの二人は街へ繰り出していた。

 あのアパートからメインストリートまでは歩いて数分といったほど近い所にある。これは敵対組織に怪しまれないよう人口密集地に拠点を設けたためであり、また、二人の食料品などの買い出しといった日常生活の負担を軽減するためでもあった。

 

「いやぁ…見慣れないものがいっぱいだなぁ!」

 

「そんなに珍しいかしら?」

 

 メインストリートを歩きながら、少年は無邪気に立ち並ぶ店を見て回る。その後ろ姿を見ながら、リーナはクスリ、と笑った。

 自分と同い年だと聞いていたが、元々の容姿が幼いのも相まって、その様子はどこか年下の少年のようだ。どうも、年の近い弟ができたようでなんだかむず痒い。

 勿論、目の前ではしゃぎ回る少年がニホンでも指折りの実力者であることは理解している。油断はしないし、隙あらば情報を抜き出すつもりでもある–––––

 

「ねえ、リーナ! これなに?」

 

 ––––のだが、なんだか、彼の好奇心に満ちた表情を見て、なんだか肩に力を入れている自分が馬鹿らしくなってしまった。

 

「それは––––––」

 

 まだ出会ってから少ししか経っていないというのに、随分と打ち解けたものだと、リーナ自身思っている。けれど、そんな事が気にならないくらいには、彼との時間を楽しく思っていた。

 

 

 

 

 夕暮れ。結局、隼人に連れ回される形で二人の散策は続いた。しかし、もうすぐ日が暮れるということで、二人は帰路に着くことにした。

 

「あー…少しはしゃぎ過ぎた。ごめんね、リーナ。付き合ってもらって」

 

「別にいいわよ、この位。それに、ワタシも少し楽しかったし…」

 

「ん? なんだい?」

 

「なんでもないわよっ」

 

 軍に所属するアンジェリーナ・クドウ・シールズという少女は、彼女の立場上、同年代の人間と関わることは多くない。いつも会うのは自分よりも年上、それも母親や父親と同じくらいか、それよりも上の人ばかりで、そういう人間たちは決まって腹に逸物を抱えている。

 そんな社会の中で、まだ十六歳程の少女が生き抜くには自らの心に仮面を被せるしか方法はない。そうしていく内に、自然と彼女は自分の本心を口に出して言うことが苦手になっていた。

 

 まあ、俗に言う『ツンデレ』という属性を持っているのが、リーナという少女である。

 極度の天然鈍感の隼人が、彼女の真意を読み取れるようになるのは、まだまだ先の事であろう。

 

 赤くなった顔を隠すように、歩くスピードを上げる。

 

「あ、そういえば夜ご飯ってどうするの?」

 

 しかし、隼人のその言葉で、ぴたりとリーナの動きが止まった。

 

「……あれ、なんか不味いこと言ったかな?」

 

 自分の知らない異国のマナーに抵触してしまったかと不安になる隼人に対し、彼に背を向けたリーナの顔は羞恥の赤から蒼白に変わっていた。

 

(ジ、ジーザス…! ワタシ、料理できないじゃない……!!)

 

 先程の通り、彼女は軍属であり、かつ北アメリカ大陸合衆国という国に於いて切り札に近い存在である。それ故に、彼女の身の回りの世話はほとんど別の誰かかホーム・オートメーション・ロボット(HAR)がやってくれている。流石に部屋の整理は自分でしているが、料理や洗濯などの経験はほぼない。そのため、彼女の保有する家事スキルのレベルは最底辺に等しかった。

 フライパンに油をひくことを知らない程度には素人である。

 また、任務中のみに使用する仮宿にHARが置いてあるはずもない。

 

 だが、リーナという少女はプライドが非常に高い。そんな彼女が、同年代の少年に向かって料理なんてできません、などと言えるはずがなかった。

 しかしここで見栄を張っても、待っているのは破滅の未来。

 

(どうするべきなの……!)

 

 戦闘でピンチになったことなど数えきれぬ程あるが、女としてピンチに陥ったことは初めてだった。

 女のプライドは魔法でごり押して守れるものではあるまい。未知の窮地を前に、リーナは完全に手詰まりだった。

 

 

「えー、と。用意してないんだったら、俺が作ろうか? 」

「是非!!」

 

 このビッグウェーブに乗るしかない、と言うような勢いで食い付くリーナに目を白黒させながらも、長年鍛え続けた隼人の主婦としての癖は、すぐに頭の中で急速に献立を考え始めたのだった。

 

 

 

☆★☆★

 

 

 

 夜。あの後、すぐに近くにあったスーパーマーケットに寄って食材を購入し、隼人が持ち得る料理スキルを総動員して夕食を作り終える頃には、日は完全に落ちきっていた。

 大まかな献立を立てた後はリーナの日本食を食べたいというリクエストを受けたため、現在テーブルに並んでいる料理はいつもの九十九家の夕食の光景となんら変わらないものになっていた。

 

「ハヤト、これは何?」

 

「それは天ぷらだよ。その天つゆっていうのにつけて食べるんだ」

 

 衣に包まれた海老を持ち上げて首を傾げたリーナに、手本を示すようにさつまいもの天ぷらを一口齧る。その姿を見て、恐る恐る黄金色の天つゆに海老をつけ、一口。

 

「お、美味しい……」

 

「でしょ? どんどん食べてね!」

 

 ひと昔前には日本食ブームなどというものがあったらしいが、魔法の秘匿の為に鎖国傾向にあるこの世界では余り他国のものが流行し難い。当然、クォーターといえどステイツ育ちのリーナに日本食は珍しいのだろう。少しぎこちない箸使いで忙しなく隼人作の料理を平らげている。

 対して隼人はというと、リーナが美味しそうに天ぷらをパクつくのをニコニコして見ているだけだ。

 

 というのも、今現在隼人はかつて感じたこともないレベルの眠気を感じていた。

 それはそうだろう。今の時刻は二十時過ぎ。日本時間は午前九時。日本時間午前九時に空港から飛び立った隼人は今、丸一日起きていることになる。当然、襲い来る睡眠欲に食欲は押され気味だ。

 

「ハヤトは食べないの?」

 

「いや、リーナが凄く美味しそうに食べてくれるから嬉しくてね。つい、眺めちゃってたんだ」

 

「なっ……!?」

 

 本心である。料理人であれば、美味しそうに食べてくれるのを見るだけで嬉しくなるもの。隼人の場合は、それが眠気を押し退ける程大きかったということだ。

 しかし、満面の笑みでそんな恥ずかしいセリフを言われた側としては溜まったものじゃない。顔から火が出るのではないかと思うほど赤くなった顔をしながら、リーナは思わず立ち上がっていた。

 

「あ、アナタ、そんなセリフさらっと言って恥ずかしくないの!?」

 

「リーナ英語、英語に戻ってる」

 

