見知らぬ男が部屋で待ち構えていた。イルーゾォと名乗るその男は
暗殺チームの新入りであり、スタンド能力を試すために
ホルマジオに決闘を挑んできた――
ホルマジオとイルーゾォの対決を主題にした短編です。
ほぼ戦闘シーンのみで構成されています。
基本的には原作の描写に準拠するように書くように心がけましたが、アニメでの
描写を参照していることをここに付記しておきます。スタンド能力に関する解釈も
原作から可能な限り逸脱しないようにしていますが、一部独自解釈が含まれています。
.1
雨の日の午後だった。
買い物を終えて帰宅したホルマジオがマンションの自室のドアを開けた時、違和感は鼻先に漂った。
異臭ともいえぬ、普段とはかすかに異なる匂い――
ドアは開くに任せ、ホルマジオは玄関脇の外壁に背を押しつけた。持っていた傘の雫を振って落としながら、首だけを突き出し、中の様子をうかがった。
玄関には何もなかった
照明がついていないので、廊下は屋外より暗かった。廊下から通じるドア――トイレ、寝室、書斎――で眼が止まった。これ見よがしに閉めたはずの書斎のドアだけが開け放たれていた。
ホルマジオはスーパーの買い物袋に手を突っ込むと、中の品物を検めた。酒瓶やジュースの缶を除けて、煙草を見つけた。袋から取り出すと銜えて火を点けた。煙を吹かしながら玄関のドアを確認し、鍵穴に触れた。
唇の端が焦げるまで短くなった煙草を捨てたとき、ふと声が漏れた。
「しょうがねーなぁ~~……」
やれやれと首を振り、短く刈り込んだ髪の水気を手のひらで拭った。
「……コソ泥が入り込んでもう逃げたとかならよォ……探しだしてブッ殺せば済むが――――」
ホルマジオは買い物袋をその場に放るとためらわず、中へと踏み入った。
わざと足音を立てて、廊下を移動していく――その傍には、いつの間にか奇怪な像が現れていた。
像は小柄な人型だ。
「オレを待ち構えてるヤツとかだったらよォ~、オレの部屋で始末しなきゃならねえじゃねえか…………」
廊下を進み、書斎の入り口の前に立った。
部屋に面した窓は日除けのブラインドが下ろされたままで、室内も影の中に沈んでいた。窓に面した大型のデスクや、その隣に据えられた小卓やサイドボード、部屋の左の壁一面を覆う大型の本棚、卓上ライターと灰皿を置いた小さなテーブル……すべてが暗い影に縁どられていた。
そして……その人物はソファに掛けていた。
デスク上のPCの側を向いており、ソファの背もたれに隠れているため、見えているのは頭頂部だけだった。黒い髪をしている……それだけが判った。
「おいおい……ずいぶんとよぉ、堂々と待ち構えてくれてるじゃあねえか。まさか逃げきれねえからって、居座るつもりかぁ?」
「オレが座っているのは――」
男の声だった。
「おまえを待っていたからさ……必要だから座っているんだ」
男はPCが置かれたデスクを強く蹴ると、その勢いでソファごと身を翻し、ホルマジオに振り返った。
男は痩せ気味の鋭利な顔をしていた。皮肉な口元に冷たい眼。長く伸ばした髪をいくつかの房に分けて結んでいる。脚を大きく組んでリラックスした座り姿。椅子の肘掛けに肘を置いた両手は、指先を合わせて三角形を作っていた。
ホルマジオとの距離は3メートルほど――『リトル・フィート』の射程距離には、わずかに遠い。後ろ手で書斎のドアを閉めると、油断なく男の周囲を見た。武器のようなものは持っておらず、周囲にもない。服に不自然な膨らみもなく、何かを隠し持っているわけでもないようだ。
「まるで一人暮らしの女だな、ホルマジオ」男は高慢な口調で言った。
「……武器になるものがないから、傘を持ってわざわざ入ってきたってわけだ……」
ホルマジオは確かに傘を持っていた。男の言葉を意に介さず、傘の石突を突きつけた。
「オメーがよぉ、どこの誰だか知らねえが……訂正しろ。入ってきたじゃあねえ……帰ってきた、だ。ここはオレの部屋でよぉ~、オメーは居直った侵入者だ。ナニされても文句言えねえってのは理解してるのか? してんのかよ? ああッ!」
ホルマジオの威嚇に、男は両手を降参したように挙げた。
「どこの誰じゃあないな……オレの名はイルーゾォ。ポルポの試験に合格し、暗殺チームに入った」
イルーゾォはゆっくりとした動きで服の胸元に手をやると、光る何かを取り出した。小さな金属製のバッジ――
一瞬、傘が震えたが……ホルマジオは黙って傘を構え続けた。イルーゾォも話し続けた。
「いわば新入りってとこだが……ひとつ興味があってな」
「なんだ? 新入りだからご丁寧に先輩のオレにアイサツに来たのか?」
「違うな。スタンド使いってヤツにだよ」
鋲が打たれた黒革の衣装をまとった人型。ゴーグルめいた眼と鳥のくちばしを思わせる口。
眼を凝らすと人型の向こうの風景が透けて見えた。イルーゾォのスタンドだ。
「『マン・イン・ザ・ミラー』……オレはそう名付けて呼んでいる。自分で言うのもなんだが、その気になりゃあ誰にも負けない能力だ。だが、何事にも実地で試すってのが必要だろう? どんなスーパーカーだって全開の性能を引き出すためには慣らし運転が必要だ。その相手に……ホルマジオ、おまえを選んだのさ」
「ずいぶんと自信があるみてえじゃねえか。…………リゾットか? 許可を出したのはリゾットなんだな?」
「そのとおりだ。チーム内でも、適当な相手が誰かいないか聞いたら、おまえをすすめられたのさ。おまえ程度なら、練習台にちょうどいいってことさ。何があっても責任はリゾットがとる……とおまえに伝えろとも言われた」
ホルマジオは一瞬虚を突かれたような顔をした。それからうなじのあたりの掴むように撫でて、汗を拭った。数瞬の間をおいて……溜息と共に呟いた。
「……しょうがねえなあ~~ッ。リゾットから許可もらってるならよぉ、ちゃんとやらねえとなぁ~」
「そのとおりだホルマジオ。ちゃんと練習台になってもらわないと――」
「オメー、勘違いしてんじゃあねえぞ」
「…………」
ホルマジオの眼が、乾いた色を帯びていた。
怒りでなく蔑みでなく、無機質な意思を示す、
その変化に気圧されたイルーゾォの隙を縫って、澱みのない自然な動きで進み――イルーゾォをスタンドの射程に収めた。
