――ぽつり、ぽつりと雨が降り始めていた。
「雨か……はあ」
雨の日は憂鬱だ。小さく溜め息をつきながら、ささっと急いで洗濯物を取り込む。
季節はすっかり梅雨。ここ一週間天候が悪く只でさえ乾きにくいのに、洗濯したばかりの物が濡れてしまっては堪らない。
「今日は晴れると思ったんだけどな…クソッ」
朝の天気予報士の顔を思い出し、独り悪態をつく。黒縁眼鏡を掛けたその予報士は、自信満々の表情で「今日の○○地方は、久しぶりの快晴となります」などと言っていたのだ。
「ったく、金を貰ってるんだからしっかり予報しろっての…クソッ……おっと」
思わず漏れてしまった二度目の「クソッ」に、はっと我に返る。我が
「あ。そう言えば、
雨足は先程より激しくなっている。気になって玄関先へと向かうと、そこには案の定の
しばしの思案の後、時計を見る。時刻は16時を過ぎたところ。
「……まあ、しょうがないか」
数分後、俺は我が住処であるボロアパートを出て、“彼女”の元へと向かった。
*
――俺が予想していた通りだった。
学校の昇降口でただ独り。俺の同居人である“
ここは彼女が通う小学校。児童のほとんどは雨が激しくなる前に帰ったらしく、既にまばらになっている。
俺が立っている場所から昇降口まで約50メートルといった所であるが、彼女はまだ俺に気付いていない様子だ。まあ彼女の今の思いは「雨がいつ止むか」に集約されているのであろう、仕方が無い。
そうは言っても、このまま気付かれないのも悲しいので、声を掛けることにする。
「おーい、択捉っ!!」
「し、司令!? す、すぐに参ります!」
俺の顔を見て、昇降口から勢いよく俺に向かって走り出る択捉。校舎外に出て雨に濡れるその頭の上にあわてて持ってきた傘を被せる。
一週間前に買ったばかりの小さなピンク色の傘は、択捉の身体を雨から覆い隠したものの彼女はすっかり濡れてしまった。
やれやれ、せっかく択捉がずぶ濡れにならないように迎えに来たのに、これでは何の意味も無い。
……と、俺がそんな事を考えていると。
真剣そうな択捉の瞳がじっと俺を見ていた。
「――まさか、緊急案件でしょうか!?」
「え」
「司令が私をわざわざ迎えに来るのです。出撃ですか? 深海棲艦が再び……」
「いやいや、落ち着け。択捉」
「……雨が降り出したからさ。午後からずっと雨だってテレビで言ってたんで、迎えに来ただけなんだ」
きょとん、とした表情で俺を見つめる択捉。
「……司令が、私を……迎えに?」
*
世界の存亡をかけた、深海棲艦と人類との戦争が終わったのは約一年前のことだ。
泥沼化した戦争の幕引きを担ったのは、嘗ての軍艦の魂を宿し艤装を背負う“
戦後の彼女達は、ある者はそのまま軍に所属し、ある者はそのまま引退し提督の妻となった者や事業を始めた者……変わった例としては芸能事務所を設立しアイドルとして芸能界に殴りこんだ者もいる。
――問題は、海防艦や駆逐艦だ。
駆逐艦はともかく海防艦は更に幼い少女の姿をしている。まさに“保護者”が必要な年齢である。
軍も当初は数百人を収容可能な“保護施設”を造ろうとしたが、主に女性議員を中心とした反対意見を受けた。
保護施設とは何事か、と。深海棲艦と戦ってくれた彼女達に教育の機会を与え、社会へと羽ばたかせるのが我々銃後の役目では無いかと。
こうして全てはひっくり返った。多くの会議が開かれ、様々な有識者が議論を交わし、艦娘を穏やかに社会に復帰させるべく政治は動き出した。
やがてそれは“艦娘社会更生プログラム”と名づけられた。
*
――択捉は、そんな