 思わず母国語に戻りながら胸ぐらを掴んで捲し立ててくるリーナを右手で抑え、テーブルの上から落下しそうになった皿を左手で受け止める。

 

「本心を言っただけじゃないか」

 

「大真面目な顔で恥ずかしいセリフを言うからよ。アナタ、もしかして天然なの?」

 

「自覚はないけどよく言われるよ。なんでだろうね?」

 

 その返答に、リーナは力なく椅子に座り直した。この少年にこれ以上言っても無駄だと分かったのだろう。その表情はどこか疲れが浮かんでいる。

 

「はぁ、まあいいわ。美味しいディナーをありがとう」

 

「どういたしまして。洗い物しとくよ」

 

「そこまでやってもらう訳にはいかないわ。アナタ眠そうだし、先にシャワー浴びてきなさいよ」

 

「いいのかい?」

 

「ええ勿論」

 

「そっか。じゃ、行ってくるね」

 

 椅子から立ち上がって食器を運んでいく隼人を横目で見ながら、リーナは小さく溜息をついた。

 鼻歌を歌いながら隼人がリビングから出て行ったのを確認して、頭を抱える。

 

(ちょっと待ちなさいよ……ハヤト、料理上手すぎないかしらっ? くっ、まずいわね。彼といると女としてのプライドがズタズタになってしまう)

 

 リーナは役職柄、アメリカでも有数の高級料理店のコース料理を口にすることが稀にある。どれもこれもが味わったことのないような絶品だったのだが、どうもしっくり来ない。ところが今日、隼人の料理を食べてみてその違和感を感じなかったのだ。味は確かに高級料理店の方が勝るのだろう。だが隼人の料理には、それらで感じられなかった『懐かしさ』を感じた。

 

(いえ、そんな事よりも……)

 

 今日一日。彼の行動を見ていて分かったことがある。

 それは恐ろしさだ。

 最初に空港で見た時も、車での移動中も、ショッピングの時も、そして食事中も。彼は、一切の隙を見せなかった。端から見ればどう見ても隙だらけだ。彼が欠伸をしているのを見たのだって少なくはない。けれど、どの場面でも、どんな時でも、彼に襲いかかって勝てる気がしない。底が知れない脅威を彼に感じていた。

 

(どうするべきかしらね……。ハヤトの能力調査を頼まれたけど、大丈夫かしら)

 

 一抹の不安に、体をテーブルに投げ出す。どうにもリーナはこういったこそこそとした調査には向いていないらしい。

 最低でも何かしらの因縁をつけて戦ってしまえばいいと思っていたが、隼人の性格を考えると言葉巧みに逃げられてしまいそうだ。奇襲は駄目だ。彼に不信感を与えるなとキツく言いつけられている。

 

「はぁ……面倒ね」

 

「なにがだい?」

 

「きゃあっ!?」

 

 いつの間にか、隼人の姿がリーナの後ろにあった。髪が濡れているのを見るに、風呂から上がってきたのだろうが、それにしても早すぎる。

 というか、

 

「ふ、服着なさいよ!」

 

「え? あ、ごめんごめん。つい癖で……すぐ着てくるよ」

 

 ズボンを穿いただけの上半身裸の状態でリーナが忘れていた洗い物を始めようとしていた隼人。男の裸体を見たことがない訳ではないリーナだが、免疫があるかどうかと問われればない方である。

 

 急いで部屋にシャツを取りに戻った隼人の後ろ姿を見て、上がっていた息を鎮めようと椅子に座りなおす。

 

「意外と引き締まった体してるのね……って、違う!

 …ああ、もう…調子狂うわね」

 

 彼と行動を共にしてから、どうもペースを崩され気味だ。嫌ではないのだが、疲れはする。

 

「洗い物はやっとくから、リーナもお風呂入ってきなよ」

 

「え、あ、ごめんなさい。考え事してて忘れてたわ」

 

「いいよいいよ。後片付けまでやって料理だからね」

 

「ありがとう。それじゃあ、お言葉に甘えるとするわ」

 

 ともかく疲れた。隼人に全てを押し付けてしまうのは悪いが、ここは好意に甘えておくとしよう。

 

 

 

☆★☆★

 

 

 

「ん…ねむ……」

 

 洗い物を終えて少し。テレビでも見ようかと思いソファーに座った瞬間に睡魔が襲ってきた。映ったテレビはコメディー映画などがやっているようだが、流石にこの睡魔を打ち破る程の面白さは感じられない。

 

「はぁ…もう寝ちゃおうかな–––––っ!」

 

 テレビを消して立ち上がった刹那、膨大なサイオンの波動となにかを破壊する音を感知した。場所は–––––浴場。

 

「リーナ!」

 

 このサイオン量、ただ事ではないのは確かだ。眠気が一気に吹き飛んだが、取り敢えず急がねばならない。

 

 

 浴場までの廊下を一気に駆け抜ける。

 

「リーナ! 何があっ…た–––!?」

 

 

「は、ハヤト!?」

 

 扉を勢い良く開け放つ。

 湯気が立ち込める目の前の光景に、隼人は慌てて手で目を覆ったが、少し遅かった。

 今日初めて出会った少女の肢体が頭にこびり付いて離れない。大事な所は隠していたから見えなかっただけマシとしよう。

 顔が真っ赤になるのを感じるが、事態はそれどころではなかった。

 

「ハヤト! 伏せなさい!」

 

「へっ!? ––––くそっ…!」

 

 リーナの悲鳴にも似た警告に従い咄嗟に頭を伏せるも、一歩遅く。隼人の身体は移動魔法によって吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。

 

「ぐっ……この–––!」

 

 目を瞑ったままで『(ユニバース・アイズ)』の封印を解く。

 途端に脳内に叩き込まれる極彩色の世界に、一人の侵入者の姿が映し出された。

 すぐ様立ち上がり、侵入者に向けて加速魔法を使って突っ込む。

 

「人の事言えないけど、女性の入浴中に乱入するのは良くないと思うよ。少し、外でお話しようか」

 

 隼人の高速移動に反応が追いつかない侵入者の腹部へ蹴りをねじ込み、更に移動魔法で吹き飛ばす。

 侵入者が破ったであろう窓から、侵入者を弾き飛ばした。

 

「リーナ、アレは俺がやる。後で説教でもなんでも聞くから、君は早く服を着てくれ」

 

「ちょ、待ちなさいハヤト!」

 

 リーナの制止を聞かず、破れたガラス窓から飛び降りる。このアパートの外は小さい林になっている。大暴れさえしなければ、大きな騒ぎにはならないだろう。

 

 

「さて、お仕置きの時間だけど。聞こうか、君は誰だい?」

 

「貴様こそ何者だ? 我々のデータに貴様の情報はない」

 

 月明かりが照らす林の中で、隼人は黒いボディアーマーに身を包んだ男と対峙した。

 

「質問しているのはこっちだよ。答えろ、お前は誰だ」

 