「リゾットがオレならいいって許可出したのはよぉ……オレなら殺すまではいかねえからだぜ。他の仲間ならオマエなんか躊躇なく殺すッ! だが、安心しなッ! オレは優しいからよォォ――――ッ」
傘の石突がイルーゾォの顔に突き出された。同時にバサン、という音を立てて傘が開いた。突きつけられた傘にイルーゾォの視界が一瞬塞がれ――――
「
「……ッ! 攻撃しろ『マン・イン・ザ・ミラー』ッ!」
風を切る音を立てて、『マン・イン・ザ・ミラー』が突きを放った。拳は開いた傘を叩いて、撥ね飛ばし、ホルマジオの背後にあった本棚に打ち込まれる。
突きの衝撃を受けて、本棚に収まっていた本がバラバラと床に落ちる――が、
「……バカな、傘を開くような一瞬だぞ……眼を離したわけじゃあない、いまオレの正面にいたっていうのに……」
イルーゾォの視界が傘で覆われて見失ったほんの一瞬で、ホルマジオの姿が消えた。
「……これがホルマジオの能力か? 姿を消せるスタンドとでも……」
椅子に掛けたまま、イルーゾォは部屋の中を見渡した。やはりホルマジオの姿はない。
『マン・イン・ザ・ミラー』にはいつでも迎撃出来るように構えさせたが、姿が見えないなら攻撃のしようがない。
「クソ! 見えないならオレの『マン・イン・ザ・ミラー』じゃ――」
「――オメーのスタンドがどうしたって?」
ホルマジオの声に、イルーゾォは振り返った。瞬間、痛みが鼻先で弾けた。
「ぶがぁッ」
素手の一撃――ホルマジオはいつの間にか椅子の後ろに立ち、無防備なイルーゾォの顔面に拳を叩き込んだ。
椅子から転げ落ちたイルーゾォは書棚にぶつかり、その衝撃で落ちた本が、床にさらに散乱した。
「最初の一発で終わったらつまんねえからよぉ~ッ、手加減してやったぜッ!」
「て、てめえ、どうやってオレの背後に回り込みやがった!」
「わかんねえか? ちっともわかんねえか? ……わかんねえだろうなぁ~~ッ! 理解したときにはよぉ~~ッ、オメーはもうおしまいだぜッ」
ホルマジオの傍に立つスタンドが天を仰ぐように背首を逸らし、両腕を大きく広げた。その指先にきらめく刃の輝きがイルーゾォの眼を射る――
「切り刻めッ! 『リトル・フィート』ッ」
キンという澄んだ音。ブシュっという水っぽい音。
同時に響いた異音にホルマジオは違和感を覚えるが、眼前の光景がその答えだった。
イルーゾォは伸ばした両手で、椅子の背もたれに立て掛けていた長方形の板に手を伸ばしていた。どうやらイルーゾォは座る自分の身体で、その板を椅子に隠していたようだ。それを咄嗟に『リトル・フィート』にかざし、防御の盾にするつもりだったようだが――
「クソッ! この野郎、オレの腕をォォ――ッ」
イルーゾォの叫び。
澄んだ音は刃が板を打った音。水っぽい音は刃を受けたイルーゾォの手が裂かれて血の噴き出した音だ。
噴き出す血こそは派手だが、入りが浅いのはホルマジオ自身が一番理解している。しかし、会心の笑みは隠し『リトル・フィート』がさらなる追撃を仕掛けた。
かざされた板を跳び越えさせて、イルーゾォの顔に一撃を加える狙いだ。相手を近距離パワー型と見ての、眼への攻撃だった。失明に至らなくても、視力を奪えるだけで十分に足りる。
だが、イルーゾォは身動きせず、板を盾にしたままだった。スタンド像すら傍らにいない。
不敵な笑みを浮かべ、かわそうともしない。いや、板を抱き寄せるように、胸に近づけていた。
「そんな板っきれ一つでよォォォ――ッ、かわしきれると思うなッ! くらわせてやれッ!」
「――――」
『リトル・フィート』の斬撃を、イルーゾォは後ろに倒れこむようにしてかわさんとした。だが、獣の敏捷さを持つ『リトル・フィート』に対して、いかにも遅い――と、見えた次の瞬間だった
パタリ、という音を立てて板が床に倒れこむ――『リトル・フィート』の刃は空を切り――イルーゾォの姿が消えていた。
床に着地した『リトル・フィート』をホルマジオは即座に引き戻した。
数瞬の間、ホルマジオは待った。
倒れこんだ板はそのままで、動きもしない。警戒を解かないまま、板を注視した。
「…………野郎が何か隠してたってのは予測してた。たったいま見失ったこのオレを探してる最中だってのに、エラそーにふんぞり返って椅子から立ちあがりもしねーってのには理由があるってな。罠だと思ったんだが……クソ。消えられる能力……ってだけじゃあねえだろうなぁ~~ッ」
ホルマジオはゆっくりと回り込むと、足を板の上に置いた。
板は長方形で灰色だ。斬りつけた感触と音からすると、木のような柔らかい素材ではない。だが、金属とも違うようだ。
(ヤツはコソ泥みてーに家の鍵をぶっ壊したりこじ開けたりして入ってきたワケじゃねー。鍵穴をいじった痕跡はなかったからな……『消えられる能力』……と考えるより、『出入りできる能力』と考えるべきか? その能力を使って侵入したし、逃げることも出来る。となるとよぉ……この板が出入りに必要な道具の可能性があるぜ)
ホルマジオが置いた足に体重をかけると、ビシリと鋭い音が響いた。
「なに? 割れるだと」
爪先で踏みつけた個所から、放射線状のヒビ割れが走っている。
硬くとも脆く、わずかに力を入れるだけでこんなに容易くヒビが入る代物――これはガラスだ。
ホルマジオは『リトル・フィート』に砕けた破片を一つ拾い上げさせた。
手のひらほどの大きさの灰色の欠片をひっくり返すと、反射した光がホルマジオの顔を照らした。ただのガラスではない。
「わざわざ鏡を持ち込んだのか? オレが一人暮らしの女っていうならよぉ、ヤツは自意識過剰の女だぜ。まさかテメエの顔をデカい鏡で眺めてえってワケでもねえならな……」
鏡の破片を確認するが、何の変哲もないただの鏡だ。ブラインドの隙間越しに射し込むわずかな光を受けてきらめき、覗き込むホルマジオの顔を映している。
爪先で砕けた鏡の破片をいくつかひっくり返してみるが、裏にイルーゾォが隠れている、ということもない。
「……………野郎、逃げやがったか? 出入り自在っていうなら、逃げるのも自在だろうしな……」
(こーいうのを希望的観測っつーのか? だが、わざわざここに閉じこもってやる理由もねえ。部屋を片づけるのはあとで出来ることだぜ。野郎がまだ
ホルマジオは部屋の外に通じるドアに目を向けた――時だった。
「が、フッ」
ミシミシと首の骨が軋む音――首に強烈な圧力――締め上げられている――掴まれている!