「失礼します! こちらは元海軍少佐『―――』様のご自宅でしょうか!?」
「……は?」
俺を見上げる少女は、綺麗な赤い髪で大きな瞳をきらきらと輝かせていた。
「“艦娘社会更生プログラム”にてこちらにやってきました」
暖かな春の日に、択捉は一人でやって来た。
「ふつつかものですが、よろしくお願いします! 司令!」
そう言って、択捉は可愛く敬礼をした。
……その姿をアパートの住人に見られて、あらぬ誤解を受けてしまったのは別の話だ。
*
それからあっと言う間に三ヶ月余りが過ぎた。
択捉の所属する“択捉型海防艦”の艦娘たちは、姿かたちは小学生と遜色が無い。
そんなわけで、彼女も近所の小学校に通うことになった。
姉妹とは離れ離れになってしまったが、これも艦娘社会更生プログラムの一環らしい。
軍人として戦っていた艦娘としての記憶や繋がりを断ち、ただの“人間”として社会に溶け込ませる為の策だそうだ。俺には残酷なやり方だな、とも思うが。
深海棲艦との戦いで負傷して退役した俺の元へ択捉を送ってきたのもそういう理由かららしい。
軍からある程度距離を置いており(実際に俺は軍人時代の旧友とは連絡を取っていなかった)、だが軍とはある程度の繋がりが維持できている人間……俺みたいな退役軍人には絶好の仕事と言う事だそうだ。
*
択捉が来たその日に、男一人暮らしのざっくばらんな生活は終わりを告げた。
つまりは、択捉は少女の姿ながら非常にしっかり者だった。
「司令、洗濯物が溜まってます! 私が洗濯しますね!」
一週間に一度しか洗わなかった洗濯物は毎日洗うようになり。
「司令、カップラーメンだけじゃ身体に悪いです。今日は私が料理を作りますね!」
週6だったカップラーメン生活が、完全に自炊生活となり。(なお択捉にいつも料理を作って貰うのも悪いので、自分で料理をするようにもなった)
「司令、今日は天気が良いので掃除をしましょう!」
小さな部屋ながらゴミで溢れていた俺の住処は、毎日掃除をするようになり小奇麗な部屋になっていた。
全ては、択捉が来てから変わったのだ。いや、変わってしまったのだ。
――今振り返れば、“艦娘社会更生プログラム”が救ったのは艦娘だけでなく……
*
「――司令、ありがとうございます! 択捉、嬉しいです」
俺がここに来た意図を知り、ぱあっと笑顔を見せる択捉。
「――ほら、帰るぞ」
その笑顔に少し恥ずかしくなってぽん、と優しく択捉の頭を触り、呆けている彼女を促す。
「……はい、司令」
択捉はほんわりとした声で、そうつぶやいた。
設定
○主人公(男)
28歳。深海棲艦との戦いで右足を負傷し海軍を退役。
今は新聞配達や夜間警備員の仕事で食いつなぐ日々。
実家には海軍に入ることを反対されたという経緯がある為帰り辛い……という事情があり、一人暮らしを続けている。
人付き合いは苦手で、恋人も無し。
択捉の事は「突然出来た年の離れた妹」だと思っている。
○択捉
択捉型海防艦の艦娘。
艦娘社会更生プログラムの第一期生として、主人公の元へと送り込まれてきた。経過は定期的にモニタリングされており、順調に進んでいる事が確認され次第、第二期生のプログラムが開始される予定。
お姉さんの一番艦らしく元気で素直なしっかり者であり、男の一人暮らしらしいガサツな主人公の生活態度を僅か一週間で改めるに至った。
家事は艦娘時代と更正プログラムの一環で学んでおり、何でもこなせる優等生。高い場所等背が届かない箇所を掃除する場合は主人公の助けを借りたりするが、それ以外は大抵の事に困らない。
主人公の事を純粋に慕っている。