「脅せば喋るとでも思ったか。残念だが、知りたければ力尽くで聞くんだな」

 

「そうかい……–––––」

 

 先程のお返しとでも言うのか、加速魔法を使用して突っ込んでくる男の拳を躱す。

 

「なら、体に聞くとしようか」

 

 雷帝を発動。瞬時に強化された筋力を以って、拳を躱された衝撃で動けない男を蹴り飛ばした。

 

「ぐぅっ…!」

 

「……硬いな。そのボディアーマーが邪魔だね」

 

 痺れる足に思わず顔を顰める。男が着ているのは漆黒のボディアーマー。闇に紛れてどのような材質でてきているのか視認はできないが、素手で叩き割れる程脆くはなさそうだった。

 故に、起き上がりつつある男を見据えながら、隼人は落ちていた木の棒を手に取った。

 

「行くよ」

 

「チィッ!」

 

 弾丸となって突っ込んで来る隼人に舌打ちをし、男は懐から拳銃を取り出した。

 

「遅いよ」

 

 だが照準を合わせようとした時にはもう遅い。懐深くまで潜りこんだ隼人は、そのまま木の棒を逆袈裟に振り上げた。

 

「そんなたかが木の棒で––––!?」

 

 

「さてどうかな。こうすりゃ例え鋼であろうと、斬れる」

 

 金属音が響いた。

 鋼のボディアーマーと、木の棒。誰がどう見ても性能で勝っているはずのその鋼の鎧は、しかし、一本の木の棒によって断ち切られた。

 

「な、に…!?」

 

「高周波ブレード。刀身を振動させる事によって物体を液状化して切り裂く振動系統の魔法さ。まあ、木の棒自身が耐え切れなくて折れちゃったけどね」

 

 振動系魔法である高周波ブレードに、木の棒の強度を上げる為の硬化魔法のマルチ・キャスト。全く違う系統の魔法を苦もなく使用し、木の棒で鋼を切り裂く程の高い効果を発揮する魔法に、男は恐れを抱いた。

 

 しかし真に驚くべき所はそこではない。この少年が、CADらしきものを何一つ身につけていないことだ。

 

「き、さま––––」

 

 暗殺者は刹那の隙も見逃さない。

 恐怖で戦意が鈍ったのを見抜いた隼人は、すぐ様ガラ空きになった胴を蹴り抜いた。

 

「が、はッ…!?」

 

 雷帝で強化された蹴りを抵抗なく受けることになった男はそのまま数メートル吹き飛ばされ、木の幹に背中を強かに打ちつけて血を吐いた。

 

「さて、質問タイムだ。ご所望通り、その体に直接聞くことにしよう。まずはそうだな、お名前から聞くことにしようか?」

 

「あ、悪魔め…!」

 

 震える体でせめてもの抵抗を試みるが、しかしそれも無意味。既に戦うことのできない体では、何を言おうが、何を為そうが、この状況を覆すことは叶わない。

 あとは只、死の恐怖に晒されるだけである。

 

 

 

 

 ズルリと。深く潜り込んだ右手を()から引き摺り出す。

 血生臭い赤に染まった手を一瞥して、彼は夜空を見上げた。

 

「悪魔で結構だよ。アンタ達みたいな馬鹿げた奴らが現れ続け、人を傷つけ続けるなら、俺は喜んでこの身を悪に堕としてやろうじゃないか。それが、俺の生き方だと決めたんだから」

 

 既に目の前の男は事切れている。少し()に手を突き入れただけで吐いてくれたため、情報収集は比較的に楽であったものの、やはりこういったやり方は好きではない。

 それでも為さねばならない理由がある。戦い続ける理由がある。それこそが存在理由だと信じているから、九十九隼人という存在は、悪を滅する為に悪を為すのだ。それが正義の行いだと信じている。

 

「……『アルヴァンス』、アンタの名前は覚えておくよ」

 

 雲が月に隠れ世界が闇に包まれる。

 次に月が見た世界には、『アルヴァンス』という男の存在はなかった。

 

 

 

☆★☆★

 

 

 

「っ、ハヤト! アナタ…!」

 

 急いで身支度を整えて外に出た時にはもう、既にケリはついていたのだろう。

 部屋に戻ろうと林から出た隼人の姿があった。

 

 肘まで真っ赤に染まった右手と、恐ろしい程に冷たい表情に思わず背筋が凍る。紅蓮の炎のようなその瞳は、何も写してはいなかった。

 

「少し尋問をね。大丈夫、怪我はないよ。それよりも分かったことがある、部屋に戻ろう」

 

 有無を言わせぬ圧力を醸し出す隼人に対し、リーナはただ頷くことしかできなかった。

 彼の右手を見れば何をしたのかは想像がつく。果たしてそこまでやる意味があったのかは、彼が得た情報に答えがあるのだろう。

 促されるまま、リーナは部屋へと戻ることにした。

 

 

 

 

「まず一つだけど、あの男は今回の標的であるレジストリエルの差し金だった。確かここから程近い豪邸に本部があるらしい」

 

「ええ、本部の位置は既に政府が割り出しているわ」

 

 少しして、着替えを済ませた隼人はリビングで地図を前にリーナと向き合っていた。

 

「じゃあ、レジストリエルの支部のことはなにか知ってるかい?」

 

「支部…? いいえ、そんな情報はもらってないわ」

 

 リーナの言葉に、隼人は怪訝な表情を浮かべた。

 あれ程までのことをしたのだ。あの男が嘘をついているとは思えないが、アメリカ政府がその正体を掴んでいないとは考え難い。

 

「ふむ……意図的に隠していたのか、本当に知らなかったのか。はたまた、そもそも支部なんてなかった、か。どちらにせよ、調べておく必要はありそうだ」

 

「そうね。ワタシも政府に掛け合ってみることにするわ」

 

「じゃあ、明日は別行動にした方がよさそうだね。俺もやっておきたいことができた」

 

「…一人で平気なの?」

 

「地図さえあればどうにでも。さ、今日はもう寝ようか。今まではアドレナリンで誤魔化してたけど、ちょっと限界だ」

 

 小さく欠伸を漏らした隼人を見て、彼は丸一日眠っていないことを思い出す。

 

「そうね、そうしましょう。それじゃあ、おやすみハヤト」

 

「うん。おやすみ、リーナ」

 

 手を振って、それぞれの部屋に戻っていく。

 扉を閉めきって、更に鍵をかけて、隼人は溜息をついた。

 

 

 

「……ぁ…!」

 

 せり上がってきた猛烈な吐き気に、思わず蹲る。

 

「…くそ……いつまで経っても、この感覚は慣れない…!」

 

 生温い液体の感触がまだ右手に残っている。皮膚を突き破る感覚がまだ消えようとしない。次第に冷たくなっていく体と、最期まで恨言を吐き続けたあの声が頭の中に響いている。

 

「…ぁ…ぐ、ぅ……!」

 