(なッ、なんだッ! ナニがオレの首を掴んでるッ!)
『リトル・フィート』の持つ鏡から、スタンドの腕が伸びている。先ほど見たイルーゾォのスタンドの腕だ。
引きずり込まれる。まるで吊り上げられた魚。鏡は水面。引きずられるままに冷たい鏡面に叩きつけられたと思うと――
「ようこそだぜ、ホルマジオ……」
イルーゾォの声が、響いた。
固体のはずの鏡を突き抜けた。ホルマジオは引きずり込まれた勢いのままに床に転がり、頭をしたたかに打ちつけた。更には床に落ちていた鏡の破片が突き刺さり、ドアのある壁にまで叩きつけられる。
「ッぐォォ――ッ!」
痛みに眩む眼を見開き、冷静に状況を把握する――いつのまにかイルーゾォが部屋の中に現れていた。高慢に腕を組み、繊細な形の顎をツンと反らして、床に転がったホルマジオを見下ろしている。
「……オレの部屋でようこそとは言うじゃあねえか。すっかり勝ったつもりかよ」
悪態をつくホルマジオ。即座には立ち上がらない。片膝をつき、両手で床に触れた姿勢で見上げた。
互いの距離は三メートル。『リトル・フィート』の射程距離にはわずかに遠い――
「ここがおまえの部屋? ……違うなあ、ホルマジオ――」
「言ってやがれッ」
ホルマジオは吠えると同時に床を強く蹴った。
両手を床についた姿勢――クラウチングスタートのポジションから、低い姿勢でイルーゾォにタックルを仕掛ける狙いだ。倒してマウントをとり、発現した『リトル・フィート』で攻撃を加える。ついでに武器にするため床に落ちていた鏡の欠片を拾おうとした。
違和感は指先から走った。
(……なに?)
鏡を拾い上げんとしたが――
一瞬生じた動揺を、イルーゾォは見逃さなかった。
「鏡を拾う気か? 抜け目ねーじゃあねーか」
下から掬いあげるような蹴り! 『マン・イン・ザ・ミラー』の尖った爪先がホルマジオの顎の先をとらえた。歯と歯がかちあい、脳が揺さぶられる。咄嗟にスタンドを盾にせんとしたが――
「――なにィーッ! 『リトル・フィート』が出ねえだとッ」
スタンドが発現されない。いや、発現した感覚はある。だが、現れない。
(この現象――いや、それだけじゃあねえ。おかしいぞ……この部屋――オレの部屋じゃあねえッ)
部屋の内装の位置がおかしい――左右が逆だ。本棚も、デスクの上のパソコンの位置も、サイドボードもすべてが逆の位置になっている。イルーゾォが自慢げに笑った。
「気づいたみたいだな……おまえがいるのはオレのスタンドの作り出した『鏡の世界』だ」
動揺している間にイルーゾォから間合いを詰めてきた。『マン・イン・ザ・ミラー』が足を振り上げる。
「この世界にはオレが許可したモノだけが出入りできる。おまえのスタンドは鏡の外に置いてきた! そしてここにあるモノを動かせるのはオレだけだッ!」
『マン・イン・ザ・ミラー』のストンピング! 蹴りの雨がホルマジオに降りそそぐ!
「おまえがそんなに風に伏せているのはッ! オレに踏みつけられて叩きのめされるためだッ!」
「うッ、ぐッ! がッあああああアアアァァァ――ッ!」
咄嗟にホルマジオは身体を丸めた。両腕で頭を庇い、急所へのダメージだけは防ごうとする。
(イデえ! メチャクチャ痛いッ! ……こいつのスタンド……破壊力はそれほどじゃあねえ。だが、ここはヤツのスタンドの世界で、オレには身を守る方法がねーってのがヤバいッ! ネコがくわえてきたネズミをナブって殺すみてーに! このまま一方的にやられちまうぞッ!)
ホルマジオは抱えた頭を床に押しつけるようにして、床を確認した。
(あるはずだッ! さっきブチ割った鏡が落ちて――)
鏡を覗きこむと、『リトル・フィート』が写り込んでいた。どうやら『鏡の世界』とはウソではないようだ。『リトル・フィート』を意識すると、鏡越しに動かすことは出来た。
「どうした、ホルマジオ? ……どーした? どぉぉ~~~した? そのままなにも出来ねーままやられちまうのか?
蹴りの乱打で打たれた肋骨が軋んで、切れた口の中から血が滴る。痛みに耐えて『リトル・フィート』を動かし、鏡の外で鏡の破片を一つ回収させた。
「うりゃあああ――ッ!」
『マン・イン・ザ・ミラー』が思いきり脚を振り上げて、蹴りを放った。
ボールのように蹴り転がされたホルマジオは再度壁に叩きつけられる。身体がひっくり返り、庇っていた頭と腹が露わになった。
「しぶといな、ホルマジオ……」
イルーゾォは靴底をホルマジオの腹に押しつけて、汚れをなすりつけるようにしていびった。
蔑む眼差しをイルーゾォはホルマジオに送ったが……相手は不敵な笑みを浮かべていた。
「どうした? ……疲れて休憩の時間か……?」
踏みつけてくる足を押しのけながら、ホルマジオは小卓を指した。
「煙草を喫りたいんならよォ~~、ライターはそこだぜ。灰を絨毯に落とすんじゃあねえぞ」
「……フン。さすがギャングだな。傷ついても動じない。一方的に叩きのめされても精神が折れたりはしない。……少しだが、おまえに対して尊敬の気持ちが湧いてきたよ。ホンのちょっぴりだが……本当だ……ウソじゃあない。……だがな」
『マン・イン・ザ・ミラー』が再度足を振り上げる。今度は思い切り踏みつけるための溜めの構えだ。
「どてっぱらにキツイ一発を叩き込まれても! そんな顔をしていられるかッ!」
「――――」
ホルマジオの返答は――親指で弾いて返された。
「――――やるよ。煙草は吸わないんならよォ~」
指弾の要領で弾き飛ばされたそれは、イルーゾォの顔にめがけて飛んできた。
ボトルの形――ビンを模したチョコレートほどの大きさとイルーゾォには見えた――が……
「…………酒ならどうだ?」
一瞬! ワインボトルのサイズへと一気に大きくなった!
突然の変化にイルーゾォは驚愕した。眼前にまで迫ったボトル――命中は不可避!
「うおおおッ! 『マン・イン・ザ・ミラー』ッ! ガードしろッ!」
咄嗟に『マン・イン・ザ・ミラー』が拳を振るった。
正面から拳を叩きつけて、軌道を逸らすのが精いっぱいだ。硬い瓶の底がイルーゾォの頭の横を掠めた。
バン、と背後で叩きつけられたボトルの爆ぜる音。
しかし、イルーゾォは振り返らない。ホルマジオの姿がまた――
「…………また、消えた。この、短い瞬間に見失うはずが……それにボトルが『大きく』……?」
背後を見ると、割れたボトルの破片が飛び散り、壁にワインのシミが血痕のように残っている。
「いや、
(ようやく気付いたか……もう遅ェがな――)
ホルマジオはほくそ笑み、『リトル・フィート』に鏡を掲げさせた。最初の一撃を入れた時、能力によって小さくなっていた鏡だ。鏡越しに鏡の外を確認しながら、移動する。
本の陰から本の陰へ。見渡すイルーゾォの視線をかいくぐりながら、視界の外へと移動する。
ホルマジオの身の丈はもはや鼠ほどもない。ワインボトルを小さくして隠したように、今度は自分の身を小さくして隠した。頭上を見れば、天井ははるか高く、霞むほどに遠く見えた。イルーゾォも巨人のように見える。生物の本能めいた恐怖感がわずかに内心に生じるが……それはあえて浮かべる笑みで殺した。
確かに恐怖だ。この状況、イルーゾォの能力下にある危険な状況――だが、それも今だけの話。
(棚の本をぶちまけてくれたのは幸運だったぜ……小さくなって隠れられる物陰がいくつもあるってことだからな……そして野郎は気づいてねえみてーだが……おしまいなのはオレじゃあねえ。オレの能力に落ちたオメーの方だぜ、イルーゾォ!)
.2
――――雨音ばかりがひどくうるさかった。
室内の小卓やソファを壁際まで蹴り飛ばしたのは、ホルマジオを探すため――とは言いきれなかった。敵の姿を捉えられないイラだちや焦燥を紛らわしたい気持ちが少なからずあった。
イルーゾォは額に滲んだ汗を拭った。ホルマジオとの戦いが始まって、まだ数分も経っていない。
(スタンドパワーをだいぶ消耗したらしい……オレの『マン・イン・ザ・ミラー』――鏡の世界を作り出して引きずり込む能力は、強力だがエネルギーを多く使うせいで、スタンド自体の破壊力は人間と大して変わらない……そういう特徴があるようだ。現にホルマジオを仕留めきれなかった……)
イルーゾォは学習しつつあった。自分で望んだこととはいえ、スタンド使いとの戦闘はこれが初めてだ。
敵の『リトル・フィート』はひどく敏捷だ。破壊力はせいぜい小型の獰猛な獣ぐらいだが、獣よろしく鋭利な爪のような刃がある。
イルーゾォは無意識にさきほど斬られた傷をなぞった。思ったより深くはない。出血は止まっていた。
「あのスタンド……『小さくなれる能力』……本体自身や他の物質も小さくできる……ビンは最初から小さくして隠し持っていた。最初から持っているのなら服と同じ、自分の一部として扱われるからな……先ほど消えたときも同じように、自分を小さくして姿を隠した……ということか」
(いまの状況は悪くはない。身体を小さくしたホルマジオからは仕掛けられない……だが、あいつは小さくしたモノは即座に元にもどせる。ビンを元の大きさにしてぶつけたみてーに、もどすパワーを使って攻撃を仕掛けることが出来る。ヤツのスタンドは鏡の外にいるわけだからな……)
イルーゾォは視線を室内に走らせながら、状況を把握した。
鏡の中では内装の配置が左右逆転になる。本棚を見上げ、サイドボードを確認し、じりじりと窓際のデスクに後退した。対面の出入り口のドアがある壁には、蹴り飛ばされた小卓やソファがある。床にはぶちまけられて散乱した本やビン、灰皿や卓上ライターが転がっている。
「ン……?」
イルーゾォは違和感を覚えながら、床に落ちている鏡の破片を両手に一つずつ拾い上げる。掌大の大きさを掴み上げるがやけに大きく感じられて、少し手に余った。
(ヤツはどこまで小さくなれる? ――虫ぐらいか? ネズミぐらいか? いや、サイズを考えても仕方がない。ヤツは小さい……だから、どこにでも隠れられる。だが、ここはオレの『鏡の世界』。ヤツが最初から持っているモノしか動かせない。攻撃の手段は限られている。問題は……オレがヤツを探知する方法がないことだ。小さいから眼で捉えることは不可能だ。それなら……音――は……)
イルーゾォは耳を澄ませた――――――が。
雨粒が窓を叩き、屋根を叩き、どこか遠くの地面を叩き、連れ立って荒れ狂う風の音が、他の音をかき消している。イルーゾォは舌打ちした。
(そうでなくともヤツは小さいんだ。足音だって小さい。ネズミの足音を聞きつけろ……ってのか? ムリな話だぜ……オレは追い込まれてる。ヤツを捉えることが出来ないのなら……)
デスクに背中が当たった。その感触に、イルーゾォは違和感を覚えた。
「…………なんだ? このデスク……やけに『高い』ぞ?」
当たったのは背中だ――腰の高さではない。ふと頭上を見上げ、本棚を見て……手を伸ばした――。
「おかしいぞ……何かがおかしい……」
手を伸ばしても……棚の最上段に届かない。この高さなら、届いているはずだ。なのに届かない。
「……ハッ!」
イルーゾォは息を呑んだ。鏡を掴んだままの手――掌大の大きさを選んだはずだ。しかし、今では手の中に納まらないほどに大きい。そして、少しだが重く感じられる。力すらも衰えている。
そして、鏡を掴んだ手には『リトル・フィート』に斬りつけられた傷が残っていた――
「…………まさか、ヤツはッ! すでにオレを小さくする能力をしかけていたのかッ!」
イルーゾォは反射的にデスクの上に乗った。高い位置を取り、部屋を見渡してホルマジオを探す。
(この状況はマズいッ! オレは小さくなりつつある……ヤツは小さくなって隠れているが、オレからは攻撃はしかけられない……ホルマジオは待っていやがるんだ……オレが無力になる大きさまで縮むのを……そうなっちまえば、たとえ『鏡の世界』でも、本体自身で攻撃をしかけられるッ! それだけはマズいッ!)