 這い蹲るようにして、やっとのことでベッドによじ登る。体を横たえて、無理矢理に目を瞑って眠ろうとしたが。

 

「くそ……」

 

 怨嗟の声が止まない。

 早く地獄へ来いと呼ぶ声が、こちらの精神を食い破ろうと暴れる。

 

 ああ、けれど。

 

「……目を逸らすな」

 

 耳を塞ぐな。

 

「聞き漏らすな」

 

 受け止めろ。

 

 それだけが、死んで行った人にできること。彼らの命を奪った俺が、彼らが存在していた()を覚えていなければならないのだ。

 

「君達が存在していた事は、俺が忘れないよ。身勝手だと、罵ってくれても構わない。俺は、それら全てを背負おう」

 

 いつも通り、宣言する。

 薄れ行く声に「ありがとう」と告げて、隼人は、意識を手放した。

 

 

 

☆★☆★

 

 

 

 翌朝。

 窓から差し込む陽の光の中で、隼人は目を覚ました。

 何時ものように縄抜けをしようとして、ハタと気づく。

 

「ああ、俺、アメリカにいるんだったね」

 

 最早起きてから縄抜けするのは日課になってしまっているのだろうかと首を傾げるも、まあ大した問題ではないので割愛する。

 

「ん、朝の7時……日本では18時くらいかな」

 

 携帯端末で時刻を確認してから、ベッドから這い出る。まだ少し頭が痛むが、日常生活に支障はないだろう。

 

「さて、あの様子だと朝食も俺が作るべきだよね。んー、冷蔵庫に何か残ってたかなぁ?」

 

 作戦二日目である今日はそれぞれの情報収集ということで単独行動ということになっている。どうやらリーナは軍の方へ昨日判明したレジストリエルの支部の事を聞きに行くらしい。何時出発するのかは分からないが、朝食は摂った方が良いだろう。

 

「さってと……」

 

 まずは身支度を済ませてしまおうか。

 

 

 

 

 

 

 ジュー、と何かが焼ける音を聞きながら、リーナはリビングにやって来た。恐らくは隼人が料理しているのだろうが、任せきりにしてしまっているから申し訳ない。

 しかし、やってもらわねばきっと朝食にはありつけないのだろうから、そっと心の中で感謝しておく。

 

「オハヨウ、ハヤト」

 

 縦横無尽に調理器具を操る隼人の後ろ姿に向けて声をかける。

 が、それなりの近さで声をかけているにも関わらず、隼人は反応を示さなかった。

 

「……ハヤト、おはよう!」

 

 反応なし。しかし手は変わらず淀みなく動き続けている。何故か首を右に傾げているが、リーナはそれを特に気にしなかった。

 代わりに、むう、と頬を膨らませる。

 普段挨拶などしない分、返答がないと結構寂しく感じるのだ。

 

「おーはーよーう!」

 

「うわぁっ!? あっつ!」

 

「あ、ごめん」

 

 ならばと。隼人の耳のすぐ傍で声をかけると、驚いてフライパンから飛び出したウィンナーが隼人の顔面に突っ込んだ。

 

「あつつつ……おはよう、リーナ。次からはもっと穏便に挨拶してくれるとありがたいかな」

 

「二回は穏便にしたわよ。けどハヤトが気づかなかったんじゃない」

 

「ああ、それはごめんね。ちょっと電話してたから」

 

「電話? 誰と?」

 

「クラスメートだよ。わざわざ心配して電話掛けてくれたんだ…っと、ちょっと待っててね」

 

 これ持ってって、と渡されたスクランブルエッグとウィンナーの乗った二枚の皿を受け取り、テーブルまで運んで行く。

 

「そういえば、隼人ってハイスクールの生徒だったのよね。そりゃ、友達も沢山いるはず……」

 

 勿論、女の子の友達もだ。いや、もしかするとガールフレンドもいるかもしれない。

 

「……なんでそんな事気にしてるのかしら?」

 

 なんとなくすっきりしない気持ちのまま、リーナはテキパキとテーブルに食器を並べていくのだった。

 

 

 

 

 

 

『隼人、今の声誰?』

 

 なんとなく、向こうの人の機嫌が悪くなったのを隼人は感じた。

 

「家を提供してくれた人だよ。俺が挨拶に気づかなくてね」

 

『そう………女の人?』

 

「……? うん、そうだよ。俺らと同じくらいの年の女の子」

 

『……ふぅん』

 

「ど、どうしたの雫?」

 

 一気にテンションが下がったような雫の声にどうしたのだろうと思ってしまう。

 

『なんでもない。でも、これ以上増やさないで』

 

「増やす? 何を?」

 

『それは自分で考えて。ん、そろそろ夕ご飯の時間だから』

 

「あ、うん。わざわざ電話してきてくれてありがとうね」

 

『どう致しまして。気をつけて』

 

「肝に銘じておくよ」

 

 バイバイ、という声を最後に通話を終了する。優しい子だなー、と思いつつ携帯端末をポケットに押し込んで、振り返る。

 

 

「ワタシがずっと待っていたのに、随分と、楽しそうね」

 

「り、リーナ…? さ、先に食べていてもよかったんだよ……?」

 

「フン、まあいいわ。早く食べましょ」

 

「……う、うん。いただきます」

 

「いただきます」

 

 どうしてこうなったと、そう思わずにいられない隼人であった。

 

 

 

☆★☆★

 

 

 

 リーナよりも一足先に家を出た隼人は、ボストン周辺の地図を片手に昨晩のアルヴァンスから聞き出したレジストリエルの支部と思われる建物に足を運んでいた。

 この建物の表向きの名はCAD工場。簡易的な汎用型CADを量産しているらしい。

 

「……監視カメラに、赤外線センサー。確かにCADの工場なら、これ位の防犯機器は普通か。あまり確証を得られないな」

 

 建物の内部へは見学だと言ったらすんなり通してもらえた。日本人だということで少し面倒なことになりかけたが、アメリカ政府と日本政府の渡航許可証を見せたらなんとかなった。

 

「でも、魔法師が多いな……」

 

 周囲を見回して呟く。

 CADのテスターとして魔法師が工場にいることは多いが、明らかに人数が多すぎる。この建物内の約八割が魔法師ないし魔法素質のある人間たちだ。

 

「ふぅ…さて、どうしたものか」

 

 そろそろ見学はお開きにしなければ。流石に物珍しさでジロジロ見られるのは勘弁したい。

 

「リーナの報告を待つしかないか」

 

 もともと隼人自身の調査は支部であることを確認するためではない。もし支部だった時の為に、建物の内部構造を把握しておくのが目的だ。

 この工場が支部であるかどうかは、リーナの報告で決まるだろう。

 

 

 

☆★☆★

 

 

 

「それで、1日目経った訳だが。九十九の魔法師はどうであった?」

 

「はい。特にこれといった事件は起こっていないので、まだ彼の能力はよく分かっていません」

 