焦燥感ばかりが募る――しかし、ホルマジオがどこに隠れているのか判らない。
一瞬、逃げることも考えた。しかし、小さくする能力から逃れられるとは限らない。
(ヤツはいまオレよりも小さい……虫けらやネズミレベルなら隙間や物陰には隠れられる。だが、ドアノブには届かねえッ! 外でスタンドを動かせば開けられるかもしれねーが、それにだって大きさをもどす必要がある……ヤツがここから逃げ出すことはないはずなんだッ)
思考を集中させようとするが、窓を叩く雨音がノイズのように響き、イルーゾォをいらだたせた。
自分の手を見れば、僅かずつだが縮んでいくのが解る。
「…………マズいぞ。早く能力を解除させなければ……」
(急がなきゃならない――『マン・イン・ザ・ミラー』も同時に縮んでいる。小さくなればなるほど、スタンドのパワーも衰えていく……考えろッ! 時間が経てば経つほど、打てる手は減っていくッ)
ホルマジオを探す――見渡しながらドアが眼に入る。ドアはしっかりと閉じられていた。よく見ればドアの扉板と床の間はわずかな隙間がある。しかしそれもごく細い隙間で指どころか、ネズミの鼻先も突っ込めないような狭さだ。それこそアリならば這い出られる隙間だろう。あとはイルーゾォが背にした窓しか出入り口はない。
ヤツはおそらく逃げない。無力になるまで小さくなったイルーゾォを、元の大きさに戻ったホルマジオ本体で直接しとめるつもりだろう。
(ヤツに……ホルマジオに勝つ――それは決定されたことだ。……探知するだとか逃げるだとかそんなつまらない考え方はするなッ! ヤツを詰みに追い込む……その一手を考え出せッ!)
デスクの上に立ちながら、床に転がっていた、卓上ライターを見た。
(『火を点ける』か? 都合よく燃えやすい本が散らばってるぞ。…………いや、ダメだ。火は燃え広がるまで時間がかかる。それに狭い部屋の中だ……煙で視界が利かなくなるし、オレにも危険が及ぶ……)
イルーゾォは額の汗を手の甲でぬぐった。
拭った汗をズボンで拭う前に、ふと眺める。汗の粒で濡れた手の甲――――
(『濡れている』……『濡れる』……『水』――)
イルーゾォはデスクの上を後ずさり、視線を室内から離さないまま、背中を窓に押しつけた。
窓はシャッターで覆われているが、指先を掛けて、ブラインドの隙間を広げた。
窓の内は結露、外は降雨で、両面ともに水滴が浮いていた。雨足はさらに強くなって、外の風景が霞みがかって見えた。
「『マン・イン・ザ・ミラー』ッ!」
『マン・イン・ザ・ミラー』が拳を窓に叩き込んだ。ブラインドのスラットを貫き、窓ガラスを叩き割る。砕け散ったガラスが窓の外に落ち、割れた箇所から風雨が吹き込んでくる。荒々しい音を立てて吹き寄せる雨風に顔を濡らしながら、イルーゾォは窓の外へと首を突き出した
窓はマンションの垂直な壁に面していた。左右をうかがうと、左手の側の壁に目当てのそれが見えた。幸運にも距離はごく近い。イルーゾォは唇をなめて、身を乗り出した。
「見つけたぞ……火は使えねーが、こいつならッ」
窓の穴から『マン・イン・ザ・ミラー』を放ち、しがみつかせる。薄いトタンとはいえ金属で出来たそれを、パワーが減じつつある『マン・イン・ザ・ミラー』で破壊するのは容易ではない。プロレスラーがベアハッグをかけるように、全身の力を懸けて仰け反り、半ばでへし折った。
へし折った勢いのままに曲げて、折った末端を部屋の窓の中に引き込んだ。
「聞いているかホルマジオ……それとも見ているか? いまオレが何をしたと思う?」
凄まじい勢いで部屋の中に流れ込む――『水』が。
イルーゾォは水を注ぎ込むパイプの横に立ち、部屋の中を見渡す。
水が流れ込む勢いはすさまじかった。まるで水道の蛇口をぶっ壊した時のように、怒涛の勢いで注ぎ込まれた。見る間に床を濡らして水たまりになり、部屋の端から端、壁際まで薄く広がって水が張られていく――
「オレはたったいまマンションの雨樋を破壊した。そして雨水を逃すパイプを部屋の中に引き込んだってわけだ……虫ケラぐらいか? ネズミぐらいか? いまの貴様の大きさはわからんが、ちっぽけなサイズになったおまえを……溺れさせるためにだ!」
イルーゾォの体がまた縮む――しかし、水が部屋を満たす勢いのほうが早い。
出入り口の扉は閉じられている。ドア下の隙間はごく細い。水が逃げる量より流れ込む量のほうが多い。そして、水は大量に必要ではない。たとえば鼠程度の大きさの生き物が溺れるほど――あるいは泳ごうとして水音を立てるほど、動いた後の軌跡が残るほどの水量があればいい。
イルーゾォは片膝をつき、『マン・イン・ザ・ミラー』に鏡を渡して構えさせた。
いま乗っているデスクは、本棚を除けばこの部屋では一番高い。
小卓やソファは壁の向こうまで吹っ飛ばし、叩きつけてぶっ壊してある。その際、裏側や陰になる箇所に隠れていないことは確認した。
万が一にも逃げ出すことはないだろう。自分の家に押し入られて、逃げ出すような根性の持ち主ならば、ギャングではない。
「絶体絶命だぞホルマジオ! きさまが素直に負けを認めるというのなら許してやってもいい! この高い位置からなら動きが把握できる……動けば水の音もする! そもそも水に足がとられて満足に走ることもできねーだろうッ!」
イルーゾォは煽る言葉を並べて、隠れているホルマジオを挑発した。
安い挑発に乗る男ではない。だが、いまの状況で何も仕掛けてこない男とも思えない。
ホルマジオは
遅かれ早かれ絶対に
(オレは……冷静だ)
危機にありながら、イルーゾォの意識は磨いた水晶のように澄み渡っていた。
緊張しているが、恐怖はない。恐れることはない――自分には戦う力がある。
『マン・イン・ザ・ミラー』を見た。
黒革の衣装をまとったような人型。自分の精神性の表れであり、戦う意思の現れ。
戦意は今まさに
吹き込んでくる風の音は、破れた窓に背中を押しつけて塞いで消した。
澄ませた耳でかすかな物音でも聞きつけんと備えた。尖りに尖らせた針の視線を縦横に走らせて、微かな動き、水の波紋、水面を走る動きの軌跡を捉えんとする。
イルーゾォは聴覚に意識を集中した。
流れる水の音――落ちて水面を叩く水の音――水を注がれた水面で生じた泡が立てる音――すべてノイズだ。それ以外の音がしないか。イルーゾォは警戒し続けていた。
また体が縮む――今や小学生の子供ぐらいの身の丈しかない。
『マン・イン・ザ・ミラー』も同程度の大きさになったことを考えると、破壊力も低下しているはずだ。
(ならば、尚のこと――次の攻撃に賭ける……ヤツがもどる前なら、子供の力でも虫けらをヒネりつぶすのはむつかしいことじゃねえんだからな……)
イルーゾォは構えて動かなかった。意識は研がれて、刃物のように鋭利になっていた。
だからその音が聞こえたとき――――眼球だけを動かして、水面の波紋を捉えた。
部屋の中央の水面から、何かが突き出た――飛び散る飛沫――金属質の輝き――円筒の形状――
(あれは……『ジュースの缶』だ。オレの意識を逸らすためのブラフッ! ならば次が――)
視線を戻し、正面を見据えて続く音を待ち構える。そして、それは予想の通りに発せられた。
バシャン、と水面が跳ねて、何かが突き出た。
細く長く……イルーゾォには見覚えがあった。先ほどホルマジオが突きつけた傘だ。
水面から突き出た傘の上に視線を向ける。そして、捉えた瞬間――『マン・イン・ザ・ミラー』は持っていた鏡を全身の力を使って、振り回すようにして投げつけた。
肉を切り裂く、濡れた音――――
「……命中だぞ、ホルマジオ」
デスクの上で立て続けに小さな衝突音が響いた。そして、うめく声。
「うぐ、ぐぐ……」
ネズミほどの大きさのホルマジオが、デスクの上でもがいていた。
投げつけた鏡の破片が右脚を掠めて、深く斬りつけられたようだ。大量に出血している。それだけではなく、痛みで脚をかばって受け身が取れず、デスクに叩きつけられたダメージもある。
「『傘を使う』ってのは予想していたんだぜ、ホルマジオ……」
イルーゾォはゆっくりと近づいた。
テーブルの上を流れる水を踏みこえて、『マン・イン・ザ・ミラー』の射程距離にまで移動する。
「さっき床を見たとき、落ちていた傘が消えていたからな。武器にするつもりかもとも考えたが……戻る力でデスクの上に飛び乗る『発射台』として使うとは考えたな……だが、オレの粘り勝ちだぞ」
「――――」
「どうした……? もう強がりを言う気力もないか? それも当然だがな。言っておくがおまえが自分の身体を元の大きさに戻してもムダだぞ。オレはもう一枚鏡を用意してある……そこから元の世界にオレと『マン・イン・ザ・ミラー』だけが戻れば、お前を『鏡の世界』に置き去りに出来る……」
射程内より少し外の位置で、イルーゾォは立ち止まった。
「出血なら即死することはないだろうが……脚が傷ついたんだ。もう満足に動けまい。気を失えばおまえの能力も解除される……ここでおまえが能力を解除するというのなら、おまえを『鏡の世界』から解放してやる。……あぁ! そうだ、忘れていたな……条件がもう一つある。おまえが敗北を認めることだ」
イルーゾォは勝ち誇って胸を張り、顎を上向けた。あと一歩踏み込み、拳を叩きつければホルマジオの意識を断ち切れる――そう考えると、痛いほどに張り詰めていた緊張が少しだけ和らいだ。
濡れネズミのざまで転がって倒れているホルマジオは傷口を強く押さえつけて、止血していた。
だが血は止まらない。諦めたように首を振ると、ゆっくりと口を開いた。
「――――オメーがよぉ、
ホルマジオが傷をかばってゆっくりと立ち上がった。
斬りつけられた脚からは出血が続いている。顔は蒼白でいかにも瀕死の体。だが、いつのまにか不敵な眼差しがよみがえっていた。
ここまで来ても折れない……イルーゾォはこめかみに青筋を膨れ上がらせた。
「勝ち誇るのは勝ってからしろ……
口元に滲む血を拭いながら、ホルマジオはイルーゾォに指を突きつけた。
「殺す前に能書きを垂れて、くだらねえおどしをするのは、そこらのチンピラと変わらねえ――」
イルーゾォは一歩踏み込んだ。デスクの上を流れる水が叩かれ、しぶきが飛ぶ。
「――――オレが……チンピラだとッ! ならば死ねえッ! ホルマジオォォォォ――ッ」
激昂した本体の叫びを受けて、『マン・イン・ザ・ミラー』が足を振り上げた。
手加減なしの踏みつけ――もはや相手が死ぬことなどお構いなしだ。怒りに燃えたイルーゾォは、屈辱を晴らすことしか考えていなかった。
「おまえはもう! おしまいだ!」
踏みつけた足の裏に、硬い感触。
潰した手応え――ではない。
「きさまァ――ッ、まだ悪あがきをする気かッ!」
『マン・イン・ザ・ミラー』が踏みつけたのは炭酸飲料の缶だった。
大きさを戻した缶がホルマジオを押しのけて、位置がずれていた。
踏みつけられた缶は軋み、半ばひしゃげかかっている。それを見たホルマジオが仰け反って笑った。
「なにがおかしい……命が助かってうれしいか?」
「……オレが笑うとするならよォ……狙いどおりにことが運んだからだぜ。オレの狙いは最初からオメーに近づくことじゃあねえ……オレだけが『安全な位置』に移動することだ。オレだけが守られて、オマエだけがバチ食らう……そんな位置。そこまでに近づくにあとちょっとだったんだ……だが、そこにたどりつく前に脚をやられちまった。もう走れねえ……だから――」
踏みつけられている缶が、ピシリという音を立てて
「……小さくなった『リトル・フィート』のパワーじゃあ、たとえアルミ缶でも簡単には切り裂けねえ……だからイルーゾォ……オメーに手伝ってもらうことにしたのさ。上から潰してもらってよォ――ッ! 『リトル・フィート』で斬りつければ! 圧力で切れ目から裂けるッ!」
缶の裂け目から発砲した飲料が噴き出した!