 増長を続ける人間主義組織レジストリエルの対策の為に創設された対策チームの本部。ボストンの市街地の一画に建てられた軍組織のホテルに、リーナはアメリカ軍最強の魔法師『アンジー・シリウス』として訪れていた。

 

「昨夜はレジストリエルの男に襲われたそうではないか。その時もなにも分からなかったのか?」

 

「私が駆けつけたのは、事が全て終わってからでした。彼が男を撃退した際も使用していたのは通常の加速魔法と移動魔法でしたので、何とも言えない状況です」

 

 リーナが隼人と男の攻防を見たのはその一幕だけだ。彼女が着替えを済ませ外の林に向かった時には、右手を真っ赤に染めた隼人がいたのだから。

 ただし彼女は一つ見逃している。

 隼人が男を吹き飛ばした時も、男を始末したであろう時も、彼がCADらしきものを一切持っていなかったことを。

 

「そうか……此方が我が軍の切り札たるシリウスを見せるのだ。なんとしてでも、九十九の情報を掴んできてくれたまえ」

 

「勿論です」

 

 当たり前だと頷いてみせる。

 海外を飛び回り様々な犯罪組織を壊滅させている『九十九家』は最早、独立組織としてアメリカ政府に認識されている。

 一応は日本政府が手綱を握っているようだが、それでもいつ首輪を噛みちぎってアメリカへ牙を剥くか分からない。

 故に、万が一そのような事態に陥った時に対処できるようにと対策が取られたのである。

 レジストリエルなど世界最強を謳うアメリカ軍の魔法部隊『スターズ』で事足りるのだ。日本政府もそれは理解できているのだろう。それでも尚九十九を寄越したのは、やはり御しきれていない証拠か。

 

「それで、レジストリエルの支部の件だったか。 丁度今夜に送り込んでいた諜報員から情報が入る。それまで待て。その後の判断は少佐らに任せる」

 

「了解しました」

 

 敬礼を返す。

 ともあれ動くのはその諜報員からの情報があってからだろう。その上で、隼人と話し合わなければならない。

 

 

 

☆★☆★

 

 

 

「……それで、その諜報員がクロだって言ってたんだね?」

 

 箸を進めながら昼間の情報収集の成果を報告する。

 時刻は夕方。食卓には肉じゃがを始めとした純和風料理が並んでいた。

 

「ええ、レジストリエルの幹部から聞き出したらしいわよ。あの建物は表向きはCADの量産工場だけど、本当の用途はレジストリエルの支部。なんで本部の近くに建てたのかは不明だけど」

 

「それだけ分かれば十分だね。それにしても、事前に諜報員を潜入させておくなんて、結構やるもんだね」

 

「当たり前じゃない。スターズはアメリカが誇る魔法師部隊なんだから」

 

「え? リーナってスターズの関係者だったの?」

 

「関係者というか、ワタシがアンジー・シリウス……よ…」

 

 そこまで言って、リーナは自分がやってしまった事に気付いた。

 今回の日米共同作戦に於けるアメリカ側の最大の目的は、極力こちらの手の内を見せず『九十九』の情報を得ること。勿論のこと、リーナがアメリカ軍が誇る最強の戦略級魔法師である『アンジー・シリウス』である事は伏せておくべきことだ。

 にもかかわらず、別に尋問された訳でもないのにペラペラと喋ってしまった己の軽薄さに、リーナは絶望した。

 

「あー……うん」

 

 そんなリーナの様子と、意図せず得てしまった超重要機密を照らし合わせてえらいこっちゃと隼人も理解できたのだろう。なんとなく居た堪れなくなって、目線を逸らすことしかできない。

 しかし隼人も男であり、幼い頃より英国式の振る舞い方を叩き込まれた紳士でもある。目の前のリーナという少女が『アンジー・シリウス』である事は日本政府にとっては超重要事項であるのだろうが、『九十九』は私情で動くのが信条である。やるべき事は決まっていた。

 

「あー…ごめんリーナ、さっきのところちょっとテレビが煩くて聞こえなかったんだ。まあ、別に重要なことでもなさそうだから適当に流しとくね」

 

 いいフォローとはお世辞にも言えないが、冷や汗ダラダラで目を逸らしている隼人が神に見えるくらいにはリーナに効果はあったらしい。

 今にも泣きそうな顔になっているリーナに苦笑いしながら、じゃがいもを口に運んだ。

 

 

 

 

「それで、いつ攻める?」

 

「支部にあまり時間は掛けたくないわね。できるなら、今日明日中がベストよ」

 

「ならこの後行こう。建物の内部構造は把握してるし、問題はないはずだ」

 

「了解」

 

 結局、隼人のフォローが功を奏したのか、リーナは思ったよりも早く立ち直り二人の間には先程は何もなかったという暗黙の了解が出来上がっていた。

 箸を置き、コメディ映画が流れているテレビを一瞥してから隼人は席を立った。

 

「準備してくるよ。リーナも、あまり食べ過ぎないようにね。動けなくなっちゃうよ」

 

「わ、わかってるわよ」

 

 ニッコリ微笑んでデリカシーのない事を言う隼人に、リーナは顔が赤くなるのを感じた。

 空になった食器を台所に運んでから部屋に戻って行く隼人の後ろ姿を見て、溜息をつく。

 

「……いけないわ。切り替えないと」

 

 隼人といると自分が任務の最中であることを忘れてしまいそうになる。それだけ彼との居心地がいいということになるのだろうが、他者との関わりが薄いリーナはそれがどういう事を意味しているのかが分からない。

 ただ、今日この後でこのような浮ついた気持ちでいると足元を掬われることは理解していた。

 

「ごちそうさまでした」

 

 それが切り替えの合図。

 伏せた瞳を開いた時には、その碧眼に穏やかな色はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「よし、こんなものかな」

 

 久々に袖を通した燕尾服の調子を確かめる。

 懐には隠しナイフ、右袖にはワイヤーを括り付けた投擲剣、左太腿には黒革のホルスターに、愛銃たるベレッタ、両手に偽装特化手袋型CAD『シルバー・フィスト』を嵌める。

 

「ワイヤーとベレッタの動作に問題はなし。予備の弾は内ポケットに入れた。あとは仮面か」

 

 ベットの上に置いておいた狐の仮面を手に取る。

 紫道聖一によって割られた先代の狐面だが、あれは捨てて今隼人が持っているのは二代目ということになる。

 

「さて、行こうか」

 

 色々と準備をしていれば時刻は既に深夜近く。そろそろ出発しなければならない時間だ。

 部屋の電気を消して、廊下へ出る。夏とはいえ、夜はそれ程暑くはない。ヒヤリとした空気に、身が引き締まるのを感じる。

 

「ハヤト……?」

 

「あ、リーナやっと来…た……?」

 