ホルマジオは噴出する飲料を小さな身体で受けて軽々と吹き飛ぶ!
「てめーッ! オレの攻撃を利用してッ! だが……逃げるのがせいぜいだぞッ!」
「そうかな……」
後方へ吹っ飛んだホルマジオはデスクの上の酒瓶にしがみついた。そして、酒瓶の口に小さな身体を滑り込ませて、中に入った。瓶底に着地すると同時に、頭上にペンを放り上げると元のサイズに戻した。ぴったりと酒瓶の口が塞がれて、瓶は密封された。
「ビンの中が『安全な位置』だと……? 小さくなった『マン・イン・ザ・ミラー』でもビンを叩き割るぐらいは出来るんだぞッ!」
「そんなことはねえ。完全に安全だぜ……なんせガラスは
「きさま、なにを言ッ――!」
イルーゾォは足元から突き上げる衝撃を受けた。
ぐらりと身体が傾き、水の張られた床へとそのまま転がった。
溺れるのを恐れて、反射的にイルーゾォは立ち上がった。そこで気づいた――『視点が高い』。身体の大きさがもどっている。
「見晴らしはいいかよ、イルーゾォ……」
同じくデスクから落ちたホルマジオは、瓶の中に入ったままだ。水面を浮かんでいる。
「オレはオマエが待ち構えている隙に、『リトル・フィート』に二つのモノを小さくさせた。一つはオマエの乗っていたデスク……少しずつ小さくなってるから気づかなかったんだろうがよォ~~~ッ、元に戻せば瞬間の衝撃で、乗ってるモノは落ちるッ! いきなりオマエも元の大きさに戻れば、狭いデスクの上だ。バランスがとれねーから一緒に落ちると思ったぜ……」
「デスクの上から落としてなんだっていうんだ! これで全開の『マン・イン・ザ・ミラー』のパワーを使えるんだぞ! ガラスのビンごときさまを叩き潰して――」
「おいおいおい、言ったはずだぜ……オレは
「―――――――」
イルーゾォは振り返った。
デスクの下、天板で陰になる位置にはコンセントがあった。そこから途中で切断されたと思しき、パソコンの電源コードが垂れていた。
「ホルマジオ……てめー、まさか……」
「そのまさかだぜ」
「小さくなる……ってことはよォ……
「ホルマジオォォオォォォオ――ッ! てめえェェェ――――ッ!」
『マン・イン・ザ・ミラー』が瓶の中のホルマジオに拳を振るうッ!
だが、もう遅かった。解除された電源コードが水面に触れ、走る電流がイルーゾォにも伝わる――
「うッぐォォォおぉおあああアアアアアアアア――――ッ!」
衝撃! 激痛! 眼球の裏側から、耳の奥から熱いものがあふれ出し、全身が痙攣する!
ガクついた身体を、震える脚では支えきれない。その場に膝をついて前に向きに倒れこみ、顔を水面に突っ込む。水を呑んでしまい、呼吸が途絶えかかる――――
「ま、だ……だッ……まだ……オレはァァ――ッ」
途絶えかかる意識を精神力で無理やりに繋ぐ。舌を噛んで痛みで意識を保つ。
まだ精神は折れていない。瓶を砕けば、小さいホルマジオの方が電流に耐えきれずに先に死ぬ。
「『マァァン・イィィィン・ザァアアア……』」
バチバチと眼球の裏側で紫電が跳ねていた。だが、それでも瓶の中のホルマジオの顔がハッキリと見えた。
ダメージで亀裂の走ったヴィジョンを無理やりに動かし、振り上げた拳をガラス瓶に叩きつける――
「『ミラァァァァァ』――ッ」
ビシリと、ヒビが入る音――――
その音を聞いた瞬間、イルーゾォの意識も途切れた。
.3
――――――雨の降る音だけが、車内で響いていた。
倒した運転席に横たわっていたホルマジオは、ノックの音に眼を覚ました。
まどろみにぼやけた眼を薄く開くと、無数の雨滴が浮いた助手席のウィンドウ越しにイルーゾォが見えた。
「手に入れてきたぞ……早く中に入れろ」
ロックを外すと、イルーゾォが細く開けたドアの隙間から身体を滑り込ませた。
ホルマジオが後部座席からタオルを取り上げて渡す。交換に突き出されたマニラ封筒を受け取った。
封筒を開いて、中の書類を確認する。無機質な文字と数字の羅列――しかし、読む者が読めば、情報の山だ。暗殺の標的の所在から、いつ狙えばいいか、一瞬でプランが出来た。
「問題ねえな。使える
「当然だ……しかし、これが暗殺者の仕事か?」
「そりゃあな。事前の情報収集は大事だぜ。それにオレはこの脚だからよぉ、オマエとじゃねえと仕事はこなせねえ」
ホルマジオは鏡で切り裂かれた脚を叩いた。縫合は済んでいるが跳んだり走ったりは完治するまで難しい。リーダーであるリゾットからは、しばらくイルーゾォと組んで仕事をするように指示が出ていた。
情報収集は小さくなれるホルマジオも得意だが、組んでみると『鏡の世界』から安全に移動できるイルーゾォも同じぐらいに得意とするところが解った。今日はその能力を使って、暗殺の標的の情報を奪取しにきていた。
「……クソ、こんなコソ泥みたいな真似をオレが――――」
イルーゾォがボヤくのを、ホルマジオはせせら笑った。
「ボヤくなよ。このままじゃあ借金返済まで時間がかかるぜぇ~?」
「……フン」
イルーゾォは濡れたタオルを後部座席に放り捨てると、腕を組んでダッシュボードに足を投げ出した。
「このオレが負けたのは事実だ。甘んじて受けてやる」
「ヒヒヒ……そりゃあ負けた野郎の態度じゃあねえぜ」
「いつか見てろよ……二度とてめーのくだらねー能力に負けはしねえ」
「そりゃ楽しみだ」
ホルマジオは車を出した。