 振り返ってみると、赤い鬼がいた。血を表すかのような赤い髪に、顔の上半部を覆う仮面、濃密な死の気配を纏うかのような出立ち。

 思わず身構えた隼人に、ああ、と目の前の鬼は呟いた。

 

「これがワタシのもう一つの姿よ。任務を遂行する時はこうして変装するの」

 

「へ、へぇ…そうなんだ……」

 

 納得はしたが、突然その姿で現れるのは止めて欲しい。ほのかやあずさ辺りならば卒倒しても可笑しくはないだろう。

 

「それじゃあ、行きましょうか」

 

「うん。お仕事開始だ」

 

 

 

☆★☆★

 

 

 

 

 隼人が特務という役目を負って外国の地に足を踏み入れてから、二日目の深夜。

 数時間前に建てた作戦の通り、二人は人間主義組織『レジストリエル』の支部がある建物の陰に隠れていた。

 

「……案外、警備は手薄だね」

 

 右手首のワイヤーとリールの動作を確認して、実弾を籠めたベレッタを太腿のホルスターへ押し込む。いつもの燕尾服に仮面といったスタイルになった隼人に、『赤い鬼』と化したリーナは頷きを返した。

 

「レジストリエルは最近巨大になったとはいえ、まだ発展途上の組織よ。この支部が作られたのもつい最近のようね」

 

「なるほど。設立直後だから警備システムが確立していないわけだ。なら少しは楽かもね」

 

「油断はしない方がいいわよ」

 

「分かっているよ」

 

 リーナの姿は『仮装行列(パレード)』という十師族『九島家』の秘術によってその可憐な美貌を隠している。

 『色』『熱』『音』『形』『位置』の情報を体を幻影として生み出すことのできるのが仮装行列(パレード)と名付けられた秘術である。

 誰もが見惚れるような美貌はそこにはなく、あるのは無慈悲に敵を屠る赤い鬼である。

 

 これが、アメリカ国軍スターズ総隊長にして、十八使徒であるアンジー・シリウスの姿なのだろう。

 意図せず彼女から正体を告げられた時は驚いたが、今の彼女の姿を見れば納得がいく。

 保有サイオンの量も尋常ではないが、何よりその集中力が一切途切れないのが凄まじい。魔法行使に集中力は必要不可欠。集中力が切れて発動途中の魔法が魔法式ごと霧散する例は腐るほど見てきた。

 

「作戦通りに行くわよ」

 

「なるべく魔法は使わず物音立てずにだね。俺が突っ込むから、シリウスは援護を宜しく」

 

「了解よ、ツクモ」

 

 昨日の作戦会議で作戦中の二人の呼び名は変えてある。これはリーナの正体がバレるのを防ぐためで、隼人の場合は必要ないように感じるが、この世界の情報に国境は存在しない。情報の秘匿を『抹殺』することで保ってきた九十九では、この外国の地では痕跡の一つも残すことは許されない。

 

「3、2、1…行くよ…!」

 

 合図を出し、隼人は魔法を使わずにその場を飛び出した。闇夜に漆黒の燕尾服が紛れ、その存在は希薄となり気を緩めている警備兵がそれに気づくことはない。

 瞬く間に肉薄した隼人の右手から迸ったナイフ付きのワイヤーが翻り、刹那の内に警備兵の三人は首から血を噴き出し地に倒れていた。更には、いつ放ったのか、極細の雷の矢が五台の監視カメラを破壊していた。

 

「随分と鮮やかな手口ね。流石は日本が誇る暗殺者と言ったところかしら」

 

「お褒めに預かり光栄だけど、人殺しのスキルを褒められてもあんまり嬉しくないね。さて、乗り込むよ」

 

 今の交錯で誰かが侵入者に気づいた様子はない。まずは第一段階成功というところだ。

 建物の内部構造は昼間に見学という名目で潜入しており、大体は把握している。

 

「それもそうね。ごめんなさい、行きましょう」

 

 頷きあって、扉を一息に開け放ち中へ侵入する。

 薄暗い廊下を見回し、隼人は眼の封印を解いた。

 

「……この階に敵はいないみたいだ。二階に全員が集中しているね……よし」

 

 隼人の眼の能力はリーナに教えてある。その時は半信半疑だったものの、こうして神秘的な紅色の光を放つ瞳を見てしまえば信じざるを得ない。

 

「俺が右の階段から登って敵を引きつけるから、シリウスは左の階段から登って中央の部屋を目指して。多分、この支部のリーダーはそこにいる」

 

「了解よ…けど、一人で囮なんて平気なの?」

 

「…番狂わせがなければ平気だよ。まあ、死にはしないさ」

 

「すごい不安なんだけど」

 

「まあまあ……なんとかしてみせるさ。ほら、配置について」

 

「無理はしないようにしてちょうだい」

 

「わかってるよ。それよりも君も気をつけなよ。追い詰められた悪党は何をしてくるか分からないから」

 

「ええ。十分に理解してるわ」

 

 互いが互いに相応の修羅場を経験している。それを理解したからこそ、リーナは隼人に従うことにした。

 一度頷いて背を向ける。従うのならば、リーナは隼人を信じるしかないのだ。

 

 

 

☆★☆★

 

 

 

「よし、リーナも位置についたね。行くよ」

 

 右手に短剣の柄を握って、残る階段を一気に駆け上がる。先程は音を立てないようにしていたが、今この身は囮。派手に地面を蹴りながら、階段を登りきる。

 

「な、なんだ貴様–––––!」

 

 雷矢が翔ける。薄暗い建物を照らしながら、高電圧の矢は廊下にいた数人の男を貫き、この建物の電灯全てを機能停止に追い込んだ。

 

「君らに死を届けに来た」

 

 紅い双眸が妖しく浮かび上がる。

 ここに在るは人を殺める蒼き妖狐。すぐそこまで迫っている死の境界を、標的達はようやく理解した。

 

「クソ、誰だか知らねぇが殺っちまえ!たった一人だ、数で押し切りゃなんともねェ!」

 

 死の恐怖は人の思考を奪い去る。本能が叶わないと知りながらも、身近に存在する打開策を、よく考えもせずに実行してしまうのだ。

 

 雄叫びが轟く。建物全てを飲み込む大声量を一身に受けて、蒼き妖狐は一度目を瞑った。

 

「サヨウナラ」

 

 瞬間。

 世界が白に塗り潰された。

 

 

 

 

 

「……!」

 

 千の鳥が鳴いたかのような音の後に轟音、衝撃。背後の廊下で何が行われているのかを朧げながらに理解しながら、赤き死神は一人の男へ銃口を向けていた。

 

「くそ…なんで、ここがバレた…!」

 

「アナタにそれを教える必要はありません」

 

 この男が人間主義組織であるレジストリエルの第一支部を任されたのはつい最近の出来事だ。

 最近になって何故か莫大な資金を得たこの組織が、更なる資金集めの為に表向きのCAD量産工場を打ち建てそこを初の支部としたのだ。

 

「アナタの役目は、速やかにこの世界から去ることです」

 

 赤き鬼は一切の容赦無くそう言い捨てた。

 白い手袋に覆われた人差し指が、トリガーに掛けられる。

 

「ま、待て! こ、これを見ろ!」

 

 そう叫んで、男は背後の大型モニターを指差した。

 どこかの監視カメラの一つの映像だろうか。そこには、四方から銃を向けられた執事服の男がいた。

 

「こ、こいつはお前の仲間なんだろう!? お、俺を見逃せば、こいつを助けて––––ヒィッ!?」

 

 男が悲鳴を上げたのは、リーナが何かをしたからではなかった。

 部屋の奥に設置された大型モニター。そこに映し出された執事服の男が、此方を見ていた。

 白い狐面に刳り貫かれた二つの穴から紅き双眸が浮かびあかり、監視カメラ越しに男を一瞥する。まるで、「見えているぞ」と言わんばかりに。

 

「そ、そんなバカな事が–––––!?」

 

 男が己の直感を否定しようと喚こうとした瞬間、モニターがノイズに覆われた。その直前には、狐面の男が此方へ向けて腕を振るったのがハッキリと映し出されていた。

 

「終わりです」

 

 銃口から煙が上がる。

 床に倒れ伏した男の胸から流れ出した血が、真っ白い床を赤く染めていた。

 

 

 

☆★☆★

 

 

 

「さて、こんなものかな」

 

 監視カメラを破壊した後、銃口を向けていた四人の男を葬り去って、隼人は息を吐いた。

 

「…アルヴァンスと戦った時に分かったけど、やっぱり本調子じゃないな」

 

 屍に囲まれながら眉間に皺を寄せる。

 魔法行使自体に問題はない。問題があるのは、隼人の身体だ。

 

「紫道にやられたのが後を引いてるみたいだね」

 

 右腕にうまく力が入らない。骨折や感電や火傷など色々な症状があったため詳しい原因は不明だが、とにかくハンデとなるのは明白。

 

 

「ハヤト!」

 

 自分を呼ぶ声に顔を上げる。そこにはこちらに駆け寄ってくる赤髪の鬼の姿があった。

 

「シリウス、どうだった?」

 

「支部長と思しき男は始末したわ」

 

 安堵したように隼人は溜息をつく。ともあれ、このまま何もなければ今日の作戦は成功だが。

 

「そうかい」

 

 歩み寄ってくる鬼に、隼人も左手に握っていたナイフを内ポケットへ戻す。仮面の奥で笑みを浮かべて手を出してくる赤髪を–––––

 

 

「じゃあ、君で最後だ」

 

 

 

☆★☆★

 

 

 

「ッ!?」

 

 その身を覆ったのは雷の衣。赤い鬼が反応するよりも早く、雷帝の革靴が鳩尾に突き刺さっていた。

 為す術なく吹き飛ばされ、壁に背中を強かに打ち付ける。

 

「がはッ……! ゴホッ…は、ハヤト……なんで…?」

 

 突然蹴り飛ばされた赤髪の鬼は信じられないと言った目で歩み寄る隼人を見上げた。その瞳には、確かな恐怖が宿っている。

 目の前に立ち、歩みを止めた狐面は零度の視線を赤い鬼に向けた。

 

 

 

 

「なんでって。君が、シリウスじゃないからだよ」

 

 そう断言して、左手が翳された。狐面の男を覆っていた雷が手のひらに収束され、細い雷線となって放たれた。

 

 

 

 

 

「よく、気付きましたね」

 

 しかし赤き鬼は、それを当然の如く無色の障壁で防いだ。立ち上がったその紅い瞳に、先の恐怖の色はない。

 一転して態度を変えた目の前の存在に、隼人は狐面の奥で表情を引き締めた。

 

「簡単だよ。シリウスはこの建物内では俺をハヤトとは呼ばない。それに、彼女の瞳の色は金色だ」

 

「ほう、それは失念していました。流石は蒼き妖狐。弟達からの報告通り、一筋縄ではいかないようですね」

 

 姿が変わる。

 赤き鬼の造形は次第に霞むように崩れていき、やがてその姿は青い長髪の男に変化していた。

 

「君は誰だい?」

 

「八色の教団。それに関係する者……名はブルーノといいます」

 

「八色の教団……!? なんでこんな所に…!」

 

 春に雫とほのかを誘拐した緑川佐奈、九校戦にて無頭竜に協力をしていた紫道聖一。どちらも八色の教団という組織に属していた。

 今や八色の教団は九十九の中でも特に警戒している組織だ。目的は不明だが、始末しておいて損をする相手ではない。

 

「ただ一つの目的の為。私達の悲願を果たす為に、ここでやるべきことがあったのですよ」

 

「…ロクな事じゃなさそうだね。とにかく、葬る」

 

「おや、物騒な。無粋な殺気は収めてくださいよ。私には、戦う気はありません」

 

「俺にはあるんだよ。それに、戦う気がないのなら、後手に持ったナイフを置いたらどうだい?」

 

 おやバレてましたか、とブルーノと名乗った男は肩を竦めた。

 

「貴方を相手取って、少しでも隙を見せれば殺されそうですからねぇ。勿論––––––」

 

 男が振り向く。

 それと同時、霞む程の早さで、右手のナイフが振るわれた。

 

「くっ……!」

 

「貴女もですよ、シリウス。全くもって厄介な方々が組んだものです」

 

 神速の斬撃を防いだのは赤い鬼の姿をしたリーナだった。隼人と対峙するこの男を一目見て敵と断じたのだろう。

 奇襲を仕掛けたが、この男には通用しなかったようだ。

 

「君達の目的はなんだ?」

 

 間違いなく油断してはならない相手だ。今の太刀筋のみで、隼人はこれまで戦ってきた緑川や紫道よりもこの男の方が強いと直感した。

 

「私達の存在を世に知らしめる事、ですかね」

 

「そんな事の為に、人を殺めるのか」

 

 自らの存在証明の為だと、目の前の男は言った。だとしたら許せない話だ。そんな事の為に、こいつらは人の命をゴミのように投げ捨てるのだから。

 

 

 

「そんな事…?」

 

 空気が変わった。

 低く唸るような声で男は呟くと、ナイフを力任せに振り払ってリーナは引き剥がす。

 

「我々は、あなた方とは違うのですよ。力があるが故に淘汰され続けるこの苦しみ……理解が及ばないのなら–––––」

 

 男が一歩踏み出した。初動を掴ませない完璧な足運びで、その体は既に隼人の懐の内だった。

 

「それらは遍く、我々の殲滅対象です」

 

「ッ!」

 

 

 ナイフが振り下ろされた。

 意表を突く接近に加えて、神速の斬撃。防御など間に合うはずもない事を瞬時に隼人は理解する。

 

 故に選択したのは防御ではなく、カウンター。

 