降りしきる雨の勢いが強まっていた。バケツでぶちまけられたようにフロントガラスに被る水をワイパーで払いながら、車は突き進んでいった。町中から郊外へ至る経路だ。
運転しながらホルマジオは書類をイルーゾォに渡し、読むように促した。
「この仕事はこれで終わりだ。次は――」
「次ィー? オレにまだ働かせる気かッ」
イルーゾォがくってかかるのを、ホルマジオは片手で制し、もう片手でハンドルを捌く。
「オレは借金を返すのに協力してるんだぜーッ。しかも、オレへの借金だ。オメーからオレに文句言われるスジあいはねえんじゃねえか?」
「…………くだらん仕事だ。
「次こそは
ホルマジオが言うと、イルーゾォが眼を見開いた。書類をひったくるように掴むと、素早く読んだ。
「標的の場所が解ったからよォ、さっさと終わらせちまうとしようや」
ホルマジオが言うと、イルーゾォはにやりと笑った。
あの後のこと――『鏡の世界』が解除されると同時、ホルマジオはすぐにボトルから出た。
気絶したイルーゾォの呼吸を確保し蘇生させてから、すぐにリゾットに電話した。
「クソッたれ! リゾットよォ――ッ! 何の予告もなしにオレに仕事を押し付けるんじゃあねえぜ! 新入りのやつが部屋を滅茶苦茶にしやがった! 水浸しでえらいことになったぜ……部屋のクリーニング代は誰が出すんだ? それとパソコンの修理代もだ!」
リゾットは答えなかった。
しばらく黙ったままだったが、唐突に、いつもどおりの重々しい声が響いた。
「…………ホルマジオ……オマエの意見を聞きたい」
「なんだ? クリーニングをどこの業者にやらせるかか? 次のトトカルチョの予想なら教えねえぜ。当てるのはオレだけで――」
「――――イルーゾォは使えるヤツか?」
「…………」
ホルマジオは寝かせてあるイルーゾォを見た。
イルーゾォはデスクの上に横たわり、時折うめき声を立てた。
感電は長時間は続かなかった。漏電が発生するとブレーカーは自動的に落ちる。意識は途絶えたが、感電死するまでには至らなかった。呼吸もしている。放っておけば目が覚めるだろう。
「…………少しばかり調子にのってたな。煽るとすぐにブチ切れるのはハッキリ欠点だ」
「――――」
「あとはテメーの能力に自信がありすぎる。相手してみたが、確かに強力だぜ。だけど詰めが甘えから、結局負けやがった。ブラフに引っかからねえところまではよかったんだがな……」
「――――」
「とはいえ、だ……」
ホルマジオは床に落ちていたボトルを拾い上げた。
先ほどまでホルマジオが入っていたボトル……大きな亀裂が走り、もう少しで砕けそうだ。
『マン・イン・ザ・ミラー』の最後の一撃は確かに届いていた。
「ガッツはあるぜ。殺すとなったら迷わねえ意思もな」
「………………解った…………今度、オレのところに来るように伝えておいてくれ」
通話は切れた。ホルマジオは肩をすくめると、イルーゾォを起こした。
リゾットはイルーゾォの暗殺チーム入りを認めた。そして、部屋のクリーニング代はイルーゾォがした仕事の報酬から支払われることが決まった。イルーゾォは文句を言っていたが、しぶしぶ認めた。
以来、二人は組んで仕事をしている。今日もリゾットの命令で働いていた
郊外に入ると、外灯の数が減っていく。次第に空も暗くなってきていた。ホルマジオはヘッドライトを点けると、アクセルを強く踏み込んだ。
降りそそぐ雨粒が描く無数の線をライトの光が断ち切り、車は突き進んでいく。
「初仕事だからってよォ――、緊張することはねえ。出来りゃあ自殺に見せるのがベストだが、こんな雨の日ならよォ……」
「外を歩いているところを、すっ転ばせて頭でも打ちつけさせる、か?」
「…………解ってんじゃねえか」
イルーゾォは鼻を鳴らした。だが、真面目な顔つきになると、フロントガラス越しに遠くを見据えた。
「…………こんな能力を手に入れたんだ。組織でも最高の暗殺者になって、オレはノシ上がってやる」
「へえ……そんなことできると思ってんのか」
イルーゾォはまだ知らない。暗殺者というのはどこの組織でも忌み嫌われる。
ゴミの業者が嫌われているのと同じだ。必要な仕事をやっていても、恐れられるだけで報酬も少ない。
イルーゾォは自嘲気味の笑みを浮かべていると、嘲笑と受け取ったイルーゾォが振り返った。
「――――できるさ。オレは無敵だ」
振り返ったイルーゾォの眼は真剣だった。スタンド能力を得た者だけが持つ、
「―――――――」
言い返そうとホルマジオは口を開きかけたが……結局何も言わなかった。
二人はそろってフロントガラスの向こうの風景を見ていた。
行く先は郊外の人の少ない地域だ。自然が目立ち、対向車線から車も来ない。
降りそそぐ雨がフロントガラスの上を流れ、窓を分厚い膜のように覆っていた。ワイパーが激しく動き、水の膜を払うが、すぐにガラスが水の膜で覆われる。
進む先は判っていたが、道は暗く夜に沈みかかっていた。照らすヘッドライトの明かりも降りしきる雨に弱められて弱弱しく、道の先が見えなかった。
ホルマジオは不思議な切迫感を覚えた。さらにアクセルを踏み込んだ。
闇を突っ切らねばならない――ただ、そんなことだけを考えていた。
二人を乗せた車は明るい街中から離れて、暗い郊外の道を突き進んでいった。
いつまでもやみそうにない雨の中を、果てなく、果てなく――闇のなかを、どこまでも。