 可能な限り体を屈めて、そのまま、拳を男の懐に叩き込む。

 

「くっ…!」

 

「ぐぅ…!」

 

 迅速な判断が功を奏したか、先に届いた拳によって隼人の体はナイフに両断される事なく、突き出した右腕を浅く切り裂かれるだけに留まった。

 

「……いやはや、やりますねぇ。これは少し不利でしょうか」

 

 殴られた箇所に触れながら、男は挟むようにしてそれぞれナイフを構えた隼人とリーナを見ると、苦々しい表情を浮かべた。

 

「仕方ありませんね。ここは退散させていただきましょう」

 

「逃すと思っているのかしら?」

 

「ええ。もう、迎えが来ていますから」

 

 男が微笑んだ刹那、空間に歪みが起きた。それと同時に、感じたことのある圧迫感が隼人を襲う。

 

「迎え……まさか…!」

 

 圧迫感と、歪む空間。二つの事象が、隼人を一人の人物に辿り着かせた。

 

「久し、ぶりだ、な。九十九、隼人」

 

「紫道……!」

 

 色素の薄れた白い髪、全ての光を排した黒の瞳。存在するもの全てに突き刺さるこの威圧感は、間違いなく九校戦で対した紫道聖一のものだった。

 

「佐奈と聖一がお世話になったようですね。その時のお礼は、また今度しましょう」

 

「待て!」

 

 紫道の空間跳躍は、隼人の眼を以ってしても捉えることは不可能。逃す前にせめて一太刀をと思い、地面を蹴るも、既に空間の歪曲は始まっている。

 

「アクティベイト!」

 

 焦る隼人の耳に、凛とした声が届いた。それが相棒のものであることは疑う余地もなく、今はただ信じて地面を蹴る足に力を込める。

 

「ダンシング・ブレイズ!」

 

 起句を受け、四本のナイフが奔った。

 先に駆け出していた隼人よりも、空間を跳躍しようとした紫道よりも早く、殺意を乗せた刃は二人の敵を狙う。

 

「くっ、そ…!」

 

 果たして。

 奇襲する形となった四本のナイフは、内二本で紫道の空間跳躍魔法を阻害するに至った。

 残る二本はブルーノによって迎撃されたが、それで十分だった。

 

「捕まえた…」

 

 左腕に収束した雷が、一際大きく光り輝く。己の腕すら焼きながら、隼人は残る右腕でブルーノの胸ぐらを掴んだ。

 

「しまっ……」

 

「喰らえ……!!」

 

 慌てて魔法を発動しようとするブルーノだが、遅すぎた。

 

 隼人の左拳がブルーノの腹に着弾すると同時、超高電圧の雷が砲弾のように放たれた。

 其れは正に『雷帝の鉄槌(ミョルニル)』。凄まじい破壊力を誇るその魔法は、ブルーノを容易く貫き紫道までをも飲み込んだ。

 

 

 

「ハァ……はぁ…」

 

 切らした息を無理矢理に整える。身を貫く殺気が、まだ敵は健在だということを隼人に伝えていた。

 

 

「……いやはや、随分と無茶苦茶な攻撃をするものですね」

 

 崩落した建物の天井をナイフで斬り裂きながら、青い長髪の男、ブルーノが姿を見せる。

 

「……無傷…!?」

 

 見れば、雷の砲弾が穿ったはずの箇所に傷はなく、ただ衣服が焼けたのみであった。その後ろに姿を見せた紫道もまた、無傷である。

 

「一方的にやられて、このまま逃げ帰るというのも癪ですね。ですから少し、面白いものを見せて差し上げましょう」

 

 そう言って嗤う男を前に、萎える足に喝を入れなんとか立ち上がる。どんな攻撃が来ても対処できるようにナイフを構え、半身の姿勢を取った。

 

「アクティベイト」

 

 だがその起句に、隼人とリーナは驚愕することとなる。

 ブルーノの声によって浮かび上がったナイフは四本。何れも、リーナが先程使用したナイフだった。

 

「ダンシング・ブレイズ」

 

 刃の切っ先が、全てリーナに向いたのを、隼人は放たれる直前に視た。

 リーナは自身の魔法を模倣された衝撃で動くことができていない。このままでは、容易くナイフに切り刻まれてしまうだろう。

 走る。魔法だけでは既に手遅れ。そう判断を下して、隼人は左腿に取り付けていたホルスターから、ベレッタを抜きはなった。

 狙うは弾速が最も速いナイフ。あれのみが、隼人が駆けつけるまでに間に合わずリーナの体に突き刺さる。

 

 だが只の銃弾ではナイフに当たる前にその切っ先はリーナを貫く。

 

 故に、隼人は射出した弾丸に加速魔法を付与した。

 狙い通り、発射の反動が腕に伝わった時には、既に弾丸はナイフを弾き飛ばしていた。

 

「間に合う……!」

 

 最速のナイフを弾いた事により、隼人は残る三本のナイフがリーナを貫く前にその身を間に捩込む事に成功した。

 すぐ様向き直り、右手に握ったナイフを一閃する。

 

「ぐっ…!」

 

 一本目をナイフで弾くが、直後の二本目は迎撃が間に合わず左足に突き刺さった。それでも、顔目掛けて飛翔する最後のナイフを左手で掴み取って、なんとか防ぎきることに成功する。

 

「やるじゃないか。だが、もう時間だ。また会おう、九十九隼人、アンジー・シリウス」

 

 ブルーノの声が聞こえた時には、既に空間跳躍魔法は完成していた。空間が捻じ曲がり、二人の姿は、その場から消え失せていた。

 

 

 

「く…!」

 

「ハヤト!」

 

 崩れ落ちた隼人を、なんとか受け止める。

 

「リーナ、ごめん…」

 

「別にいいわよ。それより…!」

 

 リーナはナイフが突き刺さった隼人の左足を見た。

 かなり深々と突き刺さっているのを見るに、まともに食らってしまったのだろう。

 

「いっ、ててててて!」

 

 そんな事を思って目を離している隙に、なんと隼人は根元まで突き刺さっているナイフを一息に引き抜いていた。

 噴水の如く巻き上がる血に、何をしているのかと急いで自分の服の袖を引き裂いた。

 引き裂いた布を、手際よく傷口に当てて結わいていく。

 

「ここじゃ、応急処置しかできないわね。取り敢えず帰るわよ、ハヤト。話をするのも、治療をするのもその後よ」

 

「……仰せのままに、っいててて」

 

 最後の二人は逃してしまったが、当初の目的である支部の掃討は完了している。もうこの建物に止まっている理由はない。

 立ち上がれない隼人に肩を貸す。

 

 さてどうやって帰ろうかと思案するリーナであった。

 

 

 

ーーto be continuedーー




なんとあのポンコツ美少女が出番を先取り! というか、あの子のポンコツ具合をうまく表現できていない気がするんですよね。精進しなければ……

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